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ひとは何かをしたいと願うからそれが叶う出会いがあるのか、あらかじめ道があるから何かをしたいと願うように仕向けられているのか。「マルさんのように、自分にしか出せない命の音を出して、ひとの心の奥深くに届く演奏を続けたい」日比谷で録音したコンサートは、嵐山の自然に励まされてようやくアルバムになった。
                               2012年9月21日 MAMI

異色のジャズピアニスト河野康弘がマル・ウォルドロン氏に捧げる最新ソロアルバム発売

I Remember MAL
Homage to Mal Waldron
河野康弘  ピアノソロ 定価3,000円(送料無料) 申し込み
1, My Favourite Things   
2, Nocturn op.9-2
3, Blue Monk
4, I Remember Clifford
5, The Days of Wine and Roses
6, My Funny Valentine   
7, Take the 'A' Train
8, Left Alone
        
9, Autumn Leaves

2011年1月28日
東京・日比谷 スタインウエイサロン松尾ホール
発売記念コンサート

魂が洗われる音楽 河野の豊かな音楽人生のなか、たったひとつだけ共通するものを探すとすれば、この言葉をおいて他に何かあるだろうか。ジャズ評論家 若杉実

2013年316日(土) 
開場18:00 開演18:30
会場:京都文化博物館 別館ホール
〒604-8183 京都市中京区三条高倉TEL(075)222-0888
入場料:前売5,000円 当日5,500円
プログラム
1, My Favourite Things
  
2, Nocturn op.9-2
3, Blue Monk
4, I Remember Clifford
5, The Days of Wine and Roses
6, My Funny Valentine   
7, Take the 'A' Train
8, Left Alone
        
9, Autumn Leaves
問い合せ・申し込み:地球ハーモニーtel.090-1657-0174 fax.075-406-1956 e-mail こちら

マル・ウォルドロン氏に捧げる〜河野康弘ピアノソロ   

 河野康弘が初めて松尾ホールに足を踏み入れたのは偶然だった。2010年の秋、家族で日比谷公園のアフリカンフェスティバルに遊んだ。アフリカンドラムの喧騒の中さんざん歩き回って、有楽町駅への帰途、ビルの地下に喫茶店をみつけ、入ることにした。階段を下りると河野は松尾ホールの看板に喜んだ。松尾ホールは以前から、名前と評判を聞いていていつか行ってみたいと思っていたスタインウェイピアノの輸入代理元で、こじんまりしたコンサートホールになっている。中に入ってみると、スタッフは親切な対応で、河野がピアニストと知るとピアノを弾いてみてはと勧めてくれた。河野はホールの音響もピアノの音色もとても気に入って、久しぶりのソロコンサートをこのホールでしようと心に決めた。ずっと暖めてきた企画、マル・ウォルドロンさんに捧げるソロピアノコンサートだ。ひとは何かをしたいと願うからそれが叶う出会いがあるのか、あらかじめ道があるから何かをしたいと願うように仕向けられているのか。河野の来た道を顧みると、そんな問いが浮かんでくる。

 河野がマル・ウォルドロンさんの生音を初めて聞いたのは、1995年、自身がベルギーのブリュッセルピアノフェスティバルに出演した時のことだった。数人のピアニストが一同に会すコンサートで、マルさんもその一人だった。初めて生で聞くマルさんの演奏は、河野の心の奥深くまで突き抜ける衝撃だった。同じステージで、同じピアノを弾いているのに、マルさんの音は極めて特異だった。彼はすっかりマルさんに魅せられた。それからは、マルさんが来日すると一緒にコンサートをしたり、三品真美(vo)とのコンサートを企画したりの交流が続いた。

 1998年の春、広島青年会議所からマルさんを招きたいという話があり、ちょうど被爆ピアノを原爆ドーム前に運んでの平和コンサートを計画していた河野は、マルさんと共演しようと思い立った。マルさんは原爆への関心が高く、広島の原爆資料館でみつけた詩に曲をつけ、ジーン・リーとの共演で「白い道、黒い雨」というアルバムで平和への祈りを捧げている。三者の思いが繋がって、その年の8月6日、原爆ドーム前には100本のローソク、2台の被曝ピアノが並び、マル・ウォルドロン&河野康弘ピアノDUOコンサートが実現した。マルさんが古いアップライトピアノから弾き出す魂をゆさぶる音の舟に乗って、河野も原爆の犠牲者への追悼、非戦、非核の決意をピアノにぶつけた。蝋燭に照らし出された原爆ドームを間近に見ながらの即興演奏は、異界への旅のようだったと河野は述懐する。「僕は英語が話せないから、マルさんとほとんど言葉は交わしていないけど、音楽の会話で気持が通じたように感じました」 マル・ウォルドロンさんは、2002年12月2日、長い長い患い(河野と初めて会った時、既に病気だった)から解放されて76歳の生涯を閉じた。その最後を伝え聞いた時から河野はずっとマルさんの追悼コンサートをしたいと思っていたのだ。松尾ホールは、ふさわしい場所に感じた。

 2011年1月28日、コンサート当日、東京はとても寒く、出かけてくださるお客様にもうしわけないほどだった。河野は、この日の演奏が生涯最後になっても悔いが残らないようにと、全力を出し切ってマルさんに捧げた。CD製作ライブ録音と銘打ったコンサートで、4月にCDを発売予定だった。ところが、編集など準備の最中、3月11日、東日本大震災が起きた。続く原発の事故。マルさんと共に祈った非核。 広島、長崎の原爆だけでなく、数多い水爆実験、チェルノブイリなどの原発事故、湾岸戦争での劣化ウラン弾使用で、世界中にヒバクシャが増えていること、全ての核の廃絶をコンサート活動で訴えてきた河野だったが、とうとう恐れていたことが起きてしまった。CD製作は頓挫し、河野は求められて被災地に演奏旅行し、目にする事象に立ち尽くした。日本は、世界は、汚染時代に突入してしまった。日本中のピアノは全部ヒバクピアノになってしまったと河野は思った。

 さまざまな要因が重なり、事故後一年経たずに、家族で京都嵐山に引っ越した。嵐山の刻々と変わる豊かな自然は音楽の情熱をかきたてる。河野は大阪で組曲「四万十川」全曲コンサートを開いた。マルさんは、死の床で最後まで五線譜に向かい作曲していたと聞く。音楽は生きること。

 ひとは何かをしたいと願うからそれが叶う出会いがあるのか、あらかじめ道があるから何かをしたいと願うように仕向けられているのか。「マルさんのように、自分にしか出せない命の音を出して、ひとの心の奥深くに届く演奏を続けたい」日比谷で録音したコンサートは、嵐山の自然に励まされてようやくアルバムになった。河野が愛と敬意とこのアルバムを捧げるマルさん、そのマルさんの心がかいま見える詩を最後に掲げよう。マルさん自身の作詞である。

                               2012年9月21日 MAMI


                                                              2012921  MAMI


SOUL EYES lyrics by Mal Waldron

Oh soul untold can be both hot and cold
But I want to know just which way to go
But how can I be show when the whole world is filled with such lies
So watch those eyes and even more those eyes
And when you see them smile for a long long while
Then you know you found the one who will always be true
I know that's how I found you