
とにかく、今の生活に不満を言う人は多い。児童相談所にやって来る子どもたちでも、いろんな不満をぶちまけたり、ケチをつけてくる子も多い。そんな時に、 私はちょっと尋ねてみたりする。 「おまえは、どこの国に生まれたかったか…? どこの国に行きたいか?」 「…」 「北朝鮮でおまえのようなことを言ってると、もうとっくに殺されてるぞ…」 「行くはずないから関係ない…」 「人攫いに攫っていかれるんだぞ! ミサイルなんか飛ばして脅 「…」 「中国や韓国だって、おまえらのように好き放題のこと言っておれないんだぞ! それじゃ、アメリカやヨーロッパに行きたいのか? オーストラリアやニュージーランドに行きたいのか?」 こんなふうに尋ねたりすると、結構、返答に窮したりする。まあ、あまりそんな現実離れしたことなどどうでもいいって感じで、 考える必要もない…ふうである。 どこの国の人でも自分の国が一番と思ってるのかもしれないけど、はっきり言って、私は、日本という国が大好きである。 日本に生まれてよかったと思っている。 しかし、こんなことを言ってると、「おまえは国粋主義者か?」とか「右翼か?」とか言われそうであるが、 けっしてそんなわけはないと思っており、むしろ、自分の国を好きになれない人間のほうがおかしいと考えている。
分かりやすいところで、まず、食べ物でも見ていくと… なんと言っても、美味 ラーメン一つとっても多種多彩で奥が深いが、ソバにウドンにソウメンと麺類も豊富で、ざるソバや冷やし中華、焼きソバもある。 それぞれの道で料理職人たちが究極の味を追求している。そのうえ、インスタントやカップ麺まである。 牛丼、カツ丼、天丼、うな丼と丼物もいいし、てんぷら、フライ、から揚げ、コロッケ、串カツと揚げ物もいいし、オニギリ、 お茶漬け、カツオブシ、ふりかけ、佃煮もいい。まあ、基本は、 主食の熱々
すきやき、しゃぶしゃぶ、湯豆腐、おでん、焼き鳥、焼き魚、焼肉と、酒の肴というように、日本酒がまた美味い!
灘や伏見だけでなく、各地の地酒がまたすごい! 焼酎も今や大人気。日本のビールやワインもなかなかのもの。酒がダメでも、
番茶に緑茶に抹茶とくつろげるし、豊富な水がまた美味しい。もち米を使っての赤飯、餡子 カレーライスも今はもうインドというより日本人の口に合った日本料理。スパゲティー、ピザ、オムレツ、トンカツなども同様か… 卵の目玉焼きや魚のフライに、「オレは日本人だから、ソースをかけずに醤油をかける」という人にたまに出会ったが、 この茶色のソースこそ、今では、きわめて日本的なものだと思う。外国のレストランのテーブルなどには、置いてあったためしがない。 日本の食堂では、どっちが醤油かソースかというくらい定着している。調味料と言えば、コショウもいいけど、わさび、七味唐辛子、 和がらし、ショウガもいい。 そして、欧米の主食のパン、これなんかも日本のパンは繊細で多彩。菓子パンなんかはもう最高。お菓子といえば、和菓子、 洋菓子も美味いし、たまに食べるショートケーキがたまらない。たこ焼き、たいやき、お好み焼きも日本情緒漂う…
まあ、マンガの「美味しんぼ」なんかも、もう何年も巻を重ねて未だに連載を続けてるけど、
ネタの尽きることなく人気を維持している。日本各地には、まだまだいろんな海の幸山の幸など
郷土料理があるというからすごいもんだ…世界には、フランス料理や中国料理などいろんな美味しい料理もあるけれど、やはり、繊細で多彩な日本料理が一番で、 見た目も美しい。アメリカへ行った友人なんかに聞いてみると、 雑駁 食べ物を見ただけでも外国に永住したいとは思わないけれど、次は文化や環境でも見てみましょうか… |
まあ、国旗の「日の丸」(日章旗)なんかは、どこの国の国旗にも負けずにシンプルでインパクトが強いんじゃないかと思うんだけど、
国歌の「君が代」では、「…千代に八千代に…」と天皇家の血統が続いてるんだからすごいもんだ。
そんな国は他のどこにもないだろう…
そして、「…苔外国の洋風庭園などは、左右対称で均整がとれており、明るく色鮮やかなコントラストで雄大である。どちらかと言うと、 偶数がベースのように見える。これに対して、日本庭園は、奇数が基本となってるようで、人工的に手を入れながらも、 盆栽などのように好き放題の自然以上に自然に調和した美しさを醸 たとえば、三角形を使って作庭したとしても、洋風であれば二等辺三角形で描くであろうが、和風であれば不等辺三角形で描く。 そこに、石や木を配置するにしても、洋風庭園であれば形も大きさも同じ物を整然と並べるが、和風の場合は、 形も大きさも違う物を庭師の感性でじっくり眺 しかし、形も大きさも違うからと言って、たとえば、そこに置かれた三つの石が種類も違うバラバラの石というわけではない。 前石とか伝統的な定石 これが「日本の美」ではないかと思う。 ![]() 外国人が日本人を見れば、ファジーで曖昧 | |||
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故郷の山・川・海に、四季折々の樹木や花が彩りを添え、各地の伝統的な祭りが情緒たっぷり思い出を焼き付けてくれる。
曳き山祭り、灯篭流し、七夕祭り、流鏑馬、その他お国自慢の奇祭もいろいろ… 盆踊りや民謡も豊富で、現代も歌と踊りは多彩。
芸能界は人気商売で、庶民の一番の娯楽となっている。 それになにより、日本は世界一の温泉天国であることがすばらしい。露天風呂なんて、至福の一時を過ごすことができる。 温泉のない国なんて絶対に行きたくない! これだけ悠久 彫刻のようなもので言えば、埴輪や遮光器型土偶、銅鐸、勾玉、前方後円墳なんかもおもしろいし、 大仏なんて鋳型で造るなんてすごい… 金閣寺や金色堂のような発想は、さすが、黄金の国“ジパング”だ…
とはいえ、現代の日本の風景はあまりにも殺風景でつまらない。まるで、個々人が自己中心的に自分の好みばかりを主張して調和がない。そのくせ、逆説的ではあるが、 日本中どこの街へ行っても変わらないような、均質で個性や特徴のないものになってきている。 新興住宅街などでは、一度にたくさんの家が新築されたりして、確かに個々の家は美しいものであるが、和風、洋風、ロッジ風…と、 先ほどの庭石の例で言えば、青石、赤石、黒石などがゴタ混ぜになっている状態で、街全体とすれば、調和のとれた美しさなどない。 逆に、どこの都市へ行っても、全国チェーンのデパート、スーパー、コンビニ、パチンコ屋、食堂、服屋、車屋…等等があって、 あまり変わり映えもせず、つまらない。 以前、出雲のほうに行ったときに、汽車の車窓から眺めた風景は、どこにも夏みかんに実がついており、 渋い朱色の石州瓦の集落が田園風景に溶け込んで、美しいなぁと印象的だった。比較的、田舎のほうでは、 地方の雰囲気が出ているのであるが、便利な世の中になるに従って、だんだんローカル色がなくなってきているように感じる。 気のせいだろうか? | |||
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萩・津和野とか倉敷、高山など小京都と呼ばれるようなところは、古い町並みが観光用に保存されているが、やはり、
同じポリシーで建てられたものが集合しているから美しい調和がある。しかし、肝心の京都市では、
静かな住宅街などで美しい庭のある家が比較的集まった街もあるが、やはり、街全体とすれば、全国各地の都市と何ら変わりがない。
JR京都駅を降りたとたんに、「ああ、京都に来たんだなぁ…」という感動は全くない。 車窓風景が、お国自慢のように、地方の個性的な調和の美しさを味わうことができたらどんなに楽しいであろうか… スイスは、国全体が観光という国だけあって、どの家にもベランダ一杯に花が溢 ところで、食べ物でもそうであったが、日本の職人芸というものはすばらしく、陶芸や工芸、園芸、演芸…など、 その道を深く追求していく。「道」と言えば、お茶を飲んだら茶道、花を飾れば華道、香りを楽しめば香道、 字を書けば書道…とある。 スポーツも同様で、日本では、レジャーというより「文武両道」の武道があり、剣道、柔道、空手道、合気道…など、 戦うほうでも道を極める。しかも、この世界の“Judo”が日本の国技でなく、「相撲」というものがあるからすごい。 小林よしのりさんは、現代の日本人は、「文武両道」の「文」の方に偏 | |||
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今まで、こういった感じで見てくると、そもそも、「日本語」というものは、
長い歴史と伝統の中で洗練された究極の言語ではなかろうか? 井沢元彦さん風に言えば、一神教ではない八百万 なにしろ、「漢字」の他に、「ひらがな」だけでなく「カタカナ」まである。なんと、柔軟で多彩な言語か! 四方八方、前後左右、どこにでも言葉を並べたりくっつけたりできる。 漢字の一文字が意味を持つ表意文字であるため、文章全体をパッと眺めただけでなんとなく直感的に感情に訴えてきて、 雰囲気を感じる。「嬉」という字を見ればなにか嬉しい反射を起こし、「怒」という字を見れば怖いなーと感情的に反応する。 これが、英語などの文字が長々と書いてあったんでは、無味乾燥で、目がチカチカする。 西洋コンプレックスの日本人にはカッコよくシャレて見えるんでしょうが… 本家の中国語では、逆に漢字ばかりなので大変である。そのため、どんどん略字になってきているが、確かに、 書くうえでは簡略化されているが、漢字本来の姿とかけ離れてきており、ここまで来るとなにか寂しさを感じるし、 美的にも中途半端な感じがする。書道には使えないでしょう。日本語であれば、ひらがなとの調和も軽くて柔らかくて美しい。 それに、中国語には「四声 ましてや、ハングル語ともなると、「ほっといてくれ!」と叱られるかもしれないけど、悲劇としかいいようがない。 もう、意地の世界でしょう…
文学においても、万葉集、古今和歌集、新古今和歌集に代表されるように、人の喜怒哀楽の感情や恋心を詠ったり、
花鳥風月の美しさを愛でて文字で表現しており、優れた作品は「百人一首」としてまとめられ、遊びというかゲームというか、
今でもカルタ会で詠まれたりしている。江戸時代になると、松尾芭蕉などが「五七五」のもっと端的な文字数で力強く表現する「俳句」というものを作り出してしまう。 恐れ入ります。 古事記や日本書紀の歴史書の後に、徒然草や方丈記などの随筆が生まれてきて、そして、 世界の小説の先駆けとも言える長編の「源氏物語」ができたというからすごい。 ちょっと、「日本はなんていいところなんだろう!」というような歌を集めてみました。 |
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大和は 国のまほろば たたなづく 青垣山隠 大和し うるはし |
青によし 奈良の都は 咲く花の 匂ふがごとく 今さかりなり |
しき嶋の やまとごゝろを 人とはゞ 朝日にゝほふ 山ざくら花 |
八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を |
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10年程前、厚生省の児童家庭局では、「 1.57 ショック」ということを言って今後の日本についての危機を訴えていた。 これは、出生率 ただでさえ子どもたちが少なくなってきているのに、昨今は、子どもたちの起こす凶悪犯罪や、逆に、 親から虐待を受けるというニュースがあまりにも頻繁で、もう、どこでどんな事件があったかも記憶に残らないくらいである。 厚生労働省も出生率どころの騒ぎでないのかもしれない… 最近の若い世代は、人との付き合いを億劫 こういったパタンの一種の現われたものが児童の不登校であったり、苛めであったりする。日本全国の一人ひとりが、 各々自分のしたいことだけをしていったら、大変な世の中になってしまう。 そして、そういった問題などが起こると、親は、学校や苛 非行とかの問題を起こす児童などに大概当てはまるキーワードとしては、 「我儘 子は親の鏡とも言うように、非行に走る子の親に限って、 他人に責任を転嫁
まさに、小林よしのりさんが、「公と個」ということで、個人の意思ばかりを尊重して、
公の心が失われてきていると言うとおりである。そのうえ、子育てまで、行政や他人に任せてあたりまえという風潮も芽生えているようだ。驚いたことに、 「子育てをしたくない方は是非とも子育てを放棄してください! また、純粋に自分の子供として育てたい方は子供を預かって育てて見ませんか!」という商売も出てきている。 弱ったことに、今のマスコミなんかもそんな風潮を加速させているようなとこがあって、行政側も、 くさいものにはフタ…で弱腰で、もっと戦ってもらいたいんですが… 昨今は、確かに多忙な時代で、仕事に追いまくられるという場合も多く、仕事のために子育てができないという場合もあるが、 「子どもより仕事が大切なのかどうか…」という問いかけは常に必要と思う。わりと、 子育てに心を入れない言い訳に仕事に逃げ込むという場合もあり、そんな親に限って、保育所や学校が悪いとわめきたて、 出るとこへ訴えて出ると脅 それでいて、矯正施設に入ったりすると、その事実をひた隠しに隠そうとしたりする。ということは、悪いこと、 恥ずかしいことだと分かっているからだろう。 悪いと分かっていながら、虐待とかをしてしまうというのは、 普段の生活の中になにも牽制力 しかも、これほどに問題が噴出
私は、現代の社会では「常識」と多くの人が考えているようなことでも、見直していくべきではないかと思っている。今の世の中、核家族化があたりまえで常識のようになってきている。たとえ、三世代が同じ屋根の下に同居していたとしても、 食事から入浴・洗面にに到る生活全般が別々になって、ほとんど会話もなく、たとえば、父親である爺ちゃんが、 自分の息子がどこで働いているかも知らない…といったようなことも起きてくる。 そりゃ、ゴタゴタせずに楽で快適だろう。誰だって、自分の思い通り、自分の好みで伸び伸びやっていきたいのは当然で、 社会にゆとりができてくれば、そういった方向に向っていくのも当然の結果と言える。 しかし、どんどん誰もが自分の欲求のままに生活していくということは、 価値観や好みの違う人との交際を煩 「艱難 いろんな理不尽 だから、今の子どもたちは、昔で言えばちょっとしたことでも、すぐに自殺したり、非行に走ったり、不登校となったり、 首を傾 稀 大家族の中で、別の目で見られていることはプレッシャーであるが、嫌でもやっていかねばならないルールやマナーもある。 大家族のせめぎ合いの中で鍛えられていく一面もあり、妥協点、譲る気持ち、助け合い、相互理解、忍耐、 思いやり…なども生まれてくると思う。 だれだって死にたくないし、そうすれば年をとって老人となる。 昔、小学校の国語の教科書で、ニワトリかブタの兄弟たちが、親に、「この麦を誰が植えますか?」と尋ねられ、 みんな「嫌だ」と答える。次に、粉を曳いたりして、「誰がパンを焼きますか?」と尋ねられ、またみんな「嫌だ」と答える。 最後に、出来上がったパンを「誰が食べますか?」と尋ねられ、今度はみんな「食べる」と答える。 不思議とこの話をうろ覚えに覚えているが、この話の本来の趣旨と違うかもしれないが、人間、余裕があれば嫌なことはしたくない。 しかし、してもらったことは覚えており、自分が大人になったときはしなければならないと考える。 成長に応じた役割分担などを学んでいく。老人と一緒に生活すれば、老人とはどういうものかも分かってくる。 誰にとっても不満のない完全な社会というものはどこにもなく、過去、現在、未来を通じてもありえない。それでも、 社会の矛盾や悪をきちんと見つめ、正しく改善し、より多くの人にとって理想的なものにしていけるよう戦っていかねばならない。 事実、これまでの歴史というのは、社会の矛盾や理不尽との戦いであり、たくさんのことが改善されてきており、少なくとも、 昔よりは相当住みよい社会になってきている…はずである。 それなのに、この殺伐とした感覚はなぜなのであろうか? もちろん、老人と一緒に暮らす大家族の家庭であっても、不登校や非行の子が育つこともあるし、だいたい、今更、 大家族の生活様式に戻すべきだと言ったところで、大川の流れを逆流させるように困難なことかもしれない。 誰だって、辛く不自由な生活になると分かっているのに、自分からそれを望んでそういう生活をしていくということはまずない。 しかし、好むと好まざるにかかわらず、こういった、より進化し改善された社会が、逆に、深刻な問題を生み出しているということ。 これは、紛 逆流させることが困難となれば、何か別にいいアイディアがあるだろうか?
<閑話休題> 「文においても武の心」話は変わるが、アメリカという国は、建国の段階からインディアンを根こそぎ虐殺したり、 第二次大戦では日本を狡猾に戦争に巻き込んで原爆を落としたり、愛と博愛のキリスト教を傲慢に押し付けたり、 未だに銃を持たないと自己防衛できない野蛮で怖い国だと思っていた。国の歴史そのものを「フロンティア スピリッツ」ということで正当化しなければならないはずである。 そんなことを考えていた矢先に、映画 “THE LAST SAMURAI”が封切られ、観に行った。
主人公は、インディアンを虐殺したことの嫌悪感によって魂が空虚なものとなっている。
日本の主人公は、現代人が忘れ去ったような武士道精神の塊である。奇しくも、アメリカの映画ではあるが、
インディアン虐殺の嫌悪を認め、日本の『侍』の生き様、死に様の美を描いている。さすがに、アメリカンドリームと自由の国と言えるかもしれない。これが、イデオロギーや独裁の国家であれば、 自国の正当化を妨げたり他国の文化を賛美するような映画などは、検閲によって上映禁止になるはずである。 私は、映画の中で不思議と印象に残った場面は、侍たちが戦いに出陣して村を出る際、 どの村人も静かにお辞儀して見送る光景であった。自分たちの生活を守るために、侍たちが命がけで戦ってくれることへの敬意… ところで、社会や組織が続いていくと、残念なことに、不正や不祥事、腐敗などが起きてくる。 上司には管理責任が問われるので、人事管理などがどんどん厳しくなる。出張や研修などは、 ぎゅうぎゅうに目的に沿ったものを詰め込まないといけない。
「第2章 知的障害 1 叱る」でも書いたが、今の世の中、
「ああしたらダメ、こうしたらダメ」と決まりや禁止ばかり言われる。家でも学校でも会社でもそうである。そのうえ、昨今のオンブズマンのように必要以上にエスカレートしたり、 何かあればすぐにセクシャルハラスメントとか言って糾弾され、どんどんギスギスしてきている。 自分たちこそ正義の世直しを実践している者だといった感じで、匿名で悪を暴くような人たちを、 インターネットの掲示板とかあちこちでも見かけるようになってきた。 彼らは、他人の長所とか努力している面は見ようとせず、魔女狩りのように鬱憤を晴らしているようにも見える… 世の中をどう創造していくのかというビジョンなどは全く見えてこない。ただの口うるさい破壊者としか思えない。 いったい、何が楽しくて生きているのかと聞いてみたい気がする。 人のあら捜しをすることほど楽で簡単なことはない。 私は、たとえば、一見正論のようなオンブズマンのような動きが、 今の社会を息苦しく楽しみのないものにしている一因があると思う。 今年の成人式でも、甘えん坊のお坊ちゃまたちが暴れる様子をテレビでやっていたが、まあ、 こんな世の中だとそうでもしないとやってられないのだろうか…? 大人から、「何を楽しむか」ということは教えてもらえなかったのではないか…? たとえば、公務員なんかが県外に出張する際などは、ご当地の旅も楽しむということも必要だと思う。 議員先生が海外視察に行ったら十分楽しんで来るべきではないかと思う。美しさを味わい、 楽しむこともできないところへ行って何を学べるのであろうか…? 決して、ノーパンしゃぶしゃぶとか快楽を得ることを楽しむという意味で言っているのではない。 結局、旅とかいろんな楽しみ方を知らないために、猫も杓子も性的欲求や破壊や攻撃の欲求を楽しむしかないのではないか…? 小泉首相は、「日本は必ず元気になる!」とおっしゃってますが、どうやって元気になるのでしょうか? マスコミは「差別用語」とかの言葉狩りを受けて、 臭 世の中がジワッジワッと複雑怪奇な閉塞状態になっている今こそ、もっともっと、物事の議論を深めるため、 侍の「武」の心で真っ向からじっくりと理屈で戦ってほしい。せっかく、アメリカ映画でも賛美されたのであるから…
<議論においての勝ち負けの判定> ところで、現代の日本人は「政教分離」があたりまえと考えており、世界中もそうであると考えているかもしれないが、決して、世界の常識とはいえないのである。そして、日本では、そんなすばらしい社会のあり方を創ってくれたのが、天才織田信長だと井沢元彦さんは言う。なるほどと思う。先人の知恵に感謝感激だ! そして、「武」の次は、「和」をもって貴しとする日本古来の美点が、世界に広まっていくようPRしていくべきだと思う。 (H16.1.19) |
“2004”H16年3月に、国立武蔵野学院の二泊三日の研修を受ける機会に恵まれた。
出生率の低下については、今はもう大騒ぎこそしてないが、決して、増加しているというわけではなく、
静かに低下していたようである。今は「 1.3 」だそうである。このままの調子でいけば、なんと、34世紀には日本の人口は一人になるという。 その上に、「学級崩壊」というものが、東京では10年前に中学生であったが、今は、小学生にまで降りてきているという。 「不登校」というものも高校生にまで波及しているが、日本の場合は3〜4%なのに対して、スウェーデンでは17%というから、 あまり、心配する必要もないのだろうか? さらに、「非行」という問題があり、親のエゴによる家庭崩壊や、昨今話題になっている「虐待」などは、今後、減少していくという 兆 加えて、「知的障害」や「自閉症」などの「障害」の子供たちがいて、1/30人位が「うつ病」になるというのだから大変である。 そのほかにも、交通事故、怪我病気などがあり、ストレスもある。 社会に出れば対人恐怖症、生涯独身、結婚しても子宝に恵まれないなど… 日本は大丈夫なのだろうか…? (H16.4.14) |