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伊佐・伊達氏年表

 

 

 

 

 

 

嘉承2年(1107年)

8月23日

堀川(河)院供養のため(?)、常陸介實宗が香隆寺で誦経(ずきょう・じゅきょう)。

堀河院昇霞記

治承4年(1180年)

10月24日

佐竹追討を終えた武衛(源頼朝)が、小栗十郎重成の小栗御厨にある八田館に入る

吾妻鏡

元暦元年(1184年)

4月22日

鎌倉殿(源頼朝)から常陸の目代 [常陸入道念西か?]宛てに筑後権守藤原俊兼の代筆による慇懃の御書

吾妻鏡

文治元年(1185年)

10月24日

二品(源頼朝)の随兵に常陸平四郎 [伊佐一族か?]

吾妻鏡

文治2年(1186年)

2月26日

常陸介藤時長の女・大進局が、源頼朝の子・若公(貞暁)を生む

吾妻鏡

文治2年(1186年)

10月23日

若公(貞暁)を扶持していた長門江太影国が、御台所(北条政子)の気色を蒙り、若公とともに深澤あたりに隠れる

吾妻鏡

文治3年(1187年)

3月30日

公卿勅使が伊勢神宮に参ずるにあたり、伊勢国の地頭御家人が駅家の雑事に勤仕する庄として、荻野庄(一方は次官、一方は中村蔵人)。勤仕せざる庄として家城庄(地頭は常陸六郎)、三箇山(常陸三郎)、糸末名(中村蔵人)、吉行名(常陸太郎)、松高名(常陸太郎)[常陸太郎・同三郎・同六郎は伊達念西入道の子息。中村蔵人は伊佐氏の同族中村氏か??]

 吾妻鏡

(4月29日条)

文治5年(1189年)

6月9日

御塔供養が行われ二品(源頼朝)が御出。後陣の随兵に伊佐三郎行政

吾妻鏡

文治5年(1189年)

7月19日

藤原泰衡征伐のため鎌倉を出発した二品(源頼朝)の御供の輩に常陸次郎為重同三郎資綱

吾妻鏡

文治5年(1189年)

8月8日

源頼朝による奥州合戦に従軍した常陸入道念西の子息・常陸冠者為宗次郎為重三郎資綱四郎為家が、阿津賀志山で佐藤庄司などを討つ

吾妻鏡

建久元年(1190年)

11月7日

二品(源頼朝)入洛。先陣の随兵34番に伊佐三郎、後陣32番に常陸平四郎 [伊佐一族か?]

吾妻鏡

建久2年(1191年)

月23日

伊達常陸入道念西の息女である女房大進局が、御台所(北条政子)の怨み思う間、在京せしむべく内々に仰せ含められ、伊勢国に領地を宛てられる

吾妻鏡

建久2年(1191年)

月4日

鶴ヶ岡八幡宮御参りの随兵に伊佐三郎伊達四郎

吾妻鏡

建久3年(1192年)

4月11日

常陸入道の妹(注)の子である若公の乳母のことについて、御台所(北条政子)の嫉妬が甚だしく、御家人たちが次々辞退。長門江太影国が仰せつかる。

吾妻鏡

建久3年(1192年)

5月19日

若公(貞暁)が仁和寺入りのため、鎌倉由井にある常陸平四郎 [伊佐一族か?]の宅より進発し上洛

吾妻鏡

建久4年(1193年)

5月1日

常陸国鹿島社の造替遷宮にあたり、造営奉行に伊佐為宗、小栗重成など

吾妻鏡

建久4年(1193年)

5月

28日か?

富士の巻狩りの際、屋形を並べて鎌倉殿(頼朝)を守護し奉る諸国の侍共の中に■差(伊佐)六郎

曽我物語

二宮町史資料編

建久6年(1195年)

3月10日

将軍随兵に常陸四郎 [常陸平四郎か?]伊佐三郎伊達次郎

吾妻鏡

承元3年(1209年)

3月29日

鎌倉殿が陸奥国長世保内の荒地を早く開発するよう、地頭の伊佑(佐)大進に仰せになる

鎌倉遺文

関東御教書案

伊達氏の源流の地

建暦2年(1212年)

6月8日

伊達四郎荻生右馬允が御所において相論から刃傷におよび、双方の郎従に死者。伊達四郎は佐渡に、荻生は日向に配流となる 

吾妻鏡

建保7年(1219年)

正月27日

鶴岡八幡宮に参する行列に伊達右衛門慰為家

吾妻鏡

承久3年(1221年)

6月6日

承久の乱に参加した伊佐三郎行政が、山田次郎重忠と戦い逐電させる

吾妻鏡

承久兵亂記

承久3年(1221年)

6月14日

承久の乱に参加した伊佐大進太郎が宇治川の合戦で戦死

吾妻鏡

暦仁元年(1238年)

2月17日

御所(将軍頼経)の随兵に伊佐四郎蔵人、伊達八郎太郎、中村縫殿助太郎、伊達判官代

吾妻鏡

仁治元年(1240年)

8月2日

鶴ヶ岡八幡宮御参りの随兵に伊佐右衛門

[吾妻鏡における最後の伊佐氏関連記事]

吾妻鏡

仁治4年(1243年)

1月10日

御弓始め射手の2番手に伊達中村太郎

吾妻鏡

建長4年(1252年)

8月1日

鶴岡八幡宮御参賀の随兵(直垂着)に伊達次郎

吾妻鏡

建長4年(1252年)

8月6日

供奉の人々参進 歩行たるべし者として伊達次郎

吾妻鏡

建長5年(1253年)

10月23日

伊達八郎が小侍の番帳に入る

吾妻鏡

元弘3年(1333年)

5月9日

越後守仲時の自害にあたり、伊佐治部丞(貞周)・同孫八・同三郎・息男孫四郎宗徒のものとして供に自害。

太平記

興国4年(1343年)

11月

 12日か?

高師冬率いる北朝方に攻められ伊佐城が降参

島津忠政着到状

ほか

応安元年(1368年)

閏6月12日

室町幕府の執事・細川頼之が、伊佐郡平塚郷を鹿島神宮に寄進

鹿島神宮文書

応安2年(1369年)

10月13日

室町幕府の執事・細川頼之が関東管領上杉能憲あてに伊佐郡平塚郷を鹿島神宮に打ち渡すよう御教書を発給

鹿島神宮文書

応安3年(1370年)

6月25日

下野守護の小山義政が、伊佐郡平塚郷をあらためて鹿島神宮に寄進

鹿島神宮文書

天文8年(1539年)

水谷蟠竜斉(正村)の初陣・大串合戦に結城氏家臣伊佐八郎兵衛尉政貞が参陣。[伊佐氏後裔か??]

 水谷蟠竜記

下館市史

 

 

 

 

 

注:「」の文字は、実際には「革偏」に「」で表記されているようですが、変換できなかったため、とりあえず「」としました。

 

 

 


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