本と論文のご紹介
古いものから新しいものまで バックナンバー篇
By Eio Honma

随時更新:下から番号順に新しい.一番下へ 501以降


500. シリーズ学びと文化3 科学する文化
佐伯胖・藤田英典・佐藤学 編
東京大学出版会 1995.8
★★★
 主に小中学生に科学を教えることに関する,教育学の専門家,現場の教師,科学者らの話と,対談で構成された著作.佐藤勝彦と広中平祐が自らの科学者としての歩みと展望を語っています.
 この著作の諸論文,特に対談部分を読むと,科学教育・科学倫理・科学史が密接に関連していることが判ります.科学教育が科学の現状に追いついていなかったり,むしろ小学生への科学教育の方が現代科学の歪みを示すことになってしまっていたり.科学について考察するためには,科学理論の進展や科学者の行為ばかりを追いかけるだけでは不充分で,というよりもそれだけでは誤りであって,教育・社会への影響(即ち倫理)の場面までを含めなければいけない,ということが実に良く解るのです.私のような科学史の周辺をうろつく者だけでなく,このページを読んでいるあなたも,科学者共同体の重要なメンバーなのです.

499. 入門講座デジタルネットワーク社会 インターネット・ケータイ文化を展望する
桜井哲夫・大榎淳・北山聡
平凡社 2005.1
★★★
 東京経済大学コミュニケーション学部の教授・助教授・講師によって書かれた情報化社会論の教科書.コンピュータとインターネットの原理と歴史を扱う第I部と,ネット・ケータイの社会・文化への影響を扱った第II部と,45のキィワード解説によって構成されています.入門書・教科書としては充分すぎるほど理解しやすく,意外なほど速く読めます.関心はあるけれど,何をとっかかりにしたらいいのか判らなかった人は,この本から入りましょう.さらなる勉強のための参考図書・URLも豊富です.
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498. 現代のエスプリ2001年4月号n.405 携帯電話と社会生活
川浦康至・松田美佐 編
至文堂 2001.4
★★★
 主に日本の携帯電話に関する社会学的な論文をまとめたもの.このあとに下の『ケータイ学』が出版されることになります.ただ,ここではまだ基本的にケータイ「電話」についての考察です.続けて読んできたので,特に新しい感じがありません.また,犯罪や売春などの社会問題とケータイとの関係などについての視点もありません.
 わずか4年前の論文集ですが,状況は変わりましたね.この数年でケータイは劇的にマルチメディア(この言葉は死語か?)化して,公ではほとんど電話として使用している場面に出会わなくなりました.或る意味では,携帯電話使用が成熟した,と言えるのでしょう.
 これまでの著作で扱われていない点としては,カメラ付きケータイのコミュニケイション,さらには第3世代の動画とテレビ電話機能(これこそマルチメディア化の完成なのではないか)のコミュニケイションへの影響,といったところでしょうか.どこかで研究がまとまっているのかもしれませんが.
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497. 絶え間なき交信の時代 ケータイ文化の誕生
ジェームズ・E.カッツ+マーク・オークス編 (立川敬二 監修;富田英典 監訳)
NTT出版 2003.6
★★★
 James E. Kats & Mark Aakhus (eds.), Perpetual contact: mobile communication, private talk, public performance (2002)の訳.
 世界各国のケータイ事情について報告・分析する第1部,欧米でのケータイによる個人行動の変化についての第2部,ケータイによる社会の変化やより理論的な研究(この中にシェグロフによる会話分析も含まれる)の第3部,シェグロフのエスノメソドロジー関係の論文が補論として収録されています.
 1999年12月にアメリカ・ラトガース大学で行われたケータイについてのワークショップでの報告からまとめられた論文集.ケータイについての国際的比較がなされている点で非常に画期的です(日本が含まれていないのは残念の極み).そして,ケータイの登場によって様々な文化に似たような状況が生じつつあることが報告されています.ノルウェイやフィンランド(ノキアの故郷)の10代若者の状況は,下で読んだような日本の状況と一見非常によく似ています.技術決定論と社会構成主義の二分法を避けて,この普遍性を説明するために編者たちは「機械精神Apparatgeist」という概念を導入するのですが,これが私には理解できませんでした(訳者も説明不足であることを指摘している).あと,会話分析も期待はずれ.
 ともあれ,ケータイの世界的状況を概観することができます.
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496. メディアとしての電話
吉見俊哉・若林幹夫・水越伸
弘文堂 1992.11
★★★
 「論文集ではない」と書いてありますが,それは構成する諸章が緊密に関連しているということです.電話について複数の視点から眺めたメディア論集.ただし,時代が時代だけに,まだ固定電話が中心で,ケータイについてはほとんど触れられていません.今となってはなつかしい,パーティラインやダイヤルQ2などの話題が多く取り込まれています.その意味で,歴史的な資料としても重要でしょう.
 著者たちは,主に社会学的・メディア論的な立場から論じているために,技術・産業史的な観点はありません.恐らく,両者は相補的であり,同じ現象を複数に解釈できるところに歴史記述のおもしろさがあるのですが.
 この種の研究には他にめぼしいものがないらしく,最近出た下の著作などでも,この著作が参照されています.確かに,優れた考察が多く含まれていて,まだまだ読む価値はあると思われます.
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495. ハイデガーとハバーマスと携帯電話
ジョージ・マイアソン (武田ちあき 訳)
岩波書店 2004.2
★★
 George Myerson, Heidegger, Habermas and the mobile phone (2001)の訳.Hで揃えたかったんだろうな.
 ケータイによるコミュニケイションの特質を,ハイデガーとハバーマスのコミュニケイション理論と比較して論じたもの.要点は大澤真幸による解説にまとめられていて,それを読めば充分.というか,解説の方が優れているようです.原書は,ケータイにかこつけたドイツ哲学の解説のようですから.上から降りてくる哲学者たちのコミュニケイション論が現実に立ち向かうとどうなるか,ということに関心がある人は読んでもいいですが,私にはそういう趣味がありません.
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494. ケータイ学入門 メディア・コミュニケーションから読み解く現代社会
岡田朋之・松田美佐 編
有斐閣 2002.4
★★★★
 下のアップデイト版……というよりは,より「学」としての形態(ケータイではない)を整えた著作.通読して,それ自体おもしろい読み物ですが,教科書としても使用できるようにもなっています.副題の通り,狭義のメディア論・コミュニケイション論に留まらず,広く社会学的考察に開かれていて,ケータイから観る社会学入門といったところ.参考図書も豊富です.
 ギョーシャが書くようなケータイ賛美でもなく,「知識人」のケータイ嫌いでもなく,ちょっと突き放してケータイと社会を論じることができるあたりが社会学のスタンスなのですかね.その分,深みが無くておもしろくない(歯ごたえがない)ということも言えるかも.まあ,くだらない哲学的議論で煙に巻くよりははるかにマシですけどね.
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493. ポケベル・ケータイ主義!
富田英典・藤本憲一・岡田朋之・松田美佐・高広伯彦
ジャストシステム 1997.6
★★★
 この間,大学1年生に訊いたら,ポケベルというものを知りませんでした.時の流れは速い.90年代中盤は,マルチメディアが話題となり,インターネット,ケータイなどが世間の耳目を集めていた時代でした.それらの新しいメディアについて,特に学術的な扱いを受けることが少ないケータイとポケベルに焦点を合わせてメディア論的・社会学的に論じた著作です.いまだに参照されるところをみると,この書が優れていることもさることながら,他の研究が少ない,ということがあるのでしょう.
 論文のいくつかは,もはやメディア史の領域に入ってしまいました.ケータイが排除の対象になるという感覚も現在ではちょっと理解しにくくなってしまいました.しかし,いくつかの論文はまだ重要です.旬は過ぎていることを認識した上で読みましょう.
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492. 〈イメージ〉の生成という視覚経験 読む・ふれる・見る
谷本奈穂
社会学評論』, 2005, 55-4: 418-433
 この雑誌は年度ごとに年4冊発刊されて,55巻1-3号は2004年ですが,第4号だけは2005年,ということになっています.
 著者は関西大学総合情報学部専任講師.
 論文.現代社会における視覚経験が,過去の西欧の視覚理論の「モード」,読解モード(図像を「読み解く」=言語をモデルとする)と一体化モード(図像を芸術作品のように「一体化して直接交流する」=芸術作品をモデルとする)ではない,全く別のやり方になっていることを指摘するもの.その視覚経験とは,現代の様々なメディア(雑誌・TVなど)に現れる図像や動画を,真剣に見るのではなく,パラパラめくったり,ザッピングしたりというような「ちらっと・ぼんやり散見する」モードで,視覚メディアをモデルとしていて,著者は「〈イメージ〉の生成」と名付けます.ここで言う〈イメージ〉は曖昧な視覚的なことを指し,日本語のイメージという語感に近い用法です.「生成」というのは,イメージが先に存在してそれを読み解く,というのではなく,我々の頭の中にだけイメージがある,というのでもなく,外的な視覚情報と我々との相互作用によって「生成される」ものだから,ということです.
 このようなざっと眺めるだけの視覚モードは,現代社会の情報過多による視覚の麻痺に由来する,と著者は言います.溢れる情報全てを精密に読解したり,一体感を感じるように熟視したりはできないからです.また,いわゆる読書革命論との平行性も著者は指摘します.なるほど.
 副題の3つが,3つのモードに対応するわけです.しかし,我々は,ザッピングしてひとつところに落ち着き熱心に観ることもあります.美術館では看過と恍惚たる一体感が隣接してあります.これら3つのモードがどのように使い分けられるのか,をこれから探求していくべきでしょう.
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491. 現代思想としてのギリシア哲学
古東哲明
ちくま学芸文庫 2005.4
★★★
 1998年に講談社選書メチエから出ていた本の文庫化.著者は広島大学教授.
 今はもう懐かしい「現代思想」を古代哲学で救おうとする試み.というか,哲学というものを救おうとする試みかもしれません.なので,古代哲学の解説や現代思想の解説を期待すると間違いです.むしろ,著者なりの問題意識で描かれる思想史(「哲学史」だと言われるかもしれませんが)というべきで,内容的にも著者の主張の部分がおもしろくなっています.それが,どれほど独自で斬新なのかを部外者の私には判断できませんが.
 で,哲学は救われるのか.この著作の最後にして最も興味深い部分では,ストア倫理学が論じられています.
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490. アリストテレス
今道友信
講談社学術文庫 2004.5
★★★
 もとは同社刊『人類の知的遺産』シリーズの1冊.改訂増補されているので,こちらを読むべし.
 アリストテレスについて一通り或る程度詳しい解説がなされています.アリストテレスについて知りたいが,最初に何を読んだらいいのかな,という方には,この著作をお薦めします.文庫でハンディなところも良し.特に,著者自身の見解を随所に盛り込み,さらにはマニュスクリプト読みまで解説しているあたりは他の一般的な解説書にはない特色でしょう.ただ,著者が他で行った大仕事(岩波版全集の『詩学』の訳と解説は重要だ)は,そちらを参照せよとのことで,この著作には含まれていません.
 著者自身は,キリスト者であり,中世哲学との関連からアリストテレスに入りました.しかし,アリストテレスの影響は中世に留まらず,実は現代も生き延びているし,現代の自然科学もアリストテレスの説明方法ならばかえって解りやすくなるやもしれません.アリストテレス無き西洋思想を受け入れた日本人が改めてアリストテレスを学べば,何かしら得るところがあるように思われます.
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489. 世界を救った医師 SARSと闘い死んだカルロ・ウルバニの27日
NHK報道局「カルロ・ウルバニ」取材班
NHK出版 2004.7
★★★
 2004年にNHKスペシャルとして放送された番組を基にしたもの.その番組は,私も放送時に見ました.良かった.
 もともと「国境なき医師団」に所属していたイタリア人医師ウルバニが,WHOの職員として滞在していたヴィエトナムで出会ってしまった謎の病気(後に「SARS」と命名される)に関わり,迅速に初期対処して後,自らも罹病して無くなった27日間のドキュメント.27日,といっても実質最初の1週間だけ(後はSARSに倒れて入院していた)なのですが,その1週間がヴィエトナムを惨事から救ったのでした.病気が徐々に蔓延し,医者や看護婦すら怯えて逃げ出し始める時に,瀕死の患者たちに付き添い励ましながら,病気についての情報をWHOに送り続けたウルバニ.こういう医師がいたことを知っておくべきです.
 TVにはなかった後日談もあり.二度と「ウルバニ」を出してはならない,即ち1人の医師の個人的努力によって流行病を防ぐというような英雄的な幸運を待つべきではなく,ちゃんとした組織・仕組みを作って対処しなければならない,という反省がウルバニの死への手向けとなるでしょう.しかし,翌年の鳥インフルエンザでは,SARSの教訓が活かされなかったようです.
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488. まぼろし万国博覧会
串間努
ちくま文庫 2005.4
★★★
 著者は「日曜研究家」.昭和の「B級文化」の収集・研究についての多くの著作があります.本書は,1998年に小学館から出版されたものの文庫化.時期を得た再版です.
 著者の主宰する雑誌『日曜研究家』で募集したアンケートと当時の新聞雑誌の情報を丹念に拾って,あのEXPO'70の狂乱を再構成した著作.実におもしろい.それも,万博の主催者や関係者からの目線ではなく,行った人・関係者だけど最前線にいた人たちからの目線というのが良いです.なので,必ずしも上品な話ばかりではなく,下世話な話もシモの話もあります.そして,この出来事がいかに衝撃的であり,28年経っても刻銘に記憶しているのか,ということが解ります.
 35年前も開会式の前日に雪が降ったのだとか.出足が鈍くて困った辺りも,「歴史は繰り返す」のかもしれません.
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487. 万博幻想 戦後政治の呪縛
吉見俊哉
ちくま新書 2005.3
★★★
 下の著作の続きでもあり,また別の視点から万博の「政治学」を検討する著作.
 この著作では,大阪万博・沖縄海洋博・筑波科学博・愛知万博を取り上げ,それらの背後にある開発の夢と挫折,環境への配慮という視点(もちろん不完全),市民参加のあり方などが,著者の実体験を含めて論じられます.特に,ひょんなことから愛・地球博に関わらざるをえなくなった著者が,内部観測者として今回の万博準備の紆余曲折を記述していく部分こそ,この著作の目玉でしょう.かなり複雑な過程を辿るのですが,今回の万博に全く関心がない私にもおもしろく読める部分でした.
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486. 戦争と万博
椹木野衣 (さわらぎ・のい)
美術出版社 2005.2
★★★
 著者は多摩美術大学助教授で,美術評論家.『美術手帖』に連載したものを基に加筆訂正されています.
 1970年の大阪万博の建築・美術思想の,十五年戦争中の建築・美術思想との意外な関連を指摘し,「万博」が「戦争」であったことを論じる.大阪万博について文明批評的なものではない,(私にとって)意外な視点からのまともな評論で,非常に興味深いものでした.標題からして意外なもので,おもわず手にとってしまいました.そして,読んでみて,戦争中の建築思想が万博に与えた影響,そして震災や戦争による廃墟こそが重要な日本の建築家の原点であること,の指摘によって,納得するわけです.特に,日本における「環境」というものの思想については,欧米とは別の根っこもあるぞ,ということが解ります.ともかく,万博について別の見方を提供してくれるこの著作は,今まで読んできたものとは違う重要性があります.
 私の知らない世界の話なので,非常におもしろかったです(ダダカンとか).
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485. 科学史のための「弁明」 科学史とはなにか,それはなぜ重要か
トレヴァ・ルヴィア (内田正夫 訳)
東西南北 和光大学総合文化研究所年報』2005年, 212-238
 著者はカナダのトロント大学科学技術の歴史哲学研究所教授.化学史の専門家で,昨年6月に来日し,専門に近い方の講演"Past and present in the history of chemistry"は『化学史研究』2005, 32: 1-19に載録されています.
 この講演は,和光大学で行われた科学史の専門家ではない人々に向けた科学史入門の意味のある科学史研究の歴史の解説.主に英語圏での科学史の展開を追ったものです.専門家向けではないので,一般に解りやすく書かれてあります.特にタイトルに「弁明」とあるように,科学史研究の意義について著者なりの見解が述べられています.一言で言えば,理科教育に役立つよ,ということ.
 この「弁明」が受け入れられるかどうかは別として,少なくとも科学史という学問が何をしてきたのか,ということを知るには非常に便利な小文になっています.科学史に関心のある人なら目を通しておくべきです.
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484. テクノリテラシーとは何か 巨大事故を読む技術
齋藤了文 (さいとう・のりふみ)
講談社選書メチエ 2005.2
★★★★
 著者は関西大学社会学部教授で,工学倫理が専門.
 これだけ技術によって作られたものに囲まれて生活している今日,技術の専門家ほどではないにしても,普通の人が技術というものを知ることができる「技術」(=テクノリテラシー)が必要とされています.特に,技術についてのテクニカルな知識というよりは,ものを作る人の考え方・リスク評価のやり方を理解することの重要性を著者は説き,その具体例として過去の実際の事故を取り上げています.自動車や飛行機などの事故だけではなく,銀行のATMシステム混乱や牛肉偽装表示問題も扱われます.技術倫理の問題についての非常に判りやすい入門書になっています.私はおもしろく読めました.
 著者は「人工物に媒介された倫理」という考え方を提示します.「人工物に媒介された」といえば,ヴィゴツキーを連想します.思えば,科学という営みも「人工物に媒介され」ています.これからの科学・技術論というのはここがキィなんだな.
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483. 流れを読む心理学史 世界と日本の心理学
サトウタツヤ・高砂美樹
有斐閣 2003.10
★★★
 いわゆる学説史.心理学の専門課程の学生に教えるための教科書を目指しているものらしく,心理学についての入門教科書程度の知識は必要です.というか,心理学を学んでいる人にしか判らないでしょう.それほど内容については最低限の説明だけで駆け足に,最低限のことを200ページ弱の本文に詰め込んであるのです.従って,初心者向けにあらず.
 年表と参考図書は充実.なので,初めて心理学史を勉強するために読むというものではなく,しばらく学んでから「流れを読む」ために手元に置いておくべきものです.
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482. エッフェル塔ものがたり
倉田保雄
岩波新書 1983.4
★★★
 万博もの続き.
 もはやパリの名物であるエッフェル塔も1889年のパリ万博用に作られました(当初は20年で撤去される予定だったそうです).この著作は,共同通信社のパリ支局に勤めていた著者が,エッフェル塔に関するウンチクを調べたもの.ひらがなで「ものがたり」という題名と同じくらいの気軽さで読めます.
 このエッフェルという人物は結構おもしろそう.橋の設計者として「鉄の魔術師」とも呼ばれた人物ですが,エッフェル塔の華々しい成功の後,パナマ運河に関わって投獄されたり,飛行機を作るため風洞を作ったり,意外にいろいろなところに足跡を残しているようです.調べると日本語訳の伝記もあります(アンリ・ロワレット(飯田喜四郎・丹羽和彦訳)『ギュスターヴ・エッフェル パリに大記念塔を建てた男』西村書店 1989.10).
 少々不謹慎な話ですが,エッフェル塔で最初に自殺した人は1階のフロアで首つりをした男なのだそうです.絶好の飛び降りポイントでなぜ,と当時の人も疑問に思った,と著者は書いています.
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481. パンダの死体はよみがえる
遠藤秀紀
ちくま新書 2005.2
★★★★
 昨年,私は,順天堂大学で開催された三木成夫シンポジウムに参加しました.その時,私の前に発表していたのがこの著者でした.たいへんおもしろいお話でした.著者は国立科学博物館の学芸員(現在の見事な動物標本の重要な部分を著者が作った)でしたが,今年の2月から京都大学霊長類研究所教授になりました.なので,この著作では国立科学博物館の職員としての話しかでてきません.
 動物の遺体を解剖し探求することに対する情熱が詰め込まれている著作.欧米の整った体制に比べて,せっかく作った標本が保存されない日本の大学や研究機関の仕組みや,動物学や解剖学が遺伝子や分子メカニズムの研究に傾いて,いわば〈研究室化〉していること(大学の解剖学の教師が動物遺体の臭いに不快を表したことを著者は繰り返し語る)に対する不満から,何かのために遺体の一部だけを対象とする科学ではなく,遺体そのもの収集し保存し研究対象にする「遺体科学」を著者は提唱します.マイケル・コールの言う「ロマン主義科学」に分類されるでしょうか.有用性・有目的性・経済性を追求するのではない科学,という夢を著者は語るのです.その夢を,京都大学で果たそうとするのでしょう.
 標題のパンダの話は,先の三木シンポで聴いたものでした.グールドにより有名になったパンダの「第6の指」.著者は上野動物園のパンダが亡くなった際に,これを確かめようと調べますが,定説と異なりこの「第6の指」は,人間の親指のような役割を果たしていないことが判明します.では,パンダはどうやって笹を握っていたのか.著者はCTやMRIを利用して,パンダの「第7の指」とその役割を発見するのです.
 文章はそれほど上手とは言えないのですが,読ませる迫力を持っています.関心のある人は是非読んでみてください.
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480. 帝国の視線 博覧会と異文化表象
松田京子
吉川弘文館 2003.11
★★★
 著者は愛知教育大学助教授.専門は近代日本史.
 1903年に大阪で開催された第5回内国勧業博覧会を題材として,博覧会の「政治学」,特に日本帝国の植民地(と,沖縄・アイヌなどの半植民地)を「展示」するやり方とその「展示」を正当化する知(=人類学)のあり方を論じた著作.
 博覧会の政治学的な観点は,主に下の吉見の見解を受け継いでいます.吉見の研究が様々な博覧会に共通する部分に注目したのに対し,著者は個々の博覧会の持つ特徴とその背景について詳しく分析していきます.特に,博覧会が多く行われた時代が「帝国の時代」に重なることから,博覧会の持つ帝国の視覚化という性格に注目し,人類学的な展示物について論じています.正確には博覧会ではないのですが,坪井正五郎の人類学と,その東京大学人類学教室での展示会の分析が興味深い.
 同時代の欧米の人類学と坪井との相違が論じられていれば,より坪井の独自性が解りやすくなったでしょう.
 日本近代史を研究する際に,日本が「帝国」であったことを忘れるな,というのは重要な指摘でしょう.旧帝大っていくつあったか,というクイズがあります.7つではなく,9つですよ.
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479. 博覧会の政治学 まなざしの近代
吉見俊哉
中公新書 1992.9
★★★
 いちおうこの著作もおさえておきましょう.
 主に万博の歴史を辿りながら,その視覚装置としての役割を分析した著作.その「視座」からの話題が集まっているので,便利な本になっています.
 大阪万博での大量動員の話が出ています.そうでなきゃ6000万強の人は行かなかったのでしょう.今回もかなり動員がかけられているようです.
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478. 皇紀・万博・オリンピック 皇室ブランドと経済発展
古川隆久
中公新書 1998.3
★★★
 著者は横浜市立大学助教授で,専門は近現代日本史.
 皇紀2600年=昭和15年=西暦1940年を中心にした日本での数々のイヴェントの実際を詳細に追いつつ,その中で「皇室ブランド」がどのように使用されたかを論じた著作.「皇室ブランド」というのは著者の造語で,天皇家(現在の天皇家から歴史的な祖先まで含む)の使用価値のようなもの.著者は,戦前の皇室ブランドの使用に2種類を認めます:(1)経済発展指向,皇室ブランドを利用してイヴェントを行い,地域や国家の経済発展を狙うもの(明治の万博構想は外貨獲得を狙っていた),一方では経済的困難を隠蔽するためにも使われた(万博を先延ばしする口実としてキリの良い皇紀2600年が選ばれた);(2)国民統合指向,戦時下の国民動員のための口実としての使用.この2つの異なったブランドイメージが皇紀2600年の様々なイヴェントに「同床異夢」していた,ということを明らかにしていきます.なるほどねえ.戦前の皇室ブランドといっても暗い側面ばかりではなく,かといって手放しで賞賛すべきものでもない,もっと複雑でおもしろい現実がある,ということを著者は示そうとしているのです.
 戦前の2つの「幻の万博」について,特に,一般的に「幻の」とすら言われていない明治時代の万博計画について詳しく書いてある,ということでこの著作を読みました.今も昔も万博は経済効果なのですねえ.
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477. デパートを発明した夫婦
鹿島茂
講談社現代新書 1991.11
★★★
 1852年にパリで誕生した世界初のデパート「ボン・マルシェ」創立者ブシコー夫妻が作り出した様々なシステムから,近代消費社会が生み出される様子を描く.一応万博の流れです.
 下の本が理論編とすれば,こちらは実践編.デパートという仕組みは,単なる物品の陳列を行う場所ではなく,人を集めて,消費への欲望を駆り立てる場所であり,そのために考え抜かれた陳列,入りやすい店作り(無料のカフェ,きれいな女性用トイレ=もちろん無料,など),店員の接客態度の改善(嘘を言わない・押しつけない),客寄せのためのイヴェント(バーゲンセール,季節の大売り出し),という見た目だけではなく,客が何を買うべきかという「教育」,店員にやる気を出させるための雇用システム(サラリーマンというシステムを生み出したのもボン・マルシェだという)なども作り出しました.
 すごいぞすごいぞ,という紹介に終始して,その背景や歴史,他への影響については触れられていないのが残念です.まあ,新書だから多くは望まない.
 現代の社会システムの多くが,このデパートの創設者夫婦のアイディアに端を発するというのは驚きな話.デパートというシステムが過去のものになってしまっている現在,新しい社会を作り出すモデルはどこに生まれているのでしょう.
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476. 夢の消費革命 パリ万博と大衆消費の興隆
ロザリンド・H. ウィリアムズ (吉田典子・田村真理 訳)
工作舎 1996.3
★★★
 Rosalind H. Williams, Dream worlds: Mass consumption in late nineteenth-century France (1982)の訳.著者はMITの思想史家.
 万博というサブタイトルでしたが,内容はほとんど万博のことではありません.18世紀後半のフランスにおける経済思想および社会思想の流れの中に今日的な意味での「消費」が生まれ育っていく状況を幾人かの論者(ユイスマンスとデュルケム以外は知らない人ばかりだ)を取り上げて再構築していくもの.一言で言えば,消費の思想史といったところでしょうか.原題の「夢の世界」というのは,消費を通じて獲得できる(にちがいない)世俗的な楽園を意味しています.
 この辺の歴史事情や経済思想についてまるっきりシロウトの私にとってはかなり読みにくいものでしたが,おもしろくないというわけではありません.経済と宗教と倫理と社会思想とが複雑に絡み合っていて,取っつきにくいというだけ.この著作の終わりくらいになると慣れてくるのですがね(もう一度読み返す気力は……).ただ,フランス人が書いたものでない,というのが救いです.
 こういう書き方もあるのだな,と感心させられた1冊.
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475. 絶景,パリ万国博覧会 サン=シモンの鉄の夢
鹿島茂
河出書房新社 1992.12
★★★
 著者は共立女子大学文芸学部教授(フランス文学).私にとっては『子供より古書を大事と思いたい』(文春文庫)の著者です.
 ロンドン万国博覧会,日本の万博への取組み,ときて,今度はパリ万国博覧会の話.
 ナポレオン3世帝政下で1855年と1867年に行われたパリ万博を思想的背景から分析するもの.1851年ロンドン万国博覧会のモデルとなった革命下フランスでの内国博覧会から始まる万国博の系譜,特異な思想家サン=シモンの理想とそれの正統な後継者ミシェル・シュヴァリエ,帝政下でシュヴァリエら主導の,サン=シモンの夢を具現化した万国博覧会.複雑かつ興味深い歴史がわかりやすくえがかれています.図版多数.参考図書あり.
 私はこの辺には全くのシロウトなのですが,充分に理解できました.特に,19世紀におけるサン=シモン主義の重要性(と奇妙さ)というものに関心を惹かれます.雑な通史理解では空想社会主義としてあっさり切り捨てられるものですが,時の権力者への影響力や理想が万国博覧会に結実したことなどを考慮すると,もっと注目すべきなのでしょう.
 ちょっと気になっていたことが判明しました.ロンドンの「万国博覧会」はThe great EXHIBITIONであるのに,今日ではThe international EXPOSITIONになっているのは何故,と思っていたのですが,EXPOの方はパリ万博以来の名称で,意識して違う言葉を使ったのですね(背後にある思想が異なっていたから).
 この著作も2000年に文庫化されているのですが,現在入手困難.もちろん,ハードカヴァー版も絶版です.万博年に万博の歴史の本を絶版にしておくというのは,いかにも商売気がないですなあ.
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474. 万国博覧会の研究
吉田光邦 編
思文閣出版 1986.2
★★★
 下の科研費研究のメインの出版物.論文集です.2部構成で,第1部が外国の万博,第2部が国内の話,ということになっています.
 第1部の三宅宏司「クルップ社の19世紀 2人のクルップ・万国博覧会・日本」で,ドイツの兵器会社クルップ社が万博をバネに世界的企業に成長した経緯と日本との関係を論じたものです.このへんのことは,単純に私が知らなかった話なのでおもしろく読めました.
 同じく第1部の井上章一「パリ博覧会日本館・1937 ジャポニズム,モダニズム,ポスト・モダニズム」は,1937年のパリ万博での日本館建設を巡るスキャンダルを,同時代の「モダニズム」を巡る論争と絡めて論じたものです.日本的なものにこだわった日本の万博主催者を騙すような形でモダニズム建築を作ってしまったら,それが妙に外国ウケしたり,そのモダニズム建築を批判する評論がかえってモダニズムを越えるものを含んでいたり,その批判に対して反批判するモダニズム建築家たちが(自分たちは最先端の外国のモデルを取り入れた改革者のつもりだったのに)新しさに囚われてそれを乗り越えることができない「保守派」になってしまったり,と一筋縄ではいかない歴史のおもしろさがあります.
 こういう論文集には珍しく,10年で再版されています.結構読まれているのですね.
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473. 改訂版 万国博覧会 技術文明史的に
吉田光邦
NHKブックス 1985.3
★★★
 下の研究を踏まえて,著者が,万博に関して日本側からの歴史を描いたもの.基本的に戦前までの万国博覧会の話なのですが,改訂版によって戦後の話が盛り込まれました.
 この著作の独自で興味深いところは,I「日本人と博覧会」,III「内国勧業博覧会と幻の日本万国博」です.江戸時代の物産展からはじまり,日本における万博前史である内国勧業博覧会と民間による京都博覧会について記述されていきます.19世紀の国内博覧会のみならず本物の万博に関するお雇い外国人ワグネルの奮闘に関する話もおもしろい.ワグネルことGottfried Wagnerについては,日本語のまともな伝記がないのですね.
 IV「二十世紀の万国博覧会」において,博覧会の出展品分類の変遷の分析から技術文明の構造変化を読みとるというあたりが「技術文明史的」なところ.もともとが,イギリスの技術のすごさを見せつけるためのイヴェントだったわけですからね.
 下の本でも言われていましたが,万博は巨大すぎて,書くべきことがありすぎて,どうしても少しずつつまみ食いだけに終わってしまいがちです.この著作もちょっと盛り込みすぎかな.入門的な著作(というか,個別研究はほとんどないのですが)なのでそれで充分です.けれど,参考図書を紹介して欲しかった.

【後記】同じ著者による『お雇い外国人2 産業』(鹿島研究所出版会 1968.3), 74-96頁に,ワグネルについてのいくらか詳しい話が載っています.
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472. 図説万国博覧会史 1851-1942
吉田光邦 編
思文閣出版 1985.3
★★★
 1985年には「つくば科学万博」が開催されました.その前に,京都大学人文科学研究所が中心となって博覧会についての科研費研究が行われ,この図版集と論文集が出版されました.今回の愛知万博でもおもしろい研究が行われているのでしょうか.
 題名通り,万博史最初の百年の様々な図版をテーマ別に集めて,各々2ページの解説を加えたもの.さすがに,万博だけあって,図版や写真が多く残されています.建物の構造や配置,出典品だけでなく,観客の様子というテーマもあります.ただ,解説は短いので,各テーマの詳細については別の論文集を参照しなければならないでしょう.

【後記】474を参照
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471. 偉人と語るふしぎの化学史 化学法則を生み出されるプロセスを追体験する
松本泉
講談社ブルーバックス 2005.1
★★
 著者は高校の理科の先生.
 理科の先生と高校化学部の男子と女子の3人が「タイムメディシン」(化学だから)を使って,古代ギリシャ・大革命期フランス・19世紀イギリスという化学史上の重要な時代に飛んで,それぞれの時代の学者が登場する架空の討論会に参加する,という形式.足りない部分は先生が補足説明してくれます.中学程度の化学を理解させることを目的としています.作りは,米山正信の『化学のドレミファ』を思わせます.
 あくまでも理論の理解が問題なので,歴史として読んではいけません.だから,この著作は『化学史』というタイトルであるべきではなく,「化学史を使って化学を理解する」というように「化学」を主としたタイトルにすべきです(実際,そういう内容だからです).大いに誤解を招く,ということで,評価を下げました.
 「中学生」向けということで柔らかくすることに充分注意したのでしょうが,私はちょっとアレルギー反応が出ました.私のような世代が見てもちょっと恥ずかしくなるような部分が多く(特に女の子の設定は昭和),本来の読者たちがどう反応するか,若干危ぶまれます.それでも,今の学生さんなら,「一回りしておもしろい」とか感じてくれるでしょうか.また,イラスト(狩那匠による)がソレ系を狙っていて,これもまた善良な(?)読者を遠ざける結果にならないかどうか心配です.
 同姓同名のマンガ家がいますが,全くの別人.
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470. 水晶宮物語 ロンドン万国博覧会1851
松村昌家(まつむら・まさいえ)
リブロポート 1986.6
★★★
 著者は19世紀英文学(特にディケンズ)の専門家.
 「最初の万国博覧会」である1851年のロンドン万国博覧会の舞台となった「水晶宮(クリスタル・パレス)」の誕生前史から死までを豊富な図版と共に追いかけるお話.万博の主唱者婿殿アルバートの苦難,水晶宮の設計者パクストンの立身出世物語,シデナムにて楽園となった水晶宮(しかし,経済的には苦戦),1936年の焼失,と波瀾万丈の水晶宮の生涯が,ヴィクトリア時代から第二次大戦前への激動の歴史を背景に語られていきます.なかなかおもしろい.
 題名の通り,水晶宮が主役の物語であって,万博は添え物的な扱いになっています.けれど,フィートだのヤードだのガロンだのシリングだの馴染みのない単位ばかりで全く実感が掴めないのが残念.
 この著作は,後に「ちくま学芸文庫」に入りましたが,現在その文庫は入手困難です.そのために,図書館で古い本を探さなければなりませんでした.そろそろ復刊を考えてください,筑摩書房さん.
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469. 知能の謎 認知発達ロボティクスの挑戦
けいはんな社会的知能発生学研究会編
講談社ブルーバックス 2004.12
★★★
 「けいはんな」というのは関西文化学術都市のけいはんなプラザで会合が行われていたから.会合のスポンサーにもなっているようです.作家の瀬名秀明の他,日本の優れたロボットや人工知能研究者が集まった研究会です.
 その人々が,人間とロボットの知能に迫るための7つのアプローチを論じる小論を分担して書き,それらの間に座談会をはさんだ形式で展開します.ロボット研究から人間の知能の理解へのフィードバックなどの話題もあります.ただ,それぞれの分量が少ないので,ちょっと長くして話が展開すればおもしろくなったのに,と思います.途中の座談会も,感じは伝わるものの,細部については理解できない(「暴力的」って何だ?)部分が多いので,無かった方が良かった.全体的に工学者の発想でできているので,私のような部外者には不思議な味わいの著作でした.
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468. 「万博」発明発見50の物語
久島伸昭(きゅうしま・のぶあき)
講談社 2004.12
★★★
 著者は2005年日本国際博覧会営業室営業部長.つまり,愛知万博=愛・地球博の主要な関係者.
 万博の歴史についてトピックス毎に読みやすくまとめたもの.著者自身が,愛知万博に携わることになって,万博の歴史を調べ始め,雑誌に連載した記事を基にしています.時として専門家がやってしまうような〈上から書く〉ようなところがなく,非常に読みやすいです.
 題名通り,万博で初めて紹介されたもの,広まったものを様々な分野で取り上げています.エレヴェイタや蓄音機が万博で初めて紹介されたというのはあまりにも有名ですが,ホットドッグやクリームソーダ,ブランドのエルメスやルイヴィトン,ティファニーも万博がらみで普及したというのは知りませんでした(←私だけか?).あまりにいろいろな話題が出てくるので,著者も述べているように,万博の世界の巨大さに圧倒されてしまいます.おもしろいなぁ.
 万博ものに関しては多くの著作があるようですが,この本あたりを入門としてみるといいかも.最新の著作でもありますし.参考図書多数.
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467. 前期旧石器問題とその背景
段木一行(だんぎ・かずゆき)監修 法政大学文学部博物館学講座編
ミュゼ 2002.4
★★★
 2001年7月に法政大学で行われたシンポジウムを本にしたもの.
 考古学研究者,博物館学の専門家,生涯学習の専門家などがそれぞれの見解を述べる第1部基調報告,第1部の報告者をパネリストにした討論が第2部,学者・マスコミ関係者などからの意見を集めた第3部,第4部は資料編,という構成.私にとっておもしろかったのは,段木一行「文化財保護行政と博物館の諸問題」と笹川孝一「権威主義的「学習」観からの解放と生涯学習の役割」でした.文化庁が主催する博覧会が捏造旧石器遺跡を「普及」させてしまったこと,国家が歴史を公認してしまう「権威主義」や闇雲に古さをよしとする東洋的理念への批判などが論じられています.古さへの誘惑が捏造を捏造と見抜けなかった(あるいは見抜かなかった)重大な原因であったわけです.
 また,考古学会の人間関係が様々に影響しているという指摘も有り.下までの脚気問題と似たような構造になっています.反省しない日本人なのですねえ.
 マスコミに一方的に責任を転嫁するような議論ではないところが良い.出版社が専門的なので,今まで見落としていてしまいました.
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466. 鴎外最大の悲劇
坂内正
新潮選書 2001.5
★★★
 著者は文芸評論家.カフカについての多くの著作があります.なのでドイツ語力を活かして森林太郎のドイツ語論文を詳しく読んでいます.
 下の著作の主題である脚気論争を森林太郎を軸にして,森鴎外の文学活動とも関連づけて論じた著作.だからといって,森林太郎に同情的ということはありません(というか,同情する人はいないでしょうが).事実問題としては,下の板倉の著作に依拠しているので,下の本を読んでからこちらに来ると非常に判りやすくなります.森林太郎と脚気問題について整理したい場合はこちらの方が便利です.
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465. 模倣の時代 全2巻
板倉聖宣
仮説社 1988.3
★★★★★
 去年の夏,和光大学の内田先生とお話しした際に勧めていただいた本.感謝します.
 1988年といえば,私が本格的に科学史の道に入りこもうとした頃.その頃からしっかりアンテナを張っておけば,この本に17年も前に出会えたのに.今初めて読みましたよ.こんなにおもしろい本は久しぶりです.
 題名を小説っぽくしたかった,ということで,こんな題名になっていますが,内容は,幕末から昭和までの日本における脚気をめぐる医療史です.脚気の治療を巡る西洋医と漢方医の闘い,海軍と陸軍の闘い,帝大医学部の権威筋と反主流派の闘いが刻銘に詳細に論じられていきます.その複雑にして興味深い歴史は,上下巻あわせて1000ページ超の長さを全く感じさせないほどのおもしろさに満ちています.電車を乗り過ごしそうになったなんて久しぶりの体験でした.
 また,その歴史の中から日本の科学の特質や将来の科学教育への教訓を見出そうとするところは著者らしい.
 恐らく私が読んでいなかっただけだと思いますが,長さのためにちょっと手を出せないでいた人とか,まだ知らなかった若い学生さんたちは,ここで出会ったのを機会に,是非読んでみてください.あなたが科学史に関心が有ろうとなかろうと,そんなことはどうでもいいです.とにかくこのページまでやってきた人ならば,この著作を読んで後悔することはありません.なので,仮説社さん,もう少し手に入りやすいようになりませんかねえ?
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464. アインシュタイン日本で相対論を語る
アルバート・アインシュタイン (杉元賢治 訳)
講談社 2001.10
★★★
 訳者は近畿大学教授.アインシュタイン・マニア.
 1922年末に日本に滞在したアインシュタインの未発表の日記の再録と翻訳を中心に,当時の写真や新聞記事などで当時の日本の「アインシュタイン・フィーバー」を再現したもの.名古屋におけるアインシュタインの講演も載せてあります.非常にグラフィックな本です.
 とりあえず眺めて楽しい本です.外タレを無闇にありがたがる風潮は今も昔も…といったところですが,こういうことも日本文化の特色として理解しておくべきです.解説を寄せている佐藤文隆は,これほどのアインシュタイン熱にもかかわらず,日本の物理学が道を誤らずに量子論へ向かったことに安堵しています.アインシュタインの影響は,物理学自体よりは(恐らく諸外国も同じでしょうが)正しく理解されない形で文学・芸術に与えたものの方が大きかったのでしょう.「科学が正しく理解されない」が故の普及というのは,おもしろいテーマです.
 アインシュタインの日本滞在については金子務『アインシュタイン・ショック』(全2巻 河出書房新社 1981/1991)を参照すべきですが,かなり専門的です.こちらの著作の方が入門書としていけます.まずこちらを読んでから,この本をそばに置いて参照しつつ金子の著作を読むといっそう理解が進むでしょう.なので『アインシュタイン・ショック』の方の再刊をお願いします.

【後記】金子務『アインシュタイン・ショック』全2巻は,岩波現代文庫で2005年1月から復刊されました.
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463. 寺田寅彦の地球観 忘れてはならない科学者
鈴木堯士(すずき・たかし)
高知新聞社 2003.11
★★★
 著者は高知大学名誉教授で地球科学の専門家.様々なところに発表されたエッセイを集めたもの.
 寺田寅彦の地球科学(大陸移動説やプレートテクトニクス)での業績の解説を中心に,伝記的事実なども取り上げていて,「寺田寅彦」入門として読めます.寺田寅彦が(生まれたのは東京ですが)高知で育った,ということもあり,地縁的にも著者は親近感を抱いています.そのため,著者自身のことも書かれていて,それがまたこの著作をおもしろくする味を出しています.
 私は知らなかったのですが,別役実(べつやく・みのる)は寺田寅彦の血縁だったのですね(寅彦の姉の孫).本書に写真が出ているのですが,なんとなく寅彦と似ています.
 地方出版社で手に入れにくいのですが,関心のある人は探してみる価値有り.
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462. 王権の修辞学 フランス王の演出装置を読む
今村真介
講談社選書メチエ 2004.11
★★★
 著者は一橋大学の院生.近世フランス史が専門.
 主に17世紀初頭ルイ13世の様々な儀式の精密な記述から,儀礼と王・国家との関連を読み解こうとする試み.第2章から第4章までの儀礼の細部については,それほど関心のない人は飛ばして要点部分だけを読んでもいいかも.第1章と第5章で内容を大づかみすることができます.
 ここでも重要なのが表象の理論です.王が儀礼を通じて自らの権力を,儀礼に参加する人々が各々の位置・衣装・身振りなどを通じて社会における「位階秩序」を表現し,社会的な記憶を再確認するので,儀礼の表象の分析が不可欠なわけです.こういう研究はおもしろそうだなあ.
 本書の最後の方で,レトリック分析(標題の「修辞学」がここで生きる)が為されていたり,最後の最後のあとがきで,アクション理論への言及があったりして,私にとっては興味深いものです.こういうやり方があるんだな,と良いヒントをいただきました.
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461. 特集 「進化」をどのように教えるか
遺伝』 58(2004), n. 4(7月号), 26-81
 嶋田正和「進化をどのように教えるか? 特集にあたって」 26-34
 桐生尊義「中学でどのように進化を教えるか? 検定外中学理科教科書『新しい科学の教科書III』での取組み」 35-39
 池田博明「高校『生物I』でも進化を教えよう」 40-44
 早崎博之「高校『生物II』教科書の「進化」の内容を比較する」 45-49
 鍋田修身「現場教員の声 進化教育に関するアンケートより」 50-55
 中井咲織「小学生でもすぐわかる進化の教え方 中等教育での発想転換にむけて」 56-66
 布山喜章「遺伝学からみた進化教育のあり方」 67-72
 正木春彦「微生物からヒト中心主義を見直す試み」 73-77
 長谷川眞里子「進化を教える難しさ 進化の正しい理解の普及に向けて」 78-81

 中等教育のカリキュラムから大幅に削られてしまった「進化」の重要さを再確認し,「進化」を正しく教えるやり方について様々な提案をしている特集号.理科の先生が読む特集です.なので,特に科学史的に関心のある話題を扱っているのではないのですが,まあ,流れで.
 同じ特集内で「進化論を教えるのはやさしい」というのと「進化論を教えるのは難しい」という正反対の見解が含まれています.これは,「進化」というものについて間違ったイメージ(あるいはメタファー)を持ってしまっている人に妥当な進化論を教え直すのは難しいが,予断のない子供に生物の授業に有機的に進化論を織り込めば教えるのは容易,ということのようです.
 残念ながら現場の教師の方々は,忙しすぎるのか,下までのような進化論そのものについての考察までは手が回らないようです.事実の羅列を避けるためには,進化という「物語り」を理解しておくべきだと思うのですが.
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460. 特集 進化と創造主義
生物科学』 56(2004), n. 1, 2-30
 ユージニー・C.スコット(鵜浦裕訳)「アメリカの公立校における創造論と生物進化論 比較の視点」 2-14
 鵜浦裕「創造論運動の時代区分,戦略,人口統計,要因 スコット講演の補足」 15-19
 佐倉統「創造論・進化論・科学コミュニケーション スコット講演へのコメント」 20-22
 瀬戸口明久「日本における進化論の導入 「受容」vs「抵抗」モデルを越えて」 23-30

 アメリカなど一部の国で力を持つ生物の神による創造説.キリスト教原理主義に基づくので,アメリカにおける創造説の支持基盤は,先日のアメリカ大統領選挙でのブッシュ大統領の獲得州とほとんど一致するようです.スコットは,アメリカのNational Center for Science Education, IncでExecutive Directorをしている人.アメリカにおける反進化論運動に対抗している人物です.この人によって,2003年12月1日に東大本郷キャンパスで行われた講演が最初の論文.佐倉によると,この講演会には日本の創造説信者も招かれていたそうです.補足を書いている鵜浦裕(うのうら・ひろし)は文京学院大学外国語学部教授で,『進化論を拒む人々』(勁草書房 1998)という著作があります.ということで,最初の2論文はアメリカでの創造説の歴史と分類,その支持基盤についての社会的考察が含まれています.ここらへんは,へえ,そうかあ,という話.
 私がおもしろいと思ったのは,瀬戸口の論文でした.近代(近世も含むか)日本における西洋学術の移入に際してよく語られる,特に進化論に関しては常識的に語られる,「受容と抵抗」モデルを批判し,より広く実証的な再検討を提案するものだからです.「受容と抵抗」モデルでは,登場人物が判りやすい敵味方に割り振られ紋切り型のストーリィに陥ります.そこには通常科学史家が避けるべきと考えられる,「正しくて進んだ西洋」と「古い迷信に囚われ劣った日本」とが対比されていたり,「正しい」考えを受け入れない=抵抗する人々は顧みられないか,言及されるとしても全て同じようなレッテル張りをされて葬られてしまいます.瀬戸口はこのモデルを批判し,より広い文脈から「進化論」の使われ方を検討する方向を示しています.「受容と抵抗」モデル批判は,日本科学史全体に言えることなので,著者の示唆は重要です.
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459. 甦るダーウィン 進化論という物語り
小川眞里子
岩波書店 2003.11
★★★★
 ダーウィンと進化論を巡る「物語り(narrative)」を主題とする複数の論文を集めた論文集.
 興味深い著作でした.進化論が「科学」であるかどうかについての議論の歴史をまとめた第1章,『種の起源』がいかに物語る科学書であったかを論じる第3章,ダーウィンの最新テクノロジー好きと写真を説得の手段として使った表情の研究『情動の表出』についての第4章が,私には関心のあるところです.その他,巻末にはダーウィン研究のための資料についての1文もあり,便利なところもあります.
 「物語り」には喩えがつきものです.新しいことを新しく語る時には,既にあるコトバを利用しなければならないからです.後に概念が整理され,それ専用のコトバが定義されて喩えは死んでいきますが,新しい概念の生成現場ではどのメタファーを選ぶかが重要になります.
 この著作は,ダーウィンについての超入門書ではありません.概説書などを一通り読んだだけの知識は必要です.私もダーウィンの生まれた町の名前は憶えていませんでした.ざっと知ってからだと判りやすく,かつこの著作のおもしろさも判るでしょう.
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458. 進化の胎動 ダーウィンの先駆者たち
ベントレー・グラス+オウセイ・テムキン+ウィリアム・L.ストロースJr (谷秀雄 監訳)
大陸書房 1988.7
★★★
 Bentley Grass, Owsei Temkin, & William L. Straus Jr. (eds.), Forerunners of Darwin 1745-1859 (1959)のペイパーバック版(1968)の部分訳.
 ほぼ半世紀前の本の6分の1世紀前の翻訳.今読むと懐かしい感じを禁じえない観念史の論文集です.それもそのはず,業界ではJHIと略されるJournal of the History of Ideas(訳せば観念史雑誌)という雑誌を作ったジョンズ・ホプキンズ大学のヒストリー・オヴ・アイディアズ・クラブの後援で編まれた論文集だからです.訳されているのは主に(上述のクラブの主催者)アーサー・O.ラヴジョイによる論文です.「ドクター観念史」ラヴジョイの主著は『存在の大いなる連鎖』(晶文社)です.
 原題通り18世紀のモーペルチュイからショーペンハウアーまでの「ダーウィンの先駆者たち」の進化思想史を1人ひとり論じたもので,はっきり言って(私がこんなことを言うのはおかしいのですが)よほど関心のある人以外にはおもしろくありません.これが観念史の限界なのですねえ.観念史というのは,歴史研究のためのソースの1つなのであって,それ自体が目的ではないのです.そういう意識でこの論文集を眺めると,なにかしら得ることがあるかもしれません.
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457. イグ・ノーベル賞 大真面目で奇妙キテレツな研究に拍手!
マーク・エイブラハムズ (福嶋俊造 訳)
阪急コミュニケーションズ 2004.3
★★★★
 Marc Abrahams, Ig Nobel prizes: The annals of improbable research (2002)の訳に,2003年までのデータを加えたもの.
 おもしろい.ノーベル賞のパロディとして,本物よりも価値を持ちつつある「イグ・ノーベル賞」の創設者による,過去の受賞研究(時には研究ではないものも含まれますが)の概説.過去,NHKがこの賞を特集した番組を放送しましたが,それによると,賞の大多数は自薦によるとのこと.こういう賞にチャレンジして受賞する日本人が多いのはたのもしいことです.ちなみに,2004年イグ・ノーベル平和賞は「人々が互いに寛容になることを学ぶために全く新しいやり方を与える(providing an entirely new way for people to learn to tolerate each other)」カラオケの発明者井上大佑さんに贈られています.
 とにかくおもしろいので,このサイトに辿り着いたあなたは是非読みましょう.それで何か得るものがあるかどうかはまた別の話ですが.
 イグノーベル賞公式サイト:http://www.improbable.com/ig/ig-top.html
 著者の編集する雑誌The Annals of Improbable Researchのサイト:http://www.improbable.com/
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456. ピカソを見わけるハト ヒトの認知,動物の認知
渡辺茂
NHKブックス 1995.9
★★★
 著者は慶應義塾大学教授.生物心理学が専門ということですが,比較心理学・進化心理学なんかのフィールドに重なるような研究でもあるようです.
 なぜ,この時期にこの著作か.12月10日のノーベル賞授賞式にむけてのノーベル賞ウィークには,イグノーベル賞を思い出しましょう,ということで.ちなみに,今年のイグノーベル賞の授賞式は9月30日に済んでいます.そのイグノーベル賞1995年心理学賞を受賞したのが,著者でした(坂本淳子・脇田真澄との共同受賞).「ピカソとモネの絵を見分けるようハトを訓練することに成功したため(for their success in training pigeons to discriminate between the paintings of Picasso and those of Monet)」.つまり,この著作に書かれていることが受賞理由だったわけです.ピカソとモネの話は最初の方に現れます.
 ハトにいろいろなことをさせている人たちがこれほどいるのだな,と驚かされます.進化心理学的主題である,知性というものの起源に様々な方面からアプローチしていきます.最後の著者の主張である,大脳は知性を得るために巨大化したのではなく,他の原因で巨大化したものを知性に(ブリコラージュ的に)使用した,というのは,私のような門外漢にはいかにも進化論的な主張で妥当なように思えます.
 哲学のコアな部分についても比較心理学や進化心理学はアイディアを提供してくれるでしょう.やっぱりここもおさえておくべきなのでしょう.歴史研究に役立つかどうかは別として.
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455. 図書館の興亡 古代アレクサンドリアから現代まで
マシュー・バトルズ (白須英子 訳)
草思社 2004.11
★★★
 Matthew Battles, Library: An unquiet history (2003)の訳.著者はハーヴァード大学ワイドナー図書館なっどで司書を務めた人物.つまり,図書館のプロ.雑誌に掲載した記事を出発点にして,書き下ろしたもの.
 副題通り,時代は古代アレクサンドリアの「図書館」ムセイオンから現代まで,地域は西洋が中心ですが一部に東アジアとイスラム圏まで含んだ図書館を巡る歴史をトピック中心に取り上げてまとめたおもしろい読み物.図書館好きはこれだけで読むでしょう.
 本というマテリアルを(も)こよなく愛し,そして闘う(著者名もバトルだし)図書館員の目録作り・分類作りにかける奇妙な情熱とか,秦の始皇帝の焚書坑儒からルーヴァンの悲劇(これは以前読んだ本にも出てきた)とナチスの強奪,さらにはボスニアでの図書館「浄化」までの本と図書館の悲劇とかも描かれています.デューイ(哲学者・教育学者のジョンではなく,図書館学の)についてはよく知らなかった,へえ,そんな人だったのですねえ.
 訳は,固有名に難あり.「ストラボ」よりは「ストラボン」でしょう.参考図書は充実.索引有り.
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454. 平賀源内
芳賀徹
朝日新聞社朝日選書379 1989.6
★★★
 もともとは朝日評伝選の1冊として1981年に刊行されたもの
 どこかの本で読みましたが,日本では専門家・職人の(主に学者による)評価は高いが,万能人はあまり高く評価されない,ということがあるそうです.日本型万能人の典型がこの平賀源内.なので,この人についての全般的な研究を行うのは非常に大変だと思われます(なので「学者の」評価は高くないのでしょう).この著作はその困難に取り組んだものです.そして,高い評価を受けました.
 源内の八面六臂の活躍を反映するように,内容もかなり錯綜しています.つまり,通常の伝記的知識は一通りおさえておいてから読むべきなのです.それはともかく,この著作では,やはり源内の全てを等しく取り扱うことはできておらず,主に物産学と文学での活躍が中心になります.エレキテルとかはほんのちょっとでした.
 御構(おかまい)問題(源内は,高松藩を辞める時に,他藩には仕官できない「御構」という条件を付けられた,という記録を巡る問題)について,それがなかった,というのが著者の主張.たしか,水木しげるのマンガでは御構があったというストーリィでした.
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453. グノーシス 古代キリスト教の〈異端思想〉
筒井賢治
講談社選書メチエ 2004.10
★★★★
 著者は古典文献学の専門家.
 日本人によって書かれた始めてのグノーシス入門書(専門的な著作はいくらかある).日本語になっている外国のグノーシス研究書はいくらかありますが,この著作は日本人が書いた,ということもあって,痒い所に手の届く非常にわかりやすい著作でした.しかも,かなり読みやすいように工夫がされています.初心者向けということを意識しているのでしょうが,きっとグノーシスに興味を持つ人は初心者じゃないと思います.まあ,とにかく,おもしろくなっているので良し.
 グノーシスを代表する3人(または3派)を順番に取り上げ,研究の順序まで併せて論じていきます.どのテクストがどの程度のことを語りどの程度信頼できるのかを丁寧に説明しています.このあたりが私などにはうれしい.その後に,グノーシスの歴史の概説が続きます.基本的文献の簡単な解説と,参考図書も充実しています.とりあえず西洋古代史・キリスト教関係の思想史に関心のある人は必読.
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452. 知識の社会史 知と情報はいかにして商品化したか
ピーター・バーク (井山弘幸・城戸淳 訳)
新曜社 2004.8
★★★★
 Peter Burke, A social history of knowledge: From Gutenberg to Diderot (2000)の訳.
 おもしろい.単純に知識社会学というだけではなく,西欧(時には中国や日本も含む)近世初頭の知識の有り様を様々なカテゴリ毎に分類し記述したもの.それぞれのテーマはどこかで見たようなものなのですが,こうして一度に集めて見ると新しい発見があるわけです.全体的なサーヴェイなので,特に難しいことは書いてありません.もちろん,この時代の一般史・思想史についての充分な知識があるに越したことはありませんが.
 訳者が2人いて,科学史と哲学の専門家である,というところは良いのですが,訳語の統一がないというのは残念.やはり固有名詞等には難点あり.オランダに限定すると,「オランダ」と「ホラント」を区別していない点で結構問題があります.「日本」と「本州」を区別していないことに等しいからです.
 ともあれ,近代初頭の西洋史に関心のある人は必読です.知識の社会史という題名に少しでもひっかかる人も読んで悔い無し.
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451. 日本人の科学観
中山茂
創元社 1977.2
★★★
 創元新書の1冊.
 もともと外国向けに英語で書かれるものの日本語版という形.日本人の科学観は,明治以降では西洋のものを受け入れたために明確でないので,江戸時代の科学観から理解しよう,という試み.西洋と東アジアを比較し,さらに東アジアの中での日本の思想的位置を定めようとしています.天文学(これが著者の専門),医学,数学の3分野について,その日本的特徴を社会的要因から指摘していきます.時代が時代なので懐かしい用語(パラダイムとか)がたくさんでてきますよ.
 200ページもない小著ですが,良くまとまっています.ただし,超初心者向けではなく,一応江戸時代の蘭学・洋学の基礎知識があった方が読みやすくなります.

【後記】この著作は,増補され『近世日本の科学思想』(講談社学術文庫 1993)として再版されています.
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450. 生きている人形
ゲイビー・ウッド (関口篤 訳)
青土社 2004.1
★★★★
 Gaby Wood, Living dolls (2002)の訳.原書はイギリス版の訳で,アメリカ版はEdison's Eveという別題になっています.こういうのは困るんだよね.著者はライター.
 17世紀デカルトの娘フランシーヌについての伝説から始まり,18世紀のヴォーカンソン,自動チェス人形とその顛末,エディソンの喋る人形,フランスの奇術師と初期映画製作者メリエス,そしてアメリカの小人,という人間と人形の曖昧な境界にいる存在について書かれています.それぞれが有名な主題なのですが,こういうふうに並べるとまた違ったおもしろさを感じられます.最初ロボットものかな,と思って読んだのですが,それだけに留まらない,という点で,良い意味で裏切られました.なので,ちょっと評価が高いです.上に挙げた名前に関心があるという方は読んでみて損はないかも.
 話題が,下の本の第II部とリンクしていました.下の著作が,西洋思想の本道における人間観を論じているとすれば,この著作は裏道から見ようと試みるものです.どちらかというと,この著作のような見方の方がおもしろい.
 訳者あとがきに全訳とあるのですが,間違い.例によって,註と文献があっさりカットされています.それが一番重要なのに.また,本文中で図版を参照させているのですが,目次には図版がどこにあるか書いてありません.まあ,図版はまとめて本書冒頭にあるのですが.それに,図版には番号が振ってあるのに,本文中では番号についての指示がありません.編集者は何をしていたのでしょうか?
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449. 近代科学と聖俗革命 〈新版〉
村上陽一郎
新曜社 2002.7
★★★
 初版は1976年.
 以前読んだ『西洋近代科学』の姉妹編.全体は2部構成.近代科学の出発点は,まだキリスト教的な理念の下での知識の探求をめざしていた17世紀ではなく,知識の探求がキリスト教=聖から切り離されてこの世界だけ=俗の問題となる18世紀フランスの啓蒙主義にある,という18世紀思想史の第I部,近代の人間観を論じる第II部.前半は,基本的には啓蒙主義が,少なくとも20世紀くらいまでの我々の常識であった「近代科学観」(科学は累積的に進歩するという信念に基づく)を作り出した,という主張です.歴史,特に科学史ではホイッグ史観として貶される考え方で,これが啓蒙主義に由来するというのは今日ではほぼ常識です.この「常識」を日本で広めたのがこの著者でした.啓蒙史観とも呼ばれる進歩主義史観に対する反論から,16-17世紀の科学思想史を同時代の視点から(従って現在の視点からは逆方向に)見ようという『科学史の逆遠近法』(1982)という著作も著しています.
 判りやすい解説です.初心者向け.
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448. メディアの予言者 マクルーハン再発見
服部桂
廣済堂出版 2001.4
★★★
 著者は朝日新聞の人.廣済堂ライブラリー003.
 一度は消費され尽くしてしまった感のあるマクルーハンを,ネット時代に再評価しようという試み.3部構成で,第1章がマクルーハン理論のわかりやすい解説,第2章がマクルーハンの生涯と米日における受容の略史,第3章がインターネット社会の現在に応用されたマクルーハン理論,という形です.全体的に判りやすく,入門書として適しています.
 下の本のように<マクルーハンっぽく>書かれていないところが律儀な日本人っぽいですね.
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447. 洋学
沼田次郎
吉川弘文館 1989.10
★★★
 日本歴史叢書40.
 ここでいう洋学とは,江戸時代初期の南蛮学,オランダ経由の学問である蘭学,幕末の西洋諸学の流入による狭義の洋学,を含めたものを意味します.学問の範囲も,単純な語学から,医学,軍事,地理,自然諸科学までをカヴァーします.
 250ページ強の中に江戸時代の西洋学問の摂取について書かれています.ということで,つっこんだ細かい議論はなく,かえって全体を見通すためには便利な著作となっています.洋学の内容というよりは,洋学者の立場・相互関係などについて書かれているので,最初に読むための入門書としてはいいかもしれません.欲を言えば,もうちょっと項目分け(たとえば,新書にあるように段落毎のゴシック見出し)などが詳しければ読みやすかったと思います.年表と参考文献あり.
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446. メディアの法則
マーシャル・マクルーハン+エリック・マクルーハン (中澤豊 訳)
NTT出版 2002.10
★★★
 Marshall & Eric McLuhan, Laws of media: The new science (1988)の訳.エリックはマーシャルの息子.マーシャルは1980年12月31日に亡くなっているので,その遺稿をまとめてエリックが手を入れたこの著作.マーシャル・マクルーハン最晩年の思想が詰まっています.日本語版には高山宏の序文付.
 マクルーハン思想の総まとめ.記述の仕方が『グーテンベルクの銀河系』のようなスタイルに戻っています.今回は,科学史系の情報を大幅に取り込んでいるのが特徴的です.あいかわらず都合の良いものしか取り入れていないようですが.そして,最も頻繁に引用されるのがフランスィス・ベイコンであり,原書副題からも判るようにジャンバッティスタ・ヴィーコです.晩年にして先祖返りというところでしょうか.
 私がマクルーハンを読もうと思ったのは,この著作に到達するためでした.ここでの基本的な発想は,言語を含めた人工物が経験をある形式から別の形式へと変換するメタファーであるということ,そして言語を含む人工物を全てメディアと考えること,です.聞いたことのあるキィワードが出てきてますね.これが,最初の1ページ目に書いてあって,それ以降はほとんど興味なし.メディアの法則,といっても「何事にも良い面と悪い面がある,昔の良いものを捨てたり拾ってきたりもする」ということを言っているだけです.ともかく,人工物=メディア=メタファーという公式の方がおもしろそう.ここから自由に自分の発想を広げていきましょう.
 マクルーハンの翻訳にはあと2冊,広瀬英彦訳『地球村の戦争と平和』(クエンティン・フィオーレとの共著,番町書房 1972)と浅見克彦訳『グローバル・ヴィレッジ 21世紀の生とメディアの転換』(ブルース・R. パワーズとの共著,青弓社 2003.9)があります.
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445. メディアはマッサージである
マーシャル・マクルーハン+クエンティン・フィオーレ (南博 訳)
河出書房新社 1995.11
★★★
 Marshall McLuhan & Quentin Fiore, The medium is the massage: An inventory of effects (1967)の訳.
 「彼自身によるマクルーハン理論入門」.グラフィックデザイナーのフィオーレと組んで,ヴィジュアルな作りになっています.おおよそ,『メディア論』の内容を語っているのですが,解説してあるわけでも判りやすくしているわけでもなく,メッセージが叩きつけられ,それが読者をマッサージする(もちろん,この著作の題名は「メディアこそメッセージだ」というマクルーハン・テーゼのパロディーです)という仕掛けになっています.なので,知らない人にはかえって判りにくい,ということになります.下までの本を読んだけどイマイチ判らなかった,という人が読んで,なんとなく判ったような気になる,というくらいの著作です.
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444. メディア論 人間の拡張の諸相
マーシャル・マクルーハン (栗原裕・河本仲聖 訳)
みすず書房 1987.6
★★★
 Marshall McLuhan, Understanding media: The extensions of man (1964)の訳.この著作は,かつて後藤和彦・高儀進訳『人間拡張の原理 メディアの理解』(竹内書店 1967.11)として翻訳されていました.その新訳.
 マクルーハン理論が最も明確に出ている著作.理論編の第1部と,メディアの歴史を辿りながら例によって散漫なエッセイが含まれる第2部という構成になっています.370ページ強ありますが,基本的に繰り返しが多いので意外に楽に読めます.あいかわらず最後まで(マクルーハンの脳内区別である)ホットとクールにとまどうのですが,あっさり無視して大丈夫.他の著作では詳しく論じていない,テレビの部分(30ページほどある)などが目新しいかも.
 マクルーハンの立論の雑な点は,感覚のモードが大まかすぎること(視覚という感覚にも,色・形・運動を知覚する下位分類が存在する)と,メディアの物質的な側面を軽視している(ラジオが高価だった場合や100円ショップで手に入る場合でも,同じくホットなのだろうか),というあたりが比較的簡単に指摘できます.
 映画について,この著作の出た当時の映画は写本の段階にあり,遠からず個人が家で見ることができる印刷本の時代がやってくる,と書いてあるのですが,ヴィデオウとDVDによってその予言通りになりました.最近,ヴィデオウの出現によって社会がどのように変化したのか,という本をちらりと見ましたが,マクルーハンの議論を踏まえていたのでしょうか.
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443. グーテンベルクの銀河系 活字人間の形成
マーシャル・マクルーハン (森常治 訳)
みすず書房 1986.2
★★★
 Marshall McLuhan, The Gutenberg galaxy: The making of typographic man (1962)の訳.
 マクルーハンの出世作.読みにくい読みにくいと脅かされてから読んだので,それほどでも,という気持ちにさせられます.途中までは,引用ばかりでナンチュー本ジャと思いましたが,気がつくと理解は容易でした.この著作は,新聞や雑誌のように書かれているものだったのです.新聞や雑誌では,各記事毎に先ず見出し,次に本文が来ます.同様に,この著作では,異常に細かく分かたれた節それぞれに見出し(これがしばしば3行以上になる)があります.恐らく著者は,この見出しをアフォリズムのように思いつき,次に,その見出しの証拠となるような複数の引用(訳者は全体の4割が引用であると言っている)を貼り付け,それらの引用の間を結ぶ文章を作ったのでしょう.普通,それは下書き段階で,そこから論文形式にするのでしょうが,あえて下書きのままに発表した感じなのです.新聞記事と同じなんだ,と思えば,この著作の読み方は簡単.まず,見出しだけを全部読み通して,関心のある箇所(あるいは判りにくい箇所)の本文を読む(そして,引用は読まない),という順番ならば,この著作はかなり早く読み終えることができます.
 内容は,よく知られているように,印刷という技術が人間と社会をどのように変えたかについて,論じたもの.全体的にそんなもんかぁ,という胡散臭さは抜けないのですが,西洋の知識人がこんなふうなイメージを持っているのだ,ということを学ぶのは,日本人には有益かもしれません.
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442. マクルーハン理論 電子メディアの可能性
マーシャル・マクルーハン+エドマンド・カーペンター編 (大前正臣・後藤和彦 訳)
平凡社ライブラリー 2003.3
★★★
 Marshall McLuhan & Edmund Carpenter (eds.), Explorations in communication (1960)の部分訳.マクルーハンが1953年に創刊したExplorationsという雑誌に載った論文を集めたものが原書で,その内の10本ほどの論文を削り,いくつかの論文を加えたものが翻訳されて『マクルーハン入門』として1967年に出版され,1981年に『マクルーハン理論』と改題されて出版されたものを平凡社ライブラリーに収めた,という来歴.新版用のあとがきと解説が加えられています.しかし,論文の初出等の基本的データは収められていません.
 大まかに3つに分かれ,マクルーハンの解説とマクルーハン自身による解説が冒頭,第1部がマクルーハンのエッセイ,第2部がそれ以外の人(鈴木大拙なんかもいる)のエッセイが含まれています.第2部はお好みで読んでみましょう.基本的には最初の2つの部分が大事です.既にポストマクルーハン時代の我々にはそれほど珍しい議論がされているわけでもなく,まだギラギラするマクルーハン色が出たようなエッセイも含まれていません(「テレビとは何か」が若干それっぽい).ハヴロックオングで出会ったようなお話です(マクルーハンの方が時間的には先行).
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441. 機械の花嫁 産業社会のフォークロア
マーシャル・マクルーハン (井坂学 訳)
竹内書店新社 1991.3
★★★
 Marshall McLuhan, The mechanical bride: Folklore of industrial man (1951)の1967年版からの訳.
 マクルーハンの処女作.1940年代までのアメリカの広告などを手掛かりにしてアメリカの産業化社会の本性を探ろうという試み.単なる広告批評ではない,ということですが,だからといって何かすごいことを言っているわけではありません.実際,半世紀前のアメリカの常識については全く何の知識も持ち合わせていないので,そういうこともあったんだね,という程度の感想を持つのが,21世紀初頭の日本人の正直な感想でしょう.ホワイトヘッドとマーガレット・ミードが主に参照されているあたりにも時代を感じます.20世紀中葉のアメリカ文化に関心があるか,マクルーハン自身に関心がある人以外は,今読んでみてもたいした収穫はないでしょう.
 ポップカルチャーの分析というと,今でこそあたりまえで,大学の講義にも入りこんでいるほどですが,この頃はまだ珍しかったのでしょう.その際の手法を学ぶ,という意味で読んでみるのも一興かと.
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440. マクルーハン
文:W.テレンス・ゴードン 絵:スーザン・ウィルマース (宮澤淳一 訳)
ちくま学芸文庫 2001.12
★★★
 Text: W.Terrence Gordon, ill.: Susan Willmarth, McLuhan for beginners (1997)の訳.
 現代書館から出ている例のFor Beginnersシリーズの1冊.文庫化,というのではなく,この文庫のために新訳されたものです.その翻訳部分に,訳者による70ページに及ぶ文献表と年表が付いているという豪華版.マクルーハン研究のためには必携と言えるでしょう.著者は言語学で博士号を取り,マクルーハン伝も書いています.
 で,マクルーハンには縁もゆかりもない私なのですが,いろいろと歩いているとぶつかってくる人なのです(ヴィゴツキーもそう).読みにくい読みにくいと聞かされてきていたので,とりあえず周辺から,ということで手に取ってみました.このシリーズには珍しいくらい文字が多い.マクルーハンに習い,かなり読みにくく書かれてあるのですが,それでも整理して判りやすくしようとしています.というか,私はこの著作を読んで,初めてマクルーハンがおもしろそうだ,ということが判りました.どうしてもクールとホットの区別が理解できないのですが,その辺がカナダ人との感覚の違いだ,ということで片づけておきましょうか.

関連サイト
The McLuhan.ca web site
The McLuhan Program in Culture and Technology
McLuhan Studies
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439. 廃棄された宇宙像 中世・ルネッサンスへのプロゴーメナ
C. S. ルイス (山形和美 監訳 小野功生・永田康昭 訳)
八坂書房 2003.4
★★★
 C. S. Lewis, The discarded image: An introduction to Medieval and Renaissance literature (1964)の訳.
 かなり古い本で,何故今翻訳される価値があるのかは不明.もともとすぐ書房で出ていた『C.S.ルイス著作集』の1冊として含まれるはずだったものが途中で頓挫してしまい,こちらにまわったとのこと.つまり,内容よりは著者の名前で翻訳が行われたわけです.
 で,内容は,西欧中世文学の世界像の理念型(イデアル・テュプス)=〈モデル〉を構築するというもの.文学作品が中心であるために,学者が考え伝えた世界像(それはプラトンやアリストテレスなどの哲学者に由来する)とは,若干伝わる経路,ソースが異なります.そのソースが,古代ラテン文学である,というのが私には新鮮な指摘でした.
 著者の言う〈モデル〉はほとんど学術世界でのそれと同じで,妖精などが絡んでくる場面がちょっと異なるのみです.ということは,中世の世界像を知るために読んでもそれほど問題はないわけです.その意味では,読んでみる価値があるかも.
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438. Light Science Books 5 ガリレオは海王星をみていた
サイエンス編集部編
日経サイエンス社 1988.6
★★★
 1970年代から1980年代初頭にかけて旧『サイエンス』誌(現在は『日経サイエンス』誌)に載ったガリレオ系の5つの論文を集めたもの.ほとんどがドレイクによるものです.
 表題の論文が一番インパクトがありますね.ガリレオは1612-1613年に木星の衛星の観測をしていました.その時,偶然,木星が海王星を隠蔽するというイヴェントが起こっており,ガリレオは望遠鏡の同じ視野の中に海王星を恒星として捉えていた,ということが記録から判った,という話です.しかも,ガリレオの観測が精確だったので,海王星の計算上の位置からのずれまでも判ってしまった,ということでした.
 ポピュラーな科学史の本としては,今だって手に入ってもいい本.

所収論文
S.ドレイク+C.T.コワル「ガリレオは海王星をみていた」
S.ドレイク「ガリレオの計算器」
S.ドレイク「ガリレオの自由落下法則の発見」
S.ドレイク+J.マックラクラン「ガリレオの放物軌道の発見」
O.ギンガリッチ「ガリレオ事件」
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437. コペルニクスと現代
湯川秀樹 他
時事通信社 1973.7
★★★
 コペルニクス生誕500周年記念シンポジウムでの講演にコペルニクスの評伝,及びコペルニクスの『貨幣論』(ラテン語)のフランス語訳からの重訳を含んだもの(資料的にはこれが重要).以前別のコペルニクス伝を読みましたが,この著作に含まれる評伝はまたちょっと違った情報が入っています.矢島祐利「日本におけるコペルニクス」なんかは簡単に書かれているので役立ちます.こういう本は今後でないでしょう.

目次
広瀬秀雄「コペルニクスとその後の宇宙観」
矢島祐利「日本におけるコペルニクス」
ユーゼフ・ヴェルレ「物理学におけるコペルニクスの示唆」
湯川秀樹「コペルニクスと現代」
マリアンヌ・ビスクップ+イェジー・ドブジツキ「評伝コペルニクス 学者にして市民」
ニコラス・コペルニクス(訳・解説 牧野純夫)「貨幣論」
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436. レトリックと人生
G. レイコフ+M. ジョンソン (渡部昇一・楠瀬淳三・下谷和幸 訳)
大修館書店 1986.2
★★★★
 George Lakoff & Mark Johnson, Metaphors we live by (1980)の訳.
 もはや古典なので避けて通れない著作.恐らく,全体の3分の2ほどを占める言語学的な部分はレイコフが,残りの哲学的部分をジョンソン(この人は哲学者)が担当しているのでしょう.議論は実に丹念で,ディベイトの教科書のような展開をしてくれます.
 この著作の主眼は,我々の持つ概念(と著者たちは言うのですが,実際には言語使用)が「方向付けメタファー」「存在メタファー」「構造メタファー」によって構造化されている,即ちメタファーが人間の言語活動にとって必要不可欠な一部である,という主張です.いわゆる認知意味論という分野がここからはじまるわけです.認知という言葉が入っていますが,コンピュータとは全く関係ないものです.コンピュータと共生して生き残りを計るチョムスキー派とは一線を画しています.
 後半の経験主義(experientialism,経験論empiricismとは異なる)はそれほど目新しいことを言っていない(このページの下の方にある哲学の本なんかを読みつけていれば判る)ので,省略しても良いでしょう.ただ,経験主義に持っていくきっかけがメタファーである,という点がユニークなのです.
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435. 色のない地球儀 資料・東大図書館物語
薄久代(すすき・ひさよ) 編著
同時代社 1987.11
★★★
 編著者は1944-1985年に東大図書館の職員であった女性.図書館史の研究も行い,『東大百年史』編纂の際に,東大図書館史の編集を助けました.
 関東大震災での旧図書館の焼失から,再建,そして第二次世界大戦下での東大総合図書館という辺りを様々な資料を引用しつつまとめています.図書館員の作ったものだけあって文献はきっちりしております.
 現在,東京大学の本郷キャンパスの赤門と正門の間にある総合図書館は,関東大震災の後に再建された建物です.震災時の火事で,当時の図書館は焼失,文学部・法学部等の図書も併せて50万冊ほどが灰燼に帰しました.その中には数々の貴重書が含まれていたことはいうまでもありません.震災による被害の報を聞き,世界各国から図書の寄贈がありました.今でも,本郷の書庫にある少し古い本(アルビヌス編集ハーヴィ著作集(ラテン語)なんてのもある)には,「震災復興の際の寄贈図書」という旨のラベルが貼ってあります.図書館の建物は,アメリカのロックフェラー財団の寄付金を使って建築されました.第二次世界大戦下では幸い被害が無く,現在に至っています.
 で,題名にある地球儀というのは,ベルギー政府からの寄付金を使ってベルギーに委託して作ってもらったものです.直径1.59mで台座に載ると2m近いというもの.これは1984年まで総合図書館にあったのだそうですが,私はすれ違いで見ていません.総合博物館に移った,というのですが,私の記憶には無し.1928年1月にベルギーに受注されたのですが,日本に到着したのはようやく1937年11月.しかも,地球儀は真っ白で「色のない」状態で到着したのでした.10年かけて未完成なのか,ということを編著者は疑問に思います.そして,当時の時代背景から,その理由を若干考察しています.これが本書の前半.
 後半で,戦時下の図書館員の活動で,禁書の貸出閲覧禁止(思想的弾圧もありますが,紛失を恐れたというのが大きい理由のようです=実際,禁書の何冊かが行方不明になっていたそうです)や防火訓練,空襲下での図書館員の活動を当時の資料から明らかにしていきます.ここもなかなかおもしろい.
 私も長い間東大の図書館でアルバイトをしていました(ほとんどが駒場でしたが).本郷の図書館で働いていた時は,昼休みに総合図書館の書庫に籠もって珍本探しをしていました.その頃にこの本を読んでおけば,と今更ながら思います.総図書庫の地下には「関東大震災で焼け残った」ものがいくつか置いてありました.チャンスのある人は探しに行ってみては.
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434. アインシュタイン相対性理論の誕生
安孫子誠也
講談社現代新書 2004.2
★★★
 著者は聖隷クリストファー大学教授.日本におけるアインシュタイン研究の第一人者.
 基本的には相対性理論成立を巡る話題で統一されていますが,事実上4つの独立した論文を合わせたものになっています.アインシュタイン研究については膨大な文献があり,私は全く詳しくないので,結構ためになりました.
 第1章「三大業績への道のり」は,1905年の3大業績(分子運動論・光量子・特殊相対論)を,その前後の文脈に埋め込み相互に密接に関連していたことを説き明かします.通常のアインシュタインものでは論じられないところなので非常に興味深く読めました.
 第2章「京都講演『如何にして私は相対性理論を創ったか』」は,1922年に来日した際の京都講演の再録を中心に,他のアインシュタイン自身が語る相対論創造話の相互比較を通じて,相対論の構築過程を論じます.
 第3章「相対性理論をめぐる論争」は,大きく2つに分かれ,前半がローレンツ−アインシュタイン問題(ローレンツ収縮のオランダのローレンツとフランスのポアンカレとの間で相対性理論にかなり近いものが形成されていたので,アインシュタインの独自性はない,あるいは弱いとする意見がある)をめぐるもの,後半が相対性理論はアインシュタイン個人の天才によるものか,同時代の経験的知識などから原理的には誰でも到達可能だったのかという科学哲学的議論になります.この章は若干こみいっていて,一般の人には解りにくいところかもしれません.でも,おもしろい.最近の科学論ではデカルトと並んで敵役になるマイクル・ポラニーが後半では著者の論敵です.ちょうど,今の僕自身の関心と重なるところがあるので,僕は興味深く読みました.
 第4章「『双子のパラドクス』の真実」は,「双子のパラドクス」をめぐるわりと最近の議論に対する主張で,これも2つのレヴルに分かれます.1つは,「双子のパラドクス」そのものがないという主張に対する反論,もう1つは「双子のパラドクス」を論じるためには特殊相対性理論だけで充分だという主張への反論(つまり一般相対性理論も必要だということ)となっています.
 表紙のキャッチに「思索の道筋を平易にたどる」とあるのですが,19世紀末-20世紀初頭の物理理論(相対論については解説書は多いのですが,統計熱力学についての一般常識はそれほど期待できないでしょう)に関してどうしても触れざるをえないので,理科系じゃない人にはちょっと辛いかもしれません.また,著者は,論争を通じて自らの見解を表明しているのですが,時として相手方の文献の正式タイトルが挙げられていない(広重徹とダリゴル)のは,文献を追いかけて読もうとする読者には不親切ですし,若干アンフェアな印象を与えるので残念です.
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433. ピュタゴラスたちの真実 数学の証明を発明したのは誰か
斎藤憲
日経サイエンス』 2004年5-10月号
★★★★
 著者は大阪府立大学助教授.私の先輩です.
 『日経サイエンス』誌(米国『サイエンティフィック・アメリカン』誌の日本版)に半年6回,1回3ページずつ連載されたもの.といっても,関係ない写真やイラストが入っているのでもう少々短い.
 内容は副題の通りで,古代ギリシャにおける数学の「証明」についての通説を再検討して,ピュタゴラスやプラトンに寄せられていた過大な役割を剥ぎ取り,比較的無名な(といっても科学史家には有名ですが)キオスのヒッポクラテスに証明を作り出した功績を帰します.キオスのヒッポクラテス(有名なお医者さんはコスのヒッポクラテスで別人)が「証明」を作り出したのはソピストの影響で,ソピスト嫌いのプラトンが「証明」の起源を書き換えてピュタゴラスにしちゃった,というストーリィになります.
 著者の主張を非常に判りやすくやさしく短くまとめています.著者の(今のところの)主著を読むのが辛いという人には,このエッセイを取り寄せてみるのが吉.これを新書くらいにしてください.
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432. 『哲学的探求』読解
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン (黒崎宏 訳・解説)
産業図書 1997.10
★★★★★
 捕まえたと思う気持ちがあるのですが,表現できないなら,それは理解していないということなのでしょう.
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431. ウィトゲンシュタインはこう考えた 哲学的思考の全軌跡1912-1951
鬼界彰夫 (きかい・あきお)
講談社現代新書 2003.7
★★★
 著者は筑波大学助教授で言語哲学・認識論が専門.
 非常に解りやすいウィトゲンシュタイン哲学入門.ウィトゲンシュタイン自身の知的変遷を,残された手稿などを手掛かりに整理・再構成して,それにそってその哲学を論じようという構成になっていて,思想史的に解りやすい.特に『論考』のあたりはかなり見通しよくなっています.後期の思想の説明も読みやすくなっています.新書400ページ強というのは分厚いのですが,入門書としてはかなり読みやすい方だと思われます.まあ,私は,ウィトゲンシュタイン自身が何を考えていたのかという思想史的な関心はないので,見取り図としてはこれくらいで充分です.特に後期の思想は,科学論に大きな影響を与えたのだな,ということが見て取れます.
 昔,ウィトゲンシュタインって大事なんだよ,と言われて『論理哲学論考』を読んだ(と思った)のはほぼ5分の1世紀前のこと.その時は,何がどうしてどうなっているのやら,と思っただけ.去年,『論理哲学論考』が文庫で出て久しぶりに読み直しましたが,意外に読みやすく感じました.やはり2度読むと違うのか(あるいは,それだけ他から予備知識が入っていたのか).それでも,この著作を読んでみると,解ってなかったんだな,ということが判るようになります.まあ,そういうもんなんでしょうか.
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430. パスカルの隠し絵 実験記述にひそむ謎
小柳公代
中公新書 1999.12
★★★
 下の本の縮約版か,と思うとさにあらず.話題を1647年に出版されたパスカルの『真空に関する新しい諸実験』に限定して,下の著作以降の新たな研究を踏まえて書き直したもの.下の著作にあった細かな間違いが訂正されています.関心のある人は,まずこの著作を読み(新書だかららくちん),必要な部分で下の著作に戻る,という方法をとるべきです.
 この著作における著者の主張は,パスカルの『諸実験』における全ての実験が思考実験であり,実際に実行されたものではない,ということです.このことを,前著では触れられなかったパスカル周辺の著作の検討,綱の実験の再現などを通じて論証していきます.特にパスカルのレトリック(←私はこういう使い方をしたくないですが)を分析していくあたりはおもしろい.
 著者はフランスで,『諸実験』を読んだ素直な感想,即ち「実験をやったのはペリエじゃん」と新聞のインタヴューに答えたら,パスカル信奉者に夜道には気をつけろ,と言われたとか(←もちろん,冗談).外国人だから見えることがあるので,私のような日本人が西洋思想史を研究する僅かな価値があるのですよ.
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429. パスカル 直観から断定まで
小柳公代
名古屋大学出版会 1992.2
★★★
 著者は愛知県立外国語大学教授.この著作は,著者の博士論文を3分の2ほどに縮約したもの.
 パスカルというと,ひとによって全く印象が異なります.『パンセ』のパスカル,『プロヴァンシアル』のパスカル,数学者パスカル,そして流体力学のパスカルの定理で知られる自然哲学者パスカル.この著作は,物理学史ではよく知られた,真空の実在を実験によって証明した近代的科学者パスカルのイメージに対して,綿密な資料批判と再現実験によって事細かに修正を加えていきます.本文460ページ強が,パスカルの著作だけでなく,影響を与えた著作,同時代の証言などを1つ1つつぶしていくという非常に地道な作業に満ちています.博士論文だあ.
 私はこの辺の細かい事情を全く知らなかったので,かなり読むのがたいへんでした.だいたいメナール版訳の第3巻はいつ出るのか…….それはそれとして,パスカルの実験がこれほど再現されている(しかも日本で)というのは全く知りませんでした.著者自身1970年代から再現実験を試みています.私が知らなかっただけなのですねえ.
 パスカルは確かにいくつかの実験(この言葉が微妙なのですが,実際はデモンストレイション=演示なのです)を行っているのですが,その記述通りではないし,いくつかの実験(真空中の真空実験や風船実験)などは行っていなかった=思考実験だったことを,著者は示します.私がおもしろいと思った著者の主張は,パスカルが真空の実在を主要な論点と考えることから,空気の重さを主要な論点と考えることへと移行した,というものです.パスカルの論文を読むと,真空の実在についての論証はかなり雑です.他に何かがあると証明できなければ真空だ,というのは逆ギレに等しい(立証責任はパスカルにある).水銀の上に何があるのか(何もない,があるのか)ということよりは,何が水銀を持ち上げているのか,を論じる方が有益かつ論証可能であるわけです.
 また,パスカルの論文を読むと,ステーフィンやベークマンをどうしても思い出します.この著作にもステーフィンがちらりと触れられているのですが,たぶん,もっと重大な影響があったでしょう.ベークマンの見解は,デカルトに伝わって,デカルト自然学の基礎にもなっているので,考慮した方がいいと思います.フランス史家はオランダのことを軽視しすぎるのですよ.
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428. 日常性の解剖学 知と会話
G. サーサス他 (北澤裕・西坂仰 訳)
マルジュ社 1989.4
★★★
 日本で編んだ論文集.副題の通り,会話分析の手法に関する論文をメインにしています.
 ジョージ・サーサス「序論 エスノメソドロジー 社会科学における新たな展開」は,1988年に早稲田大学で行われた講演を起こしたもの.入門的な話をしています.
 ハロルド・ガーフィンケル「日常活動の基盤 当り前を見る」は,ガーフィンケル自身の博論のまとめのようなもの.シュッツの影響が色濃く出ている論文です.
 ハーヴィー・サックス「会話データの利用法 会話分析事始め」が難解.ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』ばりに命題の列挙という形式で書かれていて,最初に抽象的な分析ばかりが続きます.それでもう嫌になる.主眼は,会話におけるカテゴリーの適用を分析する,ということで下の論文と通じるところがあります.
 エマニュエル・シェグロフ+ハーヴィー・サックス「会話はどのように終了されるのか」は,会話の組織化を分析するもの.いわゆる会話分析の議論の代表例です.私はあまり関心がない.
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427. エスノメソドロジーの現実 せめぎあう〈生〉と〈常〉
好井裕明 編
世界思想社 1992.4
 全部読んだわけではないので,評価無し.
 ほとんどが各論で,関心のある人は読みましょう.僕にとって重要だったのは,水川喜文「エスノメソドロジーの歴史的展開」と浜日出夫「現象学的社会学からエスノメソドロジーへ」という,エスノメソドロジー史についての簡単なまとめ2本と,西阪仰「エスノメソドロジストは,どういうわけで会話分析を行うようになったか」という方法論を扱う1本だけでした.特に,エスノメソドロジーなるものが何かについて知るためには,前2本を読むのが近道です.

 論文の題名にもあるように,エスノメソドロジーは,パーソンズの学生であったガーフィンケルがアルフレッド・シュッツの現象学的社会学の影響を受けて作り出した研究に由来します.問題は,ガーフィンケルなど主要な研究者たちがなかなか論文を書かないために,いったい何をしているのかわからない,と思われた期間が長かったことでした.恐らくガーフィンケル以上に重要な人物であるハーヴィ・サックスが,それでも講義録を残していて,それが出版された(この論文集の後の1995年に出版された)ことで,かなり詳しく判るようになったようです.この10年くらいはぽつぽつと著作が出ているようですが,今年に入って3冊ほど関連著作が出版されているので,また波がやって来たのでしょうか.
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426. エスノメソドロジー 社会学的思考の解体
ハロルド・ガーフィンケル他 (山田富秋・好井裕明・山崎敬一 編訳)
せりか書房 1987.4
 全部読んだわけではないので,評価無し.
 とりあえずエスノメソドロジーの基本文献と言うことで.読んだのは最初のハロルド・ガーフィンケル「エスノメソドロジー命名の由来」とハーヴェイ・サックス「ホットロッダー 革命的カテゴリー」だけ.ガーフィンケルのものは,エスノメソドロジー創始者自らが語る由来で,そこが貴重なだけ.H.サックスは,おそらくガーフィンケルよりも重要な人物ですが,長生きしなかったのが残念.ワークの研究もサックスの発案だというし.カテゴリーを作るやり方に注目したことが,この後のエスノメソドロジー研究の方向を定めました.認知意味論との関連もありうるでしょう.ガーフィンケルの「アグネス」の抄訳も含まれています.その論文(Studies in ethnomethodologyという著作の一部)では,あるカテゴリーの成員である,ということは,そのカテゴリーの成員になり続けることなのだ,と(かなりめんどくさく)語られています.
 エスノメソドロジー関係の古典なので,関心のある人は必読.
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425. 心の概念
ギルバート・ライル (坂本百大・宮下治子・服部裕幸 訳)
みすず書房 1987.11
★★★
 Gilbert Ryle, The concept of mind (1949)の訳.
 いわゆるオクスフォード日常言語派の古典.わかりにくいですよ.
 哲学上の難問はきちんとした言葉遣いをすれば解消される,という考えに立脚して,しらみつぶしに細かく反論していくのが480ページほど続きます.攻撃の対象となっているのは,デカルトが主張した機械論哲学と,その帰結である心身二元論(著者は心=「機械の中の幽霊」説と言う)です.著者によれば,心というものは,身体と対立する=同じカテゴリーに属するものではなく,心に関する日常的言説を細かく分析すれば,実は心の中の出来事について語っているのではなく,観察可能な公的な行動を叙述しているのだということがわかる,ということになるようです.このあたりのことから,下の著作の考え方が出てくるわけですね.
 日常言語といってもやっぱり英語.英語の特性で語っているので,日本語ネイティヴとしては若干理解できない語感が散見されます.ということは,文化差を論じることができる哲学にまで行きそうなのに,何故かそういうようには展開せず.やっぱり西洋哲学者はプラトンの夢を見て,普遍と真理を求めようとするのですよ.
 行動主義に対して一定のシンパシーがあるようなのですが,社会学的考察と結びつける方が良かったのに.ガーフィンケルがアメリカで博士論文を書くのが1952年ですから,繋がりはあるのかな.
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424. 心の社会的構成 ヴィトゲンシュタイン派エスノメソドロジーの視点
ジェフ・クルター (西阪仰 訳)
新曜社 1998.2
★★★
 Jeff Coulter, The social construction of mind: Studies in ethnomethodology and linguistic philosophy (1979)の原書第3章と第6章を除いた訳.特に内容の理解に支障のない省略であるとのこと.
 著者はエスノメソドロジーから論理文法分析へと立場を移し,この著作では後者が多く出ています.言いたいことは,心の内容(意図とか考えとか)を考慮しなくても,あるいは考慮しない方が人間の行動をよく述べることができるし,心に関する言説は基本的に公的(public)だ,ということです.これは行動主義と,その一種の発展形である認知科学(行動主義のブラックボクスをコンピュータのメタファーで埋めようとするから)への批判であり,心理主義的・現象学的なヒキコモリ哲学への批判でもあります.私としては訳書第4章「「考え」について考えること」がおもしろい.
 著者の考察法の起源は,ライル,ウィトゲンシュタイン,そしてオースティンという日常言語派です.特にライルの『心の概念』(1949)と後期ウィトゲンシュタインの『哲学探求』(1953)が基本線となっています.これらの著作が,互いに独立に,しかし,ほぼ同じ年代に出ていることに注目.時代精神なのですかなあ.
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423. 相互行為分析という視点 文化と心の社会学的記述
西阪仰
金子書房 1997.4
★★★★
 下の本と同じ『認識と文化』というシリーズの1冊.
 同じ著者の本を以前読みました.著者は「〜の視点」という題名が好きみたいです.こちらの方が以前に書かれていました.
 「相互行為分析」はエスノメソドロジーの手法を利用して,局所的な相互行為が一定の状況を作り上げている様子を記述することのようです.この手法で著者は,文化・心・見ること・理解を分析していきます.著者の基本的な手法の説明に関しては若干疑問はあるのですが(「説明」はしていると思う),いくらか目から鱗が落ちるのは請け合い.結局,「私」の中にある何かを語ることはきっぱり止めるという潔さが必要だ,ということでしょうか.
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422. 拡張による学習 活動理論からのアプローチ
ユーリア・エンゲストローム (山住勝広 他訳)
新曜社 1999.8
★★
 Yrjö Engeström, Learning by expanding: An activity-theoretical approach to developmental research (1987)の一部を省略し,新たに第1章(原著出版から10年後の状況をまとめたもの)を加えた訳.
 まったくひどいもんだ.どうしてこの著作が頻繁に言及されるのか理解に苦しみます.全体の3分の1は引用,しかも必要のない引用ばかりが頻出し,繰り返しも多い.思想史の著作でもこれほど引用が多いことはありえません(←心ある人に止められるから).80年代風「ポストモダン」な「テクスト」とやらの臭いがプンプン.
 この著作の内容は容易に4分の1にできるので,そうなったものを読むべきでしょう.というか,この著作を要約している他の論文を見かけたら,それで読んだ気になって充分だと思います(この著作の訳者あとがきで充分かも).基本的には,俗流マルクス主義の弁証法を用語を変えて学習理論に持ち込んだだけ(しかも「3」フェチ)で,枠組みはレイヴの言う機能主義に留まっています.ま,いずれにせよ古いのですよ.部外者には読む価値なし. 
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421. 21世紀学問のすすめ4 心理学のすすめ
佐々木正人 編
筑摩書房 1996.12
★★★
 最近,心理学系の本をよくながめているのですが,やっぱり(日本では)90年代から心理学というものはかなり変化したのだな,ということが判りました.この〈入門書〉は,その心理学の新しい潮流を反映したものです.「序」で編者の佐々木正人は「未来の心理学」を目指したと言っています.心理学について一昔前の常識しかない人は,これを読んでみるといいかも.
 その変化の基本は,個人を中心とした心理学から,人間関係や社会を不可欠な要素とした心理学への移行,ということでしょう.この変化に明らかに乗り遅れているのが,編者佐々木正人の解説する生態心理学です.それはそれとして1つの分野であるので良いのでしょうが,部外者から見ると,他よりおもしろみがありません.
 また,明らかに異質な文章を書いているのが,文化心理学の南博文.留学生ならば誰もが感じる文化摩擦について(たった10ヶ月の私ですら感じた),心理学者らしくなく自己を描くところが良い.最後の部分で肩すかしを食らうのが残念(ジョージアで何があった?).
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420. 日常生活の認知行動 ひとは日常生活でどのように計算し,実践するか
ジーン・レイヴ (無藤隆 他訳)
新曜社 1995.4
★★★
 Jean Lave, Cognition in practice: Mind, mathematics and culture in everyday life (1988)の訳.
 著者レイヴの主要な主張に関してはともかく,この著作でレイヴが企てている「機能主義」批判が私には重要です(この機能主義批判が有効なら,日本の主要な政党の政策は全て間違いということになります).この「機能主義」に立脚する学校教育が基本としている学習転移論が,レイヴによってこの著作の前半で徹底的に批判されます.特に第2章で批判されている認知科学のアナロジー論について,その背後に学習転移論があるということをレイヴの説明で私は初めて理解できました.なるほどね.アナロジー的推論がなぜできないのか,と問うべきではなく,できた状況は何だったのか,あるいはアナロジーを使った説明が有効性を持つのがどのような状況なのか,と問うべきなのです.
 ともかく,機能主義批判から日常生活での数学の使用へと検討を進める著者は(実験室から現場へ),日常生活(スーパーでの買い物,ダイエット,家族のお金の管理など)での数学が厳密なアルゴリズムではなく状況に埋め込まれた活動として〈うまく〉行われていることを明らかにしていきます.
 翻訳が良くない.一読して判らなかったので,原書を参照しながらもう一度読んで,ちょっとわかったような気になりました.なかなか工夫して訳しているようなのですが,原文では文法的に省略されている接続詞や文修飾副詞を訳文に挿入した方が文章の流れを理解しやすかったでしょう."Constitutive order"が「構成的体制」と訳されるのも判りにくい.レイヴも必ずしも判りやすい英語を書いているわけじゃないので問題なのですが.
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419. 文化心理学 理論と実証
柏木惠子・北山忍・東洋 編
東京大学出版会 1997.11
★★
 この論文集の性格は,最後の佐伯胖(さえき・ゆたか)のコメント「『文化』の心理学か,『文化的』心理学か」に集約されています.この論文集に含まれるほとんどの論文は「文化の心理学」であって,従来の心理学の延長上にあるもので,心理学に関心のある人(心について学ぶことに関心のある人ではない)以外にはあまり関心を引くようなものではありません.文化(これは歴史を持ち,社会の中で伝えられる)という観点から心理学を批判的に捉え直すという(佐伯の言う)「文化的」心理学は,ほぼ上野直樹の論文だけと言えます.心理学の部外者である私は佐伯の言う意味での文化心理学が知りたい.その意味で,この論文集は非常に不満足でした.
 このスタンスの違いは,恐らく認知心理学畑から発言する人と,教育や学習の問題から発言する人の違いでしょう.この論文集の主だった人々の合意点は「文化は意味である」というところにあります.文化は観念的なものなので,だからこそ心理学的な心の理論と容易に結びつく.思想史に関わると一見,このような「文化は意味だ」という主張に合意しそうですが,科学思想史は幸いそのような落とし穴にはまらずに済みます.科学という営為は,常に人工物(ここではコールの意味でのartifact=言語や思想も人工物に含む=を考えておきましょう)を媒介とするからです.しかも,科学の本質には学習の実践があります.私が必要とする文化心理学はこの論文集には見つからないのでした.
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418. 文化心理学入門
波多野誼余夫・高橋惠子
岩波書店 1997.1
★★★
 著者の1人波多野誼余夫(はたの・ぎよお)は,下のコールなどと近い関心を持ち,発達と学習についての研究を行っています.私の関心と重なる部分が多くあります.もう1人の高橋惠子(たかはし・けいこ)は対人関係の発達心理学を学ぶうちに,従来の比較文化心理学から文化心理学へと関心を移したといいます.
 題名通り入門書で,新しい「文化心理学」という学問分野(「古い」のもあったにはあったけれど)を紹介する著作.非常に簡単で読みやすく,註から参考文献を拾えるし,巻末に内外の研究者の紹介があります.
 文化心理学と比較文化心理学というのは違うもののようで,後者は比較文化の心理学は,主に欧米の心理学手法を非欧米に応用するもので,前者は文化が人間の発達に与える影響を考察するものです.もちろん,文化は所与のものではなく,参加する人間によって変化を受けるということで,複雑な相互作用を行うこととなりますが.この著作で言うと,上述の著者たちの背景から判るように,波多野が担当する部分は文化心理学的で,高橋が担当する部分は比較文化心理学的な感じがします.
 この著作がもともと「子どもと教育」というシリーズに属していることもあるのでしょうが,基本的に子供の発達を文化心理学の主目的と考えているようです.一方で,比較文化心理学は成人を対象にしているという役割分担もあるようです.この辺の絡みはなかなか部外者には判りづらい.波多野の論じる素朴理論についての研究が科学史に(そして私の関心に)関係します.
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417. 負の生命論 認識という名の罪
金森修
勁草書房 2003.1
★★★
 この著作は,第I部と第II部に分かれています.第II部は,科学史的な各論であり,しかもかなりマニアックな部分なので,よほど関心のある人以外は読まなくても大丈夫.重要なのは第I部の「汚れた知 タスキーギ研究の科学と文化」です.アメリカ合衆国南部のアラバマ州にあるタスキーギという町で,1932年頃から1972年まで地域の梅毒患者に対してある実験が行われていました.それは「何もしない」という不思議な人体実験でした.梅毒患者約300人に対して有効な治療を行わない,という人体実験.1943年にペニシリンが梅毒に有効であることが知られて以降も,30年に渡って患者を治療せず,むしろ積極的に治療の妨害すらした,といいます.この事件の全貌が1972年にマスコミにすっぱ抜かれ問題化し,1982年にあらましを語る著作が出版され,さらに20世紀末にこの「研究」に関するいくらかの著作が出現しました.著者は,それらの著作を参考にして,さらに人体実験の歴史の中に位置づけながら,タスキーギ研究とは何だったのかを記述していきます.この事件を知っている人も知らない人も,科学と倫理の問題に関心があるなら是非この著作に目を通しておきましょう.
 著者はこの著作の中では,敢えて歴史に対して告発者の立場を避け,一定の距離を置いた記述をしています.もちろん,それは,著者が歴史から逃げているからではないようです.歴史を学ぶ者は,自分が歴史に対してどういう立場を取ればいいのか,という問いを常に抱いています.というか,それをなくしたらもはや歴史家ではありません.私が好んでいる科学思想史という分野も,初心者の頃は,全く価値中立的(せいぜい現在の知識で過去を批判するのがいけない,というくらい)に思えたのですが,深く分け入るとそうではありませんでした.そして,そういうことが解ってきてからようやく,この分野はおもしろいのかもしれない,と思えてきたのでした.自分の気持ちに正直であることが常に善いことではありません.読んでくれる気持ちを誘うように気持ちを表すことが大事なのです.
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416. 文化と進化の心理学 ピアジェとヴィゴツキーの視点
高取憲一郎
京都:三学出版 2000.1
★★★
 著者高取憲一郎(たかとり・けんいちろう,1948-)は鳥取大学教授で,教育心理学の専門家.ピアジェやヴィゴツキーについての著作があります.
 130ページほどの小著.大学の講義用のテクストのようなもの(値段も税抜き1300円)で,基本的には入門的な概説書です.標題のように進化心理学にも目を配っているのですが,本質はピアジェとヴィゴツキーを統合しようという試みです.参考文献も豊富で親切.この本自体は現在手に入らないようなので,図書館を探しましょう.
 講義テクストだからといって,妙に整序されていたり,上から押しつけるように語るのではありません.著者自身が関心を持って読書を進めた歴史を辿るので,初心者には入りこみやすくなっています(やはり教育の専門家が書いているからか).また,自ら読んだ他人の諸著についての評価も述べられているので,非専門家には参考になります.いわゆる「文化心理学」について一通り目を通しておきたい,という人にはお勧めでしょう.
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415. 文化心理学 発達・認知・活動への文化‐歴史的アプローチ
マイケル・コール (天野清 訳)
新曜社 2002.8
★★★★
 Michael Cole, Cultural psychology: A once and future discipline (1996)の訳.
 本文500ページ弱で,かなり内容が詰まった著作なので読了に結構時間がかかりました.まあ,それだけの価値はあります.ただ,著者一押しの「第五次元」はつまらなそうなのでスルーしてよし.
 文化心理学,という新しい分野を切り開こう,とする意欲作.もともとは現代的心理学の祖であるヴントが考えていた2つの心理学(個人ベースの知覚・認知などを調べる第一の心理学と,文化のような高次精神機能について調べる第二の心理学)のうち,忘れられていた第二の心理学を,ソヴィエト心理学(ヴィゴツキー=ルリア=レオンチェフのライン)によって復権し(著者はルリアの弟子だ),アメリカの心理学(第一の心理学)と統合することを目指しています.原題の副題にある「once and future discipline」というのは,「かつて」ヴントが目指していたが,およそ1世紀の心理学研究の後に,再び目指すべきものとしての「将来の学問」という意味が込められているわけです.
 その統合は著者の師匠格であるルリアの路線を行く「ロマン主義科学」というもの.著者がルリアの伝記をまとめる際にルリアの発想の元になったゲーテの『ファウスト』に遡って見つけた言葉に由来する命名のようです.つまり,科学史上でのロマン主義科学とは関係ないみたい.2つの心理学の対立,というのは,近代科学の法則指向型科学(物理学に代表される)と事実収集型科学(博物学に代表される)との対立の心理学版でしょう.科学史上でロマン主義科学というと後者を指す感じがするのですが(←あまりよく知らない).歴史研究でも法則指向と事実収集という対立軸があります.もちろん,どちらか一方だけというのは私くらいですが,どちらかを快く思わない人はいるみたい.私の場合は,歴史への関心の入口が社会史だったので,どうしても個別ケースに注目しがちです.
 一方で,著者の主張には,実験室から実践へ,という指向もあります.これが,言葉上の類似に過ぎないかもしれませんが,カルチュラル・スタディーズの指向と同じという点にも注目.著者の「第五次元」にしても,教育の現場を研究者として分析するのではなく,積極的に参与していかなければ理解できないのだ,という立場を明らかにするための装置ですから.このやり方なら,まだこの世界で生きていてもよいような気がしてきます.
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414. 背信の科学者たち
W.ブロード+N.ウェード (牧野賢治 訳)
化学同人 1988.1
★★★★
 William Broad & Nicholas Wade, Betrayers of the truth: Fraud and deceit in the halls of science (1982)の訳.
 主にアメリカの事例を使って,現代科学の構造的な病理を暴き出した著作.原書はもちろん,日本でもかなりの読者を得ていました.科学史や科学論に関心がある人や研究に取り組もうとする人は必読.まあ,こういった著作を読まないと下のような事件が起こってしまうのですよ.
 この著作の冒頭に出てくる「若き下院議員アルバート・ゴア」は,後にクリントン政権の副大統領からクリントン後の民主党大統領候補となり,選挙(?)の結果現大統領ジョージ・W.ブッシュに破れました.そして,世界はこうなったわけです.
 私はこの本が出版されてすぐくらいに読みました.そのころは,科学論的な問題に関心がなかったので,プトレマイオスやガリレオについての話は言い掛かりだよなあ,とばかり思っていました.今読むと別の感想があります.原著から20年以上経ちますが,あいかわらず詐欺・捏造の類は続いています.大学も政府も科学の体質を改善する気はさらさらなくて,むしろ悪化に拍車をかけています.自ら首を絞めつつある既成の学問の世界で生きていくのは大変です.

【後記】この本は同じ題名で講談社ブルーバックスから2006年に出版されました.
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413. 旧石器遺跡捏造
河合信和
文春新書 2003.1
★★★
 著者は朝日新聞の科学系ジャーナリスト.
 前にも読んだ藤村新一による旧石器遺跡捏造問題を,スクープした側の自慢話としてではなく,別の側面から見たもの.著者自身が,かつて藤村を絶賛する書物を書き,「ゴッドハンド」を世に放ってしまった前科があり,そのことへの反省も込めた1冊.もちろん,ライヴァル紙であるスクープした毎日新聞の過去の罪(事実上毎日新聞が藤村を全国区にしたこと)を詳しく言及することは忘れません.前述の諸著は,考古学系の専門知識のある人が書いたわけではないので不満だった細かい具体的な点を,この著作ではちゃんとフォローしています.藤村はそのキャリアのほとんど最初から遺跡捏造を行い,20年以上に渡ってその「努力」を積み重ねた結果,もはや本人すらも忘れ去ってしまうくらい多くの捏造が日本中にあり,おそらく日本の考古学会はこの「藤村汚染」に今後も怯え続けなければならないのだろう,とのこと.この意味で,20世紀末のスクープは,世界の科学史上に残る最大の詐欺事件だったのです.
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412. 〈こっくりさん〉と〈千里眼〉 日本近代と心霊学
一柳廣孝
講談社選書メチエ 1994.8
★★★
 著者は日本近代文学の専門家.最近は『近代日本心霊文学誌』(つちのこ書房 2004)という本を編纂しています.
 明治時代の心霊学ブームを通して日本の近代を斜めから(あるいはウラから)眺めようという著作.明治20年代のこっくりさんブームから,続く30年代の催眠術ブーム,そして明治末の福來友吉による千里眼・念写「実験」を,同時代の西洋の心霊学との絡みや,同時代の日本文学との絡みで扱っていきます.19世紀後半から20世紀初頭といういわゆる第2科学革命期の隙間に生まれた西洋心霊学の移入さえも日本近代のゆがみが現れている,というところがおもしろい.日本心理学史の辺境をおさえるためにも読んでおきたい著作です.
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411. 心理学叢書10 文化と思考 認知心理学的考察
M.コール+S.スクリブナー (若井邦夫 訳)
サイエンス社 1982.6
★★★
 Michael Cole & Sylvia Scribner, Culture & thought: a psychological introduction (1974)の訳.
 もはや30年前(翻訳も20年前)の教科書.けれども,他の本でしばしば言及されたりするので,画期的な教科書だったのでしょう.この時代までの心理学の交差文化的(cross-cultural)研究の代表例を集めたレヴューというのが本質です.今この本を読むのだとしたら,1章「序論」,2章「『文化と認知』研究小史」を読んで,以下の諸章は要約だけ読んで,8章「文化と認知」を読むということで用は足ります(私は全部読みましたが).
 結論は,異なる文化で認知が異なるのか,という研究はまだ始まったばかりなのでがんばれ,と教科書らしいまとめになっています.実際,今にしてみれば,この著作で言及される心理学実験の多くが,文化の違いを測定しているのではなく,「西洋式の学校問題」への習熟度を測定しているに過ぎない,ということは後の批判などからも明らかになっています.もちろん,8章ではその辺の反省もいくらか行われていますが.
 全体として,西洋中心主義の臭い漂うもので,現代では批判に耐えられないでしょう.逆に,こういう「心理学」を分析することで文化帝国主義の歴史を描くことが可能になると思います.やりたい人はがんばれ.
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410. 宗教改革の真実 カトリックとプロテスタントの社会史
永田諒一
講談社現代新書 2004.3
★★★
 著者は岡山大学教授でドイツ近世史が専門.
 写真にはないですが,オビに「ルターの「論題貼り出し」はウソ! 中世はこのようにリストラされた!」というキャッチがあります.けれど,それは明らかに著者の意図を正確に表していません(副題も=著者は歴史学的理由で,プロテスタントという言葉を用いずに宗教改革派と書く).確かに,キャッチのようなことは書いてあるのですが,そういうものを期待して読むと,全く裏切られます.実際は,宗教改革とその元になった印刷術との関係を巡る前半と,16世紀から17世紀初頭にかけてのドイツ諸都市におけるカトリック派と宗教改革派の民衆の活動を具体例(製造破壊運動,聖職者の結婚,アウグスブルク市の教会利用騒動,グレゴリオ暦導入騒動,ドナウヴェルト市の行列騒動)で描く後半という構成になっています.どれもおもしろいエピソードなので,関心のある人は読んだ方が良いでしょう.
 私がこんなことを言うのは何ですが,この著作は読者の基本的な疑問に対しては答えてくれません.それは,何故中世はリストラされる必要があったのか,何故宗教改革を或る人々は受け入れ,別の人々は拒否(積極的にも消極的にも)したのか,そうすることでその人たちの生活はどう変わったのか,良くなったのか,ということです.確かに著者は豊富な具体例でおもしろく語るのですが,既にカトリックとプロテスタントという陣営が実在してしまっていて,人々は割り振られてしまっているところから話が出発している点が不満なのです.巨人ファンと阪神ファンが乱闘騒ぎを起こしたことを丁寧に記述することだけならば,スポーツ新聞記者の仕事でしょう.そして,記者なら「乱闘が起きたのは巨人ファンと阪神ファンとの仲が悪いからです」で済むのでしょうが,歴史家は(たとえ社会史家であっても)違うのです.
 「私がこんなことを言う」というのは,私自身,ベタな記述のみの「歴史」を行ってきたからです.反省しています.
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409. 中世の技術と社会変動
リン・ホワイト・Jr (内田星美 訳)
思索社 1985.12
★★★
 Lynn White Jr, Medieval technology and social change (1962)の全訳.
 40年前の本.当時はどうあれ,今はこの分野の研究も進み,この著作の記述などはかなり古くさくなってしまっているものと思われます.特に技術というものは,文化の間を頻繁に移動するので,世界史的な規模を考えなければならなくなっています.社会変動と技術の発展を結びつけるならば比較の視点も必要ですが,この著作にはそれがありません.また,図例はあるのに図示がない(解説のためのイラストがない)というのが不親切.技術書はヴィジュアルが大事なのですよ.
 古いは古いのですが,古典として,せっかく日本語になっているのだし,読んでみるべき著作.全体300ページ強の内,半分が註です.訳すのは大変だったろうな.
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408. 野口英世
イザベル・R.プレセット (中井久夫・枡矢好弘 訳)
星和書店 1987.2
★★★
 Isabel R. Plesset, Noguchi and his patrons (1980)の全訳.
 下の中山と同時並行的に書かれていたアメリカ人による野口の伝記.著者の父親が野口と関係があったために,著者のリタイア後に,私財をなげうって野口の伝記を書くことに専念したのだそうです.実際,野口とフレクスナー(ロックフェラー研でのボスであり,アメリカでの「パトロン」)の書簡を利用して,細かいところまで書いてあります.もちろん,著者は日本的な事情をよく理解できていないので,日本の部分は中山の著作と相補的に読むべき.ただ,この著者は,野口個人の特性を強調しすぎるきらいがあり,情緒的な説明でお茶を濁している部分が多々あります.いくらか社会的説明を加えている中山の方がまだ合理的に読めます.この辺が専門の歴史家でないことの弱さでしょう.
 意外なのは,下で読んだポール・デ・クライフ(この訳書中では「デ・クルイフ」と表記されている)が結構出てくるところと,『ウィルスの狩人』のG.ウィリアムズが,未訳の著作の中で野口をぼろくそにけなしているという指摘でした.こういうあたりが,日本人の書いた伝記にはない部分ですね.
 訳は悪い.日本語を理解していない人の訳書です.この著作を真剣に読もうとするなら,訳注に原書の誤りを正す部分があるので,英語原書を読みつつ,訳注だけを気にするのが良い読み方でしょう.
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407. 具体性のヴィゴツキー
茂呂雄二
金子書房 1999.8
★★★
 下の本の1章を拡充した著作.しかし,下の論文がこの著作のエッセンスというわけではないようです.というのも,下の著作は出版年代こそ2001年ですが,論文自体が書かれたのが1994年ころだからです.著者自身のその後の展開も含まれているわけです.
 著者はこの著作で,「具体性」をキィワードにヴィゴツキーを読み直し,エスノメソドロジーなどの力を借りてヴィゴツキーの拡張を試みます.そもそもヴィゴツキーに詳しくない私にはなんのことやら,という感じです.どうしてもまだ,とっかかりがつかめないなあ.「具体性は多様性の統一だ」というのも,歴史をやっている人間には当り前のことですからね.
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406. 野口英世
中山茂
岩波同時代ライブラリー 1995.10
★★★
 1978年に朝日評伝選として出版されたもの.特に内容に手を加えることなく短いあとがきを足しています.
 私がまだ内定生の時代,中山先生のゼミに出ていました.そのゼミに当時大学院生だった人がいて,自分はマンガの原作を書いている,今度野口を取り上げようと思っている,と言っていました.その時に初めて,中山先生が『野口英世』という本を出していることを知りました.で,とりあえず読んでみようと思って読んだのが6分の1世紀ほど前の話.久しぶりに読み返しました.
 野口については,英雄視したり聖人視したりするものがあったりする一方で,その反動で暴露的なものもあったり,せいぜい文学だったりと,多様な文献があり,野口の伝記本についての研究もあるほどです.しかし,意外にないのが科学史家による書き物.この中山の伝記は,野口に特に感情移入することなく突き放していて,それでいて留学生としての思い入れはたっぷり入っています(中山はハーヴァード大学に留学していた).パラダイム論を使って野口の科学的業績を評価するあたりが本書の特徴でしょう(今となっては懐かしい感じがしますが).専門家向けではないので,わりと楽に読めます.
 残念なのは,著者が医学史の専門家でないために,どうしてもそちら方面が弱いことです.この本の初版が出てからもう四半世紀,より優れた伝記が出ていると良いのですが……

 ちなみに,マンガの原作をしていたという人は伊藤智義さん.森田信吾さんが絵を描いて『栄光なき天才たち』という作品になっています.現在はいろいろな範型で入手可能ですが,コンビニ本で「野口英世」「鈴木梅太郎」「山極勝三郎」「北里柴三郎」が1冊にまとまったものがあります(税抜き286円).
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405. ノーベル賞ゲーム 科学的発見の神話と実話
丸山工作 編
岩波同時代ライブラリー 1998.5
★★★
 病気の原因と治療に関する分子生物学的な業績を巡るノーベル賞(化学賞と生理学・医学賞が関わる)裏話を集めたもの.もともと岩波の雑誌『科学』に掲載されていた複数の著者による諸論に手を入れ書き下ろしを加えて1989年に出版されたものを,同時代ライブラリー化の際にさらに加筆したもの.更に加筆して文庫化してもまだ大丈夫だと思います.
 恐らく科学と科学史を知らない人には驚きな内容かもしれませんが,科学だって人間の行いなので特別なことではない,ということをかみしめればどうってことはない.というよりも,人間くさいのだなぁ,と思えるのかも.
 ただし,ノーベル賞自体の存在意義についてまで踏み込んでいるのが長野敬だけ,というのが,向こう側の人たちの書いたものなのだな,と思わせます.最近はいろんな賞が乱発気味で味が薄れているので多少良くなっているのか.
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404. 状況論的アプローチ3 実践のエスノグラフィ
茂呂雄二 編著
金子書房 2001.10
★★★
 下の続き.このシリーズはこれでおしまい.

序章 「実践とエスノグラフィの意味」 茂呂雄二 1-19
第I部 実践へのアプローチ
1章「具体性と実践の描出」 茂呂雄二 22-58
2章「アーティファクトと活動システム」 石黒広昭 59-95
3章「移動と学習 ヴィゴツキー理論の射程」 高木幸太郎 96-128
4章「状況・行為・内省」 福島真人 129-178
第II部 フィールドからの報告
5章「漁業者の生態学的な認知 豊島からの報告」 澤田英三 180-204
6章「“教室”の言語ゲーム タンザニアの小学校をフィールドワークする」 川床靖子 205-229
7章「職人の「わざ」の伝承過程における「教える」と「学ぶ」 独自の「知識観」「教育観」をめぐって」 生田久美子 230-246

 読んでみると,この著作はもともと1994年頃に出版されるべきだったもののようで,出版時ですでに7年遅れになっていました.そのために,著者たちがすでに考えを変えている場合があったりします.なので,この著作は1994年に出たものとして読むべきでしょう.そう考えると,この著作はそれほど有用ではありません.著者の何人かはここでのテーマを膨らませた独自の著作を書いていたりするので,そちらを読むべきでしょう.
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403. 状況論的アプローチ2 認知的道具のデザイン
加藤浩+有元典文 編著
金子書房 2001.10
★★★
 前の続き

序章 「アーティファクト・コミュニティ・学習の統合理論」 加藤浩+有元典文 1-13
第I部 認知的道具研究の広がり
1章「道具のエコロジー」 上野直樹 16-38
2章「インタフェースのエコロジー」 堀部保弘 39-64
第II部 認知的道具のリソース化
3章「共同学習環境のためのインタフェースデザイン 「アルゴブロック」の設計思想と評価」 鈴木栄幸+加藤浩 66-94
4章「指示・道具・相互性 遠隔共同作業システムの設計とそのシステムを用いた人々の共同作業の分析」 山崎敬一 他 95-117
5章「思考の道具・学習の道具」 美馬のゆり 118-138
6章「観察を組織化する道具 動きのデザインにおけるコンピュータの状況的な使用」 小池星多 139-174
第III部 コミュニティの再組織化
7章「共同学習環境のための社会的デザイン 「アルゴアリーナ」の設計思想と評価」 加藤浩+鈴木栄幸 176-209
8章「現象を観察するコンテクストの再組織化による運動力学の学習」 上野直樹 210-238
9章「算数言語ゲームの可視化実験 Teacher実践の記録」 有元典文 239-257

 この巻は,主にコンピュータと人間とのインタフェイスを扱っているので,私の関心のある論文は少なかったのですが,注目したのは最後の2つ(8章と9章)の論文でした.
 9章の算数問題の教室的状況というのは,恐らく教育に携わっている人間ならば誰でもが観じたことのある「非合理」だと思われます.問題が「解けて」しまうことの不思議は,子供・学生の理解不足でも,教師の力不足でもなく,教室的状況の中で考えた結果であるということを「可視化」する実験がこの章で扱われています.この場合の「可視化」は研究者だけでなく,子供と教師にとっての可視化でもあります.教える立場にいる人は目を通しておいても良いかも.
 8章に関しては,科学史家としては少々文句あり.学習者が持つ素朴物理学(folk physics)が中世のインペートゥス理論に似ていて間違いである,だからそれを脱してニュートン力学のメンタル・モデルを学習者に構築させるべき,というような論じ方がなされてしまっています.これはピアジェ流の誤謬です.個体発生は系統発生を繰り返すというヘッケル流の戯言をそのまま精神発達と科学史との関係に応用したようなピアジェ流の戯言.ここには2つの誤謬があります.まず第1は,インペートゥス理論の歴史的な理解が全く間違っていること.ウィス・イムプレッサとインペートゥスとを混同するなど以ての外です.参照する科学史書がマッハだというのは古すぎます.この点を詳しくやると大変なことになる(私の卒論のテーマでした)ので省略.そして,第2の誤謬は,恐らくピアジェなどは,アリストテレス運動論や中世の議論を不充分にしか理解しなかったために,科学の累積史観あるいは啓蒙史観に陥り,近代=大人(充分に世界を理解している),中世=子供(まだ世界の理解が不充分),という図式を採用してしまった,ということです.素朴物理学とニュートン力学での「力」が指しているものが異なるのであり(我々は日常的には力を「速度の変化」とは結びつけない),この点を注意せずに調査をすると妥当な結果は出ないでしょう.素朴物理学が一貫しているかアドホックかはともかく,歴史上のインペートゥス理論とは異なるということには注意しなければなりません.
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402. 科学論の現在
金森修+中島秀人 編著
勁草書房 2002.4
★★★★
 1970年代以降の西洋科学論の流れを解説した文章を編んだもの.レヴューと教科書の中間的な存在(そのへんで編集方針ももめたらしい)で,大学の科学論入門のゼミに使うのが妥当でしょう.講義のための教科書としては辛い(読む方も).
 およそ2001年までの代表的な科学論についての見通しができる点で非常に便利であり,各章の後の参考図書も豊富で言うこと無し.値段的にもぎりぎりに抑えた(3500円+tax)と思われます.内容的なことについてはとやかく言わず.好きなものを読み,自ら研究するのが正しい.むろん,これから科学史を勉強しようという人は必読です.この本では目標無く漂う科学論の定食屋的ゴッタ煮テイストをお楽しみください.
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401. 現代思想1996年5月号 特集=科学者とは誰か
青土社 1996.5
★★★
 海の向こうでサイエンス・ウォーズが始まったころに,新しい科学論,特に社会との関連を重視する科学論に関連したりしなかったりする諸論を編んだもの.このうちのいくらかはまだ読めるし,入門としてまだいけそうなところもありそうな気がするのですが,これ以降出た本(この号で抄訳された本の全訳が後に出版されたりしている)などを参考にした方がいいかもしれません.科学技術倫理についての各論は大丈夫だし,フラーの小論も入門としてはいけるかも.ただ,佐藤文隆と竹内啓の対談は良くない.基本的に竹内の言に佐藤がそうですね,という程度なので,佐藤のおもしろさが出ていないからです.
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