H19.12.2作成開始 H20.1.10更新

 

下万正寺遺跡

 

 下万正寺遺跡(しもまんしょうじいせき)はJR東北本線桑折駅からおよそ1.6辧桑折町の市街地南東部の大字万正寺字万正寺および字卵塔前、字墓裡にある寺院跡。西側には産ヶ沢川が南へと流れ、この川によって形成された河岸の段丘面上に位置する。一辺がおよそ80屬諒形に近い形状で、遺跡のほぼ中央には伊達朝宗のものとされる墓地がある。また、遺跡の東300mほどの場所にある桑折寺(こうりんじ)には、天文17年(1548年)に伊達氏が桑折西山城(国指定文化財・史跡)から米沢へと移る際、城内から移築したという山門(桑折寺山門 福島県指定重要文化財)が現存している。

 


 

伊達朝宗の墓

 

 

 

自然石による墓(左)と五輪塔(右)[管理人撮影]

 

下万正遺跡地内にある伊達朝宗(だてともむね)のものと伝わる墓。江戸時代に仙台藩が建てた五輪塔と、それ以前から存在したという自然石の墓とがある。仙台藩による江戸時代中期の調査では「源頼朝の墓とも伊達氏の先祖の墓とも伝わる。」とされ、頼朝に近い伊達氏の墓として古くから認識されていたようである。

 


 

桑折寺山門・福島県指定重要文化財

 

 

 

 

桑折寺山門[管理人撮影] 

扶桑山伊達院桑折寺(こうりんじ)に残る山門。室町期の特徴的な建築様式を残す建築物として福島県の重要文化財に指定されている。天文17年(1548年)桑折西山城主・伊達晴宗が、同城を破却して米沢城へと移るにあたり、その城門を桑折寺が拝領し移築したものと伝わるが、この門が西山城のどこにあったものかは不明である。門口の柱間2.73m、奥行は1.4m。切妻の唐破風(からはふ)を持つ向唐門(むかいからもん)という建築様式の門である。文政7年(1825年)、本堂の改修に際して山門も修理された。西山城にあった当時から現在のような建築様式であったかは不明。以前は茅葺きであったが、昭和55年の解体修

理時に銅板葺きに変更された。なお桑折寺は時宗の寺院で、伊達宗村の庶子を祖とする一族・桑折氏の菩提寺であった。現在の寺号となったのは明治以降で、かつては高林寺あるいは香林寺などと書かれたという。 

  


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