付録







  珈琲関係史年表




   古代及び中世の珈琲環境の年代表

紀元前3000  エジプト第一王朝。メソポタミヤにスメル文化栄ゆ。
紀元前2000  スメル人アツカド人混血。アリアン人移動。パビロニヤ文化古典時代。
紀元前1000  イスラエル人エジプトに苦役・モーゼに率いられて没出す。ヨシヤの率ゆるヘブライ人カナーンに入りパレスチナを領す。
紀元前 995  ヘブライ王ダビデ全パレスチナを領す。
紀元前 960  ダビデの子ソロモン王位・シエバの女王ダビデと会い一子メネリックを挙ぐ・メネリック一世アフリカはエチオピヤを建国す。
紀元前 900  ヘブライ国ユダヤ・イスラエル両国に分裂・ヘブライ十二族ユダヤ・サマリヤ・ガレリヤの三部に分かる。
紀元前 800  アラビヤの歴史時代始まる・サバ王国印度陸路貿易の街として繁栄す。
紀元前 750頃  ローマ建国。ギリシャ都市国家発達。
紀元前 745  エチオピヤ王ビヤンキ(スンダ出身)エジプト征服エジプト第25王朝開く。
紀元前 663  アッシリヤ、エチオピヤと争いエジプトの支配権を奪う・第26王朝。
紀元前 550  ペルシャ建国。
紀元前 331  アレキサンダー大王(マケドニヤ)エジプト支配・第35王朝滅亡。アレキサンドリヤ開港。
紀元前 270  ローマのイタリヤ統一。
紀元前 200頃 ギリシャ人、エチオピヤに交易場を設く。
             此頃アラビヤに於いてはヒムヤル族南部に賑う・アレキサンドリヤ開港以来商権衰え一部住民は北上し残部は遊牧民となる・一方多数アラビヤに移りアビシニヤとなる。
          アビシニヤは南部の征服を企てハトラマウト王国を倒してネストリウス教を行う。一方ヒムヤル族はユダヤ教を信奉してアビシニヤと争う。
紀元前  45  シーザー、エジプト・シリヤ等征服。
紀元前  30  クレオパトラの死・エジプト、ローマの属領となる。
紀元前  27  ローマ帝国成る。
紀元前  4   キリスト出生。

西暦70  ローマのチツス、イエルサレムを陥れエホバの神殿を焼く。ユダヤの国民的独立滅ぶ。
   224 ペルシャ・ササン王朝開化。
   395 ローマ帝国東西に分裂・パレスチナは東ローマの一部となり、エジプトは東ローマの一属州となる。
      この頃ユフフラテス河中流地方のヒーラ王国は、三世紀以来ペルシャの後援を得て、西北地方で東ローマに援けられた。ガツサーン国と争い、5世紀以来中部のキンダ国は僅かに古来の聖地メッカを保持し、他の諸族は渾沌として何等統一なし。
  またエチオピヤに於いてはアレキサンドリヤより、ギリシャ文化・キリスト教を伝え、アラビヤ人の瘉せるセム文化と漸時混淆す。
   420 東ローマ、ペルシャと戦う。
   570 マホメット出生。回教勃興・アラビヤ民族(サラセン)大移動を開始す。
   632 マホメット後継者のカリフ、アブ・ベルグ全アラビヤ族を統一す。
      この頃まで珈琲は未だ原生期を出でず(コーランに現れず。)
   750 アツパス王朝バグダッドに都す・この頃よりアラビヤ郷国は勢威衰え、カリフの一分国に過ぎず。
   774 ロンバルジャ王国滅び、東は印度より西はアフリカ北岸、イスパニヤに及ぶサラセン大帝国を現出す。
      此の期間に珈琲の実有用物として発見される・当初種実を煮て砕きビリヤードの球の如くして、耐久食(兵糧等)になすと言う説あり。山羊とアラビヤの牧者と回教僧の珈琲伝説この頃に起源す。
       次いで珈琲の果実より一種の酒を造る。 900年頃アラビヤ人医師ラーゼス、始めて「バンチャム」と言う珈琲飲料の名称を伝う。珈琲酒のことと思はる。
  969  エジプトにフアチマ朝起こり、バグダッド及びコルドバ(イスパニヤのロンバルヂヤ平原)のカリフと並んで、三カリフ分立す・カイロエジプト首都となる。
 1055 セルジュツクトルコ、バグダッド攻略。
 1096 第一回十字軍・(1099)エルサレム陥落。
 1187 エジプトの回教王エルサレムを奪う。
 1225 トルコ族酋長スレイマン、500の遊牧民を率いてアルメニヤに移る。
 1241 ハンザ同盟成立。
 1250 エジプトにマメルクの奴隷王朝。
 1254 マルコーポーロの東方旅行初年。
 1269 メッカ、エジプトに従属す。
 1272 第7回十字軍(最終)
 1299 スレイマンの子オスマン一世オスマントルコを創建、スルタンと称す。
 1479 イスパユヤ王国の滅亡・グラナダのカリフ滅亡。
      この頃珈琲は1258年回教僧シェーク・オーマ流宅中に珈琲実の効用を見出すという説話あり。
       1200年代より薬種として煎用し始む。次いで種実を乾燥して煎用・種実を脱皮して煎用焙煎し粉砕して煎用す。
       1300年頃回教僧院にて霊薬として信者に供す。僧侶間にては常用始まる。珈琲は焙煎され、粉棒粉鉢にて粉砕して煎じられ糟と共に食す・トルココーヒーとしてその風習今日に伝う。
       1454年アデンの僧官珈琲の俗人使用を許す・珈琲メッカ、メジナより回教圏内に広がる飲用ペルシャに発達す・路傍、禄陰の珈琲飲用所アラビヤ各地に流行・シリヤ、エジプトにコーヒー店流行し始む。

       近世及び最近世の珈琲年表

 1500年頃 珈琲国アラビヤを経てセイロンに伝はる。
 1511 メッカの知事カイエルベック僧正、珈琲店繁栄を弾圧・珈琲を酒と称す。カイロ一時之に倣い間もなく解禁・メッカも解禁
 1524 メッカの僧官風紀紊乱を理由として珈琲店禁圧・但し家庭の飲用は許可す。
 1534 カイロの狂信者の煽動により暴徒珈琲店を襲う・市内珈琲党と反珈琲党に二分して争乱す。
 1554 スレイマン二世治世オスマントルコ最盛期。
       アレツボ等よりコーヒー店の風コンスタンチノーブルに伝わり、近代的珈琲店の先駆カハカーネス繁盛す。
 1556 コンスタンチノーブルの珈琲店弾圧さる。
 1570 回教により珈琲はコーランに反すと言う理由にて圧迫。
 1573 ドイツ人医師レオナルド・ラウオルフ、アレツポにて珈琲見聞、初めてヨーロッパに珈琲を紹介す。この頃より多少薬品として伝わる。
 1580 アラムス三世有力者狂信者の懇請により、珈琲を酒として禁止・間もなく解禁・却って財源として珈琲に課税す。珈琲益々盛んとなる。
 1591 プロスペル・アルビン、カイロのベネチヤ大使官にて珈琲を研究・ヨーロッパに知識を伝う。名称伝わる。
 1600 イギリス、オランダ、フランス、34年間に各東印度会社成立。各国貿易及び植民地競争。
      1639年日本鎖国(将軍家光)。 1562、英人アメリカ・アラビヤ間の奴隷売買開始。1619、オランダ、黒人奴隷をヴァージニヤに送る等のことあり。
 1600年頃 回教徒ババ・ブタン南方印度にアビシニヤの珈琲樹を伝う。
 1615 コーヒー、ベニスに入る。
 1616 オランダに珈琲飲料伝わる。
 1637 オックスフォードの学徒カピオス、珈琲を伝う(事跡不詳)。
 1644 コーヒー、マルセイユに入る。
 1645 コーヒー店、ベニスに開かる。
 1649 チャールス一世処刑・クロンウエル共和政治・1660年イギリス王政復古等あり。
 1650 オックスフォードに珈琲店現る。
 1652 英商人エドワード、ロンドンにコーヒー伝来・次いで其召使ギリシャ人バスクワ・ロッセ、初めてコーヒーテントを開く・コーヒーハウス大流行の緒・又此年コーヒーの語定まる。
 1660 イギリス、珈琲に課税。
 1665 チャールス二世コーヒーハウスを弾圧す。珈琲の流行漸次茶に移行・ロンドンのコーヒーハウスその健全性を失う。
 1661 ルイ十四世親政。
 1669 パリのトルコ大使ソリマン・アガ、トルコのコーヒー風習を伝う。パリ上流社会に流行す。
 1689 伊人プロコープ、パリにカフェプロコープを開き、流行の祖となる。
     17世紀末よりヨーロッパにコーヒー大流行時代を現出、今日に続く。
 1696 インドのマラパールよりジャワに珈琲樹移さる。
 1706 ジャワの珈琲の実、アムステルダムに送られ植物園に栽培さる。
 1714 アムステルダムの珈琲樹、ルイ14世に贈らる。皇帝植物園にて栽培せしむ。
 1715 佛人ブルボン島に珈琲を伝う・本島の樹後にブラジル・佛印に良種を伝え、1901年英人により東アフリカに戻る。
 1721 キャプテングリュー、パリの珈琲樹をマルテニックに輸送す。中南米の珈琲樹は概ね之を元木とす。
 1760 インドのゴアの珈琲樹ブラジルに移植さる・ブラジル珈琲隆盛に赴く。
 1776 アメリカ合衆国独立宣言。1789、フランス革命起こる。1793、恐怖政治ルイ16世処刑。 1804、ナポレオン即位。1715、ワーレルローの戦等相次ぐ。又1780年頃より日本文献にも珈琲出ず。1867、日本開国(大政奉還)。
 1820 リオデジャネイロの珈琲ハワイに移植さる。
 1901 レナウン島(ブルボン島)の良種東アフリカに、イギリス人により移植さる。
 1901 西アフリカコンゴーより、ロブスタ種コーヒー蘭印に移さる(珈琲伝播の基礎一応終わる)。




        あとがき

  本稿は思い立つと矢も楯も耐らず書き初めたものです。戦後日本には殆ど資料が焼失していて、頼るべきものは誠にとぼしいのでした。従って恐らく数多くの誤りや粗漏や独断があるに違いありません。多数の先達を差しおいて書きすすめたことは、ただ珈琲に対する止みがたい愛からにほかなりません。
 珈琲の知識については、自分が無知に等しいことを承知しながらも、ただこれを見、これをたて、これを味わう心は、誰にも恥じず、わがこととしているのです。そうした心に湧き出でる詩として、見て戴くことが出来れば、筆者のよろこびは此の上なくまた光栄です。
 理想を手も届かぬ遥か彼方に描く訳ではなく、身辺にある一握の珈琲に己をゆだね、己の中に珈琲を見出してたてられた一杯の珈琲に、ひとと共によろこびをわかち得たら、またなき幸と思うばかりなのです。
 そして生活の一つ一つに、誰が誰を悪み合うこともなく、常に新しく物がつくられて行く真実を見当てたなら、隣人同士が手を携え、愛し合い、助け合って行く、素直な人間世界が実証出来る気がするのです。
 珈琲の知識としては、ここに書きとめたことは、稚拙なアウトラインにしか過ぎません。ただ私として務めたことは、如何にして珈琲が生れ出たか。そして如何に人間と共に生きて来たかを見ることにありました。
 珈琲を何も特殊な優れたものとしてではなく、ただそれはそれなりに持って生れた特質に生きる、その他に別段変わったこともない平凡なものとして、たまたま人間に近しく隣合える一つの自然物として、共に生きる愛情を注いだのです。
 本稿は出来るだけ忠実に、歴史的地誌的考証に拠ったもので、経済的な問題については、あまり触れなかったことをお断りします。
 なお喜多壮一郎「カフェ・コーヒー・タバコ」、「星隆造「珈琲の知識」、大坪正「珈琲論」等は、かつて日本において発行された珈琲関係の綴った書籍であり、また皆川倉太郎「茶と珈琲」、今岡正「珈琲研究」、は戦前暫く刊行された珈琲関係の雑誌として、それによって研鑽を発表された、板寺規四、寺内栄ニ、奥山儀八郎、林幸三郎、稲村時衛等の諸氏と共に、日本の珈琲文化に貢献した人々でした。本稿もその人達の知識に負うところが少くありません。執筆に当り資料、写真その他種々便宜を図って頂いた住田物産株式会社半田進、共栄貿易株式会社富谷政明、全国珈琲協会鈴木辰雄、長野学の諸氏の厚意と共に、感謝の意を表します。また数多くの友人諸君の激励は筆紙に書されませんでした。

         1950年9月
                               著者

   トップ