カ ラ ク リ 時 計  
     
 名古屋市で一番の繁華街は”栄”ですが、そこから1km少し南へ下がった所に”矢場町”が有ります。矢場町の交差点は100m道路が東西に走っていてその中央のグリーンベルトの西側にからくり人形時計があり、1日4回からくり人形が演技をします、演技は5分間で郷土が生んだ信長、秀吉、家康が出てきて其々のパフォーマンスをします。そのからくり人形が収納されている時計塔の上を高料金で悪名が高い名古屋高速が走っていて矢場町は交通機関と新しい文化の要となっている場所です。 
   
  右の地図は名古屋市の中心部のものです。

地図の上方に”栄”があり下方に矢場町が有ります。

この地図の下方の青い大きい道路が道幅が100m

有る100m道路です。
   
   からくり人形時計とは・・・・
   和時計風の躯体から織田信長、豊臣秀吉、徳川家康を模したからくり人形(身長60〜80cm)が交互にせりだし1日四回各五分間の演技をします。人形は八代目玉屋庄兵衛氏の作によるものです。
そもそも名古屋は尾張からくりの古里であり文化、文政期を頂点とする江戸時代には数多くの山車からくりが製作されて現在でも各地の祭礼で主役を勤めています。また名古屋は時計の古里であり津田助左衛門による国産時計第一号や明治初期の時計産業が全国に先駆けて誕生した歴史が有ります。さらに名古屋は信長、秀吉、家康三英傑の古里でありこの三人によって戦国時代の天下が平定された歴史は余りにも有名です、従ってからくり人形時計は名古屋の生い立ちを象徴していると申せましょう。
この事業は地元の大須と栄を中心にした若宮大通の環境を良くする会の構想と本市若宮大通公園整備にかかるモニュメント設置計画が一致したもので官民が一体となって実現したものです。特にからくり人形は若宮大通の環境をよくする会より大須と栄を結ぶ若宮大通の再整備と市制百周年に協力する趣旨で寄贈を受けました。 
   からくり人形上演時間  十二時、十五時、十八時、二十時。
   
   
からくり時計の上演を待ちわびる人。
 
   
 時間になるとからくり時計の扉が開き郷土3英傑の一人、織田信長人形がせり出してきて演技を行います。 
   
      
     
   扇子が閉じたり開いたりします。
   
   次いで豊臣秀吉が鎧に身を包み千成瓢箪を高々と掲げて軍扇を持つ見事な大将ぶりを見せてくれます。
   
       
   
   3英傑最後の演技は徳川家康ですが、優しい顔の作りに古だぬきとあだ名される面影は有りませんでした。
   
     
5分間程の演技を終えて徳川家康
が扉の中に入り扉が閉められました。
   
   からくりの技術は戦国時代末期、キリスト教の宣教師がもたらした置き時計の調速機を応用した事から始まります。製作段階では、人形の顔には彫刻しやすいヒノキ、歯車の先端は欠けにくいツゲを使う
など日本の材木の特性を生かしていた。
名古屋でからくり技術が発展したのは江戸時代中期で、享保六(1721)年、八代将軍徳川吉宗は倹約政策を徹底する為、新しい機械や織物の製造を禁止した。これに対し、尾張藩主の徳川宗春は「民とともに世をたのしむ」として毎年、家康を奉る東照宮祭で盛大な山車行列をした。職人は精巧なからくりを競い合い、初代庄兵衛もこの時期、京都から名古屋に移住した。
名古屋市矢場町に有るからくり人形時計(上の写真)は八代目庄兵衛さんの作品です。九代目庄兵衛さんは今年、愛知万博の愛知県パビリオンで巨大からくりを製作し、イギリスの大英博物館に「茶運び人形」を寄贈した。「歴代の作品に負けないよう、創作からくりにも挑んでいる」と語る姿は、もの作りが盛んで新技術に常に挑む愛知・名古屋の風土を象徴しているようだ。
 
   
   このからくり時計から東に特異な建物が見えたので不思議に思い少し歩いて確認した所「ランの館」と大きく書いて有ったので、こんな場所に有ったのかと感動しました。
話題の場所だったので外から見てみました。今度時間があれば中に入ってみたいと思っています。
 
           
        ランの館改め「フラリエ」