平安時代の初期、桓武天皇の時代に日高見国(現在の岩手県水沢市あたり)を拠点とした蝦夷の首領アテルイは、大和朝廷軍と10数年の戦いのました。
初期における戦いの強さは、@大和朝廷から自分たちの国を守るという堅い意思 A地理と地形を熟知したゲリラ戦の巧みさであると言われています。
でも、これだけでしょうか?戦いは一般的には機動力と火力の差で優劣がきまる、または機動力と武器の差できまるといわれますが、アテルイの戦いの強さの背景には馬(機動力)と刀(武器)の優秀さがあったと思われます。
馬は当時から関東・東北は名馬の産地と呼ばれていました。一方武器=刀は蕨手刀にその強さの秘密があるように思えます。
古代東北の王者アテルイの強さは蕨手刀? 









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蕨手刀は奈良時代から平安初期にまでの短期間に使われた刀で、柄の部分が蕨の形をしているのでこの名がついています。出土状況は東北から北海道がもっぱらで、特に岩手県に多く出土しています。
時代と場所から考えてアテルイ達の主要武器だったであろうと考えられます。
形状は反りがついた日本で始めての刀です。
この反りのついた形状は、直刀に比べ、薙ぎ払うようにして切るのに適しています。すなわち馬に乗ってこの刀を使うと、きわめて強力な威力を発揮したと思われます。
当時(平安初期)の大和朝廷が直刀(こちらは突き刺すのに適した形ですネ)を使っていたことを考えるとその威力の差は歴然としています。

この蕨手刀はアテルイ達の降伏後、平安時代中期には、その工法は舞草刀に伝承されたようです。舞草というのは、岩手県一関北上川の当方の地区で、ここで古代の鍛冶が行われていました。
岩手県花巻出土の蕨手刀
鹿島神宮にある直刀
宝物:国宝の鉄剣『ふつのみたまのつるぎ』
なぜこの地方に蕨手刀が発達したのかといえば、やはり多くの砂鉄産地が存在したこと、また、古代東北には餅鉄と呼ばれる磁鉄鉱が多く産出したことが背景にあると思われます。舞草近くの白山岳は地元では鉄落山とよばれ、産鉄関連の伝承や地名が残っていことからもうかがわれます。
また、この舞草鍛冶は渡来人の鍛冶である記録があることとあわせて考えると、中央構造線から黒鉱ベルト地帯をさかのぼった初期の産鉄族と、ニギハヤヒを祖とする物部族、および蘇我・物部戦争に敗れ東北に逃れたであろう後期物部族など、きわめて初期の渡来人とが協力して、このような初期の武器の改良に勤めたのではないかと想像できます。