Home > コスタ=ガヴラス監督 政治三部作


「告白」

1969年フランス=アルジェリア
監督/コンスタンチン・コスタ=ガヴラス
製作/ロベール・ドルフマン ベルトラン・ジャバル  原作/アルトゥール・ロンドン リーズ・ロンドン
脚色/ホルヘ・センブルン 撮影/ラウル・クタール
出演/イヴ・モンタン:ジェラール  シモーヌ・シニョレ:リーズ
ガブリエーレ・フェレゼッティ:クーテック  ミシェル・ヴィトルド:スモーラ

 現在世界一の面積を誇る国は、1707万平方kmのロシア連邦だが、その前身であるソヴィエト社会主義共和国連邦は2240万平方kmというさらに広大な面積を有する超大国だった。しかし、数字の上では2240万平方kmであっても、1950年代までのソ連はさらに巨大な国であった、と言っても過言ではないだろう。それは当時のヨーロッパの東西構造において、アメリカ主導の西側諸国はお互いに独立し合っていても、東側諸国は、形式の上では独立国家であっても、その実態は「共産主義」というソ連が操るシステムに組み込まれた歯車に過ぎなかったからである。
 そのシステムに損傷を与えたのがティトー主導のユーゴスラヴィアである。ソ連、コミンフォルムが導く共産主義路線からは外れ、独自の社会主義構想を推し進めるティトーを見て、クレムリンのお偉方は動揺した。いや、それほど動揺はなかったかもしれない。ソ連はユーゴスラヴィアから顧問団を引き揚げさせ、ティトーのようなリヴィジョニスト(修正主義者)や独立路線を歩もうとする国の政治家をことごとく弾圧するという暴挙を早急に展開させたのである。この「粛清」では、ポーランドのゴムウカ(ポーランド共産党第一書記)は投獄され、ハンガリーのライクは処刑された。そして中でも最も悲惨だったのが、1951年から52年にかけてチェコ・スロヴァキアで起こった「スランスキー事件」と言われる最悪の冤罪事件である。
 「スランスキー事件」と言っても、ピンと来ない人は多いだろう。高校で世界史を習ったところで出てきはしないし、第一、チェコ・スロヴァキアが載っていることといえば「プラハの春」ぐらいだろう。しかしこの「スランスキー事件」は、ティトーの独自路線とともに、ソ連という一見日の沈まぬ超大国が、実際は内部に多くのよどみを持っていたことが分かるものであり、またソ連が「理想」に走り現実の上での権利や人間の尊厳を踏みにじっていたことが分かるものでもある。
 事件の顛末はこうだ。1951年、チェコ共産党書記長スランスキー、外相クレメンティスらが背任罪で逮捕され、自白を強要する拷問の末、1952年の「完全に仕組まれた」裁判で死刑宣告を受ける。勿論これが拷問の末の、それを逃れるためのウソの自白であることは、当時国民は知る由もなかった。スランスキーもクレメンティスもスターリニストであったが、クレムリンが東欧諸国家の人事権を掌握していた当時は、彼らのように少しでも民族主義、独自路線を歩もうとした政治家はすぐに弾圧される運命にあった。1953年にスターリンが死に、56年にフルシチョフのいわゆる「スターリン批判」が行なわれる。その年になって、スランスキー他事件の犠牲者の名誉が回復される。
 アルトゥール・ロンドンはこの事件に連座した一人で、死刑を免れ生き長らえた人物である。本作「告白」は、アルトゥール・ロンドンの手記が公開され、それを読んだガヴラス監督が映画化を実現したものである。しかし、ロンドンが手記を書き終えた当時は、まだ「プラハの春」は来ていなかった。ここが後々大きな問題になってくる。
 本作の内容は、ただただ胸が締めつけられる思いでいっぱいになる。世界史の教科書には載っていない、知られざる事件。スターリンの死前後の共産主義国で凶行があった、程度にしか扱われていない、知られざる事件。「Z」では謎の死を遂げる議員を演じたイヴ・モンタンが、アルトゥール・ロンドンの役を演じる。「Z」では早々に映画の主役の座を降りるモンタンだが、本作ではずっと出ずっぱりだ。しかもそのほとんどが、牢獄のシーンときている。牢獄の中での彼は、次第に体力をすり減らされ、神経もすり減らされる。体重も勿論、落とさなくてはならない。デニーロ・アプローチどころではない、過酷な減量だ。何せ、ただ体重を増やす減らすの話ではなく、肉体的にも精神的にもダメージを受けながらの減量なのだから。彼は獄中で常に歩きまわらせる。なぜそのようにするのだろう。自白を助長する一つの手段なのだろうか。何にせよ、それがもとで彼は腹の回りにまったく肉がない姿になってしまう。その姿からは、並みのバイオレンス映画が100本ぐらい束になってかかってきても敵わないくらいの戦慄を覚えた。 「歩け!」「止まるな!」「自白しろ!」「署名しろ!」抑圧の言葉の数々。そしてタイプライターの音は次第に不気味さを増し、見ているこちら側の神経までもすり減らす。主人公とともに死の恐怖におびえ、おぞましい力にしめつけられるような苦しい思いを味わう。
 私は共産主義という考え方に興味はないし、特に批判するつもりもない。ただ、日本ではムリだろうと思うぐらいだ。共産党の政策は現代日本にとっては反動的だと思うし、それが現代日本の現状を良化するとは、どうしても思えない。しかし、発する意見がどんな形であるにせよ、人間の自由を奪うことは万死に値する大罪であると思う。だから、私はどんな政治的見地を持った人間の意見だって、まずは聞く。自分にとって有益か無益かは、そのあとで判断すればよい。しかし、スターリニズムとは、人間が持つ「疑い」と「批判」という精神の自由を抑圧し、「教義」を信じることを強制し、そして「告白」を強要するのだ。まさに闇である。長い間共産党シンパであったというイヴ・モンタンと、同じく共産主義の理想を信じていたコスタ=ガヴラス、そして抑圧から解放されたとき再び共産主義を信じ歩みを始めながらも、「プラハの春」が軍事的に制圧されたのを目撃し愕然とするアルトゥール・ロンドン、この3人が揃って入魂した究極の「内部告発映画」が、この作品なのである。それにしても、皮肉なことに、内部告発を果たし自由を得たかにみえたロンドンが、その自由を抑圧されるさまをプラハで目撃して映画は幕を閉じるのだ!私は未だかつてこのような痛くて苦しい映画を見たことがなかった。しかし同時に、この映画は人間の生まれながらにして持っている「自由・権利」というものの大切さを訴え、それが踏みにじられた時の屈辱感が強くあらわれているだけに、そこから這いあがろうとする主人公の姿もとても感動的なものに映った。そして思う、このような歴史の被害者を再び生み出してはならない、と。