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 朝鮮戦争の終戦協定の締結と敵対行為の禁止により、朝鮮半島の平和と安定が進展する。早期の締結にむけて最大の努力が必要。関係国の協力が求められているのである。
 米国、ロシアの利害に協力する必要はない。

 朝鮮戦争の終戦協定及び平和条約を締結すれば、米国主導の朝鮮国連軍(米国、韓国、その他参戦国:オーストラリア、ベルギー、カナダ、コロンビア、デンマーク、フランス、ギリシャ、イタリア、オランダ、ニュージーランド、ノルウェー、フィリピン、南アフリカ、タイ、トルコ、イギリス)と北朝鮮、中国(義勇軍)との戦争状態は終結することになる。この結果、朝鮮半島の平和維持が安定化する。
 米国、韓国、その他参戦国及び中国は、平和への行動を早急に起こさなければならないと筆者は訴える。
 米国は世界の秩序の不安定化を敢えてもたらすことによって自国の軍備増強の正当性を自国民に訴え、世界における覇権の誇示のために自国本位主義を採り、自由奔放に国連での立場の優位性を狡猾に活用しているように筆者には受取れる。
 筆者は世界の国の人間に次のように訴えたい。人間は皆死ぬ運命であり、この地球上の人類は不滅ではなく、人類はいつか滅亡するであろう。だから、そのときまでは、我ら地球人は、他人の痛みを自己の痛みに慮れるように、未来志向で友好的に、協力的にならなければならない。これが最善の道であろう。

(重要!!) Yahoo! Geocitiesのホームページ提供サービスが2019年3月に終了となるので、ホームページ「地球&我ら地球人」のGeocities の Web 上での掲載は必然的に終了となります。   (2018年10月)


 日本国民は、美しい海、辺野古の埋立て工事反対!! 独裁的な安部政権の国民への人権蹂躙を許さない!! 駐留米軍は日本から排除されるべき。



朝鮮戦争及び朝鮮半島の国家分割の原因の大元は、大日本帝国による朝鮮半島の支配及び第二次世界大戦での日本の敗戦に乗じた米軍、ソ連軍の朝鮮半島における制圧地の管理分担の決定、米・ソ間の冷戦構造、朝鮮戦争休戦後の米・ソ間の政治的対立が起因して北朝鮮の独立及び統一国家への道が閉ざされたことによる



日清戦争、日露戦争、日本の朝鮮支配


 1860年代朝鮮は鎖国政策をとっていた。日本や欧米列強が朝鮮に開港を迫り、日本の場合は江華島事件を機に、1876年に日朝修好条規を結ばせた。この条規は日本貨幣の流通を認めさせて輸出入品の関税を免除させることや日本の領事による裁判権を認めさせる朝鮮にとって不利なものであった。その後、アメリカ、イギリスなども朝鮮に不平等な修好条規を結ばせた。こうした動きに反発する兵士や貧困に窮する下層民らの暴動が起き、日本公使館への襲撃や王宮の閔を殺害し、閔政権を倒した壬午軍乱が起こり、大院君が再び政権を握ることになった。
 この事態に、鎖国政策を進める大院君と対立し、開国、開化政策を推進する金充植らが宗主国である清に派兵を要請し、これを受けて、清軍が朝鮮に出兵して大院君を捕えて天津に連れ帰り、暴動の兵士らに攻撃を行って鎮圧した。再び閔氏政権が復活した。この後、清は朝鮮に留まり朝鮮への影響力を強めることになった。
 朝鮮の開国派は、欧米の外圧を防ぐ目的で宗主国である清との関係を維持しようとする派閥及び清との宗主関係に反対する派閥とに分かれ対立する。清とフランスとはベトナムを巡って清仏戦争が勃発。朝鮮半島の清軍の半数が撤退する。
 急進的な開国派の金玉均らは閔氏に日本軍の出動を要請させ、日本軍と一部の朝鮮政府軍とで王宮を固めて、閔政権の閔一族の重鎮を殺害した。しかし、閔氏側から要請を受けた清国軍の勢力が勝って日本軍を撤退させ、急進派の政権掌握は崩壊した。この後、日本と清国は朝鮮半島から撤退すること及び出兵する際の事前通告を定めた天津条約を結んだ。
 閔妃と高宗は、日本、清国の圧力に対抗するためにロシアとの関係を強めるためにロシアの軍教官を招聘することを目論んだが、清の袁世凱に阻止された。

 朝鮮の開国政策によって市場経済の発展で、貧農民層の生活が苦しくなり、民衆の中から新興宗教の東学が生まれ、東学の一派によって農民の蜂起が起こり、朝鮮政権が清国に派兵を要請し、清国軍及び対抗して日本軍が朝鮮に乗り込んだ。しかし、政府と農民軍は、この農民暴動を口実にして朝鮮で日清戦争が開始されることを危惧して、農民軍の提出した改革案と安全の保障を条件に急遽和解した。この後、政府は駐留の意味が失われたとして日清の両軍に撤退を求めたが、朝鮮での支配を目論む日本は、日本と清とで相互協力して朝鮮の内政に関与するため内政改革案を清に打診するが、清はこれを拒んだ。一方、朝鮮政府は単独で改革政策を推進する姿勢を示したため、これに対して日本軍は朝鮮政府に改革を求めていたが、遂に王宮に攻め入って閔政権を打倒し、親日の政権を樹立させた。このとき、日本軍は豊島沖の清の軍艦を攻撃し日清戦争のさきがけの戦争状態になる(1894年7月)。1894年8月に日本は清国に宣戦布告を行い、日本は朝鮮半島で勝利し、黄海開戦で勝利し、中国大陸へ侵攻して勝利した。 日清戦争(1894年8月〜1895年2月)である。日本が勝利した結果、朝鮮半島の主導権を日本が掌握することになった。この日清戦争の終結で下関条約を結ぶ。清は下関条約で遼東半島、台湾及び澎湖列島を割譲、賠償金を支払うことになった。下関条約の結果、台湾を日本に譲り受けることになったが、これに反対する台湾では抗日運動が起こる。日本は軍隊を派遣してこれを鎮圧して台湾を征服した
 日清戦争中に新たな農民戦争(甲午農民戦争)が勃発するが、政府軍と日本軍との連合は農民軍を掃討した。
 日本は三国干渉を受け、遼東半島を清に返還。ロシアがその後遼東半島を租借、ロシア軍は中国東北部を占領。清との宗主関係を解消された朝鮮の高宗や閔妃は、日本の内政干渉に反発してロシアへの接近を図った。これに対して日本の守備隊が王宮の寝室の閔妃を襲って殺害して凌辱し、焼き払った。これを守備隊のクーデターに見せかけようとしたが、アメリカ人教官やロシア人技師に目撃され、国際的な批判を浴び、関係者を日本に召還して裁判にかけることになるが、証拠不十分で全員無罪とされた。この後反日闘争が高まり、ますます日本の立場は悪くなり、半島でのロシアの影響力が強まることになる。
 その後、朝鮮半島の覇権の争いは日露間で行われていたが、高宗が1897年10月に国号を大韓帝国と改めた。
 清国は日清戦争後、ドイツやロシア、イギリス、フランスなどの列強の国々がそれぞれに勢力圏を設け、半ば植民地のような状態になった。清国内では、義和団を中心に外国人襲撃運動が起こり、清朝は1900年、列強に宣戦を布告。これに対して、イギリス、アメリカ、日本、ロシアなど8か国が出兵して反乱を鎮圧した。
 その後もロシアは満州を事実上占領して駐留を続けたため、日本やイギリスにとってロシアは脅威になっていた。イギリスは当時ロシアと対立しており、南アフリカでのブーア戦争(南ア戦争)(後に南ア連邦を建国)によって大きな負担となっていたため、1902年に日本とイギリスは日英同盟協約を結び、互いの権益は認め合うことになった。
 一方で、ロシアとの戦争を回避しようと考えていた伊藤博文がロシアに赴いて皇帝ニコライ2世と会見したが、交渉は失敗に終わった。
 1904年に日本はロシアと国交を断絶し、満州及び朝鮮半島の覇権を巡って日本とロシアは遂に軍事衝突に至る。日露戦争(1904年2月〜1905年9月)である。日本が奉天や日本海での戦争に勝利して、アメリカの仲介でポーツマス条約を1905年に締結し、日本が満州での鉄道の譲渡を受けること、樺太の南部の割譲を得ること、朝鮮半島の大韓帝国における権益を継続することとなった。
 その後、日本は日韓協約を結び朝鮮半島を日本の保護下におき、韓国の外交権を掌握し、韓国の統治権を完全かつ永久に日本に譲渡することなどを定めた韓国併合条約を1910年8月に結び、韓国を改めて朝鮮とし、朝鮮総督府を置いて日本の統治下に置いた。日本は朝鮮国内の抵抗運動などを抑圧した。併合した韓国での皇民化政策を実施して朝鮮人を日本人化する政策を実施した。

 日露戦争後、日露間で4回の協約を結びつつ協調政策を進めたが、1917年のロシア革命により協約関係は終焉した。日本が支配する満州国とモンゴル国の国境ノモンハンでの警備の武力衝突から、日本の関東軍がソ連の領域に侵攻する戦争に発展し、日本が敗戦した(1939年5月)。
 その後日本は、満州への侵略から中国へと侵攻し、中国との全面戦争に発展する。一方で西洋諸国の植民地であったインドシナ半島の国々を攻撃して中国への武器、物資の輸送ルートを断つ作戦を実施。また、アメリカが日本に対しての石油や鉄鋼の輸出を禁じたが、これに対して原油確保のために南方方面に侵攻すると共に、石油の備蓄がある間に、日本は経済・工業力が数十倍も勝り、海軍や空軍の能力も格段に勝り、日本が1〜2年間の戦闘を継続させることが限界であると当初から認識されていたにも拘らず、対米戦争を強行したのであった。

 韓国併合による日本の政策によって、韓国で生計を立てられなくなった朝鮮人を日本国内に受け入れたほか、日本への半ば強制連行を行い炭鉱などでの強制労働なども実施した。また、第二次世界大戦当時には軍需工場、土木建設での厳しい労働環境で労働させるなど行った。朝鮮での兵站の労働やその他に従事させ、日本軍の戦争域が拡大すると戦地に動員させ、自ら従軍慰安婦となる者や騙されて悲惨な従軍慰安婦にされてしまう者などが多く存在したと見られている。また、日中戦争時から志願兵制度が実施され、志願兵としての募集を始めた。応募の形態をとっていたが、天皇につくす兵士が集まらないと申し開きができないので、特別な優遇条件による対応や地域に割り当てるなどしていた様子が伺える。台湾でも同様に行われた。尚、志願兵については、家の資産のある者で学歴や日本語に精通した者などの条件で募集したが、実態は、日本が朝鮮を支配し農地を取り上げたために、多くの小作農の貧困家庭の者が生活費を稼ぐために応募した。徴兵制については、1942年5月の閣議で、徴兵制を施行し1944年から徴集するために準備するとされた。44年から45年に亘って徴兵検査が実施されているが、朝鮮兵の実態は不詳。


第二次世界大戦での日本の敗戦と米・ソによる朝鮮の分割統治


カイロ宣言、ヤルタ会談での日本及び朝鮮半島の処遇に関して

 第二次世界大戦中の1945年2月に、米・英・ソ3国の最高指導者ルーズヴェルト、チャーチル、スターリンがヤルタで会談を行い、降伏後のドイツ管理、国際連合の召集などについて協定を行ったが、そのヤルタ会議において、アメリカ大統領ルーズベルトは、最終局面の日本軍の猛反撃を懸念し、アメリカ兵の戦死者を減らす目的で対日戦争についてソ連と協議を行った。当時、日・ソ中立条約が有効なソ連に対して、ヨーロッパでのドイツとの戦争が一段落した後に、ソ連にアメリカの対日戦争に参戦するように要請したのであるが、1943年のカイロ宣言では連合国は戦争による領土の獲得を目的としないことを宣言していたが、これに対してソ連のスターリンが参戦の条件として領土の獲得を訴えたので、アメリカのルーズベルト大統領はこれを暗黙的に了承したのであった。ドイツ降伏後3ヵ月以内にソ連が対日戦争に参加することを条件として、樺太、千島列島のソ連への引渡し、中国の満州における完全な主権の確認などを決めたのであった。
 朝鮮については1943年のカイロ宣言では、奴隷状態の朝鮮をやがて自由且つ独立せしめることを決意するとし、1945年のヤルタ会談でも合意している。1946年の外相会議でのモスクワ協定では、朝鮮を信託統治の下に置くこと、臨時政府樹立にむけた米ソの共同委員会が執り行うことが盛り込まれていた。

ソ連軍による対日戦争参戦及び日本の敗戦後の朝鮮を北緯38度線で分割占領

ソ連の対日戦争参戦

 ヤルタ会談の合意に従い、ソ連は1946年4月まで有効な日ソ中立条約を延長しないことを1945年4月に日本に通告し、1945年8月8日に日本に対して宣戦布告を行い、9日に満州、朝鮮、千島、樺太などに攻撃を開始した。
 アメリカが日本にポツダム宣言の受諾を迫っていたが日本は応ぜず、日本は広島および長崎に原爆を投下されても、帝国政府はポツダム宣言の無条件降伏を受諾することを断わり、あくまで天皇及び天皇大権の護持の条件にこだわったのであった。アメリカ軍の爆撃は継続され、日本は8月14日になってようやくポツダム宣言の受諾を宣言し、15日に終戦の詔勅の玉音放送を行ったのである。しかし、ソ連軍は、停戦の調印の9月2日までの間に日本軍(大日本帝国軍)に対して攻撃を行い、日本軍を撃退し占領地の支配を進めたのであった。この間にも多くの日本兵が殺害され、あるいは捕虜にされてシベリアに抑留されることになった。また、満州の多くの日本人の開拓民らは、日本兵が開拓民らにかまわずに急いで撤退したので、日本兵一行から遅れてしまうことになり、後方から彼らを追いかけてくるソ連兵に追いつかれて襲撃され、暴行・略奪・強姦されたり、殺戮されたり、自ら命を絶った者もいたことなどが伝えられている。


ソ連軍と米軍(国連軍)による朝鮮半島の分割占領

 朝鮮半島に於いては、1945年8月9日以降のソ連軍の南下に伴い日本軍は南部に撤退し、日本が降伏を表明したので、ソ連軍は日本軍の反撃はほとんど受けずに容易に平壌まで進駐。一方アメリカ軍がこれを危惧して一部が仁川に到着。次第にソ連軍の朝鮮半島での支配が及ぶにつれて、アメリカは朝鮮半島のソ連化を危惧した。アメリカ軍は当時沖縄戦後に日本の本土上陸作戦に忙殺されており、早急に軍を朝鮮半島に投入することができなかったので、朝鮮半島の米ソ間での分割占領案をソ連と交渉することでソ連の支配拡大を押さえる方法を執らざるを得なかった。ソ連側は樺太を取り戻し、満州や千島などの島嶼を獲得したこと、又、あまり朝鮮半島全体の占領統治のことを考えていなかったことなどが原因したと推察されるが、なぜソ連がこの案を受け入れたかについては定かではない。とりあえず北緯38度線で南北それぞれを米国主導の国連軍側とソ連とで分割占領することが決定した。

朝鮮の独立国家建国に向けての動き及び南北に分裂した国家の樹立

 日本の敗戦後、朝鮮半島の各地で独立に向けた人民委員会が設立され、南朝鮮側では呂運淳(ヨウンヒョン)を中心に建国準備委員会が開催され、臨時政府の樹立が採択されて「朝鮮人民共和国」とする案が決定された。この閣僚の案としては抗日運動者の李承晩、呂運淳、金九、金日成などが一方的に挙げられていたが、アメリカは共産勢力に反対して認めずに解体された。尚、李承晩や金九らは参加を拒否していた。モスクワ協定を受けての南北の信託統治の実施政策に対して、南朝鮮では反対運動が激しくなり、アメリカ軍がこれを弾圧した。
 1947年に米ソの共同委員会が開催され、朝鮮の独立に向けた朝鮮の協議団体の選定を巡る話し合いが行われたが、紛糾して合意が得られない状態であったため、アメリカは国連において国連監視の下で統一選挙を行う案を提起して、これが採択された。これにソ連が反発し、ソ連は米ソの軍が撤退して後に朝鮮人による自主統一の政権樹立を目指す案を提案したが、アメリカはこれを受け入れなかった。その後、国連決議に従い、北朝鮮、南朝鮮に国連の代表団が入って準備を行おうとしたのであるが、北朝鮮が領内への立ち入りを拒否したため、アメリカは国連総会を開催して南朝鮮のみでの単独選挙の実施案を採択させた。
 この頃中国では、国民党政府軍が共産党の人民軍との内戦状態であったが、人民軍の支配地域が拡大する状況を見て、アメリカ政府は左翼の活動を弾圧する李承晩(イスンマン)を擁立させる方向で動き出すのであった。
 日本が朝鮮半島を支配していた際に抵抗運動を行っていた者たちが中国に逃避して名ばかりの大韓民国臨時政府を設立していた。その当時、李承晩は大統領に任じられていたが、仲間と折り合いが悪く大統領を弾劾されて後、アメリカに渡っていたのであるが、アメリカの信託統治下にある南朝鮮においては、アメリカは反共を掲げる彼に政権に当たらせることにして送り込んだのであった。その後、国会議員選挙、憲法改正(大統領と首相制)などを経て、国の称号を「大韓民国」とし、李承晩が1948年8月15日に初の大統領に選出された。
 かつて中国での抗日運動の仲間であって李承晩のあとの代表を引き継いだ金九(キムグ)が李承晩政権と対立するのであるが、李承晩側に暗殺されたとみられている。この後、李承晩の独裁化が進んでいくのである。その後、1950年5月の総選挙では反李承晩派が勝利した。

 一方、北朝鮮では、1947年2月に人民委員会が樹立された。1948年8月に最高人民会議の代議員を選出する選挙が実施され、当時朝鮮共産党のソウル本部の委員長であった朴憲永(パクホニョン)なども参加して、制定された憲法を基に、代議員による最高人民会議が9月に開催され、9月9日に「朝鮮民主主義人民共和国」が樹立が宣言され、初代首相に金日成が就任、副首相は朴憲永が就任した。手続き上は南北の統一政府としたものであったが、実質、北朝鮮単独の政府である。後述してあるが、朴憲永が朝鮮戦争時には南朝鮮の労働党が決起するであろうという期待を金日成らに告げていたが実際には行動が起こらなかったことによって、朴憲永ら一派は裏切り者、スパイとして粛清されることになる。


朝鮮戦争


 南北の政治体制が異なる分断された国家が樹立された後、南の韓国政府の李承晩は「北伐」を訴え、北の人民共和国政府の金日成は「南の解放」を訴えていた。
 1948年12月にソ連軍が北朝鮮からの撤退表明、1949年6月に米軍が韓国からの撤退を表明。
 1950年1月にアメリカ政府が中国の内戦への不介入を表明するとともに、アチソン国務長官が西太平洋のアメリカの防衛ラインに台湾と韓国は含まれていない旨の発言を行った。ソ連が軍需品の援助を行うことや中国共産党が1950年2月に友好同盟相互援助条約を結んで北朝鮮を援助する意思を表明した。
 韓国では1950年5月の総選挙で李承晩の与党勢力が大敗したため、北朝鮮は南の政情の不安定さを好機に捉えていて、アチソン発言を受けて、金日成はソ連及び中国に韓国への攻撃の承諾を得て、北朝鮮の人民共和国軍に中国の朝鮮出身の兵士が合流し、ソ連製の武器装備を有した北朝鮮の人民共和国軍が1950年6月25日に38度線を越境して南下を始めた。北朝鮮軍は約18万人の兵力に対し、韓国軍は半数の約9万人の兵力で対抗した。約2ヶ月で朝鮮半島の大半が北朝鮮の勢力下に入ったのであった。朴憲永が金日成に、北朝鮮の韓国への侵攻に際しては、韓国の抑圧された多くの住民が歓迎し、労働党員は決起して協力するであろうという考えを伝えていたが、多くの住民達は戦闘被害を免れるために南へ逃避するばかりであった。
 アメリカは即座に国連安保理を召集し、ソ連が安保理をボイコットしたため、安保理でアメリカの主張が認められ、北朝鮮軍の越境が侵略行為に当たると決議し、北朝鮮軍を武力で撤退させること、国連軍の指揮はアメリカ軍の指揮者が行うこと、参戦に協力する国連の加盟国の軍隊を募り、統一部隊を示すために国連旗の使用を認めることを国連で決定した。
 国連軍は北朝鮮軍の補給路を断つため仁川から挟み撃ちに攻撃を行うと共に、半島の東部側の元山から上陸することにして、北朝鮮軍が設置した機雷の除去を日本に要請し、日本の特別な編成部隊が機雷除去の任務に秘密裏に従事させられた。このとき機雷が爆裂して日本人が一人戦死している。
 マッカーサー率いる国連軍は北朝鮮軍を38度線まで撃退させると、国連決議の範囲を超えての北進攻撃に打って出たのであった。当初から李承晩は北朝鮮の占領を訴えていたのであるが、戦況は逆転して国連軍が北朝鮮軍を中国国境付近まで敗退させた。これに対して中国は共産党の革命に影響が及ぶことを危惧して派兵を決断した。中国の義勇軍という扱いになっている100万人にも及ぶ兵を派遣したとされている。この後、国連軍は後退させられることになった。このときマッカーサーは劣勢を再び挽回するために中国やソ連の国境を越えて戦域を拡大する計画になるが、数十発もの原爆の使用を大統領に申し出たとされ、これに対して同盟国の反対やバートランド・ラッセルやアインシュタインの呼びかけで原水爆禁止の運動が拡がったこと、国連加盟国の間で平和的な解決を求めるようになったことにより彼の計画案は実現しなかった。マッカーサーが強硬な戦略に固執したため、大統領がマッカーサーの国連司令官を解任し、マッカッサーは本国に帰ることになった。
 この後、国連軍と北朝鮮軍・中国の義勇軍の合同軍との戦況は38度線付近で膠着状態になり、国連でのソ連の停戦の提案を受けて両陣営で協議が為された。1951年7月朝鮮戦争休戦会談が開催された。その後2年以上経過した後の1953年7月にやっと休戦協定が板門店で米国、中国、北朝鮮の間で調印されることになった。このとき韓国は参加していない。

 その後、北朝鮮が関係する、あるいは関係していると推察されている事件が発生している。境界線のポプラの枝を切断した米兵を北朝鮮兵が殺害したポプラ事件、北朝鮮諜報部によるとみられる韓国大統領暗殺事件、ラングーンでの爆破事件、イラクから韓国に向かっていた大韓航空機爆破事件、北朝鮮による攻撃ととらえられている韓国軍艦沈没事件、韓国領の離島の延坪島(ヨンピョントウ)への砲撃事件などが発生している。

 2018年には米朝首脳会談が行われたが、米国側が北朝鮮が求めている停戦協定には応じず、この休戦協定は2018年に至っても継続している。尚、朝鮮の南北首脳会談の共同宣言、米朝首脳会談の共同宣言内容の概要は後述。


朝鮮戦争後の韓国の独裁化と民主化および北朝鮮の独裁化


韓国の独裁化と民主化

 大韓民国の李承晩は朝鮮戦争中の1952年に憲法を改正して大統領の直接選挙制度を決定させ、1954年2月の総選挙では議員数の3分の2以上の得票数が得られなかったが、議員数の3分の2の数値の少数点以下の切り下げで得票数が満足しているとして、最初の大統領については三選任期の制限を取り除くことを規定した憲法が承認されたとした。その後、対立する政敵などを排除して独裁体制を築いた。李承晩は、戦後復興事業や米国からの支援物資の販売において自らを支援する企業に対して便宜を払い、韓国の財閥を生じさせることになった。尚、1953年10月に米韓相互防衛条約調印。
 その後米国による対韓援助が削減されると経済が行き詰ることになった。1960年3月の正副大統領選挙では不正を行って当選したため、これに国民が反発して辞任を要求する暴動が起き、李承晩はアメリカに亡命した。
 李承晩が亡命した後の臨時政府は憲法改正を行い、総選挙によって野党民主党側が政権を担うことになるが、経済状態が好転する見込みは薄く、国民は民族統一への動きに向かうようになり、激しくなる学生の民族統一運動を抑制できなくなっていた。この状況下、1961年5月に朴正熙(パクチョンヒ)らによる軍事クーデターが発生した。この時点の韓国では、駐留米軍の最高司令官が戦時、平時において韓国軍の指揮をとることが決定していることが公表されていたので、米軍はこのクーデターに異論はなかったことになる。


(参考としての筆者の意見:日本では、駐留米軍との安保関連の取り決めなどについては日本政府がすべて情報を秘密にし、国民を騙し続けてきている現実より判断すると、非常事態の日本の自衛隊の指揮権については既に駐留米軍の最高司令官が担うことになっているのであろうと筆者は考える。即ち、自衛隊はアメリカが行う戦争のために存在する組織であると言っても過言でない。特定秘密などで表に出ることはない事案であっても、推察・考えを表明する表現の自由は現時点では憲法で保障されているが、自民党が掲げている改憲案では国民の思想信条や表現の自由については適用条件付けがされており、政府に都合が悪いことについては拘束や処罰を受ける可能性があることを危惧する。)


 朴正熙最高会議議長は副大統領を廃止し、国務総理の設置、国会の一院制などの内容の憲法改正を経て、1963年10月に朴正熙が大統領に選出される。 
 朴正熙が「反共法」を制定。1964年8月にアメリカ軍が北ベトナムを攻撃したことに伴い、韓国が1965年1月にベトナム戦に韓国兵を派兵。日本との間で1965年に日韓基本条約を結ぶ。これが韓国国民から猛反発を受ける。更に、自らが大統領の任期を二期までとしたが、更に一期延長させるために与党の多数によって1969年に憲法を改正。1972年11月に間接選挙の大統領制で任期を6年とする憲法が成立。12月に朴正熙が大統領に再選。朴政権の独裁に対して民主化を求める運動が起こるが、大統領特別措置法を定めて弾圧。1974年8月に朴正熙を暗殺しようとした男の銃弾により大統領夫人が死亡。1978年の国会議員選挙では野党側が得票で優勢になったため、朴大統領は野党の党首であった金泳三(キムヨンサム)の選出に不正があったとして職務の停止及び議員資格を剥奪した。これに抗議した野党議員が辞職して混乱状態になった。1979年10月に釜山で始まった抗議運動が馬山に拡大し、軍が出動。
 政権内部の対立とみられるが、朴正熙大統領は部下との三人での酒宴の席で部下によって1979年10月に殺害される。大統領の死亡を受けて規定によって国務総理の崔圭夏(チェギュハ)が大統領に就任。陸軍参謀が戒厳令を発動したが、民主化に傾く勢力と独裁を維持する勢力との軍部内の対立で、独裁維持派の戒厳司令部の保安司令官であった全斗煥(チョンドファン)が反対派を逮捕し、軍の実権を握ることになる。更に、各地で民主化を求めるデモが発生。非常戒厳令が発令され、全斗煥(チョンドファン)が政敵である金大中(キムデジュン)を逮捕、金泳三を軟禁状態にした。これに対して、金大中の出身地である光州の学生らの抗議の暴動が発生し、軍が光州を包囲して暴徒を集中攻撃して多くの死者がでた光州事件が1980年5月に発生。軍政による情報統制で詳細な事実は明らかにされなかった。
 この後、全斗煥が実権を握り、特別措置法を定めて政治家への弾圧、新聞・ラジオ・テレビの集約・言論統制を行う。1980年に全斗煥が大統領に就任。その後、全斗煥の強硬措置に反対する抗議運動が激しくなり、アメリカによる政権への圧力があったと思われるが、全斗煥は後継者として盧泰愚(ノテウ)を選び辞任。盧泰愚は「国民大和合と偉大なる国家への前進のための特別宣言」を発表して民主化への道を辿ることになった。
 国民による大統領直接選挙方式、任期を5年の一期限りとし、憲法裁判所を設ける内容の憲法が1987年10月に成立し、12月の大統領選挙で盧泰愚が選出された。1990年9月にはソ連と国交を正常化。1992年8月には中国と国交を正常化。これらは、北朝鮮側にとっては、ソ連や中国に対する不信感と共に、韓国側の発展的な優位性を認識させられることになる。
 1993年2月に金泳三(キムヨンサム)が大統領に就任。前任者らの不正行為について調査が行われ、不正蓄財の行為などが暴かれて裁判で処罰されることが、これ以降の韓国の歴代大統領で行われるようになって、前大統領の不正が暴かれて裁判にかけられるようになる。
 1997年にアジア通貨危機が発生する。アメリカが安いドルから強いドルを目指して政策を変更してドル高になると、固定相場のタイで先ず為替取引や国際貿易の決済でドル不足に陥る事態に陥った。固定相場の韓国でも同様の事態が発生してドル不足に陥いり国家が危機的な状況となった。韓国は外貨不足をIMFの融資に救済を求め、1998年に大統領に就任した金大中(キムデジュン)大統領は金融改革に取り組むことになる。金融機関やその他の企業の整理・統合、人員整理など労働環境が変貌することになった。尚、金大中は北朝鮮及び日本との関係改善に積極的であった。
 2002年に盧武鉉が大統領に就任。アメリカのイラク戦争でブッシュ大統領の要請に応えて韓国軍をイラクに派兵した。1994年に韓国は、平時の韓国軍の指揮権は韓国に移管されていたが、2007年に戦時の指揮権が2012年に韓国に移管されることが決定した。
 2007年に李明博(イミョンバク)が大統領に就任。戦時の韓国軍の指揮権の移管が先延ばしになった。2011年に憲法裁判所で「慰安婦問題」で韓国政府が日韓請求権協定で定めた手続きで解決しないことに対して、基本的人権侵害の憲法違反と裁定した。
 2013年に朴槿恵(パククネ)が大統領に就任。当初、朝鮮の統一は必要で、南北国民の生活の質を高める必要があるとして政策を進めていくのであるが、北朝鮮のミサイル発射で態度を硬化させる。最大貿易国の中国に対しては特に外交を重視して取り組んでいた。しかし、アメリカの迎撃ミサイルを韓国に配備することを進めたので、中国やロシアとの関係が冷え込むようになる。また、父親である朴正熙が日韓基本条約を締約して国民の反発を招いたことより、朴槿恵大統領は日本政府と距離を置くようになったと筆者は考える。
 2014年4月に修学旅行の学生を含む多くの乗客が死亡した旅客船セウォール号の沈没事件が発生。事故当時の政府側の不適切な事故対応があったほか、その後の調査で様々な船舶会社側の違反行為、官民癒着の問題が表面化して、朴政権に対する国民の支持が急落した。


【 船舶会社による過積載と積載記録の証拠隠滅行為、積載貨物の固定違反の常習化が疑われ、協会による救命ボートの検査不備、多くの非正規の乗務員による運行と乗務員への適切な避難訓練教習の実施不足、フェリー乗務員の救難措置違反、船舶所有者と行政との癒着など様々な違反や問題が浮き彫りになり、更に海洋警察及び政府関係者の不適切な事故対応などで国民の怒りを買い、国民の支持率が急落した。この沈没船の引き揚げまでに約3年間を要し、事故調査の報告書がまとめられたと聞いているが、結果について筆者は情報不足である。改造による船体の重心位置が高くなったことや過積載に加え、船を右回転に梶をとった際に荷崩れして急激に傾斜したのか、あるいは何らかの事情で急転回させたのかなど筆者は把握していないが、複合的に謎に包まれている印象を受ける事件である。】


 このようなことは、韓国だけのこととは言っていられない厳しい経営環境下の企業の利潤追求姿勢であり、また、現在の役人の体質の一面を露呈したものであろうと筆者には感じられる。
 更に、朴大統領は、友人の実業家である崔順実(チェスンシル)に対して政府の内部文章・情報などを提供していた公務上の秘密漏洩事案、職権で企業に崔氏が関係する財団への資金の拠出を強要していた事案などが暴露され、崔氏や朴大統領に対する非難、朴大統領の罷免を求める国民の抗議デモが継続。国会で弾劾訴追案が可決され、憲法裁判所で大統領の罷免が決定。その後、汚職容疑で逮捕され、裁判で有罪判決を受けた。崔氏も有罪となった。
 2018年に文在寅(ムンジュイン)が大統領に就任。北朝鮮に対しては融和政策を推進し、南北首脳会談を実現させ、米朝首脳会談への道筋を整える。2018年4月27日に南北首脳会談が板門店で開催され、いわゆる「板門店宣言」が為された。詳細は省くが、以下のような内容が含まれている。
 2018年4月28日の新聞紙上1面の記事、骨子や追加説明文章(日本経済新聞、朝日新聞、毎日新聞)を総合して筆者が読み取った大まかな概要を次に示す。尚、一つの新聞記事ではすべてが記載されていなかった。 → 
 『・完全な非核化を通じて核なき朝鮮半島を実現する目標を確認。非核化に関して国際社会の支持と協力へ積極的に努力する。・年内に朝鮮戦争の終戦宣言を行い、1953年の休戦協定を平和協定に転換し、平和体制を構築するために南北米、または南北米中による会談の開催を推進する。・いかなる形態の武力も互いに使用せず、1992年の南北基本合意書で約束した「不可侵」の合意を再確認し、順守する。・軍事的緊張と衝突の根源となる一切の敵対行為を全面中止する。・5月1日から南北軍事境界線付近での拡声器などを使用しての宣伝放送などを中止し、敵対行為を中止する。・開城(ケソン)に南北共同事務所を設置する。両首脳は定期的な会談と電話協議で懸案を随時協議する。両国が軍縮を進めていく。偶発的な軍事衝突を防ぐための平和水域を設ける。・文在寅大統領が秋に平壌を訪問する。8月15日を契機に離散家族の親戚の対面を進める。・2018年のアジア大会など国際競技に共同で出場することにした。』
 以上が筆者が読み取った概要である。
 尚、アジア大会での一部の競技の南北の選手の合同参加が実施された。ケソンの南北共同連絡事務所の設置は遅れる見込みであることが報道されている。


北朝鮮における金一族による独裁化と先軍政治による自主防衛の構築へ

 ソ連は北朝鮮を信託統治することになるが、これに反対する抗日闘争の運動家はソ連によって排除され、占領したソ連の社会主義に対立しない、親ソ政権の国家となる指導体制の人物のひとりとして金日成(キムイルスン)がいた。南朝鮮で朝鮮共産党を設立して活動していた朴憲永を朝鮮戦争で勝利できなかったことにかこつけて、裏切り者として粛清する。金日成らは他の派閥の勢力を排除するようになる。最終的に金日成の独裁体制を固めるようになる。

 北朝鮮の金日成(キムイルスン)が1950年6月に朝鮮労働党中央軍事委員会委員長に就任。1950年7月に朝鮮人民軍の最高司令官に就任。1961年5月韓国で軍事クーデターが発生して軍が政権を掌握したことを北朝鮮が危惧して、ソ連や中国との間で、1961年7月に「朝鮮民主主義人民共和国とソビエト社会主義共和国連邦の友好、協力および相互援助に関する条約」を締結。「朝鮮民主主義人民共和国と中華人民共和国の友好、協力および相互援助に関する条約」を締結。(筆者:左記の国名表記の順番は北朝鮮側から見た条約の国名の順序)。ソ連は共産党大会で西側諸国との平和共存路線を表明した。中国は共産革命を主張しているので、このソ連が共存路線に傾いたことを中国が厳しく批判し、その後中国とソ連が対立するようになる。北朝鮮はソ連と中国との両者から経済的な支援を受ける必要があるので、両者から距離をおいて中立的な路線をとらざるを得なくなった。体制としては、ソ連の社会主義や中国の共産主義と異なる「主体思想」にもとづく国家体制の構築を掲げるようになった。こうして北朝鮮は自主防衛を構築することになり、軍を中心として、核、ミサイル開発へと進んでいく。



【 この頃、米ソの関係は危機的になる。1962年10月ソ連がキューバに核ミサイル基地を建設していることが発覚。アメリカがソ連の運搬船のキューバへの入港を阻止する海上封鎖の軍事行動を行い、ソ連がミサイルを撤去しない場合にはソ連への核攻撃も辞さないことをケネディ大統領がソ連のフルシチョフ第一書記に通告。厳戒態勢の中、ソ連はミサイル基地を撤去し、核戦争の脅威がひとまず収まることになった(キューバ危機)。】


 このキューバ危機におけるソ連の撤退の行為を北朝鮮は批判的に見ていた。金日成が1972年12月に国家主席に就任。
 その後、1990年9月にソ連と韓国の間で国交が正常化する。このソ連の行為に対する警戒感から、自国の孤立を解消する方向に動き出したと筆者は見るが、1990年9月に第一回南北高位級会談が開催され、南北首脳の会談が始めて行われる。その後、統一に関しては、二つの異なる政治体制の共存を発言するなど柔軟な考えを示すようになり、国連への同時に南北別々の国家として加盟することになった。



【(参考:ソ連邦 その崩壊及び東側陣営とされていた東欧の社会主義国の民主化

 日露戦争では日本の戦争相手国としてのロシア帝国であるが、そのロシア帝国は民衆の十月革命(1917年10月〜11月)により崩壊し、その後ロシア帝国から分離独立した、多民族、多言語、文化や宗教の異なる多くの独立国家が、社会主義を目標に形成されたソビエト社会主義共和国の連邦として群集して形成されていくのである。それは、労働者が自決権を得て、搾取・抑圧のない、平等・平和を求める理想志向から発展して結合されてきたものである。この多民族、多様な文化を有する国家を政治的、経済的、外圧への防衛面で結合的に制御していくために、中央集権的に中央の共産党が支部の共産党を通じて絶対的な支配力を行使して、個人的自由や反対する勢力を押さえ込み、また、軍事的にも絶対的な支配構造を構築した社会体制であった。
 バルト三国のソ連邦への加盟については、その後のグラスノスチによってソ連・ドイツ不可侵条約秘密議定書が存在し、これに基づいて実施されたことが明らかになり、実際上はソ連の占領下で実現されたことになり、多くの人民の意思に基づく結果によるものかどうか疑問が残る。
 第二次世界大戦後には東欧諸国の民主化を抑えて、西側勢力に対抗する軍事同盟や経済協力同盟を結ぶに至る。
 西欧諸国がアメリカ・ニューヨークの株価大暴落(1929年10月)に端を発した世界恐慌に陥り、植民地を有していなかったドイツは、戦後賠償が重くのしかかる中で最悪の経済状況下、社会不安から一気に戦争へと傾斜していくのであった。しかし、社会主義のソ連は計画経済制を実施していたため、ソ連圏の中で分業生産制を実施して経済が循環できており、世界恐慌による社会不安の影響は及ばない環境であった。
 第二次世界大戦後、東西冷戦の政治的な対立の中で、その後のアフガン戦争など戦争による出費、気象災害による農業生産量の落ち込み、農業生産増産を掲げて農地拡大のための埋立て工事及び灌漑・取水工事による環境破壊及びそれらの悪影響による多くの企業の操業中止、供給物資の不足、厳しい統制政治、労働意欲の低下、その他種々の要因が原因したと思われるが、ソ連の農業生産、工業生産、産業経済、その他は、西洋諸国の資本主義の発展に伴う技術開発、多様で豊富な製品の供給などと比較して、格差が著しく拡大するばかりであり、共産党の一党支配による弊害として特権階級の役人などによる汚職・政治の腐敗、生産のための技術開発・改良計画と小作農民の生活向上への消極姿勢などにより、社会が種々の面で停滞する現象が起こるようになったと考える。このようなソビエト連邦の弱体化が中央集権の求心力の低下、連邦の分裂へと辿ることになる。
 1985年にゴルバチョフがソ連邦の書記長になると、この状況を改善し立て直すために、政治状況のペレストロイカ(再構築の改革の意味)を掲げて実践した。まず国有企業の裁量権の改革、経済面の自由化、共産党の一党独裁を廃止(1990年)して複数政党、自由選挙及び議会制に取り組み、大統領制を採用し、1990年に初代大統領に選任された。
 (1986年4月にソ連邦ウクライナのチェルノブイリ原発の爆発事故が発生している。)
 バルト三国では、1988年11月にエストニア最高会議が共和国憲法改正と国家主権宣言を行い、1989年5月にリトアニア最高会議が共和国憲法の改正と国家主権宣言を行い、1990年3月にリトアニアが独立を宣言。1990年7月バルト三国がゴルバチョフの新連邦条約の締結を拒否。
 ロシア共和国においては、1990年8月ロシア共和国最高会議議長と新連邦条約締結。1991年6月にエリツィンが大統領に選出される。当初エリツィンは、ゴルバチョフが目指していた経済面の自由化や共産党の改革を中心に、新たな連邦制を模索する条約の内容(共和国の主権国家が加盟・脱退可能、授与する範囲内での共和国の権力行使の保障、中央指令の連邦軍を有し、各共和国は共和国軍を保有する権利を保障、政治・経済、個人の権利、自由の保障などを規定する新連邦法)について理解し、ソ連の連邦制を維持させることに反対をしなかった。しかし、エリツィンはロシア共和国の主権と矛盾するソヴィエト連邦の行為はロシア領土内では共和国によって停止されるとし、ロシア最高会議が独立宣言を行うのである。
 一方、ソビエト連邦では、1991年1月ソ連軍リトアニアを武力弾圧。1991年8月19日ゴルバチョフがクリミヤでの休暇中のときに非常事態国家委員会によって軟禁状態にされ、非常事態宣言の大統領令への署名を求められるが拒否した。これを受けて副大統領は、ゴルバチョフの健康面の悪化で大統領の職務を継続することが困難であるとの診断書を書かせて大統領職を代行し、このとき非常事態国家委員会が全権を掌握するクーデターが発生した(1991年8月19日)。しかし、市民の支持が得られず、モスクワに戻ったゴルバチョフが首謀者を逮捕。モスクワに戻ったゴルバチョフは、1991年8月24日に共産党中央委員会の解散を勧告し、書記長を辞任。
 その後12月21日にソ連邦の共和国による独立国家共同体(CIS)の創設宣言が行われ、1991年12月25日にソ連最高会議がソ連邦の消滅を宣言。12月25日にゴルバチョフ大統領が辞任する。1992年1月1日にソ連邦の15の共和国のうち10の共和国が独立国家共同体(CIS)に加盟。その後、加盟国は11となる。
 

 ソ連の共産党が解散する前に、東ドイツでは、ハンガリーとオーストリアを経由して西ドイツに亡命する市民が大量に続出していた。東ドイツの民衆運動が激しくなると、東ドイツ国境のベルリンの壁のゲートを開けて東独から西独への民衆の移動を容認せざるを得なくなり、1989年11月に東西ドイツのベルリンの壁が崩壊。1990年10月には東ドイツが西ドイツの連邦に取り込まれることになって東独が消滅した。1991年8月にソ連邦の共産党が解体。1991年12月25日にソ連邦が崩壊。
 東欧社会主義国(ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア、ルーマニア、ユーゴスラビア、アルバニア)においても、ゴルバチョフ書記長による東欧諸国に対する柔軟な対応に刺激されて、ルーマニアを除き、共産党組織の弱体によって、労働組織による党を中心としたもの、市民フォーラムの党を中心としたものを内包して、民主的な選挙が実施されて、それらが支持されて大統領が選出されることになり、その後、国家の独立、あるいは国の中の民族別の分離独立が望ましいとした民衆の選択に基づき平和的に分離独立が行われるなどした民主化、資本主義社会体制へ向かうことになる。ルーマニアでは、平和裏ではなく、政府側の警察組織と弾圧されていた民衆側に立った軍との戦闘に至って大統領を排除して、軍事裁判にかけて処刑した。】


 1991年12月に金正日(キムジョンイル)が朝鮮人民軍の最高司令官に就任。1992年4月に金日成が大元帥に就任。1993年4月に金正日が朝鮮労働党中央軍事委員会委員長に就任。1994年7月金日成が死去。1997年10月に金正日が朝鮮労働党総書記に就任。1998年9月ミサイル発射。

 2001年9月にアメリカはテロ攻撃を受ける。北朝鮮はアメリカに対して哀悼の意を表明。ブッシュ大統領は、2002年に、イラン、イラク、北朝鮮を悪の枢軸国と敵視する発言を行い、北朝鮮はこれに反発する。
 一方、北朝鮮は、ソ連解体後のロシアとは、新たな友好関係を築き関係改善を図るようになる。2000年2月9日に露朝友好善隣協力条約を調印。

 2003年3月にアメリカを中心とする有志連合国がイラクへの攻撃を開始した。このときイラクはIAEAなどの査察を受け入れていて、また、国連安保理においてもイラクへの武力行使が容認されなかったにもかかわらず、アメリカなどが攻撃を行って政権を倒し、国家を破壊したのであった。アメリカは北朝鮮への攻撃をも容赦しない発言を行うが、中国に対して北朝鮮が核開発を行うことを止めるべきだとして中国に働きかけ、重い腰の中国の態度を改めさせて、中国の仲介で多国間での対話協議の道が模索される。これは、六カ国協議へと繋がることになる。
 イラクのフセイン政権が打倒されたことや、その後の中東・アフリカの独裁的な政権が民衆運動によって崩壊する事態を目の当たりにして、彼らの政権の崩壊は、核兵器を持たなかったことによるとの認識の上に立ち、その同じ失敗を避けなければ、金一族は排除されてしまうことになるであろうとの危惧、恐怖が、北朝鮮にアメリカに対して戦略的に防衛するための軍事面の強化を急がせる行動に至らせたと考える。それが、核、ミサイル開発である。2006年7月にはミサイルを発射。2009年4月ミサイル発射。
 金正日総書記が死亡。2011年12月に金正恩(キムジョンウン)が朝鮮人民軍の最高司令官に就任。2012年4月朝鮮労働党第一書記に就任。朝鮮労働党中央軍事委員会委員長に就任。2012年12月人工衛星の発射実験成功と発表。2014年にミサイルを発射を繰り返した。


北朝鮮の核問題をめぐる経緯の羅列

 1985年北朝鮮がNPT(核拡散防止条約)に加盟。NPT加盟の条件でソ連から黒鉛減速炉型原子炉の供与を受ける。IAEAの査察を拒否していたが受け入れることにしたが、核燃料からプルトニウムを取り出していた疑惑が判明した。1993年3月NPTからの脱退を宣言。
 NPT第10条1項には、「この条約に関連して、もし、異常事態が自国の至高の利益を危うくしていると認められる場合には、その主権を行使してNPTから脱退する権利を有すると規定している。」(※注1)


(※注1)
Article X
1. Each Party shall in exercising its national sovereignty have the right to withdraw from the Treaty if it decides that extraordinary events, related to the subject matter of this Treaty, have jeopardized the supreme interests of its country. It shall give notice of such withdrawal to all other parties to the Treaty and to the United Nations Security Council three months in advance. Such notice shall include a statement of the extraordinary events it regards as having jeopardized its supreme interests.
2.Twenty-five years after the entry into force of the Treaty, a conference shall be convened to decide whether the Treaty shall continue in force indefinitely, or shall be extended for an additional fixed period or periods. This decision shall be taken by a majority of the Parties to the Treaty.

The Text of the Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons (NPT) quoted from the web : UNITED NATIONS OFFICE FOR DISARMAMENT AFFAIRS


 これを受けてIAEAが国連に報告して、国連で採択され、決議して北朝鮮に再考するように求める決定。その後の米朝協議に委ねられることになり、協議を経て北朝鮮は脱退を一旦保留し査察を受け入れることになった。その後、北朝鮮が一部の施設への査察を拒否すると発表。更に、安保理で制裁を決議する場合には、戦闘を示唆する危機を煽った発言を行った。IAEAが安保理決議を求めたが議長声明に終わる。6月にIAEAは制裁決議で北朝鮮への協力を停止した。これに反発した北朝鮮がIAEAからの離脱を発表。
 1994年にアメリカのカーター元大統領が北朝鮮を訪問して協議し、「アメリカ合衆国と朝鮮民主主義人民共和国との間で合意された枠組み」がまとめられた。これによって、NPTにとどまることになった。この時点ではNPT加盟国扱いである。北朝鮮はこの合意によって黒鉛減速炉を閉鎖して、軽水炉の供与を受けるまでの間、米国、韓国、日本は朝鮮半島開発機構を設立して重油の提供に当たることになった。

 2002年に北朝鮮とアメリカの間で濃縮ウランの問題で関係がこじれ、米国などが北朝鮮に対する重油の供給を止め、IAEAの査察を受けるように要求したことに対して、北朝鮮は査察官を国外追放し、核施設を再稼動させると表明した。2003年1月NPTからの脱退を宣言。

 2003年8月に第一回目の六カ国協議(アメリカ、北朝鮮、ロシア、中国、韓国、日本)が開催される。六カ国協議は2007年3月までに6回開催されたが、その後中断した状態である。
 2005年9月の六カ国協議での中国による声明文章では、北朝鮮がNPTを脱退したことを受けてのNPTへの早期の復帰を要請する内容が示されている(※注2)ので、安保理では、北朝鮮の脱退について、条約上の「異常事態が自国の至高の利益を危うくしていると認められる」項目に関しての北朝鮮が行った理由を拒絶しえないのであると筆者は考える。
(※注2)
 『北朝鮮が核兵器及び核計画を放棄し、NPT、IAEA保障措置に早期に復帰することを約束し、米朝および日韓国交正常化を六者協議の最終目標の一つとすることなどが確認された。』


 北朝鮮はその後、2006年10月、2009年5月、2013年2月に地下核実験実施。


 国の核兵器の保有及び非保有を規定する国際的な枠組みは、当時はNPTであり、NPTの加盟国にあってはこれを順守しなければならないことが規定されている。しかし、非加盟国は適用外となり、本来は安保理で制裁が決議される場合の処罰対象からは除外されることになる。
 しかし、国連及び安保理はアメリカが主導し、アメリカのために都合のよいように設立された機関・国連憲章であり、国連の規定においてアメリカが武力行使を行う場合に合法と言い訳ができる仕組みが作られていると筆者は見る。しかし、常任理事国であるロシアや中国が安保理会議にかけられる事案の当事者である場合を除き、それらの国の安保理決議での合意が得られない場合には国連としての行動などはできないことになる。
 それでも、アメリカは、たとえ安保理決議での承認が得られなくとも、自国の利益に反するとアメリカが判断する国際事案については、強大な軍事力を行使して敵対国家を壊滅させてしまうならず者であるから、対象とする国のNPTへの加盟・非加盟に関係なく、平和的な解決ではなく、先制攻撃も辞さずとして攻撃的な緊張を生じさせることが起こっている。
 核兵器国でないNPT非加盟国の核兵器保有やNPT加盟国の核兵器の保有について、その対象国が核兵器を保有する事態に対してアメリカが容認姿勢を示すのは、その国の出身者であるアメリカ在住の有力者が政府に影響力を及ぼす莫大な企業献金を行う場合やアメリカが行う戦闘に協力的な国家の場合のみである。
 
 これらを見れば、核拡散防止条約の限界は明らかである。


南北首脳会談及び米朝首脳会談による戦争の危機回避に向けた動き

 2018年4月27日に韓国と北朝鮮の首脳会談が板門店で開催され、いわゆる「板門店宣言」が為された。(上記の韓国の項に記載済み)
 2018年6月12日に米朝首脳会談がシンガポールで開催され、共同宣言が発表された。その共同宣言の主な内容は次のとおり。
・トランプ大統領は北朝鮮に安全の保障を与え、金正恩委員長は朝鮮半島の完全な非核化に向けた責務を再確認。
・米朝双方の国民の平和と繁栄を希求する意思に基づき、新しい米朝関係の構築を約束。・朝鮮半島の永続的で安定的な平和体制の構築に尽力。・北朝鮮と韓国による「板門店宣言」を再確認。・朝鮮戦争の捕虜や行方不明兵士の遺骨の回収と返還に取り組む。・会談結果の実行にため、ポンペオ米国務長官と北朝鮮の高官による交渉をできる限り早く開催。(以上、2018年6月13日の朝日新聞の記事から引用)


朝鮮戦争の休戦協定を発展させて終戦協定の締結、朝鮮半島の平和に向けた武力行使を禁じる協定の締結が求められる



 北朝鮮側とアメリカ主導の国連軍との間では1953年7月に休戦協定を締約して以来、2018年7月で65年が経過。その間に、韓国と中国、韓国とソ連の間では国交正常化がはかられ、米国と中国の間でも既に国交を正常化している。
 2018年4月には、韓国と北朝鮮の首脳会談が行われ、平和に向けた取り組みとして、早期の終戦協定を結ぶ必要性と恒久的な平和体制の構築に向けて積極的に取り組む方針や核兵器のない朝鮮半島の目標が確認されている。また8月に行われた米朝首脳会談では、新たな米朝関係の発展と、南北首脳会談の内容を再確認して北朝鮮が非核化に取り組むことが確認されており、朝鮮半島と世界の平和、繁栄、安全のために協力することを約束している。よって、平和的に、和平への合意を確実にして、戦争状態を互いに継続しないことにすればよいのである。
 この朝鮮戦争の終戦協定の締約を実行すれば、北朝鮮や韓国においては、確実に国民の生活向上のために政策が集中して実施できるようになり、朝鮮半島の平和と発展が進展するようになることは間違いないと筆者は考える。

 筆者は、一般的に、互いの国が、先制攻撃や大規模な武力攻撃を行わないこと、国際間の衝突の危機に際しては、第三者を仲介者として平和的解決に徹すること、を合意すれば、それぞれの国の軍事力の削減が可能になり、軍事費の増加が抑制されるだけでなく、削減が可能になると確信する。
 一国の中でも、貧富の格差があることや仕事を求めて田舎から仕事のある都会に出稼ぎに出てくるように、世界の国々に於いても、貧しい国から繁栄する国への移住や出稼ぎが頻繁に起こる。また、戦争からの避難や迫害によって避難する人々が難民となって生きることがぎりぎりの生活を余儀なくされている人々が数多存在している。これに対しては、世界の国々は戦争を行っている場合ではなく、地球上の人間の生活の向上のために世界の国々の政治力で解決しなければならない喫緊の課題である。人間は、野生動物とは異なるのである。単に、食べ物と住処を求めて大移動してその日の生存を安定させる野生動物ではなく、明日・未来の安定した生活、夢が必要なのである。このように書くと、難民からは、明日の生活ではなく、今日の食料が得られないことが問題なのだと、非難を浴びせられるかもしれないが、地球上の政治力を結集して乗り切らなければならない最重要課題である。それが人間が野生動物と異なる所以であろう。軍事産業の育成と武器開発・製造企業からの莫大な献金を当てにして企業のために戦争する社会、国家財政を軍事費に莫大に費やす社会から脱却して、国は、軍事面以外で経済・社会を発展・成長させる分野への投資とその発展的な分野への労働力の拡大を目指す時代に向かうべきであると筆者は訴える。


朝鮮戦争の終戦協定が締結されると、論理の筋を通すと、アメリカ軍による日本への核兵器の持込み・貯蔵を容認する日米政府の言い訳ができなくなる


(重要)
 朝鮮戦争の終戦協定が成立すれば、朝鮮半島下においては基本的には戦時の非常体制ではなくなるので、日本周辺の有事事案は現状では存在しないことになり、この論理の筋を通すと、日本に於いて、アメリカ軍による日本への核兵器の持込み・貯蔵を容認する日米政府の言い訳ができなくなり、日本から核兵器の存在がなくなることに繋がる。


日本への核兵器持込み

 米ソの冷戦状態の時代に、日本では、非核三原則を政府が順守すると公言しておきながら、核兵器積載艦あるいは核兵器積載機が日本に寄航、飛来しているのに、日本政府はアメリカ側から事前に通知が無いから核兵器を積載しての艦船、航空機の日本への寄航、飛来はないとしていた。このことに対して、日本国民は、この事案が、日米間で事前協議の対象外としての何らかな合意があるだろうということは容易に推測されていた。なぜなら、戦略的にみて、核爆弾や核ミサイル弾頭を艦船や航空機から降ろしていたのでは攻撃能力の低下や核抑止力の防衛力が機能しないから、明らかにそのような非現実的なことは実施されないことであると国民は感じていた。それに、アメリカの元政府高官達が次々に当時のアメリカ軍の航空機や艦船が日本へ飛来あるいは寄航する時の核兵器積載状況について明らかにし、報道メディアによってそれらの発言が報道されていた。 → 日本の平和のためのシナリオ:日米安全保障条約 締約終了、日米平和条約締約、日本の自立を進める の記事内の関連新聞記事の要約参照。
 それにも拘らず、日本の政府高官達はすっとぼけて来た。国民は、これらの様子をみて、日本の国の政府高官の姿を疑い、将来日本は、日本が掲げてきている戦争放棄という観念を捨て、アメリカと一体型の覇権の行使に向かうのではないかという疑念が既に頭をよぎっていた。
 核密約問題に関して日本国民は、日本政府が言う、”アメリカ側から事前協議を受けていないから、核を積載した状態では艦船などが日本に寄航していないことになる。” と、日本国民を騙し続けてきている政府・官僚の汚れきった体質が問題であると糾弾していた。
 そして、一番の問題は、沖縄返還の1972年当時、核兵器の日本への再持ち込みに関して、沖縄返還前交渉で佐藤総理とニクソン大統領による核兵器の日本への持込みに承認を与える密約に関するものであり、この密約が有効であって、これに伴い核の日本への再持ち込み状態が発生したかどうかの疑惑。国民を騙し続ける、嘘八百の自民党政権の悪態振りからみて、国民は愚か者として、日本政府に完全に舐められているのである。このような提起にたいして、政権交代した民主党政権では動きがあった。
 密約問題に対して国民に説明するために、先ず外務省において整理させ、次に、有識者の委員会にかける対応をとったのであった。
 外務省の外部委員会に委嘱して調査が行われて、『いわゆる「密約」問題に関する有識者委員会報告書 2010年3月9日(※注意3) が提出された。この調査の趣旨は、対象とした四つの密約の存否・内容に関する検証を行い、外交文章の公開のあり方について提言を行うとしたものであった。委員会の役割は、既に外務省の内部チームで調査された2009年11月の報告書の内容を精査し、委員会としての判断を示すことであった。
 密約とする四項目を対象とし、その一つが『沖縄返還時の有事の際の核持ち込みに関する項目』であり、ワシントンで佐藤総理とニクソン大統領との間で交わされた両首脳の署名入りの次の合意:『極秘 1969年11月21日発表のニクソン米合衆国大統領と佐藤日本国総理大臣との間の共同声明についての合意議事録』であり、その文章の最後に、「・・・大統領と総理大臣は、この合意議事録を二通作成し、一通ずつ大統領官邸と総理大臣官邸にのみ保管し、かつ、米合衆国大統領と日本国総理大臣との間でのみ最大の注意をもって、極秘裏に取り扱うべきものとする、ということに合意した。」とあり、極秘扱いとして国民に日米間の取極めを知らさない約束事をしたのであるから、即ち密約以外の何物でもないと筆者は考えるのであるが、委員会の判断基準を適用すると密約に当たらずとしているから、筆者には、お笑いのネタ以上に滑稽そのものであった。
 詳細については調査報告書 (※注意3) を参照してください。
 委員会としての判断では、『・・・、佐藤首相は「合意議事録」を自分限りのものと考え、長期的に政府を拘束するものとは考えなかったのではないだろうか。加えて、「合意議事録」の保管方法から見て、佐藤首相はこの文書を私蔵したまま、その後、引き継いだ節は見られないのである。』又、日米首脳会談の共同コミュニケよりも踏み込んだ内容であるが、共同声明の内容を大きく超える内容ではないとして、”本調査における密約の定義”においては必ずしも密約といえないであろうとしているのであった。
 尚、密約として挙げられた項目全体について、外交の重要文章の記録の欠落が見られ、重要文章についての行政者の管理の不備に対して事情調査や反省の必要性を指摘した。
 行政文書の管理の問題に関しては、最近の2017年から2018年の森友学園問題、加計学園問題、更に自衛隊の南スーダンやイラクへの派遣での現地任務における日報問題でも浮上した。森友・加計学園問題については、安部総理自身による暗黙の権力の行使があったのか、また、安倍総理への官僚による忖度であったのかなどは、現段階では完全には明らかになっていないが、それらの事案の申請手続き関係に対して、安倍総理・夫人などの周辺が多大な影響力を持ったと見られる疑惑の行政側による極めて特別な認可審査の特例処理が行われていた実態が明らかになっている。また、国会での答弁に見られるように、官僚と業者の協議の議事録は存在しないとか、関係書類は保存期限が終了したために破棄したとするとか、指摘されるような内容の発言をすることは有り得ないとか、記憶にないとかなどの説明であった。行政側が徹底的に否定する態度は、国民主権の民主主義と相反する対極の位置にあるのである。
 
 有識者の委員会が判断を示した ”両首脳が署名した合意議事録” を佐藤総理の自分限りとし、長期的に拘束するものではないとの考えを示した件について、筆者が見る限りではそのようには考えることはできない。それは、1969年11月11日に佐藤総理の特使として、大統領特別補佐官のキッシンジャー氏と文章について調整している会話の記録において、


 キッシンジャー氏が、「ポスト・佐藤の場合、誰が、どのように、これを保障してくれるか」と尋ねている。
 それに対して、若泉氏が、「佐藤氏は、自由民主党政権が続き、また日米安保条約が存続する限りは絶対大丈夫だと断言している。その点、心配はない。」と答えている。


 また、調査報告書が提出された後において、2009年に政権交代した民主党政権の岡田外務大臣でさえも、2010年3月17日に ”有事の際に米軍が日本に核兵器を持ち込むことを容認する” 発言を行っている。このことから判断しても、佐藤総理一代のことではなく、約束事が継承できていることが伺える。
 尚、当時、筆者が記述した関連内容などについては次を参照。核再持ち込み 極秘文章 公表 日米安保条約 付属の合意事項 及び 密約調査 核持ち込み introduction:核配備は事前協議、entry:核持ち込み(飛来、寄航、貯蔵)は事前協議対象外容認 何も変わらない 
 更に、歴代の自民党政権が如何に国民をだまし続けてきているかについては、次の記事の中の歴代の総理の項を参照。日本の存立の危機 安倍政権の集団的自衛権行使容認の閣議決定、安全保障関連法案は憲法違反

 日本は、核兵器の廃絶に積極的に取り組み、核兵器を製造しない、日本に核兵器を持ち込ませないないなどをはっきりと主張し、それを国民が憲法に明記すればよいのです。国民が主張する憲法案としての参考を示す。


北朝鮮:核兵器とミサイルによる独立した自主防衛路線
 日本 :米国による日本の占領継続、米国の核兵器及び憲法に違反した日本の戦力保有と米国のために日本が戦争する路線


●北朝鮮の核兵器とミサイルによる独立した自主防衛路線

 北朝鮮は、朝鮮戦争後の中ソの対立から、両者から距離を置いて中立的に対応せざるを得なかったと考える。ソ連に対する不信感から、独自の安全保障を選択して先軍政治を始めたと見る。また、世界の社会主義国が民主化と資本主義化に向かう激変と、巨大な覇権国であるアメリカの強大な軍事力の前にはアメリカ側に組しない独裁的な国家は、政権が滅ぼされることがあり得ることが危惧されることを痛感するようになったとみる。この打開策として、核・ミサイルによる軍事力強化による安全保障政策を採ることになったとみる。
 また、北朝鮮では強力な党の支配・軍制により、軍事優先、政権に対して一切の批判を許さず、住民の人権や生活維持の環境などが無視・蹂躙されており、生命までも疎かにされているのが実情である。

●米国による日本の占領継続、米国の核兵器及び憲法に違反した日本の戦力保有と米国のために日本が戦争する路線

 日本の安全保障については、もとは、駐留米軍に基地を提供して日本全国における自由な米軍の軍事活動を承諾し、駐留米軍に協力あるいは支援し、且つ、アメリカの核兵器によって、アメリカの対抗勢力に対して、日本の安全保障をアメリカに依存した政策をとっているという趣旨の説明が、表面的にはなされてきた。
 日本は、第二次世界大戦の敗戦による戦後の占領政策で軍隊を解体させられ、天皇大権を剥奪され、民主憲法を制定した。その憲法には、戦争の反省から、戦力を保持せず、戦力の行使は行わない。防衛のための反撃の戦力の行使をも否定する内容であり、国会でそれを憲法に定めた。また、憲法には国民主権で定めたこの憲法の内容を、天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務があると定めた。よって、行政府、司法はこれを順守しなければならないことになる。これを改める場合には、憲法に定める手続きを経て、民主的に改正して制定しなければならない。これは、法治国家の基本である。
 日本は、1947年5月に憲法が施行された後に、天皇大権が剥奪された天皇が、当時の吉田総理に命じて、サンフランシスコでの平和条約締約後に場所を移動して、日米二国間での安全保障条約(詳細は後日に定める行政協定によるとした)、その他取極めを締約した(1951年9月)。アメリカは、アメリカに対抗する共産勢力との戦闘を予想して、日本をアメリカ本土を守るための最前線基地として、日本が戦場になることは疑問の余地はなかった。 国際的に日本の独立が承認された後においても、主として安全保障面では、依然としてアメリカの占領政策による支配が継続していると見てほぼ間違いない。
 毎年、駐留米軍が日本の官僚と会議を行って、アメリカから日本の安全保障政策、駐留米軍に対して実施すべき項目を伝達するのであり、これに対して日本側はいつも「Yes,Sir! 最大限努力します」と返答するのであろう。
 朝鮮戦争が開始された当時、アメリカは、日本に対して憲法を改正して軍隊を保有するようにとの要請・命令を行った。これに吉田総理は、憲法を改正せずに止むを得ず警察予備隊を設立することでやり過ごすのである。その後、自衛隊という名称に変更するが、その後も、憲法違反にあたる、「我が国の戦力である自衛隊」を保有しつづけ、その防衛費や防衛の武器装備の拡大が行われてきて現在に至る。
 1972年の沖縄返還時に沖縄に存在していた核兵器については、ひとまず移動されることになったが、その後の核兵器の状態は秘匿され、密約にあるように有事の際の日本への核兵器の持ち込みは容認されているのが実状であろうと見る。査察で確認すれば明らかになる事案であるが、それは可能とならない。査察しなくとも想像はつくが、・・・。日本国内の駐留米軍施設に関する資料参考在日米軍施設 より、日本地図を俯瞰して周辺住民の人口が少ない箇所を査察すれば、正に『ビンゴ』となるだろう。資料は秘密事項として表に出ることはないので、あくまでも考えである。
 湾岸戦争では、アメリカが自衛隊を現地に派兵さるように要請したことに対しては、派兵させないことで了承が得られたようだが、代替に、アメリカに対して財政面の支援として130兆円もの莫大な拠出を余儀なくされて支払うことになったが、当時はアメリカから感謝も示されなかった。
 アメリカのアフガン戦争やイラク戦争では、小泉政権から自衛隊をその戦争に協力する形で海外に派兵し、任務に当たらせたが、その活動の実態は、憲法違反、特措法違反、刑法違反をも犯す事態に至るが、この刑法違反については、司法は無視しているのが現状である。
 2014年7月に安倍政権は、歴代の政府がそれまで憲法で禁止しているとしてきた集団的自衛権をあっさりと閣議決定で容認するとし、その後の国会で2015年9月にそれを包含した安保関連法という括りで複数の法案を一括したものにし、国民には何がなんだかよく理解できないまま、それらを衆参両議院の特別委員会での大混乱の中で強硬議決を行い可決させ、本会議において自民党議員などによる与党の国会の議席の多数によって採決・可決させた。尚、この安保関連の戦争法は2016年3月29日に施行された
 よって、自衛隊は、アメリカのために戦争する軍隊となり、駐留米軍の指揮の下、アメリカの命令でどこにでも出向いて殺人を行わなければならなくなるのである。これは、戦後からの筋書きを一貫して着実に実行されてきている事案であり、この政府の暴挙は、正にヒトラーとナチ党の再来であると筆者は受取る。

 日本は、アメリカ本土やグアムを防衛するために高額な迎撃ミサイル防衛設備をアメリカから購入して日本に配備する準備を進め、また、駐留米軍の飛行場が攻撃されて使用不能になる事態に備えて、航空母艦の整備を強要させられている。但し、これらについては、自民党の防衛関係の議員からの提案としては日本国民への説明は異なるが、歴代の自民党政権が国民に情報を秘匿し、真実を偽り、国民を平気で騙してきた現実、更に、連立政権や民主党政権でも継承されているアメリカ支配の現実を見ると、日本政府当者と駐留米軍が協議した米軍の要請内容を忠実に実行しているのであろうと考える。これが、日本の安全保障の路線であることは明白であろう。

 日本国民はこれらをしっかりと自覚しなければならない。国民主権の民主主義はどこにあるのか?
 尚、日本国に於いても、駐留米軍の軍事訓練や活動において、あるいは、日本政府によるアメリカの支配を実行する行動に於いて、日本国民の民意無視、憲法で保障されている国民の基本的人権が無視され、蹂躙されている事態が発生している。
(2018年9月) 


参考図書・資料
 「朝鮮の歴史」 朝鮮史研究会 三省堂  、 「朝鮮戦争」萩原遼 文春文庫  、  「北朝鮮 ー変貌を続ける独裁国家」平岩俊司著 中公新書 、  「そうだったのか!朝鮮半島」池上彰著 集英社 、  「木戸幸一日記 上下」木戸幸一著 東京大学出版会 、  「昭和天皇・マッカーサー会見」豊下楢彦著 岩波書店 、  「昭和天皇独白録 寺崎英成御用掛日記」寺崎英成、マリコ・テラサキ・ミラー著 文藝春秋 、 「細川日記」細川護貞著 中央公論社 、  「韓国併合」海野福寿 岩波書店 、  「218年4月28日の朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞の南北会談の板門店宣言の説明文」 及び「2018年6月13日の朝日新聞の米朝共同宣言」 、  UNITED NATIONS OFFICE FOR DISARMAMENT AFFAIRS のWEBサイトより 「The Text of the Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons」 、  「他策ナカリシヲ 信ゼムト欲ス」若泉敬著 文芸春秋 、   「いわゆる「密約」問題に関する有識者委員会報告書 2010年3月9日」外務省のWEB 、  「朝鮮戦争と「皇民化」政策」宮田節子著 未来社 、  「朝鮮人強制連行の記録」 朴慶植 未来社 、  裁判所の判決を記載のWEBより名古屋高等裁判所(民事第3部)の判決「自衛隊のイラク派兵差止め等請求控訴事件 平成20年4月17日」 、  裁判所の判決を記載のWEBより最高裁の判決 (所謂砂川事件についての最高裁の判決にあたる)「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定に伴う刑事特別法違反被告事件」 、 「2004年2月6日参議院のイラク有事特別委員会での吉岡議員の質問&政府答弁」による派遣国の捜査権・裁判権についての確認 、  「ゴルバチョフ回想録 上・下巻」ミハイル・ゴルバチョフ著 工藤精一郎、鈴木康雄訳 新潮社
項       目

日米安保条約 徳川綱吉の生類哀れみの令と同じ 不条理な迷惑そのもの 度が越すと人間の命が軽んじられることに至る辺野古の埋立て工事反対 日米安保条約解約 駐留米軍を日本から排除 核兵器を日本から撤去 日本の真の独立と国民主権の民主主義の再構築憲法無視を平気で強行する独裁(的)政権が牛耳る日本に明るい未来は訪れない
大嘗祭は神道儀式 公的としたことは政教分離規定に抵触 否定できない 1996年3月大阪高裁判断辺野古埋立て土砂投入強行 ロシアによるクリミヤ問題、中国による南シナ海の環礁埋立て造成問題、無視の論調同じ災害時の住民避難 避難指示でも避難しない住民 対策:沈没する船からの避難のジョークの笑えない応用が効果的?
消費増税実施 キャッシレスでポイント還元 上限なし 高額所得、富裕層等にとって喜ばしい政策アメリカ製品、アメリカ産の産物の不買など核兵器を開発、保有したければ、NPTに加盟しない、あるいは脱退すればよい。
朝鮮戦争の終戦協定の締結、敵対行為の停止により、朝鮮半島の平和・安定が進展する。日本の民主化、アメリカによる日本の占領支配からの解放。憲法改正案の「緊急事態の宣言」条項 その本質と危険性
国連決議によらないアメリカ軍、イギリス軍、フランス軍によるシリアへの武力攻撃(2018年4月)は、シリアがそれらの国を攻撃していない限り、国際法上犯罪行為に相等現行憲法では自衛隊は憲法違反であることは明らか朝鮮半島からの核兵器の排除、同時に、ならず者国家の核兵器の廃絶をも要求する
日本国民は、河野外相がアメリカの核態勢見直し2018年の内容を高く評価するとしたことを厳しく非難する駐留米軍機の事故&沖縄の地方選挙に対する権力を私物化する安倍政権現行憲法九条内容を変えずに自衛隊保有を明記すると条項自体が非論理で無効となる
国会での与党、野党の質疑時間の配分を改めることを主張する若手自民党議員。国民から見たその解決策について。日本国憲法第九条の不備 国民主権の立場から改正が必要官僚:忖度。希望の党小池代表の発言:排除します。国民の決意2018年:排除します。
民進党の解党・希望の党への合流。仕組まれた罠にはめられた民進党。第48回衆議院選挙の国民の選択 立憲・法令順守主義を否定、政府の犯罪や違法な国民への裏切りを野放しにする放置国家を容認か?憲法改正問題:自民党が訴える憲法改正について、その必要性の説明不足。
普天間飛行場移設 名護市辺野古の沿岸部埋立てによる飛行場建設に反対安倍総理が自民党総裁として言及した憲法改正を促すための9条改正案の例示 論理破綻 歴代内閣による安全保障関連の説明の論理が瓦解する国民が第48回衆議院選挙に求めるものとは・・・。その前に安倍政権の独裁的な手法による数々の暴挙を止めなければならない。
安倍政権による緊急事態法の制定は戦争目的及び自衛隊のクーデターへの対応ほか加計学園の獣医学部新設に係わる手続きの不正の疑惑。南スーダンでの自衛隊の活動の日報データと稲田防衛大臣の認識や答弁内容の真偽の問題。政府の国民への裏切りの問題。安倍総理による衆議院の解散・総選挙、2017年の国民の審判の争点は・・・
靖国神社に閣僚が参拝。高市早苗総務大臣が2014年4月に参拝。昭和天皇の戦争責任が糾弾されねばならない。安倍総理、側近、友人 森友、加計学園問題。内閣府の関与について、国民は黒とみなし、関与があったものと評価する。国際的な組織犯罪の防止に関する国連条約及び協定 共謀罪法 テロ等準備罪法
教育勅語とは、明治天皇が天皇国家に従う臣民としてのあるべき姿、実践すべき姿を説いた内容アメリカ軍によるシリアへの攻撃 アメリカ軍による北朝鮮への先制攻撃について 主権国家に対する卑劣な戦争開始宣言と同じ安倍総理夫人による総理公務補助の支援する夫人付き官房職員(内閣事務官)、選挙運動で総理夫人が自民党候補者を応援する際にも同行
MV-22 オスプレイが墜落・大破。空中給油での機体の安全性の懸念(2016年12月)日米首脳会談(2017年2月10日ワシントンにて)の共同声明。一般的な日本国民が受け入れ難い点について。天皇の退位 国民から見た論点整理
核兵器の法的禁止条約締結交渉を始めるように国連総会に勧告する核軍縮ジュネーブ部会決議に日本政府拒否表明(2016年8月)昭和天皇万歳、民主主義国家ドイツのヒトラー万歳、安倍総理万歳、ナチ党万歳、自民党万歳、習近平万歳、金正恩万歳。核抑止力? それでも、日本は平和外交に徹すべき。安倍政権の憲法改正の真の目的。9条改正ではない。
日本国憲法改正。天皇制の廃止は必然。国民の人権が蹂躙される根源は昭和天皇戦争犯罪に対する戦争犯罪特別訴追条項を刑法に規定することについて 靖国神社に高市総務大臣、丸川五輪大臣、山本農林大臣、萩生田官房副長官閣僚が参拝。2016年8月。政府高官として資質を欠く。昭和天皇の戦争責任が糾弾されねばならない。天皇制廃止への加速。
熊本地震 大規模災害の救助支援 救助体制について日本の積極的平和主義日米同盟とは その本質
2015年安倍内閣の暴走 憲法違反の戦争法案の安全保障関連法案の制定 日本の戦争への道 ★マイナンバー制度 戸籍の登録方法の見直し。選択的夫婦別姓による婚姻、親子登録・証明など ★北朝鮮のミサイル発射 政府が電波停止に言及した時点での捉え方 ★
川内原発再稼動問題 再稼動の要件 福島原発事故の教訓より原発は18年以内に廃止する前提第47回衆議院議員選挙 総選挙 安倍総理と自民党の計略、愚かな日本国民日本の存立の危機。安倍政権の集団的自衛権行使容認の閣議決定は憲法違反、諸々の安全法制整備法案は憲法違反。
日本の集団的自衛権の行使、2013年現行憲法が有効下、認められない。もし、政府が集団的自衛権を行使した戦闘行為に参戦した場合、日本国民は政府の独裁化及び日本軍隊の暴動と見做して臨む。昭和天皇とマッカーサーと日米安全保障条約 政府の犯罪 自民党国会議員 訴追逃れに幇助 集団的自衛権の行使容認へ発展
靖国神社に閣僚が参拝。2013年4月21日。政府高官として資質を欠く。昭和天皇の戦争責任が糾弾されねばならない。 福島第一原発事故 放出された放射性物質、その循環 放射性物質のホットスポットなど 参議院議員選挙2013年 自民党憲法96条問題 日本の真の主権回復 戦後レジームからの脱却 日米安全保障条約の解約
原発再稼動の問題、安全基準の見直し必須 原発事故後の防災対策重点地域 避難範囲30kmの妥当性が問題他 武器輸出三原則の緩和政策:国民の政治・政府不信を益々加速させる 原発安全対策の改善が不十分。第46回衆議院議員総選挙 国民の意思表示:脱原発、原発廃止
核持ち込み introduction:核配備は事前協議 entry:核持ち込み(飛来、寄航、貯蔵)は事前協議対象外容認 密約調査 何も変わらない北朝鮮 ミサイル発射 日本の核保有論 日米同盟 アメリカの核による抑止 ミサイル防衛 核 密約問題 沖縄返還時点の核再持込み密約の疑惑 現在進行形の機密事案か?
日本の平和 日本国憲法 第九条 日米安全保障条約 日本の未来 自衛隊 合憲?違憲? 文民統制 シビリアンコントロールは名ばかり 政府と自衛隊内部との意識のずれ

見出しのメニュへコラム 危ない 忍び寄る危機1 ,  危機2  ,  危機3 日本国憲法改正草案の比較自衛隊各国の国防費
The matter of the Acts of Security for Aggressive Pacifism 2015日本が危ない 日本の危機
Japanese Democracy collapsed in July 2014地球&我ら地球人 情報The Islands of Japan (2012)
日米地位協定第2条に基づく 在日米軍施設、区域(平成22年1月1日時点 日本全国)砂川事件の最高裁の判決 判決理由に述べている・・・9 条で禁止しているのはわが国の戦力・・・
著作権  正義の主張