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2006中山杯での林舜武。エリートの部frはなく一般の部(社会組)で出場。
ドーハで活躍が期待されるプレーヤー達 3 林舜武(台湾)編
方同賢(左)、王俊彦(中央)と練習する林舜武。(2006.5 ジアイーブーツー)

 林舜武(リン・シュンウ)は2004アジア選手権(チェンマイ)が国際大会初出場。当時は台湾体育学院大学の3年生で22才だった。

テレビ放映で17才と誤報され、まだ一部で誤解されていることもあるようなので改めて訂正させていただく。別に鬼の首をとったというような事ではなくて、こういうことは大事なことだと考えるからである。台湾は高校生を選んで若手強化を行なっているなんてなんの根拠もないことをしたり顔でいうひとが必ずあらわれるのだ。 2005年に彼にあったとき「君は日本では17才と思われているよ」といったら「おれ今年で23だぜ」と大笑いだった。

 この2004年のアジア選手権にはシングルス予選を勝ち上がって代表になった。 台湾はまずダブルス予選を行ない2組を選抜。その後にシングルス予選おこない残りのメンバーを選ぶという方式をとっている。ダブルス予選では波乱は極少ないが、シングルス予選では、しばしば意外といえる選手が勝ち上がっており、若手の登竜門的な場ともいえそうだ。昨年は葉佳霖、黄軍晟。2003年には全く無名の柯釜元。1999年にはあの劉家綸(当時高校生)がこのシングルス予選でチャンスをつかんでいる。 

 このアジア選手権の代表6人中では林舜武と李佳鴻の二人が国際大会初出場であったが、李佳鴻はすでにハイジャパや国際札幌インドア等で実績を積んでおり、無名ではなかった。林舜武のみが無名であり6番目の選手という印象であったし、実際、台湾側もそういう認識であったようだ。本人もそれで悪びれるふうもなく、それどころか国際大会にでられて嬉しくてしょうがない、といった感じでむしろ不謹慎なほどに浮かれているという風であった。

 2003年の世界選手権の国別対抗団体戦決勝で李源學・劉永東を破り世界選手権国別対抗優勝の立て役者であった林朝章のおもわぬ絶不調で、アジア選手権国別対抗団体戦決勝の韓国戦シングルスにいきなり起用されるが、相手は世界チャンピオン方峻煥。手もなくひねられる。個人戦シングルスでも方峻煥と準々決勝であたるドローを引いており、彼の初めての国際大会は平凡に終わるはずだった。が、方峻煥はインドネシアのエディに俄には信じ難い敗戦を喫し、突然チャンスはまわってくる。しかしチャンスが来た!という力みは全くない、むしろおおはしゃぎの頂点がこのエディ戦で(インドネシアサイドの)いささかひんしゅくを買ったほど。

 

 国際大会の男子シングルスでは1995年以来、韓国が連勝中であった。しかしベスト4には台湾と日本がふたりづつという珍しい顔ぶれ(高川経生、菅野創世、林舜武、劉家綸)。やはりここでも恐いとおもったのは劉家綸であり、高川がそんな彼を破った時点で、日本の悲願である国際大会男子シングルス初優勝なるか?と誰もが考えた。しかし激戦の末優勝したのは林舜武。台湾男子としては、国際大会において初めてシングルスが採用された1992年のジャカルタにおけるアジア選手権で、廖南凱が勝って以来のシングルスタイトルとなった。

 余談だがなんとなく林舜武は廖南凱に似ている。フォアやサーブの何気ない仕種が廖南凱のそれと似ている。本人にそういったら嬉しそうに笑っていた。廖南凱となんらかの関わりがあったのかなかったのか確認していないが、母国の伝説的な英雄に憧れてまねたとしても不思議ではない。

 この時点でシングルスはルールが変わってようやく一年たったところであり、この無名の新人がいきなり勝ったことに驚いたものの、方峻煥という絶対的存在がこけたことに象徴されるようにまだまだ海のものとも山のものともわからないというのが実感であった。だからこのシングルスの結果もありうるという雰囲気であり、林舜武そのものを評価することはむずかしかった。

 しかし、最終日のダブルス(ペア李佳鴻)ここでの軽やかなテニスは印象的だった。特に菅野・小林を翻弄したフリースタイルともいうべき自由自在のテニスはこれからのあるべきテニスを示しているのではないか、とさえ思わせるものであった。端的にいえばダブルフォワードなのだけど、王俊彦・趙士城や金裁福・朴昌石とはまったく違う。もっと自由で柔らかいのである。極端なことをいえば、何も考えていないのではないかというような軽やかなさである。らくらく、ベスト4に入り、そこで王俊彦・趙士城に決勝進出を譲るかたちで彼のアジア選手権は終わった。最後まで浮かれっぱなしというムードはかわることがなく、私はこんなに楽しそうに国際大会を戦う選手をみたことがない。同じ台湾人でも王俊彦なんていまにも死にそうな顔をしてやっている。もちろんいい悪いの話しではない。

 翌2005年は予選で敗退し、国際大会への出場はならなかったが、彼にとっては、ある意味、それ以上に重要なイベントがあった。台湾全国運動会。いわゆる台湾国体である。この2年置きに開催される台湾のスポーツの祭典は、廖南凱に言わせると台湾でもっとも盛り上がる大会であり、また唯一つの賞金大会でもある。2005年の開催地は台湾中部の雲林県。ここは林舜武の地元なのである。地元国体の重要性は日本も台湾もかわらない。いや多額の賞金(スタッフにも)がかかった台湾のプレッシャーのほうがきついかも。当然、雲林県の協会も強化に力をいれ、女子はあの林・鄭(1998アジア五輪個人二位、1999世界選手権個人2位)をエースに、張芳慈、藍奕芸をそろえ、マカオ東アジア五輪の代表より強いといわれるほどだった。しかし男子は林舜武一人だけである。彼にかかったプレッシャーは想像以上だったようで、あのニコニコ顔が全くみられない。はなしかけても笑顔が引きつる(私は引きつる笑顔というのを初めてみた)。試合は正に孤軍奮闘。団体戦は3ダブルス2シングルスの以前の国際大会ルールで行なわれるが2ー3での敗退が続く。その2点はすべて林舜武が勝ったもの(このルールは一人二回出られる)。団体戦は予選リーグで敗退。ミックスは鄭とのペアで優勝の可能性があったが、周秋萍・劉家綸(台中)に初戦で敗退。シングルスでやっと三位に入ったにとまった(ダブルスは予選で敗退しておりこの大会にはでられない。予選といっても雲林県の予選ではない。台湾国体には全国規模の予選があり、その上位しか本大会にでられない。ちなみに揚勝發もダブルスにはでられなかった)。女子は団体、ダブルス(張芳慈・藍奕芸)に優勝し万々歳。まさに好対照。

雲林県の日本遠征を仲介した縁でその夜の祝賀ディナーに招待されたが男子は当然呼ばれていなかった!!

---->台湾全国運動会の様子はこちら

 さて今年は葉佳霖とのペアでになり、アジア五輪の予選に参加。第一代表決定戦にいきなり優勝してしまう。現在の台湾男子はきわめて充実していて、まず王俊彦・方同賢、揚勝發・李佳鴻、劉家綸・趙士城、林朝章らの名がまず上がる。とくに最初の2組の存在感は圧倒的だ。だから林朝章・葉佳霖が優勝したと聞いたときは心底驚いた。と同時にあの台湾国体での林舜武の苦しい顔をおもいだしたのである。

 私は第二代表決定戦を取材したが、すでに代表入りをきめていた林舜武も、きれいな彼女を伴って連日コートに姿をみせた。前日には王俊彦・方同賢の練習パートナーもつとめている。2週間前の予選でいったいどのようなテニスをしたのか聞きそびれたが、マカオ東アジア五輪個人戦ダブルス決勝で金メダルをあらそった王俊彦・方同賢、揚勝發・李佳鴻の世界最強二組を同時に押さえての優勝は価値が高い。しかも試合形式は双敗淘汰制である。この林がドーハのキーマンになる予感がしている。

台湾予選前日、王俊彦と練習する林舜武。予選がおこなわれたブーツーのテニスコートにおいて。林舜武はこの2週間前に行なわれた予選で代表入りを決めていたが王俊彦・方同賢のサポートのため現地入りしていた。
 

現在の世界のトップクラスでもっとも個性的なフォアハンドであろう。柔なテニス理論など粉々にしてしまう。このテイクバックである。ボールがバウンドしたときにようやくラケットを引き出すのである。下の連続写真であれば8コマ(右に引用)めにボールはバウンドしている。相手からのボールはシュートボール。独特の、いや異常なタイム感をもった選手なのだろう。これが彼の天才なのである。実際一緒に練習したことのある日本(代表)の選手に聞くと、乱打していてもタイミングが取りにくいとのこと。さもありなんである。

 引き方自体は典型的なサーキュラーモーション。台湾ではむしろ一般的なテイクバック法といえるかもしれない。グリップは薄めのセミウエスタン。これも台湾では一般的。人さし指の支えが強烈であり、不正確になりやすいスイングのなかで、フェースコントロールに貢献しているのではないか。

 これはゲーム中のクロスのラリー。かなり押されているが軸をしっかり保ち、打ち切っている。特に12〜16コマめが素晴らしい。スイングスピードも物凄いのひとこと。

 

(by TOSHI)
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