【序説】


――第三次戦国時代。

 それは神州国・天乃華学園にて、《武神》と呼ばれた少女たちが互いの覇権をかけ、領土紛争に明け暮れた戦乱の時代――その終結期である。





穢土――天乃華学園 学園長室。

 その日、天乃華学園学園長である北条早雲(ほうじょう そううん)が、自らの執務室で先ず目にしたのは、同性の乳を揉む娘の姿だった。

「やぁ母上、邪魔してるぞ」

「……おはようございます、先代」

 来客用のソファーにふんぞり返り、短いスカートから延びた足をテーブルに投げ出すのは、天乃華学園の現生徒会長、北条氏康(ほうじょう うじやす)。早雲の実の娘でもある。そして氏康の隣に腰を下ろし、両サイドからその胸を揉まれているのは、まだ若いが、年齢以上の風格を感じさせる成人女性であった。とは言え、同性からのセクハラを受けながらも、表情を変えることなく頭を下げる姿は、色々な意味で早雲を悩ませた。

「……小太郎、うちの愚娘がこれ以上婚期を遅らせない為にも、今後ははっきりきっぱり断りなさい。私が許可するから」

「御意」

 早雲の命令に頷くや否や、小太郎と呼ばれた女性は音も無く立ち上がり、その両の胸は氏康の手をするりとすり抜けてしまう。

「母上、誤解はやめていただきたいものですナ。別にアタシは自らの地位を笠に着て、小太郎にオパーイを揉ませろと強要した訳では断じて無いですヨ?」

「ええ、全く何の断りもなく、わしっと掴んでわしわしっと揉まれて、ついでにブラのホックも外されました」

「それはもう犯罪と呼ぶべきね……」

「てへぺろ☆(・ω<)  だってさー最近は朝倉も休みがちだしー、書記の子は彼氏ができたとかでよろしくやってるみたいだしー、つかあの乳はアタシが育てたんじゃー! それを何処の馬とも知れぬ男が揉んでしゃぶってあまつさえ挟んでいるとか考えたら――うわーん! 小太郎今すぐ傷心のアタシをその豊満な胸で包みこんでほしいんだナー!」

 小太郎の返事を待たず、氏康は胸元に顔を埋め、そのままフーハフーハ、クンカクンカと顔全体で乳房の感触を堪能する。その姿に早雲は、ただただ嘆息するしかない。

「……氏康、卒業してもその性癖を改めなかったら、問答無用で縁を切りますからそのつもりで」

 容姿端麗、文武両道、才色兼備の生徒会長兼モデルとして人気を集めるだけでなく、"相模の獅子"との呼び名が高い名君主。それが北条氏康と云う少女だ。
 政治的な思惑を抜きにしても、求婚する男性は後を絶たないと言うのに、当の本人は同性(の胸)にばかり御執心で、未だに異性の友人すら作らないと云う徹底ぶり。本人は否定しているが、早雲は今も娘が同性愛者ではないかと疑っている。
 ちなみに氏康が言う朝倉とは、生徒会副会長の朝倉義景であり、部下はおろか、越前を納める大大名にも氏康はセクハラを働いていたらしい。

 それはさて置き。
 早雲が娘の将来を危惧しながら席に着くと、机を挟んで小太郎が前に立つ。スリムな黒のパンツスーツを着ているが、白いブラウスに包まれた両の胸はそのボリュームを無言で主張していた。

「先代、どうぞご覧ください」

 小太郎が差し出したのは、A4サイズの紙を束ねた分厚い報告書であった。
 早雲は無言で報告書を受け取ると、一枚一枚じっくりと値踏みするように目を通しはじめる。数十枚にも及ぶ報告書を読み終えるまでの間、小太郎は直立不動で待機し、氏康は大して面白くもなさそうな顔で携帯電話を弄っていた。
 そして30分後――報告書を読み上げた早雲は、書類の束を机に置き、無言で待機している小太郎に声をかける。

「御苦労さま。よくぞここまで調べ上げてくれたわね、風魔機関長官――風魔小太郎(ふうま こたろう)」

「勿体なきお言葉。むしろ先代のご期待に添えぬ、我が身の非力さを痛感しております」

「いいえ、貴女たちは十二分に役目を果たしてくれたわ。おかげで先の見えなかった闇に一縷の光が差し込んだ気分よ」

「――ほう、何かありましたか、母上」

 小太郎を労った早雲の言葉に興味を示し、氏康が口を挟んできた。
 すると小太郎は僅かにバツの悪そうな表情を浮かべるが、しかしその理由については語る素振りを見せない。代わりに答えたのは早雲だった。

「例の事件の続きよ。私から風魔機関に調査命令を出していたの」

「例の――と言うと、"鴉"どもの襲撃かナ。それなら生徒会長たるアタシも無関係ではいられないナ……で、何が分かったんですか?」

「ええ、連中が何処からやってきたのか。学園の内外と穢土全土で目撃情報を集めさせたの」

 早雲が云う事件とは、二ヶ月前に天乃華学園で起きた襲撃事件を指していた。
 織田軍と武田軍が学園の《合戦場》にて激闘を繰り広げたその日、完全武装の集団が突如として《合戦場》に進入し、無差別の殺戮を行ったのである。その結果、学園生に多数の負傷者と一名の死者を出した前代未聞の事件。その残虐性のみならず、神州の支配者階級である《武神》が、《武神》以外の存在に殺傷させられたという事実は、神州の政治基盤を大きく揺さぶることとなる。
 故に学園長である北条早雲は私設部隊である風魔機関を使い、未だに犯行声明の一つも出さぬ武装集団の正体と、その手口について調査を開始していたのである。

「なるほど、それで連中は何処から来たと?」

「氏康さま、それにつきましては……」

「いいわ小太郎。私の口から話します。結論から言うとね――さっぱり分からなかったわ」

「――へ?」

 解決の糸口が掴めたと含みを持たせておきながら、実は何も分からなかったと早雲はきっぱり告げた。
 小太郎は申し訳なさそうに目を伏せるが、氏康は母がこのように回りくどい方法で部下を責めるような人間ではないと承知している。
 故に察する。「分からなかったこと」こそが解決の糸口だったのだと。

「では母上、当初の目論見が潰えたことで、選択肢は絞り込まれた、、、、、、、、、、――と?」

「ええ、あれだけのデカブツを日中に3機も飛ばしておいて、誰にも気付かれないなんて、そんな虫の良い話はないでしょうね。しかし学園都市やその周辺では目撃情報は集まらなかった……となれば答えはひとつよ」

早 雲は机の上に置かれていたノートパソコンを開き、そこに一枚の図面を表示させた。
 北東に広大な敷地を持つ円形の都市。中央の施設を幾重にも取り巻く都市区画には網の目のような通路が縦横無尽に走っている。

「鴉どもを乗せた航空機は全て、学園の敷地内から、、、、、、、、飛んできたのよ」

 早雲の発言に氏康は「は?」と間抜けな声をあげ、直後に「いやいやいや」と大仰に首を振る。

「それはいくら何でも無理があるナ? どうやったら10万人もの生徒や教職員の目を欺いて、あんな大きな鉄の籠を飛ばすことが可能ナんですかー?」

「先代、私もそれについては疑問を覚えます。目撃情報では30mほどの巨大な飛行物体との報告が寄せられています。そんな物を飛ばすのはおろか、持ちこむことすら難しいと思われますが……」

 娘と部下から即座を異を唱えられても、早雲が持論を撤回することはなかった。
 むしろその反応を待っていたかと言わんばかりに、愉悦に目を細める。

「……そうでもないわ。航空機は全て学内で建造され、それを山間の《合戦場》から飛ばしたと想定すれば、彼方達が主張する二つの不可能は覆されると思わない?」

「あははは、とうとう母上もボケてしまわれたナ? 工場も人もいない《合戦場》の荒れ地でどうやって、人を乗せる機械を組み立てる? まさかスゴ腕の妖精さんが森に住み着いていたとか……ですかナ?」

 嘲る物言いはしかし、直接的すぎて冗談にも聞こえなくはない。事実、氏康は本気で早雲がボケたなどとは思っていない。むしろ、その突飛な結論に至った経緯を早く話せと、期待を込めた目で早雲の返答を待っていた。
 ただの下級《武神》から一代で国持ち大名へと伸し上がった、下剋上の代弁者――北条早雲。
 幼少の頃から非凡極まるその知慧を垣間見てきた氏康にとって、早雲は母であり先生でもある。

「――いえ、ひとつだけあります」

 しかし氏康の問いに応えたのは、早雲ではなく小太郎であった。
 戸惑うような表情から、見い出した答えに確信を抱いていないことは一目瞭然であったが、回答そのものを否定することはできなかったのであろう。

「《合戦場》にて《地脈》の情報から大地そのものを作り変える、そのシステムを応用すれば――あるいは」

 小太郎の言葉に早雲は頷き、氏康は初めて――渋い顔を作る。
 冗談では笑い飛ばせない、そういう類の話であっただけに。

「荒唐無稽な話であることは承知しております。しかしあのように人の手を一切介することなく、大地を作り変えてしまう事自体が既に荒唐無稽の極み。ならば――」

 早雲の突飛な意見も否定しきれないと、小太郎は結ぶ。

「ありがとう小太郎。私の考えを代弁してくれて。さぁ――氏康、貴女の反論は?」

「『海の底には誰も見たことがない竜宮城がある』とでも言いだけな暴論ですナ。……ただ、厄介なことに否定しきれないけど」

「悪魔の証明ではないわ。あくまで消去法による可能性のひとつよ。ただ……これだけは覚えておきなさい、氏康」

 娘たちに背を向け、窓の外に広がる校舎を眺めながら早雲は告げる。

「この学園の長に就いて7年。幕臣どもが弱体化し事実上のトップに立った今も――私が知り得る学園は、全体のほんの僅かでしかない」

 自らの言葉を噛みしめるように言い放ち、早雲は空を見上げる。

「この学園のシステムの半分以上は未だ――《幕府》中枢が把握しているのだから」









第四十話 『駆りたてるのは野心と欲望』



【1】

天正10年11月――尾張国、清州城。

 秋も暮れ、日に日に冬の到来を感じつつあるその日。俺こと織田信長(おだ のぶなが)は穢土の天乃華学園を離れ、実家である尾張国清洲城に帰省していた。
 帰省と言ってもプライベートなものではなく、穢土にて織田家の軍事を司る重臣たちも付いて来ており、本拠地でもあるこの清州で、今後の戦略を決定する軍議を開くが為の帰省であった。
 とは言え、時刻は午後2時。昼食を終えて特に何の予定も入っていない時間帯。暇を持て余した俺は、妹の部屋に向かっていた。俺には三人の妹がいるが、内一人は他国の大名家に島流し――もとい嫁いでいるため、実家に居るのは二人だけ。この時、俺が向かっていたのは一番上の妹である織田信行(おだ のぶゆき)の部屋であった。
 本屋敷とは渡り廊下で繋がった離れ。そこが現在の信行の部屋である。離れが近付くにつれ、胸の奥では不安が霧のように立ち込めていた。
 信之が心を病んでしまったのは今から半年ほど前。
 織田家当主として天乃華学園武神科に入学したものの、そこでの領土紛争と当主の責務に押しつぶされた信之は心を病んでしまい、学園を退学。今も実家で療養を続けている。そんな信之がようやく外出できるようになったのは、つい一月ほど前の話だ。天乃華学園の学園祭にやってきたあいつは、心労が祟ってか到着後すぐに体調を崩してしまったらしい。

『兄さん――ごめんなさい』

 学園の救護室で久しぶりに顔を合わせた信行の、それが第一声だった。
 僅かにこけた頬、青白い顔に浮かべた笑顔の痛々しさが、今も脳裏に焼きついている。
 クソ真面目が祟って、身の丈に合わない事ばかり背負い込む――それが俺の知る信行という人間だった。だから肩の力を抜けと言ってやりたいのに、今のあいつにはそれすら重荷に感じてしまうのだろう。離れへと向かう廊下の前で、俺の足は無意識のうちに止まっていた。
 今日はただ顔を見に来ただけだ。けれど、そこでもしあの痛々しい笑顔を見せられたら――

「……らしくねぇな、俺も」

 迷いはすぐに晴れた。
 確かに重荷かもしれない。あいつに気を遣わせてしまうかもしれない。しかしだからと言って俺が――兄貴である俺が妹を腫れ物扱いしてどうなる。
 廊下を渡り、離れの襖に手をかけた。
 ノックはしない。その代わりに一言声をかけた。

「よぉ信行、入るぞ――」

 そして襖を開けた瞬間――

「だ、ダメーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 叫びながらこちらに走り寄ってきたのは、妹の信行だった。
 肩まで伸びた髪を揺らし、いつも困ったように微笑んでいた顔には涙を浮かべ、細く白い腕が俺の胸と激突する。その瞬間、むにゅんと変形して衝撃を受け止めたのは、俺の乳――いやもちろんダミーですよ? 俺男だし!――だった。

「はひゃぁ! い、今ふにゅんとした! ふにゅんって!」

「……とりあえず落ち着け信行」

「はわわ、に、兄さん!?  え? でも兄さんなのに何で胸がこんなに柔らかい……ってひゃあ! ご、ごめんなさい揉んだりして!」

 慌てて俺の胸から手を離し、ペコペコと頭を下げるのは――間違いなく妹の信行であった。
 ……思っていたよりも元気でしたね貴方。

「気にしてないからとりあえず顔を上げろ。俺の事情は聞いてるだろ? ……この胸はまぁ、そういうことだ」

 女子校である天乃華学園に通うために女装しています――言葉にするだけでも屈辱的なのに、最近はプライベートでも女装を強要されたりして、あなたのお兄ちゃんは今、割と深刻なアイデンティティクライシスに直面してますよ?

「……あ。そうでしたね……すいません、取り乱したりして」

「いや、分かってくれれば良いんだ。――つか信行、お前のその格好は何だ。ラブライブにでも出るの?」

「え――?  こ、これはその……・ち、違いますーーーーーーーーーーーー!」

 何処からどう見てもスクールアイドルなコスプレな服装を指摘された信行は絶叫とともに否定し、そのまま部屋の中央に敷かれた布団にダイビング! 頭から布団に潜り込んで身を隠す始末だった。

「いや別に似合ってるから気にすんな。お兄ちゃんはその手の趣味には寛大なほうですよ?」

「ち、違うんですー! わわ、私は好きでこんな服を着ているわけではなくてー!」

「そうやで、カードがうちにそう告げたんや!」

 タイミングを見計らったように、奥の襖がスパーンと開け放たれた。
 そこには仁王立ちして怪しげな関西弁を話す女が一人。信行と同じくどこぞのスクールアイドル風の衣装を着て、長い髪を首元で二つに結わえている。……いつもはツインのポニーテールなのにね。
 何よりも印象的なのは白いブラウスをこれでもかと盛り上げる二つの胸のふくらみ。リボンの色から察するにのんたんコスですね! ハラショー!

「うんうん、前々から絶対に似合うって思ってたんや。だからちょっとお願いして、かよちんのコスさせたらもう完璧すぎてな? あとは犬っちをまるめこんでにこにーを……」

「その発想自体には拍手を送りたいが、とりあえず人の妹で遊ぶな――荒木村重(あらき むらしげ)」

 かつて摂津国を支配した武神であり、オタクもとい趣味人としても名を馳せた女傑。
 荒木村重と云う名の彼女は現在、我が家の居候でもあった。





「いやーそれにしても、信っちの妹はんはみんな可愛くてええなー。噂では三人おるって聞いたけど、もう一人は今どこにおるん?」

「近江だよ。欲しけりゃくれてやるから持ってけ」

「お、ええの? 本気にしてまうよ?」

「構わねえよ。そんでもって二度と尾張に近寄らせないでくれると助かる」

 俺がついうっかり口を滑らせたお陰で、毎週のように帰省するようになった市を思い出し、俺は半分本気の冗談を返す。――と云うか、あれだけお膳立てしてやったのに、市のブラコンが全然改善されてないんですけど? 何やってんだ浅井長政ァ!
 市の部屋にて再開した村重は三杯目のおかわりを物ともしない図太さで、すっかり我が家の生活に馴染んでいた。つい一月前、彼女は俺に反旗を翻し――そして敗北した。傍から見れば裏切り者以外の何者でもないが、それは村重の本意ではなかった。親族を人質にとられ、自暴自棄な謀反を強いられた彼女を、俺は親族諸共この清州の地で保護していたのである。

「だからって人の妹で遊ぶな。――いや別にお前自身が楽しむのは構わない。つか積極的にやってくれ」

 特にその素晴らしい膨らみを堪能させてくれる衣装なら尚更にね! 例えばもぎゅっとなメイド衣装とかどうでしょうか。

「ひひひ、信っちはホントおっぱい星人やねー。当主の許可も得たことやし次は何着よっか、信行っち?」

「うう……私は恥ずかしいから、金輪際お断りしたいです……」

「いやいや、どれもこれもよう似合とったでー? ちなみに信っちからリクエストはあるん?」

「そうだな、高雄型重巡とかどうだ? できるか?」

「艤装は私が作るとして、衣装はお濃さんに頼めば二日で仕上げてくれるやろな。――大丈夫やで?」

「に、兄さんも、荒木様も私で遊ばないでください!」

 布団から顔だけ出した姿勢で抗議する信行。その首から下の衣装が拝めないのは残念だが、俺達に弄られておろおろする信行の表情からは、あの取り繕ったような笑顔も、痛々しさも感じられない。
 どうやら村重の私的なちょっかいは、本人の意思は兎も角として信行に良い影響を与えてくれたようだ。
 それに――

「ようやくいつものお前に戻ったな、村重」

 顔を合わせれば趣味の話ばかりして、互いの側近に怒られるのが当たり前の光景だと思っていた。村重が俺に反旗を翻したその時までは。
 反乱は直ちに鎮圧され、村重の《武神》としての未来は断たれた。他ならぬ俺の手によって。その処遇には何の後悔も抱いてはいない。より正確に言えば「そうする以外に彼女を助ける道が無かった」。
 そう――村重の反乱は決して彼女の意思によるものではなかった。家族や親族の安全を盾に、俺への謀反を強いられたことが後に明らかとなる。村重の叛乱が終結すると同時に、彼女の親類縁者は傭兵集団「雑賀衆」に襲われ、その幾人かは帰らぬ人となった。生き残った親族と共にこの清州に匿い、簡素ながら葬儀も済ませて――彼女はようやく肩の荷を下ろすことができのだろう。その瞳は喪失の悲しみに曇ってはいたが、陽気な声色からは前向きな意志を感じ取ることができた。

「――何時までも辛気臭い顔してられんしな。なんや信っち、今日はその話に来たんかい」

 期待を裏切られたと、わざとらしく口を尖らせる村重。
 このまま彼女と信行をダシにオタク話に耽りたい気持ちはあるが――その前に可能であれば訊きたい話もある。
 気を効かせて退席しようとした信行を留め、俺は友人ではなくかつて同盟を結んだ一大名として、村重に向き直る。

「ああ――そろそろ教えてもらえるか、謀反の真相を」

 村重は決して俺に逆わないと自惚れている訳ではない。野心を胸に天乃華学園に集った《武神》である以上、反旗を翻して対峙する可能性は誰にだってある。
 しかし村重が本気で俺に背くつもりであれば、もう少しうまくやっていた筈だ。援軍の当てもなくただ籠城するなどという自滅策を、この抜け目ない女が積極的に採用する筈もない。何より雑賀衆が叛乱終結後に村重の親族を襲ったこと自体、脅迫されていた証拠に他ならない。

「しゃーないなー。話すのは別に構わんけど、長い話になるかもしれん。だから……」

 時計をちらりと確認しながら、村重は言った。

「茶の一杯くらい、催促しても構わんやろ?」





「ごめんなさい、お待たせしましたー!」

 村重の催促を二つ返事で聞き入れた俺は、彼女をリビングに招いた。それから暫くして、エプロン姿の柴田さんが大きなお盆を手に姿を現した。
 お盆の上にはリビングに集まった人数分のお茶と、大皿に盛られた軽食。三時のおやつにしては量が多い気もするが、ここには常時腹を空かせた利家とか利家とか利家もいるので、余ってしまうことだけは無いだろう。

「いつもと違って大勢だから、お姉ちゃん張り切っちゃいました!」

 柴田さんの言う通り、現在このリビングには俺と柴田さんを含めて12人もの人間が集まっている。
 何れも織田家の政務を実質的に切り盛りする重臣ばかりで、俺にとっては気が置けない仲間達でもある。

「おおきに柴田さーん♪ うち、もう腹ペコやったん。うーーーーーーん、めっちゃ美味い!」

 大皿に盛られたサンドイッチを両手に取り、心底美味そうに平らげていく村重。どうやら本当に空腹だったらしい。満面の笑顔を浮かべて美味しそうに頬張っている姿を見ると、それだけで小腹が空いてきてしまう。

「喜んでもらえて嬉しいです。他の皆さんも沢山食べてくださいね」

 お世辞抜きで柴田さんの料理の腕を知らない者は、この場にはいない。村重の食べっぷりに食欲を刺激されてか、皆が大皿に手を伸ばす。
 沢山盛られていた軽食はそれだけで半分が消えてしまった。

「――で、先ずは何から話すべきやろな?」

 4個のサンドイッチをぺろりと平らげたあと、ティーカップを片手に村重はぽつりと話を切り出した。

「大体の内情は織田っちも把握しているやろから、要点から伝えるな? うちに叛乱を唆したんは――《幕府》や」

 村重の告白を受けて驚く者は皆無だった。誰もが「ああやっぱり」と腑に落ちたような顔をしている。
 かく言う俺も驚きはしなかった。しかし村重の言葉は、限りなく黒に近い疑念にお墨付きを与えてくれた。その意義は決して小さくはない。
 だが謎は残る。何故《幕府》が後ろ盾であった織田家に背いたのか――ではない。《幕府》が恩を仇で返すような野心と打算の持ち主で構成されていることは、後ろ盾となったその時から既に承知していた。織田家も幕府も互いの利益の為に手を組んだに過ぎない。一度相手が不利益をもたらす存在と化せば、その時点でどちらも相手の背に矢を射かけることだろう。
 しかし、たかだか一大名の手を借りねば都に戻ることも叶わなかった脆弱な連中が、何故今になって本性を現したのか。自慢ではないが、今の織田家はこの神州でも三本の指に入る大大名へと成長した。今すぐにでも幕府の中枢を武力で制圧し、都を支配下に置くことも不可能な夢物語ではないのだ。
 それなのに何故――?

「なるほど――では一つお聞きしても宜しいでしょうか? 幕府はどのようにして荒木様を唆したのですか?」

 質問をしたのは軍師・竹中半兵衛(たけなか はんべえ)だった。厳密には俺ではなく部下である木下藤吉郎の軍師なのだが……いいんだよ、細けぇことは。

「お、いい質問やね今孔明ちゃん。正直、《幕府》なんてうちは恐くあらへん。御大層に織田家征討の御内書なんてもんも用意してたみたいやけど、残念やなーうちはそんなもんに何の価値も見出せん。贔屓のサークルの新刊のほうがまだグラっと来るわ」

 村重は冗談めかして言うが、この数寄者すきもの のことだ。公式スタッフの限定本とか出されたら、かなりの確率で俺を裏切るだろう。但し、その時はもっと用意周到に時勢を見計らうだろうがな。

「御内書だと? 確かに織田家を逆賊として征討する大義名分だけは成立するが――今や落ち目の権威が何になる? 《幕府》の人間は揃いも揃いって莫迦ぞろいか」

「……あはは、恒興は相変わらず辛辣だね。 まぁ荒木さんも公命なんて意にも介さなかったんでしょ? ――でも現に貴方は剣を取った」

 池田恒興の毒舌に苦笑しつつも、丹羽長秀は村重に正面から切り込んだ。何が彼女を自滅行為へと走らせたのかと。

「……まぁ、そうやな。さっきの今孔明ちゃんの質問の続きやけど――その御内書を持って来たのは、うちにとって決してぞんざいに出来ん相手やったんや」

「お前にとって? はは、誰だよそいつは。朝命でも下ったか」

 この傲岸不遜な数寄者を恐縮させる相手が、この神州に居るとは初耳だった。純粋な興味もあり俺はその名を促す。

「本願寺第十一世、顕如(けんにょ)上人や」

 その名にリビングの空気は一瞬、凍結したかのように見えた。
 本願寺とは摂津国にある石山本願寺のことだ。浄土真宗の寺院であり、畿内のみならず全国に広がる一向宗の総本山として名を馳せている。格式だけを見れば幕府には劣る。しかしその脅威、その勢力はおおよそ《幕府》の比では無かった。全国に広がる自派の寺院と、多数の信徒によって形成されたネットワークは全国のどの戦国大名をも凌ぐ。

「もう分かったやろ? うちとて本願寺を、一向宗を敵に回すほど酔狂やない。織田家征討の御内書をうちに持ってきたのは顕如上人や。その背後には――一向一揆も控えておる」

「一向一揆……やだ、まだいるんだよねあいつら」

 一向一揆の名が出たあと、隣に座っていた利家が俺の袖を掴む。以前、三好三人集との合戦において、突如乱入してきた一向一揆と戦ったのは利家だった。手足が折れ、《力》が尽きても歯を立てて敵に喰らいつく死兵集団。その恐怖は今も利家の心に消えぬ傷を残していたらしい。

「ぬがーっ! それがしの殿に何ひっついていやがりますか、この泥棒猫もとい犬! ああん、それがしもー恐怖で濡れてきたでありますぞー」

「だそうだ小六、綺麗にしてやれ」

「ガッテンだ! オラ下着交換の時間だぜ木下ァ!」

 藤吉郎が見たくもない下着を曝け出そうとした直後、スカートの中に顔を突っ込んだ蜂須賀小六によって押し倒され、そのままリビングの外へと連れ出された。二人の姿が視界から消えたあと、断末魔のような悲鳴が聞こえてきたが、とりあえず無視する。

「……織田っちの家臣はその、個性的やな?」

 村重にしては珍しく、何重ものオブラートに包まれた賛辞だった。当然の如く受け流すが。

「なるほど……本願寺のトップが直々に御内書を携えてきた訳ですか。荒木様、それは何時頃の話になりますか?」

「何時? 時期としてはそうやな……夏休みの終わり頃や。ただうちが中々腰を上げんもんやから、連中が催促に来おってな?」

「――その、催促とは?」

「……新聞の切り抜きや。ご丁寧に武田の連中が、雑賀の烏どもに襲われたっちゅう記事だけを選んでな」

 あまりに直接的な脅迫手段を聞き、半兵衛は言葉を失っているようだった。
 だがこれで謎の一つは解けた。村重は俺への叛乱を躊躇い、それ故に黒幕の怒りを買ったのであろう。タイミングがあまりにも悪かったのはその為か。

「……夏の終わり頃? その時も本願寺のトップが直接足を運んだ……?」

 村重の説明に何か思うところがあったのか、反芻して思案に耽っていたのは今川義元だった。
 誰に聞かせるでもない呟きではあろうが――ふと、俺はそこに引っかかるものを感じた。

「おい義元、お前今何て言った? 『その時も』ってどういうことだ」

 俺が指摘すると、義元は慌てて口を噤む。ただの言い間違えでないことは、そのリアクションからも明らかだった。加えて義元の反応を目撃していたのは一人だけではない。たちまち義元は皆の注目を浴びてしまい、余計話し難そうな素振りを見せる。

「お前、何か知ってやがるな? よし話せ。沈黙を続ける場合はそこの村重にわしわしさせるからな」

「お、ええのん? いやー大きくはないけど、義元はんは感度良好そうやな?」

「何勝手に命令してるのよ! ちょ、ちょっとその手は何?」

 俺の許可を得たとばかりに村重は義元の隣にすり寄る。その手付きの怪しさに義元は胸元を押さえて身をかわしていた。

「分かったわよ! 元々誤魔化すつもりなんてないし! ――ただ、言葉を選ぶ時間が欲しかったの」

 同性に胸を揉まれた義元がどんな反応を見せるのか――それが叶わなかったことは少し…いやとても残念だが、そんな冗談ですら許容されるような話ではないようだ。
 義元は暫く思案したのち、俺を正面から見据えて言った。

「――天華祭の前にね、信玄から受け取ったものがあるの」

「武田先輩から?」

 義元が甲斐の虎として恐れられる大大名と、個人的な親交があったことは俺も聞き及んでいた。しかしそれは過去の話で、今では疎遠になってしまったとも。彼女が如何なる理由でよりを戻したのかについては、俺の知るところではないし。そうでは無いのかもしれない。
 しかし天華祭の前と言う時期は気にかかった。奇しくもそれは織田軍と武田軍が雌雄を決した合戦の直後であったからだ。

「ええ――彼女に呼び出されてね。その時受け取った物は、私たちの現状において明確な答えを有している。
 けれど――心して信長。知ったが最後、貴方は選択を迫られる。それは正誤の無い、茨の道よ」

 勿体付けた挙句、義元は俺を脅すかのように告げた。いや脅すなどと言う生易しいものではない。彼女はそれを知ったが故に「見えて」しまったのだ。謎と言うベールに覆われた真相が持つ危険性と、その重大な意味を。
 つまり俺は彼女に試されているのたろう。真実が持つ重みを背負う覚悟はあるのかと。
 故に俺は――迷わなかった。

「いいから見せろ、義元。お前――誰にもの言ってんだ?」

 わざとらしく悪ぶってみせると、義元は大きく――明らかに見せつけるように嘆息した。「やはりこうなってしまった」と呆れかえった表情を浮かべて。

「そうよね、貴方ならそうなると思った。待ってて、今持ってくるわ」

 そう言って義元は自室へと戻って行った。去り際に見せた横顔は、俺の目には何故か安堵しているようにも見えた。それから数分としない内に義元は戻ってきた。その手には折りたたまれた和紙が一枚。それこそが信玄から受け取ったと言う代物なのだろう。義元がテーブルの上に紙を広げると、俺だけでなく他の連中も一斉に覗きこんだ。

「――これは、御内書?」

 最初に気付いたのは官兵衛だった。花押こそ押されていないが、最後の署名には《幕府》の最高位である征夷大将軍の名が記されていた。しかし俺は知っている。あのワガママお嬢様が、ここまで達筆ではないことを。

「その写しよ。ねぇ荒木村重、この書面に見覚えは?」

「忘れるわけないやろ……これはうちんとこに来た御内書まんまや」

「なるほど、幕府は信長追討の命を各所にばら撒いた訳か――これで一つの答えが出たな、信長」

 池田恒興が顔を上げ、俺に声をかける。言われずとも彼女の言う「答え」は明白だった。

「――ああ、ここ数ヶ月の織田家に対する多方面侵攻は、幕府の手引きによるものだ。大方、俺たちに対する一大包囲網を敷こうとしていたわけだな」

 口にする度に込み上げてくるのは苦々しい記憶だった。今や落ち目の幕府が盛り立ててやった恩を忘れて、裏で俺たちを滅ぼそうとしていた。そのことに対して裏切られたと言う想いはない。連中が心から俺たちに従うつもりはないと当初から知っていたし、連中も俺も互いの目的の為に一時的に手を結んだにすぎない。
 故に道義に劣ると怒る資格は俺たちにはない。
 だがそのお陰で滅亡の手前まで追い込まれた者としては、怒りの一つも沸いてくる。

「発想は単純だが、効果は十全だった。何しろ東からは武田の大軍、西は近畿諸国の諸勢力の同時侵攻だからな。長篠で痛み分けにならなかったら、今頃幕府は諸手を上げて飛び上がっていただろう」

 恒興の指摘に何人かが頷いた。桶狭間の戦いに匹敵する存亡の危機を免れたのは、決して自分たちの実力に限った話ではないと、誰もが痛感しているからだ。
 二ヶ月前――夏休みの終わりと同時に織田軍にもたらされたのは、武田軍からの宣戦布告だった。
 正面から渡り合っても敗色濃厚な強敵に加え、機を同じくして畿内では追い払った筈の三好三人集が復讐戦を挑んできた。ついでに織田家と同盟を結んでいた松永久秀も裏切り――と言ってもすぐにまた寝返ったので、社会不適合者かつ確信犯の師匠はカウントしないでおく。
 東と西からの多方面同時侵攻。そこに村重まで加わっていたら、正直手の打ちようがなかった。あの窮地を脱する事が出来たのは、設楽ヶ原での合戦を機に武田軍が侵攻を停止してくれたからに他ならない。

「ねぇ殿、これって義昭ちゃんがやったんじゃないよね……?」

 自分たちに向けられた敵意の大きさを知ってか、利家は不安げな表情を見せる。
 戦場では万夫不当の猛者である利家が、今更名ばかりの権威を恐れる筈がない。こいつが気に病んでいるのは、かつてこの尾張で共に過ごした幼い少女のことだろう。
 そう――今や《幕府》は完全に織田家と敵対している。だができることならばそのトップに立つ征夷大将軍に刃を向けたくは無い。政治的な思惑があったとは言え、彼女と少なからず親交を結んだ俺達は、その生意気さに苛立ちを覚えこそすれ、天真爛漫を絵に描いたようなアイツを嫌悪することは至難の業だった。それにまさか七歳の幼子が、本気で織田家に敵対する筈がないこも知っている。何も知らない、何もできない子供を祭り上げて俺達に反旗を翻す者達。それこそ俺の覇道を阻む障害であり、正面からではなく搦め手で攻め寄せる敵なのだ。

「あのガキにそんな真似ができるかよ。何か不満があれば、こっちの都合なんざお構いなしに呼びつけ――ん?」

 利家を慰める内に、ふと思い出したことがある。
 以前は些細なことで俺を呼びつけていた義昭だが、ある時を境に電話もメールもさっぱり寄越さなくなっていた。
 武田軍の侵攻や天華祭の準備に忙殺されていた所為で気付かなかったが、それはあまりにも不自然ではないか――?
 心にふと芽生えた疑念。しかし、そこに意識を向ける間もなく、義元は話を続ける。

「ここからが大事な話よ信長。私にその写しを手渡した時、信玄はこう言ってたわ……その御内書を携えて来たのは彼女の義理の弟だって」

「義理の弟? ……恒興、信玄先輩って確か都の公家から婿貰ってたよな?」

「確かに武田家は三条家と婚姻を結んだが……いや待て、三条家と言えばまさか――」

「ええ、そうよ。武田家に婿入りした三条家の三男には弟がいるの。彼は今――僧として石山本願寺にいる」

 義元の言葉は抜き放たれた白刃のように、場の空気を切り裂いた。喉元に突きつけられた事実という刃。しかしその刃は同時に、靄に包まれていた敵の顔を映し出す鏡でもあったのだ。
石山本願寺第十一世、顕如上人。
 彼は村重だけでなく義理の姉でもある信玄の前にも登場していた。その事をただの偶然と片付けるには無理がある。三好三人集との戦いで一向一揆が雪崩れ込んできたことから、一向一揆が総本山と仰ぐ石山本願寺が織田家を敵視していることは火を見るより明らかだ。だがその本願寺は村重だけでなく、信玄にも織田家との闘争を働きかけていた。
 この事実が物語ることはただひとつ。
 俺たちへの包囲網を敷いた張本人は、《幕府》ではなく石山本願寺だということだ。
 つまり真の敵は幕府では無く――神州でも最大規模の宗教集団"本願寺教団"だと言うのか。

「これで全て合点がいきましたね我が主。柴田殿の報告にもあったように《幕府》が御所警備から織田家を排除したのは、我々に代わる強力な後ろ盾を得た為と思っていましたが、それが本願寺教団だとすれば――頷けない話ではありません」

 半兵衛の説明に義元と村重は頷く。
 今や落ち目の幕府に残されたのは、征夷大将軍という役職の権威のみ。かく言う俺もその権威を利用したのだが、それは武家に限った話だと心の何処かで思い込んでいたらしい。まさか一宗教組織がその権威を利用して、敵対勢力の排除に乗り出していたなど――今まで考えもしなかった。

「本願寺教団の勢力を考えれば、味方の内から離反者が出てもおかしくはないわ。現に一向一揆という死兵集団が各地で脅威となっている以上、織田家に対して敵意が無くとも、自分の身を守る為に敵対することを選ぶ者だって出てくるでしょう」

 義元は言及しなかったが、それが村重であることは誰の目にも明らかだった。
 自分の手を汚すことなく、他者を扇動して敵対する者――それは俺が欲し、敬意を払うべき"敵"ではない。唾棄すべき"障害"そのものだ。

「今更すぎるが厄介なことになったな。合戦を挑もうにも敵は学園の"外"にいる。だが連中はそんなことお構いなしだ。武田に荒木――失敗しても自分たちの懐は痛まないという訳か。義元殿の言う通り、連中は捨て石の様に我々に敵対勢力をぶつけてくることだろう――そんな消耗戦に巻き込まれるのはまっぴら御免だ」

「じゃあ、どうするのさ恒興! 私はともかく後輩たちをあんなゾンビどもと共倒れさせる訳にはいかないよー!」

 実際に一向一揆と戦った長秀だからこそ、その言葉は無視できない重みを有していた。
 身体的な疲弊だけでなく、正気を失った死兵との戦いで心を病んでしまった者も少なくない現状、一向一揆を正面から敵に回すことだけは俺だって避けたい。だが敵はそれを躊躇わないのだ。武によって身を立たせることのない連中にとって。武神は捨て石に過ぎないのだろう。死兵を戦場に投じるとはそういう事だ。

「それが義元殿の言う、茨の道と言う訳ですね?」

「え、ええ……」

 半兵衛の問いにしかし義元は口籠ってしまう。
 彼女が明かした事実だけでも頭が痛いと言うのに、まだ――何か残されていると言うのか。

「それともう一つ――信玄から聞いた言葉があるわ」

 義元が重い口を開いた時、俺は背中がざわつくのを感じた。
 虫の知らせ、予感、他にも呼び名はあるがそれに類似したもの。霊感などのオカルト的な感覚ではなく、意識の端に置いていた予測が、不吉な影を伴ってにじり寄ってくるような――恐れがあった。

「――雑賀衆の雇い主は本願寺教団。そして信玄は彼らに嵌められた・・・・・

 義元は今までの様に勿体ぶることなく、淡々と告げた。
 それを耳にした瞬間、俺はあまりに静かで――故に抗えない衝撃に晒された。
 二ヶ月前、設楽ヶ原において黒尽くめの装束と鳥を思わせる仮面で素性を隠した、謎の武装集団"雑賀衆"。 連中は織田と武田の領土紛争に武力介入し、その結果多くの血が流され、尊い命が幾つも失われた。
 《幕府》が織田家を御所から締め出し、代わりに雑賀衆を雇ったことを俺が知ったのは、設楽ヶ原の戦いが行われる前のことだ。故にその時の俺は連中を左程脅威とは考えていなかったが、今では違う。信玄の影武者を惨たらしく殺しただけでなく、つい先日には村重の一族や家臣を手に欠けた連中は、最早《武神》共通の敵と言っても過言ではない。
 その雑賀衆と本願寺教団が結託している――いや、あくまで道具に過ぎない傭兵を動かしたのは、雇い主たる本願寺教団の意思と言う事になる。

 だが、仮にも織田を倒す尖兵として抜擢した味方を、何故その手にかけようとしたのか?

 矛盾する行動ではあったが、今の俺にはその疑問に対する心当たりがあった。
 剣聖・上泉信綱(かみいずみ のぶつな)が語ってくれた、それ何てラノベな陰謀論――武田軍は原史にて"敗北を約束されていた"からこそ、武力を投入してまで"辻褄を合わせようとした"者たちがいる。剣聖が語った"原史再現"という誇大妄想に基き、人の命を殺めた狂信者たち。それもまた――本願寺教団に繋がると言うのか。
 露わになる敵の輪郭。
 だが――それと同時に俺が思い出していたのは、あのクソ生意気な義昭の姿だった。
 何故こんな時にあいつのことを思い出したのだろう? 内心で首を傾げても、俺は既に何かを察していたのだろう。記憶の倉庫から引きずりだされる情報は連なり合い、一つのストーリーラインを形成していく。

 変化は義昭の側近であった、細川藤孝の失踪に端を発していた。
 《幕府》の中枢から遠ざけられたのは警護の兵だけではない。尾張から付いて行った侍女たちもそこに含まれていた筈だ。だとすれば今、義昭が心を許せる相手が果たして《幕府》にいるのだろうか?
 そう言えば本願寺の高僧・・・・・・ が、義昭を宥めに行っていたと聞いたことがある。しかし坊主なんかにあのお子チャマの相手が務まるのか――と、あの時の俺は呑気に考えていた。
 そう、確かに柴田さんもニュースも同じ言葉を口にしていた。
 「本願寺の高僧・・・・・・」と。

 ――俺はとんだ過ちを犯していた。
 それに気付いた瞬間、左手から滑り落ちたカップが床に激突し、カシャンと砕ける。

「のぶくん大丈夫? そんなにショックでしたか――」

 心配そうな顔で俺の顔を覗きこむ柴田さん。その目が一瞬、驚きに見開かれた。
 どうやら今の俺は相当にただならぬ表情を浮かべているらしい。彼女の反応を受けて、皆が俺に視線を向ける。
 そして気付く。驚く仲間達の中でただ一人、義元だけが俺に険しい顔を向けていることに。
 そうか――これがお前が言っていた本当の“茨の道”なのか。

「……柴田さん、以前に教えてくれたよな。義昭の心の傷を癒す為に《幕府》の連中は、何処かの寺からえらい坊主を呼び寄せたって」

「え、ええ……確か石山本願寺の顕如とか言うお坊さんと聞いて――――まさか!」

「そうだ……織田に敵対し、一向一揆や雑賀衆をけしかけてくる本願寺教団のトップだよ! 奴は――俺たちがこうして間抜けに驚きあっている前から、義昭に近付いていたんだ!」

 ――ああ、そうだ! 俺はすっかり思い違いをしていた。 
 義昭が突然連絡を寄越さなくなったのは、幕府が俺達を敵対視したからだと考えていた。
 でも、そうじゃない。その前に義昭はいくらでも俺達に連絡を寄越せた筈だ。藤孝が失踪した直後、俺達は義昭と出会っている。家族のように慕っていた人間と離れ離れになった7歳の子供が、気持ちが落ち着いたからと言って、突然俺たちに一切の連絡を寄越さなくなるものだろうか。
 怒りは焦りとなり、思考はまとまらないまま、衝動的に吐き出されていく。

「同じ時期に御所警備の任を解かれたことから、俺はそれが原因かと思い込んでいた。
 だが前提がまるで違う。義昭は連絡を寄越さなかったんじゃない。寄越せなかったんだ――ある人間があいつの側に出現するようになってからな!」

 細川藤孝の失踪。御所を警備していた雑賀衆。ある時を境に一切の連絡を寄越さなくなった義昭。そして何時の間にか幕府の中枢に接近していた――石山本願寺の僧。
 夏休みの後から続けて発生した事象が全て――一つの仮説へと収束していく。

「恒興、それから柴田さん、今すぐ二ヶ月前から幕府関連のニュースに総当たりして、義昭の活動記録を洗い出してくれ。多分――義昭の心身が安定したと報じられて以降も、アイツはただの一度も人前に姿を現していない筈だ」

「――え、ええ、分かりました。でものぶくん、それって……」

 俺の命令から言いたいことを悟ってくれたのだろう。
 驚きに顔色を失う柴田さんを尻目に、俺は乱丸と利家に声をかけた。

「悪いが二人とも犬と信行を呼んできてくれ。どうしても伝えたい話があるから、必ず来てほしいと」

「え? わ、分かりました……」

 突然の命令に乱丸は狼狽を隠せない様子だったが、その意を問い直すことなく利家と共にリビングを後にする。
 ちなみに犬と信行はつい先程映画を見るために家を後にした筈だ。恐らく――乱丸と利家は俺の所為で無駄骨を折ることになるだろう。
 そうして強引に二人に席を外させたあと、居並ぶ仲間達に俺は――自らの犯した罪とその罰を吐露する。

「義昭は今、何らかの形で行動の自由を奪われている。軟禁かそれとも物理的に動きを封じられている可能性もある……クソ! 何で俺はもっと早く――その名を思い出さなかった!」

「落ち着きなさい信長! ……ええ、私も村重の話を聞くまで気付かなかった。でもそれを悔いてどうなるの。言ったわよね――選択を迫られると。今がその時よ」

 先走る感情を打ち据える、厳しくも冷静な義元の一喝。
 それを受け、俺の思考は幾許かの冷静さを取り戻す。

「申し訳ありません、我が主――ボクも迂闊でした。石山本願寺と言えば一向宗の総本山。織田家のみならず武家勢力を無差別に襲う集団を裏で操っていると噂される連中が、幕府の中枢に手を伸ばしていない筈がない。
恐らく細川殿の失踪にも連中は関わっているのでしょう」

「と、殿……? それがし、あのいけすかないクソガキは大嫌いでありますが……でも一応は《武神》でありましたぞ? ま、まさか……」

 空気を読まないことに定評のある藤吉郎でさえ、血の気の引いた顔で自分の言葉に怯えている。
 強引にでも乱丸を退席させて良かったと、今更のように思う。利発な子供であるから恐らく義昭の身に危険が生じていることには気付いているだろう。
 だとしても、仲の良かった彼女には決して聞かせたくない可能性にまで、俺達は思い至ってしまう。

「まさか……子供だよ? しかも将軍様だよ? そんなことできる筈が――」

「長秀、そして皆。すまんが残酷な話をさせてもらう。我々が今まで遭遇した一向宗だがな――その中には、初等部の《武神》の姿も確認されている」

 恒興の言葉に長秀は頭を抱え、利家は追わず顔を覆ってしまう。
 武神を捨て石の様に扱う連中が、いくら幼いとは言え同じ武神である義昭に敬意を払うものだろうか。

「だとしたら――信長、何を迷っている!」

 俺を叱責したのは、武田家からの客将である武田勝頼(たけだ かつより)だった。
 俺たちと違って義昭とは何の縁もない人間だが、彼女には仲間を雑賀衆に殺されたという因縁がある。この事態においても、決して無関係ではない。

「迷ってなんかねぇよ勝頼! ――柴田さん、協議の時間も家来衆への説明も後回しだ。今すぐ武警の連中を集めてくれ。恒興と義元は速攻で穢土に戻り、動員可能な兵を都に向かわせろ。現在動員できる最大戦力をもって俺達は都を奪う!」

 お行儀よく領土紛争をしている時間はない。例え《幕府》に対する叛心と受け止められても、俺は今すぐあいつの元に向かわなければならない。例え杞憂に終わったとしても、これ以上アイツを政治のオモチャにしてはおけなかった。
 これは罰だ――故に俺はこの手を汚すことをもう躊躇わない。

「信長――分かっているのか、これはただの私戦だ。合法的な領土紛争とは訳が違う」

「だとしたら何だ、恒興。俺は俺の落し前を付けに行く。だからお前らも手を貸せ、、、、、、、、、、、」

 勝手きわまる俺の言い分に、恒興は可笑しくてたまらないと言わんばかりに失笑する。

「ああ、そうだな。それでこそお前だ。たった一人の安否を確認する為に、他の全てを天秤にかけてしまう――正真正銘の大莫迦者だ」

「うるせぇ、つか早く行け行け」

「ひどい言い草。こんな無鉄砲な君主に仕えていては、私達の未来はきっと真っ暗闇よね」

「全くだ義元殿。昔からこいつの無茶には慣れているつもりだったが……今度ばかりは可笑しくてたまらん。一歩間違えれば私達は逆賊だぞ?」

 恒興の指摘は全くの冗談では無い。
 なのに彼女の声には一片の非難も含まれてはいなかった。

「それがどうした。さぁ手前ら、あのガキを迎えに行くぞ。今まで寂しい想いをさせてしまった分、顎が外れるまで笑わせてやらぁ!」

 サンドイッチを一口齧り、俺は皆を引き連れて動き出す。折角の日曜日なのに予定が全て白紙となり、場合によっては穢土に戻る日も大幅に遅れることだろう。
 ……だがまぁ、それも仕方ない。第三次戦国時代が開幕して以来、法で禁止されていた実力を、俺達は今から行使する。その結果何が起こるのか――正直に言って分からないし、後に待つのは気の遠くなるような事後処理だろう。
 だが――俺は俺の好きなようにやらせてもらう!





 清州城の正門前には慌てて集められた数十人の武警と、軽装甲を備えた輸送車が8台。
 ここに俺の仲間を加えた小集団が今動員できる全ての戦力であった。
 穢土に居る織田家の《武神》たちを掻き集めれば、200人以上の戦力が揃うことになるが、それを待っていては遅すぎる。
 兵は神速を尊ぶと昔の偉い人は言いました。多分。

「――はい、のぶくん。何の説明も無しにいきなり招集をかけられた皆に、行先と目的をズパッと説明してあげてください」

「え? そういうことは柴田さんがしてくれるんじゃないの? 」

「……頭首の責任ですよ? の・ぶ・く・ん?」

「――ソウデスネ」

 ――ひょっとして実は休日を潰されて怒ってますか? と言いかけた口を閉じ、俺は直立不動の姿勢で立ち並ぶ年上のおねーさんズ(何て良い響き!)もとい武警に命令を飛ばす。 尾張国守護の肩書きを持つ俺は、実を言えば警察機関のトップを兼ねていることになる。故にこれから俺が発するのは、彼女たちを動かすに値する権威を備えた言葉でもある。

「あー、えーとその、時間が無いので端的に言います」

「ぷぷっ……年上相手だから殿が敬語を使ったでありますぞ。に、似合わない……」

 うるせぇ藤吉郎。お前は後で簀巻きにして人間ボウリングの刑に処してやるからな。

「目標は花の御所! 目的は征夷大将軍、足利義昭公の保護! 
 障害は全て粉砕しろ! 立ち憚る者は見敵必殺! 
 今ここに尾張国守護役・織田信長が命ずる――出撃!!」





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