H20.7.15作成開始 H20.8.25更新

 

下野国中村

 


 

常陸国真壁郡伊佐庄中村 江戸幕府が編纂し文化9年(1812年)に完成した大名・旗本の系譜集寛政重修諸家譜』の伊達家譜は、伊達郡進出以前の伊達氏について「伊佐庄中村」を領し「伊佐」あるいは「中村」を称したとしている。「伊佐」は常陸国「伊佐郡」(別に西郡北条」とも呼ばれる)と考えるのが妥当であろう。ただし、伊佐郡内に「中村郷」あるいは「中村」という地名があったかどうかについては確認できない。伊佐氏の城とされる伊佐城は現在の筑西市中舘にあり、戸時代には既に中舘と呼ばれていた。しかし、その昔このあたりを中村と呼んでいたという伝承が残っている。明治22年の村制施行の際、旧中舘村及びその周辺を中古(中世の意味か)、中村と称していたので、新村名を中村としたという(『下館市史』)。もともと「ナカ」あるいは「ナカムラ」と呼ばれていた地域に後世になって館が設けられたため、中舘と呼ぶようになったとも想像できる。もっとも、中世以前に「中舘」を「中村」と呼んでいたという確実な史料がないため、「中舘」がすなわち寛政重修諸家譜』にいう「中村」とは断定できないのである。では中村」とはいったいどこを指すのか。一般に「中村」とは常陸国伊佐庄(伊佐郡)内の地名ではなく、常陸に隣接する下野国の中村(現在の栃木県真岡市 もおかし)のことであるとされている。しかし、本当にそれで良いのだろうか。

 

延宝五年所々廻見記 

 

続く…

 


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