【序説】


 その世界に於いて、日本は『神州』と呼ばれていた。

 歴史を紐解けば、四方を海に囲まれた島国でありながら、神州は永く外敵の侵攻に晒されてきた。
 資源に乏しい極東の島国が何故、歴史の永きに渡って侵略を受け続けたのか。
 それは神州の国土が星の命脈である《地脈》の源――《竜の巣》と呼ばれる一大パワースポットを有していたからに他ならない。裏を返せば、ちっぽけな島国であった神州が延々と続く外敵の侵攻を退けてこられたのも、その《竜の巣》が存在したお陰だと言えよう。
 《竜の巣》を要する神州は数に勝る敵軍を天変地異で蹴散らし、武装に勝る敵軍を超人的な力を有した兵士で撃退した。
 やがて神州は臥竜の国と恐れられ、時代を重ねる度に敵国の侵攻は数を減らしていくことになる。

 しかし、神州は度重なる侵略によって疲弊し、戦いに疲れ果てた民は強い国家を希望した。
 その結果、《天孫の帝》を中心とした貴族政権は力を失い、代わって外敵から国を守り続けてきた《武神》が政権を担うようになる。
 《竜の巣》から《力》を得ることで、超人的な力を発揮する者――《武神》。
 《武神》はその最高位である将軍を筆頭にした《幕府》を開き、ほどなく神州全土は《幕府》の支配下に治まることとなった。

 こうして新たな時代が幕を開けた。
 だが……それとて永遠を約束された訳ではない。


 ――百年後。
 《幕府》はかつての権勢を失い、全国に散らばる武神は己が野心に従い、領土と権力を求めて争いを起こすようになっていた。
 元々有力な武神によって支えられていた幕府に、彼らを諌める力などある筈もない。それを良いことに武神による私戦は拡大の一途を辿り、神州はかつてない内乱の時代を迎えることとなる。

 これに対し《幕府》と《朝廷》は最後の手段に打って出た。
 それは《朝廷》と《幕府》のトップである《天孫の帝》と《征夷大将軍》の婚姻――のちに『公武合体』と称される政略結婚である。
 帝が将軍を娶る――神州における権威と権力の合一であり、この婚姻によって未だかつて神州に存在し得なかった絶対的支配者が誕生した。
 次代の帝にして次代の将軍でもある存在――《竜皇》である。

 その即位に際し、神州の貴族と武神は諸手を挙げて歓迎することとなった。
 幕府が《竜皇》の配偶者を広く民間から求めることを宣言した為である。
 自らの娘を《竜皇》の妻とすれば、神州全土を支配する者の外戚として絶大な権力を得ることができる。かつての摂関政治を約束した《幕府》の宣言を全国の武神や貴族は挙って受諾し、その条件として《幕府》が提案する選抜手段に望むこととなった。

 《幕府》が作り出した巨大学園施設、『天乃華あまのはな学園』。
 そこに年頃の少女を集めて「容姿・教養・武技に於いて最も優れた者を竜皇の妻とする」――。
 それこそが《幕府》の出した条件であり、《幕府》と《朝廷》は自らの地位を合法的に売り渡すことで戦乱を鎮めることに成功した。かくして全国の有力者は子息と称した少女を天乃華学園に派遣し、少女の少女による神州の覇権を巡る争いが幕を開ける。
 ――のちに云う戦国時代の幕開けであった。



 そして時は流れ――
 三代目竜皇の即位とともに、天乃華学園・武神科は久方ぶりの門戸を開く。
 第三次戦国時代の開幕――――物語はここから始まる。







「殿、それがしの記憶に間違いが無ければ、あの美人のお姉さまは――」

 ごくりと喉を鳴らしてから、藤吉郎はその名を告げた。

「越後の龍――上杉謙信うえすぎ けんしん公です」



「い良し、今日も全力疾走で遅刻は回避できた!  しかも新記録! 
 この分ならあと五分は二度寝できそうだな。皆、明日はもう五分起床を遅らせるからなーーー!」

 甲斐国と信濃国を支配する一大勢力にして、越後の龍と並び称される“甲斐の虎”。
 ――なるほど彼女があの、武田信玄たけだ しんげんなのか。



「せ、折角だから教えてあげる。私は今川――駿河国の今川義元いまがわ よしもとよ。
 本来なら貴女のような田舎者は名乗る必要もないけど……特別に教えてあげるから感謝しなさい。
 ……ふん、だ」

 頼んでもないのに名前を告げて、再び去っていく金髪女。
 その名は今川義元――駿河のみならず遠江から三河にまで勢力を伸ばす、東海地方の最大勢力「今川家」の武神――。
 『東海一の弓取り』とまで呼ばれた武神は、彼女のことだったのか。



 俺は藤吉郎を伴い、天乃華学園の正門をくぐる。
 ここから、俺と藤吉郎の新たな学生生活が幕を開ける。

 群雄の朝は終わり、未知なる日常が始まろうとしていた――。







第三話 『再会/祭開』


【1】


「あなたが織田信長さんですか? 初めまして、わたしが担任の毛利元就もうり もとなりです」

時間は朝9時を過ぎて授業が始まっている頃。場所は職員室。
今日から天乃華学園に編入することになった俺を出迎えたのは、気さくな声と共に差し出された白い手。
敵意とは無縁な行為だと分かってはいても、俺はすぐに応じることができなかった。
何故ならば――

「本当に……あの、毛利元就公なんですか?」

「ええ、正真正銘の毛利元就、26歳ですっ♪」

 何故か年齢を強調するその女性はどうやら、俺が編入するクラスの担任であるらしい。
 だが俺の記憶に間違いが無ければ、彼女が名乗った名前は安芸国を治める武神と同じで――試しに聞いてみたら「本人です」と返って来た。俄かには信じられない話であるが、それを言うなら天乃華学園の学園長はかつてその身一つで相模国を奪った偉大な武神、かの北条早雲ほうじょう そううん公である。
 その下で有名な武神が教職に就いていたとしても……まあ、考えられない話ではないのだが……

「失礼ですけど、27才くらい鯖読んでませんか?」

「え? えーっ! いくら私がセクシー&アダルティーな女教師だからってそんな、50代に見えるほど老けていませんっ! まだまだ女として現役なんですよ、ぷんぷん!」

「いえ、あの、逆の方向で年齢詐称の疑いがあるんだけど」

 ――そう、これは悪い冗談なのだろう。
 仮にも高校生の担任が、目に痛いパステルピンクのフリフリドレスを着た小学生である筈がない。
 手にはオモチャのバトン持ってるし、背負っているのランドセルだし。
 彼女があの「毛利元就」である以上に、成人女性を名乗っていることが不思議で仕方が無い。しかも26才とか言っているけれど、第二次戦国時代で活躍したことから、鯖を読むにしても三十代の筈じゃあ……

「んな! わた……せんせーが子供っぽく見えるとか、そう言いたい訳ですかっ?」

「っぽくじゃなくてまんま子供ですよね。ほーら、キャンデイーあげるよー」

「わーい♪ ありがとうおねーさん♪ ……って、そんな誘導尋問にはひっかかりませんよ? せんせーはもう酸いも甘いも噛み分ける自立したオンナなんですからっ」

「じゃあ飴じゃなくて酸イカをあげよう」

「わーい♪ せんせー酢イカ大好きー♪」

 それにしてもこの担任、ノリノリである。
 酢イカを受け取ると、嬉しそうに食べ始めた自称・毛利元就公。その姿は大変に可愛らしく、ついつい二本も三本も分け与えたくなってしまう。

「あーおいしー♪ せんせー、酢イカなら毎食食べても飽きませんよ? このくどい甘さと舌が驚くような強烈な酸味、ほどよく口に残るイカの旨味がもうたまんないの」

……それは美味いのか?

「あ、でも学内は食堂以外飲食禁止ですからね? ……え? せ、せんせーは大人だからお咎めなしなのです」

 えっへんと胸を張る毛利元就公。当然のことながらそこに大人の膨らみは存在しない。
 藤吉郎並の無乳であった。
 ついでに口の周りが酢イカで汚れていることは黙っておこう……。

「殿、また心の中でそれがしの発育についてダメ出ししませんでしたか?」

「いや、別にお前の硬そうな胸のことなんて考えて無かったよ? 二十を超えても乳が膨らまない人がいたから、お前が悲嘆にくれるだろうと思って発言を控えてなんかいないからな?」

「そのものズバリでありますな! 痛い! 殿の思いやりが痛いッ!」

「安心して木下さん、せんせー貴方と違ってブラくらいは付けているから。だから一緒にしないでくれる?」

「それが教育者の発言でありますかッ! 確かにそれがしまだブラ買ってもらえないですけど!」

「寄らないで、無乳が伝染る!」

「あんたってひとはーーっ!」

 これも同属嫌悪と呼ぶのだろうか。醜い争いを繰り広げる藤吉郎と毛利元就公。
 傍目には小学生同士の喧嘩にしか見えないが、実際の年齢はさておき、知能のレベルは決して間違っていないだろう。

「ま、そういう訳なので今日からよろしくね、信長さん。あ、せんせーのことは毛利先生って呼んでね?
生徒の中にはせんせーのこと、ちゃん付けする子もいて、ホント失礼なんだからー」

「わかったよ、元就ちゃん。略してもっちゃん」

「うわーん! 初対面なのにいきなりナメられてるよ私ー!」

 とりあえず、ひとつ分かったことがある。
 この先生、弄ると最高に楽しいな!





 毛利元就公――もとい、もっちゃん先生から明日からの授業について簡単なレクチャーを受けたあと、俺と藤吉郎は職員室を後にした。

「あ、ちなみにせんせーは次の授業の準備で忙しいので、校内は勝手に見学してくれていいですよ?
 寮はここから少し離れているので、携帯でマップデータを確認してくださいね?
 あ、それとこれは明日から必ず身につけて登校すること。いいですねー?」

 レクチャーの最後にもっちゃん先生が渡してくれた物。それは黒い紐を通した金属製のタグだった。
 タグの表には学生証代わりのIDカードがはめ込まれており、指で触れるとなんと表示が詳細な個人データへと変化した。どうやら表面はタッチパネルになっており、名前と学科だけでなく、血液型や生年月日、更には良く分からないステータスと数値を表示できるようになっている。
 その高性能に驚いていると、もっちゃん先生はにんまりと笑い、

「ふふ、驚きましたか? それは武神科の生徒だけに支給されているIDタグなんですよ?
 完全防水で《レイ・ネット》への接続機能も備えているんです。関連施設の出入りにも必要なので、決して紛失しないよう常に身につけていてくださいね? ちなみに再発行には200万円ほどかかりますので」

「に、200万円っ! そ、それだけの大金があればうまい棒何本変えますかね、殿?」

「なんで単位がうまい棒なんだ。あとそれくらいすぐに計算しろよ、20万本だ」

 藤吉郎のボケを流した俺は、渡されたIDタグをもう一度手に取る。
 良く見ればタグ本体だけでなく通された黒い紐も樹脂製で、簡単には切れそうにない。いくら天下のお嬢様学校だからって、ここまで高価な機材を生徒に与える理由は何だろう。
 だがその疑問をぶつけるより早く、もっちゃん先生はレクチャーを終え、俺たち二人をそれとなく職員室から追い出してしまった。

「殿、それがし首にかけてみたであります。どう?似合うでありますか?」

 中等部の藤吉郎のタグはシルバーで、白い制服に対して控え目だが品の良いアクセントとなっている。
 対して高等部の俺のタグはゴールド。黒い制服に合わせると、どうにも目立って仕方が無い。
 どうせなら藤吉郎みたいに銀が良かったなあ……そういう意味で「似合うな」と返すと、藤吉郎は何を勘違いしたのか、

「そ、そんな『君に良く似合ってるよ、結婚しよう』だなんて……殿の気持ちは前から知ってましたが、こんなところでプロポーズされたら困っちゃう❤ あ、でもそれがし子供は19人くらい欲しいナ❤」

 腰をくねらせて、勝手な妄想に悶える藤吉郎。
 まあ神州には思想・信条の自由が憲法で謳われているから、それについては何も言うまい。
 だから行動に移すことにした。

「サル、腕を貸せ。左手だそ?」

「え? プロポーズに続いてエンゲージリングもなんて……藤吉郎、嬉しくて飛んでいちゃいそう♪」

 伸ばされた小さな左手を掴み、別の手で薬指を掴む。
 そして――

「もう殿ったら、それがしの薬指はそんな方向には曲がらないでありますよ?」

「ははは、気にするな。前からずっとこうしたいと思っていたんだ。俺に任せておけ」

薬指を掴み、そのまま手の甲に向けて曲げてやる。

「聞こえるかい? サルの骨がミシミシ言ってるのが聞こえるよ?」

「殿、ギブ! ギブギブギブギブ! それ以上は人体の限界であります! それがしの指が、指が変な方向にんぎゃーーーーーーーーーーーーーっ!」

「……不思議だな、今日のサルはいつもと違って見えるよ。何だか、左の薬指がありえない方向に曲がってるみたいだ」

「みたいじゃなくて、現在進行形でそれがしの指が大ピンチでありますよー! 
 すンません殿、それがしちょっと調子こいてました! だからもう許してぇーーーっ!」

「もっと見せてよ。サルの指が人間の限界を突破する瞬間を」

「らめぇーーーーーっ、帰ってこれなくなっちゃうーーーーーーー!」

 涙目で絶叫する藤吉郎に、何事かと顔を覗かせる生徒達。それを確認して俺は指を離してやる。
 まあ仕置きはこれくらいで良いだろう。
 それより俺の意識は窓から顔を出して、こちらを眺める女の子たちに向いていた。
 容姿は80、90、78……いや80ギリギリ。
 何てことだ、名門の女子校とはここまでレベルが高いと云うのか! と内心で驚きつつ、しかしここでにやけていては相手に不審に思われてしまう。ここは敢えて平静を装い、ちょっと気さくな感じで挨拶をする――尾張で培ったナンパの基本である。

「よお、騒がして悪かったな」

 相手が女の子ということもあり、少し気取った声で軽く手をあげてやる。おまけに軽くウインクも。
 ここが尾張なら女の子が「きゃー」と黄色い声を上げてくれる……その筈なんだけど。

「………………」

 あれ? 何ですかこの静けさ+無反応は?
 ひょっとして引かれた? ドン引きされましたか? それじゃあ今の俺、ただの痛い奴じゃないか!
 こ、こんな俺を見ないで!

「………………はふぅ」

 その時、一人の女の子が後ろにひっくり返るのを俺の目が捉えた。
 だが周囲の女の子はそんなクラスメイトには見向きもせず、何故か呆けた表情を一斉にこちらに向けている。しかも良く見ればみんな、白い頬が赤く染まっていたりするし。
 嫌な、予感がした。

「「き、キャーーーーーーーーーーーーーーーー❤❤❤」」

 歓声は、遅れてやってきた。
 気付けば何人かの女の子が教室から飛び出してきて、たちまちに俺を囲んでしまう。
 なんだ? 何が起きた? 予想外の反応と俺を取り囲む視線の熱さに、俺は本気で困惑していた。

「あ、あの……お名前を教えていただけませんか、素敵なお姉さまっ❤」

 ……オーケイ、納得はできないが理由は把握できましたよ。
 またか! またこの展開なのか!

「私たちに何か御用ですか? ええ、何でも仰ってください」

「初めて見るお顔ですけど、もしかして編入してこられたのですか? だとしたら、嬉しい話ですわっ」

「ちょっと邪魔よ、そこの子猿!」

「それがしサルじゃないもん! つか殿に近付くなであります、この虫どもー!」

 授業中に生徒が廊下に飛び出すと云う珍事を受けて、他の生徒も廊下に姿を現し、そして――半分以上が好奇心で近寄ってくる。気付けば俺は二十人もの女の子に囲まれてしまっていた。
 どの子も品の良さそうなお嬢様で、その容姿は何れも高ポイントもとい可愛くて、男としては鼻の下のひとつも伸ばしたくなるところだが……

「きゃー! 見て見て、凄い美人さんだよー」

「ったく……大騒ぎするから謙信様でもいらしたかと思ったじゃない。……ま、納得はしたけど」

「あの、一枚撮ってもいいですか、お姉様❤」

「お名前を教えてください、お姉さま❤」

 ……お姉さま、お姉さま、お姉さま、お姉さまッ!!
 彼女たちが黄色い声をあげるのは、女子の制服に身を包み、女装を施した今の俺。
 その評価が高ければ高いほど何故だろう、とてつもない敗北感で満たされるのは……

「こらー! 今は授業中だぞー!」

 とうとう初老の教師までもが廊下に飛び出してきて、きゃーきゃーはしゃぐ生徒達に声を上げる。
 だが殆どの女の子はその声が耳に入っていないのか、俺を囲んで黄色い声と熱い視線を浴びせかけてくる始末。

 「勘弁してくれ……」

 空に向けて呟いた声は、たちまち黄色い歓声に掻き消されてしまうのだった……





 己の軽率な行動で授業を妨害したとして、もっちゃん先生からいきなり注意を喰らったあと。
 校舎にいられなくなった俺は校舎を離れ、自分が泊まることになる学生寮を目指すことにした。
 携帯電話にダウンロードした天乃華学園のマップを確認しつつ、校舎を囲むようにして広がる自然公園、その遊歩道を歩いていた時のことである。

「……殿、気付いておられますか? 背後からやけに攻撃的な視線を送ってくる奴がいるであります」

「いや、俺の場合はどちらかと云うと熱気を感じるんだけど……まあ、それが背後からの視線であることは同じだな」

 背後の相手に気づかれないように様子を伺うと、小さな影がひとつ。木陰に隠れながら追跡しているようだが、他の生徒を視線をこの上なく浴びていることにはついぞ気付いていないらしい。
 無視しても良かったが退屈を持て余していたということもあり、俺は背後を向くとそのまま小さな影に向かって歩き出す。俺が近づいてくることに気づいた影はびくりと体を震わせるが、逃げ出すことはなく木陰で身を縮こませてしまった。

「――俺に何か用かな? お嬢ちゃん?」

 木の陰に身を隠していたのは、中等部の制服を着た小柄な女の子だった。
 背の高さは藤吉郎と良い勝負だろう。見るからに大人しそうな女の子を今以上に刺激しないよう、優しく声をかける。
 すると彼女はゆっくりと振り返り、怯えた表情でしかし俺をじっと見上げてきた。

「あ――――」

 小さな口から漏れたのは、驚きと喜びが入り混じった声。
 波打つ淡いブルーの髪を背中まで伸ばしていた少女は澄んだ瞳が印象的な、あどけない顔立ちをしていた。充分に美少女と呼べる容姿だが、小さな肩をすくめて不安げな表情を浮かべていると、美少女というより小動物に近い印象を受ける。

「あの……もし人違いならお許しください。貴方はもしかして――"吉兄きちにいさま"ではありませんか?」

 躊躇いがちに尋ねられたその名に俺は、心臓が跳ね上がる音を聞いた。
 聞き間違いでなければ、目の前の少女が口にした「吉」とは、俺が12歳で元服する以前に名乗っていた幼名「吉法師」の略称である。
 素性を割られてしまった――ここが男子禁制の場所であるだけにその衝撃は凄まじく、背筋を嫌な汗が伝う。
 だが――目の前の少女には女装して侵入した男を咎める様子はなく、あどけない顔を綻ばせて歓喜の色を湛えていた。

「やっぱり、そうなのですね! 
 ああ……まさか吉兄さまとこんなところで再会できるなんて。千代は果報者に御座いますっ」

 それどころか驚きで固まってしまった俺の手をとり、喜びに声を弾ませる始末だった。

「と、殿!? もしかしてこの娘、殿の家臣でありますか? それとも噂に聞く四方様――?」

「ばか。だとしたら俺が知らない筈はないだろうが。この子は赤の他人――いや、まてよ?」

 藤吉郎に反論する途中でふと、ある可能性が頭を過った。
 俺の幼名を知り尚且つ「兄さま」と慕う、見知らぬ少女――その諸条件に全て一致する人物が、記憶から蘇ったのである。
 確か彼女は今、自分を「千代」と名乗った。奇しくもその名は記憶の中の人物と合致する。

「千代――竹千代、松平の竹千代か!」

「は、はい! 昔、織田の家でお世話になりました竹千代です。今は徳川家康とくがわ いえやすと名乗っていますけど。
 嬉しい……まさか吉兄さまが千代のこと憶えていてくださったなんて」

 いや、ついさっきまで忘れていたんだけどね!
 ――とは流石に言えないので、適当に言葉を選んで答えた。

「いや、千代があんまり可愛くなっていたからさ、すぐには分からなかったよ」

「そ、そんな可愛いだなんて……吉兄さまに言われたら千代、恥ずかしくて困ってしまいます」

 頬を赤く染めて照れる千代は、お世辞じゃなく可愛らしかった。
 彼女は昔――まだ5歳の頃に人質として織田家に送られてきた。その経緯は中々に複雑というか物騒だったりするのだが……それはさて置き。
 千代は昔から大人しくて内気な性格で、人質と云う立場もあってか、いつも目立たぬように振る舞っていた。
 それを不憫に思った俺は妹たちと一緒に、事あるごとに遊びに連れ出すようになり、その内に千代は俺を兄のように慕ってくれるようになった。
 彼女が俺を『吉兄さま』と呼ぶ所以である。

「ぐぬぬ……何ですかこの女、殿の前でよくもまあブリブリと……。
 しかも妹キャラなんて、(殿の)攻略対象にでも入るつもりでありますか? 
 騙されてはいけないであります殿、こーいう絵に描いたオールド妹より、ボケもツッコミもこなすちょっと身近なニュータイプ妹候補が今、お隣に!」

「……ところで吉兄さま、隣にいらっしゃる方はどなたですか?」

「ああ、こいつ? 俺のペットで名前はセガールだ。人の言葉を喋る猿だぞ」

「と、殿ーー! 初対面の他人の前で人間としてのそれがしを否定しないでー! 
 た、確かにそれがしはマークⅢ時代からのセガ信者ではありますがっ!」

「まあ本当。お利口なおサルさんなのですね」

「ぬわーっ! 初対面なのに悪ノリしやがったですよこの女! い、意外と黒いでありますな!」

 騒々しい藤吉郎は無論無視するとしても、思わぬ再会を喜ぶ前に俺は一つ確かめねばならないことがあった。

「――で、だ。千代はその……俺のことにいつ気付いた?」

「え? えっと……ついさっきです。
 千代はこれから体育の授業なんですけど、グラウンドに行く途中で見覚えのある背中を見つけて……もしかしてと思って後を追いかけてしまったんです」

「そうなんだ……。でもさ、その……俺が、こんな所にいて、おかしいとは思わなかった?」

 そう。俺を「吉兄さま」と呼ぶことからも、千代は俺が男であることを知っている。
 それなのにどうして、女子校(こんな所)に存在する俺を不審に思わなかったのだろうか。
 具体的な言葉を伏せて問いかけると、一呼吸の間をおいて千代は――

「――あ、そう言えばそうですね」

 今更ながらに、俺が天乃華にいることの不思議に気付いたらしい。
 しかし――

「どうしてでしょう? 千代は今の吉兄さまを見ても、別に変だと思えないのです」

 それってつまり、俺が女装していても違和感を感じないってことですかねえ!
 この瞬間、全俺が涙した!

「そ、それに……千代は昔から吉兄さまのことを、すごく綺麗な人だと思っていましたから……。
 えっと、よくお似合いですねその制服っ」

「…………………」 

 ↑ ※俺の男としてのプライドが粉微塵に砕かれました!

「そうだ。こんな場所で吉兄さまってお呼びするのはいけませんよね? 
 じゃ、じゃあえっと……吉姉さま❤」

「もうやめて、殿のHPはゼロよ! 」

 愕然となる俺を見かねて、藤吉郎が制止の声をあげるが……焼け石に水でしかない。
 あと俺を「吉姉さま」と呼んだとき、千代の声が妙に上ずっていたことは、あまり考えないようにしようと思った。

「ところで吉姉さま。この後のご予定はありますか? 千代はまだ中等部ですけど、天乃華には去年入学しましたから案内ならおまかせください。
 あ、それならお昼も一緒がいいですね? 学食で一緒に食べましょうっ♪」

 とても昔は大人しい性格だったと思えないほどの押しの強さで、千代は俺を誘いたてる。
 しかし俺はプライドを粉砕されたショックで気力が減退し、要するにもうどうでも良くなって、千代の言葉にただ頷くだけだった。






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