バークレー レポート No.70

2006年5月25日掲載、6月1日追加


留学生活5年の回想



すべての条件が整ったのは留学3ヶ月前。
バークレーの合格通知は最後に来た。
ある先生からの国際電話での勧誘だった。

*

アメリカの授業に、すぐになじめたわけではない。
自分は研究者養成課程だが、一部、ロースクールの学生と同じ授業を受講する。
物権法についての判例を学生が次々と説明していく授業。
自分の解説は要領を得ず、「こいつ何者だろう」という目が注がれた。
英語は問題ないため、「留学生」とは見られていなかったようで、
この場合、「ただのできない学生」という扱いになってしまう。
しかし、先生が気にして自分のことを調べたのか、後日、
「留学生なんだったね。知らなかった」と話しかけてくる。
それで、一時の猶予が与えられた自分。いいことではない。

セミナー形式の授業は最初もっと困った。
せいぜい10名の参加者。一人一人の発言と参加が求められる。
自分は発言しても短いコメント、それに対する質問にはしどろもどろ。
「頭悪い」「付いていけない」という劣等感が毎日のように残った。
それから数年。いまは「先生次第」というところまで来た。
うまく間を取ってくれて、よく自分の言うことを聞いてくれる
先生のセミナーでは、自分も自信を持って、流暢に他の学生と
やり取りができる。
ただ、弾丸のように先生と一部の学生が話し続けるセミナーでは、
黙り込んで、空しさだけが残るのはいまも変わらない。

*

自分にとって最大のチャレンジはTA。
学部の法学の授業で、30名ずつ週に2コマの演習を担当する。
初めて受け持った学期は、その日の学生の反応で、
一日自分の気分が左右されるほど、緊張していた。
ひどいときは、頭が空白になって、「今日はここまで」
と授業を打ち切ってしまったことがある。
附に落ちない様子で教室を出ていく学生。
校舎の外のベンチに呆然と座り込む自分があった。

いま、自分はTAをするのが好きだ。「あなたのような
TAのおかげで...」と授業評価に書いてくれる学生がいる。
学生の反応を十分に引き出す教え方がまだできないけれど、
物事を整理してわかりやすく伝えること、端っこに座っているような
学生まで目を配り、コミュニケーションを取ることは自分の得意。
大学院では「端っこに座っている」のは自分なので、
教員に認められることがどれだけ気持ちに影響するか、わかる。
学生の授業評価は、この辺をよく見ていて、長短をよく指摘してくれる。

*

一生自分に傷を残したのは、学生自治会での挫折。
バークレーといえば、社会運動でアメリカ中の注目を集めてきた。
そこでの自治会活動は留学前から自分の目当てとしていたところ。
留学して最初の年に代議員として大学院生自治会に入り、
その後3年の間にどんどん「出世」していった。

大学院生自治会の推薦で、学生の懲戒処分を決める大学の委員会や、
処分の基礎になる懲戒規則を改訂する委員会に大学院生代表として加わった。
留学生の代表として、自治会長、総長と3人で対談もした。
話し合いのテーマはアメリカ政府の留学生政策。
総長が政府高官と会う準備としての意見交換だった。

最後は代議員会から選ばれて執行委員(組織・規約担当)になった。
挫折はここで待っていた。
組織・規約担当としての自分の仕事は自治会運営の公正を確保すること。
しかも「左」寄りの自治会に対して、「右派」系(共和党・宗教団体)の
学生から組織的な批判が起きていた。

会長はそうした批判に真っ向から対抗しようとする人間。
自分はというと、批判にも理があると見て、それに応じた改革を進める立場。
学生新聞などでも、必ずしも自治会内の多数派には与しない意見を述べてきたし、
共和党系の学生ともコミュニケーションがあった。

会長とは関係がどんどん悪化し、解任動議を提案されるに至って辞任した。
立場が違っても話し合いで共通点が見つけられる、というのを誰に対しても
信じてきた自分は、こうした「政治」に打ちのめされた。
2004年に自治会・自治会推薦関係の役職をすべて辞め、
学問面での停滞もあって、この年は鬱状態に陥る。

*

学問面は、いまも悩んでいる最中なので、的確にまとめることができない。
ただ、2004年に停滞した挙げ句、バークレーを辞める、というメッセージを
伝えるに至って(継続学生のための書類を提出しなかった)、
プログラムの教員が結束して、学問的助言から経済面、周囲との交流
(他の学生や研究者と接触する機会の提供)などあらゆる面で支援してくれた。

その効果は見事なもので、結果として2005年秋には、遅れていた論述試験、
そして博士候補昇格のための最終口述試験に短期間で合格した。
遅れた分を取り戻し、悩んでよかった、サポートしてよかった、と後で
言える・言われるような論文を書くのが、自分の責任だと思う。

*

いつまでも残る自分の課題は、人間関係。
もともと人間関係を築くのがそんなに得意ではない自分にとって、
留学生活中の孤独が、結局上に述べたあらゆる問題につながっている。
鬱っぽくなるのも、辞める直前まで追い込まれてしまうのも、
そうなるまで話す相手を作れていないのが大きい。

しかも、思った以上に、アメリカ人の間には溶け込めない自分がある。
仕事上の関係ではともかく、プライベートな付き合いには発展しない。
たとえば誕生日パーティーや結婚式、卒業祝いなど、普段学生の間でも
プライベートな行き交いはたくさんあるのだが、自分はその輪には
入っていないし、一層悪いことには、時々呼ばれても尻込みして
(「行って自分だけ浮いたら、どうしよう」)結局行かない。
そのうち誘い自体が来なくなる。

鬱っぽい状態が人間関係の疎遠を招き、その疎遠が鬱っぽい状態を
悪化させるという悪循環がある。
これは、大学院生によくある現象として最近キャンパスが取り組んでいる。
しかし、留学生の場合、言葉や文化の壁で、キャンパスの対応
(たとえばグループカウンセリング)が有効なのか疑問に思ってしまう。
将来一人で留学をする人には、5年間孤独に耐えることの精神衛生面が
留学中の最大の関門だということを伝えたい。

(そんな自分の留学生活にとって、今年は例外だった。
自分の中で何かが変わったのか、巡り合わせがよかったのか、
たくさんの日本人留学生に親しくしてもらい、幸せな日々だった。
ただ、そんな中でもやはり、「なぜアメリカ人とはこうならないのだろうか」
という疑問が深まってしまう面もあった)

*

ずいぶん長く書いてきた。
進歩している自分と、同じ悩みを抱えたままの自分がいる。
ただ、悩んで次の思考に至ったことが成果といえるなら、
それなりに成果のあった留学生活だと思う。

博士学位取得まではまだ2年かかる見込み。
でも、ここまで来たら覚悟はできている。
これまで悩んできた自分への区切りとして、この回想を公表する。



Copyright 2006 AKIBA Takeshi
秋葉 丈志

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