バックナンバー篇 501-600
By Eio Honma

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600. インターネットにおける行動と心理
A.N.ジョインソン (三浦麻子・畦地真太郎・田中敦 訳)
北大路書房 2004.2
★★★
 Adam N. Joinson, Understanding the psychology of internet behaviour: Virtual worlds, real lives (2003)の訳.原著題名の綴りから判るように,著者は英国人で,オープン・ユニヴァーシティ講師.心理学とインターネットとの関係の専門家.
 下の著作の漠然としたタイトルよりは具体的に内容が判る題名になっている,教科書のようなスタイルで書かれた(つまりそれほど判りやすくはない)社会心理学書.扱っている題材も下の本とダブるのでちょっと新味に欠けるのはしょうがない.著者は,インターネットを「媒介する道具」と考え,最初の方にヴィゴーツキーとかギブソンのアフォーダンスとか持ち出してくるのですが,それらはあまり活きてこないので読み進めるとちょっとがっかりします.やはり西洋人はアイデンティティにこだわりたいらしいので,その話題がたくさんでてきます.
 具体例と細かい研究については充分に載っているので,深く学びたい方には参考になるでしょう.

599. インターネットの心理学
パトリシア・ウォレス (川浦康至・貝塚泉 訳)
NTT出版 2001.9
★★★
 Patricia M. Wallace, The Psychology of the Internet (1999)の訳.
 あまり期待していなかったのですが,読んでみておもしろかったのでかなり印象がよいというパターンの著作.題名の通り,インターネットを利用する人の心理を,通常の心理学での知見やネットを絡めた実験による知見もあわせて論評するもの(つまり「インターネット」の心理学でも,エンジニアの心理学でもない).しかも,インターネットといっても,その中のチャットとオンラインゲーム(どちらも日本では今ひとつ流行ってない感じですが)が中心になります.日本に置き換えて論じるなら掲示板がメインの分析対象になるでしょう.
 ネットにおいて攻撃性が増したり,極端な意見をとりがちになる理由の説明などはおもしろいと思います.昨今流行のプチナショナリズムなんかは,まさにネット由来とおぼしきところがありますし.この辺の心理学的説明をおさえておくことが大事.
 日本のインターネットの心理学についてもまとまった著作があってもよさそうなのですが.
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598. インターネットの思想史
喜多千草
青土社 2003.3
★★★
 著者は現在,関西大学総合情報学部助教授.
 この著作は著者の博士論文の前半部分ということです.複雑なインターネットの起源を一元論的に(つまり,リックライダーの思想を実現したとか,バランの提案が元になっているとか)ではなく,重層的で複数の起源を持つことを示した著作.基本的に現代技術のできあがり方はそんなふうなものなのだと思います.思想史としては,何故そしていかにして,そのような複雑な歴史が単純なものにされてしまうのか,単純化に潜むイデオロギーとか政治性とかを明らかにしていくのがもっとおもしろいかもしれません.年表・組織表・地図があるべきでした.
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597. 科学コミュニケーション 生物学と社会の新しい関係づくり
遺伝』 2005年1月号 30-87頁
裳華房 2005.1
林衛・加藤和人・佐倉統 「なぜいま「科学コミュニケーション」なのか? 特集にあたって」
石渡正志・林衛 「生命科学の世紀における理科教育の創造に向けて 科学リテラシーから教育内容を捉えなおす」
工藤光子 「物づくりを通して生命科学を考える JT生命誌研究館における実践」
高田洋一・石村源生 「コラム:「アート」は「サイエンス」を救えるか? キーワードは「科学者にとっての自己表現」」
白楽ロックビル 「新聞と映画の中のバイオサイエンス 肯定度を科学量論的に評価する」
村松秀・井上智広 「テレビと科学コミュニケーション 科学番組制作の現場から」
林衛 「コラム:科学を語りあうことのおもしろさ 広がる「ゲノムひろば」スタイル」
上田昌文 「生活者による専門知の実践的活用に向けて」
岡橋毅 「コラム:科学と社会の幸せな関係を求めて 英国における「科学の公衆的理解」の転換期」
渡辺政隆 「科学コミュニケーション人材の養成に向けて」
インタビュー:
  「科学を社会全体の知的財産として表現できる科学コミュニケーターを」(浅島 誠)
  「イデオロギー化した生物学が科学至上主義に陥らないために」(西川伸一)
  「知識の羅列ではなく,明解な日本語で その意味するところを語ろう」(長谷川眞理子)

 科学コミュニケイションをテーマにした様々な立場の人による実践の報告と提言.このテーマに関しては,ここに出てくる人以外にもかなり多くの人がいっちょ噛んでやろうと発言しています.私も少々.
 私の考えによれば,理解とはコミュニケイションです.「わかってる」と言うだけでは「わかってる」かどうかは判らないのです.本当に,専門家同士も「わかってる」のでしょうかね.非専門家の方が王様の裸っぷりを正直に指摘できるのではないでしょうかね.
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596. 極端に短いインターネットの歴史
浜野保樹 (はまの・やすき)
晶文社 1997.10
★★★
 著者はメディア教育開発センター助教授(当時),現在は東京大学大学院新領域創成科学研究科教授.現在はコンテンツ産業,特に「東大でアニメを研究している」人.
 題名通り170ページ足らずでコンピュータの出現からWWWまでをまとめた「物語」.非常に読みやすく(技術的な内容には一切触れない),人間を中心に描いていておもしろい.どこから入ろうか迷っている超初心者には適しています.リックライダーという人物に焦点を当てたのは,この著作が日本では最初ではないでしょうか.
 年表も参考文献も備えていますが,なにせ10年前の本なので.
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595. アインシュタインと『フィジカルレビュー』誌の確執
ダニエル・ケネフィック (小玉英雄 訳)
パリティ』 2006年5月号, 11-20
 Daniel Kennefick, "Einstein versus the Physical Review", Physics Today, 58 (2005), n.9の訳.
 1936年,学術誌Physical Reviewにアメリカに移住したアインシュタインが論文を発表しようとしました.けれど,査読者にリジェクトされます.実は,その投稿論文(残っていない)で,アインシュタインは間違いを犯していたのでした.査読者はそのことを正確に指摘しました.しかし,アインシュタインはリジェクトされたことに怒り,査読者のリポートは読まずに,論文は別の雑誌に送りました.その雑誌(紀要なので無審査)には載ることが決まったのですが,校正の段階でアインシュタインは自らの誤りに気がついて内容を全て書き換えます.公表された論文はぎりぎりで正しいものになったのでした.著者は,アインシュタインの論文をリジェクトした査読者が誰か,またどのようにしてアインシュタインが自らの過ちに気づいたのか,について新証拠と共に論じます.それは歴史的な話.
 この話は「あの有名人アインシュタインすら厳正な査読によって結果的に不利益を避けることができた」美談,即ち学術誌のピアレヴュー制度がうまく機能した好例,というように思えます.けれども,実情はもう少しこみいっています.Physical Review誌は,それ以前に既に2つのアインシュタインの論文を載せていました.そのうち1つはアインシュタイン・ポドルスキー・ローゼンの共著論文,いわゆる量子力学に関する「EPRのパラドクス」の論文です.これらの論文は,リジェクトされた論文よりも「物議を醸す」性質だったのにもかかわらず,実は無審査で掲載されました.つまり,査読システムは厳密に適用されていなかったわけです.編集長ジョン・テイトの直観(というか独断)で査読に回されるかどうかは決まっていたようで,間違っているように思えたから査読されたということのようなのです.科学コミュニケイションについていくらか考えさせられる話です.
 結果的にアインシュタインとPhysical Reviewの名誉は保たれましたが,両者の仲は悪化して,以降アインシュタインはPhysical Reviewに論文を出さなくなってしまいました.
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594. 新記号論叢書[セミオトポス2] ケータイ研究の最前線
日本記号学会編
慶應義塾大学出版会 2005.12
★★★
 ケータイに関係して,技術者・哲学者・認知科学者からメディア論者までによる対談や論文を集めたもの.従来の経営者や社会学者やインチキな精神分析によるものとは一線を画す,ということのようです.いろいろあるので,お好きなものをどうぞ,ということ.私としては,モバイルとユビキタスの対立,テレビ電話が普及しない理由,電車内でのケータイ通話を不快に感じるわけ,についての話がおもしろいものでした.
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593. ケータイ進化論
小檜山賢二
NTT出版 2005.6
★★★
 著者は慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授.技術的なメディア論の専門家.
 もはや電話ではないケータイというメディアについてのサーヴェイ.このメディアについて割と新しいことを知りたいならば入門的に読むことができます.ただ,この分野は日進月歩なのでねえ.
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592. よみがえる天才アルキメデス 無限との闘い
斎藤憲
岩波書店 2006.3
★★★
 著者は大阪府立大学助教授.
 アルキメデスについて最新の資料を利用した判りやすい解説書.20世紀末に再発見され21世紀に入って最新技術を使用して復活が成った幻の著作『方法』(この著作のギリシャ語日本語対訳版は既に出版されていますが,その段階ではまだ読めなかった部分=ありがちなことだが,そういうところに重要なことが書いてある=も読めるようになりました)について,初めてまとまった,簡明な解説を施しています.数学史に関心がないとちょっと辛いですが,そういう方は前後にあるアルキメデスと数学史についてのエピソードを楽しみましょう.参考図書多数.
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591. 古いメディアが新しかった時 19世紀末社会と電気テクノロジー
キャロリン・マーヴィン (吉見俊哉・水越伸・伊藤昌亮 訳)
新曜社 2003.8
★★★★
 Carolyn Marvin, When old technologies were new: thinking about electric communication in the late nineteenth century (1988)の訳.
 19世紀の末,主にアメリカの電気技術者たちの読む専門的雑誌や一般啓蒙科学雑誌の記事から浮かび上がる電気テクノロジーと社会との関わりを論じたメディア論.原題(直訳すれば『古いテクノロジーが新しかった時:19世紀末の電気コミュニケイションについて考える』)と訳題に決定的な違いがありますが,読んでみると訳題の方がしっくり来る感じ.
 ともかく,おもしろい.電気技術の「専門家」を創り出す言説についての分析(第1章)は今日の科学コミュニケイション論の問題と同質のものですし,電話というメディアが既存の共同体に影響を与えるという話は20世紀末のインターネットで繰り返されることになります.後半で照明をメディアとして扱う話が出てきます.下の本などと繋げてみるとストーリィが作れそうです.
 科学技術史に限らずこの時代に関心のある人は読む必要があります.メディア論に関心ある人も必読.
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590. カルダーノ自伝 ルネサンス万能人の生涯
ジェローラモ・カルダーノ (清瀬卓・澤井繁男 訳)
平凡社ライブラリー 1995.4
★★★
 Gerolamo Cardano, De propria vita (1576)の訳.
 今,気がついたのですが,「ジェローラモGerolamo」と表記しています.これは,この翻訳の際に参照した或るイタリア語校訂版がそう書いているから.普通は「ジローラモGirolamo」と書きます.私もそうしてきました.ラテン語だとHieronymus Cardanus.
 ともかく,あまりにも有名な「ルネサンスの伝記」.基本的には自己弁明です.この版が出た時に読みましたが,あの頃はよく判らなかった.今読んでも,それほど判っているわけではありませんが.とにかく夢の話が多いのが印象的.自分の見た夢の話でここまで展開できる自伝もすごいですが,かなり前に見た夢を生涯の終わりになってまで憶えているというのもすごいことです.そういうところにうんざりしない人ならば丹念に読んでみてもいいでしょう.
 学術的に価値のある部分もちょっとだけあります.そこだけ拾って読んでも,多分誰も文句は言わないでしょう.
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589. 闇をひらく光 19世紀における照明の歴史
ヴォルフガング・シヴェルブシュ (小川さくえ 訳)
法政大学出版局 1988.3
★★★
 Wolfgang Schivelbusch, Lichtblicke: Zur Geschichte der künstlichen Helligkeit im 19. Jahrhundert (1983)の訳.
 19世紀西ヨーロッパでランプ・ガス灯・電気の光がどのような場面で使われたか(家庭内,街頭,サロン,劇場)に応じて,照明の文化史を論じる著作.
 街頭の照明が権力の象徴だったパリと,そうでなかったロンドンとの,街頭に対する民衆行動の違いがおもしろい.フランス革命時に「街頭に吊す」ことが流行ったのは,そのような象徴的意味があったからなのですね.
 自給自足であるランプと外部との接続を必要とするガス灯がもたらした家族の変化や,外と内の光を区別することに現れる近代的個人意識,というような話もおもしろい.
 この著作には,この後の時代を論じる続編のようなものがあります.
 註の訳しすぎで非常に不便.この点は続編では改良されます.
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588. 「白い光」のイノベーション ガス灯・電球・蛍光灯・発光ダイオード
宮原諄二 (みやはら・じゅんじ)
朝日選書 2005.12
★★★
 著者は東京理科大学専門職大学院総合科学技術経営研究科総合科学技術経営専攻(MOT)教授.専門職なのに総合って.ともかく,イノベーション論の専門家.
 著者は光に関する技術一般について記述する予定だったのが,「白」だけで長くなってしまったので1冊にまとめたのだそうです.炎(蝋燭からガス灯),電球,蛍光灯,そして発光ダイオードと太陽光のような白い光を出す技術の発明と,それらがもたらしたイノヴェイションを詳しく取り上げます.技術史・技術開発論について基礎的であり,私のような部外者にとっては非常に啓発的な議論を行ってくれています.「帆船効果」については,もともとの帆船の事情まで詳しく解説してあります(この本を手にとって最初に開いた頁に帆船の絵があって,不思議に思ったのです).
 ただ,光についての技術が人々に与えた影響に関する社会史・文化史的考察や思想的な考察はありません.そこまでもりこんだら大変なことになったかもしれないので,しょうがないか.
 僕個人としては,紙の出版物でURL書いてウェブサイトを参照させるのには抵抗があります.この著者はウィキペディアの一項目のURLも載せています(!).
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587. 発達心理学 ことばの獲得と教育
内田伸子
岩波書店 1999.3
★★★
 著者はお茶の水女子大学大学院教授にして同大学副学長.発達心理学・認知心理学が専門.
 これは教科書.教科書としてまとめて書かれていて読みやすくおもしろい.ちょっと古いのですが,しょうがない.数ある発達心理学教科書の中で,なぜこの著作を選んだかというと,放送大学での講義(乳幼児心理学)を視聴して,私の関心と合致するところがあったからです.
 著者は,創造的想像力の発達に関しては,ヴィゴーツキーを重視しています.さらに,言語の獲得に関してもヴィゴーツキー派の見解を参照し,現代の実験で示してくれるところも,部外者の私にとっては有益です.
 他人の研究の紹介ではなく,著者自身の見解を展開している点で,著者名のある教科書です.
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586. 0歳児がことばを獲得するとき 行動学からのアプローチ
正高信男
中公新書 1993.6
★★★
 著者は(当時)京都大学霊長類研究所助教授.現在は教授.この本の続きのような著作『子どもはことばをからだで覚える』(2001)は,かなり以前に読んでいます(地獄の読書録074).あの頃は,これほど発達心理学にはまることになろうとは思ってもいなかったなあ.
 誕生2週間後から,赤ちゃんが外界(主に母親)とどのように相互作用して「ことば」の獲得の準備を行っているか,ということを分析し,さらにサルとの比較研究までしている割には,厚みが薄目の新書になっています.読みやすくておもしろい.音自体(マとかバとか)よりも声調やメロディの方が言語獲得の際に先行して真似られる,という主張は,この後の著作でより展開されます.生後2週間にして母親とコミュニケイトする能力やら,赤ちゃんの音声とかわいらしさの関係,その文化による差異,というあたりが興味深い話でした.
 新書のタイトルはこういうふうに内容を表現するべきです.
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585. 文化的-歴史的精神発達の理論
ヴィゴツキー (柴田義松 監訳)
学文社 2005.9
★★★
 Л.С.Выготский,История развития высших психических функций (1930-31)の訳.訳は全集版第3巻から.全訳ではなく,「算数操作の発達」「記憶と記憶術機能の発達」の2章が訳されていません.以前出版されていた『精神発達の理論』(明治図書 1970)は,この書の前半のみの訳.
 出版されずに草稿のままに留まっていたものがロシア語全集版で初めて公開されました.草稿のまま,ということだけあって,後半部分は叙述が不充分だったり繰り返しがあったりします.基本的には前半部分は,以前読んだ「心理学の危機」の分析を応用して方法論を検討し(この部分はよく書けている),後半はこれまでの自身の発達心理学研究とおなじみの研究者たちの批判的紹介を含めて「高次機能」(言語・記憶・注意・意志)を考察していきます.ここが不充分なわけです.なので,これだけを読むと最終的に満足できません.後に続く著作を読んでから振り返る,というのが妥当な読み方なのかもしれません.
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584. 赤ちゃんの手とまなざし ことばを生みだす進化の道すじ
竹下秀子
岩波書店 2001.3
★★★
 著者は滋賀県立大学助教授.発達心理学が専門.特に類人猿の幼児とヒトの幼児との比較研究が『心とことばの初期発達』(東京大学出版会 1999.12)として出版されています.この著作は,その内容と,それ以降の研究を一般向けに読みやすくしたもの.
 人間の研究というよりは類人猿の研究の方に重きを置いています.そのために,題名から期待するような「赤ちゃん」ばかりの話ではありません.まあ,比較心理学的研究ということで.ヴィゴツキーが言うには,人間の研究をして初めてサルのことが判るのだそうですが.
 ヒトの赤ちゃんは母親にしがみつけない(母親にしがみつけるほどの体毛がない)ことが,仰向けで寝るという姿勢を生み出し,それが手の自由と母親との対面(しがみついていると顔は見えない)=表情・視線を結果した,という話.百頁強の小冊子ですが,判りやすく著者の研究をまとめていて,入門書としては充分です.
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583. 赤ん坊から見た世界 言語以前の光景
無藤隆
講談社現代新書 1994.5
★★★
 著者は当時,お茶の水女子大学教授.現在は白梅学園短期大学学長(この短期大学の教官がNHK教育の『できるかな』に協力していたので,役目を終えたゴン太くん本物がこの学校にいる).発達心理学の専門家.
 出生直後から言語を獲得するまでの乳幼児の「能力」について,当時最新の研究に基づいてわかりやすく解説したもの.おもしろい.私の関心を惹いたのが指さしによるコミュニケイション(この問題は下の本でも扱われている)とイメージ発生の部分でした.「指さし」の議論から判ることは,「何であるか」ということを社会的に確認する仕組みが既に乳児の段階で存在する,ということです.「何であるか」を知るために,〈わかる〉ことが開かれていなければならない,というのは私にとって興味深いことです.
 こういう新書にしては欧語の文献も挙げていて親切.最近,この分野に関心を持ち始めた私にとっては非常に良い入門書だったのですが,干支一回り前の本ということなので,★1つ分下げています.部外者はなかなかup to dateな情報に触れにくい.
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582. 思春期の心理学
ヴィゴツキー (柴田義松・森岡修一・中村和夫 訳)
新読書社 2004.1
★★★★
 Л.С.Выготский,Педопогия подростка (1928-31)の訳.訳は全集版第4巻から.訳の第2章の一部が『言語と思考』と重複するために,全集版で重複部分がカットされており,訳もそれに従っています.また,全集との章の順番も変わっています.
 題名を一見すると,発達心理学の一部分についてなのかな,と思われますが,実際はヴィゴーツキーの思想のかなり重要な部分を述べた著作.これがソヴィエトの通信教育のテクストだったというのですから,レヴルが高かったのですねえ.
 思春期に性的成熟と共に人間の高次精神機能が発達する,その仕組みを論じています.基本的な主張は,幼児期の思考や精神的機能がそのまま機械的に増大することで高次精神機能が現れるのではなく,機能間のシステムが大きく変更され,高次機能を統括するシステムができる,という感じ.幼児期の機能は失われるのではなく,高次なシステムに組み込まれて存続するが,従属的な機能に留まります.歴史的変化というのもこのような見方をすべきなのだと思います.
 ただ,あくまでも思春期の発達の話であって,どれほど誘惑があってもそれを無闇に拡張すべきではないし,拡張するなら自己責任で(ヴィゴーツキーに依存するのではなく).
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581. 韓国 ES細胞ねつ造事件の全貌 発表論文からみた黄教授の不正行為
山崎茂明
化学』61(2006)n.4, 16-21
 昨年末科学世界を震撼させた事件を論文発表という観点から分析したもの.これによると,黄(Hwang)元教授の業績のほとんどはマイナーでIF(インパクト・ファクター)の低い商業学術雑誌(学会の専用雑誌のようなものではない学術雑誌)に発表され,一流の雑誌に載ったものは3本(そのうちScienceの2本は捏造のため撤回)しかなかったり,いくつかの「学術的成果」は論文として発表されていない(!)とか,露骨なギフトオーサー(論文作成に関わらなかった人物も「著者」に入れることで,その人の業績を見かけ上増やす「贈り物」で,同時に口封じにも使われた)など,論文作法上の不正行為が後から見ると判るのだそうです.
 著者は,このような不正行為が起こらないような規制の必要性を認めますが,充分に検討すべきだとも考えています.
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580. ラテン語の世界 ローマが残した無限の遺産
小林標 (こばやし・こずえ)
中公新書 2006.2
★★★
 著者は大阪市立大学教授.ラテン語の専門家.
 ラテン語の文法とかについて詳説するのではなく,ラテン語の成り立ちと推移,古典ラテン文学,語源の豆知識などを豊富に含んだおもしろい読み物.ラテン語に関する超入門書で,ちょっと関心がある人は読んでみてください.言語史や比較言語学に関心のある人にも興味深いかも.それと,現在もラテン語で詩を書いている人がいる,というのも意外な感じ.
 著者が特に強調するのが,ラテン語の優れた能力である規則性・造語力で,これこそが「無限の遺産」なわけです.確かに,ギリシャ語やサンスクリット語がヨーロッパの共通語にならなかったことにはホッとするところがあります.この両者に比べればラテン語は楽ですからね.
 「ギリシャの暴虐」へのラテンのリヴェンジなのか,最近ラテン語物が目に付きます.キケロ選集やセネカ著作集,ウェルギリウスの新訳,去年は古典ラテン語の大辞典(高くて誰も買えない)が出たし.だからといって,私のような近世ラテン語読みは増えないだろうな(希少種).
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579. ヴィゴツキー著作選集2 人間行動の発達過程 猿・原始人・子ども
ヴィゴツキー+ルリヤ (大井清吉・渡辺健治 監訳)
明治図書 1987.10
★★★
 Л.С.Выготский и А.Р.Лурия,Зтюды по истории поведения: обезьяна・примитив・ребенок (1930)の訳.
 副題の訳が正しくなくて,「類人猿・原始人・子ども」が正しい.第1章が類人猿,第2章が原始人,第3章が子どもを扱っています.この第1章と第2章がヴィゴーツキー,第3章をルリヤが書いています.
 ヴィゴーツキーの部分は,先行研究のまとめとそれについての評論がはさまれているという感じで,他の著作でも語られているようなことばかりです.というか,子どもとの比較研究のために読んだ類人猿や「原始人」の先行研究のノートをまとめた感じ.ヴィゴーツキー思想の発展を理解するためには重要な文献ですが,今日の研究レヴルから考えて内容を鵜呑みにするべきではないでしょう.ルリヤの第3章の方が今日でも通用する重要性を持っていると思われます.
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578. 子どもによる道具と記号(言葉)操作の発達
ヴィゴツキー (土井捷三・神谷栄司 訳)
新児童心理学講義』新読書社 2002.5 所収
子どもによる道具と記号操作の発達 第2章
ヴィゴツキー (土井捷三・神谷栄司 訳)
ヴィゴツキー学』2003, 4: 25-34
子どもによる道具と記号操作の発達 第5章
ヴィゴツキー (土井捷三・神谷栄司 訳)
ヴィゴツキー学』2003, 4: 35-38
★★★
 Л.С.Выготский,Орудие и знак в развитии ребенка (1930)の訳.
 翻訳の構成がちょっと面倒.『新児童心理学講義』という著作の後半部分が「子どもによる道具と記号(言葉)操作の発達」となっているのですが,これが抄訳.原書全6章構成の第2章と第5章だけが翻訳されず,それを飛ばして章番号が続いています,即ち原書第3章が翻訳第2章,原書第4章が翻訳第3章,原書第6章が翻訳第4章,という対応です.訳書出版の後,飛ばされた章が『ヴィゴツキー学』誌に原書のままの章番号で訳されました.原文通りに続けて読みたい場合は,本とコピーを両手にして読み進めねばならないわけです.不便なり.
 内容は動物心理学と人間発達心理学との比較から,動物と人間の「道具」使用の類似と相違を明らかにして,人間固有の高次機能の発達は記号,特に言語の道具的使用(外部とのコミュニケイションのための言語)が内的に使用され思考を制御するようになることだ,と主張するもの.高次機能発達と言語との関係についてのヴィゴツキーの主張を比較的長く論じたものです.
 ヴィゴツキーは,実験している,と言うのですが,具体的デイタが示されていないので,ほんとかな,と思わせるところもあります.デイタ部分は他のところに載っているのか,それとも,当時はあまり厳密でなかったのか.実験デイタに基づいている,ということがヴィゴツキーの主張の根拠なのですから,そこがはっきりしないと,哲学者の思弁と違いないことになってしまうのですがねえ.
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577. 子どもの想像力と創造
ヴィゴツキー (広瀬信雄 訳)
新読書社 2002.7
★★★★
 Л.С.Выготский,Воображение и творчество в детском возрасте (1930)の訳.
 前半はフランスの心理学者Théodule Armand Ribot (1839-1916)の研究(題名は挙げられていないのですが,恐らくEssai sur l'imagination créatrice (1900)でしょう)を参照にしながら,子供の想像力と創造性との関連について論じて(リボーは恐らく子供に限定した話を展開しているのではない),後半では,実際に子供の文学・演劇・絵画を分析する,という構成.
 150頁ほどの小著ですが,多くの他の研究者の引用と言及(トルストイも出てくる)がかなりあります.このことは,ヴィゴツキーが決して孤立した天才であったわけではないことを示しています.特に,リボーの影響は大きかったようです.しかし,リボーについて私は全く知らないので,ヴィゴツキーにどれほど独自性があるのか評価できません.
 以前の読書で,この著作の内容については大体の知識を持っていましたが,読んでみてすっかり納得.自分の考えが正しい方向に向かっているのだ,ということを再認させてもらいました.
 ちなみに,リボーの著作はGallicaからダウンロードできます.
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576. 子どもの文化的発達の問題
ヴィゴーツキー (中村和夫 訳)
心理科学』 12(1990)n.2, 24-34
 Л.С.Выготский,“Проблем культурного развития ребёнка”(1928)の訳.
 子供の発達についてのヴィゴーツキーの基本的考えが凝縮されている論文.思考の発展とコトバの発展とが別々の2系統であること,記憶の例によって発達の4段階を示し,そこに思考とコトバの関わりの発展を見ること,それが「内化」(←この言葉は使わないが)というものであること,を示します.人間が道具を使って対象を制御するのとアナロジーで,人間がコトバ(シンボルも含む)を使って自分自身(の思考)を制御するようになる,というわけです.
 道具とコトバはあくまでアナロジーであり,違いもあることはヴィゴーツキーも理解していました.
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575. ヴィゴツキー著作選集1 心理学の危機 歴史的意味と方法論の研究
ヴィゴツキー (柴田義松・藤本卓・森岡修一 訳)
明治図書 1987.9
★★★
 1982年から当時のソヴィエトでヴィゴツキー全集が出始めたのを受けて,日本でも選集を出そうとしたのでしょう.2冊で終わり.しかも現在入手困難.
 この第1巻はヴィゴツキー初期の方法論的著作にレオンチェフによる解説が翻訳されています.
「心理学における道具主義的方法」“Инструментальный метод в психолоии”:1930年に行われた報告の草稿のようなもの.24の命題で構成されていて,私の専門の医学文献を思わせます.ヴィゴツキーの心理学の基本的方法が書かれているもので,入門として良いものかもしれません.道具主義,というのは,人間が道具を使って自然に関与するのとのアナロジーとして人間は刺激と反応の間に記号(言語など)を介在させる,という主張.活動理論に似ているが,それとは明らかに違う主張をしている,というのが下の中村の主張です.
「行動の心理学の問題としての意識」“Сознание как проблема психолоии поведения”:1925年に出版された論文.次の長い議論の縮約版.
「心理学の危機の歴史的意味 方法論的研究」“Исторический смысл психологического кризиса”:1927年には完成していた未発表の草稿 .これが難しい.ですが,非常に重要な多くの指摘が含まれています.今,私がこの論文を消化できないでいることが残念です.心理学の話をしているのですが,一般的な学問論としても読める(そう誘惑される)刺激的な論考です.80年前の論文ですが,後の様々な議論を先取りしていることも驚きです.ヴィゴツキー初期の論考なわけですが,これを読みこなせれば,ヴィゴツキーの本質が判るような気がします.励め.
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574. 反射学的研究と心理学的研究の方法論
ヴィゴーツキー (中村和夫 訳)
心理科学』 8(1985)n.2, 30-44
 Л.С.Выготский,”Методика рефлексологического и психологического исследования”(1926)の訳.キリル文字は全角なので単語の途中で改行することを許せ.
 1924年に学会で発表された講演を論文にしたもの.この発表が目に留まってヴィゴーツキーが世に知られるようになったという出世作.実に,初期ヴィゴーツキーは心理学の方法論という極めて抽象的なテーマを扱っています.この後,徐々に具体的な問題へと関心を移していくことになるわけです.
 反射学(パーヴロフなんかの理論)と心理学(こちらは何を具体的に指しているのかは不明ですが,意識を問題とするので主観的心理学かもしれません)との関係について論じたもの.反射学が意識の問題を扱おうとしないことで行き詰まりつつあることを指摘し,意識を反射の反射,思考を音声を伴わない中断された反射と理解することで,新しい展望を開こうという若々しい意欲を見せる論文になっています.
 今日の我々から見ると,この対立は脳科学と伝統的心理学との対立に類似しているようです.心理学が脳科学に還元されるのか,棲み分けて二元論に落ち着くか.ヴィゴーツキーは,一方的な還元も二元論も認めずに,統合する方向を目指しているようなのですが,それはまた後の話.
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573. ファインマンレクチャーはいかにしてつくられたか
マシュー・サンズ (大貫昌子 訳)
パリティ』 21(2006) n.02, 19-28
 Matthew Sands, "Capturing the wisdom of Feynman", Physics Today, 58(2005), n.4の訳.
 日本語訳では5巻本になっている『ファインマン物理学』(岩波書店)の原書が2005年に増補改訂されて出版されました.この論文は,『ファインマン物理学』を「世に出した物理学者3人のうちただ1人残った」サンズによる,出版秘話.ほとんど記憶によって書かれているものですが,当時の状況の証言としては貴重なものです.
 たとえ全部を理解できなくても,一流の学者が最先端の話をしてくれたことに良い効果がなかったことはないでしょう.教育に結びつかない学問は無意味であり,学問のない教育は無益なのですよ.
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572. ギリシア文化の伝播と受容
歴史学研究』2005年10月増刊号n.807, pp. 146-184, 191
庄司大亮「古代ギリシア像と「神話」をめぐる精神史」
竹部隆昌「10世紀の西方とビザンツ文化」
高橋英海「古代ギリシア哲学・科学のシリア語世界における受容」
熊倉庸介「クレモナのゲラルドゥスとアリストテレス」
高田康成「コメント」
合同部会討論要旨

 歴史学研究会で行われた合同部会の報告書.といってもちょっとした論文ほどの情報はあります.久しぶりに中世ものです.
 古代ギリシャにおけるミュートスとロゴスの問題を西洋思想史の「捏造」として批判する庄司論文,ギリシャ→アラビアの間にシリア語の世界があった(と昔よく伊東俊太郎先生が言っていた)ことを具体的に論じる高橋論文,トレドでのゲラルドゥスの翻訳活動を残っている翻訳目録(著者が和訳している)を基に分析した熊倉論文が,私にとっては興味深いものでした.特に熊倉論文に書かれていた,トレドでの翻訳がいわば「外注」されたものであった(パリなどでの需要に応じていた)というのは私には新鮮な指摘でした.
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571. ヴィゴーツキー心理学完全読本
中村和夫
新読書社 2004.12
★★★
 著者は下と同一人物.
 100ページ弱の薄さと題名からして入門書のような感じを受けますが,全然違います.著者の研究論文を2本収めたもので,内容はかなり専門的です.下の著作の延長線上にあるので,下を読んでから読みましょう.
 第一の論文は,ヴィゴーツキーの有名なZPDこと「発達の最近接領域」について.この結構定着している翻訳が実は正しくなく「次に続く発達の領域」あるいは「最近接発達の領域」とするのが正しい,と著者は言います.確かに英語訳はZone of Proximal Developmentだから,「最近接発達の領域」ですね.この分野は主に教育に関するところなので,私の関心からは少々はずれます.
 第二の論文は,ヴィゴーツキーの「内言」を扱うもの.ヴィゴーツキーの意味論ですね.著者は,ヴィゴーツキーの書かれざる意味論を構想し,イメージがキイになると考えます.私にとっては非常に興味深い論文でした.
 著者の考えるイメージ論の古さがちょっと残念.
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570. ヴィゴーツキーの発達論 文化‐歴史的理論の形成と展開
中村和夫
東京大学出版会 1998.1
★★★★
 著者(1948-)は東京水産大学教授(この著作の出版当時),現在は神戸大学大学院総合人間科学研究科教授.同姓同名の学者が多数いるのでご注意あれ.
 恐らく日本語で書かれた唯一のヴィゴーツキー自身についての研究書(ロシア語の発音を正確に表記するとアクセント部分を長めに発音するのでヴィゴーツキーの方がいいみたいなので,この項では音引きを入れます).きちんとロシア語の原文を読んでのヴィゴーツキーの内的な研究という姿勢は,非常に好感が持てます.
 基本的には,ヴィゴーツキー自身の思想的展開に沿った解説の第I部と,様々なヴィゴーツキー批判や解釈に対する評価の第II部で構成されています.予備知識がほとんど無く取り組んだので,私は結構苦労しました.私にとってポイントとなったところは後半,特に活動理論とヴィゴーツキー理論との違いを著者が鮮明にしている部分でした.私自身もそのあたりを混同していたところがあったからです.特に,状況論的アプローチでのアーティファクト(人工物)概念に対する著者とヴィゴーツキーの批判には納得.
 研究論文を集めたものなので初心者が読むには辛いのですが,いきなりヴィゴーツキーの著作に突入する前には読んでおきたい著作です.
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569. ヴィゴツキーの生涯
A.A. レオンチェフ (菅田洋一郎 監訳;広瀬信雄 訳)
新読書社 2003.7
★★★
 А.А.Леонтьев,Л.С.Выготский (1990)の訳に,著者からの日本語版への序文を加えたもの.著者は心理学者で,その父親はヴィゴツキーの弟子でもあった心理学者.
 学生向けに書かれたヴィゴツキーの伝記.といっても,常識のレヴルが異なるのか,心理学について一定の知識がないとよく理解できません.ということで,これからヴィゴツキーを理解しようとするのは難しい.ヴィゴツキーの思想的展開を追って説明してくれているのでおもしろく読めますが.
 訳はあまり良くない.註を脚註型にしたのは良いのですが,全て文献註(引用の出典)なので,そこを日本語に訳す必要はなかったのです.どうせ原書まで辿って読もうと思う人間はロシア語が判るはずですから原文のままにしておいて欲しかった.きちんと読むためにはロシア語が判らないとだめなのだな(私は現在ロシア語が読めない).
 ヴィゴツキーを評して「心理学のモーツァルト」と言ったのはトゥールミンだったのですねぇ.
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568. はじめて学ぶヴィゴツキー心理学 その生き方と子ども研究
明神もと子 編著
新読書社 2003.4
★★★
 編著者は北海道教育大学教授.幼児心理学が専門.
 複数の著者によるヴィゴツキー心理学の解説.具体例に則してヴィゴツキー理論を紹介する第1部「ヴィゴツキーに学ぶ」,ヴィゴツキーの生涯と障害者教育・「発達の最近接領域」を簡単に紹介する第2部「ヴィゴツキーを知る」で構成されています.第2部が普通の解説書のような話で充分に役立ちますが,第1部の方がおもしろい.
 ヴィゴツキーのさわりのさわり,といったくらいの話ですが,入門書として,さらなる読書を招くという点で第1部は成功していると思います.子供と想像力.想像というのは,やはり重要なのなだな,と再確認.
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567. 環境保護主義の時代 アメリカにおける環境思想の系譜
J. E. ド・スタイガー (新田功・藏本忍・森本正之 訳)
多賀出版 2001.6
★★★
 J. E. de Steiguer, The age of enviromentalism (1997)の訳.
 ノースカロライナ州立大学の森林学準教授(当時).環境思想史などの専門家.
 副題で解るように,1960年代から70年代初頭のアメリカの環境思想を追った著作.人物で言うと,レイチェル・カーソンに始まり,アルネ・ネス(アメリカ人ではないがアメリカに大きな影響を与えたということで)で締めます.著者によれば,以前の自然保護運動からこの時代は非常に悲観的な環境論が生まれた,と言います.しかし,ブームのような形で過ぎ去りました.その理由として著者は,大衆が悲観論に飽きたことと政府が環境問題に取り組むようになったこと,を挙げています.皮肉な話ですが,政府が環境保護に熱心でなくなるとまた,市民運動としての環境保護が盛り上がる,というのだそうです.
 読みやすく参考文献も多い教科書のような著作.下の本と合わせて読むと理解しやすいです.
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566. ES細胞 万能細胞への夢と禁忌
大朏博善
文春新書 2000.5
★★★
 著者は科学系のライター.
 韓国のファン教授によるヒトクローンES細胞に関する捏造事件が話題なので.他に入門的な類書があまりない.これは20世紀末の著作なので古いのはしょうがないのですが,基本的な部分に関しては役立ちます.
 この著作が出た段階では,まだヒトES細胞が創り出された(1998年のこと)だけでした.著者は,この技術と,ドリーを創ったクローン技術(1997年のこと)を組み合わせれば,ヒトのクローンES細胞を創ることができて,それは臓器移植などの医療に革命を惹き起こすぞ,と注意しています.
 米国は既に取りかかっている,日本も乗り遅れるな,というのが著者の主張なのですが,それはともかく,2000年の時点で誰もが「ヒトクローンES細胞ができることは時間の問題だ」と思っていたことが解ります.予測にぴたりとはまるようなインチキが生まれてしまったわけだったのです.構造はピルトダウン人の時と同じということになります(類人猿と現生人類のミッシングリンクとしてピルトダウン人は受け入れられた).
 「日本が世界に誇る」RNA研究の方でも,日本人研究者の捏造問題が持ち上がっています.なぜか日本で目立った報道はされませんが.自国の「不祥事」を正々堂々と取り上げるのが健康で理性的なマスコミでしょう.

 ESとはEmbryonic Stemの略.胚性幹細胞というのが定訳.
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565. アメリカの環境保護運動
岡島成行
岩波新書 1990.10
★★★
 著者は読売新聞記者・解説部次長(執筆当時)を経て,現在は大妻女子大教授.環境史の専門家.
 1990年までのアメリカにおける環境保護運動史を簡潔にまとめた著作.参考文献も豊富で非常に有用です.ただ,環境思想ではなく,環境保護運動,しかも中産階級市民運動的なものだけを取り上げているので,一面的といえば一面的.それを頭に入れて読みましょう.
 「アメリカに倣って日本でも」という意図のために若干アメリカを持ち上げすぎな気がします.
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564. 沈黙の春
レイチェル・カーソン(青樹簗一 訳)
新潮文庫 1974.2/1992.5
★★★★
 Rachel Carson, Silent spring (1962)の訳.
 言わずと知れた古典.この本を今まで読まなかった自分の不明さを恥じましょう.でも,読んだから.
 20世紀の悲しき古典.20世紀の著作なのでつい歴史的な読みをしなくなってしまいがちなのですが,歴史的な古典として読むべきでしょう.主張を立証するための綿密な証拠集めと論証,そしてレトリック.百年前に出たダーウィンの『種の起源』に匹敵する,とは良く言ったものです.
 原書にあった50ページに及ぶ文献表はもちろん翻訳されていません.まあ,原書を読めってことでしょう.
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563. 視覚世界の謎に迫る 脳と視覚の実験心理学
山口真美
講談社ブルーバックス 2005.11
★★★
 著者は中央大学助教授で心理学,特に乳児の視覚についての専門家.
 「視覚」の持つ不思議について,様々な障害者と乳児の実験から探っている研究についてわかりやすく紹介する著作.非常に興味深い.人間が「見る」時には2つのレヴル,大脳皮質に繋がる視覚レヴル(我々が普通に思う視覚)と皮質下に繋がり意識に登る前に反応が可能になる(いわゆる無意識の反射というやつだ)視覚レヴルがあるのだそうです.知らなかった.
 著作は視覚認識の発展順を追って説明をしていきます.「見る」というのが目玉の問題だけではない,ということがわかります.
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562. 「わかる」ということの意味 [新版]
佐伯胖
岩波書店 1995.9
★★★
 1983年に出版された本の新版.旧版の方は読んでいました.新版では第III部が大幅に書き換えられ,状況論的アプローチの見解が大幅に取り入れられています.
 レイヴの日常知の観察でも,実際は〈意図的に誰かにやり方を教える〉ことによって被験者の日常知が明らかになっている点が重要です.少女ミリアムの場合も,大人との対話によって数の計算を「わかる」ことになります.状況に依存した知識なのですが,それを他者に伝えようとする時に,何か大きな変化が起こるわけです.ここを押さえることが大事.
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561. 対話の中の学びと成長
佐藤公治
金子書房 1999.12
★★★
 同じ著者の本は下で読みました
 対話を主題としてより理論的な考察を行った著作.対話・コミュニケイション・他者に関する心理学・社会学・文学理論までも巻き込んだ論考ですが,教育に資するという著者の目的は失われていません.読みに関する著者の考えについては,私にとっても重要なものがあります.
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560. イメージと科学教育
平林浩+津田道夫
績文堂出版 2005.2
★★★
 著者のうち平林浩(1934-,間違えないように)は元は小学校の理科の先生だったようです.もう1人の津田道夫は歴史や教育について幅広い著作のある著作家.
 著者名が2つありますが,共著ではなく,前半を平林が,後半を津田が書いています.テーマも文体も全く異なるのですが,「イメージ」という問題で共通点があるものが書かれています(もちろん,著者たちが同じ志を持つ友人でもあるようです).津田はイメージの問題を抽象的に論じたもので私の関心からははずれます.
 おもしろいのは平林の描く第I部「イメージがなければ考えられない」.タイトルの『イメージと科学教育』から期待される内容はこちらになります.著者は仮説実験授業によって理科を子供に(時には大人にも)教え,その際の発言(プロトコル)を記録した膨大な資料を持ち,その中から,科学の基本概念や法則を理解するためにはイメージが必要であり,そのイメージが子供同士の討論(予想を立てて,その予想について討論を行うのが仮説実験授業の特徴)を通じて明確化・時には変化して理解を深めていることを明らかにします.ヴィゴツキーをバフチンで補おうとするワーチが注目するわけだ.私にとっても鉱脈がここにありました.
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559. 畑村式「わかる」技術
畑村洋太郎
講談社現代新書 2005.10
★★★★
 著者は失敗学の先生.
 「わかる」ということについて極めて具体的かつ明快に論じた著作.基本的に,「わかりたい」と思うことについて適正なモデルを作ることが「わかる」ということになるのですが,そのモデルを確定する前に「試動」する,というのがいかにも工学者の発想で良いです.良い教授法についての見解も参考になります.
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558. 「わかる」とはどういうことか 認識の脳科学
山鳥重
ちくま新書 2002.4
★★★
 著者は東北大学教授(当時),現在は神戸学院大学教授.医学博士で,脳機能障害についての研究が専門.
 非常にやさしい語りで「わかる」ことの分類を行っています.それは便利.ただ,著者の専門である脳の障害からの知見や副題の「脳科学」的なアプローチはほとんどありません.そこが残念.
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557. 認知心理学からみた読みの世界 対話と協同的学習をめざして
佐藤公治
北大路書房 1996.10
★★★★
 著者は北海道大学教育学部助教授(当時),現在は北海道大学大学院教育学研究科教授.同姓同名の政治家がいますが,全くの別人(政治家の方は「こうじ」,この著者は「きみはる」)
 著者はワーチの著作を翻訳していて,ワーチの見解を取り入れた教育心理学を探求しています.即ち,ヴィゴツキーにバフチンの対話理論を加えた方法です.この著作は,小学生の読み方の学習を巡って,理論的考察と具体的な事例を挙げて論じます.前半と後半に分かれ,前半が理論,後半が「ごんぎつね」の読解に関する事例研究となります.後半は教育系の人には気になるでしょうが,とりあえず略.
 私にとって重要だったのは第2章から第4章までの理論編でした.状況論的アプローチとヴィゴツキー・バフチンの社会構成主義による読書論というのは今の私の関心にぴったりでした.教育に資するという著者の目的のために,文学を読んで理解することが話の中心ですが,科学理論の理解に関しても応用が可能かどうかは検討する価値があります.
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556. エコロジー 起源とその展開
アンナ・ブラムウェル (金子務 監訳/森脇靖子・大槻有紀子 訳)
河出書房新社 1992.9
★★★
 Anna Bramwell, Ecology in the 20th century: A history (1989)の訳.
 生態学の歴史ではなく,政治的エコロジー思想の歴史.著者がイギリス人なのでイギリスとドイツの話が中心です.「エコロジー」という言葉の生みの親エルンスト・ヘッケルが,言葉だけでなく後のエコロジー思想に繋がる重要人物である指摘からはじまり,ほとんど私の知らない人々がページ毎に登場し(調べた訳者たちは大変だったと思われる),私にはよく判らない基準の常識で扱われていきます.いちいちつきあうとうんざりするので,関心のあるところを拾い読みましょう.ナチスとドイツ・エコロジーの関わりを論じた第3部はおもしろい.エコロジー運動のいかがわしい側面が判ります.
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555. Nature Medicine論文ねつ造の背景を考える
山崎茂明
化学』n.60-12(2005), 36-39
 著者の科学の不正行為についての著作は以前読みました.
 先日の大阪大学の学生(共著が他に13人いるが,筆頭著者が主要な研究者であった)が犯したデータ捏造による論文撤回問題について,過去の捏造事件とからめ,論じたもの.「阪大医学生」として著名だった(このタイトルシリーズの本が数冊あり,アマゾンでは古本価格1円!というものもある)人物が,実験データを捏造して(実験の再現すら不可能であった)論文を執筆,共著者からコレスポンデンス・オーサーまでが気がつかなかった,という事件.2004年10月に論文が発表され,2005年6月に正式に撤回されています.この事件は,マスコミでもかなり大きく報道されました.まだ最終的な処分は決定していないようですが,このような結果に至らしめた原因は成果主義・競争主義に加えて旧弊な講座主義(思えば,『白い巨塔』の舞台も阪大だった)もあったようです.短い記事ですが,参考のために.
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554. 共視論 母子像の心理学
北山修 編
講談社選書メチエ 2005.10
★★★
 編者は元フォーク・クルセイダース(俗謡十字軍),今は九州大学大学院教授で精神分析の専門家.
 きっかけは,編者が浮世絵の中に多くの母子像を見出し,その親子関係に興味を持ったことから始まります.母子の位置関係と,特に両者の視線が研究の対象になりました.浮世絵の母子像の多くが「親子が見つめ合う」構図ではなく,「親子が共に何かを見る=共視する」構図だったからです.このことを,編者が精神分析を中心に総論的に,田中優子が文化史的に,やまだようこと遠藤利彦が異なる観点から発達心理学的に,三浦佳世が知覚心理学的に,山口裕幸が社会心理学的に,黒木俊秀が精神病理学的に,中村俊哉が汎アジアの育児文化との比較で論じていきます.様々な見方を得ることができるのが有益.私は特に発達心理学的な研究に興味を惹かれました.
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553. 進化論裁判 モンキー・ビジネス
ナイルズ・エルドリッジ (渡辺政隆 訳)
平河出版社 1991.12
★★★
 Niles Eldredge, The monkey buisiness (1982)の訳.
 著者は当時アメリカ自然誌博物館無脊椎動物部部長.スティーヴン・J.グールドと共に進化の断続平衡説を唱えた古生物学者です.その断続平衡説(これもダーウィンの流れを汲む進化学の一派だ)が,主流の進化学を批判したことで,反進化主義者に悪用されてしまいました.けれど,あくまでも著者たちの立場は進化学内部での学術的論争であり,反進化主義者=創造論者からの攻撃には反論しなければならないわけです.それがこの著作.創造論への反論を展開しているわけです.なので,そもそも創造論が理解できない日本人にはあまりおもしろい著作ではありません.
 邦題も良くない.進化論裁判といえば,有名なスコープス裁判のことを思い出すし,それについての詳しい解説なのかと思ってしまいます.でも,それについてはほとんど語られず,訳者が解説を入れているだけ.『反進化学騒動』とした方が良かった.
 近年の反進化学についてはこちらなど
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552. ダーウィンと家族の絆 長女アニーの早すぎる死が進化論を生んだ
ランドル・ケインズ (渡辺政隆・松下展子 訳)
白日社 2003.11
★★★★
 Randal Keynes, Annie's box: Charles Darwin, his daughter and human evolution (2001)の訳.
 著者はチャールズ・ダーウィンの次男ジョージ(数学者)の娘マーガレットとジョン・メイナード・ケインズの弟ジェフリーとの間の息子リチャードの子供.つまり,チャールズ・ダーウィンの孫の孫にしてケインズの甥の息子という非常に毛並みの良い一族の出ですが,普通のお役人なのだそうです.
 著者は,ある日,家族のガラクタ入れの中でレターセットや裁縫道具の入った小さな古い文箱を見つけました.それは,祖父の祖父チャールズ・ダーウィンと妻エマの長女アニーのものでした(原題のAnnie's Boxのこと,表紙の写真の少女).誰からも好かれ,特に父親に愛されたアニーは10歳で(恐らく結核のために)夭折.アニーの姪にあたるマーガレット(著者の祖母)がアニーにそっくりだった(という描写がある)ということもあったのでしょう,文箱が著者の家に渡ったのでした.これに興味を持った著者が,親族への聞き取り,膨大なダーウィンの資料,同時代の文献等を調べて,アニーの死を中心とした家庭人チャールズ・ダーウィンとその研究との密接な関連を説き明かしたのが本書です.
 私は最初に邦題に騙されて,単なる家族ロマンスかと思い,読まないできました.今年の初めの科学史学校で小川眞里子先生の話を聞いて,ちょっと読んでみようと思って(今になってようやく)読んでみました.おもしろかった.ダーウィンについての類書は牛が汗をかくほどありますが,こういう視点のもの(家庭生活と理論とを有機的に関連づけた)は他にないと思います.少々強引かも,と思うところはありますが,まあ,それはそれ.ただ,邦訳副題にあるような因果関係が明確に主張されているわけではありません.アニーが病に倒れ療養の地にいた時,母のエマが妊娠中だったため,父チャールズが付き添い,娘の病状を事細かに(1時間置きに!)手紙を書いていたために,病の経過が刻銘に記録されていました.当然,両親の感情も.その部分ではほろっときます.
 訳は非常に読みやすいものです(訳のミスについては他でも指摘されています).本文570ページも苦になりません(時間はかかりますが).ただ,固有名詞の元綴りが判るようになっていればもっと良かった.
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551. インフルエンザ危機(クライシス)
河岡義裕
集英社新書 2005.10
★★★
 著者は東大医科学研究所の教授.ウィルス感染症の専門家.
 鳥インフルエンザの問題がにわかにクローズアップされている昨今,ちょうどいいタイミングの本.内容は,著者自身の鳥インフルエンザ研究史を辿りつつ,インフルエンザに関する情報を入れていきます.かなり判りやすく,おもしろい.関心のある方なら読んでみましょう.
 ポイントはこの著作の作成方法.著者が筆を執って(言葉の彩だ)書いたものではなく,専門のライターが著者にインタヴューしたものをまとめたものだそうです.ファインマンの『〜さん』と同じですね.一般的読み物のスタイルを知った人が専門家と協力して読みやすいものを作る,というやり方に私は賛成です.欧米ではよく見られるやり方のようなので,日本でもこのような啓蒙書が多くなることを期待します.でも,その際にはライターの方の名前も表紙に入れるべきです(この著作の場合は浅野恵子).ファインマンの本の場合も,原書にはちゃんと表紙にライターの名前があったのに,訳書では無くなっています(このことを問題視した人がいた).このような悪しき伝統を続けるべきではありません.
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550. 縛られたプロメテウス 動的定常状態における科学
ジョン・ザイマン (村上陽一郎・川崎勝・三宅苞 訳)
シュプリンガー・フェアラーク東京 1995.12
★★★
 John Ziman, Prometheus bound: Science in a dynamic "steady state" (1994)の訳.
 プライスの『リトルサイエンス・ビッグサイエンス』(1963年)で科学の爆発的成長を印象づけられてから30年,科学の成長は限界を迎え,これ以上の規模の爆発的拡大はない(漸進的はある)「定常状態」を迎えているのだ,というのが著者の基本的前提.しかし,この定常状態は静的ではなく,常に人も出入りし学問内容も変化する「動的」なものだ,というのです.この認識を元に,1990年代前半のイギリスの科学の状況を分析していきます.この辺の認識を常識として共有することが,今日の科学論を理解するために必要なのでしょう.
 ただ,この本は見通しが悪い.プライスの本のインパクトは,やはり図で示したことにあると思われます(著者もそう言っている).なのに,この本には図の1枚もありません.章分け,節分けもざっくりしたもので,分かりにくい.整理すれば3分の1の量で書けたのかも.
 この本も,現在入手困難.
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549. ウィルヒョウの生涯 19世紀の巨人=医師・政治家・人類学者
E.H.アッカークネヒト (舘野之男・村上陽一郎・河本英夫・溝口元 訳)
サイエンス社 1984.3
★★★
 Eric H. Ackerknecht, Rudolf Virchow: Doctor Statesman Anthropologist (1953)の訳.
 恐らく日本で唯一のウィルヒョウの評伝.生涯を簡単にさらった後に,医師・政治家・人類学者としてのウィルヒョウの業績を簡単にまとめ上げています.
 いくら健康で長生きして(1821-1902)1日5時間しか寝なかったとはいえ,この人の業績には圧倒されます.ただ,広範囲の活動をしているように思えますが,実は全てが「医師」としての活動ということでくくることができます.ウィルヒョウにとって医学とは社会環境の改善まで含むために自由主義的な政治姿勢を取って同郷のビスマルクと対立し,公衆衛生のために人類学的調査を行ったのです.シュリーマンと一緒にトロイの遺跡の調査まで行ったのはすごいな.
 また,ウィルヒョウについての悪いウワサ(細菌説に反対したとか,進化論に冷たかったとか)についても,事実はもう少し複雑であることを著者は明らかにしています.そのような悪いウワサは,死後に敵によってなすりつけられたものなのだとか.死して尚,敵を走らすのはウィルヒョウの偉大さ故だ,と著者はいいます.
 この本も現在入手困難なようです.私も結構苦労して探しました.サイエンス社の「ライブラリ科学史」シリーズは全て復刊すべきです.
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548. マスメディアにおける「進化」の使用についての予備的研究 朝日新聞記事を素材として
平石界
東京大学社会情報研究所紀要』n. 65 (2003), 69-100
 著者のウェブサイトはあるのですが,個人データがないので詳しいことは不明.進化心理学などを専門にしているようです.
 中学・高校での生物進化についての授業がなくなり,生物進化についての知識が不充分になる状況で,一般に流布されている「進化」という語がどのように使用されているのかを量的に調べてみよう,というのがこの論文の目論見.副題通り,2002年の朝日新聞のデジタル版を利用して,「進化」という語の出現数とその使用状況の分析を行っています.重複を除いておよそ450回登場しているのだそうです.
 著者は,「進化」を文字通りの生物学的な用語として使う場合と,比喩として用いる場合を区別し,比喩として用いる場合を特に重視して分析します.結果,正しい比喩(生物学的進化と同様に,偶然的・無目的であるべき)場合よりも「進歩」「成長」「変異」と混同されている場合が多かった,ということでした(細かい数値は論文を見てください).
 著者によると,「進化」という訳語自体が,生物学より先にスペンサーの社会進化論の系列で日本に定着したとのこと(この辺はもう少し調べるべき).その誤解が今に尾を引いているとしたら,そのへんの歴史も考慮すべきでしょう.
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547. 科学技術社会学の理論
松本三和夫
木鐸社 1998.6
★★★
 科学技術社会学の良くできた教科書.いわゆる科学社会学を技術まで考慮した拡張版,というだけではなく,かつての科学社会学とほとんど同義であったマートン系の内部構造論,同じくマートンの17世紀イングランドでの近代科学の成立についての初期の傑作を元にした科学の制度化論,そしてSTS相互作用論を,それぞれの特徴と短所を挙げて論じます.最終的には,現代社会での科学技術の問題を扱うには制度化論の現在形であるSTS相互作用論が良い,ということになります.これが理論編の第I部.第II部はケーススタディ編で,環境問題・原子力問題・日本問題(日本の科学技術の評価についての問題)を取り上げていますが,どれも現在進行形の問題であるために,7年前とはいえ(私のように17世紀をやっていると10年など瞬間だ),話が古くなっている感は否めません.
 教科書なので350ページをそれほど苦もなく眺めることができます.現在手に入りにくいようなので,何らかの形で再版を.
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546. 大きすぎて見えない地球 小さすぎて見えない原子 科学新入門 上
板倉聖宣
仮説社 2005.8
★★★
 1975年に出版された『科学新入門・科学の学び方教え方』(太郎次郎社)の前半部分をいくらか書き直したもの.なので,ところどころに70年代を思わせる記述が残っています.原題のように,子供にも教師にも普通の大人にも向けた理科教育の著作です.後半は,また別の題名で後で刊行されるようです.
 内容は板倉先生なので全く問題ありません.このページに迷い込んでしまったのに,なんだか理科は苦手なんだよな,という人は騙されたと思って読んでみるべきです.
 表紙の地球は実物のおよそ1億分の1で,その下の水分子はおよそ1億倍の大きさだとか.
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545. パリ病院 1794-1848
E.H.アッカークネヒト (舘野之男 訳)
思索社 1978.5
★★★★
 Erwin H. Ackerknecht, Medicine at the Paris hospital 1794-1848 (1967)の訳.著者は医学史の泰斗.
 それ以前の「ベッドサイドの医学」,それ以降の「研究室の医学」に対して,題名の55年間のパリの医学を「病院の医学」と特徴付けて,その時代の医学を論じたもの.私のように医学史に詳しくない人間にとっては,ほとんど知らない人ばかりが出てくるのですが,判りやすく非常に読みやすいのですっと入ってきます.
 フランス激動の時代に,近代医学の基礎が作られたというお話.この時期,パリでは多くの病院が作られ,そこに属する人々による医学研究が盛んになります.とはいっても,外科はまだ麻酔も消毒も知らず,内科も有効な薬もワクチンもほとんど持たない時代.病気についての理解が進む割には治療法がない(むしろこの時代は積極的放置!)ので,思弁医学と実証医学が奇妙にブレンドされているのです.もどかしく紆余曲折して展開する19世紀医学史のおもしろさ(この時代から医学は医学だけの問題ではなくなるので余計に)を存分に堪能できます.
 どうしてこの著作が選んで翻訳されたのかは判らない(この本には訳者の言が何もない)のですが,良い本が訳されています.現在入手できないのが残念.
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544. 生態学 概念と理論の歴史
R.P.マッキントッシュ (大串隆之・井上弘・曽田貞滋 訳)
思索社 1989.3
★★★
 Robert P. McIntosh, The background of ecology: Concept and theory (1985)の訳.
 著者が著名な生態学の専門家であるということから容易に予想できるような学説史.生態学の自立だとか,学の意図とは異なる学の歴史を構築しようとしています.最初の2章ほどで飽きてしまいました.
 学説史なので,参考書として用いるべきでしょう.文章もいかにも通読には向いていません.
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543. 「株式会社」長崎出島
赤瀬浩
講談社選書メチエ 2005.7
★★★
 著者は長崎の学校の先生.長崎市の歴史の研究者.
 長崎という都市が,京都や江戸のような通常の都市ではなく,街ぐるみで江戸幕府が外国と交易するための「会社」のような構造になっていた,という観点から,戦国末期に生まれてから明治初期までの長崎の歴史を辿るもの.経済官僚の出世街道にある奉行,実質的に街を仕切っていた名誉武士である地役人たち,その名がアジアにとどろいていた歓楽街丸山町など,エピソード的な部分も興味深い.でも,今日的な意味での「株式」会社とは言えないので若干題名は妥当でない(株式会社ってのは,ITに乗っ取られる会社のことだ).
 長崎通詞とか蘭学とかのあたりは聞き憶えがあるのですが,都市としての長崎については知らないことばかりだったのでかなりおもしろく読めました.
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542. ネイチャーズ・エコノミー エコロジー思想史
ドナルド・オースター (中山茂・成定薫・吉田忠 訳)
リブロポート 1989.11
★★★★
 Donald Worster, Nature's economy: A history of ecological ideas (1977)の訳.1985年版の序文付.
 考えれば私のかつての専門は動物のエコノミーでした.ギリシャ語に由来する「エコノミー」は,1866年にヘッケルによって「生態学Oecologie」の語源となりました(ただし,この語が実効性を持つのは1890年代からと言います).この場合のエコノミーは「経済学」ではなく,「神の摂理」に近いのかも.生態学あるいはエコロジーの歴史を「自然のエコノミー」にまで遡れるとすれば,リンネが確実に視界に入るわけです.
 主に,英語圏のエコロジーの歴史について描かれた著作.エコロジー史としては先駆的な著作です.エコロジーの起源として,ロマン主義的なもの(ソローから有機体的自然観へ)と帝国主義的なもの(ニュー・エコロジーに代表される)を置き,両者の相剋が歴史を作っている,と考えます.機械論的還元主義を嫌うロマン主義的なエコロジー思想が,経済学化(この背後には「エコノミー」という語の変化がある)して還元主義に回帰してしまう皮肉.科学としての生態学だけではない範囲までを扱っているのですが,いわゆる環境思想とかと比べるといかにも狭い気がします.
 30年前の本ですが,古典としても読む価値があります.固有名詞の訳に一部難あり(Virgilはウェルギリウスと訳すべき).出版社が現存しないので再版は望めませんが,是非文庫化などお願いします.
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541. 若者の科学離れを考える
岩村秀・中島尚正・波多野誼余夫
発行:日本放送大学教育振興会;発売:日本放送出版協会 2004.3
★★★
 放送大学テクスト.
 現在放送中のTV版放送大学の講座です.10月から開始なので,すでに始まってしまっていますが,年度末にまとめて再放送があるので関心のある方はそちらを見てください.45分×15回を見るのは大変なのでテクストだけをとりあえず先に読みました.テクストだけを独立して読んでも,大丈夫です.
 内容は,教育という視点から見た現代科学論といったところでしょうか.この講義を教える人に「科学離れ」を憂慮する人はいても,「科学離れ」している人はいないので,少々押しつけがましい部分もあるのですが,科学自身に問題があるところも指摘しています.科学者の説明責任というほど肩肘はらなくても,サイエンスショップのような西欧の試みを紹介しても良かったような.
 大学のテクストなので参考図書は充分.
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540. 牛肉と政治 不安の構図
中村靖彦
文春新書 2005.3
★★★
 著者はジャーナリストで現在は東京農大と女子栄養大学客員教授.特に食品関係を専門にして,食品安全委員会のメンバーでもあります.
 日本でのBSE問題の発生以降の「牛肉と政治」の関わり合いを論じたもの.日本におけるBSE対策の初期の不手際と牛肉偽装事件の頻発(この裏には差別問題も絡んでいてたいへんらしい)の背景である日本における利権構造,アメリカ産牛肉の輸入解禁問題でのアメリカ側の政治的理由(アメリカにとっての牛肉は日本の米と同じだ,という著者の指摘が印象的),全頭検査見直し論に対する圧力など,牛肉と政治が分かちがたく結びついていることを明らかにしています.このへんの事情を知りたい人には必読.
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539. プリオン病の謎に挑む
金子清俊
岩波書店 2003.5
★★★
 著者はこの著作の当時は国立精神・神経センター神経研究所に所属していましたが,現在は東京医科大学医学部生理学第二講座教授で,9月末までは内閣府食品安全委員会リスクコミュニケーション専門調査会専門委員など,国のプリオン病対策に関係していました(それを辞めたところに現在の行政の問題がある).
 そして,プリオンの名付け親スタンレイ・プルシナーの弟子.この著作は,著者のプルシナー(著者は愛情を込めて「スタン」と呼ぶ)との交流とプリオン病の仕組みについての(著者自身の発見も含む)解説となっています.2003年春くらいまでの最新情報が含まれているわけです.科学史の研究者としてはプルシナー絡みの話がおもしろい.いろいろと評判のあるプルシナーを著者は徹底的に弁護します.大きな業績のある人や地位のある人はそれなりに慕われるし嫌われるのです.
 ですが,肝心のプリオンとその病に関してはまだまだ未知の部分が多いようです.第一,正常型プリオンの役割もよく判っていないのですから.
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538. なぜ牛は狂ったのか
マクシム・シュワルツ (山内一也 監修;南條郁子・山田浩之 訳)
紀伊國屋書店 2002.5
★★★★
 Maxime Schwartz, Comment les vaches sont devenues folles (2001)の訳に2002年版の補遺がついたもの.著者は元パストゥール研の所長.
 BSEに繋がるプリオン病の歴史を18世紀のスクレイピーから辿る著作.簡潔にして判りやすく参考文献も充分であり,狂牛病の歴史を知るにはちょうど良いものです.一般啓蒙書として読みやすいどころか,推理小説に似たおもしろさすらあります.もちろん,この著作以降の話題や,フランスの話が中心なので,日本のことに関してはそれぞれ別の文献に当たる必要がありますが.
 米国牛肉輸入再開がなし崩しに決まりそうな時期なので,BSE関連の事実をもう一度確認すべきです.ただ,いろいろな情報を総合すると,BSEよりももっと基本的な問題で輸入肉はあぶなそうな気配ですが.
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537. 環境思想の系譜3 環境思想の多様な展開
小原秀雄 監修
東海大学出版会 1995.5
★★★
 全3巻の第3巻.
 第一部「環境と倫理」以外はたいして読むものはありません.
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536. 環境思想の系譜2 環境思想と社会
小原秀雄 監修
東海大学出版会 1995.5
★★★
 全3巻の第2巻.
 第一部「政治と環境思想」 第二部「経済パラダイムの再考」 第三部「社会派エコロジーの思想」という構成.第一部の感動的な政治行動へのメッセージ以外は,それほどおもしろくありません.第二部にヴァンダナ・シヴァの論文があります.第三部では,ソーシャル・エコロジーとソシアリスト・エコロジーが一緒になっていて,ちょっと混乱します(当事者たちは区別して欲しいと思っているでしょう).ここで取り上げられている環境問題と社会階層との関係は一読の要有り.
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535. 環境思想の系譜1 環境思想の出現
小原秀雄 監修
東海大学出版会 1995.5
★★★
 全3巻.なのですが,図書館に早めに返さなければならないので1冊ずつ.
 環境思想についてのリーディングス.第一部「人類史と環境思想」,第二部「環境と科学技術」という構成で,それぞれに解説があった後,複数の抜粋の訳が並んでいます.分量的に「環境と科学技術」の項目が少なすぎるところが不満です.
 第一部は主に,アメリカでの環境思想の発生を扱います.〈原野wilderness〉の思想から,自然環境を〈守る〉ことは〈守る〉にしても〈自然環境そのものに価値がある〉として保護する思想(保護Preservation)と環境から一定の利益を引き出しつつ現状のキープを計る思想(保全Conservation)という対立が生まれてくる,という流れです(私にはこれらの英単語のニュアンスの違いが分かりません).これらの対立は生態学が生まれる前(「生態学」という言葉自体はヘッケルに由来するので前からあるのですが)の話で,今日では自然環境そのものの重要性は広く認知されていて,「思想」というレヴルではなくなっています.
 にもかかわらず,破壊は進行しているわけです.啓蒙が足りないから?
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534. 〈特集〉 環境問題の「まきかえし」
日本の科学者』40(2005) n. 10, 520-538
畑明郎「最近の環境問題の「まきかえし」を検討する」 521-526
小野塚春吉「ダイオキシン・環境ホルモン問題の「まきかえし」を検討する(II) ダイオキシン生成にポリ塩化ビニルの消却は関係ないか?」 527-532
上園昌武「温暖化問題のまきかえし批判」 533-538

 下の話が対岸の火事ではない,ということを告発する特集.日本でも米国と同じような試みが政府系の独立法人の研究者や某社の「環境」と題する出版物に現れている,ということで,それらを批判しています.概ね日本の企業は環境問題を新しいビジネスチャンスとして捉えて前向きに対応しているようですが,過去の罪過については,他の例と同様に徹底的に責任逃れしたいようです.そのために環境問題の不在まで言い立てるから説得力がないのですが.日本に失敗学という発想が根付けば,こういった見苦しい様に陥らずに済むのでしょうが,今のおとなには無理でしょう.
 こういった反環境問題派には,反原発のあまりに「温室効果は原発推進の口実だ」と主張する,某電力会社のCMを鵜呑みにしたような人もいるとか.鵜呑みにするな,疑え,理論的に考えろ,学ぶことを恐れるな,というのは学問するための基本.環境問題というのは,人類に実に良い頭の訓練を与えてくれるようです.
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533. 悪用される科学
D. マイケルズ
日経サイエンス』2005年10月号, 90-96
 David Michaels, "Doubt is their product", Scientific American, June 2005の訳.著者はジョージ・ワシントン大学公衆保健衛生学校の教授にして副学長.1998-2001年には米国エネルギー省の長官補として環境安全衛生を担当していたそうです.
 科学が悪用される,といっても軍事利用のことではなく,「不確実性」が故の意図的な曖昧化のこと.具体的には,著者の関わった様々な化学物質の安全基準(これ自体がいいかげんだったりすのだが)に対して,企業子飼いの科学者による反論が行われ,政府作成の統計に基づいた安全基準の妥当性を疑わせる(反駁するのではなく,不信感を醸し出すだけでよい)行為が行われ続けていたのだそうです.特に米国現政権によってこっそりと制定されたデータ品質法の一条項によって,政府が公表する資料に外からケチをつけることを可能にしたり,行政管理予算局の提案で前もって専門家が検閲することを可能にしたといいます.その「専門家」が企業寄りだとしたら,政府がデータを発表する前に都合の悪い部分を削除できるわけです.アメリカの新自由主義経済とやらは最大の敵である環境問題を葬り去ろうと躍起なのです.現代の環境思想自体がアメリカ出自なのにねえ.
 日経の雑誌にこういう論文が載る,というのも興味深いか.
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532. 環境の思想家たち 上 古代-近代編;下 現代編
ジョイ・A.パルマー編 (須藤自由児 訳)
みすず書房 2004.9-11
★★★
 Joy A. Palmer (ed.), Fifty key thinkers on the environment (2001)の訳.編者はイギリスのダラム大学の環境論の専門家.
 原題の通り,50人の「環境思想家」の略伝と思想のごく簡単な解説を集めたもの.50人に絞ることが最も大変だったと思われます.取り上げられる各人に対してそれぞれの著者がいます.訳書は2分冊になっていて,上巻で古代から19世紀までの26人,下巻で20世紀の24人が収められています.
 上巻は,現代の環境思想のルーツとして言及される人々(哲学者・宗教家とならんで文学者多し)が論じられ,日本からは松尾芭蕉がエントリーされています(意外).俳句が自然を表現することが評価されているのでしょう.でも,俳句とは上手に嘘をつくことだ,という芭蕉の理念はどう思われているのか.他にも,私のようなシロウトでも知っている人物が多いです.下巻になるとさっぱりですが,下の著作でも言及される人物がかなり含まれていました.門外漢からのアドヴァイスとしては,この著作を読んでから下の著作を読む方が解りよいと思います.人物の背景を(或る程度は)知ることができるからです.
 特に下巻では,著者の思い入れの度合によってかなり熱い文章があります.訳者がそれぞれの邦訳文献を調べていてくれるので非常に便利.
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531. 環境思想 歴史と体系
海上知明 (うなかみ・ともあき)
NTT版社 2005.8
★★★
 著者は経済学博士で国士舘大学非常勤.
 この著作は,著者の博士論文を非専門家向けに3分の1ほどに要約したもの.
 環境問題について理解するためには,環境に関する科学的知識と,今後環境とどのように関わるべきかを考える環境政策論(ある人にとっては自然観・人間観を問い直す哲学かもしれないし別の人には単なる技術論かもしれない)と,そもそも「環境とは」という思想,という相互に密接に関連する諸側面を見る必要があります.この著作では,その思想の側面を扱っています.環境思想,といっても,うんざりするほど本があります.私は環境思想史ということに限って(特に調べたわけではないのですが)見てみても既に十数冊あります(日本語だけで).どうする? 順番に読んでいくしかないのですが.
 この著作は,あまたある環境思想を少々強引に分類整理してマップ化したもの.ページviiの図1(表だけど)がそのマップで,それを項目毎に詳しく解説していきます.やあ,便利な入門書が現れたぞ,と思ったのですが,違いました.この著作は,超入門書(全くの初心者がここから学ぶという種類の本)ではなく,入門書(ちょっとは知っている人が知識の整理をするための本)でもありません.一通り環境思想についての本を読んで充分な常識を得た上で読むべき著作でした.つまり私のような素人にはちょっと向かない本です.
 多様性を重んじる環境思想家たちの思想が多様であることは原理的に間違いではなく,この人たちが相互にコンセンサスを得られないとするならば「環境思想家」を自認する人々の思想が間違っているのです.技術決定論(この著作ではテクノセントリズム)でもディープ・エコロジーでも実際の行動に関してそれほど多くの選択肢がないというのならばなおさらのこと.
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530. イメージ化による知識と学習
佐伯胖
東洋館出版社 1978.6
★★★★
 イメージ,というとこの著作のことを思い出しました.
 人間が理解するのは「擬人化」する(小人を派遣する,という寓話が活きている!)ことだ,という中心テーゼを,徐々に深く展開していく構成(もとは雑誌に連載していた).私の曖昧だった疑問に答を与えてくれるものです.
 月本の著作と比較すると,身体の関与を軽視しがちなところが少々残念かと(「小人」という寓話にもかかわらず).
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529. パロディ Vol.01 No.09
パリティ』 Vol.20(2005) No.09, 39-50
バーバラ・ゴシップ・レヴィ(家泰弘 訳)「驚くべき高温超伝導物質の出現」 39-40
バーバラ・ゴシップ・レヴィ(家泰弘 訳)「アダプティブケミストリーとイントロンの逆襲」 41-42
黒洞史瓦西(Black Hole Schwarzschild)「マイクロブラックホールと地球温暖化」 43-44
緑野虎人(Little Green Men)「GRB050623による系外惑星RNP104503-5941Cの大気の消失」 45-47
家泰弘「パリティ誌の危機」 48
加藤ハツ「茨城中部の独立運動のゆくえ」 48
執筆者・翻訳者紹介 49
宮野健次郎「編集後記」 50

『パリティ』誌が創刊20周年ということで,こういう粋な企画を組んでいます.
 全ての記事に「この記事はフィクションです.実在の人物,団体とは関係ありません」という断りがついていて,しかも紙面にはparodyと薄く印刷されている念の入れ様です(日本人はこういうものに慣れてないからね).
 レヴィなる人物は「訳者」家泰弘の創作.最初のレヴィの元論文が載っている雑誌がPhysics Tomorrow(『パリティ』はPhysics Today誌と提携している)だったり,参考文献の著者がUsotsukyとDemagogoryだったり,参考文献にある雑誌名がJournal of Irreproducible Results(再現不能結果雑誌)だったり,高温超伝導物質がテクネチウムとウランを含む硫酸化物TcUSO4だったり,と非常に解りやすいパロディです.次のレヴィの論文は少々解りにくいのですが,DNAのイントロン部分にある遺伝子を活性化する環境を作ってそこから新しい物質を作り出す試みを紹介するという体裁で,シェーン事件のパロディとなっています(ベル研のシェーン博士の研究だ,というところまで).作り出される物質が進化論的に振る舞う結果,研究者の望む性質を持つのではなく「研究者の望む性質を持っているように見せかける」というオチ.「マイクロブラックホール」の論文はおもしろい短編SFになっていて,地球温暖化とそう結びつくか,というお話.「GRB050623」の論文は意味不明.
 編集委員長家泰弘によるコラム「パリティ誌の危機」は,ありうる話なんじゃないかと思ってしまいます(何でもかんでもプラズマなわけないだろ).加藤のコラムは,要するに筑波大学が独立国家「科学技術国」になるという話.理系出身だけで内閣を作るって,けっこうできそうだからおもしろい.
 たぶん『ニュートン』でこれをやったら怒られるだろうな.
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528. 空気の発見
三宅泰雄
角川文庫 1962.7
★★★
 なつかし科学史シリーズ.
 著者三宅泰雄(1908-1990)は中央気象台気象技術官養成所(現気象大学校)教授,東京教育大学教授などを歴任した気象学の専門家.
 空気と気体をめぐる科学を歴史物語として平明に記述したもの.科学教育のために科学史を利用する,という理念の下に書かれているので,歴史を犠牲にして科学を解りやすく描いています.科学史は科学教育に役立つ,ということにしておいてもらえると,私などは就職口が広がって嬉しいのですが.
 科学史が科学教育に役立つ,といっても,科学を理解させるために科学史を組み込むことはあまり効果的ではない,と私は考えます.初学者は特に科学のことを記憶するのに精一杯で,そのうえさらに何年に誰が何を発見して……などという枝葉まで憶えさせられたりするのは,やっかいごとが増えるだけだからです.それに,歴史まで教えるとしたら,教育者はかなり慎重になるべきです.歴史的なセンスがない人が歴史を語ると悲惨な結果にしかならないからです.科学に強い関心を抱く人は歴史的センスを置き去りにしている場合がしばしばあります.幸い歴史センスは教育で身に付くものですが,どの分野でもそうであるように一定の苦労と忍耐が必要です.もちろん,学ぶ方にも.自分の人生に歴史がない人に,歴史を使って説明しても理解が容易になることはないのです.子供の頃は歴史嫌いだったけど,大人になって興味を持ち始めた,という人は多いはず(このページを見る人には少ないかもしれませんが).科学教育に科学史が役立つとしたら,一通り科学を学んでからが効果的だと思います.あるいは,教える側が教え方のヒントとしてスパイスのように用いることがいいのかも.
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527. 想像 心と身体の接点
月本洋+上原泉
ナカニシヤ出版 2003.12
★★★★
 共著者は乳幼児心理学の専門家.
 この著作は,基本的に心理学関係者(関心のある人)に向けて書かれたもののようです.月本が前半とエピローグ,上原が後半を受け持っています.前半は下の下で展開されている身体運動意味論を再説したもので,下までの本を読んでいて既に著者の見解についてのイメージを抱いているならば素速く理解することができます.
 後半は月本の触れていない,想像の発達的側面を補うもの.ただ,私にとって,あまり説得的ではありませんでした.上原は,通常の心理学の手法に従って複数の被験者への実験結果から論じるのですが,恐らく想像やイメージという問題はそのような手法ではなく,少数の個別例を微細に分析していく手法(エスノメソドロジーのように)の方が良かったと思います.極めて内観的なように思える問題については,統計で事例を圧殺するよりは,細部の具体性で説得した方が効果的だからです.
 エピローグでは,月本がインターネット時代の想像をメディア論的に論じています.
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526. 身体運動意味論 言語・イメージ・身体
月本洋
現代思想 2005年2月特集脳科学の最前線』,180-191
 下と下の下での著者の主張を簡潔にまとめたもの.手っ取り早く知りたい人は,この論文を読みましょう.
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525. ロボットのこころ 想像力をもつロボットをめざして
月本洋
森北出版 2002.10
★★★★
 著者は東京電機大学工学部教授.
 下の論文を拡充し,ロボットの認知と絡めて展開した著作.基本的主張は変わっていませんが,この著作は工学系の読者を想定しているので,若干文科系読者にとってはくどいところがあるかもしれません.ともかく,「意味」の意味の多重性と,それらを一貫して説明できる身体運動意味論は,想像という人間の能力を重視します.認知意味論を超克する方向の示唆は私にとって非常に重要です.久しぶりにエキサイティングな読書をさせてもらいました.
 身体性を強調する著者は,身体の持つ社会性・公共性(身体は外から見える)からの状況論的な視点にあまり触れていません.クオリアの議論というのは,状況論的アプローチで解消できる問題のような気がするのですが……
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524. 心とは何か 心理学と諸科学との対話
足立自朗・渡辺恒夫・月本洋・石川幹人 編
北大路書房 2001.2
 全部読んだわけではないので評価はなし.
 読んだのは
 月本洋「記号的人工知能の限界」及び西川泰夫との討論.
 西阪仰「心的イメージはどのくらい「心的」か」

 月本論文は,レイコフ=ジョンソンらによる認知意味論を大胆に取り入れた認知科学(というか超認知科学)であり,人間の心が記号論的に再構成できないことを主張します(つまり,認知科学は或る程度までしかうまくいかない).月本のキイとなる概念は「想像=イメージ」で,いわゆる「心的イメージ」が身体活動のシミュレイションであるという脳科学の研究から,人間の心は身体の現前を必要とする,という結論になります.ここにジョンソンらの「受肉の哲学」や尼ヶ崎彬の「ことばと身体」などが絡んでくるわけです.なるほど.検討の価値有り.
 西阪論文は,いつものようにエスノメソドロジーの手法を用いて「個人的」事象(私秘的)が実は「社会的」事象であること(つまり外部から可視的であること)を示します.どうかなあ?
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523. 「読者」の誕生 活字文化はどのようにして定着したか
香内三郎
晶文社 2004.12
★★★★
 著者は東京経済大学元教授(2002年退任).
 500ページ強2段組の大著.17世紀のイングランド・コミュニケイション史で,大体半分がジャーナリズム論,残りを主に読みました.おもしろい.
 残り,というのは16-17世紀の読書論を扱った部分.聖書の読み方についての議論,ミルトンの読書論などとならんで,私が最も注目したのは2つの論文「『近代的』読み方の誕生 『読むこと』の効力測定様式」と「『手書き』論文から『活字』の世界へ ホッブズの二つの論争と論証の方法」でした.特に前者には,「読書の生理学」というものの考察がなされています.「読書の生理学」,なんと魅惑的な.残念ながら著者は17世紀生理学史の専門家ではない(というか,そういう専門家はいない)ので,医学生理学部分の若干考察が弱い.もちろん,著者はそれがメインではないのですが.最近,読書論をやろうと思っていたので,ちょうど良いタイミングで読めました.うれしい.
 17世紀に関心のある人は目を通して損はないかも.
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522. 活字文化の誕生
香内三郎 (こううち・さぶろう)
晶文社 1982.10
★★★
 著者は当時東京経済大学教授.17世紀イングランドのコミュニケイション史が専門のようです.
 狭い意味での活字文化の話は,第I部だけです.そこでは初期の印刷業者グーテンベルク,カクストン(イングランド初の印刷業者),プランタンの評伝を扱っています.これは便利.この著作のその後の部分では,17世紀のイングランドのコミュニケイションの重要な手段であった「説教」,17世紀末から18世紀のジャーナリズムの形成と政治的言説の出現をスウィフトを中心に扱っていきます.
 20年以上前の著作で,まだ著者の関心はジャーナリズム論的なコミュニケイション論(マス・コミュニケイション論とも)にあるようです.私にとって関心があるような部分は,また別の話.
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521. 日用品の文化誌
柏木博
岩波新書 1999.6
★★★
 住宅・電灯・ラジオなど今日我々が身の回りに見る「日用品」の歴史を辿りながら,現在を考える著作.ちょっとした豆知識(他の言い方は廃るので言わない)を仕入れることができます.
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520. 特集:2003年度シンポジウム報告 生物進化論と創造論の対立 米国における科学と宗教の現在
生物学史研究』 n.75(2005), 67-95
 ユージニー・C. スコット(鵜浦裕 訳)「アメリカの創造論と生物進化論 長く,悲しい物語に終わりは見えない」 67-81
 鵜浦裕「創造論運動を支えるアメリカ社会の特徴 スコット講演を聴いて」 83-88
 松永俊男「さまざまな進化論・さまざまな創造論」 89-91
 下坂英「日本において「創造論現象」は,どう理解されてきたか?」 93-95

 アメリカでの反進化論運動に対抗する運動をしているスコット博士を迎えて2003年12月7日立命館大学で行われた日本科学史学会生物学士分科会のシンポジウムでの講演とコメント.スコット博士が同じ話題について論じたものは既に読んでいます.ここでのスコットの講演は非常に判りやすい(でも,それは既に以前読んでいるからかも).この問題は,科学と民主主義との関係について考えさせられます.鵜浦のものは補足,松永のものは19世紀の反進化論者たちを論じています.
 最後の下坂のものは,日本におけるアメリカ創造論の理解,というか誤解を論じています.過小評価している,と.下坂は,アメリカでの創造論の扱いを,日本で血液型人間学を理科教科書に入れるようなものと考えるとトンデモさが判る,と描いています.なるほど.
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519. 近代外科の父・パレ 日本の外科のルーツを探る
森岡恭彦 編著
NHKブックス 1990.11
★★★
 複数の著者はみなフランス経験のある外科医.ということで,医学史家が書いたものではありません.
 日本語では類書,つまりパレについて書いた本がない(あるのはカルボニエの児童文学だけ),ということで書かれたもので,パレの伝記や,日本への影響が略述されています.他に無かったわけですが,15年後になってもまだないので,これを読む他無いわけです.
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518. 恐るべき旅路 火星探査機「のぞみ」のたどった12年
松浦晋也
朝日ソノラマ 2005.5
★★★
 著者は航空・宇宙関係のノンフィクション・ライター.
 日本初の惑星探査機として(私のような部外者には)いきなり登場し,失敗し,さらにうやむやのうちにどうなったのかも判らずじまいになってしまった火星探査機〈のぞみ〉.その「失敗」の顛末を辿る著作です.興味深い.著者は工学部出身なので,〈のぞみ〉失敗のポイントである技術的問題についてもきちんと解説されています.現在はJAXAに統合されていますが,かつての宇宙研が〈のぞみ〉を打ち上げました.「ロケット博士」糸川英夫の直系の研究所でした.極めて日本らしく,システムではなく人的繋がりでプロジェクトを組み衛星を作るというスタイル.惑星探査という課題は,もはやそのスタイルでは解決できないほど大きなものだった,というのが失敗の原因のようです.体力がないのに無理した,というところでしょうか.また,宇宙研の側の報道手法のミス(「報道管制」を敷いて危機的状況にある〈のぞみ〉の情報を秘匿したこと)について著者は厳しい評価を下します.ここにもまた,1990年代後半から続く日本の膿である企業・官僚の「臭い物に蓋」政策と確実に訪れるその失敗(〈のぞみ〉の場合は,日本の惑星探査への関心=将来の研究予算の喪失)があってしまったからです.
 著者は,基本的に日本の宇宙探査について肯定的です.理由は,要するに,日本の国威発揚のため.それは冷戦時代の目標設定で,下の佐藤文隆が批判していました.私もそう思います.国家に益する科学という目標では納税者の同情も賛同も得ないでしょう.国威発揚は女子バレーで充分だ,もっと実益を生みそうな事業(各種の衛星を開発するとか)に予算をつぎ込め,金のかかるオモチャでつまらないことをしている連中は切り捨てろ,ということになるからです.
 近代科学は西洋の文化の中で生まれました.彼らが科学に熱を入れるのには自らの文化だからです.でも,日本では先進国クラブに入るために輸入された道具に過ぎません.追いつく技術として科学を教育してきただけのこの国では,文化として科学を根付かせるような教育はされてこなかったように思われます.今まではそれで良かったのかもしれませんが,これからはどうでしょうね?
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517. 啓蒙主義
ロイ・ポーター (見市雅俊 訳)
岩波書店 2004.12
★★★★
 Roy Porter, The Enlightenment, 2nd editon (2001)の訳.
 巨匠の力業.著者は18世紀の「啓蒙」が一貫性のある統一された運動であるとは考えていないので「主義」ではないと考えているのですが,啓蒙「思想」という訳語では,実践活動の側面が生きない,ということで訳者は啓蒙「主義」という語を敢えて選びました.私は「啓蒙運動」でいいと思いますけど.ともかく,18世紀の多様で広い活動を100ページ強の中に押し込んでいます.これ以上簡便にはできないでしょう.なのに,著者の主張もきちんと入っています.こういうものが書けるのは,逆に,膨大な研究の厚みがあって常識のレヴルも高いからなのでしょう(少なくとも科学革命よりは高い).ただ,一般的な話を扱うために,科学史・医学史的な記述はほとんどありません(著者にはそれを期待できるのですが).18世紀科学史というのは意外に難しいのです.
 簡便にして良質な啓蒙主義の入門書なので,初学者はもちろん,既に得られた知識を整理したい人にもお勧め.参考文献もあきれるほど豊富です.
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516. オルデンバーグ 十七世紀科学・情報革命の演出者
金子務
中公叢書 2005.3
★★★
 17世紀科学史のビッグ・イヴェントの1つは,イングランドのロイヤル・ソサエティの成立です.この組織は,単なる(イギリス人の大好きな)クラブというだけではなく,研究の発表の場をもうけていました.実際に見せて示すだけでなく,活字媒体でも.常にこの協会と結びつけられて語られる『フィロソフィカル・トランザクションズ』という雑誌は,実は,その出発点では,ロイヤル・ソサエティの機関誌ではなく,ある会員による個人誌だったのです(後に公式の雑誌になり,現在に至るまで発行されています).その人がヘンリ・オルデンバーグ,ドイツのブレーメン生まれの貴族で,英国への移住者(晩年に帰化)でした.オルデンバーグは,数奇な人生の内にヨーロッパ全土の学者たちとの手紙ネットワークを形成し,その情報力によって,近代科学の制度的側面の整備に重大な貢献をしました.本書は,そのオルデンバーグの生涯と業績,そして,17世紀の科学者の団体・雑誌についての著作です.独立に発表した論文を組み合わせたようなので,若干重複がありますが,気にしない.
 参考文献はあるのですが,本文で言及されているものが全て出ているわけではないようです.固有名も若干?なものが.
 17世紀西洋史一般に関心のある人は読んで悔い無し.科学史の初心者は,これを読むと英語の本を何冊も読む手間が省けます(私も).
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515. ダーウィンの家
駒井卓
創元社 1947.7
★★★
 なつかし科学史シリーズ.
 「百花文庫」というB6版のシリーズの1冊.粗末な紙が終戦直後という感じ.111ページ.ダーウィンの家の写真1ページ.定価20円.
 ダーウィン,トマス・ヘンリ・ハクスレー(ダーウィンのブルドッグ),ベーツソン(ウィリアム・ベイトソン,我々にはグレゴリーの父と言った方が通りが良いかも),トマス・ハント・モーガン(遺伝学者,著者の米国での師),丘浅次郎という5人の生物学者の評伝集.最初の3人分は著者の『生物学叢話』からの転載です.
 ダーウィンの話は,事実上,著者のダーウィンゆかりの地探訪の記録です.今とは状況が違うので,それなりに貴重な記録なのでしょう.ハクスレーとベーツソンについては,有名だから取り上げているという感じ.ベイトソンの重要性は,今日ではちょっとピンとこないですけれど.ベイトソンの長男が戦死,次男が自殺して,という話は出てくるのですが,生物学者になった三男(これがグレゴリー)にはほとんど触れません.
 モーガンは,終戦直後にその死を聞いた著者が,自らの留学中の思い出を語っているので,おもしろい.このモーガンの下には,津田梅子が留学していたとのこと.知らなかった.モーガンは,津田梅子が日本で大学を起こした(もちろん津田塾大)ことについて,「それは彼女が動物学を捨てたからできた,動物学を続けていたらとてもそんなことはできなかっただろう」と言ったとか.
 丘浅次郎は,著者の40年来の師匠で,特に性格について細かく書かれています(文章のタイトルは「自由人丘浅次郎先生」).丘の文章の巧みさや独特の文明観についても触れられています.
 こういう種類の本は決して復刊されることはないので,見つけて読むのは古本マニアの醍醐味ですなあ.
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514. 同位元素の発見とオカルト科学
ジェフ・ヒューズ (家泰弘 訳)
パリティ』, 19(2004), n. 11: 27-34
 Jeff Hughes, "Occultism and the atom: the curious story of isotopes", Physics World, 16 (2003), n. 9の訳.著者は,マンチェスター大学の科学・技術・医学・数学史センターのSenior Lecturer.現代物理学史が専門のようです.
 この辺の時代も分野も全く知らないので,素人として読みました.化学的性質は同じだが,質量だけが異なる(原子核中の中性子の数が異なる)元素を「同位元素=アイソトープ」と言います.ウランの235と238とか,炭素12と13とか.このような同位元素は自然状態では一定の割合で含まれています.ということは,各元素の質量比(原子量)がきれいな整数にはならないことになります.J.J.トムソンは,元素がH+イオンを基本構成要素としている,というところまで突き止められたのですが,それ以上のことが解りませんでした.トムソンの所に助手としてやってきたフランスィス・アストン(Francis Aston)が,自らの実験によって原子量20.2のネオンでは,原子量20のものと原子量22のものがあることを発見し,後者を「メタネオン」と名づけて1912年に発表しました.
 問題は,この「メタネオン」という名称の由来.これが,アニー・ベザントとチャールズ・レッドビーターによる当時の神智学(theosophy)の著作『オカルト化学 化学元素の透視による観測』(1908年)なのでした.この著作の中で彼らは原子量22.33の物質を「メタネオン」と呼んでおり,アストンは,これを引用していたのです.後に,学問的証拠がかたまり,自らのキャリアが上がるにつれ,アストンは,かつてのオカルトがらみの事実を隠蔽し,ノーベル賞受賞時にはオカルト化学への一切の言及を消し去った「発見物語」を作り出します.それが,今日まで生きている,とこの論文の著者は指摘しています.
 20世紀でもありましたよ,オカルトと科学.こういう方向での研究もあるのですね.著者は,今年,この件についての著作を著すのだそうです.
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513. 失敗学のすすめ
畑村洋太郎
講談社文庫 2005.5
★★★
 著者は元東大工学部教授で,現在は工学院大学教授.
 去年の森ビル回転ドアでの事故の後,ドアプロジェクトを主宰した著者の活動をTVで観ました.「ドアプロジェクト」とは,回転ドア事故の「失敗」を検証し,再発を防止するために,関係者が集まったものでした.この著作の元本(2000年出版)の後の事件なので,この文庫本のあとがきに経緯が簡単に触れられていますが,驚いたことに,そのプロジェクトは著者が私財をなげうって行われたことだったのだそうです.
 日本は,文化的な理由なのか,何かの事件・事故が起こると,責任者を捜して追求し詰め腹を切らせることを求めます.この間の尼ヶ崎の事故でも,「犯人探し」に躍起になった感情的な人々が多く現れました.そして,誰かを切り捨ててしまえば,もはや事故など無かったように日常が開始されるのです(この辺は文化人類学的な分析が必要だな).逆に,誰の責任でもないとなると,事故が起こっているにもかかわらず,日本人は関心を持たなくなってしまいます.ガードレールの金属片の問題が典型ですね.このような体質を改めない限り,この国の文化には未来はありません.少なくとも,事件や事故は起こり続け,そのたびに無策を繰り返すことになるでしょう.
 著者の主張する「失敗学」は,失敗と真正面から向き合い,失敗から次には失敗しないことを学ぶ学問です.いかにも工学的な発想と言えましょう.それを一般向けに,サラリーマンとかが読むことを意識して,書いたものがこの著作です.失敗にも良い失敗(学ぶ過程で必ず通過しなければならない失敗)と悪い失敗(過去の過ちを繰り返す)があり,良い失敗は評価すべきであるとか,失敗情報を伝達する際には細心の注意が必要だ(失敗情報は劣化する,失敗情報は消えたがる)とか,なかなかおもしろい提言があります.
 著者の主張には,日本の悪い伝統を変える可能性が含まれています.それを少々期待.
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512. 科学ジャーナリズムの世界 真実に迫り,明日をひらく
日本科学技術ジャーナリスト会議編
化学同人 2004.7
★★★
 科学ジャーナリズムに携わる人々によるエッセイ.雑誌・TV・ネット・書籍などのメディア別,扱う話題(生命倫理,技術など)別,ジャーナリスト倫理,外国の状況などが短くまとめられています.ジャーナリストが書いているだけあって読みやすい.日本における科学ジャーナリズムの現状の把握ができます.
 ジャーナリズムなので,「something new」ばかり追いかけることになるのは宿命でしょう.実際,日本の科学ジャーナリズムは科学リテラシーに対してあまり貢献はしていません.科学の成果ばかり報道して,科学的な考え方や方法,歴史などについては無視・軽視しているからです.報道は歴史のない現在に浮かぶ情報だけを扱っています.けれど,歴史がないのに理解はありません.つまり,ジャーナリスト(特にマスメディアの)だけでは科学を伝えるのには不充分なのです.
 この著作にも,残念ながら,日本式の古いジャーナリスト体質が露呈している部分があります.ぶらさがり取材で特ダネを得ることが,「ジャーナリスト」の自慢(!)だったり,記者クラブ制の弊害(教室での成績争いをジャーナリズムの競争と勘違いしている)にも鈍感だったり,自らに反省のないことが図らずも現れているところを,ジャーナリストではない読者はしっかりと読みとっておきましょう.
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511. 一七世紀科学革命
ジョン・ヘンリー (東慎一郎 訳)
岩波書店 2005.5
★★★★
 John Henry, The Scientific Revolution and the origin of modern science, 2nd ed. (1997/2002)の訳.訳者は私の畏友.
 17世紀西欧科学史についての概観.自分が研究しているフィールドなので,手際よくまとめることの困難さは知っています.でも,敢えてそれを為す著者の勇気に敬服.
 もはやマヒしているので,この著作のレヴルが一般向けかどうかも判断できません.ただ,科学史の全くの初心者が読んだら,固有名詞だけで圧倒されるでしょう.なので,17世紀について何も知らない超初心者が読むのはやめておいた方がいいと思います(読むなら適切な指導の下に).或る程度科学史をかじった人には,非常に親切な著作であることは間違いありません.一通りの流れは書いてあるし,用語集・参考文献の充実ぶりは感涙ものです.大学の教科書,というのが妥当な使い方でしょうか.
 訳は問題なし.
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510. 双書科学/技術のゆくえ 科学者の将来
佐藤文隆
岩波書店 2001.4
★★★★
 他で発表された論文に書き下ろし1本を加えたもの.
 科学の行く末について,現状に批判的に論じています.著者の優れている点は,同じ双書に含まれる他の論者のノーテンキな議論と比べるとはっきりするでしょうが,ともかく,この著作を読むだけで充分です.書き下ろしの「科学者の将来」は,科学コミュニケイションの問題とも絡んで,考慮されるべき見解だと思います.
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509. 双書科学/技術のゆくえ 文化としての科学/技術
村上陽一郎
岩波書店 2001.4
★★★
 この双書自体が,岩波の他の本で発表された論文を集めて書き下ろしを1本ほど加えたものです.なので,この著作に載っている論文は他で読んだことがあるものばかりでしたが,まとめて読むとまた得るところがあります.
 下で出てきた「ネオタイプの科学」とは,「プロトタイプの科学」と対比される概念です.著者は,17世紀のいわゆる科学革命ではなく,18世紀の聖俗革命こそが近代科学の離陸地点と考えます.やがて19世紀に科学が制度化され,科学者という職業が生まれることで,「プロトタイプの科学」が成立します.科学者が個人の興味と関心で研究し,その研究が必ずしも世間の役に立つわけではない.学問の自立・学者の自治という19世紀ドイツ大学の理念ですね.この科学で生産される知識は専門か向けのもの,即ち知識の閉鎖性も伴っています.
 これに対して「ネオタイプの科学」とは,外に開かれた組織を持っています.外に開かれた,といっても良いことばかりではありません.科学の規模が第二次世界大戦を境に巨大になり,予算を外部(=国家)に求めざるを得なくなり,予算をもらう限りは役に立つことを求められ,結局予算獲得のための研究を行うようになります.自分の関心や好奇心で研究するのではなく,外から来る課題へと自分を調節しなければならなくなるのです.
 どちらが良いとか悪いとかではなく,両者が混在し相互依存しているのが現状だ,と著者は分析します.その上で,問題点は,両者においてそれぞれ異なる倫理規範(プロトタイプの場合はピア・レヴュー=内的な規律であり,ネオタイプは外部への責任がある)があるのに,あたかもプロトタイプ的=19世紀的な科学理念にのみ従うように行動する科学者が多い,というところにあります.なるほどね.
 最後に書き下ろしとして科学リテラシーの問題にも触れています.これについてはまた別に.
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508. 研究者人生双六講義
入來篤史
岩波書店 2004.2
★★★
 岩波科学ライブラリーの1冊.
 神経生理学の専門家が,科学者としてのライフサイクルを解説したもの.岩波の『科学』での連載の単行本化.
 こちらは,タテマエ,というかある意味ホンネの科学者人生のガイダンス.これも,科学者志望者だけが読むというのではもったいなく,むしろ,科学者ではない人が読んで得るところが多い著作です.科学者という職業が何を行っているのかについて,それほど幻想無く知ることができるからです.というか,理科系の学生に聞いても,いまだに19世紀的な科学像・科学者像を引きずってしまっています.このこと自体,かなり大きな問題で,巷の「理科離れ」よりももっと重大な悪影響を及ぼしかねません.そのためには,進路を決定する以前の段階で目を通しておくべきかもしれません.
 「ある意味ホンネ」というのは,科学者の「あがり」が国家の科学技術政策に関わることだからです.国民の税金で学者になったんだから,国家に奉仕せよ,という或る種の立場の人々のホンネが正直に表されています.もはや,科学の研究とは,人類全体の発展でも,国家・民族のエゴを越えた幸福でもない,国家の戦略に従属するものだ,というわけです.著者の考える科学とは,村上陽一郎の言う「ネオタイプの科学」なのです.それを知って読むべし.
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507. 科学者をめざす君たちへ 科学者の責任ある行動とは
米国科学アカデミー編 (池内了 訳)
化学同人 1996.3
★★★
 The Committee on Science, Engineering, and Public Policy of the National Academy of Sciences of the United States, On being a scientist: responsible conduct in research (1995)の訳.
 90ページほどの小冊子.恐らく科学を志す者なら必ず読んでいるに違いないものです.教科書として異常なほどやさしく書かれていて,さらに,教室でのディスカッション用の例題も含まれています.
 ですが,内容の判りやすさから,科学者でない人も読めます.というか,読んだ方が良いです.現在の科学者という職業の人々がどのような環境にいるのかを知ることができるからです.というのも,この小冊子のほとんどは科学者がともすれば行ってしまうかもしれない様々な不正行為についての話で占められているからです.この強調こそ,アメリカの科学が置かれている実情を明らかにしています.〈グローバル化〉している日本もこのような不正が行われています(つい最近,阪大で不正事件が起こった).
 むしろ,若い学生ではなく,現役の研究者が目を通すべきではないか,と思います.そして,似たような不正行為は別の職業でもあるはず.
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506. 社会現象としての科学 科学の意味を考えるために
B.バーンズ (川出由己 訳)
吉岡書店 1989.1
★★★
 Barry Barnes, About science (1985)の訳.
 科学社会学の基本文献.この著作自体,もう20年前のものであり,若干古くなってしまっていますが,それでもまだ充分に読むに耐えます.原題の通り「科学について」考察する著作で,すぐ下の著作よりおもしろい.やはり数量分析だけでは味気ないのですねえ.社会学の専門家として,社会学的な分析道具を使って科学者社会や科学を含んだ人間の社会の将来の問題まで考察されています.
 結論というよりは,今後の議論の話題を提供する著作.これも,手に入りやすい形で再版してください.
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505. リトルサイエンス・ビッグサイエンス 科学の科学・科学情報
D. プライス (島尾永康 訳)
創元社 1970.1
★★★
 D. J. de Solla Price, Little science, big science (1963)の全訳に関連する論文を3本を付したもの.
 もはや古典なので言うこと無し.40年前にこの本が出版された時の衝撃を理解することはもはや難しいほど,常識となってしまっています.なので,私が今頃これを読むのは間違っているのです.でも,読まなくて過ぎるよりはまし.科学史・科学論関係に関心のある人は,古いからといって看過せずに,手に取ってみてください.古典です.文庫化希望.
 今日隆盛の科学計量学の出発点.科学のインフレイションが40年経っても全く改善されていないことの方が驚きです.そして,そういう状況を知らずに学生が大学に入ってくることも問題かも.
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504. 科学研究における不正行為と信頼関係
キャロライン・ホイットベック (家泰弘 訳)
パリティ』, 20(2005), n. 6: 15-24
 Caroline Whitbeck, "Trust and the future of research", Physics Today, 57 (2004), n. 11の訳.
 著者はWestern Reserve Universityの倫理学教授.The Online Ethics Center for Engineering and Scienceの主催者.物理学の雑誌に出ているということで,物理学における不正行為が科学者たちの意識に昇る歴史を概観し,不正のケイスとその原因,さらに公正な研究を行うための試みについて記したもの.
 すぐ下の著作が主に医学・生物学の話題であったのに対し,こちらは物理学.今年の科学技術映像祭に入賞したNHKの番組『BSドキュメンタリー 史上空前の論文捏造』(この番組の増補版も地上波で放送してほしい)でも取り上げられたベル研のSchönによる捏造事件などもあって,物理学における不正行為が一般にも知られるようになってきました.著者は,まだ科学者たちの倫理観を高めるというくらいで問題は解決しうると考えているようですが,恐らくORIのような制度が必要となるでしょう.なにより,アメリカ的な研究スタイル(もはや世界的に拡大してしまっていますが)に限界が来ていることが,不正行為という形でふつふつと表面化しているのだ,と私には思えます.人口爆発が人類の首を絞めつつあるように,科学研究のインフレーションが科学自体を衰退へと追いやっているのです.
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503. 科学者の不正行為 捏造・偽造・盗用
山崎茂明
丸善 2002.3
★★★★
 著者は愛知淑徳大学文学部図書館情報学科教授.
 科学者の不正行為,特に論文発表の部分での不正行為について,米国の研究公正局ORI(Office of Research Integrity)成立の経緯から現状まで,日本人科学者の米国での不正の実態,ヨーロッパ諸国の対応,不正行為の構造,今後の日本の対応への提言,が論じられています.興味深い.
 米国の研究公正局は,もともと医学・生物学研究の不正に対応するために作られたので,公衆衛生局の関連組織ということになっています.それは,医学・生物分野での研究の不正が,国民の健康に重大な影響を及ぼすと判断されているからです.さらに,医学・生物分野が医薬品開発などで直接金銭に結びつくために不正の圧力が大きいこと,他の精密科学に比べてデイタの「不正」が起こりやすい(起こしやすい)ことも問題です.しかし,研究の不正が精密科学では起こらない,というわけではありません.
 ともあれ,国家的に研究の不正行為に関する〈失敗学〉が既に動き出している米国に対して,ヨーロッパは20年遅れている,というのだそうですが,日本の状況はもっと遅れているでしょう.しかし,この問題への取組次第では,日本人のメンタリティを変えることができるかもしれません(←楽観的すぎるか?).研究の失敗学が必要です.
 参考文献・資料・ネット情報は豊富.最新情報を加えた新版希望.
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502. 科学の罠 過失と不正の科学史
アレクサンダー・コーン (酒井シヅ・三浦雅弘 訳)
工作舎 1990.6
★★★
 Alexander Kohn, False prophet: Fraud and error in science and medicine (2nd ed., 1988)の訳.
 少し前に同様の本を読みました.著者の専門に近い,ということから主に生物・医学関係の科学者たちの捏造・盗作(自己盗作=重複を含む)の具体例を示して,それらのあらましからどのようにして科学の不正行為が起こるのかを分析し,どのようにすれば防げるかについて,若干考察したもの.著名なピルトダウン人事件や,ブロード&ウェイドでも挙げられていたアルサブディ事件,最近文庫化されたケストラーの研究で有名なカンメラー事件,古くはニュートンやプトレマイオスまで,様々な不正あるいは不正に限りなく近いデイタ操作(英語ではcookingという)の実例が挙げられています.特に現代になると,実例の議論内容が細部に入り,素人では判りにくくなってしまうのが少々問題.
 この本ではまだ,アメリカ連邦政府が取り始めた対策については触れられていません.これらの著作による告発などがきっかけで,政府レヴルでの対策は既に動き出していますが,それはまた別の著作で.
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501. こども科学館第24巻 特集・はつめい ものがたり
国際情報社 1962.4
★★★
 懐かし科学史シリーズ.『こども科学館』というのは全24巻のシリーズで,この号は最終巻となります.
 表紙の写真は,上野の国立科学博物館所蔵の萬年時計.最近NHKスペシャルで,この装置の複製造りの様子が放送されていて,現在愛・地球博において複製が展示されているそうです.ただ,この本でのこの装置についての説明は4行だけ.
 内容は,古今東西の発明に関するお話を,主に小学校中学年向けにやさしく教えています.発明といっても機械的な発明ばかりではなく,理論の「発明」(ニュートンの万有引力とかダーウィンの進化論とか)も含まれているので,科学史を扱っていると言っていいでしょう.
 陣内利之による「カンちゃんのどろぼうたいじ」という見開き2ページのマンガは,まるっきり『ホーム・アローン』です.また,戸川幸夫による「れんさい動物ものがたり」では,イラストを山川惣治が書いています! 山川惣治の虎の絵だ,素晴らしいな.
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