桜の古都をめぐる
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龍安寺

仁和寺

ねぎ焼き

渡月橋

竹林の道

野々宮神社

嵐山駅 足湯

うどん

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 二日目は、元気いっぱい激チャリの日。

 天気は良いし、マウンテンバイクも借りたし、気分は最高。

 

 唯一、風が強いのをのぞけば・・・。

 朝っぱらから、恐ろしい北風です。


 

 

 

 

 

 

 

 

途中、改修途中の西本願寺を見る。

さすが、これほどの改修となると、工事現場全体に屋根がかかってるんですね。

天気を気にしないで工事が出来るっていいですね。

お金があるっていいですね。


〈本願寺〉
 

台風のような北風(向かい風)のせいで、自転車がほとんど進まない。

二条城の前を通過した辺りから、疲労で妻の口数が少なくなる。

これではまずいと思い、

俺「もう少し行って左折をすれば、追い風になるから楽になるよ」

妻「本当?」

俺「(・・・すいません、ウソです。)」

 

 

平然と嘘がつける自分が少し嫌になりました。

 


予定より二倍の時間がかかって、金閣寺に到着した。

『金閣寺』
 お釈迦様のお骨をまつった舎利殿(シャリデン)「金閣」が特に有名なため、金閣寺とよばれていますが、正しくは「鹿苑寺(ロクオンジ)」と言い、臨済宗相國寺派の禅寺です。(1994年、世界文化遺産に登録されました。)
 この地は、鎌倉時代に西園寺公経(サイオンジキンツネ)の別荘北山第が在りましたが、足利三代将軍義満が大変気に入り、応永四年(1397年)に西園寺家から譲り受け、山荘北山殿を造りました。金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土(ゴクラクジョウド)をこの世にあらわしたと言われ、後小松天皇(一休禅師の父)をお招きしたり、又、中国(明国)との貿易を盛んにして文化の発展に貢献したところで、この時代の文化を特に北山文化と言います。
 義満の死後、遺言どおり夢窓国師(ムソウコクシ)を開山(カイザン)(初代の住職)とし義満の法号鹿苑院殿から二字をとり、鹿苑寺と名づけられました。
                         〜金閣寺HPより〜

 

疲労で機嫌の悪かった妻だが、金閣寺を見たとたんに上機嫌に変わった。

やっぱり、華やかな物がお好みのようだね。

これが、ボロ寺だったらどうなっていた事か・・・。

 

それにしても、久しぶりに来たが綺麗だね。
金ぱくの張替えの跡だったのかな?

 


〈金閣寺〉

金閣寺を後にして、今度こそ向かい風で龍安寺へ向かいました。

観光ガイドでチェックをしていた「きぬかけの路」を通ったけど、普通の道路だね。

しかも歩道が狭くて、交通量があったから恐かったよ。

 

『龍安寺』
 宝徳2年(1450)室町幕府官領細川勝元が、徳大寺家の別荘を譲り受けて寺地とし、妙心寺の義天玄承を開山として創建されたものであり、臨済宗妙心寺派に属し、大雲山と号した禅苑の名刹である。
応仁の乱で焼失して、長享2年(1488)勝元の子政元が再興したが、寛政9年(1797)火災で方丈・仏殿・開山堂を焼失したため西源院方丈を移築した。方丈の前庭は枯山水の庭として著名である。

  方丈の前庭は枯山水の石庭で、東西約25m、南北約10m。三方を築地塀〔油土塀〕で囲み、境内の植栽を借景とする。
庭内は一木一草も用いず、地表に白砂を敷き15個の自然石をはいする。その姿から「都林泉名勝図会」は「虎の子渡し」の庭と記し、配置された15の石が東から7・5・3で構成されているので「七・五・三の庭」ともいわれる。
作庭の年代や作者、制作の意図などについては確実な資料が無いため、各分野の人々により様々な説があるが、室町時代末期の作で特芳禅傑らの優れた禅僧によって作られたものと伝えられる。
  見る人によって自由な解釈や連想を欲しいままにさせるこの庭は禅の公案のようであり,見た目にはすこぶる単純な構成であるがその中に秘められた魅力は大きく、岩とそれにまつわる苔、それらを取り囲む白い砂に描かれた筋目とが、言い知れぬ簡素な落ち着きと、枯れた気高い美しさをかもしだし、見る人に深い感動を起こさせる。
                               〜龍安寺HPより〜

 

石庭の見える縁側では、座る場所がないほど観光客がいました。

ここまで有名になってしまうと、なかなかゆっくりは出来ないもんだね。

何とか場所を見つけて座っていたら、後ろから次々と人が来るし、背後に知らないオジサンが立っていて、無言の圧力をかけてくるし・・・。


〈石庭〉


〈つくばい〉


〈鏡容池の亀〉

『仁和寺』
   仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって仏法の興隆を図るため「西山御願寺」(にしやまごがんじ)と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。
 しかし光孝天皇は志なかばにして崩御せられ、次の第59代宇多天皇が先帝の意志を継がれ仁和4年(888年)にその造営を完成されました。西山御願寺は先帝から受け継がれた「仁和」の年号をもって寺号と定められ、大内山仁和寺(おおうちやまにんなじ)と呼ばれるようになりました。
 平安時代の中期から鎌倉時代にかけて皇室の尊崇と貴族の庇護を受けた仁和寺は大きく栄えることになりましたが応仁元年(1467)に始まった「応仁の乱」によって仁和寺は一山ことごとく焼失するという悲運に見舞われました。仁和寺の再建についてはその後、努力が重ねられましたが、なかなか思うようには実現しませんでした。
 応仁の乱から約100年後の寛永11年(1634年)徳川幕府3代将軍家光の時代になって今日見られるような仁和寺として再興されるところとなりました。丁度その頃、京都御所を再建する時期に当たっていたので現在仁和寺金堂になっている「紫宸殿」の他、多数の建造物、金20万両の再建資金が仁和寺に渡され再興されかつての繁栄を取り戻す事が出来ました。その後、江戸時代終わりまで皇室出身者が門跡を務めましたが慶応3年(1867年)で第30世門跡純仁法親王が還俗したことで皇族が門跡となる宮門跡の歴史が終わりました。
 仁和寺は平成6年(1994年)に古都京都の文化財の1つとしてユネスコの「世界遺産」に登録され新たな歴史を刻んでいます。
                            〜仁和寺HPより〜

 

 

仁和寺は広かったせいか、比較的人が少ないように思えた。

観光ガイドをしている一行の話によると、遠くに五重塔が見える右の写真のアングルが一番良いらしい。

桜の木が沢山あったが、まだ一輪も咲いてなかった。

 


〈仁和寺の門〉


〈お庭〉

『嵐山のむら』
おすすめは、何と言っても「嵯峨のねぎ焼き」 
 (薄くのばした生地に九条ねぎを始め、卵 やこんにゃく、 肉そぼろ、 ちくわ等 たっぷりとトッピングした京風のお好み焼きです。) 甘味では注文後にたてる抹茶がほろ苦い 「うす茶ぜんざい」が人気です。
 他にも甘味メニューがあり、「クリームあんみつ」。十勝産大納言小豆を程よい甘さに炊き上げたあん、手作りの寒天、リンゴの 赤ワイン煮が入ったクリームあんみつ。 多彩な味わいが一度に楽しめます。 〜嵐山のむらHPより〜

 

嵐山に着いて、ねぎ焼きとやらを食べてみました。

美味かったです。

正直、想像以上の味でした。

空腹のせいか、写真をとる前に完食してしまったので、店頭にあった看板を写真におさめて来ました。 テヘッ(^_^ )ゞ

 


〈ねぎ焼き(店頭の看板)〉

 『渡月橋』
 嵐山の桂川に架かる全長250mの橋。渡月橋の南にそびえる標高375mの「嵐山」は春の桜、秋の紅葉の美しさで有名で、渡月橋は嵐山地区の景観を代表する橋と言えるでしょう。桂川はこの渡月橋を境に、上流は大堰川あるいは保津川と呼ばれることもあります。

  平安初期の承和3年(836)、空海の弟子の道昌僧正が大堰川を修築したおりに、現在の渡月橋より200mほど上流に橋を架けたのが渡月橋の最初であるとされています。葛野橋、あるいは法輪寺橋とも呼ばれていたこの橋は、朱丹に塗られ、天竜寺十景の一つに数えられていたようです。
  それから四百数十年後、亀山上皇が曇りのない夜空に月がさながら橋を渡るようなさまをみて「くまなき月の渡るに似る」と感想を洩らしたことから、「渡月橋」とよばれるようになりました。
  渡月橋は応仁の乱での焼失、洪水での流失などで幾度か架けかえられ、1606(慶長11)年に嵯峨の富豪である角倉了以が現在の位置に架けたとされています。現在の橋は昭和9年にコンクリート杭、鋼桁に改修されたもので、木製の桁隠しや高欄は木製の様式を使い旧態の保存に努められています。
                 〜京都・大阪スポットガイドHPより〜

 

さすが嵐山観光のメインだけあって、人が多かった。


〈渡月橋〉

 

 『嵯峨野 竹林の道』
 渡月橋のある嵐山から天龍寺の北側を抜け、野宮神社へと続く竹林。嵯峨野めぐりの人気スポットながら笹ずれの音を聴ける静寂な空間です。
                               〜京都府HPより〜

 

歩いていると、何処からとも無く『カンカン』と音が聞こえてきた。

これが笹ズレの音ですかね。

何か、倒れてきそうで恐かったよ。


〈竹林の道〉

 

 『野々宮神社』
 野宮はその昔、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王(皇女、女王の中から選ばれます)が伊勢へ行かれる前に身を清められたところです。
 嵯峨野の清らかな場所を選んで建てられた野宮は、黒木鳥居と小柴垣に囲まれた聖地でした。その様子は源氏物語「賢木の巻」に美しく描写されています。
 野宮の場所は天皇の御即位毎に定められ、当社の場所が使用されたのは平安時代のはじめ嵯峨天皇皇女仁子内親王が最初とされています。斎王制度は後醍醐天皇の時に南北朝の戦乱で廃絶しました。その後は神社として存続し、勅祭が執行されていましたが、時代の混乱の中で衰退していきました。
 そのため後奈良天皇、中御門天皇などから大覚寺宮に綸旨が下され当社の保護に努められ、皇室からの御崇敬はまことに篤いものがありました。

 黒木鳥居と小柴垣は平安の風情を現在に伝え、源氏物語、謡曲野宮でも有名な当社は、嵯峨野巡りの起点として多くの方が訪れられます。えんむすびの神様、子宝安産の神様として全国から崇敬を集めています。

 

・・・子宝ねぇ。


 

  『嵐山駅 足湯』
 京福嵐山駅の構内にある、足湯の温泉。2004年春に開湯した嵐山温泉の源泉を使用しています。電車を利用しなくても、窓口で利用券を求めれば入ることができます。観光客だけでなく、地元の人も集うふれあいの場となっています。嵐山散策のほっこりした休憩におすすめです。
                               〜JRHPより〜

 

小さいけど、気持ち良かったぁ。

靴を脱いだ瞬間、ほんのり異臭がしたが、まぁご愛嬌ということで

 

ただ、混み具合が切符を買って駅に入るまで分からないってのは、ちょっとね。

 


〈嵐山駅のホームにある足湯〉


〈My 足〉

  『おかる』
北海道の天然昆布香深産の一級と最高級のさば、うるめ、かつおなどを合わせて採ったダシが自慢。京都宮津産の最高の山芋を使った「山かけそば」や丹波の地鶏の「親子丼」など逸品揃いだ。一番人気の「カレーうどん」は牛肉、海老天ぷら、かしわ、油揚げの4種。つゆと長ネギの香りが食欲をそそる。「チーズカレーうどん」も好評。
                               〜ヤッホーグルメHPより〜

 

いやぁ、歓楽街のど真ん中にも、いい店はあるもんだね。

オススメのチーズカレーうどんを注文したけど、熱いけど美味かったぁ。


〈チーズカレーうどん 左〉

『円山公園 枝垂桜』
円山公園(まるやまこうえん)は、京都で最も有名な公園です。元々は、八坂神社の一部で明治維新以降に国へ納めるという形で分離された。円山公園の敷地面積は、約8600uもある。 公園内には、坂本龍馬・中岡慎太郎像や有名な枝垂桜がある。桜の季節には昼夜を問わず多くの人が花見に訪れる。円山公園周辺は、八坂神社、知恩院、高台寺など有名な観光名所が多い。   
                          〜京都観光研究所HPより〜

 

明日の夜に来るつもりだったんだが、雨が降りそうだったんで行ってみました。

JRのCMを見るたびに、行ってみたいと思ってたんだよね。

 

時期的に早かったせいか、花が少なかった気がする。

噂には聞いていたが、この枝垂桜もだいぶ元気が無くなってきてるのかなぁ。


〈枝垂桜〉
   

 
   

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ここは、建設業界を渡り歩いた(逃げ回った?)小心者の戯言です。会社風にしてありますが、特に意味はありません。