1995.6.23

うわすべりの浮き上がった下に蛆が無数にわいているような七月も真近な肌寒い雨の日に全く居場所のない、ちゅうぶらりんの自分を再び見い出すときに、いつも思うのはこのままなんともならないだろうということだ。
例えば死と呼ばれるものが、今までただ気がつかなかっただけで、実はずうっと僕を見ていたのだと気付いて、死という、自分のこの意識が、どこにも存在しなくなる時の事をぼんやりと思い、湯舟の心持ち良さにつつまれつつ、一人風呂場でどうしようもない虚無におびえる夜。どこにもいなくなってしまう——それも絶対、確実に——僕。

1995.8.15

何もしないということ。絵も描かず彫刻もつくらず本も書かず映画も撮らず唄も歌わず.... 生活費をなんとかかせぎ、絵や彫刻や映画を見て本を読みレコードを聴く日々雑記。 均衡がくずれぬかぎりは、噴き出すことはないのだ。あまりにもバランスが良く健康な自分。 強い想い——情熱、不満、理想の欠如か?それよりもいびつな形を嫌う上品なセンスを身につけてしまったということ。別にスノビズムな訳ではないにしても。彫刻にしてもピアノにしても、そうしたテクニックや方法は完成する直前で投げ出されてしまう。役立ちそうになると止めてしまう。要はその前につかまえられてしまうから。現実に作品が現出する必要を感じないから。何もしない。

1995.10.21

静かな夜の音に深々と身をひたす
なんにもしたくない
なんにも言いたくない
いっさいの暴力が遠ざけられた夜
おしつけがましくない
なんにもつたえようとはしない
たくさんの音につつまれたまんま
たった今飲んだお茶が
腹のいろんな所を通りぬけて
キュルキュル鳴り出してとまらない
酒はいらないのだし
もしかしたら音楽もいらないのかも
ゆうゆうじてき
しんしんと夜がふけてく音がする
みちたりたうつろなきもち

このびみょうをうちこわすべき
電話のベルはまだ鳴らず


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