1983年 河野康弘デビューアルバム 
レコードがCDになって発売

「PEACE YASUHIRO KOUNO trio+1」+3


「ピース」+1 ライナーノート

 マンデイ満ちるコレククョン秋吉敏子編(O6年3月)以来の<渋谷ジャズ維新>始動にあたって、ふたりのピアニストのアルバムを用意した。福居良の「メロウ・ドリーム」(詳細はぜひ購入してください)と、この河野康弘の「ピース」だ。昨年の板橋文夫アンソロジー「Watarase」もピアノ作品だから、ここのところ渋谷ジャズはピアノづいている。ピアノが好きだからという単純な理由を単純に言いたくないから、いろいろ考えてみたところ、やっぱり単純に好きだからとしか言えない。好き嫌いに理屈などやっぱりなかった。
ただ、ピアノの構造、といっでも工場で働く職人のような専門的な説明などできないけれど、ピアノというのは日本の風情を描写するのに最適な楽器なのかもしれないとも考えてみた。あるいは日本の風情を描写できるピアニストが、多くはないだろうが育ってきたということなのかもしれない。

 ピアノは打楽器でもあるとよく言われたりする。だが鍵盤を叩くという行為の中には旋律を紡くというのがあり、たとえば異性の肌に触れるような愛撫という仕草も含まれる。いずれにしても指だけじゃなく、身体全体を使っての体重移動の加減により複雑な音色が得られるわけで、その機微は日本情緒のワビサビにかぎりなく近つけるということなのかもしれない。

ここでの主人公河野康弘は、そのことを熟知している数少ない日本人ピアニストといっていい。8O年代から作品キャリアを持つひとだが、96年代に入ると、たとえば高知の四万十川に楽曲素材を求めたりしで独自性に磨きをかけはじめる。近年活発におこなっている”冬眠ピアノお目覚めコンサート”という企画公演も興味深い。日本を含め世界中に眠っでいるピアノを有効活用しようと日本各地・世界各国に出向いては、アフリカにピアノを送る募金なども集めたりして、1年のうち半分以上も演奏旅行をしているのだ。

 かわいそうに、放置されたピアノはだだ使われていないだけではない。調律もめちゃくちゃで、鍵盤をそれこそ”さする”ようにしながら長年のホコリを振り払い、ピアノを蘇らせる。ピアノを演奏しながらピアノを直しでしまうひとなのだから、ピアノの特性をよく把握してらっしゃるのだ。ちなみに99年には広島の矢川ピアノ工房でライヴをおこない、その模様を収めだアルバム「もののけ姫」「テイク・ファイブ」を発表している。

 河野はもともとトランペッターに憧れジャズの世界に飛び込んだ。中学のときだ。しかし19歳で挫折、二十歳のどきピアノに鞍替えしている。1953年11月13日生まれの奈良県生駒市出身で、大阪芸大に進学するも中退し、それを機に上京。最初からジャズの仕事こ恵まれたわけではなく、矢沢永吉や中村雅俊のキーボード奏者として活動しでいたころもある。やがて念願のトリオを組み、最初に吹き込むのがこの「ピース」というわけだ。

 もちろん初CD化で、アナログなどすっかり市場から消え去ってしまった現在、長年入手困難盤になっていた。渋谷ジャズは珍しいからといって無闇にリイシューするようなことなどしないが、この1枚はぜひ紹介したいという念いが強くあった。それはこの作品には美学があるからで、渋谷ジャズにもおなじく美学を追究する姿勢がある。

 美学だけじゃなく、ここには揺るぎない信念がある。そしで配述したように、90年代に入っでからの河野のほうが抜群にピアニスト意識が向上しでいる。そのことはのちほど触れたい。いずれにせよここでの自己紹介では自分を大きく見せたりせず、等身大の姿をいっしょうけんめい描こうというひたむきな心情がよく伝わっでくる。初々しくも魅力的な自画像といっていい。

 オリジナルは82年に東京中央線ジャズの殿堂アケタの制作部門AKETAS DISKからリリースされた。タイトル・ソンクの6曲め「Peace」以外はすべで河野のオリジナルと意欲的だ。デビューにしてこれだけのことをやれば独創性は認められるべきだろうが、非凡な精神世界をピアノ人生に投影する後年の活動からすれば、あくまでこれは序章にすぎないとぼくは思う。

 それでも力強いタッチと繊細な呼吸をない交ぜにしながら送り出される清々しいサウンドは、同時期の日本ジャズには類稀で、贋揚な心で音楽に対峙する現在の河野の下地をじっくり作り上げていだ背景が見て取れる。収録曲「Like McCoy」や「J.C.Blues」が示唆するところついでこの場で言及するまでもないが、ピアノ・トリオで人気のスウィンギーなバップ・スタイルとは一線を画するモーダルをここまで素直に取り込み、自身の門出を謳歌したひとりのピアニストを、当時日本のメディアはどのように見届けていたのだろうか。

 たとえばカヴァー曲「Peace」は、原作者ホレス・シルヴァー(59年作BlowinThe Blues Away に収録)ではなく、そこにリリックを書き添えたダグ・カーンのヴァージョン(71年作InfantEyes)のほうにインスパイアされているのがここでのポイントだ。
そのことは表題に引用されだ最新作(06年)「ピースコンサート」(湾岸戦争以来、地球平和を訴える公演名でもある)の曲解説の中で、河野本人が明かしている。

 ダグ・カーンとは、その名もBLACK JAZZといったレーベルなどにまとまった作品を残しているUSのピアニスト。公民権運動が活発化する60年代末にあって、黒人意識の昂揚をジャズ・プレイに反映させるなど、激動の時代を象徴するようなミュージジャンだ。彼の演奏で歌っていたのは当時の妻ジーン・カーン。この「ピース」で歌うのは三品真美、通称MAMIさん。ジャケットの女性そのひどで、河野の奥さんである。「ピースコンサート」のほうにはサックスも加えられ演出の増幅を図っているが、おなじくヴォーカルはMAMIさんで、二十余年の空白を埋めるように切々と歌い上げていたのが印象深い。

 それにつけでも、この当時にしてダグ・カーンのようなアフロブラック・ジャズに着眼するとは、日本人演奏家の体質にはそうはなかったように思える。むしろ昔はジャズ以外のメディアで積極的に扱う向きがあり、今でもクラブ世代(渋谷ジャズ・リスナーの中心層でもある)からの支持を集めているが、いずれにせよ河野のようなミュージシャンからのリアクションは希薄だった。

 しかし団塊以降の世代である河野は、アフロブラック系の代表各BLACK JAZZやSTRATA EASTのようなレーベル諸作シンバシーを抱きやすい体質の持ち主だったのではないか。この「ピース」翌年にリリースしたライヴ盤「ローマ・イン・ザ・レイン」(1984)になると、アフロブラック系と活動時期も内容も重複する新主流派と日本で呼ばれだアーティストたちを参考にしたような録音を残している。CD化のため今回特別に収録した「For B's Smile」 「WaltsForBaby」「Roma in The Rain」が、その「ローマ〜」から抜粋した3曲だ。

 ここで心髄となるのがヴィブラフォンを演奏する(菅野正洋)の存在だ。日本のジャズ界そのものにヴィブラフォン奏者の数は少ないが、「ローマ〜」の中ではホビー・ハッチャーソンやウォルト・ディッカーソンあたり、つまりミルト・ジャクソンの次世代を意識したような構成力をもって、河野はユ二ークなジャズ・スタイルを築くことに成功している。本人の話からも、やはりマッコイ・タイナーのグループにいた時期のホビー・ハッチャーソンをお手本にしでいたことがわかった。

 余談になるが「ローマ〜」の原盤もAKETA'S DISKのため、「ピース」とのカップリングで再発する案もあった。しかし収録時間の関係上それはできなかった。かわりにl「ローマ〜」と同一メンバーによる3枚め「ソング・オブ・アイランド」(1986)のリイシューも決定しているので、楽しみにしてほしい(来年初頭予定)。

 この「ピース」や「ローマ〜」で探求していたのは、まちがいなくコルトレーン周縁のサウンドだろう。そして自分なりにその世界を咀嚼し、やがて地球規模の中で音楽を見据えられるようになった河野がいよいよ本質的な独自性を開花させるときがやってくる。レーベル創設から5年後に発表したアルバム「四万十川」(1991)こそ、まさにその瞬間だった。自然破壊が叫ばれて久しいなか、日本最後の清流と呼ばれる四万十川、その流域近くに河野の母の実家があることが制作のモチベーションになったらしい。河野本人も自信作と語るその言葉に偽りはない、珠玉のピアノ・ソロだ。近年リイシューされたので、ぜひ手にしてほしい。


 ”魂が洗われる音楽”−−河野の豊かな音楽人生のなか、たったひとつだけ共通するものを探すとすれば、この言葉をおいて他に何かあるだろうか。そしてその源泉にあたるものも、この「ピース」であることに疑いはない。今でも地球上を飛び回り自然保護を唱え、子どもに音楽の魅力を伝承し世界平和を呼びかける。少しがんばれば誰もができることなのに誰もがやらないことを、”ワッハッハ!”(河野が愛用する常套語だ)の笑い声ひとつでやってしまう。そんな自然体の素晴らしさを誰より知る河野から、ぼくはオタマジャクシだけでは成り立たないジャズの真意を教えられた。


                                    2006年9月15日  若杉  実

収録曲目・メンバー

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<渋谷ジャズ維新>

”魂が洗われる音楽”−−河野の豊かな音楽人生のなか、たったひとつだけ共通するものを探すとすれば、この言葉をおいて他に何かあるだろうか。

2006年9月15日  若杉  実