参考
弁天様は弁財天(べんざいてん、弁才天)と言い、もとはヒンズー教の女神でしたが、日本に来て仏教や神道に取り入れられました。
弁天様の像には、手が二本で、琵琶をかかえたものと、手が八本で武器などをもった像があります。
前者を二臂の弁天像、後者を八臂の弁天像といいます。(臂(ひ)とは仏様の手の本数の数え方です)
現在江ノ島にある弁天堂には両者の弁天象が安置されています(右上写真)。
鎌倉は弁天様の多いところです、銭洗い弁天長谷寺の弁天窟、そして鎌倉八幡宮にも弁天様が祭られています。

私の視点
弁天信仰は蛇信仰や龍神信仰とかさなっています。弁天像うえには人頭蛇身の宇賀神が載せられていろことが多いのもその表れですが、この岩屋には右下写真のように蛇そのものをほった神像もあります。
蛇や龍神信仰は、どちらかと言うと縄文時代の信仰につながる古い信仰のようにおもえます。現にこの江ノ島では縄文時代の遺物が発掘されています。
役小角や空海は何らかの形で縄文の系譜を持っているように思えてなりません。
江ノ島岩屋は波によって造られた海蝕洞穴です。(海の波が打ち寄せ、洞窟を形成していった。)今でこそ江ノ島神社や弁天様は島の上部に祀られていますが、最初はこの岩屋に弁天様を祭られていたそうです。
伝説では、奈良時代には役小角が、平安時代には弘法大師が参籠したといわれています。
記録が残りだす鎌倉時代になると、寿永元年(1182)に源頼朝と文覚上人がこの岩屋で戦勝を祈願したと言われていますし、また日蓮も参籠したそうです。
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弁天様をまついった 江ノ島の岩屋
岩屋の中
岩屋の途中にあいた穴