歯ブラシの憂鬱



速水厚志は気が付いた。
洗面台の隅に立てられた2本の歯ブラシ。
クリアピンクとクリアブルーの歯ブラシは黙ってこちらを見ている。
いつの間に置かれたのだろう?

誰が持ち込んだのかは分かっている。
原素子だ。
思えば、いつの間にか彼女の私物が厚志の家に増えていた。

風呂場のクレンジングと洗顔料。
シャープだけどセンスのいい置時計。おそろいのスリッパ。
それは徐々に数を増し、厚志の家に砦を築いていく。

「今日、泊まってもいい?」
などと彼女は聞かない。
たわいもないお喋りをしながら、自然に足は厚志の家へと向かっていく。
何かをするわけでなくても、ひとつのベッドに入る。
翌朝、厚志が目覚めると制服にエプロンをつけた素子がにこやかに出迎える。
「先に行くわね。朝ごはんとお弁当、用意しておいたから」

歯ブラシを手にすると、すでに量の減っているチューブからハミガキを練りだす。

アナタハワタシノモノナノヨ。

クリアピンクの歯ブラシが、そう主張しているようにも思える。
厚志は複雑な思いにかられる。
「僕は…」(実際には歯ブラシをくわえているので「もくあ」だったが)
こんな関係を望んでいたのだろうか。

時計のアラームがやかましく鳴り響く。
「いけない! 遅刻しちゃう」
制服のジャケットを身に付けるのも早々に、あわてて玄関を飛び出す。

今夜も素子さんは来るだろう。
何も無かったような顔をして。
「来ちゃった…」
などと彼女は言わない。
当然のように厚志の家に上がりこみ、猫のようにゆったりとくつろぐのだ。
本心からくつろいでいるかは、分からないけど。

とにかく、そんな女性と僕はいる。






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