万田駅のあちこち
万田駅ホーム
通勤ホーム跡(→2014年再撮影記事へ
2002年10月20日公開
2007年7月21日記事修正および画像追加
2010年11月23日画像追加
2015年3月1日リンク追加
Manda-Station

 万田駅ホームは、通勤列車の万田線(三池港〜万田)の終着駅です。

 年表によれば昭和26年9月に運行開始とあり、通勤3路線のなかでは最後の開通ということになりますが、同年同月をもって万田第一坑が閉坑していますから、三池港から万田坑というより、万田から勤務地変更(三川坑)による通勤輸送として始まったのではないかと考えられます。

 最初、諏訪川橋(写真の向こう側)の橋元から築堤を登り、ホームを探して本線を辿りましたが、この辺りと思われた地点に着いても、本線以外は茫々たる藪で何もありません。ふと来た道を振り返ったら、藪の切れ目に手すりと階段が覗いていました。線路跡からホーム上までひと続きの藪と化していましたので気づかなかったようです。ホーム自体は姿をとどめていたのですが、どう撮っても絵に成らず、メモによれば石積みのホーム、本線とは2線分ほど離れているとあります。
 近年(昭和59年10月まで運行)まで現役でしたが、廃駅となった故に(?)不思議な点もいくつかありました。駅入口として築堤にかなり急な階段が設けてあるのですが、階段の下はただの畦道で、どう見ても公道に通じていません。もうひとつは、どうしてこの場所が選ばれたということです。沿線では一番ローカルな場所ですが、古い地図を見ても、周辺に社宅や炭住が広がっていたわけではなく、ひとつ手前の妙見駅や、諏訪川を渡った先の臼井町(臼井社宅)まで延ばしていたほうが利便がありそうです。むしろ利便性よりも、機廻し等の運転作業のため、万田駅構内(構内といっても外れに近い)に設けたのではないでしょうか。

 ちなみに、万田は荒尾市の地名ですが、ホームは大牟田市桜町と神田町の境に位置します。このためでしょうか、資料には万田線を桜町線と記した例がいくつか見られます。確かに万田というには少し離れていますが、万田駅を桜町駅と呼んだ時代があったのか、この点がはっきりしません。
 万田駅と一言にいっても、万田(坑)駅と、運転拠点(万田分庫)としての万田駅、万田(通勤)駅ホームの3つの顔があったことが分かります。地形図上で万田駅と記されていたのは、この万田駅ホームの方でした。


 万田駅ホーム、および万田坑・他駅との位置関係を示しました。
 なお、背景原図は電子国土ポータル(http://cyberjapan.jp/)1/25000地形図を利用しました。


(1993年3月万田)一見すると、ただの草藪にしか見えませんが、じつは万田駅ホームの成れの果でした。夏場に来たらまったく気づかなかったかもしれません。電柱ばかりがやたら目立つ、うら寂しい光景でした。
 左手に本線の架線柱が見えることから分かるように、路線図上は中間駅ですが、通勤ホームは別線の終端駅となっていたようです。現役時代の写真はあまり見かけませんが、『消えた鉄路へのレクイエム』によれば、島式ホームで、右ホームが着発番線、機廻しする機関車は左ホームを通っています。ホーム上には簡単な雨よけがありました。


(1993年3月万田)万田駅ホーム越しにみた万田山。採土が行われたため、山肌が削れている。


(1993年3月万田)万田駅ホームから少し進むと、本線に並んで2線のレイル跡がありました。ひとつは昭和45年に撤去された下り線、その端の一線にはレイルが残っていましたが、これが通勤ホームへ通じた別線跡と思われました。
 また、遠くに万田第二坑と万田山が霞んでいますが、この辺りから万田採土所への引込線が左へ分岐へしていたようです。


(2006年3月万田)万田駅ホームへ至る階段。階段をあがると、右手にホームがあった。階段は急なうえに、幅が狭い。


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