URUK NEWS イラク情勢ニュース> 占領への抵抗 2005
イラクにおける宗派と結束
Sects and Solidarity in Iraq
私はアメリカにもどって、この数週間、発表をおこなってきた。ここに紹介するのは、2〜3週間前にイラクで書いた最後の記事である。・・・このあとは只今、進行中。
『ネイション』 2005年3月7日
The Nation
Dahr Jamail
March 7, 2005
バグダッド発: 茶色のアバヤに身を包んで、シーア派のアヤトラ・シスタニのバグダッドにおける広報担当サヤク・クマイト・アル・アサディ師は、米国の占領とサダムフセイン統治下で味わったシーア派の苦痛を話すときには、どちらについても怒りをあらわし力をこめた。彼の頭上には装飾で縁取りしたシスタニのポスターが架(か)かっている。
このスポークスマンの論点は明確である。何十年かの抑圧を経験して、やっと今、シーア派が権力を手にする時が来た。「われわれはスンニ派の大部分を受け入れるが、彼らのなかには政府にシーア派やクルド人を入れたがらない者もいる。一部のスンニ派はわれわれを殺すか奴隷にしようとする。われわれは今、今回の選挙結果を受け入れている」と、アサディはアバヤを引き寄せて肩にかけながら語った。「しかし、多くのシーア派とクルドは国を分割することが唯一の真の可決策だと考えている」。
結局のところ、シーア派は退位した独裁者の統治下でおそろしく苦しんだ。サダムの部下に殺された高位のシーア派聖職者(アヤトラ)のなかには、1980年に姉妹と一緒に暗殺されたモハメッド・バクル・サドルと、その従兄弟で1999年に暗殺されたモハメッド・サディク・サドル(モクタダ・アッ・サドルの父親)がいる。
しかし、サダムのもとで彼らを抑圧したスンニ派のエリートに対するシーア派の嫌悪感は、米占領者への同情には転化することはない。強調するために前かがみになりながら、アサディは、「われわれはイラクにいる西洋人を受け入れるようシーア派教徒に押しつけることはできない」と指摘した。「なぜならば、彼らはアメリカという蛇の尻尾(しっぽ)であるからだ」。
国民議会でシーア派が多数を占めるようになったことで、彼らは新憲法の起草にひじょうに力を持つであろう。このことはスンニ派優勢のゲリラから強い反応を招くことになるだろうか? もしそうなら、イラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)の軍事部門であるバドル旅団のようなシーア派の民兵は内戦に火をつけて逆襲するのだろうか?
両宗派に属する一部の政治指導者や宗教指導者の声明文を検証すると、まるで内戦が差し迫ったものであるような印象を受ける。アサディ師のスンニ派に対する非難は、スンニ派聖職者のシーア派に対する毒舌(どくぜつ)と釣り合いがとれている。だがセンセーショナルに焦点をあてて報道する西側メディアは内戦の可能性を重視するばかりで、そのような予測には懐疑心を持って分断に反対しているスンニ派およびシーア派の指導者の声をかき消している。
現地においては、スンニとシーア派は、米国で一般に考えられているよりももっと多く部族社会の絆(きずな)と家族関係で入り組んでいるのである。シーアの導師とスンニの部族長、主流メディアによる政治的糾弾(きゅうだん)の世界から、人々の日常生活のレベルに降りてくると、内戦の危険性ははるかに遠い世界のことのように思われる。
以前の住居の瓦礫(がれき)を視察してファルージャの廃墟から出てきたばかりのムジャヒディン戦士が、バグダッドで私と会うことに同意した。彼はアメリカと戦って死ぬ覚悟はしているが、しかし力があるかぎりは復旧することが好きなので、ファルージャに戻ったのだった。彼の報告によると、地理的および政治的にスンニ・レジスタンスの心臓部であるファルージャにおいてさえ、親族でなくとも、どれほどスンニ派とシーア派が米占領軍に反対して団結してきたかを示す鮮やかな実例が存在するのである。
サドルが昨年の夏に呼びかけた民衆蜂起に触れながら、神経質に緊張したムジャヒディン戦士は、「アメリカ軍がモスレム(イスラム教徒)の同胞を攻撃したとき、私たちはナジャフに戦士を派遣した」と話した。「昨年4月に侵略者が私たちの都市を攻撃したとき、彼らは私たちを助けてくれた。彼らは今度も再び私たちを助けた。私たちはそのことを決して忘れない」。
4月のファルージャ包囲の期間に、私はスンニ派とバース党員の多いバグダッドはアダミヤ地区にあるハニファ・モスクで、たくさんのシーア派教徒が群れとなって、食料袋と輸血用の血液、大勢の「人道的な」ボランティアの若い男性をトラックに乗せているのを見たことがある。包囲攻撃されているファルージャに荷物を送る用意がすべて整っていた。
そして今日、普通のバグダッド市民のなかでスンニとシーアの両方から集めた意見からは、内戦の可能性はわずかであるように思われる。
バグダッドでインターネット・カフェを経営する43歳のアミン・ラスマンは、「内戦なんて起こらないと思う」と指摘する。最近の銃撃で割られた窓の外に、米軍のハンビーによるパトロールが通りすぎるかたわらで、大学生たちが学期末論文のコピーをとるのに奔走しては、一緒に紅茶を飲んでいる。ラスマンは、イラクが不安定な状況にあり政党の悪い連中に挑発されやすいにもかかわらず、イスラムの教えとナショナリズム、愛国心が勝(まさ)るだろうと述べた。「これらの政党のなかには、結局のところ、自分たちはモスレムでありイラク人だと理解する理性的な人々もいて、宗派の違いは内戦を始める確かな理由とはならない」。
スンニとシーア両方とも、かなりの指導者がこの見解に共鳴するが、緊張は高まっている。1月30日の選挙は、2004年1月、選挙を求めたシスタニによって米国に強要されたものであり、広範囲にわたるスンニ派のボイコットによって完全なものとはならなかった。シスタニが支援したシーア派のイラク統一同盟が勝利した選挙は、スンニとシーアの指導者の摩擦を増幅させた。イラク統一同盟には、アハマド・チャラビ率いるイラク国民会議はもとより、SCIRIとダーワ党も含まれている。
しかし、より信仰心が厚く政治活動をしているシーア派教徒のあいだでさえ、多くの者が宗派によって地理的な分割をするのはイラク問題の解答にはならないと考えている。
ダーワ党の広報担当幹部であるアハメド・アル・アサディは、選挙の直後に、首都バグダッドのマンスール地区にある彼の事務所から、「私たちはいかなる種類のものであれ国を分断することに反対だ」と答えた。イラクを分断することは外国に政治的および社会的、経済的な支配を許すことになると彼は考えており、彼はそのことに強く反対している。
アサディは椅子にもたれて両手を組んだまま、「メディアで言われているように互いに戦うつもりはないな」と言った。「敵が望んでいるような内戦には何の希望もないし、ほんとうのイラク人なら内戦を望んでいるとは思えない」。このスポークスマンは宗派の違いがあることは認めたが、「これは互いに戦うような違いを意味してはないんだ」。
バグダッドにあるSCIRIの本部では、レダフ・ジャワド・タキが同じような見解を表明した。「宗派の違いがあり、各宗派がそれぞれの考えを持っているが、それは宗派の違いがシーアとスンニの兄弟、すなわち私たち自身の結束を妨げるということにはならない」と彼は説明した。「私たちの敵は私たちが互いに争いを始めるのとを待っているが、そんな争いは決して起こらないだろう」。
彼らの本部は選挙前に自動車爆弾に襲われたが、タキはその事件が暴力の連鎖を引き起こすかもしれないという懸念を一蹴した。「イラク人であるスンニ派のイスラム教徒がイラク人であるシーア派のイスラム教徒を暗殺しているという証拠は何もない」と彼は言う。「私たちの国の分断という考えを受け入れる者は、私たちの国が占領されたままであることに賛成する人々だよ」。
サドルシティーに広がるスラム街では、サドル事務所のスポークスマンでもある代理人のガイス・アル・タミニ・アルカディミ師が、思いもよらない見解を述べた。最近のシーア派モスクへの攻撃とシーア派の政治家暗殺事件が内戦の引き金になりうると感じるかという質問に、彼は不気味な返答をした。−−「私たちは兄弟であるスンニがシーアに対してそのような犯罪をおかすとは思わないが、もしそのような犯罪者を見つけたら、彼らは私たちに互いに争わせるためにイラクで外国人とシオニストの陰謀を企てているのであり、これこそがアメリカ人とほとんどの衛星国が話しているところの内戦である」と。
バグダッド大学の上級政治学者でスンニ派教徒であるワミド・オマル・ナダミ博士は、分断という話はすべて過去の不平にたいする過剰反応であると考えている。
彼は玄関口に立ってバグダッド市内を流れるチグリス川を見おろしながら、「思想の自由がない社会では、特定のグループや個人から強迫観念を受けとるものだ」と彼は説明した。しかしナダミはそれが幅広い大衆の支持を欠いた皮相な観念だと考えている。「イラク国民の愛国心を過小評価してはいけないし、宗派の違いを過大評価してもいけない。なぜなら、結局のところ、シーアもスンニもイスラム教徒なんだ」と彼は指摘した。グリーンゾーンの境界を示すコンクリートの壁と彼の自宅を隔てる茶色の泥水の上を、米軍のアパッチ・ヘリが低空飛行していた。
ナダミ教授はバグダッドで聞かれる一般的な見解を述べながら、「この内戦という概念はアメリカの政策立案者の頭の中にだけ存在しており、おそらく彼自身はシーアとスンニの間に内戦などないことを知ったうえで、それを口実に使おうとしているのだろう」。
ヘリの影が小さくなっていくのを眺めたあと、彼はさらに、「アメリカ人は実際に、『われわれは皆さん(イラク人)が殺しあうのを好まないので、皆さんの国にとどまって、皆さんを殺そう』と言っているではないか」。
バグダッドにあるアブ・ハニファ・モスクのムアイヤド・アル・アダミ導師もまた、宗派間の緊張を増幅させる最近の話については外国の影響だと非難した。彼は大きな手での身振りをまじえながら、「アメリカ人は相違点を利用して、イラクのイスラム教徒を分裂させようとしている」と穏やかに話した。「だがイラク社会はまずモスレムであり、次に部族である。つまりスンニとシーアは親類であり、しばしば一つの(大)家族のなかでも多くの(両方にまたがる)縁戚関係と宗派間結婚がある。それが私たちの社会であり、私たちを分裂させようとする者はその事実に気づいていない」。
この聖職者は二つの宗派間の結束の例を示した。昨年、シーア派である彼の隣人がアシュラ祭の時期に自爆攻撃に遭ったとき、人々に輸血を呼びかけたのは最初の(スンニ派)モスクだった。隣人はアダミヤ地区からチグリス川を渡ったところにあるカダミヤ地区に出かけていた。
「私たちは彼らと何かが違っているとは思わない」とムアイヤド師は強調した。「彼らはモスレムであり私たちはモスレムを助けなければならない。彼らがカダミヤで私たちの兄弟に献血するとき、その血液がスンニのものだとかシーアのものだとか、口にすることはない」。
バグダッド大学を訪問したことは、イラク人のナショナリズムとイスラム教ゆえの一体感が宗派の忠誠心よりももっと深く感じられているという印象を補強してくれた。大学は侵略の余波で略奪の被害をこうむり、その大部分が荒廃しているにもかかわらず、今もファルージャからの難民100家族以上が住んでいるキャンパスは、イスラムの両派の大学生にとって正常を保っている。ほとんどの者が内戦を必要とするほどの宗派の違いもイラクの分裂も意識していない。
インティサル・ハマドは、「ここにはスンニとシーアの間に分裂はない。僕たちは皆イラク国民だ」と語った。物理学を専攻する21歳のこの学生はシーア派教徒であり、「僕らを分裂させたがっているイラクの敵がいるが、しかし僕たちは皆モスレムであり、僕らの憲法はコーランだ」と言った。
サイフという名前の別のバグダッド大学生も同じように感じている。「分裂はない。私たちは共にある。私たちは一つ」。
このような国民的結束のかたわらで、内戦という亡霊がイラク人の心の背後にぼんやりと現れ、政治的な陰謀をすすめている。緊張はクルド人が要求する産油都市キルクークで渦巻いており、クルド勢力はこのほどの選挙で見せつけた強さに励まされている。国民議会にスンニ派の代表がいないということは、新しい政府を脅かす反乱の舞台ともなりかねない。ブッシュ政府は選挙がおこなわれたというだけの理由で、選挙は成功したと宣言したが、今後数ヶ月にその可能性がはっきりするなかで、ほんとうに成功したか失敗したかが判明するだろう。
国民議会が新憲法を起草する前においてさえ、サドルとシスタニが明確に姿勢を画することで、米国の撤退をめぐる議論が強まる可能性がある。シスタニは撤退までにより多くの時間的余裕を認めるように思われるものの、サドルは選挙の数日後には米国の即時撤退期限が唯一の解決策だと発表した。
強い影響力を持つスンニ派のイスラム法学者協会は、最近、米占領軍はイラク撤退の期限を設け、撤退が完了するまでは基地内にとどまるべきだという要求を改めて宣言した。このグループはまた、彼らは先の選挙を完全に違法なものと見なし、米国によって作られる如何なる政府にも敬意を表しないと発表した。しかし興味深いことに、彼らは占領軍の撤退期限が発表されるなら、憲法起草にかかわる政治過程には合流することができると表明した。
撤退期限に関する彼らの見解がどうあれ、またシーアであれスンニであれ、宗教指導者であれ普通のイラク人であれ、大部分のイラク国民が同意できるテーマは、宗派と民族の相違を解決するのはイラク国民にまかせて、イラクにいる外国の軍隊は出ていかなければならないということなのだ。
ワミド・ナダミが言うように、「みずからの国を再建し、傷を癒(いや)し、社会を改造し、ある種の国民的和解と民主主義、相互の許容をもたらすのに、イラク国民は四半世紀を要するだろう。しかしそのプロセスは、米国のイラク占領が終わるまで始まらないであろう」。
※ 他の記事、写真および解説は: http://dahrjamailiraq.com
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