【序説】


 第三次戦国時代。
 各国の《武神》が戦国大名を名乗り、領土獲得に明け暮れた時代――その終結期。

 第一次戦国時代は初代竜皇の早逝により幕を閉じ、
 第二次戦国時代は《幕府》内のクーデターにより、《合戦》を"管理"する天乃華学園のマスターサーバーがダウン。三代目竜皇が即位するまで復旧は叶わず、なし崩し的に幕を閉じた。

 そして第三次戦国時代の幕を引いたのは――
 一人の少女の"消失"である。





 時は五月……を明日に控えた国民的大連休のある日。
 俺は未だ穢土(えど)にいて、がらんとした教室で目的もなく集まっては駄弁っていた。この時期、天乃華学園の生徒は半分が故郷に帰省し、もう半分はバイトやら部活やら補修やらで学園に居残っている。
 ちなみに俺たちはその何れにも相当せず、長い休みに暇を持て余した連中の集まりに過ぎない。
 そんな訳で本日の話題は、連休中の今後の予定について。

「なあ信長(のぶなが)、明日からの連休についての予定はあるのか?」

 スケジュール帳と睨めっこをしながら池田恒興(いけだ つねおき)は俺に尋ねてきたが、生憎と俺には予定らしい予定が存在しなかった。
 どうしたものかと呟くと、丹羽長秀(にわ ながひで)が手を上げて、

「じゃあさ、何処かに遊びに行こうよ信長様。今川軍を破った記念に――って、あ」

 隣に立つ敗軍の将を今更ながら気遣う長秀だったが、彼女は――今川義元(いまがわ よしもと)はまるで気にはしていない様子で、

「いい提案だと思うわ。穢土からは京の都まで直通の列車が走っているし、日帰りで堺に遊びに行くのも楽しいものよ」

 この話題に追随してきた。
 数日前「桶狭間の戦い」と呼ばれる《合戦》に敗北し、亡命する形で俺の配下となった彼女だったが……今川家当主の重荷から開放されたことで憑き物が落ちたのか、周囲に振りまいていた刺々しさが消え、話す声にも柔らかい響きが伴っている。

「堺ってお好み焼きとたこ焼きの本場でしょ? ボクさんせーい! 堺行きたーい!」

 堺と聞いて、前田利家(まえだ としいえ)は一も二も無く賛成の声をあげる。
 発案者の義元はそんな利家の反応に驚いたものの、無邪気に喜ぶ利家の姿に顔を綻ばせていた。

「えー、どうせ何処の観光地も人がゴミのように溢れているでありますぞ? 
 それより殿、それがしと引き籠って子作り――NO! すぐに拳で突っ込むのはやめて! もといゲームでもして怠惰に過ごすでありますぞ。求む潜友!」

「なんだオイ、それならアタシとも子作りゲームしようぜ木下ァ!」

「こっちくんな! ギャーーーーーーーーー!」

 床に押し倒されて暴れる木下藤吉郎(きのした とうきちろう)と蜂須賀小六(はちすか ころく)はとりあえず放っておくとして、学生寮でダラダラ過ごすのも中々魅力的な案と言える。買ったは良いがまだクリアーしていないゲームもあるしな。長い連休中に世界樹の迷宮を制覇したり、コスタリカから謎の武装集団を追い出すのも悪くない。

「旅行もゲームも良いが、お前たちは帰省しなくて良いのか? 
 信長、私は尾張に一度帰ることを提案する。徳川家との同盟や今川家との交渉についても、実家の家臣団と協議したいところだしな。
……ん? どうしたそんなに渋い顔をして」

「……何でもねえよ。悪いが恒興、その案だけは却下だ」

 ふと、半月前の記憶がフラッシュバックする。
 したたかな姉と妹に一杯喰わされた苦い……と云うよりはむず痒い思い出が、俺の反骨精神に火を付けてくれたらしい。自分の提案を却下された恒興は俺を見て、何かしら察してくれたのだろう。呆れる代わりに「そうか」とだけ呟いて、スケジュールの調整を続行する。

「じゃあお出かけだね! 美味しい食べ物も良いけど、堺ならお笑い芸人にも会えるかもしれないし」

 存外なミーハーな長秀と、食いしんぼの利家は堺への旅行を推し、

「なりませんぞ殿! 長い連休中はそれがしと二人でゲームだゲーム! ようこそアウターヘヴンへ!」

 藤吉郎は藤吉郎で怠惰なオタライフを提案する。それも悪くないんだよなあ……

「私? 私はどっちでも。アナタの好きにすればいいじゃない。ふん!」

 一方新しく仲間に加わった義元は、どちらにも加担せずに中立を守るつもりのようだ。
 しかしこの女、以前にも増して言動がツンツンしてきたのは気のせいだろうか。やはりあれか、風呂場でマイサンを晒してしまったことを根に持っているのだろうか? ゴシックな縦ロールをやめて、ふんわりウェーブな俺好みの髪型に変わったと云うのに、実に勿体ない。

「さて、どうしたものかな……」

 明日からの予定を決めあぐね、ふと窓の外に視線を映したときであった。
 携帯電話から、メールの着信を知らせるメロディが鳴り響く。見ると一通のメールが届いていた。
 差出人はお濃さん。一体何の用事だろうとメールを開くとそこには――

『 親愛なるご主人様へ。
  宜しければ明日からの連休、お濃の実家に遊びに来ませんか?
  母が是非ともご主人様に会いたいそうです。
  もちろん皆さんで来て下さっても構いませんわ。
  では返事をお待ちしています。
                    あなたの帰蝶より  』


 締めの一文には大いにツッコミを入れたくなったが、それよりも俺はメールの中にある一つの単語に意識を集中させた。
 お濃さんの本名は斎藤帰蝶(さいとう きちょう)。
 美濃国から嫁いできた女の人と云うことで、周囲からは「お濃さん」と呼ばれているのだ。
 そんなお濃さんの母親の名は――

「う、うそ。管理人さんのお母様ってまさか……」

 驚く義元に俺は言った。

「美濃国の戦国大名にして、マムシの異名を持つ《武神》――――斎藤道三(さいとう どうさん)だ」









第十二話 『蛇の名は』


【1】


 尾張国、那古野(なごや)城。
 俺が母さんから任された那古野の地を治める拠点であり、城としての規模は小さいが、そこに集まる御家来集は平均年齢も若く、古くから俺に付き従っていた者が中核を占めている。
 何れはこの那古野を穢土や堺に負けない都市にするべく、精力的に働いている連中だが、その第一弾として再築された那古野駅は、"オレンジ・ライト"と"グリーン・レフト"と呼ばれる二つの尖塔を備えた巨大な建造物で通称をヤクト・ミラー……もといツインタワーと呼ばれていた。
 現在は職員と駅員の宿舎としてしか使われていないが、何れは片方の塔にオタクショップとホビーショップとメイド喫茶を招致して、俺の俺による俺の為の生活空間を確保してやるのだ。フゥーハハハ!
 そう提案したら、全会一致で却下されました。残念!

 閑話休題。
 その那古野駅で電車を乗り換え、約二十分ほどで俺達は美濃国の駅に到着した。
 駅からはバスに十分ほど揺られ、着いた先は美濃国の中心地――稲葉山(いなばやま)城であった。

「うわーーーーーーー、きれーーーーーーい!」

 バスから真っ先に降り立った利家は、目の前に広がる光景に感動を露にする。
 稲葉山のすぐ隣には長良川が流れており、小高い山頂には白い天守閣が陽を反射して輝いていた。中々に風光明媚な場所であるなと。俺も素直に感心した。
 この日の利家は白いパーカーにグリーンのキュロットスカートと云う格好で、背負ったリュックのデザインや野球帽も合わせて、遠目からはまるで少年のようにも見える。尤も服装を改めれば、犬の耳のようなお下げとくりくりした瞳が愛らしい女の子に変わるのだが。
 そんな利家の胸の膨らみは服の上からでも明らかで、今後が実に楽しみである。良哉良哉。

「……信長様、さっきから利家の胸ばっかり見てない?」

 ジト目で抗議する長秀は長い三つ編みが特徴的で、それなりに美人だと思うのだが……本人曰く「影が薄い」らしい。
 そんな長秀は可愛らしいデザインのブラウスに、ジーンズの鮮やかなブルーが生えている。小振りなヒップラインと長い足が堪能できて個人的には実に眼福なのだが、一方で寒くはないだろうかとも疑ってしまう。
 かく言う俺は今、レザーのジャケットとパンツにシャツとネクタイを合わせている。
 パンクなイメージを目指したのだが、何故か他の連中からはダメ出しを喰らってしまった。
 しかも藤吉郎の奴が、「やめて! 殿なりにお洒落頑張ってるのを責めてないで!」などと、傷口に塩を塗りこむような真似をしてくれたため、テンションを上げ直すのが大変だったんだぞ本当にもう!

「おう、また大きくなったなと思ってな。六年後が実に楽しみだぜ……」

「やらしいなあ……でも確かに発育良いよね利家。まあ、あれだけ食べて運動していれば当たり前か」

 そう言って長秀はそれとなく自分の体をチェックし始める。
 別に太っているようには見えないのだが、女ってのは些細に見える点まで気にする生き物だからな。以前もダイエットを始めた長秀をからかったら、かなり恨みがましい目で「信長様に普通の女の子の悩みは分からないよ……」と睨まれた記憶もあることだし。

「そこの長秀と信長、邪魔だから動け」

 その声に慌てて横に退くと、間を割って恒興が前に出る。
 飾り気のない髪型に銀縁フレームの眼鏡をかけ、装いはシックな色合いのスカートとカーディガン。文系少女を絵に書いたようなファッションだが、眼鏡の奥の視線は突き刺さるように鋭い。
 機嫌が悪いのだろうか、眉間には軽く皺が寄っていた。

「全く、これだからバスは嫌いなんだ……タクシーのほうが余程心地が良い……」

 ぶつぶつと呟きながら、恒興の顔は益々渋いものに変わっていく。今ならその目つきだけで人が殺せるに違いない。そう言えば恒興の奴、乗り物酔いしやすい性質だったな。電車は平気だがバスは未だに鬼門らしい。

「おい大丈夫かよ池田っち。ほれ、薬飲め」

 続いて降りてきた小六が水筒と薬を恒興に手渡した。
 がさつな様で意外と気が利くのが、この子六だ。恒興が酔ったり利家がはしゃいで怪我をするといつも、懐から医薬品を取り出して介抱してくれていた。
これでヤンキーのように金髪と、外出着がジャージじゃなかったら、もっとモテそうなのになあ。
 つくづく残念な奴だと思う。

「HAHAHAHA! 優等生のくせにバス酔いだなんて、恒興殿もかーわいいとこがありますな。
かく云うそれがしは、バスだろうと船だろうと乗り物風情に酔えるほどデェリケィトな体はしてませんですよ! だって殿が毎晩激しくそれがしを揺すぶ――」

 その続きを口にする前に、俺は藤吉郎の襟首を掴み、

「――恒興」

「分かっている」

「お? なに目と目で通じ合っちゃってますか? なになにそれがしに対して何のアイコンタクトを?」

 そのまま頭上に放り投げた。
 空中で回転しながら落下する藤吉郎に、恒興は指鉄砲を構え――

「悪いな藤吉郎、これも信長との約束でな」

「そんなところまで律儀に守らなくて――もぶべらっ!」

 藤吉郎は空に高く、そして遠く舞い上がった。
 恒興の《武神技》、『空蝉乃弾(うつせみのたま)』。
 その効果は圧縮した空気を打ち出して破裂させると云うもので、衝撃波をまともに浴びた藤吉郎は空を舞い、そして長良川に墜落した。

「うわ……相変わらず容赦ないね、二人とも」

 長秀は同情するが、水没したまま浮上してこない藤吉郎を助けに行こうとはしない。
 その程度で死ぬような藤吉郎ではないし、どうせすぐに何事も無かった顔で戻ってくることは分かりきっている。かつての二つ名『蘇りし者(ザ・ゾンビ)』は伊達ではない。まあさっき思い付いたんだけど。

「ちょ、ちょっと川に落ちたわよ、あの子! 幾ら何でもやり過ぎじゃない!?」

 一方、藤吉郎の扱いに慣れていない義元は慌てふためくが、恒興は「そんな必要はない」とあっさり見捨ててしまう。

「義元殿には驚きだろうがいつものことだ。ああでもしないと調子に乗って五月蝿いだけだからな」

「サルちゃんならだーいじょうぶ! だってサルちゃんも半分楽しんでいるから――って殿が言ってた」

「先輩も早く慣れたほうが良いよ。私たちというか信長様にとってはいつものことだし」

「常識、私の知っている常識は何処? って云うか貴女たちおかしいから絶対に!」

 理解できないと頭を抱える義元だったが、その内に慣れることだろう。
 藤吉郎のテンションに付き合うためには、これくらいのガス抜きが必要なのだ。うん、何も間違ったこと言ってないよね俺たち?

「それより先輩、その服可愛いねー! ねえ何処で買ったの?」

「え? 何処でって……これはその、妹がプレゼントしてくたれものだから、店まではちょっと……」

「妹って、ああ氏真ちゃんか。じゃあ今度聞いてみようっと」

 長秀がいたく執心していたのは、義元が着ているフリル付きのワンピースだった。
 落ち着いた色合いと、品のあるデザインがお嬢様然とした義元によく似合っている。
 結構俺好み。
 出発前にそう褒めてやったら、義元は怒ったように顔を赤くして

「べ、別にアナタの為に着て来たわけじゃないわよ! ふん!」

 と逆ギレされました。……あれえ?

「……でも、本当に大丈夫なの? 死にはしないとしても、服だって濡れちゃうし……やっぱり誰か助けに行ったほうがよくない?」

 どうにも藤吉郎が心配で仕方ないらしく、義元はここから動こうとしない。
 なので俺は小六に声をかけた。

「上がってきたら介抱してやれ小六。俺達は先に城に行くからな」

「おう、先ずは人工呼吸だな! うはwwwおkwwwうぇwwwみなぎってきたwwwwwwwwww」

 おそらく這々(ほうほう)の体で川から上がってきた藤吉郎は、そこで待ち構えていた小六に押し倒されて救命活動を装った陵辱を受けることになるだろう。哀れに思うが相手は小六だし、まあいつものことだし、そもそも被害者は藤吉郎なので罪悪感など皆無に等しい。
 そんな訳で俺と恒興と長秀と利家と義元は停留所を後にし、麓に広がる城下町に向かうことにした。





「はぁいご主人様、あなたのお濃はこちらですよ~♪」

 城下町の中央通り、その先にあるロープウェイ乗り場。そこに一人のバスガイドが立っていた。
 美人である。しかも町の住民にとってはおそらく見慣れた顔の女性の筈である。そんな人が俺たちに向けて砂糖をまぶしたような甘い声をあげ、ぶんぶんと手を降っている。

「……なあ恒興、帰ってもいいか?」

「そうしたい気持ちは山々だが、もう手遅れだ信長」

 恒興に促されて周囲を眺めると、物珍しそうな顔をした住民の視線に俺達はすっかり包囲されていた。
 稲葉山の城下町は観光地化していることもあって、町の住民から観光客までもが俺達に注目している。
 その中を無言で駆け抜け、俺達は美人バスガイド――のコスプレを決めたお濃さんの脇も抜け、視線が遮断された場所を発見するとそこで足を止めた。誰からともなく息を吐く。目に見えない圧迫感に誰もが息苦しさを覚えていたのだろう。俺もその一人だった。

「あらあら、ひどいですご主人様ったら」

 不自然に体をくねらせながらお濃さんが近づいてきた。

「もう、濃を無視して行ってしまうかと思いましたよ。あ、それとも仮装が完璧すぎて気付かなかったのでしょうか?」

「そういうことにしておいてください」

 呆れるあまり、突っ込む気力すら失ったからね!
 いつもは黒と白の対比が眩しいメイド服を着ているお濃さんは今、紺色のスマートな制服に身を包んでいる。

「ちなみにこの制服ですけれど、濃のバイト先で実際使われているものでして――」

 突っ込んだら負けだぞ俺! 耐えろ!

「折角、ご主人様たちが美濃にいらしてくれましたもの。これは濃も気合を入れてお出迎えしたいと思いまして」

「気合を入れる方向が間違っている……よね?」

 ごく常識的な長秀の指摘に、恒興と義元は揃って頷いていた。

「では早速ですがご案内いたします。濃が産まれた家――稲葉山城に」

 お濃さんの言葉に続いて、古めかしいブザーがロープウェイ乗り場に鳴り響く。
 程無くしてコンクリートで打ち固めた搭乗口に、目にも鮮やかな朱色のゴンドラが入ってきた。
 鉄が軋む音を立てて到着したそのゴンドラはバスを半分ほどに切った大きさで、俺達が乗り込むと席は半分ほど埋まってしまった。
 藤吉郎と小六は未だに姿を見せなかったが、折角二人きりになれた機会をあの変態――もとい小六が利用しない道理は無い。今頃は一方が一方に対して一方的にお楽しみの時間だろう。
 遠くからあられも無い悲鳴が聞こえてきたような気もしたが、当然のように無視した。

 ゴンドラが動き出すと、利家は興奮の声を上げて窓に張り付いた。
 そして遠ざかっていく街の景色に目を輝かせる。
 隣りでは義元が呆れつつも優しい目をして、時に相槌を打ちながらはしゃぐ利家を見守っていた。
 実の妹にも慕われていることからして、実は面倒見の良い性格なのか? そんな疑問が湧いて俺はそれとなく義元の横顔を眺めていた。最初に出会った時には想像もつかなかった穏やかな表情と、人柄の良さを偲ばせる微笑。本当に別人のようで只々感心するしかない。
 義元が俺の視線に気づいてないこともあり、もう暫く眺めていたい気持ちだったが……そうはいかない事情が俺にはあった。

「さてお濃さん、そろそろ聞かせてはもらえないだろうか。
 貴方の御母堂――マムシ殿は何を考えておられるのだ?」

 前置きもなく、恒興は正面から切り込んだ。
 俺達が美濃国に来たのは観光ばかりが目的ではない。この国で生まれ育ち、尾張まで嫁いできたお濃さんの母親――美濃国を代表する《武神》、斎藤道三直々の招待を受けたと云うのが最大の理由だ。
ち なみに公式の訪問ではなく、あくまでお濃さんを通じた私的なものである。
 よって尾張の家臣団や筆頭家老の柴田さんにもこの件については連絡を入れていない。入れたらその時点で外交問題に発展することになるからだ。

 俺が支配する尾張国と美濃国は、お濃さんが俺の婚約者として嫁いできたことからも分かるように、かつては同盟を結んだ関係であった。
 ちなみにお濃さんとの婚約云々は既に形骸化している。元から俺にそのつもりはなかったし、お濃さんはお濃さんで尾張での暮らしを気に入ってしまい、なし崩し的に今の関係は出来上がっていた。

 だが、それも過去の話。
 現在、美濃国を実質的に支配しているのは道三の娘であり、お濃さんの姉でもある斉藤義龍(さいとう よしたつ)だ。年齢が年齢だけに当主として天乃華学園の武神科には通っていないが、現当主の斉藤龍興(さいとう たつおき)は義龍の妹で、姉の意のままに動く傀儡だと専らの噂である。
 更に義龍は母親である道三と相当に仲が悪いらしく、かつては当主相続を巡って大規模な内紛が行われたらしい。その結果、道三は隠居に追い込まれて義龍は美濃の支配権を獲得した。
 そして尾張国に対しては同盟を破棄して公然と敵対する旨を発表。
 つまり、現在の美濃国は尾張国にとって隣接する敵国であり、いくら交戦が禁じられているとは行っても呑気に観光できるような土地でないことは確かだ。しかも俺達を招いたのが義龍と敵対する道三公と来れば――キナ臭いにも程がある事情が今、俺達を取り巻いていてた。

「まさかとは思うが、義龍公との政争に私達を巻き込むおつもりか?」

 オブラートに包まれるような問題に、正面から抜き身の刃で斬りつける恒興。
 持ち前の傲岸不遜な性格の成せる技か、或いは早くも乗り物酔いして機嫌が悪いのか――多分両方だろう。

「いえいえ、お母様に限ってそんなつもりはありませんわ。以前からご主人様とお会いしてみたいとやかま――いえ常々口にしておりましたので」

 一部本音を漏らしつつ、お濃さんは首を横に振った。
 その表情からは相変わらず本音を読み取ることができない。お濃さんに限って俺達を実家の政争に利用する腹積もりはない――と信じたいが、背後にあの斉藤道三が控えているとしたら話は別だ。
 またの名を“美濃のマムシ”。
 仕えた主を尽く利用しては踏み台とし、一介の商人から美濃国を支配するまでに登り詰めた、謀反と謀略の申し子。毒蛇の如く関わった人間を死に至らしめ――ゆえに蝮と呼ばれた女傑の存在を知らない者はいない。
 かの北条早雲公と並ぶ下克上の代名詞とまで呼ばれた道三公だが、その姿は驚くほど知られていなかったりする。
 元より公の立場に顔を見せる機会が少なく、天乃華学園に在籍していた時も《合戦》で目立った武功を上げる機会も少なく、内輪で陰湿な権力争いを繰り広げていたと聞いていた。領国に於いても家臣の一部を除いては声すらまともに聞いたことがないらしく、物騒な二つ名も合わせて、極めてミステリアスな存在として有名だったのである。
 俺も気になって、何度かお濃さんに訪ねてみたのだが――

「濃のお母様ですか? うふふ、ちょっと一言では言い表せない方ですわ」

 などとあからさまに韜晦しては、結局何も教えてはくれなかった。
 そんな道三公がこの俺を名指しして呼び寄せた。ロープウェイで登った先の山城に、あの毒蛇が待ち構えている――そう考えると、とたんに尻が座らなくなるような、期待と不安が綯い交ぜになった感情に全身が急き立てられた。

「でも……これだけは確かに言えます」

 お濃さんは俺達を順に眺めたあと、再び俺に視線を戻してから言った。

「お母様はご主人様のことをとてもとても――気に入ってみえるのですわ」





「……まさかこんなところにメメクラゲが以下略」

 全身水浸しの少女が長良川沿いの堤防をとぼとぼと歩いていた。
 先程、川辺に投下された木下藤吉郎である。
 薄手のパーカーは水を吸ってずっしりと重くなり、短いスカートからは歩く度に無数の雫が滴り落ちている。赤みの強い薄茶色の髪はべっとりと額に張り付き、疲弊して白くなった顔色はまるで病人のようであった。
 道行く通行人も少女の無残な姿にぎょっと目を剥くが、好んで関わろうとはしない。厄介事が服を着て歩いているようなもので、頼んでも無いのに進んで道を開ける始末である。

「けっ、どいつもこいつもそれがしを疫病神みたいな目で眺めやがって……ああでも、そんな世間の辛辣な視線を浴びていると、恥辱と云う名の悦楽に覚・醒ッ!」

 通行人に避けられる理由は、決して非常な世間だけにあった訳ではなかった。
 人目を憚らず叫んでは悶える藤吉郎の姿に、警察への通報を考える者も少なくなかったらしい。

「うぉーい、木下ァーーーーー!」

 反対側の川岸には藤吉郎を探す小六の姿があり、それを発見した藤吉郎は慌てて川から離れていく。
 当然の反応であった。
 しかし小六から逃れたところで、ろくに着替えも持っていない今の藤吉郎に信長たちと合流する術はない。このままではいつか不審人物として通報され、警察のお世話になることは間違いない。その上で身元を調べられたら、すぐに敵国の《武神》であると判明し、美濃と尾張の外交問題に発展することは火を見るより明らかだ。

「そんなことになったら、恒興殿と柴田さんにどんな仕置を受けることやら……」

 藤吉郎の脳内に掛川(かけがわ)宿の童謡がむーざんむざんと鳴り響く。
 苛烈の一言に尽きる罰を回想しては、藤吉郎は益々顔を白くさせた。
 だが天に彼女を見捨てるつもりは無かったらしい。ずぶ濡れで体も心も冷え切った藤吉郎に、声をかけた者がいたのである。

「こら、そこの不審者。見ているこちらが寒々しい」

 長い髪を後ろで束ねた、眉目秀麗な人物である。
 年の頃は藤吉郎より僅かに年上だろうか……いや藤吉郎自体が同年代よりも幼い顔付き(+体格)なので、実際は同じ年齢なのかもしれない。線が細く中性的な顔立ちであったが、少年のようにも少女のようにも見える。唯一、糊の効いたモノクロの燕尾服から性別を判断するしかなかった。
 全身水浸しの藤吉郎にも負けない非日常的な格好であったが、きりりと引き締まった体格と姿勢が不思議と違和感を感じさせない。その人物が、無言で藤吉郎の着ていたパーカーを引っ剥がした。

「ぬわ、なにしやがるでありますか、半兵衛(はんべえ)!」

 説明もなく上着を脱がされた藤吉郎が抗議の意を込めて、相手の名を読んだ。
 しかし半兵衛は抗議を無言で聞き流し、代わりに肩に大きなバスタオルをかけてくれた。

「先ずはそれで全身を拭いてから。風邪を引きたいのなら無理にとは言わないけど」

「あざーす! 喜んで拭かせていただくでありまーす! 
 うう……持つべきものは気の利く友人でありますな」

 半ば本気で涙を浮かべながら、藤吉郎はびしょ濡れの全身を勢い良くタオルで吹いていく。とは言え流石に、人目に付く往来では全身をくまなく拭かせてはもらえない。それを察していた半兵衛がすっと手を挙げると、近くに止まっていた黒塗りの乗用車が動き出した。半兵衛の燕尾服と同様に非日常的な高級車である。

「ある程度拭いたらこれに乗れ。着替えくらいは昔のよしみで貸してやる」

「おおう、それは助かるでありますな! 
 流石は半兵衛、何から何までお世話になりっぱなしで悪いでありますな~」

「気にするなよ。いつものことだし」

 そう行って半兵衛は笑った。
 半兵衛と藤吉郎はいわゆる幼馴染である。
 付き合い自体はそれほど長くはないが、藤吉郎にとっては数少ない友人であり、半兵衛自身も彼女を特別な友人と考えていることは、気安い口振りからも明らかであった。
 数年来の友人に出会えたこともあって、藤吉郎は二つ返事で黒塗りの高級車に乗り込んだ。
 すると奥の席には彼女より年上の女性が、カーキグリーンの制服を着て座っている。その制服を目にした瞬間、藤吉郎の動きがピタリと止まった。装飾よりも機能性を重視したその制服は、人を否応なしに緊張させる代物であったのである。

「はれ? 何で警察が……?」

 藤吉郎が呟いた通り、その制服は警察官――しかも《武神》関係の犯罪を専門に取り締まる、同じ《武神》の警察官――通称《武警》だけが着用を許されていた。
 何故友人が呼びつけた高級車に、《武警》が登場していたのか。その疑問が解決する間もなく、藤吉郎は背後から押されるようにして車に乗り込まされた。そして気付けば、藤吉郎は二人の《武警》に左右を固められていた。

「こ、これはどういうことでありますか……?」

 藤吉郎に遅れて助手席に乗り込んできた半兵衛は、藤吉郎に震える声に笑顔で応じる。

「言うのが遅れたけどね、僕は今この国の領主様に仕えているんだよ。
 ……あ、そう言えば藤吉郎は隣の尾張で士官がかなったそうだね。おめでとう、僕も嬉しいよ」

 半兵衛の白々しい物言いに、今更ながら藤吉郎は自分が犯した失態を悟った。
 今の言葉を信じるのであれば半兵衛の主とは現・斉藤家の当主――斉藤龍興に他ならない。
 そしてその龍興の姉は斉藤義龍。
 かつて自らの母親を隠居に追い込んだ、斎藤道三の政敵の名である。






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