
解説・ビラの配布と言論の自由−根底を揺るがす文学部教員の行為− ビラの配布は言論の自由の根幹 早大文学部でビラを配布しようとした人間が文学部教員の意向で逮捕された。 このことが言論の自由に与える影響は計り知れない。 ビラの配布は、言論の自由の中でも、もっとも重要なものである。 なぜならば、ビラの配布は、意図した公衆に対して誰もが意見を 述べられる唯一の方法だからである。 新聞や雑誌に意見を書くのは自由と思うかもしれない。 しかし、新聞や雑誌の紙面にアクセスできるような人は世の中で少数である。 ミニコミなどを創刊することができたとしても、それを配布する力がなければ、 言論は無力化する。 インターネットがあるというかも知れない。しかし、インターネットの発達と ともに明らかになってきたのは、インターネット上でも誰もがアクセスする 情報源は、結局大新聞、それに一部のポータルサイトに限られ、 個人がニュース発信のために作ったようなサイトは、意図的に探すか 偶然に他の記事からのリンクでたどり着く場合が多く、意図した聴衆には 必ずしも届かないということである。 結局、たとえば早大に行き交う人に早大の問題を訴えたいと思えば、 ビラの配布以外に有効な手段はそれほどないのである。 だからこそ、言論の自由の保障といえば、対象とする公衆に直接 アクセスできるビラの配布や集会行為が基本ということになる。 まさにこの二つを規制しようとする早大の教員、特に文学部幹部職の行為は、 こうした言論の自由の根幹を標的にしている。 憲法におけるビラ配布の自由の優越性 アメリカの憲法判例では、言論の自由が他の利害に優越するばかりか、 ビラ配布の自由の保障については特に厚い保障がかけられている。 最近でも、団体の戸別訪問・冊子配布について、自治体が登録(公認)制度を 設けようとしたことが、言論の自由に反するとして違憲判断を受けている。 ビラによる情報の流布(pamphleteering)が自由の根幹を果たしてきたとの認識からである。 重要な権利である以上、他の名目でこれを侵害するのは結局権利そのものを無力化することである。 公衆の行き交う場所が主に私有地である今日、私有地であることを名目に 言論の自由を規制すること(たとえば私有地への「不法侵入」名目)は、 今日の社会を前提とすると、言論の自由を保障しないに等しい。 アメリカの憲法判例はこのことをも認識し、公衆の行き交う私有地は 公有地に準ずる(パブリック・フォーラム論の延長)として、公有地並みの権利保障が なされる場合がある。(注1) 日本では、最近、学校の校門の外(公道)でビラを配布していた人間が、 わずかに学校の敷地内(私有地)に足を入れてしまった隙を捉えて 警察が不法侵入で逮捕するというような事件が起きている。 こうした技術論で言論の自由を抑制していくようでは、事実上 日本の憲法から言論の自由を抹殺するにも等しい。いったい、 私有地に接しない公有地というのが世の中にどれだけあるというのだろうか。 また、ビラ配布のために一々公道と私有地の境界線を土地登記で調べろとでもいうのだろうか。 大学への長期的悪影響 「不法侵入」名目でビラを配布した人間を逮捕に追いやる文学部教員の姿勢は、 技術論で言論の自由を規制しようとする、つまり言論の自由の優越性を認めない姿勢に他ならない。 このことが、言論の自由に依って立つ大学の学問活動に長期的に 及ぼす悪影響をこの教員たちは考察したのだろうか。 今回の文学部教員の行為について、大学挙げての検討に期待する。 (注1) 私企業が多数の住宅からなる「町」を作り、その「町」における言論活動を規制したところ、 私有地といえども、こうした規制は憲法の言論の自由に反するとの最高裁判例がある。 なお、こうした保障がショッピング・モールにも及ぶとする議論があり、判例は割れている。 連邦最高裁は、上記の「町」とは条件が異なるとしてこの主張を退けているが、 裁判官が5対4で割れているばかりか、判決内容も条件付の限定的な内容となっており、 議論は決着していない。[LLOYD CORP. v. TANNER, 407 U.S. 551 (1972)] 法技術論的には、私立大学が私企業による「町」とショッピング・モールのどちらに 近いかという議論になるが、大学が数万人の学生の日常生活を規定している実態、 また大学自体が言論を目的とした機関であること(この点が商店とは違う)に 鑑みると、「町」並みの権利保障をすべきだと筆者は思う。 しかし、技術論ではなく、大学はより積極的に言論の自由を保障していくべきで、 できるだけ言論を規制しようとする姿勢はこれに逆行する発想である。 文学部キャンパスでビラを配布した地下部室関係者が教員の要請で逮捕 論評・文学部教員の猛省を促す−開かれた空間にこそ大学の存在意義− 「早稲田の論点」に戻る