国語の授業シリーズ


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         おじさんの授業 1  『少年の日の思い出』


 相模原では、03年度から東京書籍の中学校国語教科書を使っている。これまで、僕が好きな教科書の中に、東京書籍は入ったことがなく、残念ながら現在の教科書もいいとは思えない。そして、この『少年の日の思い出』を1年からはずしてしまったことも理解できない。以前は入っていたと思うが。
 かけがえのない教材というものがある。『オツベルと象』も3度使った。『少年の日の思い出』は、20年来使っている。この教材が中学生にとってかけがえのない教材であることを以下で示したい。
 

1. 教材観

 少年時代、ちょう集めに夢中になり、そのあげくちょうを盗んでしまったという事件が客の思い出話として語られる。その思い出は、客にとって人に話すのも恥ずかしい思い出でありながら、しかし、彼自身の成長史の中の大きなエポックだった。

 主人公は、生徒と同年代であり、少年時代を卒業し、青年時代の入り口にいる。生徒は、身体はそうであっても心は子供時代のままであることが多い。そして、これほど劇的に子供時代を卒業することは、実際にはほとんどない。しかし、この作品によって、生徒は、今、自分が自分史のどんな時代を生きているのかということを知り、これからの自分の心の変貌を予想でき、自分の成長を大切に考えるきっかけを与えられるのである。そういう意味で、この作品は、中学生にとってかけがえのない作品であるといえる。


2. 指導計画

 一次読み(教師の範読)                      1時

 初発の感想
              

 感想の発表と課題の話し合い(みんなの感想から)          3時

 二次読み・内容精査    (考えながら読もう)          4時

 小説の続きを書く                       0.5時

 発表                             0.3時

 評価           (学習のまとめ)          0.2時

              ※ ( )は板書の場合の呼び名

3. 初発の感想について 

 初発の感想で最も大切なのは課題の発掘である。3学級で指導したが、この作品の中から次のような課題が出された。

課題A この物語は、このあとどうなったのか。

課題B  この思い出は、いい思い出ではないのではないか

課題C 「客」は、なぜこの話をしたのか。

課題D なぜ、「僕」はこれほどちょう集めに夢中になったのか

課題E なぜ、「僕」はエーミールの部屋に入ってしまったのか

課題F なぜ、「僕」はヤママユの斑点を見たかったのか。

課題G なぜ、「僕」はヤママユを盗んでしまったのか。

課題H なぜ、「僕」はなかなかあやまりに行かなかったのか

課題 I  なぜ、「僕」はエーミールに飛びかかろうとしたのか

課題J なぜ、「僕」はちょうを粉々にしてしまったのか。

課題K  なぜ、「エーミール」は「僕」を怒らなかったのか。

課題L なぜ、「エーミール」は「僕」を許してくれなかったのか

課題M  なぜ、母親は「今日のうちでなければならない」と言ったのか

課題N  鳥はなぜ、ヤママユの斑点を見ると手出しをやめるのか。

課題O 課題になった言葉

   神秘的 歓喜 胴乱

 

4. 表現の学習「この小説の続きを書く」

 小説の第一場面に戻って、小説の続きを書く。

   場面の確認   登場人物  わたし、客(友人)

           場 面   夏の夜、わたしの書斎

                 客が思い出を話し終わったところ

 書く時間は、約三十分。書き終わったら、教師に読んでもらい、その後は、漢字・語句ノートの学習を進める。(こういう時間に、言語領域の学習を進めさせている)

  

5. 評価 学習のまとめの記入

 各単元の学習の最後には、必ず書かせている。授業の感想、及び教材の振り返り、      二次感想などを生徒は書く。

 今回は、授業の評価を生徒にアンケートした。まじめに答えるように話し、記入させた。今後の指導に役立てるための資料である。この程度の授業評価をアンケートできるような、国語教室、授業の質、生徒との人間関係はどの教師にもあってほしいものと思う。今回はこの用紙に、いつもの学習のまとめで書く内容も含めて書けるようにした。

※ アンケートの抜粋

     @ 学習を振り返って

      ・ 何度も繰り返し読めば、わからないところもわかるようになることがわか
       
った。

      この小説は、読めば読むほどいい話だなあと思った。

      この作品は、確かに主人公のしたことは悪いことだけど、どんどん考えているうち   に、よいところもあるんだなと感じました。

      僕は、この小説の続きを書くというのが一番授業の中で楽しかったです。自分の書   きたいように書く、小説の続きがとても好きでした。また、やりたいです。

      いい話だと思うが、僕はこういう話はあまり好きではない。けれど、この話によっ    て、たくさんのことを学んだ。こういう授業をもっとしてほしいと思う。

      この授業で、文章を読みとる能力と、文章を書く能力が身に付いたと思う。

      自分で小説の続きを書くことが、こんなに大変だとは思わなかった。

      自分にも、夢中になれることがあるといいなあ。

      先生の文章を読んだとき、「湖を渡ってきた風が窓から流れ込んだ」で本当に風が   吹いた感じがした。

A    集計の一部
・ この教材の授業に熱心に取り組んだか

熱心に取り組んだ

36%

だいたいできた

61%

熱心でなかった

3%


            国語が得意(好き)か

       得意(好き)です

22%

どちらかといえば得意(好き)

44%

苦手

33%


        ・   先生の授業はわかりやすいか

       わかりやすい

28%

どちらかといえばわかりやすい

69%

わかりにくい

3%


.  おわりに

 この小説レベルのすばらしい教材は、なかなか見つからない。思い当たるのは、『故郷』、『子馬』、『オツベルと象』くらいだろうか。生徒が深く感動するようなよい作品はあるが、解決しがたいような課題が出てこないものは次善の教材である。教師が読んで、教師自身一読で了解されるような作品は、この最善の教材には達しない次善の教材かもしれない。こうした教材の発掘は難しい課題である。もう何十年も教科書会社を中心に多くの学者、文学者が取り組んできている。

 しかし、困ったことに、せっかく見つけた素晴らしい教材が、不当な理由で教科書からなくなることがある。『子馬』などは、現場の声に押されて、教科書会社が削除してしまった作品である。指導しにくいのは教師の力量不足であって、それを作品のせいにするような現場の声に教科書会社は動じてはならない。消費者に媚びて、商品の品質を下げる風潮があるが、教科書までそうなってしまうのは悲しいことである。

 生徒の評価(学習のまとめ)を読むと、この作品がどんなに素晴らしい作品かがわかる。小学校時代から通じて、こんなに深く考えた作品はなかったと書く生徒が何人もいる。確かに、生徒全員がこのように書くわけではないから、そこまで理解できない生徒もいる。しかし、そうであっても、身近な友達がこの作品を高く評価していることを知り、自分もそれを理解しようとしたり、いつかわかるかなと思ったり、そういう思いをもったあとでこの小説を離れる、この教材の学習を終わることは、これもまたすばらしいことだと思う。

 新しい教育課程で時間数が削減された。しかも、音声言語の指導時数が増えた。その中で、文学教育をどう進めるのか、国語の先生は、どなたもお困りだ。教材を精選して読み込ませ、子どもたちの心に深く刻まれる授業を作っていくほかないだろう。よい教材が、発掘されることを願い、また、自身として見つける努力を怠らないようにしたい。ささやかな取り組みですが、少しでもお役に立てば幸いです。