H19.7.13制作開始 H19.9.30更新

 

トリビアの伊佐氏&伊達氏

 


 

 

 

 

 

伊佐氏とは!?                        

 伊佐氏は、平安時代末期から南北朝時代にかけて常陸国伊佐郡(現在の茨城県筑西市の一部)を所領とした武士(御家人)の一族です。一族の大進局という女性が将軍・源頼朝との間に男子(貞暁)をもうけたり、執権・北条氏とも姻戚関係にありました。また、頼朝の奥州合戦で常陸冠者為宗(伊佐為宗)が手柄をたてたり、伊佐大進太郎が承久の乱に参加するなどしています。奥州合戦で手柄をたてたおかげで奥州伊達郡を賜り、一族のうち常陸入道念西(藤原時長)などが伊達郡に移り住みました。この念西が伊達氏の始祖となったのです  → 詳しくはこちら

 

伊達政宗の先祖は茨城県筑西市の出身!?  

 伊達政宗が活躍した戦国時代末期から遡ることおよそ400年前、政宗の先祖の常陸入道念西(藤原時長)が、常陸国伊佐郡(現在の茨城県筑西市)を所領としていました。 → 詳しくはこちら

 また常陸入道念西の一族は、伊佐郡のほかに下野国中村(現在の栃木県真岡市)も所領としていたという説があります。筑西市にある伊佐城と真岡市の中村城は、栃木県二宮町を挟んで約8劼箸いΧ砲瓩洞瓩ぐ銘屬砲△蠅泙后

 

常陸国にあった「伊佐」という地名は、今はもう無くなってしまったの?

 現在でも茨城県筑西市に「伊佐山(いさやま)」という地名が残っています。

この伊佐山には「古館」という小字名があり、伊佐・伊達氏の先祖の一人とされる中納言・藤原高房が配流され、ここに住んだという伝説が残っています。 → 詳しくはこちら

 また、明治22年(1889年)に「伊佐山村」などを含む17村が合併して「伊讃村(いさむら)」が誕生。昭和26年(1951年)に下館町と合併して新下館町となるまで、同村が存在していました。その名残りで現在も、旧伊讃村地域を「伊讃地区」と呼び、筑西市立伊讃小学校という校名や伊讃公民館などの施設名が残っています。なお、「伊佐山」の東には「伊讃美(いさみ)」という地名があります。明治40年(1907年)に結城・下館で陸軍特別大演習が行われた際、明治天皇による観兵式が行われた場所で、それまで「飯島ヶ原」と呼ばれていたものを、陛下が「伊讃美ヶ原」と命名したことに由来する新しい地名です。  

 ちなみに地名ではありませんが、筑西市中舘にある観音寺周辺に伊佐氏の館「伊佐城」があったとされており、県指指定文化財(史跡)になっています。  → 詳しくはこちら

 

その昔、「伊達」と書いて「だて」ではなく「いだて」と読んでいた!? 

 現在私たちは、「伊達」と書いて「だて」と読んでいます。そもそも、伊達氏の名の由来になった奥州伊達郡はもともと因達郡とも表記され、その読みは「いだて」或いは「いだち」でした。また、延元4年(1339年)の古文書に「いだてのかもんのすけ(伊達掃部介)爲景」とあり(『秀郷流系図白川結城』續群書類従)初代仙台藩主の政宗がヨーロッパに送った遣欧使節の書簡には、ローマ字で「いだち」と書かれていました。「だて」ではなく「いだて」または「いだち」と読むことが正しかったようです。

 

伊佐氏の領地・伊佐郡のあった茨城県下館は「下伊達」とも書いた!? 

 伊佐氏の所領である伊佐郡をその市域に含んでいた茨城県下館市(平成17年に合併し現在は筑西市)。自治体名としての表記は「下館」でしたが、古文書の中では様々な文字があてられています。例えば天文18年(1549年)の『勝達坊宛多門坊改源旦那売券(潮崎稜威主文書)』(『関城町史 資料編恵羸ご愀源卜繊)には「下盾一円、先達者羽黒神社別当」、永禄10年(1567年)に下館城主の水谷勝俊が菩提所である定林寺(茨城県筑西市岡芹)に寄進した銅鐘の銘文には「常州伊佐郡奥崎郷下館村」、年月不詳の『関東八州諸城覚書』(毛利家文書)には「下たての城 水野谷伊勢守」など。また、延宝年間(1673〜1680年)成立とされる比較的新しいものではありますが、『那須記』(『真岡市史第二巻古代中世資料編』)という文書には「伊佐郡下伊達」という興味深い表記が見られます

                                                                                         

伊達政宗は2人いた!? 

 伊達政宗といえば、伊達氏17代当主で初代仙台藩主の独眼竜政宗が有名ですが、この「政宗」という名前は、伊達氏中興の祖といわれる室町時代の第9代当主「政宗」にあやかって名づけたものです。伊達氏には、「政宗」という名の当主が2人ました。9代当主を大膳大夫政宗、17代当主の独眼竜を藤次郎政宗と呼び区別することが多いようです。

 


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