万田駅のあちこち
晩年の万田駅
2003年3月19日公開
2010年11月23日画像追加

Later years of Manda station


 万田坑からの石炭積出駅として、明治33年頃に設置されたと思われる万田駅ですが、昭和26年の万田坑の閉鉱後、その後については万田分庫の廃止、宮浦〜万田間の単線化、通勤列車の廃止を経て、私が訪ねた頃には、万田駅としての最後の一線を残した光景が見られるだけでした。

 もっとも、ここでは便宜上、万田駅と呼んでおきますが、正確にはもはや「駅」ではありませんでした(*路線図その2参照)。では何だといわれると窮しますが、三池本線の単線から複線区間への切り替え施設として、無人の信号所として扱われていたものと思われます。ただ、万田〜四ツ山間の複線区間ですれ違う列車設定はなく、律儀に上り下り列車を振り分けるのも過剰設備化していたのが実情でしたが。一応、ダイヤにも記されていましたので、運転上は通過点のような存在だったのでしょう。

 鉄道模型では本線上にこんなポイントを置くと現実的でないと指摘されそうです。




(1992年8月万田)三池本線の単線−複線の切り替えが万田駅最後の仕事。たったひとつのポイントと信号小屋が全ての施設でしたが、このころは定期貨物(ホサ列車)が一日4回通過しました。もちろん、列車はノンストップで通過していきます。



(1992年8月万田)信号所は無人だった。



(1992年8月万田)三池本線の向こうに万田第二坑。かつては操作場があった。



(1997年10月万田)鉄道廃止半年後の万田駅。万田〜四ツ山間の単線化は平成6〜7年頃に行われ、上り線が撤去されたので、ポイントは反位に固定されていた。



(1997年10月万田)廃線と万田第二坑。



(1997年10月万田)草木に覆われた廃線。



(1997年10月万田)撤去用の作業台車?



(2010年11月万田)万田駅にあがる階段が残っている。



(2010年11月万田)信号所跡だが痕跡は確認できなかった。



(2010年11月万田)廃線あとにはベルコンベアのベルトが敷かれている。


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