韓国併合は悪ではない 〜日本と朝鮮の公平な歴史認識〜



 韓国併合とは1910年に当時の大韓帝国を併合し、日本領にしたことである。はたしてこの韓国併合は悪であったのか?それを考えるためには今現在の尺度で測っても無駄である。当時の尺度で測る必要がある。現在の価値観で当時の価値観をはかっても意味がない。その当時は朝Nは重要な国防ラインであった。とくにロシアの脅威は大きかった。1899年からの義和団事件以後に満州に兵を駐屯させたままで、国境が朝鮮と接していたのでロシアの脅威は大きかった。当時のロシアは不凍港を求めて南下政策を繰り返していたが、1853年のクリミア戦争に敗れた後に、アジア方面で南下を始めた。大韓帝国(当時の朝鮮)は親露派が権力を握っトいて日本にとっては非常に大きな脅威であり、朝鮮にとってはロシアの植民地にされる可能性がとても大きかった。そこで1904年に日露戦争で日本はロシアに勝利し、朝鮮を保護国とすることに国際的に認められるようになった。1905年に第二次日韓協約で外交権を奪い事実上の保護国とした。そして、1906年に朝鮮統監府を置き伊藤博文が初代統監になり朝鮮の近代化を推し進めていった。そこで、日本国内では韓国併合賛成派と反対派(当時の朝鮮の列強からの巨額の借金を肩代わりするのが嫌だった)の分かれて議論を繰り返していたが、1909年に併合反対派の伊藤博文が安重恨ニいうテロリストに暗殺されたので、韓国併合がきまった(つまり、安重恨による暗殺によって韓国併合は早まった)。ちなみに伊藤博文が暗殺されたときには朝鮮は謝罪使をおくっている。そして、一時は会員数100万人を超える一進会の支持をうけて、大韓帝国の総理大臣李完用(朝鮮のためには日韓併合しかないといっている)の支持もうけて日本は1910年に韓国併合を合法的におこなった。なお世界の国々はこの韓国併合にいっさい批判・非難をしていない。どちらにせよ、その当時は近代化をしていない力のない国は先に近代化した国に呑み込まれるは当然のことであったし、そうせざるを得なかった。また韓国併合をしなければ日本そのものも西洋の帝国主義諸国に呑み込まれていただろう。もしロシアの植民地にでもなっていたら今日の韓国の発展などありえないであろう。

   そして、韓国併合は朝鮮の近代化におおいに役に立ち、朝鮮の発達には不可欠であった。何を日本がなしていったかというと身分差別の廃止、インフラ整備、教育の導入、近代医療設備、植林、農業改革など数えていけばきりがない。当時の欧米の植民地では搾取するだけ搾取して、まったくこのようなことはしなかった。つまり、もし朝鮮が日本の手にではなく欧米列強の手に落ちていたら今現在のように経済の発達した国には残念ながらなっていない。英仏の支配した東南アジアやアフリカをみればその差はわかる。

   ここで朝鮮人のよく言う「七奪」を考えてみたい。「七奪」とはすなわち国王・主権・土地・資源・国語・姓名・人命のことであるが、これは事実無根のことである。まず、国王は決して殺されていないヌころかよい待遇で迎えられた。主権はもともと朝鮮は清の属国でわざわざ日本が日清戦争で勝利し下関条約で朝鮮を清から独立させてあげたのに、日本についたり、ロシアについたり朝鮮の事大主義をとおしたままだったので主権ははじめから朝鮮にはなかった。ないものを奪ったといわれても、ただ言いがかりとしかいいようはないだろう。

   次に土地に関しては、韓国併合は合法的に行われてのであり世界の列強も承認している。韓国併合が違法だと朝鮮人が抗議するのであれば日本だけでなく、それを承認したアメリカ・イギリス・フランス・ロシアなどには抗議する必要がある。また土地調査事業で土地を収奪された農民がたくさんいたとするのは詭弁としか言いようがない。なぜなら近代国家として成立するためには土地を調査し、土地所有者・価格・地形・地貌・坪数・地図作成を整理することは当たり前のことである。また土地調査事業によって役人や地主の懐にしかはいらないような「隠田」がたくさん発見された。これにより不法な地主からの抗議は1920年までに2万148件が高等土地調査委員会が受理したが、農民が不法に追い出されたという事実はない。また、「日本人が小高い丘に登ってあたりを見渡し、土地を指さして手当たり次第に良田を奪って「った」という事実もない、この話は李氏朝鮮時代の両班(当時の特権階級のようなもの)のしたことの日本に擦り付けているだけだ。また。東洋拓殖株式会社(東拓)が不法に土地を奪ったということも事実に大きく反する歪曲されたものだ。たしかに東拓は日本内地の農民を15回にわたって半島に招致し農地をあてがったが、その農地は良田ではなく誰も耕さない荒地だったのである。また東拓は「土地調査事業の際に字をよめない人が多く、近代的土地所有の観念がなかったために朝鮮農民は土地の申告をしなかったので日本人地主の手に渡った」というがこれも詭弁いがいの何者でない。まず土地の所有権はほぼ両班や地主の手にあり、字の読めない小作人の人々ははじめから土地をもっていなかった。また朝鮮総督府は東拓の土地買収をほとんど認めず、さらに駐屯土と呼ばれる国有地の処分についても東拓には認めなかったぐらいであり、東拓の移民事業は途中で挫折し、6000戸の入植を予定していたが朝鮮に定着したのは3883戸だけだった。東拓が買い上げた耕地面積はたったの4%で朝鮮の主張する50%ではない。また日本人地主の評判としては「よく改良された良質の堆肥を奨励し、化学肥料の配布や改良品種で農民の生活は向上し朝鮮人地主のように小作人をいじめることもなかった」という非常によいことがほとんどで、日本人地主が悪徳を働いたということはまず聞かない。
 また日本は治水事業の一環として植林事業をして、李氏朝鮮時代には禿山だった山が美しい山にもどったが、独立後に乱伐し燃料にしたのでもとの禿山にもどってしまった。日本統治時代には山に草木が多い茂り、山で兎を追いかけることができたという。また堤防の整理などをして毎年のように洪水になっていたところから洪水がなくなり、「ベベーミ」とよばれていた質の悪い水田が1等級の水田になったことも数多くあり。土地を奪ったというよりは、土地に大きな改善をもたらしたというしかいいようがない。

 資源については、マグネサイト、ダングステン、モリブデン、金、鉄、石炭、黒鉛など種類は豊富だが、原油、白銀、水銀、硫黄など現代経済(当時についてもほぼ同じ)に必要な資源はない。つまりもともとたいした資源がないのである。たしかに、日本と比べれば資源はあるのだが、資源の少ない日本と比べてはじめてそれであり国家的には資源は少ないと言わざるを得ない。そこで批判としては「1910年の朝鮮人の鉱産額は全体の4.8%に対し日本人は22.6%、日本人以外の外国人は72.6%であったのに10年後には朝鮮人が全体の0.3%、日本人以外の外国人が19.6%で日本人は80%となっていて日本が鉱業生産を独占していた」と言う人もいるがこれもおかしい。なぜなら、鉱山というものは巨額の資本投下が必要なので、この数字は日本企業の鉱業事業への進出を表しているだけなので略奪したわけではなく、鉱業生産の発展と貢献であると認識すべきである。よってこれにより多くの技術開発・労働者の雇用がおこなわれたので朝鮮経済の発達や生活の改善に役立った。また、鉱業の奨励金である増炭補充金は金だけでも1億5000万円から2億円の補充金が大蔵省から朝鮮半島に流れている。つまり略奪どころか多額の援助をしていたのだ。

 国語を奪ったというのも根も葉もない嘘である。朝鮮語禁止という政策はとっていない。ただ単に学校教育で日本語を国語として教えただけである。近代国家においては言語の統一は大事なことなので日本語として国内共通語を教えるのは当たり前のことで、学校では朝鮮語の授業もあったのでこれに文句をいうのなら、今現在英語を教えているので国語を取り上げられたと叫ぶのと同じである。また朝鮮人がハングル(訓民正音)は世界一と叫んでいるが、このハングルを普及させたのも日本である。ハングルは世宗の時代(1443年ごろ)に作られたものだが、当時の朝鮮人はもっぱら中華文化に浸りっきりでハングルを使うものは愚民であるとして漢字ばかり使われていてハングルはまったく普及しなかった。それどころか1897年まで公文書でさえもハングルを使わず漢字を使っているという有様であった。ちなみに玄永燮(ヒョンヨンソブ)などの朝鮮人は「朝鮮語の廃止」などを求めたが、朝鮮総督の南次郎は断固拒否している。

 姓名は1940年から始まった創始改名が有名であるが、その創始改名は強制したものではない。つまり、姓名を奪ったことなどないといえる。勅令第十九号附則第二項に「氏設定届」と定められているうえに、第二十号には裁判所の許可による「氏名変更」制度であるとなっているのだ。ただ事実としてはマスコミの扇動によって人々が勘違いしたことはあったし、戦時体制であったので情報が伝わりにくいということもあった。しかし、強制はしていないし当時の朝鮮人たちはほとんどが日本人になりたかったのである。当時の日本はアジアにおいて唯一の列強でありアジアの人々の憧れの的であった。その証拠としてなんと80%の朝鮮人が日本人名を名乗ったのだ。またこれは朝鮮人にのみ与えられた特権で台湾に対しては厳しい前提条件(祖父の代から3代にわたって犯罪者がでていないことなど)があり、台湾の人に改姓許可が下りたのはわずか1%前後だっということを考えれば、いかに朝鮮人に特権があらえられていたかがわかろう。また創始改名も李光珠など朝鮮人のほうからしてほしいと要請があったからこそしたのだ。また創始改名によって女性に地位も改善された。朝鮮の習慣では女性には名前をつけるという習慣がなく、女性は差別された生活をさせられていたのだが、創始改名によって女性も名前をなのることができた。ちなみに女性の再婚は朝鮮の習慣で禁止されていたが日本統治によって日本の民法が適用されるようになり、再婚できるようになった。

 「七奪」最後の生命であるが、これこそ南京大虐殺なみの模造である。なんと日本の統治の36年の間に朝鮮の1000万人(1910年)だった人口は2400万人に増加し、平均寿命も24歳から45歳にのびたのである。 土地整理などで農業を安定したものにし、近代医療設備を導入したからである。李氏朝鮮の時代では干ばつが482年間に89回、水害は339年間に24回、霜害は354年間に22回、雹害は474年間に18回と「朝鮮農業発達史」に記載されている。農業に直接大きな被害の発生件数が異常に多いのだ。それにより飢饉が発生し、またそれが引き金となって疫病が蔓延するなど非常に死者数が多かったが日本統治以後にはただのいちどたりとも飢饉は発生していない。米の収穫量は1910年当時が約1千万石前後だったのが1928年には1700万石、33年には1900万石、のちには常に2000万石以上と米の大増産に成功している。大豆や雑穀は併合当初から60%も増加している。日本の近代医療設備の導入によりコレラ、天然痘、ペストなどの流行は1918〜1920年が最後となり、その後の乳児の死亡率が激減している。つまり日本は命を奪ったのではなく、命を救ったのだ。

 朝鮮人がよくいう日本の強制連行もこれまたでっちあげである。たとえば、従軍慰安婦については日本の軍人が強引に女性をつれさったという証拠がひとつもない。韓国側の主張する証言は吉田証言と呼ばれるものでこの証言は本人が嘘であったとすでに述べている。樺太(サハリン)連行についてはソ連が樺太に侵攻してきたときに韓国人2万人を抑留し、労働力不足を補うために北朝鮮からソ連は2万人をおくらせたようだ。つまり樺太連行はソ連がしたことであり、日本に抗議するのはお門違いはなはだしい。ちなみにソ連のシベリアに30万人以上の人々が住んでいたがスターリンはこれらの人々が日本に協力するのではないかと疑心暗鬼になり30万人の朝鮮人を中央アジアに強制移住させ、12万人以上が死んでいるがこのことに関しては朝鮮人は抗議しない。また、在日朝鮮人は日本が強制連行したから存在すると朝鮮人は主張するがこれまたとんでもない詭弁である。韓国併合時にはすでに、朝鮮と内地で賃金格差があったので朝鮮人はこぞって日本に入ってきた。彼らのうちには勤勉な人もいたが、現在同様に犯罪者になる人があとをたたず、また内地での失業者も増えたので中央政府は朝鮮総督府にこれ内地への朝鮮からの人の出入りを制限してほしいと訴えたぐらいである。そこで、厳しく規制したのだがそれでも内地への朝鮮人の流入は防げない状態だったのである。つまり、日本が強制的に連行したのではなく、朝鮮人のほうから法律を犯してまでも強引に入ってきたのである(だからといって在日朝鮮人の方々全員が不法者たちの子孫というわけではない)。1940年に渡日した人数は119万人、45年には210万人となっている。また徴兵されたのを強制連行ということも不可能であるなぜなら日本人として国民の義務を果たしただけであるからだ、それどころか徴兵は朝鮮人のほうから朝鮮にも日本人同様に扱われるために徴兵してほしいという要請があったからこそしたのである。

 日本のもたらしたインフラ整備は朝鮮の近代化に絶対不可欠で、なおさら朝鮮独自にはすることが不可能だった。まず鉄道が京仁線と京畿線から始まり、1906年統監府に鉄道管理局が置かれ、約3500万円が投資された。その後も鉄道事業は発展して併合時には鉄道の長さは1039.7キロメートルにおよび、1945年には6632キロの長さに拡大され、駅は762ヵ所、従業員数は10万527人に達した。客数は「朝鮮交通史」によると1910年は20万人だったのが、1944年には1億637万人となっていて、輸送量は1910年の90万トンから44年には国鉄3120万トン・私鉄550万トンと飛躍的に発達している。同様に道路も1928年までには1等17線3200キロ、2等79線494キロ、3等400線余り1万1429キロ、となっている。港は1944年までに通商港が14、指定港が38、関税指定港は9、地方港は326となっている。そしてこれらインフラ整備にかかった費用は土木費合計約6億4000万円、道路・港・港湾修築費用約2億4110万円、鉄道建設改良費に21億8364万円もかかっている。ちなみに当時の国家予算は20億円だったので以下に巨額の投資か見て取れよう。いってみるならば日本のほうが朝鮮に搾取されたのだ。

 義兵闘争についてはこれはほとんどが歴史歪曲に近いものばかりである。なぜなら当時の義兵は大多数に賛成されていないどころか逆に煙たがられていた。義兵は補給手段を持たないためにすぐに匪賊などに変化し、住民をいたぶったに過ぎない存在だからだ。また1919年の3・1独立運動にしても教科書に書かれているほど盛り上がったのではなくて、実際には散漫な運動だった。また独立を叫んだだけで逮捕された人は一人もいない。ちなみに3・1独立運動当時の憲兵と警察の朝鮮における人数は日本人・朝鮮人を含めてわずか7000人ほどだった。いかに義兵運動が少なくなおかつ支持されていなかった見てとれる。またイメージでは憲兵や警察は怖がられ、嫌がられていたというのがあるが実際には正月はじめとする休日などの日は村人に招かれ和気あいあいと酒を飲み交わしていたという話も多い。つまり、わずか朝鮮全土で7000人しかいなかった理由は村人は警察を支持していたからだ。

 韓国併合を強く求めた一進会が日本が強制的に作らせたものというデマと朝鮮は批判するが一進会は朝鮮人によって独自に作られたものである。一進会は東学と独立協会、万民共合会など朝鮮のあらゆる革命団体が連合したものである。

 また併合当時の外交官であった李成玉は次のように言っている。
「現在の朝鮮民族の力量を持ってすればとても独立国家としての体面を保つことはできない。亡国は必至である。
亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかいない。
欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本人は違う。
日本人は日本流の道徳を振り回して小言を言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。
そして日本は朝鮮を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。
それ以外にわが朝鮮民族が豚の境遇を脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。」
第3者であるイギリスの外相ランズダウンも
「韓国は日本に近きことと、一人で立ち行く能力がなきが故に、日本の監理と保護の下に入らねばならぬ」

といい、韓国問題については世界中がこういった認識であった。

   朝鮮が南北に分かれた原因は日本にあるのではなくアメリカとソ連にあるのである。むしろ日本は敗戦によって5の地域(北朝鮮・韓国・台湾・サハリン・現在の日本)に分割されたのだ。また朝鮮においてきちんとした歴史認識をいうとそれを「妄言」として受け止めるようだが、民主化が進めばきちんとしたこともいえるようになるだろう。

 つまり韓国併合とはその時代では仕方がなかったことであり、ここを責めることは愚かであり、なおかつ欧米の植民地と違い日本として扱われ近代化のもととなったのである。この点は評価してもしたらないぐらいである。どうしても日本に抗議したいのであれば韓国併合を承認した日本以外のアメリカ・イギリス・フランス・ロシアなどへもすべきである。また欧米は旧植民地に謝罪はしていないから、日本もする必要がないというと「謝罪のようにいいことは率先してすべきである」ということをゆう愚にもつかぬ日本人(韓国では心ある人々という評判であるようだが)もいるようだが、日本は悪いことなどなにもしていなかった。すくなくとも当時では悪いことはひとつもしなかった。本当に日本と朝鮮との親善を図りたいのなら一方的に日本が謝るのではなく、朝鮮から日本に「韓国併合どうもありがとうございました」と言ってもらい日本も「いえいえ、こちらこそ大東亜戦争で共に闘ってくれたどうもありがとう」ということが真の日本と朝鮮の親善である。


参考文献
「大東亜戦争への道」 中村 粲 / 展転社 1990
「韓国は日本人がつくった―朝鮮総督府の隠された真実」 黄 文雄 / 徳間書店 2002
「中国・韓国の歴史歪曲―なぜ、日本人は沈黙するのか」 黄 文雄 / 光文社 1997
「歴史を模造する韓国」 中川 八洋 / 徳間書店 2002
「親日派のための弁明」 金 完燮 (著), 荒木 和博 (翻訳), 荒木 信子 (翻訳) / 草思社 2002
「韓国と歴史は共有できない」 勝 岡寛次 / 小学館 2002
「「反日韓国」に未来はない」 呉 善花 / 小学館 2001
「醜い韓国人―われわれは「日帝支配」を叫びすぎる」  朴 泰赫 / 光文社 1993
「反日感情―韓国・朝鮮人と日本人」 高崎 宗司 / 講談社 1993
「国民の歴史」 西尾 幹二 / 産経新聞ニュースサービス 1999

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