NOSTALGHIA

Filmography

’60 「ローラーとバイオリン
’62 「僕の村は戦場だった
’69 「アンドレイ・ルブリョフ
’72 「惑星ソラリス
’74 「
’79 「ストーカー
’83 「ノスタルジア
’86 「サクリファイス

孤高の映像詩人、アンドレイ・タルコフスキー。1932年4月4日、モスクアに生まれる。音楽や映画を学び、国立映画大学に入学。同窓のアンドレイ・コンチャロフスキーとともに共同執筆した「ローラーとバイオリン」を短編映画化し、その後62年「僕の村は戦場だった」で長編デビューを果たす。しかし、その反体制的ともとられる作風のため以後はソヴィエト当局から「製作妨害」を受け、長編ニ作目である「アンドレイ・ルブリョフ」は偉大なるロシアの歴史を歪曲しているとのことでソビエト当局からマークされ、国際映画祭への出品は69年のカンヌ(コンペ外)まで待たなければならなかった。次第にソ連という国に絶望していくタルコフスキーだったが、根底には「ロシア」という故郷を愛する心があった。「惑星ソラリス」「ストーカー」というSF、「」という自伝的な歴史考察ドラマ。彼の作品の中には常にロシアという土地への郷愁と探求心があり、そしてソ連という体制への絶望感を強めていく姿がある。ソ連での映画製作に疲れたタルコフスキーは活動の場を西側に移すことを決断。そして83年「ノスタルジア」を製作、発表。「惑星ソラリス」「鏡」よりもはるかに直截に彼の心情が投影された郷愁の映画。しかし、彼はロシアに帰国することができなかった。それはソヴィエト政府が彼に対するパスポートの発行を拒否したためである。そのままトスカーナに居を構えたタルコフスキーは、二度とロシアの土地を踏むことなく、「サクリファイス」を発表した86年に癌でこの世を去った。

タルコフスキーの作品は、決して難解なのではない。それは頑なに「理解」をしようとするからであって、大体、映画は「理解」されるために作るものではない。彼の映画製作のスタンスとは、暗いソ連体制下の支配から反動的に生じた「楽園の追求」と、ロシアという愛すべき土地への「郷愁」であると思う。その思いが強いため、作品は時に(というより、ほとんどが)暗く、湿っぽい。「」と「」と「」、「動物」といった象徴的アイテムを多用するのも特徴だ。そして彼の芸術家としてのスタンス、「神への奉仕=芸術」というものが、「アンドレイ・ルブリョフ」や「ノスタルジア」の主人公に投影されている。彼について知っておくべきことは、この位だと思う。それさえ知っておけば、あとは「理解」などというやっかいなモノは捨て去り、映像から放出されるイマジネーションを五感で感じるだけでいい。彼の作品に限らず、ある映画に対し「自分の未熟な頭では分らない」と言う人もいるが、謙遜は決して美徳ではない。それはむしろその作品を、手の届かない深遠なものだと遠くへ追いやってしまう冒涜的行為だ。感じるだけでいいのだ。そこで感じたことがあなたにとっての真実なのだから。そしてその感じ方に優劣なんてあるわけがないし、何も感じなかったらそう言えばいい、誰も責めやしない。またその時「アンドレイ・タルコフスキー」という人物に興味を持つか持たないかで、後年の作品に移るごとに感じ方も変わってくるだろう。このコーナーは、タルコフスキーという人物に惹かれた管理人が、彼の姿を追ってみた上での感想です。話の内容よりも、彼の心境について筆が進んでいます、その点はご了承ください。