私の視点
水銀鉱山は中央構造線に多く分布しており、高野山周辺、吉野、宇陀に丹生神社や丹生地名が多く存在するのもこのことと関係しています。
また、この勢和村の丹生には丹生大師と呼ばれる神宮寺があり、大師信仰もあります。
高野山といいこの地の水銀鉱山といい、弘法大師空海が、古代の水銀採掘を業とした人とのつながりが多いことから、この人たちの資金援助をうけ、当時の先進国である中国唐の最新土木、採鉱技術を学ぶべく中国に私費留学をしたとの説もあります。
予定では20年という長い滞在費の捻出が出来ていたこと、一方実質2年ほどの留学を終えるにあたり、密教を中心に多くの経典、仏具、美術品を購入するだけのお金を持っていたことは、これだけの資金援助できる人たちがスポンサーとしてついていたことをうかがわせます。
写真は近くを流れる櫛田川
三重県多気郡勢和村の丹生というところは古代から水銀がとれたことで有名です。
丹生という名前は丹すなわち辰砂(朱の材料)が生じるところという意味を示し、水銀にちなむことが多いようです。
勢和村の丹生には、写真に示すように赤い色をした岩肌をみせた地層が見られたので、古くから「火の谷」と呼ばれていたそうです。
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三重の水銀鉱山と伊勢白粉と空海
この地は古代から、中世にかけ大量の水銀が掘り出されもようで、古代には朱色の原料、防腐剤また、奈良の大仏に代表されるような金アガルガムとしてメッキの材料などに使われました。
江戸時代にはこの地の水銀は伊勢白粉の原料として使われたようです。
この伊勢白粉は水銀と赤土、塩などを水で混ぜあわせたものを高熱で熱し白い粉にして作られました。
水銀は、露天掘りのあとも見られますが、多くは斜坑を掘って採掘されました。
江戸後期には組織的な採掘は廃止されたようですが。写真の坑道は昭和初期に掘られた水平坑道の入り口と坑道の内部です。