私の視点
日光二荒山神社の祭神は二荒山大神とオオムナチです。赤城神社ともにオオムナチが主祭神の一柱となっているということは、赤城山の神と赤城山の神があらそって、結果としてこの地はオオムナチを代表とする出雲族が一旦支配下に治めたことを暗示しているように思えます。
そこで百足と大蛇ですが、百足は鉱山神の使いと言われています。(百足を眷属にしている神社は結構あります、秩父の聖神社もそれに近いです)

百足を鉱山と結びつける根拠は、色々あるようですが、
@鉱物を含む岩石には、百足のような筋条に鉱物が析出しているから
A鉱物を掘り出すための鉱道を補強している柱が百足のように見えるから  などが代表的なものです。
いぜれにせよ、鉱物を含む岩石を採集する鉱物資源採集方式をイメージしているようです。
一方、大蛇は、川等の流れを金属採集の場としている、砂鉄や砂金を採る人たちが採用している金属採集方式を採用している人たちが、生計の場として川を敬っている(川は蛇がうねっている様子に似ているので)からというもので、これもうなずけます。
日本の古来の製鉄などが砂鉄をベースにしていますが、それ以前は高師小僧などの金属バクテリアの採集や、水銀など露天や穴を掘っての鉱物岩石採集が主流だったとかんがえられ、この金属採集方式の違いが集団どおしの生存権の争いになったのではないでしょうか。
赤城神社の祭神は赤城明神とオオナムチ(大国主)です。
赤城明神は赤城山の神様で、昔、日光二荒山の神様と争ったという伝承があります。赤城の神様は百足になって、大蛇になった二荒山の神様の神様と戦ったが、敗れたという伝説です。
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赤城神社(三夜沢)と俵藤太=藤原秀郷 : ムカデ伝説を探る

視点その2
この神社は昔は上野国の一の宮だったけれども、この座を富岡にある貫前神社に譲り、二の宮になったという伝承もあります。貫前神社の祭神は香取神社の祭神とおなじ経津主神(フツヌシ)ですので、天孫族の神様です。ですからオオナムチという出雲の神様が、天孫族の神様にこの上野一帯の支配権一位の座を明け渡したともいえます。
須佐の男すなわちスサノオを起源とする砂鉄採集による鉱物精錬集団が、さらに新しい技術集団(天孫族)に屈服したことをあらわしているように思えます。

写真左:拝殿
写真右:杉の大木と本殿
 (藤原秀郷が植えたと
      いわれています)

視点その3
神社の大杉は平将門の乱の時、これを平定に向かう藤原秀郷=俵藤太が植えたと伝えられています。
ただ、藤原秀郷=俵藤太といえば勢田の唐橋伝説にあるようにムカデ退治で有名です。(また埼玉には俵薬師という眼病伝説をもつ場所もあります)本来ムカデは赤城明神の使いなので、赤城明神と藤原秀郷=俵藤太は敵どおしのはずですが、これも古来の金属採集集団の屈服の歴史をものがたっているのでしょうか?
赤城周辺の住んでいる古い集団に、あらためて屈服の歴史の念をおしたとも考えられます。
この地は、その後完全に、秀郷の末裔、大胡氏に支配されます。
(逆に考えると平将門は古い金属採集集団の代表だったようにおもえます、そうなると天孫族に歯向かい親皇となのったことも必然性があるように思えます)

参考
本神社にたいして、元宮と言える大洞赤城神社が赤城山大沼の湖畔にあります。