【序説】


――第三次戦国時代。

 それは神州国・天乃華学園にて、《武神》と呼ばれた少女たちが互いの覇権をかけ、領土紛争に明け暮れた戦乱の時代――その終結期である。





 ――3年前。
 第三次戦国時代が開幕し、天乃華学園の武神科が十数年ぶりに門戸を開いたその年。
 千子村正(
せんご むらまさ)の工房を訪れた一人の少女が、彼女に「槍を打ってほしい」と申し出た。
 しかし刀工として名を馳せていた当時の村正には、全国の大名や名の有る武家から鍛刀の依頼がそれこそ山のように舞い込んでいた。何処の誰とも知れぬ、しかも身なりから裕福な生まれでは無いと判る子供の依頼など、断ったところで痛くも痒くもない。天下一の刀工と称えられ、一振りの刀を打つたびに法外な値を要求するような守銭奴は、当然のように少女の依頼を断った。
 門前払いを喰らった少女はしかし、毎週のように工房を訪れて「槍を打ってほしい」と頼み続けた。
 ところが、村正はしつこい客のあしらい方も心得ていた。その気も無いのに少女が訪れる度に法外な値を要求し、一週間後に少女が金を工面してくると、更に金額を上乗せして要求する始末であった。
 村正には槍を打つ気など毛頭無い。
 体よくあしらわれていることに気付かぬほど、少女も愚かではなかっただろう。
 だが……それでも少女は村正が要求した金額を工面しては、飽きもせず村正の工房に通い続けた。
 これには流石の村正も困惑し、それ以上に金の出処に興味を抱くようになったのは言うまでも無い。最初は正体を明かせぬやんごとなき御方の遣いか、或いは何処ぞの貴族様のご落胤かと想像の翼を広げてはみたものの、本人はそれを否定していた。

 そんなある日のこと、村正は読んでいた新聞の一角にふと見覚えのある顔を発見する。
 それは、毎週のように工房を訪れていた少女本人であった。
 興味を覚えた村正がその記事を読んでみたところ、ここ一ヶ月の間に三河国から遠江国にかけて活動していた幾つもの《武盗》集団が根こそぎ壊滅し、その活躍の裏に未だ若い《武神》の活躍があったことを報じる内容であった。何れ天乃華学園に編入されて領土紛争を代行する若き《武神》が、修行の為に警察の《武盗》狩りに協力することは大して珍しい話ではない。《武盗》狩りに協力した《武神》には警察から少なからず報奨金が送られ、それを目当てに生計を立てている《武神》もいるほどだ。ただしその《武神》がまだ小学生であったことが、報道されるに値する出来事であったのだろう。
 もし、あの少女が全ての武盗狩りに参加して功績を立てていたとしたら――受け取る報奨金の額は莫大な額となるに違いない。それこそ稀代の刀工、村正がふっかけてきた法外な額にも応じられる程に――

 数日後、大金を持参して訪れた少女に、村正は思いきって尋ねてみることにした。
 すると少女は、村正の推測が事実であることをすんなりと認めた。
 かくして村正は知ることになる。ただ一人の《武神》の存在が二ヶ国の治安事情――均衡していた警察組織と犯罪組織のパワーバランスを崩壊させてしまったことに。
 ここに来て漸く目の前の少女が只者で無いと気付いた村正は、非礼を詫びる意味もあり最初の言い値で槍を打つことを約束した。
 しかし――漸く依頼が叶った少女本人は、その返答に首を横に振った。それどころか今日まで持参した金を、全て支払うと言い出したのである。
 これまで袖にされ続けた意趣返しなどではない。齢40を越え、その気迫たるや並みの《武神》を凌駕する村正に対し、少女はこう言い放ったのだ。

『この額に値する槍を打て』と。

 無礼にすら聞こえる要求に、村正が奮い立ったのは言うまでもない。
 彼女は予算を度外視し、先代より受け継いできた技術の全てを注ぎこむだけに終わらず、ある一つの『埋葬武装』を再生させてしまう。
 かつて"貫くもの"と呼ばれた伝説の武具。
 村正をして最高傑作と言わしめた名槍を受け取った少女は、その槍に新たな名を授けた。

――その名は『蜻蛉切とんぼきり』。

 かつて神州の三大名槍にも数えられた、本多平八郎忠勝の《武神技》である。










第二十七話 『三方ヶ原の戦い〈下〉』



 追撃部隊の敗報をいち早く受けたのは、武田軍副将・武田信繫(たけだ のぶしげ)であった。
 原形を留めないほどに手を加え、フリルたっぷりのゴシックロリータ風に改造した高等部の制服をまとう彼女は、生来の肌の白さも手伝って、どこか病的な儚さを備えている。
 快闊を絵に描いたような実の姉、武田信玄を太陽だとすれば、信繁は月に例えられるであろう。
 対象的でありながら、しかし並び立つもの。
 彼女が武田軍副将の座に着いている理由は、何も血筋だけに限った話ではない。時には当主に代わって全軍を指揮する者として、全ての将と兵から信頼を置かれていることからも、その実力の程は明らかであった。

「……信じたくないですが、全くあり得ない話ではないと、テンキューは知っているのですよ」

 ただ一人の《武神》に四人の将が敗北し、頭を悉く潰された追撃部隊は進軍不可能な状態に陥った。
 笑い話としか思えない惨状ではあったが、この世には常軌を凌駕する武勇の主がいることを、信繁は経験として識っていた。一人は実の姉、そしてもう一人は川中島を巡る戦いで単身で敵本陣に切り込み、敵の総大将と一騎打ちを繰り広げた越後の"軍神"である。
 故に自分のことを"テンキュー"と呼ぶ信繁は伝令の報告を疑いはすれど、否定することはなかった。
 それでも信じがたいほどの屈辱的な一報であったことは間違いない。爪を噛み、白い貌に怒りの色を滲ませながら信繁は呟く。

「お姉さまに知らせる訳にはいかないのですよ……絶対に」

 誰の目にも明らかな勝利を収めながら、手負いの敵に手痛いしっぺ返しを喰らった――。
 その事実は戦術的な勝利に泥を塗るだけでなく、今後の侵攻計画や織田軍への対策と言った戦略的な面にも影響を及ぼすのは必至だ。
 しかも徳川軍は、勇者の奮闘に折れかけていた士気を奮いたたせ、再び立ち憚るに違いない。

「テンキューが行くですよ。お前はそのことをお姉さまに伝えなさい」

 信繁の命令を受けた伝令は思わず「え?」と問い返してしまったのだが、無理もない。目の前の少女は天下一の軍事力を有する武田軍の副将であり、二十四将の一人にも数えられる軍務上の総司令官だ。その彼女が名も知らぬ敵をわざわざ出迎えるなど、何の酔狂かと疑いたくもなるだろう。
 しかし信繁は私情のみで動いているわけではなかった。
 小幡昌盛(
おばた まさもり)、一条信龍(いちじょう のぶたつ)、小山田信茂(おやまだ のぶしげ)、穴山信君(あなやま のぶきみ)――彼女たちは何れも《武神》として並々ならぬ実力の持ち主ばかりであった。
 それをただの一人が立て続けに討ち破ってしまった。どれだけ付け入る隙があったとしても、実力不足の敵に討たれるような《武神》ではないと、信繁は知っている。故に相手は武田軍第二位の実力を持つ己にしか止められない敵であると――この時、信繁は誰よりも正確に忠勝の実力を評価していた。

「――敵襲! 徳川の残党と思われる者が本陣に迫っています!」

 別の伝令がもたらした一報に信繁は目を細め、一拍の間を置いて問うた。

「敵の数は?」

 尋ねる必要はなかった。信繁は既に確信している。
 それでも――聞いておかねば、心の何処かで踏ん切りを付けられそうになかった。
 問われた伝令は、自分が受けた情報が夢幻の類では無いことを祈りつつ――

「……一人、です」





 本多忠勝(
ほんだ ただかつ)は今、全ての追撃部隊を中央突破し、武田軍の本陣へと迫りつつあった。
 凡百の《武神》であればこの時点で精根尽き果て、いつ地面に膝を着いたとしてもおかしくはない。
 だが忠勝の呼吸には些かの乱れもなく、額には汗一つ浮かんでいない。
 その事実だけでも驚嘆に値するが、忠勝は未だ退くこともなく単身で敵本陣に斬り込んでいく。十人中十人が忠勝の孤軍奮闘を無謀の一言で切り捨てるだろう。その実力ゆえに驕り高ぶった愚行ごと嘲笑うだろう。
 殿(
しんがり)としての目的は、最早充分過ぎるほどに果たしている。頭を潰された追撃部隊は敵を追うどころか、部隊の再編成すら覚束ない有様だ。今ここで忠勝が徳川本隊に帰参すれば、味方を壊滅の危機から救った英雄として称えられるばかりか、来たるべき再戦に備えて鋭気を養うこともできる。
 だのに何故、忠勝は自ら死地へと飛び込もうとするのか。
 その理由をしかし、忠勝は誰に話すこともなかった。手柄話として持ち帰るつもりもない。
 彼女はただ前だけを見て突き進んでいる。まるで解き放たれた矢のように。

 ――だが、その足が突如として停止した。
 そこは忠勝から見て右に雑木林を望む荒れ地である。僅かな隆起が複雑な陰影を落とす大地。その彼方に翻る『風林火山』の旗。目指すべき場所を視界に捉えながらも、足を止めねばならぬ理由が――ゆっくりと忠勝に歩み寄っていた。
 原型を留めぬほどに改造を施された制服を纏い、繊細な顔立ちにも関わらず何処か不気味な印象を抱かせる少女。
 武田信繫が今、本多忠勝の前に姿を現した。

「ごきげんようですよ、三河の勇者。よくぞここまで――辿りついたものですよ」

 敵にかけるにしては、驚くほど素直で刺の無い声。
 副大将と言う立場を差し引いても、信繁は一人の武人として忠勝に確かな敬意を抱いていた。

「…………」

 一方、忠勝は無言で自らの得物――蜻蛉切を構え直す。
 眉間に皺を寄せ、全身に敵意を漲らせる様子は、信繁とは対照的ですらあった。
 忠勝が無言で得物を構えたことに、信繁は何処か寂しげな風情で目を伏せる。
 ほんの僅かの間を置いて、信繁が忠勝を見据え直したとき、その口元は緩い三日月を象っていた。

「敵と語り合うは無粋と断じますか。……その武骨さ、嫌いではないのですよ」

 腰を落とし、蜻蛉切りの穂先を向ける忠勝に対し、信繁は両腕を広げて僅かに胸を突き出す。
 敵意を飛ばす忠勝を、まるで抱き止めるかのように。

「おいでなさい」

 その一言を受け、忠勝は跳んだ。そうとしか表現できぬほど、強烈な踏みこみであった。
 大地を陥没させるほどの力で爆発的な反動を生み、それを推進力にして身体ごと槍を突き入れる。ニ十メートルもの距離を一息で詰める電光石火の一撃。
 しかし、その穂先が信繁を貫くかと思われた直前、忠勝は突然横に跳んでいた。
 自ら刺突を外すかたちとなった訳だが、その理由は次の瞬間に明らかになった。
 上空から飛来した何かが、忠勝が先刻までいた場所を大地ごと抉り飛ばしたのである。
 立ち上る砂煙。突如として大地が爆発した――素人目にはそう映るであろう光景はしかし、正確に出来事を捉えている訳ではない。間一髪、その爆発から免れた忠勝の目は、側方から飛来する影を既に捉えていた。
 素早く蜻蛉切りの柄を立てて身を守る忠勝であったが、それは蜻蛉切りと激突するや否や、蛇のように柄に絡みついた。

「ふふ、捕まえたのですよ」

 信繁の言葉通り、忠勝の得物――蜻蛉切には太い鎖が幾重にも巻きついている。
 しかもその鎖は全て、信繁が伸ばした腕の先から伸びていた。
 ぐいと信繁が腕を引くと、蜻蛉切りごと忠勝は前に引っ張られてしまう。体格差を差し引いても、見た目では予想できないほどの剛力であった。
 そこに向けて信繁が遠方から片腕を振るうと、別の鎖が弧を描いて忠勝に襲いかかってきた。
 それを防ごうにも蜻蛉切りは鎖に絡め取られて動きを封じられてしまっている。得物を捨ててその一撃を避けるか、或いはその一撃を受けてでも得物を奪われないようにするのか、二者択一の危機。
 だが、忠勝はそのどちらも選択しなかった。
 わざと抵抗をしなかった為に、前に引かれた蜻蛉切りの柄が水平になった瞬間、忠勝は蜻蛉切りの伸縮機構を利用して一気に柄を短くしていた。穂先側に吸い込まれた柄は巻き付いた鎖から自ら抜けだす形となり、一気に二メートル弱の短槍へと変形した蜻蛉切りを、忠勝は剣の様に振るった。
 金属同士が激突する音が鳴り響き、微かに火花が散る。
 そうして忠勝は短くなった蜻蛉切りで、側方から襲いかかって来た鉄鎖を全て叩き落としてしまった。

「……びっくりなのですよ。あそこからテンキューの鉄鎖を叩き落としやがりますか」

 許可さえ下りれば、信繁はその場で拍手を送っていたであろう。
 自らの武に絶対の自信を抱いているからこそ、それを上回った敵に対して賞賛の念を禁じ得ないのだ。
 しかし忠勝は無言で信繁の賞賛を受け流してしまう。舐められたと腹を立てた訳ではない。乱れた呼吸を整えるのに必死で、言葉を返す余裕もなかったのである。
 忠勝が攻撃の手を休めている間、信繁は素早く鎖を引き戻した。
 フリルに覆われた制服の袖から伸びる三本の鉄鎖。左右合わせて六本の鎖の先端には、ずっしりと重そうな円柱状の分銅が備え付けられている。長さにすれば10メートルを超すその鉄鎖こそ、武田信繫の《武神技》であった。

「相手にとって不足なし、なのですよ。さあ三河の勇者、共に舞い踊りましょう――!」

 昂揚を孕んだ声をあげて、信繁は忠勝に右の腕を差し伸ばす。
 戯れでそうしたのではない。文字通り、これより信繁は忠勝を相手に舞い踊るのだから。
 信繁は前方に伸ばした腕を一旦左に奮い、そこから一気に右へと振り抜く――その動きに合わせ、フリルで覆われた袖口から三本の鉄鎖が放たれた。鞭の様にしなり、弧を描いて襲い来るその一撃は、忠勝にとって決して疾い一撃ではない。回避することはきっと容易いだろう。
 それでも忠勝は、その場から大きく飛びずさった。
 攻撃の範囲と軌道を見定めたにしては大袈裟な避け方である。
 しかし、最初の一撃が宙を薙いだ直後、微妙に角度を変えた二本の鎖は、飛びずさった忠勝の鼻先を掠めていた。もしも忠勝が一撃目を僅差でかわしていたら、続く二本の鉄鎖に打ち据えられていたことだろう。
 鎖にしろ鞭にしろ、この手の武器は扱う者の技量によってリーチを変化させることができる。だがそれを実際の戦闘で可能とするには、並大抵の技量では決して叶わぬ話であった。

 続いて信繁は右腕を振り抜いた勢いをそのままに、体を回転させて左腕からも鎖を伸ばす。
 今度はほぼ同時に、三本の鉄鎖が高さを変えて振るわれた。忠勝の背丈に合わせて上・中・下と同時に襲いかかる鉄鎖は、リーチだけでなく攻撃が及ぶ範囲も相当に広い。しかも厄介な事に、忠勝が蜻蛉切を立てて防ごうにも、その瞬間に鎖を槍を絡め取ってしまうのだ。伸縮する柄だけならまだしも、穂先に絡みつけばその瞬間に忠勝は攻撃手段を奪われてしまう。
 従って、忠勝に選択肢は存在しない。彼女は再び背後に飛び退き、攻撃を回避した。
 だが、その度に互いの距離は離れ、信繁に有利な状況を形成していく。

「――――くっ!」

 忠勝の口から初めて、苛立ちの声が漏れる。
 単身で敵陣を貫いた時も顔色一つ変えることのなかった彼女が今、その顔に焦りの色を浮かべていた。
 一方、信繁の表情はどこまでも涼やかで、余裕に満ち溢れているように見える。

「――さて! 休んでいる暇はないのですよ!」

 信繁が全身をくるりとターンさせ、激しく腕を振るう度にその腕から伸びた鉄鎖が唸りを挙げて振るわれた。
 一本ごとに角度を変えて時間差を生むことで、たった六本の鉄鎖は空間的な広がりと厚みを増す。この時、距離でも面積でも信繁の鉄鎖は忠勝の蜻蛉切を上回っていた。更に一度振るわれた鎖は遠心力を生み、初撃以降は大した力を加えなくとも、自身に加えられた遠心力と重みである程度は自動的に動き続ける。故に鉄の暴風と化した信繁の攻撃はどれだけ激しさを増そうが、途切れることなく吹き荒れようが、まるで衰えることを知らない。
 地面は触れる度に抉り飛ばされ、大人一人の胴回りと同じ太さの幹を持つ樹木ですら鉄風に呑まれた瞬間、粉微塵に砕かれていた。
 吹き荒れる暴風の如き攻撃に対し、忠勝は防戦一方に追いやられてしまう。電光石火の刺突をもってしても、あの鉄風を貫くのは容易ではない。何とかして止めようにも、元凶たる舞姫は破壊の風の中心で、止まることなく舞い続けている。
 従って忠勝にできることと言えばひとつ、嵐の様な攻撃をただ避け続けるしかなかった。

「―――!?」

 その最中、忠勝の頭上に黒い影が差す。
 舞いながら大きく跳躍した信繁が、忠勝の頭上を抑えたのである。
 自分の体を抱きしめるように両腕を交差させた信繁は、眼下に忠勝の姿を捉え――

「―――破ッ!」

 同時に両腕を振り抜き、頭上から鉄鎖を放つ。
 左右合わせて六本の鎖は互いに交叉しながら、忠勝ごと周囲の地面を抉り飛ばした。
 しかし――

「これで終わり――なんてことはありませんよね?」

 終局を望まぬ信繁の言葉に応じたのは、立ち昇る砂煙を斬り裂いた一筋の蒼い閃光。
 内側から生じた突風により砂煙は霧散し、一振りの大剣を構える忠勝がその中から姿を現した。

「――まあ、変形なのですよ。これは何てレアな」

 忠勝の蜻蛉切が槍から大剣へと姿を変えていたことに、信繁はすぐに気付いた。
 さもありなん。形を変えた蜻蛉切りは、柄を短くした分だけ穂先の先端から、蒼く輝く光の刃を伸ばしていたのだから。
 その周囲では途中から断ち切られた鎖が、まるで蛇の死骸の様に転がっている。それだけで信繁は刹那の攻防の最中に、何が起きたのかを把握した。

「非物質の《力》を刃と成す剣――いや槍。
 なるほど、そんなものを振るわれては、テンキューの鉄鎖も形無しですよ」

 《地脈》から吸い上げた《力》で精製された武具に対し、圧倒的な貫通力を誇る非物質の《力》。
 対《武神》戦においては圧倒的なアドバンテージを生むことになるそれは、名刀・名槍と呼ばれる武具の中でもほんの一部にしか備わっておらず、所有すればたちまち領国だけでなく隣国にも知れ渡ることから、それがどれだけ希有で価値の有る武具なのかは語るまでもない。

「徳川がまさか、そんな名品を有していようとは……ふふ、それだけで一本取られた気分なのですよ。
 良ければその槍の銘を聞かせていただけますか?」

「……蜻蛉切。そう、名付けた」

「それってまさか"天下三名槍"が一本の!? ……まさか現存しているとは、初耳なのですよ」

 天下に並ぶ物無しと謳われた三本の槍、その内の一本が(《武神技》による複製であっても)現存していたことに信繁は驚き、折角だからとその逸品を眺め出す始末であった。
 だが、すぐに信繁は首を傾げてしまう。

「……あら? 確か蜻蛉切りの槍身は笹穂形で、青貝螺鈿細工が施されていると聞きましたが……どう見ても別物なのですよ。――うん? ねぇ三河殿、その槍は一体――?」

 伝承とは大きく異なる蜻蛉切りの形状に、信繁は疑問を抱いた。
 しかし忠勝が彼女の疑問に応じることはなく、すぐに通常の槍型へと変形させてしまう。

「……もう、別に取って奪うわけで無いのだから、もう少しくらい見せてくれても良いですのに」

 信繁は不満げに言うが、そもそも今は言葉を交わし合うような状況ではないし、そんな間柄でも無い。
 まして信繁は今、得物である鉄鎖を忠勝によって先端から斬り落とされていたのだ。そればかりか自ら距離を縮めているとあっては、いつ蜻蛉切りに貫かれたとしてもおかしくはない。
 だが忠勝にはできなかった。
 私情を挟んだ訳でも、正々堂々たる対決に拘っていた訳でも無い。
 彼女は単に手を出しあぐねていたのだ。
 他ならぬ信繁がこれ見よがしに隙を生んでいる今、突然の攻撃に備えて何かを用意しているに違いないと疑ってさえいた。果たしてその直後、信繁が軽く手を振ると、そこから斬り落とした筈の分銅を備えた、新たな鎖が伸びてきたのである。

「焦って手を出さなかったのは正解なのでしたよ。ただ振り回すだけが鉄鎖の使い方ではないですし、それに……こう見えて単純な武装ですから、再生も早いのですよ」

「…………そう」

「折角の隠し玉なのですから、もう少し驚いてほしいですよ。例えば『何…………だと…………』とか!」

「なんだとう」

 抑揚の無い声で忠勝は呟き、場の空気はたちまち白けてしまう。
 
「無茶振りをしてしまったテンキューが悪かったのですよ。――でも、ここで気分を入れ替えて!」

 折角振ったギャグを冷たくスルーされた信繁だったが、跳ねるように後退り、忠勝との間合いを離す。

「――如何でしたか、テンキューの舞は?」

 親しげに手を伸ばし、信繁が尋ねる。その白い肌にはうっすらと汗が浮かび、解れた前髪が数本貼りついていたが……呼吸は全く乱れていない。
 一方、防戦一方に追いやられた忠勝は、その後のやりとりで小休止を得られたとは言え、疲労はもはや誰の目にも明らかだった。これまで数多の敵を振り切り、貫いていた瞬足を持ってしても、鉄風を纏う舞姫には届かない。

「――手強い」

 だから反射的に忠勝は答えていた。
 それでも勝てぬ相手ではないと宣言した。
 戦闘開始から終始、忠勝を圧倒していた信繁は強気なその発言に失笑することもなく、そればかりか口元を振るわせ、喜びにその目を輝かせる。

「…………いい。貴女、最ッ高にテンキューの好みなのですよ。
 その強さ、負けん気、ちっちゃめのボディ、よくよく見るとキュートなフェイス、あとその無愛想な言動がもう、もう…………どストライクなのですよ!!」

 感極まった声で喋り出した信繁を目の当たりにし、忠勝は突然押し寄せた怖気に身を震わせた。

「ああもう! 今すぐ部屋に戻って衣装を一式用意してくるのですよ! 白……そう純白なのですよ!
 その身を余すところなく白に包んで、ギューーーーーーーーってしてやるですよ毎日!」

 うっとりした表情を浮かべ、信繁はここではない何処かを見上げていた。
 その口元はだらしなく緩み、時折「フヒヒヒ……」と怪しげな笑みを漏らしている有様だ。
 忠勝はこの時、知識ではなく感覚として理解していた。こいつは本当にヤバイ、、、と。

「…………ふぅ。あれこれシミュレートしてみましたが、やはり白以外ありえないのですよ。
 時に三河殿、いきなりで何ですけれど、テンキューのおも……いえ、武田家に降る気はありませんか?」

 忠勝は全力で首を横に振った。
 忠義とはまた別の理由からだった。

「そう……残念ですわね」

 そう零しながらも、信繁からは残念そうな素振りは全く見られない。

「では、力づくでアナタをいただきますわ!」

 血色の悪い唇を下でなぞり、信繁は宣言した。忠勝はドン引きした。
 ――これ以上、この敵と戦い続けていてはいけない! そりゃもう色々な意味で!
 忠勝は槍型に戻した蜻蛉切りを構え直した。腰を落として僅かに穂先を下に向ける。
 これまで幾人もの敵を貫いていた下段の構え。忠勝の瞬足により電光石火の刺突を生む必勝の構え。
 これまでどおり、走り込んで槍を突き入れる。その単純な戦法を忠勝は選択した。
 否――そうするしかなかったのだ。
 蜻蛉切は最大で六メートルまで伸長するが、その長さが全てリーチに置き換わる訳ではない。対して信繁の鉄鎖は10メートル以上ものリーチを誇り、しかも六本の鎖を自在に操ることで攻撃が及ぶ範囲は、呆れるほどに広く、空間的な厚みを有している。
 遠心力を必要とする鞭や鎖の様な武器は、刀や槍と比較して初撃が遅いという短所が存在する。しかし一度遠心力を乗せさえすれば、途切れることのない連続攻撃を可能とし、やがては忠勝を阻んだあの鉄の暴風を生むことになる。そうなれば今度こそ忠勝は成す術を奪われてしまうだろう。
 故に忠勝は敵が初撃を放つその前、或いは遠心力によって加速する前に敵を討たねばならなかった。
 その為には、最短距離を最高速度で貫くしかない。

「おいでなさいな三河殿、テンキューは全力で貴方を迎え撃つ」

 対する信繁はぶらりと両腕を下げつつも、爪先を地面に立てて臨戦態勢に移行する。
 僅かの合間を置いて、再び両者は武器を手に向かい合った。

「――忠勝」

 弛緩していた空気が張りつめ、互いの感覚が極限まで鋭敏化する中で、ふと忠勝が自分の名を口にした。

「私の、名前」

 それは信繁に対する名乗りであった。しかしその意図は伺い知れない。

「――なるほど、良い名ですわね。では忠勝――きなさい」

「応」

 短く答えた直後、忠勝は爆ぜた。
 これまでの刺突とは比べ物にならぬほど、疾い突き込みであった。
 対する信繁はこれまでの様に大きく腕を振るうこともなく、忠勝に向けて小さく右腕を伸ばすのみであった。
 だが――その瞬間、フリルに覆われた袖から三本の鎖が飛び出した。これまでの様に弧を描いて側方から襲いかかるのではなく、真っ直ぐ――矢の様に撃ち出されたのである。
 未だ忠勝の槍は信繁を捉えてはいない。その場から蜻蛉切を突き入れたとしても、その穂先が信繁に届くことは決してない。対して信繁の鉄鎖は既に十分な速度を伴って撃ち出されていた。
 このままでは忠勝は槍を突き入れる前に、信繁の鉄鎖を正面から喰らってしまう。
 考えれば至極当然の話である。初撃の遅れを突いて最短距離から攻め入ろうとすれば、必然的にその軌道は直線を描く。加えてリーチの差を補う為に、忠勝は全速を出さざるを得ない。
 故に信繁は敵が突っ込んできたら、その方向に鎖を打ち出すだけで良いのだ。
 勿論、忠勝もそれは承知の上だろう。敵の初撃が自分よりも早く届くのだと知っても尚、真っ直ぐに槍を突き入れてきたのだ。
 次はどんな無茶を、どんな技巧を以って自分の予想を覆してくれるのか。
 忠勝を見据える信繁の目に宿るのは、ただ純粋な期待であった。
 だが、忠勝は何もしなかった。
 もはや回避も防御も叶わぬ距離にまで鉄鎖が伸びてきたとしても尚、彼女は真っ直ぐに突き進んでくる。肉を斬らせて骨を断つ――敢えて敵の攻撃を受けつつも、相手にそれ以上の深手を負わせる捨て身の精神が彼女をそうさせるのか、しかし信繁の鉄鎖はそれほどやわ、、ではない。
 例えうまく受けたとしても、その足は鈍り、続く攻撃を交わす暇すら与えられなくなるだろう。
 それでも忠勝は突き進んだ。
 自ら鉄鎖に飛び込む形となり――その身を貫かれる。

「―――――!?」

 そう、忠勝はその身を鉄鎖に貫かれた、、、、、、、、、、、
 《武神甲》を貫通した鎖は頭部を、胸を、右の肩を確かに貫いていた。信繁の目はその光景をしかと捉えている。見間違えることなどあり得ない。
 なのに、信繁は自分の目を疑った。疑わざるをえなかった。
 何故なら己の鉄鎖が敵を貫いたその瞬間、忠勝の姿は朧と消え失せてしまったのだから……。

 幻惑、或いは瞬間移動――様々な憶測が脳裏をよぎり、次の瞬間、信繁は左腕から鎖を伸ばし、体ごと回転させて周囲を薙ぎ払った。
 何らかの手段で敵が己を惑わしたならば、この隙を見逃す筈はない。納得できないと首を捻る理性とは対照的に、これまでの戦闘で蓄積された勘は信繁に確かな危機を訴えていたのである。
 しかし信繁の鉄鎖は全て、空しく空を切った。
 敵は何処にもいない。忠勝としてその目に移していた存在は、先の一撃で霧散してしまったのだ。

「――そんな、馬鹿なことが」

 ある。
 突如、信繁の全身を駆け抜けた悪寒が自らの言葉を否定する。

 “私は既に気付いている。有り得ないと脳がその可能性を遮断していただけ”

 幻惑? 瞬間移動? ――答えは既に導き出されていた。
 幻惑――そう、“惑わし”だ。
 超高速の攻防を可能とする《武神》にとって、相手の動きを視認してから体を動かしたのでは、思考に身体が追いつかない。 故に彼女たちは敵の僅かな兆候から次の動きを読み、視認するより先に体を動かしているのだ。 だとすれば何かしらの手段を用いて敵を惑わすことができれば、相手は現実には存在せぬ己を予見してしまうのではないか。
 そんな机上の空論が、空想の産物が――もし適っていたとしたら?
 自分が貫いたと思った敵が、本当は敵に惑わされた己が見せたただの幻覚だとしたら――?





 惑う敵の背中をしかと見据え、少女は大地を蹴る。
 吹き荒れる暴風も、不意を突いて打ち出される鉄鎖も、既に過ぎ去っていた。
 今や、彼女の刺突を阻む要素は存在しない。敵が次の攻撃を繰り出すには、既に空振った両腕の鎖を引き戻さねばならないのだから。
 ――かくて、忠勝は勝利した。
 自ら飛ばした殺気に敵が惑わされた瞬間に、彼女の勝利は確定した。





 背後から迫る敵を知覚し、振り向いた信繁の眼前で輝く一振りの槍。
 右手で蜻蛉切りを僅かに引き、左手を持ち上げて穂先の角度を変更した忠勝は、信繁の喉元で光る武神タグに狙いを定める。
 信繁に反応する時間を与えることなく、忠勝は蜻蛉切りを――

「やらせるか! 徳川――ッ!」

 下から放たれた一撃に、穂先を弾かれた。
 予想外の展開に驚く忠勝の眼前で、蜻蛉切りを弾いた者はくるりとその場で体を捻り、

「我が脚――“風の如く”!」

 そのまま回し蹴りを放つ。忠勝はすかさず蜻蛉切りを回転させ、その柄で蹴りを防いだ。
 しかし、その勢いを殺しきれず、気付けば背後に吹き飛ばされていた。
 地面を横転し、勢いを殺しながら立ち上がったその時。忠勝は己の槍が貫く筈であった敵の傍らに翻る、白抜きの四ッ菱を目にする。

「――お姉、さま?」

 呆然と呟く信繁の声に振りむき、四ッ菱を背に待とう少女がその顔を二人の目に晒す。

「――よお、すっげぇ楽しそうなことしてるじゃねえかよ」

 高等部のブレザーの代わりに真っ赤なジャージを肩にかけた短髪の少女は、白い歯を見せて笑う。

「オレもまぜろよ」

 少女の名は武田家当主、武田信玄(
たけだ しんげん)。
 虎は舞い降りた。






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