まもりびと

(1)

鞠が、転がっていた。
縁側のすぐ下に、である。ゆっくりと下りて拾い上げると、幼い声が返って来た。
「あ、こっちこっち!」
おかっぱ頭の童子である。娘の衣装―――それも、庶民とはどこか違う、
仕立てのよい代物だった。そもそも、手にした鞠は手触りもよく、
刺繍など仔細に手が込んでいる。
その顔―――おや、と思った。
まさか―――いや、間違いないだろう。この娘は、あの人の―――
「……………」
鞠を、優しく投げた。地を二転三転し、ほどよく娘の手中に納まった。
これで帰るかな、そう思った。
が、違った。娘は鞠を手に、じっと男を見やっている。
と、もう一度鞠を投げた。
縁側の近くに落ちたそれを、男はもう一度投げ返す。
娘は、鞠を拾うと再び、鞠を投げ返す―――
きゃっ、娘が嬉しそうに声を上げた。反復作業が楽しい頃合なのである。
対して男は、橘右京は、一方で生じつつある情を押し殺すように、微笑を浮かべていた。

(2)

「―――右京殿」
「……………」
尼の出で立ちをした黒河内夢路は、頭巾の下で口元を微笑ませている。
「そろそろ、医者が匙を投げそうですね。どうしてまだ生きてるのか、と。
存外、診てもらったのは藪医者か何かではないのですか?」
「……………」
右京、対して微笑するだけだった。
死んでない―――ただ、それだけなのである。
病は、その生死を問わず、ただ右京から生の影を奪い取っていく。
「……………」
黒河内夢路―――右京と同門で、師である黒河内左近の実子である。
が、不幸な行き違いの末に夢路は出奔し、その果てに黒河内道場は、
当時世間を騒がせていた剣鬼「壬無月斬紅郎」により、師や弟子の命と共に、壊滅させられた。
今は―――かつて道場であった場の片隅に、彼らを偲ぶ碑が、ひっそりと残るのみである。
「……………」
夢路と右京―――碑の前で、そっと手を合わせた。
あれから、4年である。
その間、数多の天変地異や怪異が起こったが、諸国を漫遊する夢路も、
怪異の度に病身を押して旅立つ右京も、辛うじてその命を永らえている。
もっとも、うち一人は―――そろそろ、覚悟を決めだしている。
「………夢路殿」
「お断りしますよ、その頼みは」
「………………」
「私は来年もここに来ますし、再来年もここに必ず来ます。
貴方と一緒に、父と母と、巻き込まれたお弟子さんたちの魂を弔うのです。貴方と一緒に―――」
「………………」
私が亡くなったら、ここに納めてくれないか―――
いつか申し出たその頼みに、黒河内夢路は烈火の如く怒り、泣いたのを右京は覚えている。
「だが、いつかは死ぬ」
「死にませぬよ、右京殿は」
「…………死ぬさ」
「………………」
死ねば、どうなるか。
答えなき問いに格闘し、狂おしく悩んだ時期が右京にはあった。
天賦の才と謳われた剣の技も、ついに世間に出ることもなかった。
居合い刀を手に剣鬼となり、自らを殺す強者を探すか、そう思い狂うこともあった。
その中で、小田桐圭に出会った。
「………………」
屋敷跡を、出た。
黒河内夢路、周囲を見回している。
「………変わりませぬね、この辺りは」
「……………」
「稽古の後とかに、そこの団子屋とか、よく寄りましたね」
言いつつ、頭巾を深く被った。町の者に知られたくはない、その思いがあったのだろう。
右京、ふと夢路を置き、団子屋へと向かった。
数本買い、しまった、と僅かに悔やむ。
「どうしたのですか?」
「…………」
僅かな表情の変化を、夢路、読み取っていた。幼少を長く過ごした者の勘だった。
「いや………」
町外れの場で、街道脇の石垣に腰を下ろす。
団子を、一つ食らう―――それだけで、腹が膨れた。
「右京殿?」
「……………」
静かに、微笑した。そっと、残りを笹の中に戻す。
「いけませぬ。もっと食べられぬと」
「……………」
夢路、知っている。右京の胃がこれ以上、食物を受け入れぬことを。が、
「けど、それを差し引いても買いすぎですよ、右京殿」
夢路もまた、小食である。笹の中で、団子が空しく眠っている。
と、
「あ」
ん、声に振り返った。童子特有のキンと耳に残る声であった。
「うきょうだぁ!」
赤い着物を着た童子である。
「う、右京………って、呼び捨て?」
鞠を腕で抱きしめるように、二人の下に駆けてくる。
「うきょうだぁ!まり!まり!あ、お団子!あ、でっかいおねえちゃん!」
「でっかいおねえ―――言い得て妙ですね。
って感心してる場合じゃない。右京殿、この娘さんは―――」
「……………」
右京、困惑した顔を浮かべ、頭を掻いている。
「新手の追っかけ―――いや、違いますね。分かりました、隠し子ですね!」
「違う!」
珍しく、声を荒げた。くす、と夢路、微笑している。
「すみませぬ、からかっただけですよ。ですが、こうではないですか?」
小田桐圭の娘―――その名を告げると、右京、ゆっくりと頷いた。
「………よく―――」
分かったな、聞くと、夢路、笑い返した。
「ええ、顔が似ておりますし、というよりもそっくりですからね。
本当、母君によく似ておられる」
夢路、手を伸ばして童女の頭を撫でた。
童女はにこやかに頭を揺すられている。穏やかに育てられているのだろう。

(3)

「………………」
迂闊だった―――右京、僅かに後悔を覚える。
「ねえ」
「…………?」
「おじさん、おなまえは?」
鞠を手に、童女の相手をしていた時に、聞かれたのである。
そう会うものでもあるまい、と右京、つい口が滑った。
「橘右京−−−」
「たひばなうきょー………うきょー!」
幼子の記憶力などそれほどでもあるまい、そもそも病身の自分など覚えてはいまい―――侮る節があった。
が、幼子の記憶力は「それほど」であった。
「あ、うきょうだぁ!」
出会う度に、叫び声が上がった。町ならばともかく、日々を営む庵の側や、
町外れの街道でも、場を選ぶ神経が童女にはなかった。
その度に右京、鞠を手に童女の相手をせざるを得なかった。
そもそも無視を決め込めばよかったのだが、そんな器用さを持ち合わせる男ではない。
名も、悪い。
「橘」は若干厳しいが、「右京」はどちらかと言えば呼びやすい。
まして童にとって、並みの親類よりも、近しい遊び相手の方が覚えやすい。そういうものである。

 

じい、童女が目を大きくして笹を見つめていた。
「あ、お団子!」
こら、と取り上げようとするのを夢路が抑えた。
「大丈夫ですよ」
「しかし―――」
「右京殿の心配が本当ならば、私もあの方もとっくにやられています」
肺病が伝染るのではないか―――が、右京の危惧をよそに、
小田桐圭の娘はさも美味そうに団子を頬張っている。
「美味しいですか?」
「おいしい!」
「そう、それはよかった」
「……………」
夢路との間に座り団子を食べる童女を見下ろし、ふと前方を見た。
五分晴れの空が、ある。
「……………」
小田桐圭は―――ふと、思う。
想い人であった。
であった―――過去形である。
「……………」
いつからであろうか、想いを寄せる人が、いつしか自身の中でそれとは別次元の存在となっていたのは。
想い人は高家の生まれであり、まず身分が違った。
それ以上に、想いを抱き始めた時には許婚の存在があった。
恋は、許されぬものであり、まず叶う見込みのないものであった。
が、右京の抱いたのは恋だったか?今ある情もそうであるか?
「……………」
違うかな、右京、微笑している。
かつてはその微笑に、落胆や憔悴の色があったことは否定しない。
が、今は違う。ただ、涼しく笑っている。
想い人は、人の妻となり、そして母となった。
生み出された小さき命は、笑みを浮かべさも美味しそうに団子を口にしている。
あれはいつか―――三年も前だったろうか。
小田桐圭の腹から、今ここで団子を食らう幼子が消えるという怪異があった。
闇に暗躍したのは、壊帝ユガなる魔人。
右京、病をおして旅立ち、瞬刃の元に魔人を斬り伏せた。
それより、数ヶ月後である。
町で、小田桐圭が夫と共に、生まれたばかりの赤子を抱き、歩く姿を見た。
守れたか―――幸せそうな彼らの姿にふと思い、ハッとした。
想いは、恋は―――いつしか守ることへと変じていた。
想い人から、守るべき人へ―――
「…………ん?」
童女が、見上げている。
「―――守れた、かな?」
頭を、そっと撫でた。
童女は、きゃ、と声をあげ、手のままに頭を揺すられている。

(4)

赤茶けた空が、ある。
わーい、童女が二人に腕をつながれ、空を舞っている。
「遊びすぎましたね。えーっと、圭殿、怒ってますかね」
「……………」
すっかり夕暮れである。影ばかりが、ずっと伸びている。
「うわー、かーげー」
「こら」
手を放し、童女が地に下りて三人の影を見つめる。
「うきょーとゆめじのかげ、ながーい!」
「………お父上と母上と、どちらが長いですか?」
「二人のほうがながーい!」
叫びながら、童女は二人の周りを回ったり、
飛び上がって自身の影を懸命に伸ばそうとしている。
と、
「―――守る、ですか」
ん、と顔を上げると、夢路が腕組みしていた。
顔から察したか、右京の小さい声を聞き取ったか。
言われて右京、童女を一瞥し、ゆっくりと頷いた。
「なるほど、右京殿らしい―――でも、守るだけでは何も手に入れられないものですよ」
「……………」
もう少し欲張りになってもいいのに―――言外にそう告げている。
「これで、いい―――」
「そうですか?」
右京、微笑した。いよいよ、微笑が澄んで来ている。
「それならば、いいのですけど―――」
と、
「うきょー!」
「…………?」
直球が来た。
「うきょー、おくさんは?」
ゴフッ、軽く蒸せた。
「あ、分かった!うめじー!」
「ち、違いますよ。私は流浪の身ですし。それに、夢路です、夢路!」
「分かったー!じゃあ、わたしとけっこんするー!」
右京と夢路、顔を見合わせた。
流石に、苦笑した。
「………右京殿」
「…………」
「罪深い方ですね、貴方は。いよいよこれで死ねませんね」
「……………ええぃ」
屋敷が、近づいてきた。
「―――ここまでですね」
夢路が、童女の手を離した。
「えーっ」
「私は、旅に行かなければならない。けど来年の今頃、また戻ってきます。
だから君は、今のまま素直に、健やかに育って欲しい。
ありのままに、笑って、泣いて生きて欲しい。それが―――貴女には出来ますか?」
「―――むずかしくてわからない!」
困惑する童女の顔を、そっと撫でた。
「この人をよろしくね」
「うん!」
「右京殿」
手を離し、顔を上げた。
「どうか来年も―――ご壮健で」
「……………」
確約は、出来ない―――が、それでも右京、笑ってみせた。
願望として、来年もまた生きていられれば、と。
「……………」
夢路の影が、往来の奥へ、夕闇へと溶けていった。
「…………行くか」
「うん!」
町を、歩く。街道を過ぎ、やがて広大な屋敷塀に突き当たった。
この町一番の高家―――小田桐圭の嫁ぎ先である。
「―――ここで」
「えーっ!?」
角を曲がれば、屋敷の正門である。
が、右京、そこでそっと手を離していた。
「うきょーもいっしょにいこーよ!」
「…………」
右京、微笑している。拒絶の微笑である。
他家に嫁ぎ母ともなった女に、かつて恋を煩った男が
その娘を伴い現われる―――世間体も、余りに悪いだろう。
右京の拒絶の微笑―――が、童女はまだ、大人の腹芸を解する齢ではない。
「ねー、いっしょにいこー。ははうえもいるよー」
だからそれがいかんのだ−−−童女は言いつつ、ふわ、と欠伸をした。
遊び疲れたのだろう。目元を擦った。
「………ならぬ」
「いこーよー」
参ったな、これでは―――そう思いかけた時、人の気配があった。
誰か―――反射的に腰を落として、知った気配であることに気付いた。
いかん―――が、逃げる間は、もはやない。
「………右京様?それに―――」
角から現われたかつての想い人が、下にある娘と右京を交互に見つめていた。

(5)

「娘が手間をかけたようで―――」
小田桐圭は、童女を抱きかかえ、微笑している。
童女は、声もなく圭の腕の中で寝入っている。よほど遊び疲れたのだろう。
「………圭殿」
横顔を見た。既に一児の母―――が、そこには娘時分の面影を色濃く残し、
それでいて母としての雰囲気もうっすらと帯び始めている。
「………何ですの?」
「―――いけませぬ」
屋敷塀の側を、門まで歩いている。娘が帰らぬのが心配で、屋敷を出た矢先だったのだ。
「構いませぬわ」
「……………」
「主人も、右京様のことはよく存じておりますし、二人でよく話をいたしますわ」
「………何と―――」
恩人―――そう答えた。
「……………」
腹から胎児が消えるという怪異の中で右京は旅立ち、
暫くして、赤子は何事もなかったかのように腹の中へと帰って来た。
また、圭の主人が異国の船に襲われた事件でも、再び右京は旅立ち、
主人は無事屋敷へと戻っている。救出される中、神速の居合いを見たと告げながら。
確たる証拠はない。が、小田桐圭は、信じている。
この居合い使いが、光から影から、彼女を怪異から守っていることを。
「右京様は、私達の恩人ですわ」
「……………」
恩人―――その言葉が、温かく胸に残った。
気付かれていたか―――気恥ずかしさを覚えつつ、静かに答える。
「―――ありがとう」
気付けば、玄関である。
「宜しければお茶でも―――」
首を横に振った。理解があるという主人相手でも、右京が自身を許せない。
と、
「………むー」
童女が声を上げた。夢であろうか、うわ言である。
「あら。何を見ているのかしら」
「………似ておられる」
「そうでしょうか?主人にもよく言われますが―――」
と、寝言でさらに口ずさんだ。
「………うきょー」
「……………」
「けっこん………」
「…………!?」
「右京様―――まさか、今度は私に隠れて私の娘を手なずけられたのですか?」
「えっ」
ぴっ、頬を叩かれた。と言っても、感触としては、触れた、という方が近いか。
その顔は、母としての表情と、娘としての表情が半ばであった。
「本当、いけない方―――」
「……………」
弄ばれている。右京、気恥ずかしそうに頬を撫でた。
「でも―――よいのですよ、後十数年もすれば立派な―――」
言いかけて、言葉が止んだ。
右京を見つめ、申し訳なさそうに視線を下げた。
右京、構わぬと首を振るだけだった。
―――世の中には、叶う奇跡と叶わぬ奇跡がある―――
「……………」
と、右京、軽く肩を震わせた。空気が、冷えてきている。
「そろそろ―――」
「そうですか―――」
背を向け、ゆっくりと歩き出す。
「右京様」
声に、振り返った。
「また、お会いできますでしょうか」
「……………」
淡く、頷いた。出来るであろう、あと数度は。
が、それがいつまでかは定かではない。
いずれ、その時は来る。
右京の背に張り付いた死の影は、いつか必ずその身に降りかかってくる。
明日か明後日か、一ヵ月後か一年後か―――どの道、長くは待たない。
「―――右京様」
声に、再び振り返った。
「もしも―――」
言いかけて、止めた。
が、見つめると、否定の意思を飲み込むように、息を呑んだ。
「もしも、右京様が行かれてしまう時は―――」
「……………」
「―――私も、今は許されませぬが―――遅くなりますが、必ずや右京様をお探しします」
「……………!」
「ですから、その時こそは―――」

 

「……………」
庵である。夜の闇が、すっかり辺りを覆っている。
と、闇に浮かぶ上弦の月を見上げた。
「―――その時、か」
そもそも、許されぬ恋であったのだ。
が、それも現世の理を超えた、天国、極楽浄土、ないしは来世ならば―――
「……………」
ふと視線を下げると、縁側の下に鞠が転がっている。
小田桐圭の娘が忘れたか?―――ともかく、拾い上げた。
空に、放り投げる。ふと童女の笑顔と、自身を呼ぶ甲高い声が思い浮かんだ。
「………まだだ」
小田桐圭はおろか、その主人に、果ては娘―――どうにも、守る者が多い。
「まだ死ねぬぞ、右京。しかし、いつ死ねばよいのだ」
独りごちして、笑った。これでは、黒河内夢路の言と同じではないか。

 

 

おしまい。