自 己 紹 介

なまえ

MIYAさん

出身地

北海道函館市

現住所

北海道函館市

生年月日

1961年1月3日

家族構成

妻、兼財務大臣1人

職業

ごく普通の会社員

趣味

釣り、山菜取り、魚拓製作、木工製作、旅行、読書

映画鑑賞、家庭菜園、温泉めぐり、ラーメン店めぐり

 魚釣りは小学校3年生に頃から始めた。今では巨大化した函館港町埠頭であるが、当時はこじんまりとした小さな埠頭で有川埠頭と呼んでいた。家からは自転車で通い、サバ、サヨリ、カレイ、アブラコ、シマダイを釣って楽しんでいたのが中学生まで続いた。高校に入るとパチンコ、マージャン、競馬、競輪にすっかりのめりこみ、釣りからはすっかり遠ざかってしまった。高校を出て勤めるようになってからは自由に使えるお金が増えたため、賭け事に加え自動車、バイク、お酒に給料のほとんどをつぎ込む毎日であった。

 23歳で今の妻と結婚してからはもらってきた給料は完全に妻の管理下となり、徐々にお金のかかる道楽が減り、それに代わって釣りに対しての情熱が再燃してきた。そんなわけで結婚後のメインの趣味は海、山問わず釣りに走り回る生活でした。釣れなくても楽しい、釣れると尚楽しい釣りが仕事への情熱をも凌駕していました。

 30代になっても釣りに対しての情熱は衰えることが無く、ますます釣りにのめりこむようになって来た。秋には朝まづめに鮭を狙い、その後に午前中はチカ釣り、午後からはヤマベ釣りをしながらのキノコ採り、夕まづめにはまたしても鮭狙い。日がどっぷり暮れてからはイカ釣りをして、最後にその地区で温泉にゆっくり浸かって帰宅。帰宅後は釣れた魚をさばいて調理し、おいしくお酒をいただいた後にようやく就寝。一日20時間もの労働?でもまったく苦にならず、疲れも知らない状態でした。また、30代の半ばには自分の才能の無さをようやく知り、一切の賭け事から足を洗いました。

 40代になってようやく疲れを知るようになり、釣行回数、釣行時間共に減ってきました。体のほうも若い頃の暴飲がたたったのか痛風で定期的に病院通い、また2度の椎間板ヘルニアの手術で足のしびれと共にどうしても左足にちからが入らないため、急流河川での渡渉、源流歩き、磯釣りでの岩場上り下りでうまくバランスがとれず何度か危ない目に遭ったりしました。それでもめげずに釣りを続けています。でも、最近ではインドアで木工製作や家庭菜園作りにちからを入れています。

 

                                  

 

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