H19.7.13作成開始 H19.8.19更新

 

藤原高房供養塔(等覚院供養塔)・筑西市指定文化財史跡

源頼朝・藤原高房供養塔(上)と伊達氏供養塔の碑(下)[管理人撮影]

 

 

 

 

 藤原高房供養塔(ふじわらのたかふさくようとう)は、筑西市泉(ちくせいしいずみ)の観音寺末寺、天台宗弥勒山等覚院(廃寺)跡にある五輪塔で筑西市指定文化財・史跡。空輪・風輪・火輪・水輪・地輪の五輪が揃った大きめの塔が2基あり、小型の塔や一部が欠けたものなどがあわせて13基存在する。石材の質にもよるのだろうが見た目にはそれなりの古さを感じさせる。大型の2基はそれぞれ、藤原高房源頼朝(みなもとのよりとも)の塔と伝えられている。五輪塔の地輪には造立年や人名が刻まれることがあるというが、銘があったかどうかの識別は困難である。なお『伊達氏の源流の地』によれば、宮城県立図書館蔵『伊達御家譜略』の中に、この五輪塔についての記述があるという。同家譜には、中舘城の西に上館があり、その亥(北西)に等覚院があることや、古くから村人が源頼朝と仙台藩の祖先の墓だと伝える長さ5尺(およそ150cm)程の「御五輪」があること、等覚院には住職がいないため五輪塔のある場所も竹木が茂っているなどと記されているという。『伊達御家譜略』には仙台藩12代藩主・伊達斎邦(だてなりくに)までが記載されているので、この等覚院についての描写は幕末あたりのものだろうか五輪塔の

 

 

 

前面(南側)には石柱が建てられ、表面に「伊達氏供養塔」、裏面に「遠孫 小山 新 昭和九年九月廿三日」と刻まれていることから、少なくとも昭和初期までは、縁者による供養が行われていたことが窺われる。小山新さんがどのような人物か確認はできないが、これらの五輪塔が伊達氏の祖を祀ったものだと考える人たちがいたという事実には間違いない。 


 明治27年に出版された『杉山私記』は、平安時代の延喜元年(901年)藤原時平(ふじわらのときひら)の讒言によって菅原道真(すがわらのみちざね)大宰府に、中納言藤原高房が常陸国伊佐荘に流されたと伝える。また、同書では高房の館があった場所を真壁郡伊佐山村古館(現在の筑西市伊佐山の古館)としている。高房は延長2年(924年)に伊佐で死去、法名を東岳院殿秋山道融大居士として東岳院に葬り、石碑が建立された。その後伊達朝宗(だてともむね 常陸入道念西か)の主君・源頼朝を清國院殿前柳榮與崇和大居士として、同所に石碑を並べて建てたという。さらには、高房神社や高房夫人の音信姫(おとづれひめ)を葬った黄金塚などがあると記している。


 藤原高房は、右大臣藤原不比等(ふじわらのふひと)の次男である藤原房前(ふじわらのふささき)を祖とする、藤原北家(ふじわらほっけ)の流れに位置する人物(房前魚名うおな鷲鳥わしとり藤嗣ふじつぐ高房)。伊達氏はその出自を藤原北家としており、伊達氏発祥の地ともいえる常陸国伊佐に高房の供養塔があっても、一見不自然ではないように思える。しかし『下館市史』は、高房の流刑についてはその事実自体が無く、あくまで伝説であるとはっきり否定している。また、五輪塔のうち一基が頼朝のものであるという確証があるわけでもない。頼朝や伊佐・伊達氏と関連があるとしても、高房が伊佐で没し葬られたとすることは難しいだろう。『下館市史』はこの点について、「子孫の伊佐氏が、いろいろと祖先の祀りをしたものを、後世誤って伝承されたものであろう」と、『杉山私記』の影響を受けたやや苦しい解説をしている。しかしこの解説では、伊佐氏がなぜ、北家の祖の房前や藤原氏の祖である鎌足ではなく、高房を祀ったのかが説明しきれていない。高房の配流は伝説である。われわれのまだ知らない高房と伊佐の地の繋がりが、他に何かあるのだろうか。現時点でそれ以上の事はわからない。ではもし高房のものではないと仮定すると、これら十数基の五輪塔の主はいったい誰なのか。塔が鎌倉時代のものだとすれば、常陸入道念西伊佐為宗などの前後数代にわたる伊佐一族のものと考えるのが、最も妥当なところではないだろうか。


 さて、高房流刑の事実が無いことは述べたが、ここ常陸国伊佐郡(現:茨城県筑西市)には、藤原北家にまつわる伝説が他にも残されている。奈良時代の延暦元年(782年)氷上川継(ひかみのかわつぐ)の乱に連座して左大臣を罷免されたうえ、大宰府へ左遷されたという高房の曽祖父・藤原魚名の伝説である。


 蛇足だが、鎌倉時代に実際に、常陸国伊佐へ流刑とされた人物もいる。

続く… 

 

 


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