■中山道蕨宿

中山道蕨宿:成立には諸説あって確定しない。江戸日本橋からの距離は4里28町(18.7km.)。江戸に入る「戸田の渡し」の手前にあるので川が増水すると「川止め」となり、当宿に逗留せざるを得ずそのため比較的大きな宿場であった。幕府後期の調査によると総人口2223人。家数430軒。本陣2軒、脇本陣1軒。中山道表記については「寛保御触書集成」所載の法令で「中山道」と定められ、現在も行政はこの字を用いるが、地域住民は「人と人との触れ合い」をモットーに「中仙道蕨宿」としている。(画像をクリックすると大きくなります)

江戸側 中山道蕨宿 京側
江戸側 中山道蕨宿 京側


中山道ふれあい広場
中山道ふれあい広場 中山道ふれあい広場 中山道ふれあい広場


道路元標 蕨本陣跡 蕨市立歴史民俗資料館
道路元標 蕨本陣跡 蕨市立歴史民俗資料館


蕨宿関係墓石群:墓石群は三學院にあり、代々本陣を勤めた「加兵衛家」と「五郎兵衛家」、脇本陣を勤めた「新蔵家」などのものです。

蕨宿関係墓石群
蕨宿関係墓石群



ホーム