空と文字(SKY)

人の尊厳とは何か



ここで「生命の尊厳」と「人の尊厳」は違うと申し上げておきます。
似てはいますが、前者は全ての生命に普遍的に内在するものであるのに対し、
後者のそれは、あくまでも「人」に限定されます。
「人の尊厳」はやがて「生命の尊厳」に通じるものですが、始めから持って
いるのではなく、人生の課程において獲得するものです。

この世に自分ひとりしか居ないとなれば、人の尊厳もへったくれも
ありはしません。
他者との係わり合いの中でこそ「人の尊厳」が成り立つのです。

旅先で美味しいものを食べたとき、それをお土産に持って帰り
家族や友人にも味わって貰おうと考えるのは、決して哀れみや施しでは
ありません。
同じ感動を共に分かち合おうとする衝動が、自然に生まれるのです。
その思いを何処まで広げることが出来るかということです。

普通の生活の中にある、平凡ではあるけれども、安らかな平和を
皆で共に分かち合いたいとする願い。
人が人を思いやる心、それを大切にして行こうとする意思が
人の尊厳だと私は思います。

ただ、それは「個人の尊厳」に留まっています。
残念ながらこれだけでは差別の解消には繋がらないでしょう。
個人は「点」です。
差別は社会全体の問題ですから、点の作用では解決出来ません。
連鎖反応的に「面」として広がって行かなければ効力がありません。

架け橋というものは、相互に行き来があってこそ価値があります。
価値があるから大切にされ、崩れないようにと皆が支えるのです。
人と人とが互いに相手の苦しみを想い、悲しみを憂う。
相互理解と相互扶助があって初めて「人間の尊厳」となります。
差別意識を暴走させないためには、相手を知り、理解し、信頼して
行かなければなりません。

人間の尊厳は、与えられるものでも、要求するものでもありません。
築き上げるものです。
「厳かにして尊い」ものを自己の中に築き上げて行くことは
決して弱者に対する施しや、哀れみなどではありません。
「我は人なり」と宣言する資格を得る為のものです。

それが出来ない者は、姿かたちは人であっても、畜生に等しい。
私はそう思います。