黒源太清光の要害城だった谷戸城 |
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06/10/08、谷戸城に行ってみました。
谷戸城は、黒源太清光の要害城(合戦の時にたてこもる城)だったところですが、
武田勝頼自害の後、北条氏と徳川氏が争ったとき、北条氏直が谷戸城に入城して、
現在の形に修復したものです。
城内の案内が『東三の丸』と『武者走り』しかなく、
大泉町歴史民族資料館の模型と一致していないのですが、
こんな感じだということは、分かると思います。
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谷戸城模型(大泉町歴史民族資料館蔵)
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この辺りが一の郭? |
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| 天正壬午の戦いの頃の谷戸城跡からの出土品(大泉町歴史民族資料館蔵) |
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| 青磁破片 |
内耳土器 |
土鍋片 |
砥石 |
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信玄が戦勝祈願した逸見神社 |
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06/10/08、八ヶ岳神社に行きました。
現在、逸見神社は
大泉谷戸字御所1142にありますが
かつては、現在地の東方逸見山南麓にあったという。
昔からあった神社だが、逸見清光以来
逸見氏の守り神となったため、
逸見神社という名前になったとのこと。
永禄年中、信玄が信濃攻めをしたおり、
戦勝祈願をして、黒印神領2石7斗5合と
社地2千4百坪を寄進したそうです。
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| 本 殿 |
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神楽殿 |
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信玄が戦勝祈願した八ヶ岳神社 |
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1540年、信玄が村上義清との海尻城合戦に備え、
戦勝を祈願して八ヶ岳神社に
矢三筋を奉納しました。
これは、神社の案内板にあったのではなくて、
大泉町歴史民族資料館の年表にあったものです。
後の逸見神社への寄進と比べると
かなり軽目だなと思ってしまいました。
06/10/08に、八ヶ岳神社に行ってみると、
氏子さんと思える人たちが、
神社のお掃除をしておられました。
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| 本 殿 |
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神楽殿 |
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