『育児は生き方』のあとがき(P151)の中の論文

 

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 慶応義塾大学通信教育課程文学部(哲学)の卒業論文(1998年)。

『育児は生き方』のベースであり、仕事をする上での私の指針となっ

ています

 バイオエシックス(生命倫理学)に興味がある方、母乳育児のこと

もっと知りたい方、バイオエシックスの視点から母乳育児を考えた

い方、産科医療の中の‘母乳’につい考えたい方など、多くの方に

読んでいただけたら嬉しいです。

   

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  この論文は、1996年〜1998年にかけて書いたものです。

  その頃は、ほとんどの産婦人科医院、産科病棟では、生まれた赤ちゃんを

  3日間新生児室に預かったあとに授乳開始、あるいは退院まで母子別室制

  で、母親が新生児室に授乳に行くというやり方でした。入院もふつう分娩

  で7日間くらいが普通でした。

  この中では「助産婦」と書いていますが、2002年に「助産師」と名称変

  更されました。赤ちゃんにやさしい病院(BFH)も、1997年は国内に8

  施設でしたが、2013年8月の時点では69施設となっています。

  近年、母乳育児に理解ある施設がふえてきたこともあり、論文中にあるよ

 うな「張りすぎて授乳できない」「しぼって哺乳びんで飲ませている」とい     

 ったことは、新生児訪問や相談室では減っています。

  反面、「授乳に長い時間かかり休めない」「ミルクを足すことに罪悪感を

  感じる」「母乳育児をしなければ……」など、がんばりすぎている方もいて、

  悩み方が変わってきているように感じます。

 

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   「妊産婦の権利と自己決定 −母乳育児をめぐって−」

目次

第一章 序論

 

第二章 母乳育児の現状と歴史

T.母乳育児の衰退と再評価

U.母乳分泌の生理と母乳育児を阻害する要因

1.出産後の数日間の重要性

1)母乳の与え方

2)母乳分泌の生理

3)新生児の特徴

2.妊産婦をめぐる母乳育児の現状

1)母乳育児の失敗の原因

2)母乳育児願望の挫折

V.産院の現状

1.産院の医療が母乳育児に与える影響

1)母子同室制と母子異室制

2)母子分離が母乳育児に与える影響

2.産院経営と母乳育児

3.母乳育児をめぐる医療の問題点

W.育児法の選択

1.育児法の歴史

2.育児法の選択

X.最近の動向

1.母乳育児の援助

2.従来の乳房管理への反省

3.従来の新生児管理の見直し

4.産科医療従事者からの反省

 

 

第三章 母乳育児を阻む要因の倫理学的検討

T.倫理学的検討のために

1.バイオエシックス(生命倫理学)のおこり

2.自律尊重の原則と恩恵の原則

3.パターナリズム

4.インフォームド・コンセント

5.医療行為とインフォームド・コンセント

6.完全義務と不完全義務

U.母乳育児を阻む要因の倫理学的検討

1.医師と妊産婦の関係

2.産科医の義務

3.妊産婦の権利と義務

4.助産婦の義務

5.乳房への接触に関するインフォームド・コンセント

1)乳房への接触

2)インフォームド・コンセントの必要性

V.妊産婦の権利と自己決定

1.選択肢の呈示

2.バースプラン(出産に関する要望書)にみる母乳育児

3.妊産婦の自己決定

W.結論

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第一章 序論

厚生省の調査によれば、妊婦の9割以上が母乳で育てたいと希望している。しかし、母乳だけで育てている人は、産後0ヶ月では半数、1ヶ月では半数を割り、3ヶ月以後では約3割となる。この数字からみても、母乳で育てたいという希望が実現しにくい現状がうかがえる。

さて、私は助産婦として母乳相談と妊産婦、新生児訪問の仕事をしている。新生児訪問では、母乳に関する悩みがもっとも多い。たとえば、母乳は出るのに、赤ん坊が母乳を吸ってくれないため、一度も直接授乳をしたことがない産婦もいる。彼女たちは仕方なくミルクを足したり、搾乳した母乳を哺乳ビンで飲ませたりしている。また、赤ん坊が母乳を吸わないために母乳の分泌が悪くなり、なかば母乳育児をあきらめている産婦もいる。

私は母乳育児の推進をめざすものではないが、母乳育児の入り口のところで挫折している産婦を見ることは残念でならない。母乳で育てたいと思っていたのにできなかったという体験は、その後の育児にも影響するという指摘もある。このようなことから、母乳育児をめぐる医療の現状を見直し、母乳育児を希望する妊産婦は、どうすればその思いをかなえられるのか、また、われわれ助産婦にできることは何か、を考えてみたいと思った。

現在、99%が産院で出産している。出産の安全性は、ほぼ確保されているものの、一方で、先にあげたような母乳分泌不全や新生児の吸啜(きゅうてつ)障害を、医療が作り出しているという指摘がある。このような指摘は、かなり以前からも小児科医や母乳専門の助産婦から出されている。出産後の母子を離す医療管理や医療従事者の母乳育児の知識不足が、少なからず影響しているというものだ。

つまり、母乳育児の成功、不成功のカギが出産後の数日間にあるとされるのに、多くの産院では医師の裁量によって、出産後に母と子が離され、新生児は一律の取り扱いをされている。そのため、母乳が出るのに、あるいは、出るはずだったのに、新生児は母乳より先に哺乳ビンで糖水やミルクを与えられている。いうなれば、母乳育児が阻害される要因が、入院中からそろっているのである。

ではなぜ、多くの産院では、妊産婦の思いに反するような管理がおこなわれているのだろうか。また、母乳育児への熱意の度合いは個人差があり(注1)育児の考え方もそれぞれ違うはずなのに、ルーチン化した一律の管理がおこなわれているのはどうしてだろうか。

 

近年、患者中心の医療、自己決定権、インフォームド・コンセントなど、患者の権利が叫ばれるようになってきている。産科関係のバイオエシックスの問題は不妊治療、体外受精、代理母、出生前診断など盛りだくさんである。その陰に隠れてしまって、目を向けられていないのが、‘ひとりひとりの産婦の希望にそった産後の母子のすごし方’ではないだろうか。

多くの産院では、妊産婦と医療側の間で、「母乳で育てたいのかどうか」が話し合うべきこととして取り上げられていない。そのため、妊産婦は母乳育児をしたいと漠然と考えるだけで、あらためて医師やスタッフに母乳に関する疑問や要望を出すことがない。そして、産院の用意した出産後のすごし方で、入院期間を終わってしまうのである。

この問題の背景には、医療側の主導ですすめられる旧来の産科医療が、あいかわらず続いていることがあげられる。つまり、妊産婦は産院に任せておけば安心と考え、医療側はわれわれに任せておきなさいといった姿勢で、妊産婦の意思が曖昧にされているのである。このような妊産婦と医師の関係は、‘妊産婦のお任せ医療’と‘医師のパターナリズム’が背中合わせになっていると考えられる。

医師の責任は出産であり、出産さえ無事に済めばそれで良しという姿勢である。一方、妊婦の最大の関心は、無事に産めるだろうか、五体満足な子が産まれるだろうかということで、そのあとのことまで考える余裕がない。特に初めて出産する妊婦にとって、出産は未知の分野である。生まれたあとの母乳のことまで、具体的にイメージや実感がわかないのは当然かもしれない。

その結果、妊婦は出産後まもなくお乳が張って痛くて、あるいは、赤ん坊がお乳を吸えなくて、その時点ではじめて母乳と向き合わざるをえなくなる。「こんなに母乳が大変だとは夢にも思わなかった」と、新生児訪問や母乳相談の母親たちから、たびたび聞くのもそのためであろう。

現実に、多くの産院でおこなわれている出産後の母子管理のもとでは、母乳育児は実現しにくい。母乳で育てたいと希望する妊産婦は、主体的に母乳に関することを勉強し、‘母乳を与えること’をもっと意識的にとらえる必要がある。医療側は、良かれと思うことを押しつけるのではなく、それぞれの妊産婦の母乳育児に対する考えを尊重するべきである。つまり、母乳育児を希望するかどうかを産婦に確認せず、母乳育児の阻害要因となるような管理をするべきでない。母乳育児を希望する産婦には、赤ん坊が泣いたらいつでも母乳を与えられる環境を提供する配慮が必要である。

 

 

この問題を考えるにあたって、二つの視点でみていきたい。

第一に、産科医療の特殊性の上に立って、医師と妊産婦の関係を見直し、妊産婦自身の権利と義務に目を向ける。第二に、産科医療の中での‘母乳の位置づけ’が不明瞭なために、妊産婦と医療側の間に認識のズレがあることを指摘する。

 

なお、次章以降の順序は次のように進める。

第二章では、母乳育児をめぐる医療の現状を知り、母乳育児を阻害する要因を明らかにする。

第三章では、母乳育児を阻む要因の倫理学的検討をおこない、母乳育児を希望する妊産婦は、母乳育児をどう考え、何をしていかなければならないのかを考える。

まず、医師と妊産婦の関係は、パターナリズムとお任せ医療が表裏の関係になっていることを明らかにする。

次に、母乳育児に対する産科医の義務、妊産婦の権利と義務、助産婦の義務を考える。そして、母乳育児を権利とすれば、それはどのような性格を持った権利なのかを考える。

さらに、母乳育児をめぐる医療における、妊産婦の自己決定を考える。

最後に、医療従事者の完全義務として、乳房への接触に関するインフォームド・コンセントの必要性を再考する。

第四章では、まとめとして、医療者主導の医療から妊産婦の要望に応える新しい医療へ変わるために、医師、妊産婦、助産婦に求められる責任を考える。

 

 

以下にあげる語は次のように定義して用いる。

「妊産婦」とは、妊婦と出産後の人をいう

「産婦」とは、出産後の人をいう

「新生児」とは、生後28日以内の赤ん坊をいう

「産院」とは、総合病院の産科、産婦人科の病院、診療所などをいう

「産科医療従事者」とは、医師、助産婦、看護婦などをいう

「スタッフ」とは、医師以外の助産婦、看護婦などをいう

 

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第二章 母乳育児の現状と歴史

T.母乳育児の衰退と再評価

戦前の日本では、79割が母乳育児だった。そのため、日常生活の中で授乳をする姿はありふれたものだった。それがどうして現在のように、母乳で育てることがこれほど難しくなってしまったのだろうか。

その原因として、戦後のGHQの医療改革によって、出産の場が自宅から産院に急速に移行し、出産そのものが質的な変化をしたことがあげられる。1950年には95.4%が自宅出産だったが、わずか15年間で84%が産院出産となり、出産介助は助産婦から医師へと移った。そして、母と子の間にアメリカ的な新生児管理や育児法が入ってきたのである。

その結果、死と背中合わせと考えられていた出産は安全となった。反面、出産は生理的な日常の出来事ではなくなり、手術に準じるもの、医師に産ませてもらうものというイメージに変わっていった。そして、妊産婦自身の‘産むのは自分’という主体性も失われていったのである。

また、医療改革の一環として、助産婦の養成制度、助産婦の業務範囲の見直し、看護婦制度の一本化などもおこなわれた。1949年には74,000人いた助産婦のうち90%が開業助産婦だったが、この年をピークとして、次第に勤務助産婦へと移行していった。1995年の助産婦数は23,000人となり、その80%が勤務助産婦である。

さて、自宅出産が多かった頃は、出産の8〜9割を助産婦が介助した。産後は新生児や産婦のケアーに通い、母乳育児のコツなども産婦に教えた。母と子は同じ布団に寝かされ、赤ん坊は泣くたびに母乳を与えられた。少しくらい母乳の出が悪くても、まわりの女たちに励まされながら、産婦は母乳が出てくるのを待つことができた。

産院出産では、出産後に母と子は別々にされ、新生児は並んで一斉に哺乳ビンでミルクが与えられるようになった。看護婦の人手不足や知識不足のために、産婦は母乳育児の指導や励ましなどは受けられず、入院中からミルク育児が当たり前のようになっていった。

さらに、乳業会社の宣伝、厚生省主催の赤ちゃんコンクールなどによって、ミルク育ちの赤ちゃんの方がよく肥っていることなどから、それが現代的な育児だというイメージが持たれるようになった。今では信じられない話だが、1960年代には、新聞に母乳に関する記事が見られず、母乳タブーの時代があったという。

1960年代から1970年にかけては、乳業会社の販売攻勢の影響もあって、世界的にミルク育児が盛んになったことは注目される。

しかし同じく、1970年代はじめには、自然志向の高まりや従来の育児法への反省などから、母乳による育児が見直されるようになった。

日本でも、1975年からは厚生省も3つのスローガン、@1ヶ月半まで母乳で、A3ヶ月まではできるだけ母乳で、B4ヶ月以降も安易に粉ミルクを与えずに、をかかげて母乳推進を始めた。しかしその頃には、すっかり母乳育児のノウハウが消え、昔からのやり方を知る人も少なくなっていたのである。

1989年にWHOとユニセフは「母乳育児成功のための10ヶ条」(注2)を打ち出した。これを実践する施設を「赤ちゃんにやさしい病院」と認定し、1997年の時点では、世界全体では約12,000施設、日本には8施設となった。

1980年代には、未熟児の長期母子分離が乳幼児虐待と関係があることが指摘され始めた。スキンシップ、母子相互作用、母性感受期などと関連づけられ、母乳による育児は母性愛の象徴のようにとらえられるようになっていった。

ところで、アメリカの調査によれば、母親の教育程度や生活レベルと母乳育児の相関がみられる。高い教育を受け、中上流階級ほど母乳で育てる率が高く、下層階級では低率であるという。かつて、文明化の進んだ都市部や上流の母親から母乳離れが始まった。母乳育児が見直されるようになると、再び中産階級の母親から母乳に戻り始めたといえる。

 

 

 

U.母乳分泌の生理と母乳育児を阻害する要因

.出産後の数日間の重要性

1)母乳の与え方

母乳の与え方には、@時間を決めずに、泣けば母乳を与える伝統的なやり方とA授乳の時刻を決めて与えるやり方がある。

@のやり方は母乳による育児を成功に導きやすい。さらに、母乳を出すことは母と子の共同作業といわれるように、出産後の母と子を離さないことが大切である。できるだけ早くから授乳を始め、赤ん坊に吸わせることをくり返すうちに、3〜5日たつと母乳があふれるように出てくるのである。

自宅出産の頃は、赤ん坊は母のとなりに寝かされ、泣くたびに母乳を与えられた。助産婦や里の母が、新米の母親に母乳の与え方や赤ん坊の扱い方などを教えた。そのため、スムーズに母乳育児に入っていけたのである。

出産した女性なら、ほとんどの人は母乳育児が可能とされる。それを裏付けるように、「母乳育児成功のための10ヶ条」を実践する産院では、退院時、1ヶ月時に母乳のみで育てている人が90100%近くになっている。

ところで、多くの産院ではAのやり方がとられている。母と子は離され、授乳はタイムスケジュールに従っておこなわれ、授乳の時刻、哺乳量、授乳時間の長さなどを意識するやり方である。このやり方は、欧米の医学や育児法とともに日本に入ってきたものである。子どもが泣くたびに乳を与えることは、放縦につながるという子供観や西欧的な合理主義が根底にあるとされている。

この方法では、34時間毎に授乳時間を決めているため、予定の時刻前に赤ん坊が泣くと、母乳が足りていないのではないかと母親が不安になりやすい。そして授乳の回数が少ないため、次第に母乳の出が悪くなりやすく、ミルク育児に移行しやすいといわれている。

 

 

2)母乳分泌の生理

出産後の数日間は母乳を出すためのゴールデンアワーとされている。赤ん坊が母親の乳首を繰り返し吸うことによって、母乳生産のスイッチが入り、乳首を吸うと母乳が出るというリズムが出来上がるからである。

分娩で胎盤が出てしまうと、ホルモン環境が急に変わり、母乳分泌の準備がされる。そこに乳首を吸う刺激が加わると、母乳の分泌に関係する2種のホルモンが脳下垂体から分泌される。一つは母乳をつくるのに関係するプロラクチンであり、もう一つは、つくられた母乳を噴出させる作用のあるオキシトシンである。

母乳が噴出される現象は「射乳反射」と呼ばれ、母乳育児のカギをにぎるといわれている。このホルモンは不安、心配などの精神的なストレスや疲労などで分泌が悪くなり、赤ん坊の泣き声や顔を見ると分泌されるというように、デリケートな性質を持っている。そのため、産婦はそばで見守り、励ましてくれる人がいると、気持ちが落ち着き、射乳反射がよくなるのである。

母乳のもう一つの特徴は、赤ん坊が母乳を飲めば飲むほど、母乳が生産されることである。さらに、つくられた乳をたまったままにしておくと、乳の生産機能が悪くなる。このようなことから、母乳分泌を良くするためには授乳をくり返すことが必要である。

 

 

3)新生児の特徴

新生児期は反射や本能の支配が強く、口に触れるものは何でも吸おうとする。新生児の胃の容量は2060mlである。しかし、満腹した感覚が発達していないため、ミルクなどを哺乳ビンで与えられると反射的に吸って飲み過ぎになりやすい。

赤ん坊が乳を飲む場合、特別に「吸啜(きゅうてつ)」という言葉が使われる。乳首を上あごと舌ではさんで口の中を陰圧にして吸う独特のやり方である。母親の乳房から母乳を飲むのと哺乳ビンとでは、舌の使い方や吸うリズムが基本的に違う。そのため、母親の乳首よりも先に哺乳ビンをあてがわれた場合、ゴム乳首の感触と哺乳ビンの吸い方が刷り込まれるため、母乳を吸えない、母親の乳首をいやがるなどの問題も起こる。

生まれて初めて吸うのが母親の乳首ならば、多少吸いにくい乳首でも一生懸命吸って、赤ん坊自身で乳首を吸いやすく変えていく。このような意味からも、出産後に母子を離す新生児管理の影響は大きい。

 

 

2.妊産婦をめぐる母乳育児の現状

1)母乳育児の失敗の要因

母乳育児の失敗の要因として、妊産婦自身の責任と母乳育児の実際的な情報やノウハウを得にくい事情があげられる。

一般に、妊産婦は自分が出産する産院を決めるにも、具体的に問題意識をもっていない。選択の基準は、設備の良さ、豪華さ、食事のおいしさ、近い、評判がいい、大病院だから安心、などの単純な理由が多い。その上、産院に対して過大な期待をしている。母乳育児は、産院で教えてくれると思いこんでいる妊婦は多い。つまり、妊産婦は、出産する産院で、自分と赤ん坊にどんな医療が与えられるのかを把握していないのである。

また、母乳育児を希望するわりに、行動がともなっていない面がある。たとえば、入院中くらい優雅にのんびりしたいとか、夜間は赤ん坊を預かって欲しい、医師やスタッフはやさしいほうがいい、などの希望も多い。母乳育児に理解のある医師が、母乳が出るようにしてあげようとの配慮から母子同室にすれば、家族からも母体が休めないとクレームが出ることもあるという。要するに、妊産婦自身や家族にも‘甘さ’があるのである。

妊産婦が、このようなちぐはぐな思いをもってしまう背景には、母乳は良いと奨めていながら、母乳育児の成功は産院の選び方によるということまで、ほとんどのマタニティ雑誌には書かれていないことがあげられる。まして、どの産院なら母乳育児を指導してくれるのかという情報もない。

母乳育児のために、自分でできることをやりたいという意欲はあっても、具体的に何をしたらいいのかが分からないという妊婦も多い。それは、日常生活で赤ん坊を抱いたり、世話をしたりする機会が少なく、授乳の光景を見ることもあまりないからである。さらに、自分自身の母親がミルクによる育児の盛んな時代に子育てをした人が多いため、母親から母乳育児の経験を聞けないこともあげられる。

そして、保健所や産院の母親学級でも、母乳の利点や乳房マッサージのやり方などの話が多く、母乳の生理まで踏み込むことが少ない。そうする理由や原理のところには触れず、それが上手か下手かに終始しやすい。

実際の産科医療の現場には、自分の希望を言ったり、質問をしたりしにくい雰囲気がある。つまり、医師や助産婦にすべて任せておけば、医療を受ける側の妊婦は知る必要がないという姿勢があり、その上、診療業務に忙殺されていることも否定できない。

 

 

2)母乳育児願望の挫折

近年、雑誌やマスコミなどで、母乳がいかに優れているかを取り上げることが多く、いわゆる母乳育児信仰ともいえるような風潮がある。さらに、最近のマタニティ雑誌は、出産や子育てをおしゃれ感覚でとらえる傾向がある。そのため、子育てが生活実感から離れた特別なものというイメージに変わってきている。その一番わかりやすい指標が、母乳を与えることであり、妊産婦はそこに質の良い育児を求めるという。

しかし、現実には妊産婦の思いとは裏腹に、漠然とした願望だけでは母乳育児は成功しにくい。

母乳育児を強く希望していたにもかかわらず、その思いがかなわなかった母親たちは、努力が足りなかったと自分を責めたり、後ろめたい気持ちにおそわれやすい。ミルクを使ったことでコンプレックスめいた感情が強く残り、まわりの人から「おっぱい出る?」とあいさつ代わりに聞かれることが、針のむしろにいるようにつらいと感じる人もいる。

そのように痛手になってしまう要因に、出産後のホルモン環境の急激な変化によるデリケートな精神状態があるのも事実である。初産婦の場合、慣れない赤ん坊の世話や母親になった責任感などが入り混じった不安感も加わる。また、最近の母親はマニュアルに頼る傾向があり、少しでもうまくいかないと柔軟な考え方ができにくくなってしまうこともあげられる。

ところで、後述するような‘医療が作り出している授乳困難’のために母乳育児が出来なくなってしまった母親たちと接して感じることは、「その一因が医療にもあるのではないか」と考える人は少ないということである。

母親たちは、「赤ん坊が母乳を吸うのをいやがったから」、「乳首が吸いにくいから」、「赤ん坊が飲み下手だから」というように、母親側の原因として済ませてしまっている人が多い。

たしかに、無事出産できたことでもあるし、産院としてなにも落ち度はない。母乳にこだわりさえしなければ、ミルクで育てられるため問題にはならないのかもしれない。たとえ、産院のやり方に不満があっても、あきらめてしまうのである。

母乳育児ができなかったこと自体が不本意なのに、このように失敗の原因を自分に帰属してしまうような納得の仕方は母親にとってつらい。産院のやり方が母乳育児に適していなかった、あるいは、哺乳ビンに慣れてしまって母乳が吸えなかったのだとわかれば、次回はどう気をつけたらいいのかがわかる。しかし、多くの母親たちは、このようなフォローはされずにいる。

 

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1

平成7年度乳幼児栄養調査結果報告書の「妊婦の母乳栄養に対する意識調査」では、95.3%が母乳育児を希望している。

そのうち、@「是非母乳で育てたい」44.3%、A「母乳が出れば母乳で」51.0%、「粉ミルクで育てたい」0.7%、

「特に考えなかった」4.0%となっている。@とAを比較してみると、

産後0ヶ月の母乳のみは、@は64.9% Aは42.2%

産後 1ヶ月の母乳のみは、@は60.4% Aは35.5

産後3ヶ月の母乳のみは、@は54.2% Aは25.6

となり、是非母乳で育てたい人の方が母乳率も高く、続ける期間も長い。

一般的に言って、妊娠中から母乳育児を強く希望している人は、母乳育児を成功しやすい。多少のことは我慢して忍耐強くやれる傾向にある。

 

注2母乳育児を成功させるための10ヶ条

1.母乳育児の方針をすべての医療に関わっている人に、常に知らせること

2.すべての医療従事者に母乳育児をするために必要な知識と技術を教えること

3.すべての妊婦に母乳育児の良い点とその方法をよく知らせること

4.母親が分娩後、30分以内に母乳を飲ませられるように援助すること

5.母親に授乳の指導を充分にし、もし、赤ちゃんから離れることがあっても母乳

の分泌を維持する方法を教えてあげること

6.医学的な必要がないのに母乳以外のもの、水分、糖水、人工乳を与えないこと

7.母子同室にすること。赤ちゃんと母親が1日中24時間、一緒にいられるように

すること

8.赤ちゃんが欲しがるときに、欲しがるままの授乳をすすめること

9.母乳を飲んでいる赤ちゃんにゴムの乳首やおしゃぶりを与えないこと

10母乳育児のための支援のグループを作って援助し、退院する母親に、このよう

なグループを紹介すること

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V.産院の現状

.産院の医療が母乳育児に与える影響

母乳育児にとって最大の阻害要因は、「早期からの母子分離」である。それに引き続くのが、「授乳開始の遅れ」、「人工栄養その他の哺乳ビンによる補充」、「時間を決めた授乳」である。これらは母乳の分泌を阻害するだけではなく、新生児の吸啜障害や授乳困難を作り出す原因となっている。

さて、産科の母子管理は大まかに、母子同室制、母子異室制、両者の折衷型に分けられる。それぞれの特徴を概観し、母子分離の影響をみていきたい。

 

 

1)母子同室制と母子異室制

【母子同室制】

出産後の母と子を同室にするもので、これを取り入れている産院は少ない。このシステムは母と子の自然な関係を損なわず、母親は子がそばにいることで安心し、赤ん坊の泣き方も母子異室制に比べて少ない。そのため、母親は育児にも早く慣れやすい。母乳をいつでも与えられるため母乳育児に適している。また、出産後の早期から新生児は母乳を与えられるため、吸啜障害や授乳困難に陥りにくい。

デメリットは赤ん坊の盗難の心配、個室でない場合はプライバシーの問題や同室の人に対する気兼ね、母親の睡眠不足や疲労を招きやすいことである。

医療側からみると、母親からの訴えや質問が多くなり、看護婦の訪室も多くなるため人手がかかる。さらに、新生児用ベットや手を洗うスペースも必要になるため、それなりの部屋の広さが必要となる。

 

【母子異室制】

退院まで赤ん坊を新生児室に預かり、3〜4時間毎に母親が新生児室に授乳に出向くやり方である。一般に、大きな総合病院の産科病棟で取り入れている。その導入は戦後のGHQの医療改革にさかのぼる。アメリカの医療をモデルとして1950年頃から取り入れられた。

医学的理由として、新生児の観察のため、感染防止、母親の休養のため、新生児に一定量のミルクを与えることができる、体重減少を防げる、などがある。

産院の管理運営上の都合としては、新生児をまとめて収容すれば、指導や観察のために看護婦が部屋を廻らなくてもすむ。母乳指導のスタッフの確保や研修がいらないため、人件費や経費の節減になる。

 

【両者の折衷型】

母と子の対面が終わると、赤ん坊は新生児室に収容され、12〜72時間後に同室となる。その後は退院まで母親が赤ん坊の面倒をみるやり方である。産婦人科の開業医の多くは、このシステムを取り入れている。

 

 

2)母子分離が母乳育児に与える影響

新生児を預かって面倒をみてもらっている間、母親はゆっくり休める。特に開業医などでは病院のおしゃれ化がすすみ、豪華な食事やおやつを出すところもある。ちょっと考えると、母親にはうれしいサービスかもしれない。しかし、母乳育児の面からみると弊害は大きい。

まず、母親側の問題として、早期授乳や頻回授乳ができないことに加え、高カロリーの食物をとるため、乳房の張りが強くなる(乳房の緊満)。その結果、乳首のまわりまで硬くなり、新生児が吸いにくくなる。乳首の型によっては授乳が困難となる。その上、乳房緊満に対して、痛いマッサージをされたり、アイスノンを長時間当てたりして母乳分泌が止まってしまうこともある。

新生児の問題では、ミルクの与え過ぎのため、母乳を吸う意欲が減退する。母親が授乳に行っても、眠ってばかりいて母乳を吸おうとしない。母親は母乳がたまって痛いので、手や搾乳機で搾り出さなければならなくなる。そして、その母乳を哺乳ビンで与えたり、捨てたりといった不自然なことをすることになってしまう。

さらに、二次的な新生児の問題として、‘乳首の混乱’nipple confusion)がある。これは、母乳を吸わせようとすると、いやがって泣いたり眠ってしまったりして吸おうとしない。ところが、哺乳ビンを与えると目を開け、意欲的に吸い始めるため、母親は赤ん坊に拒否されたように感じ、自分のせいと思ってしまう。

現在、母子同室を取り入れている産院の調査によれば、母子異室の頃には13〜14%の率でみられたという。この他にも、外見上は母乳を吸っているように見え、実は母乳を吸えていない吸啜障害もある。この場合、吸っているわりには児が満足しないため、母乳の分泌が悪いと思われやすい。母乳育児を望む場合は、ゴム乳首の使用をやめて母乳の吸い方を練習し直す必要がある。

 

 

産院経営と母乳育児

産院を組織、ビジネスとして考えると、効率や採算が優先されやすい。一方、母乳育児は気長さや安らぎを必要とする。また、産婦の性格や動機の強さなど個人的な要素も関係する。

さらに、母乳の出方には個人差があり、赤ん坊の飲み方もそれぞれ違う。母子同室にすれば事足りるものではなく、支援システムも必要になる。したがって、産院経営と母乳育児の援助は、本来共存しにくい。

さて、現在、医学教育で扱われている母乳は、ホルモン学、栄養学、疾患との関連から見たものであり、母性、母子関係、育児観などの部分がそっくり抜けている。そのため、産院の責任者であり、経営者でもある医師は母乳育児に疎く、関心も低い。多くの産院では、出産が済めば、あとはスタッフにほとんど任せられる傾向にある。

しかし、一般に、多くの産院では人手不足のため、スタッフは分娩に関する業務に追われ、母乳育児の援助まで手が回らない。そのような状況では、母乳に関することは後回しになり、軽視されるのは必然である。たとえ、母乳育児に熱心なスタッフがいても、経営者である医師にその気がなければ、実際にはことが進まない。

 

産院経営上の都合としては、‘母乳に力を入れても儲からない’ことがあげられる。つまり、母乳育児には薬も医療技術も必要ないため利益を生まないのである。人手や時間を要し、効率も悪く採算が合わない母乳育児への援助は、ビジネスとしての産院経営ではタッチしたくないものなのである。

その上、現行の医療システムでは、保健指導サービスや相談に時間を割くより、一人でも多く診察した方が収入になる。母乳は見て見ぬふりをしても、産院の経営にはひびかないのである。妊産婦から母乳に関する要望や質問がなければ、余計な気をまわすよりも、ホテルなみの設備や豪華な食事の方が、妊産婦にはアピールしやすいのである。

最近、母乳育児を支援する産科医が少しずつ増えてきた。母乳を出すための環境づくりは、スタッフの教育や人手などの経費や気配りなどの面でも大変である。まさに、医師の個人的な熱意、職業的良心に支えられたボランティア的活動といってもいいことなのである。

 

 

3.母乳育児をめぐる医療の問題点

母乳育児をめぐる医療の問題点は、第一に、母乳育児を希望する妊産婦の姿勢と医師の姿勢との間にギャップがある。第二に、母乳育児を希望する妊産婦自身が母乳育児のことを知らない。第三に、母乳育児が医療によって阻害されている事実があっても、問題になりにくい、などがあげられる。

全般的に妊産婦は産院に依存的である。病院=安全という幻想が、すべてお任せすれば安心というイメージを作り上げているという指摘もある。産科医の多くは、出産さえ無事に済めば、すべて良しという姿勢である。また、妊産婦からみて専門家とされる医師や助産婦、看護婦が、意外にも、母乳や母乳育児に関しては、新しい知識や技術を勉強していない。

その結果、‘医療が作り出している授乳困難’を医療提供側の産科医療従事者が認識していないという深刻な状況があるのも事実である。さらに、医師やスタッフの心ない言動や誤った指導によって、産婦を傷つけたり自信を失わせたりして、かえって足を引っ張っぱっていることに気づいていない。そして、自分の思いこみや少ない経験から母親を指導しアドバイスをしている。

このようなことが母乳育児をめぐる医療ではまかり通り、妊産婦からクレームが出ない。もし、疾病の治療に関することで間違ったことを指導し、医師やスタッフがまちまちなことを言ったら、なんらかの支障をきたし問題になるだろう。

ラ・レーチェリーグの指導者の江口みりあむは、日本の専門家は不勉強だと指摘している。というのは、医師やスタッフの誤った指導によって迷い悩んでいる母親たちからの相談が、あまりにも多いためである。もし、母親に指導をするなら、母乳育児の良い本を1冊読んでからしてほしい、それが面倒なら自分は母乳育児の専門家ではないから、別の人に聞いて欲しいというくらいの姿勢でやってほしいと言う。

日常の産科の診察では、胎児の発育や胎位の確認、奇形の有無、母体合併症のチェックなどのためにBスコープや計測、内診などの繰り返しとなり、乳首のチェックをする医師はほとんどいない。ましてや、母乳育児を希望しているかどうかを聞く医師はいない。これは、産科の医療としては不自然であり、不親切だといえる。

なぜなら、母乳は出産に続く必然のプロセスのため、あらかじめ母乳で育てるかどうかを考えておかないと、出産後では遅いからである。

たとえば、乳首が陥没している場合は、出産までに吸いやすくしておくことが必要である。また、乳首が短小であったり扁平の場合は、乳房が張り始める前に早期授乳を始めるなどの特別の対策が必要なのである。

母乳をめぐる医療の問題について、小児科医の山内逸郎は、医療従事者の母乳育児への誤解や認識不足が、医療の現場に定着してしまっていることを指摘している。同じく小児科医の山本高治郎は、母乳に関しては医師のおこなっていることや考えていることがバラバラであり、そのような状況は医学の他の領域では類を見ないことだと述べている。

このような状況の背景には、母乳育児が日常生活の中でしめる比重が、時代や社会の変化とともに減ってきたことがあげられる。つまり、いやおうなく母乳で育てなければならなかった時代とは、母乳に対する認識が基本的に違っている。現代は、母親が母乳で育てるかミルクで育てるかを選択できる余地があるのである。

かつて、母乳育児はありふれたことであり、医師も含めて一般の人たちも、日常的に母乳育児を見て知っていた。現代では、母乳育児のノウハウが生活の中から消えてしまった。そのため、母乳育児は知識として学ばなければならないことに変わってきているのである。

 

 

 

W.育児法の選択

1.育児法の歴史

母乳の代わりのものを与えるという概念のなかった時代には、母乳が出ないことは赤ん坊の死を意味するものだった。そのため、母乳の出をよくするための儀式や祈願、薬、食べ物などの言い伝えは、世界各地に残っている。

母乳が出ない、あるいは足りない場合には、「乳母」や「もらい乳」、「里子」以外にはなかった。それができない場合には、米の粉を煮たものや、重湯だったので赤ん坊は育たなかった。

明治時代に入ると牛乳や練乳が希釈されて用いられた。1917年(大正6)に和光堂が育児用粉ミルクを発売した。初期の粉ミルクは調乳の煩雑さ、消化不良、ぶくぶく肥り、夏季熱などの問題があり、改良の努力が続けられた。大戦中から戦後にかけては、食糧難による母乳不足がひどくなり、乳製品の配給がおこなわれた。

1951年には調製粉乳の規格が決まった。乳業会社は新製品を次々に発売し、大量宣伝が始まった。1966年には、現在販売されているような単一調乳方式のミルクが出来上がり、飛躍的に使いやすくなった。それまでは月齢別に調乳を変える必要があったが、母乳育児の発想と同じように、赤ん坊の欲しがるときに、欲しがるだけ与えられるようになった。

ミルクによる育児の普及によって、女性が仕事を持つことも容易になった。欧米では、第一次世界大戦後に、母乳をやめる傾向が出てきて、小児科の教科書もミルクによる育児の記載が多くなった。その頃の育児法では、厳格なしつけや時間決めの授乳が良いとされ、抱いてあやすのは甘やかしだとされた。

しかし、1970年代に母乳育児が見直されてくると、厳密な時間決め授乳よりも、赤ん坊の空腹に合わせた自律授乳がよいとされるようになった。アメリカでは、母乳の見直しにともなって、母乳で育てない母親は母性失格だというような風潮が盛んになった時期もあった。しかし、現在では、そのような母性信仰は減ってきて、母乳にするかミルクにするかは、基本的に母親と父親が決めるという認識になっている。

 

 

2.育児法の選択

母乳育児のフィールドワークで知られる文化人類学者のダナ・ラファエルは、「育児法の選択では、母親の考えが何より優先する」と述べている。つまり、母親が育児を楽しいと感じ、自分に合っていると感じるやり方が、赤ん坊にとっても最上の方法であるという。

現代の日本では、母乳が出るかどうかは、赤ん坊の生死を決めるわけではない。しかし、育児法の選択は、どのような子育てをしたいのか、どんな子になって欲しいのかというような、母としての願いや母親自身の生き方や価値観とは無関係ではない。

育児のスタート点での授乳の方法とその後の育児態度とが密接に関係があるという指摘もある。自分に合ったやり方を選ぶためにも、母乳育児とミルク育児のそれぞれの特徴を知ることは大切である。

まず、母乳育児からみていくと、母乳は医学的、栄養学的にすぐれていて、母と子の心身の両面にとって良いこと、自然であること、経済的なことなどが指摘されている。ミルクの母乳化が進んだとはいえ、母乳に含まれる‘生きた細胞’や免疫抗体、それによる抗アレルギー作用などは人工的に作れないものである。

母乳育児の特徴として、‘乳を飲まない吸啜’comfort sucking)がある。これは、母乳の出ないおしゃぶりのような吸い方で、赤ん坊の‘吸いたい欲求’を満足させてくれる。また、飲んだ量か分からないのも母乳育児の特徴であり、母親にとっては、不安な面でもあるが、赤ん坊からみれば、その時々の食欲に応じた飲み方ができるというメリットになっている。

母乳育児のデメリットは、母乳が出るようになるまで努力を要する、授乳を別の人に代わってもらえない、長時間授乳しないとお乳が張って苦しい、授乳回数が多い、仕事の合間に搾乳が必要となる、夜間も授乳しなければならない、母親の衣服が制約される、などがあげられる。

ミルクによる育児のメリットは、母親に代わって別の人がミルクを与えられることである。母親が仕事を持っている場合、母親が病気のため授乳できない場合などに便利である。また、父親も育児に参加しやすい。母乳が少し足りない時に、ミルクを足して混合栄養もできる。

母乳育児と違って赤ん坊の飲んだ量が分かることは、母親にとって安心である。反面、時刻や量などを意識するため、よその赤ちゃんの哺乳量やミルク缶の標準量と比べがちになる。哺乳量が少ないと、母親は不安感を持ちやすい。

 

 

 

X.最近の動向

1.母乳育児の援助

産科医療従事者をはじめとして、専門家が母乳育児を援助する場合、大まかに分けて2つのやり方があるように思う。

ひとつは、ノルウェー的なやり方。これは母乳至上主義的ともいえるもので、全国的なプロジェクトで病院関係者、母親たちのボランティアグループの協力でおこなわれている。近年の母乳率は、生後1週間ではほぼ100%、生後3ヶ月では約80%である。ノルウェーでも母乳促進連盟が発足した1968年頃は、欧米の国々と同様に母乳率は20%ほどだった。産院も母子異室や時間決め授乳が普通だったが、WHOとユニセフの母乳成功の10ヶ条にそって推進がすすみ現在に至っている。

もう一つは、アメリカ的なやり方。これは、母親にあらかじめ、赤ん坊を母乳で育てたいのか、ミルクで育てたいのかを聞くやり方である。母乳を希望する場合には、母子同室か、何時間おきか、24時間母乳だけにするかなど、細かく要望を出す。専門家の役割は母乳育児とミルク育児のそれぞれの長所と短所を知らせ、母乳育児を希望する人には、必要な情報や援助を提供するというものだ。これは、母乳かミルクかの選択は、基本的には母親がするものという考え方に立っている。

 

 

2.従来の乳房管理への反省

1936年(昭和11)に加藤式無痛乳出法が発表され、その後も、いくつかの乳房に対する手技療術が発案された。それらは助産婦学校でも教えられ、緊満した乳房に温湿布を施し、なでる、揉むなどの操作をおこない、乳管の開通を促すなどの処置は必要とみなされていた。

その影響もあって、今なお、多くの産科医療従事者に「乳房が張らないと母乳が出ない」、「おっぱいをためて飲ませる」といった古い母乳認識が根強く残り、それが、妊産婦にも伝わっている。

ところで、母乳分泌のメカニズムがはっきり解ってきたのは、ここ20〜30年のことである。現在では、母乳分泌と新生児の吸啜刺激との関係は、母乳育児の専門書や定評ある一般向けの本にも明記されている。

これにともなって、産科医療従事者から、緊満した乳房に対するマッサージは、痛みを与え、産婦を苦しめていたのではないかという反省が出ている。母乳育児の援助を積極的におこなっている産院では、母子同室を取り入れ、早早期授乳をしているため、ひどい緊満が見られない。さらに、頻回授乳だけで母乳分泌がよくなることが、体験的にわかってきたためである。

 

 

3.従来の新生児管理の見直し

従来の母子異室制での新生児管理では、ルーチン化されたスケジュールでブドウ糖水やミルクが与えられている。しかし、これは、新生児の意識レベルの状態からみて無理があることや、医学的に問題のない成熟新生児には必要ないことがわかってきた。

また、母子同室の赤ん坊の方が感染症にかかる率が低いこと、泣きが少なく消耗が少ないことなどもわかってきた。このようなことから改めて母子同室の利点が見直されている。

近年、出生直後の新生児の「はっきり目覚めた意識状態」(注3)「刷り込み現象」がわかってきた。そのため、生後30分以内に母親のおなかにのせて乳首を吸わせることが、母乳育児の成功のために大切とされている。

一方、母親にも、哺乳類の母親に特有の母性感受期と呼ばれる期間があることがわかり、出産後の母子を離してはいけないことが認識されるようになってきた。

 

 

4.産科医療従事者からの反省

1992年から、「日本母乳の会」主催のシンポジウムが毎年開催され、産科医、小児科医、助産婦、保健婦、看護婦、母乳育児支援グループ、母親たちもまじえて、母乳をめぐる医療への反省や実践報告がおこなわれている。

会員の産科医から、母乳育児ができないことは産科医療の問題だと明確に指摘されていることは注目される。母乳育児の援助は、母乳を出すための環境づくりが大切であり、不必要な医療の介入はすべきでないという意見も多い。

従来の産科医療従事者からの一方通行的な医療に代わって、妊産婦のニーズや要望に応えていく医療の必要性も指摘されはじめた。そして、インフォームド・コンセント(説明と同意)は、赤ん坊の栄養方法などに対しても必要と考える医師や助産婦が増えてきたことは、新しい動きとして注目される。そのためのひとつの方法として、後述する「バースプラン」をあげる医師もいる。

 

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注3

新生児の出生直後の覚醒状態(quiet alert)

30年以上前に発表されたが、はっきりわかったのは1981年。出生直後の45〜60分の間に、静かにじっと目をあけて、はっきり目覚めた意識のはっきりした状態。この状態は1時間も続かず、意識レベルが低下して朦朧となり、急速に眠りに落ちていく。この状態は、母親の乳首を本能的、反射的に吸うため、‘刷り込み’という意味からも、はじめて母親の乳首を含ませるのに適している。また、母親の母性感受期と時を同じくするという指摘もある。

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第三章 母乳育児を阻む要因の倫理学的検討

 

一般に、産院では母乳に限らず、出産に関しても医師に任せればなんとかなるだろうといった妊産婦の姿勢が目立つ。

このような医師と妊産婦の関係は、いわゆるパターナリズムとお任せ医療の構図になっていると考えられる。

まず、この問題を倫理学的に検討するために必要なバイオエシックスの原則や考え方をあげてみたい。

 

T.倫理学的検討のために

1.バイオエシックス(生命倫理学)のおこり

バイオエシックスは、ギリシャ語のビオス(生命)とエシィケー(倫理・習俗)との合成語であり、1960年代後半からアメリカで使われ始めた。バイオエシックスとは「特定の共同体や特定の伝統やイデオロギーにまたがって正当化されうるような理解を発見する試み」とされるように、各共同体あるいは各人の価値観が多様であり、一致しないからこそ必要とされる普遍性をもつ規範といえる。

 

バイオエシックスの成立とアメリカにおける一連の社会運動は関連が深い。1950年代に入ってからの公民権運動に始まり、1960年代に女性解放運動や消費者運動、反戦運動など人権を護る運動が活発化した。それにともない、社会的な弱者がいろいろな分野で自らの権利を主張しはじめ、医療の場では、治療者に対する患者の権利主張がおこった。

それまでの医療における医療行為は、病める者の救済を目的とし、医療それ自体が善だと考えられていた。医師は患者に代わって価値判断を下し、患者はそれに従った。従来の医療をめぐる倫理的考察は、もっぱら、医師という専門家集団内部の職業倫理のあり方に向けられ、素人にとって不可侵であった。

1970年代のバイオエシックス成立以後は、医療の問題を、提供者である医師だけの問題ではなく、看護者をはじめ他の医療従事者や受益者である患者やその家族にもかかわる問題として認識されるようになった。さらに、医療行為の倫理性そのものが問題にされ、医療を哲学や法学、経済学などを含む学際的な広い視野でとらえ直す動きとなっていった。

 

 

自律尊重の原則と恩恵の原則

バイオエシックスの根底には、自律(autonomy)と恩恵(beneficence)という2つの原則の緊張関係や葛藤がある。これらの原則では、「患者の最大の利益を追求する」という倫理上の目的は同じだが視点が異なる。

 

自律尊重の原則は、英米の法や哲学が主な出発点で、患者の最大の利益を患者の視点に立って、患者の考えにそって解釈するものである。すなわち、個人の信念や価値、権利に干渉しないこと。また、それらの表れである選択結果に他者は制約を加えるべきではないというものである。医師の責務は、患者の自律的な選択に干渉するのではなく、専門的な技術や知識が許す範囲内でその実行を援助することである。

恩恵の原則は、ヒポクラテスの誓いにみられるような医の倫理に端を発し、患者の最大の利益を医学的な視点から理解しようとするものである。医師の責務は‘患者のために善いことを為せ、少なくとも害を与えるな’である。

この場合、何が患者にとって有益かという判断は、基本的に医師に委ねられるというのが「医師の裁量権」である。医療の専門職としての医師のこの権限は、医師側の自己決定権にほかならない。

 

現代社会では、価値観の多様化にともない、単なる医学的判断だけでなく、その他の判断も求められるようになってきている。つまり、医療者が患者にとって最善とみなすことと、患者が実際に望んでいることが、必ずしも一致しない。このため、医師と患者関係の基本原則として、自律尊重の原則が重視される傾向が強まっている。

 

 

3.パターナリズム

パターナリズムはバイオエシックス成立以前は、アメリカにおいても医療の基調になっていた。ラテン語の父(pater)に由来し、父権主義、温情主義などと訳される。世間知らずで分別のない無力な子ども、すべてをわきまえ、子どものためになることを何でも決めてやれる絶対的権威を持つ父親というイメージを、患者と医師の関係に置き換えたものである。医師が患者のためを思っておこなう医療上の決定や指示に、患者は従順に従うべきであるというのが医療パターナリズムである。

 

パターナリズムは自律尊重の原則が恩恵の原則によって無効にされることであり、自律autonomy)の侵害と同義である。自律には、自己決定、主体性、自由などの意味が含まれる。

これに対して、自己決定を尊重する考え方を反パターナリズムといい、その哲学上の古典は、J.S.ミルの『自由論』である。彼はこの著書の中で、個人の自律に干渉することが許される唯一の正当な根拠は、他の人に弊害を及ぼすことを防ぐことにあると結論づけている。これは、「他者危害の原則」と呼ばれるものである。

ミルの自由の概念は、@判断力のある大人なら、A自分の生命、身体、財産などあらゆる〈自分のもの〉にかんして、B他人に危害を及ぼさない限り、Cたとえその決定が当人にとって不利益なことでも、D自己決定の権限を持つ、という5つの要素にまとめられ、自由主義の原則となっている。

要するに、パターナリズムとは、対応能力または責任能力がある大人に対しておこなわれれば、‘おしつけ’や‘おせっかい’に近いニュアンスなのである。

ただし、乳児、年少児、生まれつきの重度精神障害などのように、対応能力を持たない者に対する場合にはパターナリズムは正当化される。

ところで、日本の文化の深い体質がパターナリズムという概念をまるで空気のように見えなくしてしまうといわれる。このため、病院へ行って待合室で待っているだけで、診療を受諾したことになってしまう雰囲気が日本ではいまだにある。

 

 

4.インフォームド・コンセント

インフォームド・コンセントはバイオエシックスの基本的な原理の1つであり、パターナリズムと対置されるものである。

インフォームド・コンセント(情報を与えられた上での同意)とは、病名や病状、その治療などについて、医師は患者にわかる言葉で説明し、患者は十分に理解した上で自分の意志で同意することである。

 

日本では、単に医師が患者に必要な説明をして、同意を得るという浅い意味で用いられる傾向にあるという指摘もある。インフォームド・コンセントは、患者によく説明してくれる親切な医師という医療エチケットとは基本的に違う。医師と患者が一人の人格として相対し、患者は医師の専門性を尊重するとともに、医師は患者の自己決定権を尊重し、共同して医療上の意思決定をおこなうことが要請される。

 

インフォームド・コンセントが医療の場で要請される背景のひとつに、疾病のあり方やそれに伴う生命観の変化があげられる。つまり、死因が感染症から成人病(生活習慣病)へ移り、生きるか死ぬかではなく、どのように生きるかという「生命の質」が医療目的になってきた。それにともなって、慢性疾患の治療には、複数の治療法からの選択や長期にわったって病気とともに生きることがせまられるようになってきた。そのため、患者自身が医療に参加することが不可避となってきたのである。

 

ところで、インフォームド・コンセントの倫理的基礎は個人の福利と自己決定である。どのような医療が自分の身体に対して加えられるかを自分で決定することは、自らの生き方を自ら決定するという思想に基礎をもっている。この思想は、近代の哲学者たちが「自由」、「自律」、「自己決定」という言葉で説き続けてきたものである。

なお、近代西欧における自由をめぐる議論には、大別して「干渉の不在」というネガティブな意味での自由と、「自己支配」というポジティブな意味での自由があるという見方がある。

前者を代表するのはJ.S.ミルで、彼は「自分自身に対して、つまり、自分自身の身体と精神に対して、個人は主権者である」と述べている。後者を代表するのはカントで、彼は自己立法とそれへの服従を「自律Autonomie」と呼んだ。

 

このような視点からみると、インフォームド・コンセントの原理の基礎は、ポジティブな自由の概念にあるとされる。なぜなら、「干渉の不在」というネガティブな意味での自由を強調する見方は、他人の関与をもっぱら排除しがちになるからである。

医療の場での主役は患者であり、患者の自己決定が中心におかれなければならないが、実際には患者ひとりではどうにもならない。つまり、患者の自己決定が実現されるためには、それを求める患者と、それに応える医師がひとつの共同体としての共同意志を形成することが必要である。

 

 

5.医療行為とインフォームド・コンセント

インフォームド・コンセントは、注射や投薬、検査、手術、処置など、ほとんどすべての場合に必要である。

たとえば、注射という医療行為を考えた場合、肉体に侵襲を伴う。つまり、それだけを取り上げると傷害行為で違法になる可能性がある。それが違法でなくなるためには、それが「適正な医療行為として認められていること」と「有資格者によっておこなわれること」が従来の要件であった。

インフォームド・コンセントでは、さらに、「治療を受ける患者の同意」と「同意の前提をなす医師の患者に対する説明」が必要となる。

 

この場合、説明を求めることは患者の権利であり、医師には説明するか否かを裁量する権利はない。ただし、患者がすべての決定を医師に委ねる場合と緊急の場合は、患者の同意を得ることなく、医師の裁量だけで治療などが許される。患者自身が意志決定し表明する能力がない場合は、患者の利益をもっとも適切に代弁できる近親者などの代理同意が必要である。

 

 

6.完全義務と不完全義務

完全義務とはその遂行が強制される義務であり、例外なしに守らなければならない。これは‘せねばならぬこと’であり、拘束的善行である。他者に対する完全義務を規定するのは、ミルの「他者危害の原則」であり、カントの「偽りの約束を絶対にするな」である。

不完全義務とはその遂行がだれも強制されない義務であり、例外も認められる。たとえ遂行されなくても他者に対する迷惑ですむ。これは、‘した方がいいこと’であり、功績的善行(慈悲、慈善)である。他者に対する不完全義務はカントの「困っている人を助けよ」である。

インフォームド・コンセントの場面を例に考えると、医師は患者の自己決定権を尊重する、そのための情報を開示する、患者の同意を得て医療行為をおこなうなどは完全義務である。

それは、患者によく説明してくれる親切な医師という医療エチケットというレベルの問題ではなく、医師が好むと好まざるとにかかわらず求められるものである。医師がこれを怠たった場合、与える弊害の度合いに応じて倫理的、法律的に責任を問われることになる。

なお、説明の際、時間をかけてわかりやすい言葉で説明してくれることは、患者にとってはありがたいことである。つまり、医師は親切で思いやりがあるほうがよい。このような良さは強制されるものではなく不完全義務である。

 

 

 

U.母乳育児を阻む要因の倫理学的検討

 

1.医師と妊産婦の関係

お任せ医療では、患者はもっぱら受け身の姿勢となり、専門家である医師に裁量を託す。

このため、パターナリズムとお任せ医療は裏腹になりやすい。その原因として、次のようなことがあげられる。

@医師と患者の力関係

A医師と患者の認識のずれ

B患者の無知や情報不足

 

医療という特殊な場で、医師と患者は専門家と素人という関係であり、知識や情報量及び状況をコントロールする力の差は歴然としている。また、伝統的に医師に対しては尊敬に似た気持ちもあり、対等にはなりにくい。その上、産科では‘男対女の関係’で二重に縛られ、女は黙って従うべきという雰囲気がいまだにある。

また、パターナリズムは、受け手の側に甘えや卑屈さがあると、スルスルと内側に居座ってしまうものだという。つまり、妊産婦の‘産ませてもらう’という姿勢がパターナリズムを許容しているともいえるのである。

もともと、医師と妊産婦の間には意識のギャップがあるという指摘もある。医師は職業意識からクールに見ているのに対し、妊産婦は医師がなんとかしてくれるだろうとホットに頼る傾向にある。そして、男と女、産まない性と産む性という違いもあって、医師と妊産婦では出産や母乳育児への思い入れの度合いも必然的に違ってくるのである。

さらに、妊産婦の母乳に対する認識不足や情報不足は、彼女ら自身の自律を内的に制約する原因となる。つまり、「自治」に不可欠なものに欠けるのである。「自治」とは、他者や自分自身の制約条件に妨害されることなく適切な知識や理解をもって自分自身を築くこと、すなわち自律である。

まさに、妊産婦は、H・Tエンゲルハートのいう「患者は不慣れな環境の中に置かれ、何を期待しどのように環境をコントロールしたらよいか解らず、暗黙のうちにパターナリズム的なケアーを要求する」という状況に置かれているのである。

 

ところで、日本の多くの医師は、結果さえよければ説明は必ずしも必要でないという認識を、今なお持っている。そして、現実の医療の場では、医師も患者も、患者の自己決定を求めている人は少ない。

日本医師会生命倫理懇談会「『説明と同意』についての報告」では、医師の裁量権を温存させようとする意図も働いているという指摘もある。つまり、日米の歴史的、社会的背景の違いを理由にあげ、アメリカのやり方をそのまま取り入れることに対して、医師会の姿勢は消極的である。そして、患者にもいろいろなタイプがいるから、求める人に応じればよいとし、さらに、従来の日本的な‘何も言わなくてもわかる医師と患者の関係’、いわゆる‘あうんの呼吸’を捨てがたいとみているのである。

ちなみに、アメリカでは、70年代の消費者運動の影響をもっとも受けたのは産科だといわれている。医療に管理されすぎた出産を見直そうということから、助産婦による出産もおこなわれるようになった。また、お産や臨終などの人生の場面は医療に委ねまいという意識も強い。

なお、アメリカでは、患者の権利意識が高いことや訴訟社会ということもあって、深刻な医療問題をかかえている。例をあげれば、産科医の70%が過去に訴えられた経験を持ち、敗訴に備える保険料の支出が収入の20%にもなる。そのため、産科の診療を停止した産婦人科医は24%にものぼる。そして、産科医は防衛的医療になりやすい。訴えられた場合に備えて、必要以上に検査をし、安全のための帝王切開も増加する。それが医療費の高騰を招く原因ともなっている。

 

 

2.産科医の義務

産科医にとっての完全義務は、‘少なくとも害を与えるな’という原則の上に立って、妊娠、出産そして産褥を通して母体と胎児、あるいは新生児の健康に配慮すること、医学的障害があれば取り除くことである。

この義務が遂行されなかった場合、例えば、医師の不適切な処置によって母親や児が死亡したり、なんらかの障害が残ってしまったりなどがあれば、医師は責任を問われることになる。

産科医にとっての不完全義務は、妊産婦や新生児が快適な入院生活を過ごせるための配慮である。いうなれば、義務ではないが、‘してくれればありがたいこと’である。

母乳に関して言えば、母乳をホルモン剤で止める場合や乳腺炎の治療など、医学的な関わりは医師の完全義務と考えられる。

現状では、母乳育児は産科医にとって不完全義務にあたる、と考えられている。なぜなら、母乳育児は本来、生活や風俗に属するものであり、医学ではない。また、母乳で育てることは他から強制されたり、無理に奨められたりするものではなく、ミルクによる育児も選べるからである。

つまり、人手と時間をかけて母乳育児ができるようにしてあげることは親切であり、サービスが良いということである。たとえ、母乳育児の指導をしてくれなくても、不親切な病院ということで済んでしまうのである。

以上のことから、産科医は基本的には母乳育児には責任を持たないと考えられる。しかし、母乳分泌は出産に続くプロセスであり、入院中に起こるものである。新生児の哺育という面からも、産科医には最低限の責任があるはずである。

 

ここでは、母乳育児という言葉は漠然としているため、「出産後の新生児の取り扱いと哺育に対する母親の意思の確認」と、「母乳育児の援助」とに分けて考える必要があると思う。前者は母乳育児の希望の有無にかかわらず、すべての産婦に関わる問題であり、後者は母乳育児を希望する産婦に関わる問題である。

前者に関していえば、「産院の用意したやり方で赤ん坊を別室に預かってよいか」、「赤ん坊にミルクを与えてよいか」と、産婦に聞いてからおこなうことは、完全義務に近い医師の責任といえる。

さらに、産婦が母乳育児のために、母子同室や早期授乳などの具体的な要望を出した場合、産科医は「そんなに母乳にこだわらなくてもよい」と言って、水をさしたり、話題をそらしたりするべきではない。産婦の要望に耳を傾け、産院の運営に差し支えない限り、それに応えるべきである。

その理由としては、まず、自律尊重の原則からみて、表明された意思は尊重されなければならないからである。さらに、医師は個人の価値観や選択結果に干渉や制約を加えるべきではないからである。産婦や新生児に医学的な問題がない限り、産後のすごし方や哺育の方法は、産婦の希望によって選択の余地があってよいものである。母親にことわりもなく、なかば習慣的に日常の業務の流れとして新生児を扱うべきではないのである。

次に、‘少なくとも害を与えるな’という原則に反するからである。出産後の母子分離が母乳育児を希望する産婦と赤ん坊にとって、阻害要因となる可能性がある以上、産婦の意思を確認せずに産院の決めたやり方を押しつけることはすべきでないのである。

後者の「母乳育児の援助」に関しては、医師自身の母乳育児に対する考え方、産院経営や妊産婦に対する姿勢、もっと言えば職業的良心のようなものによって、さまざまな向き合い方があるといえる。つまり、母乳育児の援助を積極的にするかどうかは、医師の方針にゆだねられていると言ってよい。

しかし、あらかじめ、妊産婦が母乳育児を指導して欲しいと意思表明をしたり、具体的な要望を出したりして、医師がそれを請け負ったとすれば、その要望に応えることは、完全義務に近いものとなると考えられる。したがって、母乳育児に関する情報の提供や乳首の準備に関してもアドバイスすることが必要となる。

要するに、産科医に求められる母乳育児に対する最低限の義務は、産科医療が母乳育児に与える影響の大きさを知ることではないだろうか。つまり、出産後の数日間が母乳育児にとって重要なこと、医療が作り出している授乳困難や吸啜障害があることを認識することである。そのために、産科医は母乳育児の援助を積極的にするかどうかにかかわらず、母乳育児に関する新しい知識を学ぶことが求められる。

 

 

3.妊産婦の権利と義務

「母乳育児の援助」は、産科医にとっての不完全義務とすれば、現状では、妊産婦が‘お任せ医療’を続ける限り、母乳育児に理解ある医師にめぐり合うことは運、不運というような不確実なものだという見方ができる。

お任せ医療における妊産婦の責任として、第一に、母乳育児を希望する妊産婦自身が、母乳育児のことを知らない。第二に、母乳育児を指導してくれるのだろうと期待し、医師に母乳育児の希望を表明していない。第三に、妊産婦自身が暗黙のうちにパターナリズムを許容している、などがあげられる。

妊産婦が専門的なことを自分にはわからないこととして、医師や産院を頼ってしまうことは、主体性のある行動を取れなくしてしまう。また、母乳育児を希望する妊産婦は、「母乳育児をしたい」ということを、言葉ではっきりと医師に伝えなければ、思っているだけでは顧みられないということを認識しなければならない。

前項でも述べたように、母乳育児の援助は産科医からみれば、食事を良くする、設備を豪華にするといったサービスと同レベルなのである。提供した医療やサービスが不評ではなく、さらに、二人目の出産も自分の産院でしてくれれば、そのやり方でいいと医師は判断するだろう。「母子異室にされたから母乳育児ができなかった」「母乳育児の指導をしてくれないから、次回は産院を変える」というクレームが出なければ、現状の母子管理を見直す必要もないだろう。

要するに、お任せ医療における問題は、妊産婦が‘自分は主体である’こと、さらに、‘自分の権利’を自覚していないことなのである。その権利とは、「自己決定権」であり、「決定したことの実行を妨げられない権利」である。自己決定するべきものは、「自分はどうしたいのか」ということである。母乳育児を希望する妊産婦の責任は、思っているだけではなく、その意思を言葉で伝えることである。いうなれば、母乳育児の援助は表現されてはじめて尊重される「弱い権利」なのである。

したがって、母乳で育てたいと希望する妊産婦は、主体的に母乳に関することを勉強し、‘母乳を与えること’を意識的にとらえる必要がある。そして、母乳育児の支援システムの整った産院を選ぶなり、後述するようなバースプランを提出して、積極的に医師に働きかけていく必要がある。

 

 

4.助産婦の義務

助産婦は、正常分娩の介助および正常な経過の妊婦、褥婦(じょくふ)、健康な新生児の保健指導を独自の判断でおこなえる。そして、助産所を開設できるなど、他の看護職に比べて独立性がある。なお、新制度の助産婦は看護婦資格もあるため、看護業務もおこなっている。

ところで、戦後のGHQの医療改革によって、開業助産婦は勤務助産婦へと移り、助産婦の主体性は失われていった。開業助産婦の仕事は、昼夜を問わず自分一人の責任でおこなう。医師が責任者である産院で、交替勤務の助産婦とは、その責任の重さは比べようもない。主体性にも影響するのは自然の成り行きといえる。

しかし、状況は変化しても、やはり、助産婦は妊産婦や新生児のケアのエキスパートなのである。そこには、おのずと、医師や看護婦とは違った視点や妊産婦との接し方があっていい。つまり、産院勤務の助産婦こそ、母乳育児への理解と支援に関しては、はっきりとした自分の姿勢を持たなければならない。

なぜなら、家庭出産のころの助産婦がそうであったように、助産婦は新しく母親になった女性のかたわらで、気配りをする専門家でなければならないからである。それが助産婦の主体性といえるものではないだろうか。

そのためには、一方的に母乳はいいと奨めるのではなく、産婦の育児に対する考え方や生活環境に合わせた専門的アドバイスや情報提供ができることが、現代の助産婦には求められているのではないだろうか。

たとえば、知識がなかったり、誤解していたりする場合は、母乳育児とミルク育児のそれぞれの特徴を知らせる。そして、産婦の希望にそって、アドバイスや励ましなどの援助をするサポート役でありたい。

母乳育児に関する実際的な知識や情報を持つことは、助産婦にとって完全義務である。なぜなら、助産婦には、保健指導を業として開業することが許されるほどに、その独立性が認められているからである。その専門性を維持するための勉強や研鑽が求められるのは当然である。また、母乳育児に対する誤解や知識不足が、医師やスタッフにあれば、これを是正する努力は必要である。

 

 

5.乳房への接触に関するインフォームド・コンセント

日本では、「乳もみ、もみ療治」は男性のマッサージ師もおこなってきたこともあり、乳房への接触は比較的抵抗が少ないと考えられる。特に産科では、出産後の乳房への接触は、無造作に扱われる傾向があるのではないだろうか。ここでは医療従事者の完全義務として、乳房への接触や処置に関してのインフォームド・コンセントを考えてみたい。

 

1)乳房への接触

産院によっては、医師やスタッフが、出産後の乳房の張り具合や母乳の分泌状態を見るために産婦の乳房にさわったり、乳首をつまんで圧したりする。さらに、助産婦や看護婦が乳管の開通操作をしたり、緊満した乳房を揉みほぐしたりして母乳を出す(以下、マッサージという)産院もある。

マッサージ体験者に聞くと、処置の必要性や目的などの説明をせずに、「おっぱいどうかな…」といって触ることが多いようだ。医師が産後の診察の時にギュッとつかんで、その痛みと驚きで一瞬訳が分からなかったと怒りをあらわにした人もいた。私の出会った母親たちの2〜3割の人が、痛いマッサージを経験しているようだ。痛くて涙が出そうだったが、耐えたという人も多い。

彼女らの中には、「マッサージをしてくれた」「揉みほぐしてくれた」という言い方をする人がいる。つまり、マッサージは授乳しやすくするために必要な処置であり、‘看護婦は親切にもやってくれた’というとらえ方をしているのだ。かなり痛いはずなのに、‘我慢すべきもの’と医療者にも、産婦にも受け止められているところが、産科の乳房処置の特異なところではないかと思う。

 

 

2)インフォームド・コンセントの必要性

乳房マッサージは侵襲をともなわない医療行為であっても、産後の緊満した乳房に対しておこなえば苦痛を与える行為となる。そのため、医療者は処置を始める前に、その処置の必要性や目的、痛みを伴うこともあること、などを説明し、産婦の同意を得てから乳房に触れることが必要である。

一般に、同意を得ないで身体に触れることは、法律用語では、「許可を得ていない触身行為」(battery)とみなされる。

さらに、産婦が一度は同意しても、やっているうちに痛くてやりたくないと思ったら、続けて処置をおこなうことを断る権利もある。これは、他人の接触行為と介入を拒否する権利である。

乳房は、ふだんなら他人に見せたり、さわらせたりするところではないので、特に、男性の医師は、「お乳の張り具合を診ましょう」と言ってさわるべきである。その際、指でギュッとつかむと痛みを与えるので、手指をそろえて軽く押すようにして診るべきである。

ちなみに、アメリカでは、乳房マッサージの習慣はないため、マッサージと聞くとセクシャルな連想を与えやすい。同意を得ないで、女性の乳房にさわることは、特に無礼な行為とみなされる。ラクテーションコンサルタントが相談者の乳房のみならず、肩や身体の他の部分に触れる場合でも、医療訴訟を避ける意味からも‘同意を得ないで身体に触れること’は、すべきでないとされている。

 

 

 

V.妊産婦の権利と自己決定

1.選択肢の呈示

産後の母と子に必要なのは、医療(キュア)よりも、看護(ケア)である。産後のすごし方は、基本的には医学的に問題がない限り、母親のすごしやすいようにしていいものである。だからこそ、その部分のことに関しては妊産婦の意思が無視されやすいのかもしれない。

ところで、欧米では、母子同室を望むか、母乳で育てるか、赤ん坊の世話はどの程度まで自分でしたいのか、など細かく希望を出させる病院が多い。つまり、それぞれの母親の希望に添ってフレキシブルに対応され、一律な扱いをしない。

日本では、母乳を与えることを半ば強制する産院もある。他方で、母親に断りなく新生児にミルクを与えることも問題とならない。ガラス越しにしか我が子を見られないこと、自由に抱けないことなども、どこか変だなと感じつつ、言い出せない産婦は多い。

日本に長期滞在している外国人、それも欧米人はよく勉強しているため質問も多く、積極的に要望を出す人が多い。しかし、日本人の妊産婦はお任せが多く、ほとんど主張しない傾向にある。当然、外国人妊産婦には医師も一目置いている。

要するに、日本の多くの産院では、選択肢のあることが曖昧にされたまま過ぎている。選択をするべき主体、すなわち妊産婦が自分の意思を表明しないことが、その原因となっていることは明らかである。何も要求しない、クレームが出ないということは、それでいいと認めたと思われてもしかたがないのである。

そのような意味から、産科医療を消費関係の視点でみることが必要ではないだろうか。なぜなら、産科の医療は自費診療のため、妊婦検診料や出産費用も産院によって違う。産院の豪華さやサービスもまちまちである。一方、妊産婦が産院に求めるものも、自然出産から無痛分娩まで、多様になっているからである。

アメリカでは医療をサービスの市場と考え、医療側をサービス提供者、患者を消費者ととらえるのが一般化している。つまり、医療のあり方を決めるのは、よりよい医療サービスを求める患者の要求であるという考え方が主流となっている。日本の妊産婦も権利意識を持って、要望を医師に伝えていかなければ、医療は変わらないのである。

 

 

2.バースプラン(出産に関する要望書)にみる母乳育児

バースプランは日本では、まだ一般化していない。今のところ愛育病院などのように、外国人の出産が多い病院で取り入れられているにすぎない。

このプランを出して、産院側と事前に話しあっておくことは、相互理解やいざというときのゴタゴタを未然に防ぐという効用がある。というのは、産科では、入院期間が6〜7日と短いわりに、出産、赤ん坊の取り扱い、授乳など多くのことが集約されてしまうため、入院してからでは間に合わないからである。

 

一般的なバースプランの母乳と赤ちゃんに関する項目を抜き出してみると、

★生まれたらベビーをおなかの上に抱いて母乳を飲ませたい

★ベビーを了承なしに母親から離されたくない

★母乳以外のものを与えたくない

★ベビーの求めに応じて授乳したい

★母子の状態がよければ母子同室にしたい

 

これらは、‘母乳を自由に与えられる環境がほしい’、‘私のやりたいようにやらせて’という要望であり、決して母乳が出るようにしてほしいという他力本願の姿勢ではないことが注目される。母親の責任においておこない、病院側にはなんら負担や迷惑をかけないというのである。

ぜなら、母乳は基本的に疾病の治療とは違い、産婦は医師の知識や技術などの医療を必要としないものだからである。むしろ、ほっといてくれたほうがやりやすいのである。

これらの要望を母親が出した場合、医療側は、母親が疲れるからとか、母乳が出なかったらどうするのか、赤ちゃんの体重が減ったらどうするのかなど、‘あなたのために’という理由で干渉することは許されない。

なぜなら、ミルの個人の主権としての自己決定を重視する立場では、もっぱら自分に関わる領域、他人に危害が及ぶことのない領域で、自己決定した内容について、他人は愚かであるとか誤っていると忠告はできても、改めるように強制することはできないのである。これは‘一人のままにしておいてもらう権利the right to be left alone’でもある。

 

 

3.妊産婦の自己決定

‘自己決定’とは、自分の生き方を自分で決定し、自分の生活を自分で形成することである。これは新しい医療の倫理的基礎となっている。自己決定は自由であり、自律的な生き方に通じるものである。

生き方としての自由は、ミルの言葉を借りれば、「自分の性格にふさわしく生活を設計する自由」、「招来する結果を甘受する限り好きなように行為する自由」である。つまり、自由には、「選択の自由」と共に、「自分の行動に対する責任の受け入れ」という厳しい側面がある。

そう考えたとき、「妊産婦のお任せ医療」は自律的な生き方とは対極にあるものだとわかる。「知らなかったからできなかった」、「こんなはずではなかった」という不本意な生き方は、不自由な生き方といえる。

すでに述べてきたように、妊産婦の自律的な生き方を阻む要因として、外的制約となっているのは、従来からの医師と妊産婦の関係であり、内的制約となっているのは、医師への依存と知識不足であることは明らかである。

さらに、「自分はこうしたい」という自分なりの好みや価値観をもっているかどうかは、動機の程度や積極性にも関係する。

 

要するに、妊産婦の自己決定とは、適切な情報や知識を得て、自分や家族に合った子育てのスタートにつながるような医療を主体的に選択し、それを受けられるように医師に要望を出していくことである。

自分のライフスタイルや育児観に合った育児の方法を、出産の前から考えておく、さらに、その選択した育児法に向けて学んでおくことは、妊産婦の責任と言ってもよい。

そして、母乳育児を選んだ場合、漠然と思うだけではうまくいかないという現実、母乳が出るようになるまでの辛抱、母乳で育てることはある程度の制約もあることなど、母乳育児の特徴を知っておくことは最低限度必要なことである。

さらに、母乳育児は、黙っていては遂行されない「弱い権利」という認識にたって、主体的に医療側に働きかけること、それが母乳育児の自己決定といえる。

 

 

 

W.結論

自宅出産の時代には、妊産婦は特別に構えなくても母乳育児に入っていけた。しかし現代では、漠然と母乳育児をしたいと思っているだけでは成功しにくくなっている。母乳育児を希望する妊産婦は、実際的な知識を得て、意識的に取り組んでいくことが必要である。その一つが、出産後の早期から母乳を自由に与えられる環境を得ることである。

母乳育児に関しては、妊産婦の考え方や熱意の度合いはそれぞれ違う。そのため、産後のすごし方は産婦の希望に添うことが望まれる。特に、産科は疾病の治療をする科ではなく、出産や育児という人生の一場面に関わる科である。ひとりひとりの妊産婦の要望を中心に考えられていいのではないだろうか。

さて、妊産婦中心の医療で医師に求められるものは、個々の妊産婦の意思を尊重することである。つまり、医療者が良かれと思うことと、妊産婦自身が良いと思うことは、必ずしも一致しないという認識を持つことである。

妊産婦に求められるものは、主体性の回復と医療への主体的参加である。こんなはずではなかったという不本意な結果に終わらないために、権利の主体であることの自覚と消費者意識が必要である。

助産婦、とりわけ開業助産婦に求められるものは、妊産婦が主体的に医療に参加するための支援である。助産所業務をはじめとして、誰でもアクセスできる情報の提供や相談、勉強会、医師への働きかけなどは、ひいては助産婦自身の主体性の回復にもつながるものである。

 

新しい医療では、求める側の妊産婦は、医師の専門性を尊重する。それに応える側の医師は、妊産婦の生き方に基づく自己決定を尊重することが求められる。それは、双方が互いの人間性と自由に配慮することでもある。

実際の医療場面では、医師と妊産婦の話し合える状況と情報の共有がなくてはならない。そのために、出産までの期間に良い人間関係を作り、妊産婦は自分の希望や考えを医療側に伝えておく必要がある。

自分の考えに合った医師や産院を選ぶために、いわゆるインフォームド・チョイスがなくてはならない。産院は、その施設の医療サービスの内容、たとえば出産や母乳育児に関する考え方、産後のすごし方などを呈示する。妊婦はそれを知った上で、その産院で今後の検診や出産をするかどうかを決めるというものだ。

その際、産院の方針として母乳主義を掲げていれば、当然、母乳育児のための情報提供や援助は医師の完全義務に近いものになるだろう。母乳育児に力を入れていない産院なら、母乳育児を希望する妊産婦は具体的に要望を出し、医師の理解を得るように努めなければならない。理解を得られない場合は、他の産院に変えることも必要になるだろう。

‘何も要求しないこと’は‘産院にお任せします’と受け取られても仕方がないのである。医療のあり方を決めるのは、よりよい医療サービスを求める妊産婦の要求にかかっているのである。

 

 

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