論評

文学部教員の猛省を促す−開かれた空間にこそ大学の存在意義−



地下部室と新学生会館

ビラを配布した地下部室の関係者が逮捕された。
「身分証」を提示しなかったから。不審者として通報した。
大学側の様々な言い分は、公共空間としての大学を蔑ろにする論理である。

果たして、大学は教員の意向に従順な学生だけのものだろうか。
これまでの早稲田大学はそうではなかったし、これからもそうあるべきではない。

早稲田大学には、あらゆる大学の学生、そして学生のみならず社会人が
様々な形で出入りし、大学の統制を受けることなく自由に意見を交換し、
自由な人間のつながりを築いてきた。

「地下部室」はその一番象徴的な空間で、外部の統制を受けず、
世の中で見ても例外的なほど、創造力に開かれた空間だった。
様々なサークルがここに生まれ、社会運動の発信点にもなっていた。

新学生会館は、この象徴的な空間を破壊した上にできた。
この「学生」会館では、一階に大学の学生部が入り、全館を通じて
ガードマンと監視カメラとカードキーによる機械的な管理が行われている。

部室の利用にも様々な条件が付せられ、従わない場合には容赦なく
罰則が課される。その条件も罰則も、大学側の一存により決められ、
徹底的な上位下達による管理である。


大学の私物化

ビラ配布による逮捕は、こうした管理意識が、ついに学生会館を出て、
大学全体に及び始めたことを示している。
そこでは、権力の座にある一握りの教員の意に添わない言動は、
抑圧と規制の対象になるようだ。

今回の事件は、それを極端に推し進めたことに、警察力、すなわち国家権力を
教員が利用してまで、自己の意向を貫徹しようとしている。
「大学の自治」という、大学と国家権力の間にあった一線すら、
一部教員の意向の貫徹のためには破られていいようだ。

これでは、早稲田大学は一部教員の私物と化しているといっても過言ではない。

「外部」の人間が立ち入れないどころか、早大の大多数の教員や
学生をも排して、「教務主任」などの地位にある一握りの教員が
思うままに大学という空間をコントロールしている。

いつまでも、こんな非民主的な大学運営が続いていいはずがない。
良識ある人間は、大学を開放的な空間に戻すべく、制度的な変更を
求めて行く必要があるだろう。

異なる意見を持った人々がそれぞれに妥協し合い、それゆえ誰もが
少しの満足と少しの不満を抱えながらも、全体として大学を
愛することができるような場にしていかなければならない。

自由な民主主義とは、そういう妥協の産物である。

一部の教員が徹底的に自分だけの満足を得るために、国の警察力まで動員して
異なる意見を抑圧しようとするとき、もはや自由な意見交換と
知識創出の場としての大学の存在意義は消滅する。

文学部教員の猛省を促したい。



(2006/ 1/ 1)



文学部キャンパスでビラを配布した地下部室関係者が教員の要請で逮捕


解説・ビラの配布と言論の自由−根底を揺るがす文学部教員の行為−



早稲田の論点に戻る