H19.7.13作成開始 H20.1.28更新

 

幻の四代将軍・貞暁

 


 

 

 

 

 

実朝暗殺 建保7年(1219年)、鎌倉幕府3代将軍源実朝(みなもとのさねとも)が、2代将軍源頼家(みなもとのよりいえ)の二男公暁(くぎょう)の手により修善寺で暗殺される。これにより頼朝の血を引く男子は、頼朝と大進局(だいしんのつぼね)のあいだに生まれた貞暁(じょうぎょう)のみとなった。大進局は常陸入道念西(常陸介藤原時長)の娘である。その子・貞暁は、念西から見れば孫に、常陸冠者為宗次郎為重兄弟から見れば甥にあたる。

 

 【吾妻鏡をもとに作成した初期の伊佐・伊達氏系図】

                   

  常陸入道念西(常陸介藤時長)──┬─常陸冠者為宗 (伊佐為宗)

                  
                  ├─次郎為重

                  

                  ├─三郎資綱

                  
                  ├─四郎為家

                  

                  └─大進局

                     

                                  ├───若公貞暁

                     

                    源頼朝

 

 

  既に幕府の実権は将軍から執権である北条氏に移っていた。それでも、もし貞暁が還俗(げんぞく)して4代将軍になることがあれば、伊佐・伊達氏にとっては一族の将来に係わる一大事である。結果的に4代将軍には、頼朝の遠縁で摂関家の九条道家の子である九条頼経(くじょうよりつね 藤原頼経ふじわらのよりつね)が就いた。伊佐・伊達氏はその一族から将軍を輩出することはなく、貞暁は高野山において僧としての人生を全うしたのである。果たして、将軍の子として生まれた貞暁とその母・大進局の生涯は、どのようなものだったのだろうか。

 

御台所の気色を蒙る 貞暁は文治2年(1186年)、頼朝の次男として誕生した。吾妻鏡(あづまかがみ 東鑑)』は2月26日条で「甲戌、二品(頼朝)の若君(貞暁)誕生、御母は、常陸介藤時長の女なり、御産所は、長門江七景遠の濱の宅なり、件の女房殿中に祇候するの間、日來御密通有り、縡(こと)露顕するに依りて、御臺所(政子)御厭ひ思すこと甚し、仍つて御産の間の儀、毎時省略すと伝々」と記している。貞暁の誕生は頼朝の正室である北条政子にとっては、喜ばざるものであった。将軍頼朝の男子であるにもかかわらず、政子の強い嫉妬によって、お産にかかわる儀礼をことごとく省略されてしまったのである。同年10月23日条にはこうある、「長門江太景國、御臺所の御氣色を蒙る、是御妾の若君 去る二月誕生 を扶持し奉る事、顕露せしむるに依りてなり、今日景國若君抱きて、深澤邊に隠れ居ると云々」。貞暁は伊佐・伊達一族の者ではなく、長門江太景國によって養育されていた。2月26日条にあるように、御産所も長門氏(景遠)の屋敷であった。

続く… 

 

 


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