權禰宜は語る

「和樂備神社」權禰宜(当会副会長)の、蕨についてのお話です。

■第1回御挨拶」

 「権禰宜は語る」を担当する和樂備神社権禰宜です。権禰宜は「ごんねぎ」と読みます。 神社に奉仕する職員の職名のひとつです。
  神社の代表者を宮司(ぐうじ)、その補佐にあたるのが禰宜(ねぎ)、その下が権禰宜です。また、大きな神社では宮司と禰宜の間に権宮司(ごんぐうじ)、権禰宜の下に出仕(しゅつし) が置かれます。
 これらを神職(しんしょく)といいますが、一般には「神主さん」と呼ばれる事が多いようです。 このほか、巫女、掃除や営繕などを行う職員があげられます。また、職員ではありませんが、氏子 のまとめ役である氏子総代は神社の運営に無くてはならない存在です。
 ところで、日本全国には約八万の神社があるといわれていますが、職員は宮司一人のみという神社が 沢山あります。
 以上神社の職員について簡単に説明させていただきました。これにて権禰宜の御挨拶とさせていただきます。 なお、次回は、地名「蕨」と社名「和樂備」についてお話致します。

(2003/04/22)


■第2回「地名の「蕨」と「社名」の和樂備について」

 皆さん大変ご無沙汰しております。権禰宜です。今回は、地名の蕨と社名の和樂備についてお話し致します。
 日頃、お札所に詰めておりますと、ご参拝に来られた方々に「蕨」は元々「和樂備」と書いたんですねと尋ねられる事があります。確かにイメージ的には「和樂備」の方が古そうですよね。しかし、歴史上「和樂備」が登場するのは意外と新しく明治44年(1911)からなんです。明治前期に始まった神社合祀政策が日清・日露の戦役の後、急速に進行し、それに応じ旧蕨町の耕地ごとに祀られていた18の神社を八幡社に合祀して社名を「和樂備神社」と変更したのがはじまりです。
 どのような経緯があったのかは明らかではありませんが、時の町長岡田健次郎氏の草案をもとに、東宮侍講文学博士本居豊穎先生が万葉仮名を選定し命名されました。その折揮毫された「和樂備神社」の掛軸が当社をはじめ、各地区に伝えられています。秋の大祭には神酒所を設営し、この掛軸をお祀します。
 一方、「蕨」の字が歴史上初めて登場するのは、観応3年(1352)付「渋川直頼譲状写」です。この文書は、広島県の小童城主渋川氏の家臣といわれる賀上家に伝来したもので、渋川直頼から嫡子金王丸(義行の幼名)に譲られた所領が列記されており、その中に「蕨郷上下」と記されています。
 また、蕨市内に現存する最古の「蕨」の文字は、当社旧御神体「僧形八幡立像」(蕨市指定文化財)の墨書銘です。体内並びに台座に「天正11年9月」(1583)「蕨之郷若宮八幡」と記されています。
 次回は「和樂備神社と渋川氏」についてお話しする予定です。

(2005/05/12)




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