諏訪湖は中央構造線と、糸魚川静岡構造線の交わったところで、中央構造線がずれて出来上がったと考えられます。(別項参照)中央構造線の南側は、杖突峠にそって存在しています。そして北側は、岡谷の横河川にそって北上していると考えられます。(フォッサマグナの下に隠れてしまっています)
さて、諏訪というと諏訪大社が有名で、上社、下社それぞれが二つづつの神社があり、計4つの神社から構成されています。祭神は出雲の国譲りで敗れたタケミナカタとその奥さんであるヤサカトメです。
タケミナカタは出雲の産鉄族のながれをくんでいるとおもえますので、諏訪湖の周辺の鉄資源の探索に関係した人たちの系譜をと考えられます。これは諏訪大社が南宮神社ともいわれ、南宮大明神を祭っているともいわれていることから連想するに、金山彦という金属神をまつる岐阜の南宮神社を信仰した金属関連の仕事をし人たちとのつながりが濃そうなことからもこの神社が金属色が濃いことも伺えます。
一方ヤサカトメは和田峠の守り神ともいわれていますが、ご存知のように和田峠は石器・縄文時代から黒曜石の一大産出地としてしられているように当時の重要な地下資源産出地でしたので、古い時代からの鉱山関係者の守り神ではないかとも想像できます。
諏訪湖と中央構造線と4つの諏訪大社









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左の図は、諏訪湖を中心にして中央構造線と、諏訪大社の4つの神社の位置を描いてみました。
上社と下社のそれぞれが中央構造線と糸魚川静岡構造線とが交わった付近に建てられていることが判ります。
そしてタケミナカタが出雲の国から、どの様にこの諏訪の地に至ったかというと、一つは、大鹿村にある伝承のように、一旦出雲から太平洋側にでたタケミナカタが天竜川をさかのぼりながら大鹿村にいたり、この地にしばらく逗留したあと、諏訪に入ったという話があります。すなわち諏訪湖の南側から中央構造線をたどってきたことになります。
もう一つは、諏訪の北方、上田の地にある、生島足島神社の伝承ではタケミナカタは出雲からこの地に至り、一旦この地に留まったあと諏訪に向かったということになっています。
すなわち諏訪湖の北側から中央構造線をたどってきたことになります。


私の視点
以前はこの二つの伝承が矛盾しているので、どちらが本当なのだろうか?などと考えたのですが、出雲大社の4つの社の祭り方を考えると、出雲の地をはなれた人々(出雲族)が太平洋側と日本海側とにいったん別れたあと、それぞれが地下資源をもとめな、中央構造線など特異な地質や地形をたどりながら移動した結果、奇しくもこの諏訪の地で再度であったと考えられます。
どちらが先にたどり着いたのかは判りませんが、先に着いたほうが諏訪湖の周辺に社を建てたのに対し、跡からきた出雲族が、同族であることに敬意を表しながらも、自分達は自分達なりにタケミナカタをお祭りしたいと、中央構造線上の片側の地に、おなじタケミナカタを祀ったのではないでしょうか。