URUK NEWS イラク情勢ニュース> 占領への抵抗 2005 イラク戦争の真実 2002〜03年
原文はアラビア語で書かれたものであり、2003年時点のものであるが、英訳が紹介された。主要なレジスタンスの勢力でもあるバース党がレジスタンスをどのように位置づけているか、また、それと不可分に結びついた問題として、米・英のイラク侵略の真の狙いはどこにあるのかを明らかにするために、資料として紹介する。 (2005年7月)
一部に「バース党」というだけで疑問視する人もいるが、資料としての内容から評価することを薦めたい。数多くの「イラク批判」が米国のプロパガンダや、現イラク傀儡政府の主要メンバーに代表される旧・亡命イラク人の根拠のない同調にもとづき、米・英を中心とするプロパガンダ・メディアによって、確かな根拠もなく拡大再生産されてきたものであったことも今や明白な事実である。 (連載ごとの分割掲載は各回をクリック。中見出しにもジャンプします)
第1回 占領されたイラク / 占領軍 / イラク・レジスタンス / 序幕
第2回 公表されている目標と隠された真の目標・前半
第3回 同・後半(9・11以後) / 現在進行中の紛争とレジスタンス
第4回=最終回 レジスタンスの選択
資料・全文掲載: イラク・レジスタンスの政治・戦略方針
The political and strategic program of the Iraqi Resistance
アラブ・バース党
イラク
2003年9月9日
http://www.albasrah.net/en_articles_2005/0705/strat_070705.htm
アラブ・バース社会党に指導されるイラクの英雄的なレジスタンスは、「占領軍を追放し、イラクを解放し、全イラク国民にとっての祖国とその団結を守るために」、みずからの戦略目標を民族解放運動と規定した。
これらの目標にもとづいて、レジスタンスの政治方針ならびに戦略方針がレジスタンスと解放の段階にむけて設定された。
◆占領されたイラク
地政学上のイラク: 「イラク共和国」は主権国家であり、アラブ連盟の創設メンバー国であり、国連加盟国でもあるが、その領土は国際法と国連憲章に反する侵略を受けたあとアメリカとイギリス、オーストラリアその他の軍隊に占領された。それが2003年4月19日時点での戦争目的であった。こうした状況がイラクの正統政府を追いやり、「暫定占領当局」の承認をもたらした。政治機構と内閣、官庁、諸委員会などを設立するために、占領軍が既に着手したものであれ、現在着手しているものであれ、2004年4月9日(訳註:2003年か)以後にイラク共和国の正統政府にとってかわることは無効かつ違法なものとみなされ、同時にそれは占領機構に不可分に組み込まれているものであり、レジスタンスはこれに占領者に対処すると同じように対処する。
◆占領軍
これは占領されたイラクの地にあって、アメリカ、イギリス、オーストラリアその他の国籍を持つ軍隊、統治部門、行政機関、組織を指しており、いずれもイラクを被占領国とみなした安保理決議1438に従う多国籍軍に含まれる。イラク占領の後にいかなる決定がなされようとも、有志連合国あるいは多国籍軍と行政当局、委員会が米・英の戦争につきしたがうなら、それは占領軍および占領当局、その委員会と見なされるであろうし、レジスタンスによる解放戦争においてはレジスタンスの合法的な攻撃目標となるであろう。
◆イラク・レジスタンス
イラク人のレジスタンスは国民的な武装レジスタンスであり、軍幹部を通じてアラブ・バース社会党による導きと指揮を受ける。英雄的なイラク軍、共和国防衛隊、勇敢な特殊部隊、大胆不敵な国防軍、そしてサダム・フェダイーンの英雄的組織およびイラクの愛国的レジスタンスに参加するムジャヒディン、さらに威厳あるアラブ義勇兵たちは、さまざまに異なる動機と肩書き、編成のもとに行動し、外国占領軍への攻撃と衝突、戦闘作戦の必要に応じて行動する。
彼らアラブの義勇兵は既にイラクに入っており、彼らの国籍と名称、使命あるいは滞在期間のいかんにかかわらず、彼らは今後もイラクの土となるであろう。
この解放戦争におけるレジスタンスの使命の1つは、占領軍と戦闘をおこなうと同時に、これらの勢力とどのような関係や結びつきを持っていようとも、技術的および行政的に関与して、占領当局と手先が政治、経済、文化政策を実行することを阻止し脅かすことである。このレジスタンス作戦は、イラクの大地を統一することによって具現化されるもので、汚れなきイラクの土地の端から端までをカバーし、アラブの一員としてのイラクのアイデンティティーを占領者の攻撃から守り、イラクの統一を主張する。
◆序 幕
中東地域および世界におけるアメリカの戦略目標を考慮するなら、アラブ、中東、世界における他の勢力との対立においては、1991年2月にアメリカが停戦を発表して以後、現在進行中のアメリカとの対決が基本的な口実となっていることを理解しなければならない。
その後のイラクは、国連決議を履行しているかぎり、いかなる危機の原因でもありえなかった。アメリカから仕かけられた当時の対立は、イラクの指導部に一連の危機に対処する限界をもたらした。(世界の)主要な企業メディアは、中東地域および世界にとってイラクが差し迫った危機の原因だと描き出したのである。
米・英の飛行禁止決議に対してとっている実践的な抵抗を例外として、現在ではイラク問題の連続する危機として知られている一連のことがらは、米国がイラクと対決する道を開くために手直しと進展、偽造を試みるものであった。米国が提出した諸事実は、米国の総合的な政策と結びついており、そして国内選挙民と国際問題に対応するなかで米国政府の利益と結びついていた。このことは一連の多くの安保理決議にも明確であり、それはイラク共和国の政治体制に攻撃目標をしぼるために次々に口実を設けるための米国の干渉と扇動を提供するものであり、まさしく火付け役の決議を求める以上のものとなってしまった。
米国がイラクの政治体制を狙って攻撃したのは、米国の占領につながるものであるが、1972年以来よく知られ、分析されてきたことでもある。それは米国の(帝国主義的な)利益にもとづいたものであり、当時は、冷戦の方程式とさらには1967年の侵略の結果、そしてイギリス軍のスエズ撤退と1970〜80年代のエネルギー危機にもとづくものである。
今日においては、1991年の湾岸戦争が始まった最初から、対決構図は被占領後の国民的な武装レジスタンスという形をとることになった。この対決の進展を左右する他の要素を追加することは可能だが、すべては中東地域および世界に対する米国の関与と無関係ではありえない。それらの要素を追加するなら、次のようなものである。
1−冷戦の終結と欧州の政治・経済改革
2−単独行動主義的にたって圧倒的な軍事力を行使しようとする米国の特別な要求
3−米国の内政における、いかがわしい保守の到来
4−経済、国防、治安の分野における政府の政策審議においては、(愚かな)ブッシュ・ジュニア政府に導かれた米国外交の立案と政策決定、そして米国の危機対応の形成に9・11攻撃が影響したこと
5−他の国、他の社会、他の文化にたいして、新しい同盟と生活様式を押しつけようとして、「テロとの戦い」が悪用されていること
6−米国経済の現在進行中の緩慢さと危機局面への突入
7−選挙キャンペーンで約束した米国のエネルギー政策の失敗
8−東地中海から遠く中央アジアにいたる地域、特にアラブ湾岸地域の石油資源を分配するうえでの行政・安全保障面での「イスラエル」の役割、そしてこの重要な要素がアラブとシオニスト(訳註:イスラエル)の衝突に平和的解決をさぐる方法と弁証法的な相関関係を持っている。
◆公表されている目標と隠された真の目標
1) イラクの政治体制を攻撃目標としていることはよく知られており、1972年(※)以来の周知の事実である。この目標は米国の戦略方針立案者および国家安全保障担当補佐官(当時)だったヘンリー・キッシンジャー(共和党員)を中心にして計画され実行された。しかしながら、この方針を実行に移すことは確定されたものの、次の事情から制約を受けた。
※訳註: 1972年にはイラクは石油国有化を宣言。ソ連と友好協力条約を締結。
米国とは1967年から国交断絶。
すなわち、冷戦のバランス/中東地域諸国のつながりと信頼関係およびさまざまな地域的同盟関係/1967年6月(※)および1973年10月(※)の戦争の結果/上述の戦争のあと米国が黙認した役割を演じようとするアラブの一部政権の願望。
※訳註: 1967年6月、第3次中東戦争勃発。6日間戦争ともいう。
※訳註: 1973年10月、第4次中東戦争勃発。
そこで、例えばシリア、ヨルダン、エジプトのような、さらにはイランの政権が演じていた役割の本質を分析することが重要になってくる。それを分析してみると、目標はじゅうぶんには達成できず、画策は地域の諸国だのみであり、イラクが経験した過去の時代の危機とか継承問題によりかかっていた。そこでイラクを攻撃目標にする理由が、今日使われている口実と大差なかったことに注目することが重要になってくる。すなわち安全保障上および経済的な理由である。(いわゆるイスラエル軍が中東全域で優勢を確保すること、および石油権益である)。
2) 米国の中東地域構想、すなわち北アフリカから中央アジアにかけての「石油資源と送油経路」地帯を含んだ全域の情勢においては、地理的な状況および石油資源と人口の配置、政治体制の性格を考慮してみるなら、経済的で地政学的なまとまりとしては、イラクが最も特筆される攻撃目標の1つであった。このことに加えて、アラブの政権および石油輸出国機構(OPEC)、汎アラブ的な一般大衆に及ぼす影響力の範囲と一定の役割が、既にイラクによって演じられていた。
3) 第二次世界大戦が終わって以後のアメリカは、太平洋からインド洋、アラビア海に広がる地域の安全保障と結びついて、幾つかの理由から、他の西側諸国すなわちNATOの侵略と干渉を遠ざけるうえで、安全保障と政治分野の双方で唯一のプレーヤーとなっていた。このことは特に朝鮮とベトナムにおける1度にとどまらない米国の関与を説明するものである。米国の戦略目標はこれと異なる度合いで、アラビア湾の出口において優勢を維持することによってアラビア湾岸地域への支配を強めることにあり、地理的要素と相互関係を理由にして、明確にイラクを標的にするものであった。イラクがここ20年間、東地中海と紅海方面を志向したのは、アラビア湾岸に位置するイラク近隣国への影響力と同盟国を通じての米国の影響力を部分的に緩和するものでもあった。
4) アメリカはイギリスの植民地統治を継承し、冷戦が課した方程式にしたがって帝国主義の流儀でふるまうとともに、常に用心深くさ敏感に反応してきた。幾つかのアラブ諸国、そして特にイラクと関係をもつインドに対して陰謀を画策しようとして、米国が歴史的ともいえるパキスタンとの同盟へとむかっているインド亜大陸は、米国の陰謀に直面していた。それはパキスタンの政治、安全保障、経済上の利益と結びついており、イラクの独自政策とその非同盟運動における顕著な役割に対抗するために、湾岸アラブ諸国ならびにサウジアラビアの政権と共同歩調をとっていた。
5) 1980年9月(※)から2001年9月(※)にかけての期間は、重要な経験と情勢が観察されたが、それはイラクの政治体制を攻撃目標とする目的からすれば決して珍しいことではなかった。そのための手段と同盟についてここで話す必要はなく、直接的であれ間接的であれ、さまざまな利害関係にしたがって他人が演じた役割に目をつむる必要も忍耐する必要もない。それらのすべてのケースにおいて、彼らは決して中東地域における米戦略の必要と「イスラエル」の安全保障にとっての必要から、一歩もはみ出すことはなかった。
※訳註: 1980年9月、イラン・イラク戦争勃発。
※訳註: 2001年9月、米同時多発テロ発生。
そこでわれわれは、当時イラクを標的にして2つの戦争があったことに注目しなければならない。どちらも公然とイラクの政治体制を攻撃目標にしたものであり、さまざまな調整を経たうえで、どちらもイラクの政治体制が持つアイデンティティーと実践を承認しないという事実に立脚していた。また、どちらの戦争も、宗教的見地と帝国主義的見地から、汎アラブ主義とアラブのアイデンティティーを攻撃目標としていた。こうして2つの戦争が企まれ、(その衝突は現在も進行中である)、それはイラクを分断しアラブ的なるものを崩壊させることに集中していた。
この経験は、上述の2つの戦争において、イラクとその政治体制を攻撃する者はどちらもイラクの隣接国と同盟を結んだことを教えている。歴史的なできごととして西側諸国と共同歩調をとり、当時の国際的な地域政策にそって政権維持を図ることを承認され、中東における影響力を強めることを希望する−−という理由からであった。
上に述べた歴史的な検証は、イラクとの衝突にすすんだ米国の表向きの目的と隠された真の目的が、1991年2月の停戦(※)のあとに続いた国連決議の履行とは関係ないということを主張するために必要であった。それらは同じ周知の目的であり、1972年(※)以来、イラクの政治体制を攻撃目標としていた。この戦争目的こそが、まず第一に米国の中東戦略と、そして第二に世界戦略のなかで最初から一貫したものであった。
※訳註: 1991年2月の停戦とは湾岸戦争の停戦を指す。
※訳註: 1972年、イラクによる石油国有化宣言。
中東戦略においては、イラク政府のアイデンティティーと方針および実践が立ちあがり、「イスラエル」の安全と優勢を保障するという米国の利益に対立して行動する。世界戦略においては、覇権主義を拒否し、イラクの石油に政治と開発に一体性を与えること、そして有名なOPECでの姿勢、イラクの独立した外交政策、1967年以降中断した米国との外交関係樹立の遅れ、イラクを略奪しようと狙ったり米国と同盟する非アラブの隣国および「イスラエル」に対して科学と防衛力で均衡をはかろうとすること、アラブおよび非アラブ諸国への経済援助、影響力のある欧州諸国との均衡のとれた関係にもとづく利益−−これらの全要素が米国の世界戦略と矛盾する情勢を形成していた。
上述したような中東戦略および世界戦略を遂行するうえで、米国がイラクと衝突したことが、常に、そして現在も関連している。それらは互いに弁証法的なつながりを持ち、米国の政治、経済、安全保障上の利益が直接的にか間接的にか危うくなると、(原因はイラクであったり他国であったりする)、いろんな場面で上に述べたような衝突を促進したり、起動させたりする。1990年のイラクの行動(※)がサイクス・ピコ協定から継承した植民地的利益をおびやかす脅威だと見なされたとき、こうした関連づけが明瞭に起動され促進された。
※訳註: イラクによるクウェート侵攻
これまで述べたことを判りやすくするために、以下の要素を明らかにしておきたい。
−−愛国的かつ汎アラブ主義にもとづく政策としての国有化が、中東地域および世界レベルでの米国の戦略にとって脅威とみなされ、対処された。
−−1973年10月の戦争(※)にイラクが予期せぬ参戦をしたことは、上述したのと同じ理由から、将来に重大な結果を招くものと見なされ、研究課題とされた。
※訳註: 1973年10月、第4次中東戦争。
−−クルド問題への政治的、民主的解決を模索しようとする愛国的な方針も、上記と同じ理由とされた。
−−キャンプ・デービッドの最初の合意(※)にむけた、イラクの姿勢と汎アラブ主義の政策方針。
※訳註: 1978年。米カーター大統領がホスト役となり、サダト・エジプト大統領とベギン・イスラエル首相が和平会談。
−−カディシヤにおける軍事行動の侵攻と防衛措置、そしてイランから発せられているさまざまな政治的策動。
−−アラブの多面的活動とアラブ協力会議の創設を活性化させるためのイラクの積極策。
これと同じ過程であるのに、米国家の安全保障が9月11日にニューヨークとワシントンへの攻撃としてイラクではない勢力から脅かされたとき、イラクの政治体制に対する攻撃目標の設定が始まり、米国の高度の政策決定者がこの目標に集中することになった。こうして彼らの政治・軍事課題としての「テロとの戦い」はイラクの政治制度に集中され、それが「テロとの戦い」の主要目標となったのだった。
さらに、ワシントンとニューヨークに対する攻撃から最初の数週間のうちに、しかも混乱のまっただなかにあって、すぐに米国政府はイラク指導部への警告を発していた。ここでも、上述した関連づけが起動され、イラク情勢とイラクの政治指導部に関して上に説明してきた問題が、地域的には「イスラエル」の安全保障と連動し、世界的には石油をめぐる主導権争いに連動する問題として、米国の地域戦略および世界戦略に関係していると確認されたのだった。
われわれはさらに、イラクとその政治指導部に対する戦争においては、大量破壊兵器をめぐる主張が口実に使われつづけたと指摘する。(比較の問題として、北朝鮮はイラク、イランとともに「悪の枢軸」に含まれたにもかかわらず)、核兵器と弾道ミサイル開発に挑戦する北朝鮮への当時の米国の実際対応と、軍事力と地理的位置にもとづく北朝鮮に対する米国の脅威認識は、真に米国の安全保障を脅かす脅威の1つであり、つまり米国西岸の諸都市と韓国に駐留する軍隊および東アジアの同盟国に対する脅威であった。だが、この問題に対する米国の対応は、他の側面からの生じた脅威と挑戦のレベルには達してないように思われる。イラク情勢と北朝鮮情勢を比較すると、われわれは次のことがらを確認するある種の逆説的な事態にたどりつくのである。
−−米国にとっては、「イスラエル」の安全保障が韓国の安全保障よりも重要である。
−−当時、「経済封鎖のもと」にあったアラブのイラクと、石油に支えられたイラクの国力は、米国の安全保障と同盟国にとって北朝鮮以上の脅威であり、北朝鮮は核と弾道ミサイルの能力を持っていても石油を持っていなかった。
−−イラクの隣国は米国の軍侵略に基地を提供するよう要請と強要を受けたが、朝鮮の周辺国はそれぞれの地域的利害から北朝鮮との平和的解決を模索するよう行動した。
先に述べた逆説的な事態とは、米国の戦略的強化にとって必要なものであり、政治、経済、安全保障の各レベルで利益を評価するのに必要なものであり、地理的にも国民文化的にも文明的な見地からその紛争を正当化するうえで必要なものであった。
このようなわけで、われわれが主張しなければならないことは、占領軍を追放するために戦うレジスタンスと自由なイラクの指導部は、この紛争を高度なレベルで継続的に管理する以外にないということである。そのような方法と次元から描き出された情勢は、必然的に、歴史的に展開されている紛争なのである。したがって、分析目的および組織的な説明、そして将来見通しとして、これまで述べてきたことを確認するために、われわれは以下の諸点に言及しなければならない。
1) 1990年8月以降に示された性質を持つ危機は、イギリスによるイラクの植民地統治時代にさかのぼるもので、それは1917年のサイクス・ピコ協定にもとづいていた。植民地主義者がイラクの国家主権を浸食し奪おうとして、イラク人の愛国心に対立する行為が見られた時代のことである。
このような政策は、長期間、アラブ民族の利益と東地中海に面する全アラブの安全保障を攻撃目標にしていた。
2) それはまた必然的に上記の第1項にもとづくもので、米国は歴史的に危機的情勢を創りだすことに関係し、パレスチナの土地にシオニストの政体(※)を確立し存続せしめることにむけて、将来的に強化し継続することに結びつけてきた。
※訳註: シオニストの政体とは、イスラエルを指す。
3) そしてこの危機的事態は、必然的に、イラクの汎アラブ主義的環境をともなって、イラク人の愛国心とその影響力を回復するか、衰退を促すか、あるいは薄れさせるものであった。
4) 最後に、植民地主義ならびに帝国主義の立場からの理解にもとづくと、それが1つの手段とされ、中東地域および世界で、(現在)、米国の戦略構想を実行する必要から発動され利用されてもいるのである。
このように今回の紛争は過去のいきさつをもっており、今日進行していることにしろ、将来のできごとにしろ、説明することが可能である。それは歴史的に位置づけられる現在進行中の紛争なのである。
今回の両者間の紛争は、歴史的な局面を経て、その原因ゆえに、イラクのレベルに相応した結果を複雑に規定することとなった。この紛争は、特に1990年8月以降には、また20年前にも、実際に進行中のものであったことから、その結末は輪郭のはっきりしたものではなかった。(紛争の計画と局面を通じて、1990年8月以後の歴代米国政府がそれぞれの立場に固執したあと)、最近の紛争が恐怖心と金銭を通じて世界と中東地域の他の諸国に迫ったとき、それはアメリカ帝国主義のドグマ(教義)におあつらえのものとなった。すなわち米国の政治と利益に結びついた紛争突においては、その政策は米国自身によって指揮され管理されたのである。こうした政治は、たいていの場合に、米国の政策と提携する諸国の利益に反していた。その管理方針と内容、攻撃目標を考慮するなら、それは実際のところ、世界的な紛争であり、恐怖心によって、さもなくば賄賂と陰謀を通じて、イラクに対立する米国との同盟が必要とされたし、今も必要とされている。
この紛争は、現在の米国の侵略を経て、唯一の地域勢力であるイスラエルのために作られている。この危機は、歴史的に、なんとしてもアラブ民族全体を上まわる優勢を人為的に保とうとすることと結びついていた。それに深く関与して紛争管理をおこなうなかで、米国はイスラエルの安全保障と安定にのみ注意を払っているのである。このようにして生みだされた紛争は、真に汎アラブの戦争である。
◆現在進行中の紛争と進行中のレジスタンス
※訳註: この文章で「イラクの政治体制」あるいは「政治指導部」とあるのは、バグダッド陥落前のイラク共和国の政権あるいは指導部をさす。
次のことが実現されないかぎり、米国の戦略目標(=イラク共和国の政治体制を排除すること)が達成されないことは明白である。すなわち、
1, 政治的な紛争が継続し、強化され、発動されること。
2, イラクの政治指導部による経済封鎖解除の努力を阻止すること。
3, イラクの政治と経済が世界と中東諸国にむかって動くのを阻止すること。
4, 「もし可能なら」、イラクの政治体制を排除する米国の計画にそって、アラブを再編成する。それはイラクあるいは上述したイラクの政権、あるいは中東地域に対してこの計画が後にもたらす結果については敢えて語ることなく、多くのアラブ政権からの同意をとりつけて、実行に移された。
5, 米国が主張する口実および軍事侵略をともなった戦略目標と直接結びつけつつ、米国指導部にかけて、米軍の趨勢だけを見て、米軍の兵力規模と戦争での優勢を計算した結果を操作し、軍事行動の結果としての政治的帰結の本質を容認すること。その軍事行動は、米国の中東および世界戦略を達成するために、もっぱら占領されたイラクにおける戦略目標に役立つような政治的帰結と調和するものとなるだろう。
イラクの政治指導部は、当時、そして侵略を受ける前にも、その後の情勢と可能性を検討した。
−−全般的に、米国との妥協の可能性は、ホワイトハウス(米政府)の本質とは関係なく、ほとんどありえないし、1917年に描かれた中東地域の地政学的な地図の変更と結びつけられていた。それはイスラエルが樹立されたことと結びついて、アラブの東地中海諸国における現実の政治的、地理的なできごとにつながっていた。帝国主義のアメリカは、植民地主義のイギリスを継承して、中東地域の地政学的な諸勢力に自国の見解を押しつける権利を発動し、発展させ、中東地域と世界における米国の戦略目標を達成するためにさまざまな手段と方法でその権利を行使し、ある程度まで「イスラエル」の安全保障と優勢を支援し、エネルギー政策と石油への支配と主導権を手にした。
−−さらに、軍事占領によって失われた初期のアラブの役割と、1991年のイラク侵略後あるいは2001年9月11日以後の後期のアラブの役割、そして「特別なイスラム教」の構造ゆえにイランに与えられた役割は、新たに期待される役割と一致しており、サウジの出番が消え、共産主義の崩壊後に政治的なイスラムの同盟が消失し、「従順で協調的な」イスラムが疲弊した状況にあっては、その役割はイランの神学者が将来担うことになる。「従順で協調的なイスラム」は、サウジ政権の存在および方向性と矛盾するものの、その胎内から「挑戦的で抵抗する」イスラムの誕生させることになった。・・・イランの隣国イラクとアフガニスタンにおける米国の侵略戦争の結果として生まれた挑戦的で抵抗するイスラムを拒絶する「現在の立場」ゆえに、イランは一定の役割を演じているし、将来においても演じるであろう。
−−米国は湾岸アラブの幾つかの小国とアラブの主要諸国を他のアラブ地域においても要領よく前に押しだしたが、焦点になっている政権の持続と刷新、あるいは発展を保障し、政権にとどまらせ、王政でなくとも支配を継承させるために、ある役割が自動的に提案されたことと関連していた。小国の政権は、アラブの大国を犠牲にして有効な役割をはたすことが可能になった。これは敵であるイスラエルと関係正常化し、米国のイラク戦争と占領を支持して、これら諸国が政権と基地を調整したために可能となったのだった。イラク戦争と占領は、アラブの主要諸国に、「まさに現在がそうであるように」、不法な占領当局の決定および生産を受け入れることと強要した。
−−イラク指導部もまた1980年代にエジプトと関係正常をはたした後の長期にわたって、現在のエジプト政府に引き継がれたサダト時代の危機の深さとその克服意欲のない無力ぶり、重大な事態に対するマヒした態度を調査してきた。その状態こそ、アラブおよび地域の大国としてエジプトが持つ能力と特質を、中立化させることにつながっていた。このことは躊躇(ためらい)と恐怖を通じて、またエジプト政権の政治的ハンディキャップと当時のアラブ協力会議の主導権、、サウジ政権への恐怖感と感じやすさの両方、個別の国あるいは同盟としての他のアラブ諸国の役割への猜疑心(さいぎしん)を通じて明白になっていた。エジプトが人工的にも歴史的にも、政治的、文化的、そして軍事的な地位においてもアラブ社会で優勢を保っているにもかかわらずである。
−−イラクの政治指導部が汎アラブ主義国家の原則に立ち、アラブ・イスラエル紛争の客観的な相関関係が(経済封鎖をうち破ろうと奮闘しているイラク国民とともに)シオニストによる占領に反対して戦うパレスチナ人民によって「のみ」代表されているとき、米国はアラブの政権を通じて、パレスチナ問題へのお墨付きを与えた解決策を提案していた。それはパレスチナ問題の解決とひきかえの必要条件として、イラクの政治体制を除去することで合意しており、このことは安保理決議を実行するという口実で国際法の名のもとに遂行された。これらの安保理決議は、中東全域から大量破壊兵器を一掃する第一歩として、イラクに大量破壊兵器の破棄を課した。結局、イラクの主張は正しく、大量破壊兵器は存在しなかったが、現在、誰が決議768の第14項(※)を実行するようアラブ諸国政府に要求するだろうか?
※訳註: 国連安保理決議だとすると、決議768はイスラエル・レバノン問題を扱ったものであり、また第14項は存在しない。
1991年4月3日採択の決議687はイラク・クウェート問題を扱ったもので、その第14項は、最終的に中東全域を大量破壊兵器禁止地域とすることを決めたものであり、イラクのみならず、当然ながらイスラエルも大量破壊兵器を破棄しなければならない。だが米国をはじめ、この条項の実施をイスラエルに迫ったことはなかった。
1990年11月29日採択の決議678もイラク・クウェート問題を扱ったものだが、第14項は存在しない。したがって、先述の決議687を指すものと思われる。
この状況および上述の分析は、イラク政治指導部の戦略的理解を説明するために必要であった。
1) 今回の紛争の連続に関連すること、
2) 不可避的に国際的な拒絶にあった不法な侵略、
3) アラブの複数の政権が共謀したこと、
4) 敵の軍事的な優勢、
5) 幾つかの域内諸国による日和見主義の姿勢および黙認、
6) 侵略およびその後の占領によって、安全保障面および政治分野で
イスラエルに与えられた役割。 そして
7) 複数のアラブ政権を脅して利用すること、
8) イラクの分割をあおること、
9) 操り人形であるイラク人反体制派が有する占領計画ならびに偏狭な宗派的・民族的・熱狂的・利己的な利益との深い政治的つながり、
10) 全イラク国民および汎アラブレベルでの特別な政治・戦略プログラムを持ち、民族解放戦争へと発展する武装レジスタンス戦線の準備と採用。
これらの要素を基盤として、解放運動が占領軍を追放し、イラクの解放を達成せんとしていたとき、武装したイラク・レジスタンスの目標はアラブ・バース社会党によって管理・指導され、イラクを守り、全イラク国民の祖国とその統一を維持することになった。
◆レジスタンスの選択
イラク・レジスタンスは、次のことを基礎にしたみずからの選択を採用し、発展させる。
1) 文明の揺籃(ゆりかご)であるイラクに属するイラク人としてのアイ デンティティーおよび国民的責任。
2) 汎アラブのナショナル・アイデンティティー。
3) イスラム教文明の源(みなもと)。
4) 蓄積されたジハード(聖戦)の実践と経験。
5) 進行中の紛争の性質と要求への理解。
6) 日々の戦闘行為から獲得した革命的な要素。
7) バースの思想とメッセージにもとづくインスピレーション。
8) 占領に反対して戦うレジスタンスのエピソードおよび到達した局面の分析、検討と評価。
9) 占領勢力内の手先と協力者の役割と追跡し分析する。
10) 占領前および占領後のアラブ政権の役割を追跡し決定する。
11) イラクとその国民的団結にかかわる適切な国益のために、占領勢力と近隣諸国の協定および彼らの協力ぶりを知らせる。
12) 占領下で経済的利益を得ている第三勢力の日和見主義を公表し、明らかにし、確定する。
13) イスラエルに与えられた役割に注意を向けさせ、占領下におけるこの役割の進展とアラブ政権の共同歩調および/あるいは他の地域大国の利害の相互関連に注意を向けさせる。
上述のことにもとづき、民族解放運動としてのイラク・レジスタンスは以下の諸点を確認する。
1) それがいかなる手段であれ、あるいはイラクのいかなる地域においてであれ、占領後に国際的な決定がなされるかどうかにかかわらず、占領がつづくかぎり、レジスタンスは継続する。
2) 占領軍の兵士と装備、および集合地、基地、駐屯地、司令部、各部門、管理部局、物資補給ライン、ならびに支援業務、事務所、機関、占拠した建物、警護支援センターなどと戦闘し、軍事行動あるいは他のいかなる行為も遂行する権利があり、抵抗(レジスタンス)する合法性がある。
3) その合法性と義務は、個人であれ政党・政派であれ、委員会その他の機関であれ、またどのような名のもとにあろうと、(占領への)同調者および手先と戦うためのものである。
4) 軍事力によってイラクの富と所有物、公共事業をなんとしても盗み、搾取し、利益をむさぼろうとする占領体制を破壊し、崩壊させる。
5) どのような名前と肩書きであれ、イラクを解放するために抵抗(レジスタンス)する権利と義務を等しく主張するすべてのイラク国民が加わり、イラクの全土をおおうべく、武装レジスタンスは広がり前進しつつある。
6) イラクを解放するために、レジスタンスの作戦をさらに発展させるものとして、イラク解放軍の編成を達成するために働いている。
7) 全体として、アラブの公的システムの本質とかかわって、また一部のアラブ政権と特にイラクをとりまく傀儡(かいらい)国の役割および本質ゆえに、すべてのアラブ政権から支援を得る可能性は存在しない。近隣の傀儡諸国は、かつての役割を失ったか、あるいは、米国の中東地域戦略にしたがって、米国によって描かれた新しい役割をイスラエルの合意のもとに喜んで演じている。
8) 民族的責任と権利にもとづいてイラクの武装レジスタンスに合流するアラブ大衆の権利と義務は、イラク人の愛国心にもとづいてイラク人が責任と権利を有していることと矛盾するものではない。
イラク・レジスタンスの戦いとジハード(聖戦)の現局面では、異なる紛争の局面においてありうることとして、レジスタンスの行動は最終目標とならんで進むべきである。そして戦術上の適切な目標を達成したことを考慮し、違法なイラク侵略と占領の口実が恥ずべき崩壊をみせたために、米国政府と同盟国イギリスが政治的・倫理的袋小路におちいった局面を考慮すると、レジスタンスの戦術目標は、占領軍を追放しイラクを解放する、そしてすべてのイラク人のために祖国の統一を保持するという戦略目標へむかって方向づけられている。
その紛争と戦闘行為を通じて、米大統領選挙とイギリスの総選挙前に政治的な行き詰まりを深めさせるうえで、レジスタンスは重要かつ有効な役割を果たした。その結果、彼らのウソのベールをはぎとり、ロンドンとワシントンが着手した政治的な計画を崩壊させ、アメリカとイギリスの有権者および国際世論にむかって、次ぎのように語りかけることになった。
−−イラク戦争を始めるのにウソの口実が使われ、これらの不法な口実がイラクの政治体制を標的にしてそれを除去するため使われ、イラク占領にいたった。
−−イラク占領者によって設計された政治、経済、安全保障上およびその他の計画は実行することができず、したがって、それを中東地域と世界に一般化することもできず、次のように考えられるだけである。
−−すなわち帝国主義的な本性から生じた単なる侵略行為にすぎず、イラクとアラブ民族に対して企まれた陰謀を示したにすぎず、そのことが世界の不均衡ゆえに暴君的な軍事力を一方的に行使することを許し、侵略と占領を米国の単独主義的な軍事力行使と結びついた手本とみなすことを許した。
−−一部のアラブ政権によって演じられるかもしれなかった役割が崩壊したのは、占領と占領計画に対処する必要からであり、そうした政権の名誉を傷つけ信用を落とす必要からであり、イラク国民の疑問に対処し、それを政治、経済、安全保障上の毎日の危機に反映させる必要があったからである。
−−中東地域とその代理人たちの危機が深まり、イラクとその国民の団結を犠牲にした近隣国の利益達成が妨げられると、彼らがイラク侵攻を支持しイラクでの計画に対処するために費やしたコストもひじょうに大きくなった。イラクでの計画というのは、占領者に隷属し、占領者の存在と結びついて、イラク国民の団結を民族的、宗派的、利己的および外国の利益にもとづいて分断することを目指したことである。
政治戦略方針にもとづいて、英雄的なレジスタンスは継続し、強くなり、広がりをもち、連続的な衝突のなかにあっても複数の戦闘に関与するようになり、民族解放戦争の段階をこえて、かつて異なる時代に他の国民が邪悪な軍隊と侵略・占領に反対して戦ったときのように、勝利する例を生みだしている。
イラクの自由万歳、占領には敗北を。
英雄的なイラク・レジスタンス万歳。
バース党の戦士および議長(サダム・フセイン)万歳。
神は偉大なり。
神は偉大なり。
アラブ・バース社会党
イラク/2003年9月9日
アラビア語からの訳: アブ・アッスル
http://www.al-moharer.net/
※この文書は、メールでの配信に対応して、4回の連載としても掲載しました。
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