【序説】


――第三次戦国時代。

 それは神州国・天乃華学園にて、《武神》と呼ばれた少女たちが互いの覇権をかけ、領土紛争に明け暮れた戦乱の時代――その終結期である。









外伝 『俺の姉がこんなに可愛いわけがない』



 四月も半ばの話である。
 俺は実に半月ぶりとなる、実家の廊下を歩いていた。一般的に尾張国の清州城(きよすじょう)と呼ばれる実家は、まあそれなりに広い屋敷で。
 廊下に面した中庭では、鹿威しがカコーンと雅な音を立てている。

「それにしても、のぶくんが来てくれるなんて思いませんでしたよ」

 俺の右斜め前を歩く柴田さんは、今日で何度目になるか分からない言葉を繰り返しては、振り向いて俺の貌を覗きこんでくる。
 対する俺は何とも気恥ずかしいので、それとなく目を逸らしてしまうのだが。

「ゆっくりしてと言いたいところですけど、そうもいかないみたいですし。せめてお昼だけでも……」

「いいよ、帰りにハンバーガー食って済ます」

「ハンバーガーって……いけませんよ、のぶくん。
 あんなものは油と資質の塊であって、ロクな食べ物じゃありませんっ。外食ならお金もかかるし、その分、お姉ちゃんのご飯なら栄養バランスも完璧で、ついでに無料なんですよ?」

「じゃ、じゃあ牛丼で」

「再生牛の肉を混ぜて安くした物なら許可しません。
 もちろん、お姉ちゃんの作る牛丼なら国産放牧牛で安心安全ですよ♪」

「ら、ラーメン……」

「実は最近、手打ち麺に凝っているんです」

「……つまり俺に選択権はないと?」

「そうなりますね」

 笑顔で言い切ったよこの人!
 だから実家は苦手なんだ。柴田さんも決して嫌いではないけれど、なんやかんやと俺の世話を焼いてくるのがどうにも気に入らない……じゃなくて、気恥ずかしい。
 俺だって次に誕生日が来れば、合法的にエロゲーを買える年齢になる。つまり、もう大人だ。
 だからいちいち世話を焼くな――と言ったところで、柴田さんは聞く耳を持たないだろう。
 それどころか……

『のぶくん、大人と云うのは働いてお金を稼いで、社会的にも様々な責任を負うことで初めて名乗ることができるものなのです。
 なのに、のぶくんったらお小遣いを趣味に使う一方で、食費や身の回りのことは全部他人任せじゃないですか。当主としての仕事も池田さんや丹羽さんにまかせっきりと聞きましたよ? 
 いいですかのぶくん、人の上に立つ人間とはですね……』

 そんな感じで、みっちり説教された上に……

『時に勝家さん、ご主人様ったら毎日毎日別の女の子にお弁当を用意させていましてね。
 御蔭で濃はメイドとしての本分が全うできず、毎夜枕を涙で……よよよ』

『の~ぶ~く~ん~!』

 お濃さんがあることないこと吹き込んで、俺を窮地に追い込むものだからマジで勘弁して下さい。
 ちなみに実話。
 かくして昼食選択の自由を剥奪された俺は急遽、昼食を用意してもらうまでの時間潰しを模索する必要にかられた。要するに暇を持て余した。二年前にこの清州城を飛び出し、一人暮らしをしていた身だ。当然のことながら自室は綺麗さっぱり片付けられ、当主となった今でもその部屋は妹のものだ。
 いくら当主が交代したとは云え、心の病に伏せっている妹(あいつ)を追い出すことは絶対にしたくない。少なくとも、もう一度顔を見せてくれるまでの間は。

「……お、アニキ様だ。おーい」

 当てもなく廊下を歩いていた俺を、誰かが呼び止めた。
 声の主は「アニキ様」と云う珍妙な呼び名から直ぐに察しがつく。
 声がした方を向くと、そこに地元の中学校の制服を着た少女が立っていた。吊り上がった大きな目、整った鼻筋の細面。ストレートの黒髪をポニーテールにすれば、驚くほど俺にそっくりな顔をした彼女は――

「よお犬(いぬ)、久し振りだな」

「アニキ様も元気そうで嬉しいぞ。お、そう言えば当主就任おめでと」

 織田犬(おだ いぬ)。
 俺こと織田信長(おだ のぶなが)の妹の一人だ。
 犬は当主就任を祝ってくれたが、俺としてはなりたくてなった訳でもないし(だからと言って降りるつもりもないが)、何より先代当主の信行(のぶゆき)のことを思えば社交辞令でも喜ぶ訳にはいかない。
 そんな俺の心情を犬はすぐに察してくれたのだろう。すぐに話題を変えてくれた。

「時にアニキ様、なんで実家(ここ)に? 帰って来るとは聞いてなかったぞ」

「ああ、学校(むこう)の生活も少し落ち着いたしな。
 めんどくせえ手続きとか、家臣への挨拶をまとめて済ませてきたところ」

「ふぅん。で、今日は泊まっていくのか?」

 期待が込められた犬の言葉に、俺は首を横に振った。
 流石に犬は苦手な人間ではないが……正直なところ、実家には一日たりとも長居するつもりはない。
 その理由の一端は家臣団を前に当主就任の挨拶をした、つい一時間前に遡る。
 一応フォーマルな場なので制服を着るべきと柴田さんは言ったが、俺にとって今の制服は天乃華学園の制服――つまりスカートひらひらの女物なのだ。学園では性別を偽っているが、流石に織田家に仕えて来た家臣連中は俺が男だと知っている――それも最近危うくなってきたのだが――筈だ。
 そこで俺は当主の権限を利用し上下黒のスーツで皆の前に登場してやった。
 細身の体にもフィットする、シンプルだがスタイリッシュなスーツである。これを見れば、俺のことを散々女扱いしてきた連中も、このイケメンっぷりに目を醒ますことだろう。自分でイケメンとか言ってて恥ずかしくなってきたが、問題はそこじゃない。

「――当主、織田信長である」

 その口上と共に登場した俺を出迎えたのは、あからさまな落胆と失望を称えた表情の家臣団だった。
 最初は俺への反発だとか、或いはお洒落に失敗したとか、そんなネガティブな理由が頭を過った。
 しかし現実はそうじゃなかった。

「……なんで、スカートじゃないんですか?」

 誰かがポツリと漏らした一言に続き、ぼちぼちと家臣団の漏らした呟きが俺の耳に届いた。
 曰く、

「ご当主の制服姿を楽しみに来たのに……あんまりだっ!」

「黒ストかニーソか意表を突いて生足うひゃっほうとか、最初に言ったのたは誰だ! 訴えてやる!」

「おまいら落ち着け、途中でお色直しという可能性もある。まだだ、まだ希望は捨てるな!」

「あ、でもわたし、スーツ派だから無問題。男装女子とか最高じゃね?」

「わたし女だけどご当主に萌えない人って変だと思う」

 ――よし、お前ら全員死刑。
 思わず本気の殺意を飛ばしそうになった俺を柴田さんが素早く制したこともあり、当主就任の挨拶は滞りなく終了した。
 もうやだこの変態ども。

「もうすぐ学園(むこう)に戻るからな。……そうだ、犬も一度遊びに来ないか? 
 穢土(えど)はいいぞお、何せ秋葉原に電車一本で行けるからな」

「マジかアニキ様! ……うん、夏休みにでも柴田さんに頼んでみる。市(いち)も一緒にな」

「あいつは連れてこなくていいからな、マジで」

 平和な学園に血の雨を降らせる訳にはいかんのである。

「む、そんなことを言っては市が悲しむぞ。
 前から思ってたが、アニキ様は私や信行姉(ねえ)には優しいくせに市には冷たいな。
 ひょっとしてあれか、ツンデレ?」

「メンヘラに対する常識的な防衛反応と言え。
 知ってるか? あいつが浅井家に嫁いだ時から尾張の治安が劇的に良くなったんだぞ?」

「アニキ様は冗談がうまいな。あの虫も殺さない市が、まるで凶悪犯罪者みたいに言う」

「……そのものズバリなんだがな」

 まあ、あの「妹」と書いて「殺人鬼」と読む市は、猫を被ることに関しては天才的だからな。
 双子の姉がすっかり騙されていたとしても、ちっとも不思議ではない。
 ちなみに犬が約束を無視して市を連れて来た場合、俺は即刻逃亡する腹積もりだった。そうすれば学園に血の雨が降ることだけは避けられるだろう。

 それはさておき。

「なあ犬、昼飯が出来るまでお前の部屋にいてもいいか? 暇で仕方ない」

 中学生ともなれば、家族と言えども異性を部屋には入れたがらないお年頃だが、犬は例外だった。

「お、構わんぞ。ただし、私は"蔵"に行くつもりだから、そちらで良ければの話だが」

「ああ、もちろん」

 互いの快諾を得て、俺たちは城内に建てられた土蔵に向かった。
 白塗りの頑強な壁に囲まれた土蔵は窓が一つしか無いこともなって、昼であっても室内は真っ暗だ。けれど犬は構うことなく足を踏み入れ、照明を点ける。オレンジ色の電灯に照らされて浮かび上がって来たのは、あちこちに散乱して積み上げられた無数のガラクタたち。金属とオイルと微かな錆の匂いが漂うこの空間こそ、家族しか知ることのない犬の内面であると言っても過言ではなかった。
 土蔵の奥。そこだけ二階建てになったスペースにはベッドと、パソコンや作業機械に囲まれたスチール製の机が置いてある。市はそこに座ってパソコンを立ち上げ、俺には「適当にくつろいでいて」と云うのだが、土蔵の中はガラクタで埋め尽くされ、床かベッド以外に休める場所はない。
 なので俺は犬のベッドに腰を下ろしたが、犬は何も言わなかった。

「今度は何を作ってるんだ?」

「うん? えへへ、ないしょー♪」

 外では貞淑なお嬢様。俺の前では弟みたいな妹。
 しかし大好きな機械を弄っている時だけ、犬は無邪気な子供の顔になる。
 器用なものだなと感心する一方で、俺はどの犬も公平に可愛がってやることに決めていた。

「でも、アニキ様だけにはヒントをあげるぞ。
 新しい《埋葬武装(ロスト・ガジェット)》なんだ。今度こそアニキ様も大喜びの逸品だ」

「そうか、でもいらないからな」

「……前言撤回。アニキ様は私にも優しくない」

 厚意を無下に断られて、犬は拗ねたように口を尖らせる。
 しかし機械弄りが大好きな妹は残念ながら、情熱に見合うだけの才能には恵まれなかった。彼女の作るヘンテコ兵器の被害を受け続けて来た、この俺こそが証人である。
 ちなみに犬のヘンテコ兵器最新作は名を『ケンダマフレイル』と云い、犬の言葉を借りれば「それはケンダマとフレイルを組み合わせた、全く新しい近接兵器」らしいのだが、そもそも《地脈》から発掘された前文明の遺物である時点で全く新しくない。
 勿論兵器としての性能は言うまでも無く、今では土蔵の隅で埃を被っていた。

「そんなことよりさ、色々と訊いていいか?」

 暇つぶしに漫画でも読もうかと思ったが、生憎と犬の書庫は専門書ばかりで暇すら潰せそうにない。
 そこで俺は久し振りに顔を合わせたこともあって、犬から実家の話、とりわけ他の家族についてあれこれと尋ねてみた。犬や信行の近況、学校や友達の話、お互いの趣味、そして血は繋がっていないものの、姉も同然な人についても。

「そういやさ、柴田さんってまだ彼氏いないの?」

 俺の質問に犬はキーボードを叩く手を止め、「なんでそんなこと聞くの?」と抗議の視線を飛ばす。
 それだけで俺は質問の答えを察することができた。なんだ、まだいないのか。

「確かに家の仕事で忙しそうだけど、なんでまたアニキ様がそんなこと気にするの? 
 ……あ、もしかしてアニキ様は柴田さん狙ってるの?」

「しししし」と嫌らしい笑いを漏らす犬の詮索に、俺は「まさか」と手を振る。

「あの人は姉貴だろ? 市じゃないんだからそんな趣味はねえよ。……たださ、あんなに美人で優秀な人なのに、男っ気が全く無いってのも心配だろ? 家族としては」

 家族であることを強調すると、犬も「たしかに……」と頷いてくれた。

「やっぱり、あの傷が原因なのかな?」

 犬が言う「傷」とは柴田さんの左の顔に走る、縦一筋の刀傷である。
 まるでアニメや漫画の海賊のように凄惨な傷痕であるが、俺は逆に格好良いと思っている。
 かつても今も一人の《武神》として活躍する、織田弾正忠家筆頭家老・柴田勝家(しばた かついえ)こと柴田さんは、あの傷を自分の身に刻まれた誇りだと言う。そして、それを笑ったり嫌悪するような人間は織田家にはいない筈だ。いたとしたら直ちに叩き出してやるところだ。
 けれど、そうしたことを気にする器の小さい男もいるのだろう。
 特に《武神》間の婚姻には互いの家の面子や、他家への政治的効果が大きくかかわって来るから、一概には否定できないのだ。
 全く以って、反吐が出るような話であるが。

「……だとしても、あれだけの出来た人を放っておくなんざ、男として不甲斐無いにも程があるぞ。俺が他所の人間ならすぐにでも口説くんだけどな。
 ……もちろん他所の人間であるという前提の話だからな?」

「ししし、分かってるぞアニキ様。
 でも、その心配は杞憂かな。だって私、柴田さんのことが好きな人知ってるもん」

 犬が何気なく放った一言に、俺は思わず立ち上がっていた。

「マ、マジか? 誰、誰なんだよそいつ?」

「落ち着いてよアニキ様。
 まあ、もう終わった話だからバラすけど、■■に〇に△△△――それから××もいたぞ」

「全部、うちの家臣じゃねえか! どんな身の程知らずだよ……って、うん? でも犬、『もう終わった』って言ったよな今」

「そうだよ。みーんな告白して轟沈。まあ何人かはまだ諦めてないと思うけど。
 でも××は可哀想だったな。見合いの席まで設けたのにすっぽかされたってさ」

 顔も性格も良く知る連中が柴田さんに告白したと聞いて、思わず怒りがこみ上げて来たけれど、その内の一人や二人は「まだ許せる」人間だった。特に××は犬の話を聞いて素直に納得したくらい、あんまり認めたくは無いけれど「お似合い」な奴である。
 また、家同士の政治的な関係もあるだろう。だからこそ俺は柴田さんが××との見合い話をすっぽかした、と云う話が妙に気になった。

「なあ犬? どうして柴田さんはすっぽかしたんだ? 
 相手は兎も角、約束を自分から破るなんて、全く以ってあの人らしくないよな?」

「それは……えーっとね? ほら二年前の今頃……その、お母さんがいなくなった、よね?」

「ああ」

 俺たちの母さん、織田信秀(おだ のぶひで)が病死してもう二年にもなる。
 俺はまあ――色々あって、母さんの死を受け入れることができたが、妹たちは今でも母さんの早過ぎる死と、正面から向き合えないでいる。犬が母さんのことを「いなくなった」と表現するのも、それが理由だ。
 だけど、それが柴田さんのお見合いと何の関係が?

「それから信行姉が当主に選ばれて、アニキ様は家を出て行っちゃって……本当に大変だったんだぞ。
 それでも柴田さんはアニキ様のことずっと心配してて、でも家のことが忙しかったから、お濃さんに全て任せたって言ってたぞ」

「ああ、それはまあその……悪かった」

 今にして思えば、二年前の俺も母さんの死を大いに引きずっていたのだろう。
 信行から当主を譲られても、反発するように家を出てしまったのは、心の何処かで母さんが死んだことを受け入れたくなかったのかも――しれない。

「ううん、責めるつもりはないぞ。けどさ、去年の一周忌にアニキ様は姿を見せなかったよな? 
 だからさ、柴田さんが凄い心配して――それで、お見合いすっぽかしちゃったわけ」

 犬はそう説明してくれたが、俺は俄かには納得できなかった。
 信憑性の問題では無い。どうして犬が柴田さんの心情まで、まるで読んでいたかのように語ることができのだろう。
 それを問い返すと、犬はあっさり白状した。

「だって私、柴田さんの日記読んだもの」

「それ犯罪だろ!」

「ま、待ってアニキ様。私だって別に柴田さんの日記を盗み読みしたかった訳じゃない。
 でもさ、蔵の中に仕舞ってあったんだよ。私、知らずにそれ開いちゃってさ……」

 そう弁明しながらも、犬が発見したと言う柴田さんの日記は、机の引き出しの中に入っていた。
 何でも犬が、仕舞っていた場所を忘れてしまったらしい。それが嘘か本当の話かは興味が無い。今考えるべきは、犬が手渡した柴田さんの日記を読むか読むまいかと云う二択である。
 結論から言えば、家族の秘密を暴くまいと言う理性と下世話な好奇心との葛藤は、後者が僅差で勝っていた。しかも犬がわざわざ手渡したのは、黙ってやるからとにかく読めと云う意思表示なのだろう。恐らくは厨房で昼食を作っているであろう柴田さんに詫びて、俺は赤いソフトカバーの日記を開いた。
 最初の日付は二年前の春。母さんが亡くなって数日後の日記であった。
 最初に断わっておくが、俺はこの日記の内容について詳細に語るつもりはない。
 好奇心に負けたとは言え、目を通したのは犬との間で話題にあがった二年前の春と、一年前の母さんの一周忌に関する日記だけであった。
 以下はその一部分である。





■月■日■曜日。晴れ。

 信秀様の一周忌は滞りなく行われた。のぶくんが出席しなかったという一点を除いて。
 家臣は一部を除いてのぶくんを悪しざまに非難し、聞きたくも無い言葉が広間に飛び交っていた。
 私はのぶくんを責めるつもりはない。
 いくら男の子とは言え、まだ十代の子供なのだ。母親を亡くして気持ちが不安定になっていたとしても、何ら不思議ではない。
 私だって未だ引きずっている。今日も涙を堪えるのでいっぱいいっぱいだった。
 信秀様は、お姉様はこんな私をどう思うのだろう。
 天乃華に通っていた時のように、バシバシ背中を叩いて言ってくれるのだろうか。
 「メソメソすんな、勝家」って。
 分かっている。私は一人でメソメソしているわけにはいかない。
 お姉さまの残した子供たち、のぶくん、信行ちゃん、犬ちゃんに市ちゃん、私はお姉様の義妹で、あの子たちのお姉ちゃんなのだ。
 だからしっかりしないといけない。しっかりするんだ。

 のぶくんは今頃何をしているのだろう。
 帰蝶(きちょう)に電話を入れても通じなかった。何処かで《武盗》狩りでもしているのか。
 のぶくんが信秀様の命日を忘れるはずはない。
 お姉様の願い通り――葬儀の場で位牌に灰を投げつけてくれた、優しいあの子が母親の命日を忘れる筈が無いのだ。今日と云う日に連絡が取れないのも、お姉様との約束を守ってくれている証拠だと思う。

 むしろ責めるべきは私だ。
 本当なら家族として側にいてあげたい。意地っ張りで強がりなあの子を支えてあげたい。
 けれど無理だ。私には信行ちゃんを支える義務がある。
 今、本当に辛いのはあの子の方だろう。
 今日も林通具(はやし みちとも)から連絡が入った。信行ちゃんが体調を崩して寝込んでしまったらしい。
 これで今月はもう二度目だ。やはり無理だったのか。あんなに優しい子が武神科の過酷な生活に耐えられる筈は無いと分かってはいたのに、私は織田家の家老として過酷な責務を押しつけてしまった。
 のぶくんならと、今にして思う。
 そう言えば、平手殿がのぶくんを女装させて天乃華に送れと言ってたけれど、冗談では無くて案外良い案なのかもしれない。
 のぶくんはきっと嫌がるだろうけれど。

 そう言えば、犬ちゃんもお市ちゃんと久し振りに会えて嬉しそうに笑っていた。
 今や清州城には私と犬ちゃんしかいない。つい三年前には、皆で食卓を囲んでいたと言うのに。
 それを思えば今の食卓は広すぎる。広すぎて悲しいくらいだ。
 こんな時こそ私が皆を支えてあげなければいけないのに、私には……弱音はやめよう。
 私は私のすべきことをするまでだ。

(追記)
 明日は××殿とのお見合いだということを忘れていた。
 けれど気が進まない。私のことよりあの子たちのことだ。
 朝一番に帰蝶に連絡して、それでも通じなければのぶくんを探しにいこう。
 何事もなければそれでいいのだ。でももし信秀様のことで悲しんでいたら…
 私は私のすべきことをするまでだ。





 読み終えたあと、俺は無言で犬に日記を返した。
 胸が詰まって言葉がうまく出てこない。日記のテクストに込められていた気持ちに当てられて、なんて言うか……とっても気恥ずかしい。
 犬は俺の顔を見て「真っ赤っかだよ」と笑った。俺は「仕方ないだろ」と返すしかなかった。
 一年前のあの日、確かに俺は母さんの一周忌に敢えて参加しなかった。
 けれど別に母さんの死に気持ちが落ち込んでいた訳ではない。単に面倒くさいだけだった。
 だって母さんは死んだ。弔いも願う形でしてやった。それでもう十分だ。
 母さんも俺がしんみりした顔で法事に出ているとしれば、ゲラゲラ笑ってからかいに来るだろう。
 俺の母親はそういう人間だった。誰よりも大切な人を想い、人を悲しませることを誰よりも嫌がる人だった。だからサボったというだけの話なのに、大切な約束をすっぽかしてまで俺の様子を見に来ていただなんて――なんてブラコンだ、うちの姉貴は。

「……分かった? アニキ様」

「ん? ああ、分かったよ」

 妹のベッドに横になり、薄暗い天井を見上げながら言った。

「五月の連休くらい、帰省してやるさ」

「うん」

 犬はパソコンから目を話し、嬉しそうに頷いてくれた。





「あのさ……柴田さん」

「なんですか、のぶくん? ひょっとして辛過ぎましたか?」

「いや、逆に甘口過ぎて物足りないくらいだけど、そうじゃなくて」

 野菜たっぷりのカレーを掬う手を止め、俺は正面に座る柴田さんに顔を向ける。
 テーブルの上にはカレーの他にもボウルに盛られたサラダと、ほのかに甘い南瓜のポタージュスープ、香辛料で煮込んだ豆と鶏肉、透明な容器に詰められた薬味、甘さ控えめのグレープフルーツジュースなどが並んでいたが、何故か柴田さんの前には紅茶のカップが一つだけ。
 何でも作っている内にお腹がいっぱいになってしまったとのことだが、ひょっとしてまたダイエットを始めたのだろうか。そう尋ねると「そんなことありませんよ」と云いながら、全身から怒りのオーラを放っていたので多分正解だろうと思われる。口に出すには勇気が足りなかったが。
 だが、そんなことよりもだ。

「……………(ニコニコ)」

「…………(無言でカレーを食べる)」

「…………(ニコニコ)」

「…………(無言でチキンを齧る)」

「…………(ニコニコ)」

「…………(無言でジュースを飲もう――として空になっていることに気付く)」

「はい、のぶくん。おかわりどうぞ」

 いつの間にか二敗目のジュースを注がれたグラスを手渡され、俺は再び無言の食事に戻る。
 た、食べづれぇーーーーーーーーーーーーーーっ!
 自分が食事していところをまじまじと、しかも満面の笑顔を湛えたまま眺められては、まともに食事になんて出来やしない。
 しかも隣では犬の奴が含みのある目付きで、俺や柴田さんを面白そうに観察してやがるし。
 俺は動物園のパンダか何かか! 

「いやー、アニキ様と柴田さん、なんかもう夫婦みたいだぞ」

 犬のその一言に、俺はカレーを喉に詰まらせて噎(む)せた。
 吹き出したりはしなかったが、あと一秒早ければ白いテーブルクロスを盛大に汚していただろう。

「て、手前犬っ! へ、変な冗談言うなっ!」

「いやいやアニキ様、私は結構本気でお似合いだと思うぞ。ねえ、柴田さん」

 だが犬に話を振られた柴田さんは涼しげな顔で紅茶を口にし、

「冗談でも嬉しいです、犬ちゃん。でもお姉ちゃんはのぶくんみたいに手のかかる弟より、もっと大人で真面目で頼れる男性が好みなんですよ?」

 あっさりと返す刀で、俺を皮肉ってくれました。

「だそうだアニキ様。フられてしまったぞ」

「まだ告白もしとらんわ。あと何でも恋愛に結び付けるのはやめろ。そんなスイーツ(笑)をお兄ちゃんは妹と認めません」

「はーい」

 俺を存分にからかって気が済んだのか、再び犬は食事に戻る。
 だが反省のかけらも見られない顔を見る限り、機会さえあれば俺をからかうつもりだろう。
 おのれこの小悪魔が。もう深夜アニメのDVD貸してやらんぞ。

「まあ、俺のことは置いといて。柴田さんはどうなんだ? 俺より大人で真面目で頼れる彼氏はできたのか?」

「……へ、ふぇ? お、おお、お姉ちゃんですか?」

「お、それは私も聞きたいぞ。どうなの柴田さん、ねえ?」

 突然の質問にうろたえる柴田さんを見て、犬が思わぬ援護射撃を放つ。
 昨日の敵は今日の何とやらと云うが、それにしてもこの小悪魔ノリノリである。

「か、彼氏なんて――いないこともありませんけどっ、のぶくんたちには関係の無いことですっ」

 窮地に立たされた柴田さんは、見え見えの嘘で窮地を逃れようとするが……さっきのお返しだ。この程度で済ませるつもりは無いのだよ!

「関係ないことないぞ。弟分としては姉貴の幸せを切に願ってやまないと云うか、いるのに紹介してくれないなんて水臭いじゃん」

「あ、ええと、それはそうなんですけど……ほら何て言うか、お姉ちゃんの彼氏は忙しい人でして」

「ひょっとして、織田家の御家来集なの? 誰なのか気になるところだぞ」

 わざとらしく首を捻りつつ、犬の目は「家臣団に言い触らしてやるぞ」と脅迫めいた輝きを放っている。
 柴田さんはもちろん、慌てて弁明する。

「ああいえ、違いますからね! そ、そんな人は織田家にはいませんっ」

「じゃあ、一般の人だな。
 でも清州城に出入りする人って結構限られるから……そうだ、今度みんなに聞いてみようっと」

「だだだだ、駄目ですっ! ……いつかちゃんと紹介しますから、あんまり言い触らしたりしてはダメですよ? い、犬ちゃん?」

「はーい」

 しおらしく犬は答えるが、流石は俺の妹と言うべきか。
 これで柴田さんは嘘を吐いたと白状することもできず、それどころか訪れるかどうかも定かではない「いつか」を盾に、からかわれる口実を犬に与えてしまったことになる。

「でもさ。たまには柴田さんもその、彼氏と二人でいる時間を作れよ。
 俺だってまあその……当主になったんだし」

 口にしてから強引だったかなと反省したが、いきなり柴田さんをからかったのも、本当はこの言葉を言い出す機会を探っていたからだ。彼氏なんて(今は)いないだろうけれど、それでもこれからは恋人探しも含めて自分の為に時間を使うべきだ。
 俺はそう言いたかった。多分、犬も同じだろう。
 散々説教されたあとで言うのも癪だったが、あの日記を読んだあとで、今まで通り柴田さんだけに全てを押しつけていられるほど、俺は面の皮が厚い人間では無い。
 だから、肩の力を抜いてもいいよ。その分、俺たちもしっかりするから。
 そう伝えたかった俺の言葉はしかし――

「――――ぐすっ」

 何故か、柴田さんを泣かせてしまった。

「わ、分かりました。のぶくんはお姉ちゃんのことが嫌いになっちゃったんですね。
 ゆとり世代の子供らしく、『お姉ちゃんなんて鬱陶しい』なんて思っているんですね」

 何故そうなる!?
 どんなにアクロバティックな論理展開をすれば、その結論に行きつくわけ?
 あと、ゆとり関係ねえ。絶対に関係ねえ。

「ひどいです。お姉ちゃんが合コンやらお見合いをキャンセルしてまで頑張っているのに……のぶくんはそれを認めてくれないなんて……」

 ――あ、この人自分で彼氏いないことバラしちゃった。

「誰もそんなこと言ってないからな! つか、どうして俺が何時の間に加害者になってんだよ!」

「アニキ様……男なら自分の言ったことには責任を持たないと、だぞ」

「盛大に煽ったのはお前ですよねえ!」

「大丈夫だよ柴田さん、いざと云う時はアニキ様が娶ってくれるそうだから」

「そうですね。お姉ちゃんを困らせるのぶくんには、責任を取ってもらわないといけませんね」

「そこ勝手な約束しない! あと柴田さんも悪ノリしない!」

 もしかしてこの二人、最初からグルだった? 
 だとすれば何が目的だ。こんなくだらない上に意味不明なことで俺を追いこんで!

「わ、悪かった。とにかく俺が悪うございました!」

 こうなりゃさっさと頭を下げて片付けてしまえ。そんな俺の卑怯な思惑はしかし、

「本当にそう思っていますか? とりあえず頭を下げて事無きを得ようとか思ってませんか……?」

 その通りだけどここは否定しておくよ!
 しかし柴田さんは納得してくれなかったようで、

「じゃあ……もう二度とお姉ちゃんにひどいこと言いませんか?」

「言った覚えは無いんだけどな……あ、いや、言わないから!」

「じゃあ……たまには犬ちゃんや市ちゃんに電話して、声を聞かせてあげますか?」

「市だけは全力で断るけどな。あと犬! 柴田さんの耳元で何かを囁くな!」

「じゃあ……たまには尾張に帰ってきてくれますか?」

「ぜ、善処します」

「じゃあ……お姉ちゃんが行き遅れたら、のぶくんが貰ってくれますか?」

「わ、わかっ――ってオイ! 何を言わせんだ手前ら!」

 いい加減俺も気付いていましたけどね、この二人が俺をからかっていたことくらい。
 声を上げると犬はケラケラ笑い出し、柴田さんはさっきまで泣いていたことが嘘みたいに――実際嘘なんだろうけどさ――澄ました顔を見せる。

「はい、良い心がけですよのぶくん♪」

「ちゃんと約束したんだぞ? アニキ様もたまには私や市に電話でもメールでもするように」

 ――なんて、いけしゃあしゃあと言い放つ姉と妹に俺は。

「いつか見てろよ、手前ら……」

 内心で、ささやかな復讐を誓うのだった。







 そして、それから――



「なあ信長、明日からの連休についての予定はあるのか?」

 スケジュール帳と睨めっこをしながら池田恒興(いけだ つねおき)は俺に尋ねてきたが、生憎と俺には予定らしい予定が存在しなかった。
 どうしたものかと呟くと、丹羽長秀(にわ ながひで)が手を上げて、

「じゃあさ、何処かに遊びに行こうよ信長様。今川軍を破った記念に――って、あ」

 隣に立つ敗軍の将を今更ながら気遣う長秀だったが、彼女は――今川義元(いまがわ よしもと)はまるで気にはしていない様子で、

「いい提案だと思うわ。穢土からは京の都まで直通の列車が走っているし、日帰りで堺に遊びに行くのも楽しいものよ」

「堺ってお好み焼きとたこ焼きの本場でしょ? ボクさんせーい! 堺行きたーい!」

 堺と聞いて、前田利家(まえだ としいえ)は一も二も無く賛成の声をあげる。
 発案者の義元はそんな利家の反応に驚いたものの、無邪気に喜ぶ利家の姿に顔を綻ばせていた。

「えー、どうせ何処の観光地も人がゴミのように溢れているでありますぞ? 
 それより殿、それがしと引き籠って子作り――NO! すぐに拳で突っ込むのはやめて! もといゲームでもして怠惰に過ごすでありますぞ。求む潜友!」

「なんだオイ、それならアタシとも子作りゲームしようぜ木下ァ!」

「こっちくんな! ギャーーーーーーーーー!」

 床に押し倒されて暴れる木下藤吉郎(きのした とうきちろう)と蜂須賀小六(はちすか ころく)はとりあえず放っておくとして、学生寮でダラダラ過ごすのも中々魅力的な案と言える。買ったは良いがまだクリアーしていないゲームもあるしな。長い連休中に世界樹の迷宮を制覇したり、コスタリカから謎の武装集団を追い出すのも悪くない。

「旅行もゲームも良いが、お前たちは帰省しなくて良いのか? 
 信長、私は尾張に一度帰ることを提案する。徳川家との同盟や今川家との交渉についても、実家の家臣団と協議したいところだしな。
……ん? どうしたそんなに渋い顔をして」

「……何でもねえよ。悪いが恒興、その案だけは却下だ」

 ふと、半月前の記憶がフラッシュバックする。
 したたかな姉と妹に一杯喰わされた苦い……と云うよりはむず痒い思い出が、俺の反骨精神に火を付けてくれたらしい。自分の提案を却下された恒興は俺を見て、何かしら察してくれたのだろう。呆れる代わりに「そうか」とだけ呟いて、スケジュールの調整を続行する。

「じゃあお出かけだね! 美味しい食べ物も良いけど、堺ならお笑い芸人にも会えるかもしれないし」

 存外なミーハーな長秀と、食いしんぼの利家は堺への旅行を推し、

「なりませんぞ殿! 長い連休中はそれがしと二人でゲームだゲーム! ようこそアウターヘヴンへ!」

 藤吉郎は藤吉郎で怠惰なオタライフを提案する。それも悪くないんだよなあ……

「私? 私はどっちでも。アナタの好きにすればいいじゃない。ふん!」

 一方新しく仲間に加わった義元は、どちらにも加担せずに中立を守るつもりのようだ。
 しかしこの女、以前にも増して言動がツンツンしてきたのは気のせいだろうか。やはりあれか、風呂場でマイサンを晒してしまったことを根に持っているのだろうか? ゴシックな縦ロールをやめて、ふんわりウェーブな俺好みの髪型に変わったと云うのに、実に勿体ない。

「さて、どうしたものかな……」

 明日からの予定を決めあぐね、ふと窓の外に視線を映したときであった。
 携帯電話から、メールの着信を知らせるメロディが鳴り響く。見ると一通のメールが届いていた。
 差出人はお濃さん。一体何の用事だろうとメールを開くとそこには――

『 親愛なるご主人様へ。
  宜しければ明日からの連休、お濃の実家に遊びに来ませんか?
  母が是非ともご主人様に会いたいそうです。
  もちろん皆さんで来て下さっても構いませんわ。
  では返事をお待ちしています。
                    あなたの帰蝶より  』


 締めの一文には大いにツッコミを入れたくなったが、それよりも俺はメールの中にある一つの単語に意識を集中させた。
 お濃さんの本名は斎藤帰蝶(さいとう きちょう)。
 美濃国から嫁いできた女の人と云うことで、周囲からは「お濃さん」と呼ばれているのだ。
 そんなお濃さんの母親の名は――

「う、うそ。管理人さんのお母様ってまさか……」

 驚く義元に俺は言った。

「美濃国の戦国大名にして、マムシの異名を持つ《武神》――――斎藤道三(さいとう どうさん)だ」





第十二話に続く




戻る

背景素材:
壁紙素材:幕末維新新撰組