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2003.11.26 加筆訂正
山月記2003
植物名は間違っているかもしれません。すみません。
牛伏山は群馬県にある山です(標高491m)

9月

 牛伏山を散歩。ネジバナに似ているけれど、黄色い花があった。ほかに黄色い小花が集まったものも気になった。前者はキンミズヒキ(金水引)、後者はオミナエシ(女郎花)らしい。
 黒っぽい木の実を拾った。絵のサクランボのようにふたつ付いている。表面は松ぼっくりのような感じ。ただし、アーモンドの入ったチョコくらいの大きさである。名前はわからない。
[追記]ヤシャブシらしい。
11/26加筆訂正、9/21追記


 群馬県箕郷町から榛名に上っていくとき、車中から、すごい岩壁を発見。とてもかっこいい。ぞくぞくした。鷹の巣山というらしい。道路脇には登山者のものらしい車が何台か停まっていた。わたしもいつか登りたい。おなじく岩壁が強烈な荒船山も。
 二つ岳の雄岳へ。オンマ谷へ下っていくとき、シマヘビ(?)が死んでいた。ぶら下がったまま。
 白い大きなアザミのつぼみに惹きつけられた。トゲがあり、白い綿に包まれている。中心には、とても深そうな黒い穴がある。オヤマボクチらしい。
 オンマ谷(相馬があるので、御馬か?)は、草が少ない。ミズナラ(?)の大きな木のあいだに石が転がっている。日光がたくさん注いで明るく、気持ちがいい。美しいところだ。車を置いてきたのを後悔してきたけど、歩いてきてよかった。青い美しい花が咲いていた。それを伝えると、猛毒で有名なトリカブトだった。
 雄岳は登りはじめたころ、勾配がきつくて、とうてい辿り着けないと思った。40分くらいで着いたらしい。塔がある。鳥居と「二嶽大神」というような石碑(祠があったかはおぼえていない)のちかくの岩でお弁当を食べた。塔のエアコンの音がうるさい。帰り際に「正しい」山頂を見つけた。それが途中で行き会った男性が教えてくれた、眺めはいいけど、端っこは危険な岩だったらしい。そこからの眺望は絶佳だった。榛名湖、榛名富士などに加えて、反対側に市街地、やや遠くに赤城山も見える。赤城山は低かった。山と街、両方の景色を堪能できて気に入った。その頂上は、よじ登らなければならない、ものすごい岩の上にあった。上に着いても、びくびくしながら、へっぴり腰で標識(「雄岳 1345M」とある)へ移動した。途中でまたいだ石灯籠はこわれていたし、つかまるとグラグラした。馬の背に乗るように岩にまたがって写真を撮ってもらった。

 降りたところで、芝生の小公園に入って驚いた。しばらく林内を進んだら、とつぜん冷風が吹いてきたのだ。それが、風穴であった。登ったときに看板を見たけれど、上に書いてある「→」に気づかなかった。わたしは、看板(ほんとうは標識だった)のあたりが風穴であり、ぜんぜん大したことないなあと馬鹿にしていた。
 小道に沿って或る所にゆくと、全身が冷気に包まれる。暑い日で、汗をかいていたから、最初は「気持ちいいね」と言い合っていたけれど、そのうち寒くなってしまうほどだだった。富士山の風穴・氷穴よりすばらしい、と思った。
 穴は、斜面にたくさんある。土に開いた穴ではなく、石と石のすきまという感じだ。だから、小さい。あたりは無風なのに、その穴の前に垂れ下がった葉草だけがそよいでいる。ちょっと不気味だ。穴に手をあてると、空気はもっと冷たく、手を入れてみると、もっともっと冷たい。雄岳に登り始めるまえにアイスやヨーグルトなどを置いてみたかった。
 そのうち、アーシュラ・K・ル=グウィンのゲド戦記第5巻『アースシーの風』に出てくる「オーランの洞穴」(パオの口)を思い出した。ハブナー島にある大地の裂け目で、中は真っ黒なのである。榛名の風穴のひとつひとつは小さかったけれど、その黒い穴は迫力があった。地底から冷風を吐き出すという、めったにないことをしているからだ。黒い口のようだ、と今になって思う。
 公園の道は、林を過ぎると、ツツジのなかの道になるようだった。
 オンマ谷の花。赤紫のツリフネソウと、黄ツリフネソウの群生。玉アジサイ。白い花、黄色い花。

 沼の原のユウスゲの道を歩いた。夕方だったので、黄色いユウスゲが咲き始めていた。薄紫色の松虫草(マツムシソウ)もたくさん咲いている。荻原規子の『空色勾玉』を思い出した。ほかにも白いオトコエシの花など、いろいろな花が目を楽しませてくれた。わたしは前からここが好きだ。とくに、数年前の朝の気持ちよさが忘れられない。この野原はわたしの心のなかの風景、帰る故郷のような大事な存在になっている。
 沼の原を横切って、はじめてスルス岩に登った。かっこいい岩だと思って、近づいていったのだ。岩上にまで立てるなんて、知らなかったから、岩群を過ぎた。戻るとき、もしかしたら登れるのか、と思って、人跡をうろうろした。やっと、ある岩の下へ行けた。よろこんで木につかまり、岩にかじりついた。しかし、足場と手がかりがなくて、アゴしか載せられない。アゴだけ置いて、ぐるりと山々を見た。遊歩道に戻ってからも諦めきれず、戻って再挑戦。結果は同じだった。
 ところが、ほかにも近づける岩を発見。岩にかかる鉄製の梯子があった。そこを上っても、まだ先があって、片方の岩はこれまた無理だった。しかし、べつの片方はわたしでも上へ登れた。そして、それが一番高い岩のようだった。宗教的な碑(?)があった。あたりを見ると、最初にへばりついて、じたばたして、やっとアゴだけ載せた岩はかなり低いところにあった。ともあれ、ここからの風景も気に入った。野原。道。なにより、大きな岩の上にいるという気分がいい。自分がかっこよく思えるのだ。
 また、どこへも飛んでいける鳥はいいなあ、とも思ったらしい。「世間(よのなか)を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」に共感(山上憶良、万葉集897番)。
 ちなみにススキ野原は一万年経つと、林になるらしい。永遠ではないのだ。

 榛名湖畔の砂浜に降りた。波打ち際の水中は透明できれいだった。平らで広い水面を見るのも、とても気もちがよかった。平安時代の貴族の女性も、琵琶湖に対して、こんな気持ちになったのだろうか。また、数年前、野尻湖で小さな崖を降りて、誰もいないし、誰からも気づかれないような小さな岸に立ったことも思い出した。湖面に夕日のオレンジ色の道が通っていた。小石の岸辺をジャブジャブ波が洗っていた。そのうち、「自分がもしロビンソン・クルーソーのように有能でも、無人島って寂しいんだろうなあ」と思った。
 しゃがんで湖を見ているうちに、ぐるりと取り囲む山々が、壊れた鍋の縁に見えてきた。稜線がギザギザしているからだ。そういえば、ここはカルデラで、カルデラはスペイン語で「鍋」だったっけと、思い出した。この日の榛名湖は、周りに若い男性二人や、父親と息子の釣り人がいた。
 木立に囲まれた、山上の榛名湖は静謐なイメージがあって、前から好きだった。この日は近辺に行って、ますます好きになった。湖畔に住みたくなった。

 夜は虫の音がたくさん。窓をずっと開けていられないくらい、涼しくなった。

9/21加筆訂正


 あぜ道へ。紫色のアザミ、ピンク色のキツネノマゴ、濃いピンク色のアカママ、朱色のマルバルコウソウ、青いツユクサ、白い菊みたいな花などが咲いていた。花盛りだ。
 しばらく前、この魅力的な小道が突然、灰色のジャリに覆われた。植物は埋まってしまった。あたりは乾いた感じになって、わたしはこの変貌をとても悲しんでいた。ところが、今はもう以前と同じ風景だ。軽トラやトラクターの2本のわだちを除いては、草がいっぱいだ。
 もとに戻らないものもある。やや大きめな銀杏の木があった。秋になると、銀杏独特のかたちをした葉は真っ黄色に染まり、ある朝、地上は絨毯に変わっている。朝の日射しにその黄色が黄金めいて映ることもあった。しかし、土地の交渉の過程で、あっけなく切り倒されていた。ちょっと大きな切り株だった。その土地をめぐってはごたごたが起こり、関係者はそのことばかり憤慨している。銀杏のことなど、言わない。
 この日は、近くの山で木材を伐ったり、運ぶ音が響いていた。田舎というと、静寂な場所、というイメージがあるかもしれない。たしかに通る車は少ない。しかし、うるさい音に悩まされる時はけっこう多い。しかも、それは休日であったりする。伐採、草刈り、稲刈り。機械の音はたいへんな大きさと響きである。
11/26加筆訂正


 、『空の名前』を久しぶりに開いた(高橋健司 写真・文、光琳社出版、1992年)。雲や、四季おりおり、一日のわずかな時間の美しい日本の風景の写真と、それらを事典のように客観的に説明したキャプションがついている。歳時記のようかも。しばしば詩歌も引用されている。いくらか話題になった本だった記憶がある。女子高生が読んだりしていた。
 この日は、こういう自然の美しい写真をもっと味わいたくなったのか。むしろ、物足りなかった気がするのだが、机のしたの小さい本棚から1冊取り出した。この本棚は、ぜったいに忘れない本を置いているところだ。本は『ニルス=ウド 自然へ』(『Nils−Udo――Towards Nature』。編集:群馬県立館林美術館、北海道立帯広美術館、岩手県立美術館、共同通信社。発行:共同通信社、2002年3月)。展覧会のカタログである。
 残念なことに、展示されていた写真とは感じがちょっと違っているものもある。それに、こういうカタログは、何も知らずに入って驚き、魅了されたときと同じ気持にはならないものだ。美術館でも自然でも、「歩いていて」新鮮なものに出会ったことが、そのときの感動に深く関わる。これが読書との相違点かもしれない。
 ともあれ、これもやはり久しぶりにめくった『ニルス=ウド 自然へ』はよかった。単に思い出の確認には終らなかった。ニルス=ウドは、自然をそのまま写真に収めていない。手を加えている。花をたくさん摘んだり、葉を糸でつないだり、実をたくさん集めたり。わたしは、ありのままの自然が好きだと思っていた。サークルで華道をごく短い間、習った。もちろん、才能がなかったせいだろうし、すこしは期間のせいもあったかもしれないが、わたしはイヤになった。見映えのために、多くのものを鉄製のはさみ(鋏)で切除することが。(ただし、先生がおこうなうと、突然うつくしい姿に変貌し、わたしはその美をめでていたけれど)。ところが、若木が密集して円形に植えられていたりするこのカタログ・展覧会は、文句なしに大好きなのだ。
 色も、形も、質感も、つまりとても「美しいから」だけではない。展覧会で釘付けになった言葉があった。

「私が自然に逆らわないように制作活動を行ない、自然への干渉をできるだけ控えようとしても、そこにはつねに根本的な矛盾が残るでしょう。私の創作活動の全体は、こうした矛盾に基づいています。またそれは、人間存在の根本的な宿命を免れてはいません。私の創作活動はそれが依拠し、指標としているものを傷つけます。無垢な自然をそこなうのです。」(松下ゆう子 訳)

 いちばん好きな作品は、竿の先に黄葉した葉がつながって、のぼり(幟)のようになって、それが風にそよいでいる。バックは、丈の低い草の生えている荒涼とした山岳地帯の「山の風」(カラマツの棒、楓の葉/オーストリア、ザルツブルク州、ラウリス。「Mountain Wind」1980年)。わたしは日本の山里に、もっと色彩の鮮やかな、こんな幟が立っている写真を雑誌で見たことある気がする。それは神様に対するものだった。だからか、「山の風」には山への尊敬・崇敬を感じる。
 それから、森の中にこれまた緑色の門が立っている作品(「門」、「Gate」1980年)。わたしが山に感じているもの、なにか素晴らしいものが隠れていそうだ、という気持にぴったりする。
 傲っているかもしれないが、ニルス=ウドには、とても共感するところがある。気づいていないことを、美によって教えてくれたのだが、わたしと同じところのある人のようだ、とまで思う。
 ただし、木の根っこだけを残して地中を掘った作品はきらい。木が痛々しい。また、子どもらしき人形(ひとがた)に、べったりと緑や赤を塗りたくった90年代の作品も。彼の考え・メッセージはともかく、視覚的に気持ち悪かったから。カタログでも開かないようにしている。

9/21up


 午前中、柿の木のまわりをやや大きめの蝶が飛び回っていた。黒い羽に、うす黄色のタテ帯。後ろ羽は灰色がかった黒に見えた。心が弾んだ。初めて見る蝶だ。関東の標高491メートルの牛伏山の頂上で、シロオビアゲハ(白帯揚羽蝶。たぶん)を目にしたときのように。しかし後日、図鑑をひらいても、そんな蝶はいなかった。クロアゲハ(黒揚羽蝶)のオスだったのだろうか。
 (自然とはまったく関係ない話だが、このあと、図書館へ行くと、駐車場の入り口が渋滞していた。館の横にいるのに入れたのは約30分後… こんなこと初めてだった。近くで開かれていた、大臣も来た政治の集会参加者が駐車したに決まっている、と思って腹が立った。前回は警備員さんだっていたのに、いなかった)
11/26加筆訂正


 群馬県の草津白根山へ。県道沿いの榛名町の丘上(里見?)の農園で梨を買う。榛名山のふもとを通って須賀尾線を行った。せまい川(烏川)をはさんで稲田のある緑濃い美しい山里をいくつか見た。岩山(丸岩)の下を通って国道に合流。酒造観光センターはバスも停まって、たいへんな人混み。お酒を買う。種類はあまりなかった。あとで飲んだら、長野県佐久市の「一年囲い辛口芙蓉」(720ml・900円)のほうが美味しかった。
 長野原町からたいへんな渋滞となる。工事のせいもあったらしい。やっとそこを抜け、天狗山を過ぎたら、また渋滞。のろのろと白根山の急な道をゆくと、わたしの好きな風景が現われてきた。緑野(クマザサ)と崩れかかっている岩々。赤いコケモモや、青いリンドウ(竜胆)の花、黄色い花、オレンジ色っぽいナナカマドの実も見えた。ゆで卵くさい硫化水素の出ている岩場を過ぎ、高所のカーブを曲がると、さらに魅力的な風景が現われた。真っ白で、ぴかぴかしている斜面。月面みたいだ。地上とはまったく別世界。初めて見たときは、息を呑んだ。火口湖(湯釜)の外側である。
 有料駐車場に入るときも渋滞。木陰でごはん。日射しは暑いけれど、風は寒かったから。ヘリコプターが何回か、湯釜の上空へ来た。行列に加わって登ると、湯釜の“水”は、白っぽいエメラルドグリーンだった。昔に比べ、水は減ったそうだ。湯釜というから、お湯なのかもしれない。わたしはそう思えなくて水と言ってしまう。また、ずいぶん前は1周できたらしい。夕方に立ち寄って一周した福島県の吾妻小富士を思い出した。だれもいなかった。その後、真っ白な霧に包まれた山道を車で降りたのだ。
 湯釜では、わたしはやはり湖のまわりの崖、とくにその高さと稜線がよかった。以前、崖と接している“水面”に惹かれると言った友人がいた。まわりには頂上にたどり着くや、「きれいやね」「すっごーい」「感動」などを連発する人たちもいた。同じ言葉をくりかえすのが不思議。わたしには今回、釜が赤や白、ピンク、オレンジ、いろいろな色が混じって、志野焼みたいな陶器に見えた。湖は、深皿の底に残ったスープだ。そして、意味はちがうのだろうけど、小説の一節を思い出した。「自然とは深いうつわのようだ」(村田喜代子『鍋の中』1987年発行)
 崖の上のほうに、目みたいな部分があった。凝視する片目。立ち入り禁止の網の先にある小山もよかった。白っぽい砂山。青空が近そうなのも気持ちよかった。空にはたくさんの軽快そうな薄雲があった。それぞれが舞っている鳳凰のようだった。ところで、道路を挟んだ湯釜の向かいは、鏡のような水をたたえた池(弓池)と湿原、緑濃い野(じつはクマザサの原)と山(逢峰)。うるおいに満ちている。ごく近いのに対照的だ。ここはいろいろと不思議な場所だ。

 元白根山へ。気持のよい道路を歩いて(シャトルバスしか通れなくなっていた)、ロープウェイの駅を目指し、リフトの駅で草の斜面をのぼった。そのうち、木の階段のつづく山道になった。わたしは元白根山を知らないから、目の前に現われるものだけを見ていた。道路脇の草陰に、赤い光沢がすばらしくて、ビー玉みたいな実があった。タケシマランらしい。クマザサの中から、枯れ木が何本も直立していた。樹皮のはがれた木肌はつるつるして灰色だ。丸木柱のようだ。ある程度まで成長すると、(気候だか硫黄によって)枯れるのだ、と言った人がいた。若くて死ぬ。ほんとうなら、とても残酷なところだ。
 突然、ひらけたところに出た。視線の先には、奇妙な大岩がたくさんある丘上。心が躍った。こんなすばらしい、好みの風景があるなんて。しかもそれが、これから行く元白根山だったのだ。岩はひびわれていた。山頂に置かれている、というより、地中から突き出ている印象を受けた。それらの岩と対岸の自分のあいだには、深くて巨大な窪地が開いていた。しかし、岩にばかり惹きつけられていたので、気づいたのはずいぶん後だった。その半球状の窪みは草地で、とても気持のいい穴に見えた。ただ、急斜面だし、岩もあるから、降りて行けそうな気はしなかった。これは爆裂火口(の跡?)で、から釜(空釜)いい、直径300メートルらしい。ここでデジカメが、犬が原因で壊れた。所有者は愛犬を叱れず、しかし、この後ずっと気持も晴れず。しょっちゅう、デジカメをいじっていた。7万円もしたそうだ。
 この空釜を半周して進むと、奇岩の印象はますますすごくなった。岩は緑色っぽいものもある。木の階段にさしかかると、風が強くなった。頂上はとても寒かった。風をよけるところもない。魅了された岩群は、近いためにかえって魅力的な全体像が見えない。危なくて、登れそうにもない。しかし、眼下の風景は、びっくりするほどすばらしかった。緑の山波が広がっていた。浅間山のようなきれいなシルエットの火山もあるけれど、ほとんどは、なんと言ったらいいのか、ふつうの山だ。ちなみに長野県の湯ノ丸山も見えたそうだ。言われても、わたしにはわからなかったが。たしかにひろい緑の野もある。野菜畑だろうか。草津などの町もある。しかし山ばかりだ。平野というものはなかった気がする。ところで、ここは実は頂上ではなく、「展望所」という名前らしい。若くしてここで8ミリ撮影中に亡くなった人の碑もあった。
 「展望所」を降りると、また気持ちよかった。浅い火口らしき窪みをめぐって、山の端へ行ってみた。ここからの眺望もいい。石ばかりの斜面に道があった。コマクサが植生地の、自然保護を訴える看板に今まで求めていたような言葉を見つけた。「for keeping plants and rocks」。今まで自分の好きなものをどう呼んでいいのか分らないときがあった。「自然」では、大げさすぎて、また、わたしには深遠すぎて気が引けた。しかし、この文句を見て、そうだ、plants and rocksなのだ、と分った。うれしかった。わたしには英語がわからないから、シンプルで純粋な意味だけが伝わってくるように感じられるのだ。
 帰るときには、例の空釜の半分近くが山の影に覆われていた。その端は、木の影によってキザギザで、浪みたいだった。

 ロープウェイの駅近くからの道路脇には、ウスユキソウ、イタドリの花、白い花、黄色いアキノキリンソウがあった。草も木々も、青空をバックにとても輝いて見えた。茶色いサングラスを通して見える、異様にクリアな風景みたいだった。空気がきれいなためらしい。
 湿原に寄ってみた。池のそばにかっこいい岩がある。蓬莱岩らしい。残念なことに登ることはできない。湿原は赤みがかった茶色だった。そこに青いリンドウの小群落や緑色のコケ、小さな池(池塘だろうか)がある。
 駐車場へ戻り、ひとり湯釜へ。下から見ると、湯釜のふちはナイフのような鋭利な刃物で切り取ったようだ。今度は「うっわーきれーなにこれー」や「すっげー」と言う若い男性たちがいた。
 湯釜へ再度行かせてくれた同行者も、渋峠へ行きたいというわたしの主張には怒り出した。以前来たとき、渋峠のお店の駐車場から見た緑野が、荒々しい岩地を覆う薄い表皮みたいで魅力的だったのだけど。 

9/24加筆訂正


 8時半ごろ、小学校の運動会の練習を見る。先週に引きつづき2度目。開会式か閉会式の練習らしい。全生徒が整列している。低学年には足で地面に描いたり、ふらふらしている子がいる。そのたびに教師がやってきて怒る。秋の朝とはいえ、太陽が照りつけるとても暑い日。
 須賀敦子さんによると、『神曲』に描かれている地獄じゃない世界は、夜明けの青い空に星がまたたいているという。すがすがしい世界だという。
 「旅人とダンテは、地獄の汚濁から浄罪界から出て、初めて星のきらめく明け方の空を仰ぐ。

   東国のサファイアの得もいわれぬ色が
   見渡すかぎりに澄みきった、
   静謐な空気をいろどっていた。
   それが、わが目と心を悲しませたあの
   死せる空気から出てきたばかりの
   わたしの目にはなつかしかった。

   愛をつかさどる美しいあの星に
   東の空はほほえみ、それにかしずく
   魚座は、光をうしなってみえた。」

「虚構と現実を往来する闘病記がしのばす存在論 日野啓三『断崖の年』」より。所収『本に読まれて』(中公文庫、2001年11月発行)

 運動会の練習を見て、晴朗な朝にも地獄はあるのだと思った。

10/29加筆訂正


 牛伏山を散歩。黄色い花が咲いている。ぽやぽやした白いショウマも。キバナアキギリとイヌショウマらしい。白に赤紫の斑点のホトトギス、ツリフネソウ。あと、葉はフキ(蕗)のようで、花は白いマーガレットみたいな花。
 頭上では、カラスの鳴き声、羽ばたく音。登ると、それらがすぐ近くから聞こえてきた。羽の音は、扇風機みたいな大きな音。カラスはたくさんいた。ちょっと気味悪くなった。
 日が沈んだようで、どんどん暗くなった。足下から、ちょっと離れたところへ何かが飛び跳ねる音がたくさんした。最初は、自分が蹴った小石だと思いこんでいた。しかし、土と葉っぱの道(遊歩道)だ。しばらくして、虫らしいと思った。でも、こんなにたくさん跳ねていくものは、小学校の帰り、沼のほとりでみた黒い小さな蛙の大群以来だ。なんだろうか。気持ち悪くもあった。しかし、車道で近くにいるのを見たら、コオロギらしかった。なーんだ。
 気がつくと、セミの声はほとんどしなかった。かわって虫の声がすごい。一個所、虫の音だけに満ちているような場所があった。
 鉱泉宿の庭に猫がいた。逃げるかと思ったら、犬に向かってきた。犬はダーッと逃げていった。そんな事ってある? 前の犬は追いかけて、猫が木に登るや、自分もできると信じて何回か飛びついていたのに。しかし、いま追われた犬は猫が去った後もびくびく。
11/26加筆訂正


 長野県へ。関東山地とは山の形が違う。丸みがあって、ぼこぼこしている感じ。佐久市のあたりは浅間山なので斜面である。
 北野美術館や小布施の岩松院、須坂クラシック美術館、街並などの感想は「眼玉と歩いた」に書きたい。(ようやく載せました
 
11/11加筆訂正


 長野県佐久市立近代美術館へ。(感想を「眼玉と歩いた」に書きました)
 前の道の黄葉がすばらしかった。カツラ(桂)らしい。同じの敷地の図書館前には、宮沢賢治ゆかりのギンドロノキがあった。布のような厚みがある葉っぱだ。
 その後、麦草峠の予定を変更して野辺山へ。美し森に登る。あたりの植物はなんとなく黄ばんでいて、秋っぽい。
 羽衣池まで行ってみた。急な階段を上って着いたのは、小さな湿原。同行者は気に入った。

 この数日後、源氏物語「紅葉賀」を読みたくなった。が、久しぶりに「末摘花」を拾い読みしたらおもしろくて、それで終ってしまった。もちろん現代語訳(円地文子訳)

11/11加筆訂正

10月

 八間山へ。この山は群馬県六合村の野反湖畔にある。
 国道254号を曲がり、鏑川をわたった塩畑堂からの山里の風景がすきだ。子どものときから、桃源郷のように思っている。
 県道(?)の丘(榛名町)で、この日も梨を買う。今回は、国道(?)との交差点にちかい斜面の選果場。トイレに行くと、裏手に石の狭い階段が続いていた。何か心惹かれる雰囲気なので登っていくと、青いネットにぶつかった。むこうには梨園がひろがっていた。その果樹園のなかは、やわらかそうな緑色の草。梨の木肌は黒くて、丈が低い。張り巡らされた枝は天井のようだ。梨園はうつくしい。
 榛名町室田をすぎてからの山里の風景もよかった。9月に草津本白根山へ行ったときとは違って、田んぼは金色に光っていた。稲刈りをおこなっている田もあった。
 この日も山道の脇に、イ○バの物置のような建物がおかれていた。そのひとつの看板には、「介護ハウスに最適」とある。今回もやっぱり衝撃をうけた。「全部で230万円」というような文句に、同行者は「トイレやお風呂込みのことでは」と言う。それにしても、本当にあの小さな金属製の物置を指しているのだろうか?
 岩が屹立した山が目に入った。かっこいい。さらに行くと、そんな岩山のもっと大きいものが。それが岩櫃山であった。立っている岩の一つ一つが塔で、全体が悪の城のように見える。
 吾妻渓谷沿いの国道に出ると、トラックが多いし、混んでいる。それに渓谷は車中からは見えない。「ようこそ ダムに沈む 川原湯温泉へ」というような看板。わたしには、いいキャッチフレーズには思えない。
 また特徴のある山が飛びこんできた。人間の頭のよう。顔にあたる部分は絶壁、その上には木が半球状に茂っていてまるで頭のよう。この円柱状の岩山は、白根山行きのとき、その麓を通った丸岩だった。対岸から見ると、感じが違った。岩櫃山より気に入った。

 六合村に入ると、対岸にすごい岩壁が。
 道の駅で、まいたけを買う。野反湖への道はせまかった。夏はどんな渋滞になるのだろうか。ふつうの山道をずいぶん上ったところで、きゅうに視界が開けた。左手に浅間や白根山の雄大なすがたが現われ、息を呑んだ。
 野反峠に着くと、それまでとは異なる高山の風景がひろがっていた。草地と林。野反湖は青かった。まわりがかなり白い浜に縁取られていたので、水は少ないのではと思った。
 ここまで、ほかの車にほとんど会わなかったのに、駐車場にはけっこう停まっていた。八間山の登山道に人の姿も見えた。急な斜面だとは、体験記で知っていたけれど、やはりしんどかった。登って、やっと平らなところ(ピーク)に着いて歩くと、また登り、の繰り返し。クマザサの原や、岩場、コメツガなどの針葉樹林、紅葉したツツジや黄色いシラカバの林などを通った。山頂の近くの道は、水が溜まってドロドロであった。数十センチ下は岩盤であるらしい。
 ゆく道、来た道を見ると、紅葉はうつくしかった。そこを歩いているときは、シベリアのような紅葉の集まりのそばを歩いていることには気づかない。それでも、そばのツツジなどから秋が来たことを実感した。
 シラカバやダケカンバの林は、白い枝の伸び具合がおもしろかった。絵のようだと思った。  とちゅうで気になった風景は、山ジャリの採石場。同行者は富士山がみえることを発見し、喜んでいた。わたしは小さな台形に感動できないし、野反峠の別名が「富士見峠」であることに納得した。

 帰りは須賀尾峠を通る。やはり、こちらの方が空いている。県道(?)に合流したところの山の岩壁にはじめて気づいた。いい。
 この日の夜も、源氏物語の「末摘花」あたりを拾い読み。

10/17up


 山上でこのところ、秋を感じていたが、あたりを見回すと、野原や川原もススキは白くなって、草は赤や黄色がかっていた。春の野よりも、秋の野のほうが彩りが豊かみたいだ。それに春の自然は、芽生えの歓びでいっぱいだ。わたしは夢のなかで駈けているくらい春の木々は好きだけど、秋のほうが深みやいろいろな面があるように思う。
 偶然、この日の夕方から読んだのは、村田喜代子さんの小説『花野』。タイトルは秋の季語だそうだ。
11/26加筆訂正


 牛伏山を久しぶりに散歩。紫色の山薄荷(ヤマハッカ)の花穂、ハッと引きつけられるほど真っ白いショウマの花穂、白や黄色の菊のような花。これまたハッとさせられるオレンジ色の南天草(ナンテンソウ)の実、赤紫のガクに濃い青の実がたくさんついた木(クサギ?)。紫色のアザミ、キバナアキギリ、ピンク色のナギナタコウジュ、赤紫色のツリフネソウの花などが咲いていた。また、遊歩道のそこここに赤い葉っぱが落ちていた。とても美しい。黄色もまじって、グラデーションになっていたりする。桜である。
 晴天で、日向にいると、半袖になるくらい暑かったけれど、山林は日陰で涼しい。遊歩道の落ち葉や土が濡れて冷たいことに、とちゅうで気づいた。数年前から、秋の自然は赤やオレンジに色づいて、視覚的には賑やかなのにも関わらず、つめたい空気のなか、哀切な音楽が響いている気がしている。この日、花々はいま、最高の彩り・輝きを見せて、この後は沈み、冬に向かうように思った。
 ここは山中だけれど、かつて、都の貴族の邸宅にもこんな道があったのではないか。光源氏(光君)をはじめとする王朝小説の男性主人公も歩いたのではないか、となどと想像した。
 いろいろな実も落ちていた。白っぽい紫色のアケビの殻。一つを除いては中の、食べられる白い部分は無かった。でも、とても甘い香りがした。
 ほかにドングリ、ヤシャブシの実(固くて開ききっていない緑色のものもあった)、山栗(小さい)、大きなホオの実(これは黒かった)、小さな松ぼっくり。濃い紫色の殻から、目玉のような黒い小さな実がのぞいていて、それが枝いっぱいについているガマズミ。これも鼻に近づけると、おいしそうな香りがした。ただし、こちらは甘酸っぱい香り。
 なまえの判らない実を拾った。布のようなあたたかい質感。色は黄色で、桃の実のようなピンク色の部分がある。それが枝に二つ並んでついていた。かたちの説明は難しい。突起があちらこちらにある。立体的な星形というか、なんていうか、一個の生き物のよう。こんな実があるのか、という気持ちだ。いったい何だろう。
 緑や赤のヒヨドリジョウゴが生っていた。ツルニンジンが咲き終わったものもあった。これは独特の紫色や黄緑色だ。
 帰り、杉林で、光沢のある黒い毛のかたまりが目に入った。小さなモグラの死体であった。さわってみると、見た目から予想されるような気持ちのいい手触りだった。
 この日は実や葉っぱを拾ったし、久しぶりに山頂まで登ったので、3時間近くの散歩になった。帰宅して、ベッドで本を読みかけたけど、そのまま1時間半くらい昼寝した。   
11/26加筆訂正


 毎年、夕日を浴びた田んぼが金色に光っていることがある。それは美しい光景だ。しかし、今年は忙しかったからか見ていない。青っぽい稲も目立つ。それでも、この日稲刈りをした。
 コンバインを少し運転した。ほとんどは、田んぼの縁に立って残っていたり、田んぼの中でもコンバインに踏まれて地に臥してしまっている稲を鎌で刈っていった。ところがその間ずっと土手で、ハイイロサギ(灰色鷺)がこちらを凝視していたようだ。その後、灰色の羽根を広げて飛んだのだが、かなり大きな鳥であった。
 多くの田んぼでは、刈られた稲が束ねられて、横に渡した棒に架けられている。田んぼのあいだを散歩したら、刈った稲特有の青っぽい匂いが鼻を突いた。
10/26up


 一日、外に出なかった。晴れの日ではなかった。夕方、窓の外が暗くなってきた。ふと見ると、机のむこうの曇りガラスが赤くなっていた。急いで開けた。東や北の空も夕焼けに染まっていた。ハッとした。全天がピンク色に染まっているのだ! こんな日は滅多にない。ほかの部屋の窓に行って開けた。べつの方角の窓にもそうした。さらに別の窓も。空じゅうに、なんとも言えない、いいピンク色の雲が広がっていた。
 きれいな夕焼けを見ると、思うことをまた思った。古代の人たちは、自分たちの手でこのような光輝に満ちた色をつくり出すことは出来なかっただろうけど、夕焼けによって存在は知っていたんだろうなと。
 また、自然は貧しい者にも、無償で美しいものを見せてくれると。
10/29加筆訂正


 丘陵を久しぶりに散歩。すると、もとは青々とした草の広がる牧草地で、いまは低木なども生えている野原が、杭と綱で囲まれていた。しかも看板によると、建設会社の資材置き場になったのだ。見ると、敷地のすみにプラスチックの土管のようなものが積まれていた。もうここを自由に歩き回れないだけではなく、野原がゴミ置き場のようになってしまうことにショックを受けた。
 野原の端の山道を下ろうとした。この未舗装の道の周りはかつて「ヤチョーエン」(野鳥園)だった。網の向こうに美しい色の外国の鳥などもいた。しかし、それらは消えて、あるときは色鮮やかなたくさんの雄雉だけが広い小屋に入れられていた。信じたくないことだが、ハンターが撃つためらしかった。高校生のわたしに藤原俊成の和歌「夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里」を想起させたウズラの大群がとうとう姿を消して、野鳥園の名残はなくなった。ウズラは放されたらしい。しかしその後、見たことがない…
 そういう経歴の道なのだが、途中にたいへん鮮やかに紅葉する木が一本ある。また、道ばたにはインクベリー(洋種山ごぼう)が生え、赤や緑のヒヨドリジョウゴの実が生り、紫色の山薄荷(ヤマハッカ)や、菊みたいなヨメナなどが咲く。今ごろ散歩すると、深まる秋を感じられる気持ちのいい道なのだ。期待に胸をはずませて野原の端、山の端へと進んだ。
 すると、道は広げられ、べつの道まで造られているではないか。それだけでなく、まわりの山が削られ、白っぽい土が剥き出しになっていた。あたりはみょうに開けっぴろげで、ぐちゃぐちゃした感じの景色に変貌していた。絶望的に変わってしまったように思った。山の一部が失われてしまったから。
 怒りでいっぱいになった。しばらくすると、どこの土地も私有地なのだ、どこの土地も人間の誰かが持ち主になっているのだ、ということをあらためて思った。入れないのは仕方がない。(とはいえ、人間が土地の所有者になぜなれるのか判らないけど。いや、わからないふりをする必要なんかない。欲の皮がつっぱっているからにキマッテイル。人間は倫理的に正しいことを知っていても、全員が行なうわけではないのだ。戦争のように。戦争をめぐる出来事のように。と、これは後で思ったこと)
 でも、持ち主だからといって、どうにでもしていいわけではない。自然は、そのままで素晴らしい存在だ。日本のどこにでも自然はあって、ありふれたものだけど、人間は作り出せない。山を削っていけない。川岸をこわしてはいけない。わたしはそう思う。それは、ゆくゆくは人間に影響が出るから、とか環境の視点からではない。ただ自然が尊く感じられるからなのだ。自然はひとりひとりの人間と同じだ。侵害してはいけない尊さを有している。(もっと説得的に表現できたらいいのだけど)
 ふたつの変化に大きなショックと不満を抱いて帰りながら、こうも思った。わたしの家も、住んでいる地域も、わたしが恩恵を受けているものはみんな、今までに自然を壊して、無くして、立てているではないか。大島弓子さんのまんが『四月怪談』で主人公が江戸時代生れの幽霊に諭されたように。

 それでも、やはり達観できない。子どもの頃から親しんだ丘はもう、悲しみだらけの場所になってしまった。季節ごとに発見に出会える魅力的な場所だったのに。その正反対になってしまった。前にも書いたように、軽トラ一台しか通れない道が、コンクリートの壁に囲まれたふつうの広くてきれいな道路になって。埋めつくすようだった、白い枝の桑畑の海が消えて。それですら大きな打撃だったのに…
 この場所をめぐっては、道路工事を知った数年前から一喜一憂してきた。感情が一方の極みへ大きく振れたときには、初めて「人間なんて滅んでしまえ」とまで呪った(それも真剣に。これはわたしの幼稚さを示すものでしかないかもしれない。当時は人類が消えた後の地球の絵を描き、エセ漢文も綴った。対象は違えど、森茉莉の「私はこの世の終りが今来ればいい、ノアの洪水が今来ればいい、水爆が落ちたっていい、と思う。自分も一緒でいいから、その(略)を消したいのだ。」「(略)よ、呪われてあれ!!! 呪われてあれ!!! 呪われてあれ!!!」に共感した。『ジュンかヴァンのオトコノコ』、所収『貧乏サヴァラン』早川暢子・編)。しかし、こういう変貌の結果は、この小さな山のなれの果ては、とうの昔に牧草地でなくなった時から決まっていたのかもしれない。

[追記]
感傷的になって断定してしまったが、あとで考えると、地続きの山にゴミ処理施設(兼露天風呂のある宿泊施設)が移転してきたからなのだ。そして、沼の周りと川が“親水公園”として破壊されたのも。

11/26加筆訂正


 風邪を引いた。大したことはないのだけど、辛かった。ふと、6月下旬に死んだ犬は、こんなふうに苦しんで死んだのかもしれない、水も飲めなかった。人間には肉親の手が差し伸べられるけれど、わたしたち飼い主がさわったって、快くなんかなかったのかも知れない、独りで死んでいったんだ、と思った。枕に顔を押しつけて、ちょっと泣いてしまった。
10/29up


 郵便局の人(集金に来てくれた)が「前、外にも犬がいましたよね」と言った。わたしは「死んでしまったんです」くらい言うべきだったかも知れないのに、「ええ」としか返事しなかった。わたしにとって犬の死の悲しみは、人間のそれよりも軽かった。でも、今でもわたしはしゃべらない。しゃべれない。
 このころ、交霊会やイタコとかのところに行きたくなった。犬とおばあちゃんの言葉を聞きたい。「だいじょうぶだよ」と慰めてほしい。といっても、霊や神の存在を信じてはいない。じぶんの聞きたい言葉が返ってくるに違いないと思っているのだ。現実は雑踏のようにたくさんの言葉に満ちている。現実のなかでは、聞きたいやさしい言葉はもらえない。そこに耳を傾けて入ってくるのは、「自分は責められるべき事をしたのだ」という厳しい通告。
 犬が死んだころ、「わたしも早くあの世へ行きたい」「あの世に行って犬に会いたい」と願った。しかしあれも、自分のしたことを許してほしいからに他ならない。この世では償いはできないのだ。
11/26加筆訂正


 で、死んでしまった犬の名前を聞いた。あの犬の身代わりというのが出てきた。
 (犬のことが続いたけれど、毎日犬のことを思っているわけではない。それから、犬はわたしにとって自然だから、ここ(山月記)に書いた)。
11/26加筆訂正


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