フリゲート艦マーキュリー号特集版
マーキュリー号
( HMS Mercury )

レーザーカットフレームを切離し図面を確認しながら、番号順に組立て木工用ボンド或いは、シアノアクリレート系接着剤(瞬間接着剤)で接着します
フリゲート艦マーキュリー号の解説


●フリゲート艦マーキュリー号( HMS Mercury )
マーキュリー号・HMS Mercury・は英国王室海軍6等級フリゲート艦28門 エンタープライズ級3番艦として、アメリカ独立戦争時1779年に就役し、その後フランス革命、ナポレオン戦争時に活躍、1814年に解体。

●アメリカ独立戦争の頃:
1780年4月 マーキュリー号( HMS Mercury )はニューファンランド島に進出。7月23日に、アメリカの私掠船32門フリゲート艦ディーンが拿捕した貨物船エリザベスを奪還。翌年、ジョージ・ジョンストン提督の艦隊に編入、ウィリアム・キャリオン艦長指揮の下、1781年5月にハドソン港に進出。カッター船HMS Sprightlyを5月17日に再奪還。9月17日に、HMS Mercury、HMS Rattlesnake, HMS Jupiter の3隻でフランスのフリゲート艦Philippine(フィリピン)を拿捕。しかしながら拿捕した海域がカリブ海ジャマイカ沖だった為、賞金をジャマイカ政府に制限。 1782年5月 マーキュリー号( HMS Mercury )はジュピター( HMS Jupiter )の2隻でフランスの私掠船 Bologneを拿捕。同年、ヘンリー・エドワード・スタンホープが、新艦長として着任後、1年間の平時待機となり係留。翌年4月に再就役、6月にノバ スコッティアに進出。1785年、アメリカ ボストン港からの家畜輸送船団護衛の任務を受ける。これは、英国軍艦が1776年以来、初めてのアメリカ ボストン港への入港となった。 1786年 HMS Mercury(マーキュリー)は再び平時待機となり1年間係留さらた後、1787年から1788年にウールウッチで修理が行われた。1788年5月、アウグストス・モントゴメリー艦長指揮の下、地中海に進出。1790年本国に帰還後、一時除籍となる。

英国海軍6等級フリゲート艦 マーキュリー 1779年
レーザーカードボードキット
スケール 1/72
全長: 88cm
価格・70,000円
現在の在庫・・・0
キットに含まれる部品類:
・レーザーカットされた船体部品と艤装パーツ
・レーザーで刻まれた甲板部品などの厚紙
・レーザーカットされた甲板側面
・青銅製大砲類
・木製マスト、ヤード
・デッドアイ、ブロック
・鉄製留め具
・装飾類
・布製の印刷された旗
・レーザーカットされたセイル類
・太さの異なったロープ類
・アクリル絵具セット
・筆類
・剃刀の刃
・製作に関する技術、塗装などの案内に加え、
カラー写真などで解説された詳細な設計図


マーキュリー号
( HMS Mercury )


英国王室海軍6等級フリゲート艦 1779年に就役し、その後フランス革命やナポレオン戦争時代に活躍,1814年に解体の歴史
フリゲート艦マーキュリー号の解説2


●フランス革命時:
マーキュリー号・HMS Mercury・は、フランス革命勃発当初、直に復帰する事はなかっが、1796年、ジョージ・ビング艦長指揮の下、艦隊に復帰。ニューファンドランドで待機した後、1797年4月 指揮権をトーマス・ロジャーズ艦長に移譲、リスボン海軍基地に配属。配属期間中に、Benjamin(ベンジャミン)20門フリゲート艦を36時間に及ぶ追跡の結果、拿捕に成功。Benjamin(ベンジャミン)は新造船で処女航海中に英国船ブリッグ Governor Bruce(ガーバナーブルース)とポルトガルのスクーナーを拿捕していた。しかしながら、Benjamin(ベンジャミン)が私掠許可書(Letter of marque)を所持していた為、英国海軍はBenjaminを開放する事となった。 次に、ロジャーズ艦長は、フィニステラ岬40リーグ(1リーグは4.8キロ)沖で2隻の武装商船を8時間追跡し、内1隻に艦砲射撃を行い停船させ拿捕した。拿捕した船はフランスの私掠船18門ブリッグTrois Soeursで処女航海中の新造船であった。 最後に、マーキュリー号は、18門、乗員96名のコンスタンス(Constance)を5時間の追跡で拿捕した。 1798年6月、ニューファンドランドに進出。1799年に改装の為、ポーツマス海軍工廠にドッグ入りした後、同年10月6日に、San Joceを拿捕、12月16日にHosprungを拿捕。 1800年1月24日、HMS Mercury(マーキュリー)は、フランスの私掠船Arriegeが拿捕した英国商船Aimwellを奪還。 2月5日、フランス私掠船ブリッグEgyptienne拿捕。 3月29日、艦隊行動中に、Courageuxを僚船と共に追跡し拿捕。 1800年5月、HMS Mercury(マーキュリー)は地中海に進出し、同年7月31日にアレクサンドリアに入港。 1801年1月、フランス船(船名不明)を拿捕。次の日、幸運なことに、20隻の商船団の内15隻を拿捕した。商船隊には護衛にガンボート(砲艦)なども含まれていたが、犠牲者を出すことなく降伏させた。 1801年1月、サーディニア沖40リーグ(1リーグ4.8キロ)で、Sans Pareilleを9時間の追跡後、拿捕に成功。Sans Parelleはフランス海軍のコルベットでCitoyen Gabriel Renault海尉艦長指揮の軍艦であったが、軍事物資の輸送任務中で、航行に必要な最低人数である15名のクルーしか乗船していなかった為、即時降伏となった。 1801年2月17日、スエーデンのブリッグHoppetを密輸容疑で拿捕。次の日、僚船HMS Mermaid(マーメイド)と共に、チュニスからの貨物船Esperanceを拿捕。5月15日、僚船HMS Loireと共にフランス船Francoisを拿捕。 1801年5月25日、拿捕されたHMS Bulldogを奪還する為に、海兵隊を2小隊に分け、第1小隊を港の捕虜奪還に向かわせ、第2小隊をHMS Bulldog奪取に向かわせた。HMS Bulldog奪取には成功したが、風が弱く、Bulldogを上手く操船出来ない状態であった。一方、第1小隊は捕虜奪還に成功し、ボートでHMS Bulldogへ向け漕ぎ出す事は出来たが、敵の追跡で負傷者が出ている状況であった。HMS Bulldogを守るにも助け出した捕虜を守るにも海兵隊の人数は少なく、HMS Mercury(マーキュリー)も双方を助けるには遠く離れていた為、最終的にはHMS Bulldogを放棄し海兵隊を収容、離脱した。この戦闘で2名の海兵隊員が死亡し4名が負傷した。敵側は20名以上の死傷者がでた。 1801年6月23日、HMS MercuryとHMS Corsoは、海賊船Tigerをトレミティ諸島で撃沈。海兵隊部隊が海賊基地を襲撃し数名の海賊を捕らえる。 1801年9月、HMS Bulldog奪取失敗から4ヶ月後、艦隊行動中に拿捕した商船から、HMS Bulldogが、エジプトに軍事物資を運ぶ輸送船護衛の為、アンコラを出航したと言う情報を得る。HMS MercuryはHMS Championを僚船とし艦隊を離脱し、HMS Bulldog護衛の敵輸送船団を撃破に向かった。最初に敵輸送船団を発見したのはHMS Championであった。HMS Championは、HMS Bulldogに肉薄したが、砲撃戦となり離脱、その間にHMS Mercuryは1隻の輸送船を拿捕した。HMS Championでは1名の戦死者がでた。
●ナポレオン戦争時:
1803年、HMS Mercuryは新任艦長として、ダンコンボ・プレイベル・ボウベリエ海尉艦長が着任する。スペインの東地中海輸送網遮断の命令を受け地中海に進出後、1805年スペイン船Fuerte de Gibraltarを拿捕。1806年5月、ニューファンランドに帰還。僚船HMS Starと共に、ArgoとAdventureを奪還。 ニューファンランドとポルトガルを結ぶ輸送船団の護衛任務に就く。 1807年、ジェームズ・アレクサンダー・ゴードンが新艦長に就任し、HMS Mercuryは再び、スペインの地中海通商破壊の任務に就く。1808年、僚船HMS Alceste、HMS Grasshopperと共に、スペイン輸送船団を攻撃、2隻の護衛艦を撃沈し多数の輸送船を浜辺に追い込み内7隻に海兵隊が斬り込み拿捕した。 1808年11月、ヘンリー・ダンカン艦長が新艦長として就任。HMS Mercury(マーキュリー)はアドリア海に進出。同年12月30日、僚艦HMS Alcesteと共に、HereuxとSaritoを拿捕。 1809年4月、艦隊にピサロ攻略の命令が下された。包囲されたピサロ基地司令官は、降伏勧告を拒否した為、英国艦隊は砲撃を開始。13隻の沿岸警備船を拿捕した。激しい抵抗に合いながらも民間人1名の犠牲者のみで戦闘は終了した。5月2日、HMS Mercuryは、セセナティコを攻撃、24ポンド砲2門を破壊し、12隻の船舶を拿捕した。 同年9月7日、HMS Mercuryは、フランスのスクーナーPugliese乗員37名搭載砲7門に斬り込み拿捕。1810年、再び平時待機となる。 1811年まで、リスボン基地で係留された後、クレメント・ミルウォード艦長に指揮権を委譲。同年11月、リーウォード諸島に進出。リーウォード諸島にて、サー・チャールズ・リチャードソン海佐がHMS Mercury最後の艦長として就任。 1813年、アメリカの捕鯨船Fameを拿捕。Fameには1200バレルのオイルが積まれていた。 1814年に老朽化の為解体。
英国海軍6等級フリゲート
カードモデル No.35
スケール 1/96
全長: 66cm
現在の在庫・・・0
価格・9,500円
模型に含まれるもの:
・完成模型のカラー写真類
・英語とドイツ語に翻訳された作製案内と船の歴史
・A3サイズ 14ページの印刷されたパーツ類
・A4サイズ 1ページの印刷されたパーツ類
・レーザーカットフレーム
・布製の印刷された旗
・A3サイズ 11ページの図面類
・1795年以降の塗装図面
・模型は2種類の塗装が可能


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