趣 味 の 古 代 史
日本書記は、大きな史実 『九州王朝』 を隠している
- 縄文人とは、アイヌ人のことか? 三内丸山遺跡は、アイヌ人の遺跡か?
- 弥生人は、中国古代の海洋民族・殷(いん) 王朝の末裔(?)で山東半島から韓国の西 南部海岸経由で九州北部に渡来し、筑紫で 倭(い)国王朝を建国したか?
- 現日本人は、アイヌ人と殷人の混血か?
- 金印「漢委奴国王」は、
漢の倭(わ)の那(な)の国王と読むのか?、
漢の「伊都(いと)」国王と読むのか?
フィン族即ち「匈奴」(きょうど)に対する、
漢の「倭奴」(いど)国王と読むのか?- 邪馬壱国(やまいち国)は、どこか?
- まぼろしの邪馬台国を書いた故宮崎康平は、魏志倭人伝の国名を逆の順に読むように勧めているが、もしそうだと邪馬台国は、甘木市を中心とする扇状地(旧・朝倉郡)とならないか、とりわけ夜須川沿いの夜須町では?、私のその都城推定地は、「筑紫野市の馬市」の近辺、それも地下10m。掘ってみたい!
- 次にあり奴国(福岡市)、次にあり鳥奴国(ううのと読んで)大野城市付近、次にあり支惟国、これは有名な基ヰ城のふもと近辺。つまり夜須町から見て宝満川を挟んで対岸の国々が北から南へ列挙されているのでは?
- 古田武彦氏の九州王朝が実在なら、すべてが1本の糸につながるのは何故か?
- 九州王朝には、「善記」をはじめとする元号が存在し、今も付近にその片鱗が残るとか
- 「日本列島史抹殺の謎」の中で、鹿島昇氏の言っているように日本史の中の大化の改新は、日本の出来事ではなく、同時代の韓国新羅の比曇(ヒドン)の乱の焼き直し版とか?
- 風土記には、県(あがた)風土記と郡(こおり)の2種類あるというのは本当か?九州王朝が、県風土記を編纂し、大和王朝が、郡風土記を編纂したのか?
- 万葉集には、九州王朝の人々の作った歌は、読み人知らずと書かれているのか
- 白村江の戦いとは、唐・新羅・大和の連合軍と、高句麗・百済・倭国(九州の)の連合軍の戦いか
- 白村江の敗戦で、九州王朝(天智)はその10年後に滅亡し、九州王朝より大和王朝(天武)へ交代したのか?このことを、壬申の乱の物語としたのか
- 唐が占領の百済統治府名・百済の熊津都督府(ゆうしん)と、九州倭国の筑紫都督府(大宰府)は、相互に関連があるのではないか?
- 日本の大津の宮とは、百済の熊津の宮のことではないのか?、韓国語で「熊」に大きいという意味ありとか。
- 米田良三氏がおっしゃるように法隆寺は、大宰府の観世音寺に建ってた建物を移築したものであり。また、京都の三十三間堂は、同じ観世音寺に残存の大房をその後移築したものとか?
- 奈良の東大寺は、九州倭国豊前宇佐(小倉山)上元重に九州年号「僧聴」元年(536年)建設開始、九州年号「金光」元年(570年)完成。 倭国滅亡(672年)后、天平15年(743年)移築開始、その後757年に移築完了か?
- 同じように、奈良市西ノ京の薬師寺は、九州倭国豊前宇佐(小倉山)山本の虚空蔵寺から移築。
- また、奈良県桜井市初瀬の長谷寺は、九州倭国(佐賀県神崎郡三瀬村?)にあったと思われる初瀬寺より移築。
- 他に法輪寺、法起寺、興福寺、東福寺もである。いずれも九州倭国より大和日本国へ移築か?
- 何故、そこまで大掛かりな移築をしたのか?何故、膨大な費用を要す多くの遷都をしたか?何故、九州倭国の存在を消す必要があったか? 奈良時代のこれらは、唐の日本占領政策で、国家疲弊策の一環だったのではないのか?第二次大戦后、アメリカが日本にしたように。
- 新羅側の大和王朝を、打倒した英雄・桓武天皇は、百済王朝の王族子孫か?、ならば京都の公家さんは百済人の子孫となるが。
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