みかぐらうた


みかぐらうたについて

みかぐらうたは「かぐらづとめ」と「十二下りの手踊り」の地歌である。
(この第1節から第3節までが、かぐらの地歌であり、第4節と第5節が、てをどりの地歌である。)

「かぐら」と「てをどり」の地歌を合わせた、つとめの地歌の書きものを「みかぐらうた」と呼ぶ。
原典の一つである。
「つとめ」は「かぐら」と「てをどり」から成るが、
つとめでは、地歌は九つの鳴物による一定の音律によって伴奏され、
これに合わせて、一定のそれぞれ意味をもった手振りや足の動きによる「おてふり」が踊られる。
これらの音律や「おてふり」は、いずれも教祖によって制定されたものである。
しかも、このつとめの地歌である「みかぐらうた」には、
基本的な信仰の心得といったものが集約的にうたいこまれている。
このおうたが全部整えられるには、相当の年月を要しているが、
その制定の時期および成立の意義内容から五つの部分(節)にわけられる。


「あしきはらひ たすけたまへ......」(第1節)

「ちよとはなし.......」(第2節)

「あしきはらひ たすけたまへ いちれつすますかんろだい」(第3節)

「よろづよ八首」(第4節)

十二下り(第5節)


【歴史的背景】

初代真柱様の『教祖様御伝』によると
『慶応二年秋の頃、小泉不動院入り来り教祖に難問せしも・・・此乱暴ある迄は只南無天理王命と連呼せり、
然るニ此時より神様を拝するに始めて、あしきはらいたすけたまひ天理王命と手を御つけ遊されたり

慶応二年(1866)の秋 「あしきはらいたすけたまへ てんりわうのみこと」と、つとめのお歌と手振りを教える。

慶応三年(1867) 教祖七十才の時 正月中に三下りまで、残りを八月までに十二下りのお歌を作り、
その後満三年かかってお手振りを教えられた。

明治2年(1869)より『おふでさき』執筆開始。同15年迄。

明治三年(1870) 「ちょとはなし」を教え、よろづよ八首のお歌を 十二下りの初めに加えられる。

明治八年(1875) 「いちれつすますかんろだい」の歌と手振りを教えられる。

明治十五年(1882) かんろだい取り払い事件後、「いちれつすます」の句を「いちれつすまして」、
「あしきはらい」を「あしきをはらうて」と改められる。

みかぐらうたが一応完成するまでには、慶応二年から明治八年まで十年費やして居ります。
現在の形となるまでには、更に明治十五年まで、十七年を費やしていることと、
現行の各節の排列順序は制作年代順ではなくて、はっきり現行の体裁をとるようになったのは、
明治二十一年天理教会本部から公刊されたものに於いてであること、
又語句の上に若干の変遷があったことは特に注意する必要がありましょう。   『みかぐらうた講義』